県内原子力発電所立地3町長が乾式貯蔵施設設置について「容認」を伝える

ブログ 原子力

夏季の電力需給ピークの折、“痛い”出来事(8月9日の自身のブログにて)と書いた、8日に発生した関西電力 大飯発電所3号機(定格電気出力:118.0万kw)の原子炉自動停止。
 
定格熱出力一定運転中の8月8日23時56分に「界磁喪失※1」警報が発信し、発電機が自動停止。
 
※1:発電に必要な磁界が失われた状態
 
これに伴い原子炉も自動停止したことから、関西電力においては、関連する設備(発電機、励磁機※2、自動電圧調整器※3)を対象に、現場点検を行った結果、励磁機の回転整流器に損傷が確認されたことから、今後は、励磁機をメーカ工場へ搬出し、詳細調査を実施するとありました。
 
※2:発電機に磁界を発生させるための装置
※3:発電機の出力電圧を自動で一定に保つ装置
 

【調査結果の説明図(関西電力プレスより抜粋引用)】
 
これは、8月19日付で関西電力がプレスしたもので、詳細は以下リンクをご覧いただきたく存じますが、先般のプログでも述べたよう、自動停止に対する徹底した調査、再発防止対策を講じた上で、万全を期して戦線復帰いただけるようお願いする次第であります。
 
→2026年8月19日 関西電力プレス『発電機自動停止に関する調査状況』はこちら
 
さて、その関西電力に関しては、県内の3原子力発電所全ての敷地内で計画する使用済み燃料の乾式貯蔵施設を巡り、福井県の石田嵩人知事は再処理工場(青森県六ケ所村)の完成遅れの可能性を踏まえ6月県議会での事前了解の判断を見送ったところ。
 
その後8月18日には、資源エネルギー庁と関西電力の幹部が、最終的な搬出先となる再処理工場に関する対応について武部衛副知事に説明。
 
本年度内を目標としている工場の完成が遅れたとしても、2027年度内の操業開始目標は変わらないなどとして、関西電力が県外搬出のロードマップで示す2028年度からの当面の搬出量に大きな影響はないと改めて強調した上で、実際に完成が遅れた場合は速やかに実効性のある工程表を再提示するとしていました。
 
これを受け、武部副知事は「知事に伝える」とし、立地町長の意見や県議会の議論を確認すると述べましたが、早速昨日(20日)、今度は県内原子力立地3町の町長が武部副知事と面談し、美浜、高浜両町は“設置を了承”と伝え、おおい町は、規制委員会の審査終了後に判断するとした上で、「両町の考え方を尊重したい」と述べました。
 
県は今後、県議会の意見を聞く方針としていますが、立地自治体の考えは当然、議会の意見も踏まえたものであり、これ以上先延ばしすることなく判断されるのではと推察する次第です。
 
なお、そもそもは先々代知事から継承する、福井県固有の“県外搬出”の考え自体に科学的根拠があるのだろうかと、常々思うところ。
 
決して、なし崩し的に何かを進めようということではありませんが、福井県だけが“発電で貢献しているから廃棄物は外で”というのであれば、“(原子力)立地地域、電力消費地に関係なく考えるべき”とする高レベル放射性廃棄物最終処分地選定のスタンスと異なるものであり、固執する必要はあるのだろうかと、あくまでも個人的に思う次第です。

長男世代に元気をもらった「希望の朝」

ブログ 働く仲間とともに


 
写真は、今朝の散歩(きゅうちゃんとの)で出会った風景。
 
徐々に遅くなっている日の出時間ですが、今日の敦賀は5時18分。
 
散歩していたのは、ちょうど日の出前に当たる時間帯で、何とも朝焼けが美しく。
 
「新しい朝が来た 希望の朝だ」
 
頭に浮かんだのは、ラジオ体操のこのフレーズ。
 
この景色に出会えたこと自体、幸せに感じるわけです、もう一つ言えば、フレーズにあるよう、朝を迎えられたことは生きている証拠。
 
生きている、生かされていることに感謝と思えば、今日の日を大切に過ごしていきたいと思った次第です。
 
さて、朝つながりのお話を続けますと、昨朝は水曜日恒例の名子での辻立ち。
 
結構、皆さんより「朝から大変だね」と言われるのですが、私自身は意気に感じてやっているのでまったく苦ではなく、むしろ楽しみにして続けているところ(なので、お気遣いなく)。
 
そして、この辻立ちのもう一つの楽しみは、当番を決め、毎週一緒に立ってくれる原電労組敦賀分会役員の皆さんとお話しできること。
 
皆さん、敦賀発電所もしくは敦賀建設事務所にお勤めで、入社年度の違いなどにより、お付き合いの濃淡はあるものの、職場のことや政治、趣味や家族のことなど、会話するひと時は私にとって貴重であり有意義な時間となっています。
 
そうしたところ、昨朝の活動で立ってくれたのは、24歳の若手組合役員。
 
学校こそ違えど長男と同級生、野球つながりで中学生時代から知る彼。
 
さらに敦賀高校では、長男とともに甲子園を目指したチームメイトということもあり、そんな彼が日本原電に入社してくれたこと自体嬉しいことでしたが、こうして労組役員になり、まさかこうして一緒に立ってくれることになるとは感無量。
 

【話によれば、すっかり暑さに弱くなった元高校球児】
 
お手振りをしながら、季節柄、高校野球談義に花咲かせつつ、実は、7月8日のブログでご紹介した「結婚話」の男性こそ彼であり、何とも幸せそうな新婚生活の様子などもお伺いしたところです(ハラスメントはしていません笑)。
 
→幸せを感じる2026年7月8日のブログはこちら
 
40分程の活動時間、楽しくおしゃべりした次第ですが、中学生時代を思うと何とも頼もしく成長した姿、そして活動を手伝ってくれたことを大変嬉しくも、感慨深く思ったところです。
 
こうして長男世代から元気をもらった朝。
 
親父世代も負けずに頑張らねば!
 
と、「希望の朝」を迎えた今日もネジを巻いてまいります!

国交省より「道の駅」についてレクチャーを受ける

ブログ まちづくり


 
敦賀とはまた違う暑さと感じる東京。
 
写真は、夏空にそびえる国会議事堂(衆議院会館前)ですが、昨日は国民民主党福井県連の所属議員にて衆議院第二議員会館を訪れ、国土交通省道路局の担当者から「道の駅」に関する政策レクチャーを受けてまいりました。
 
現在、全国では1,231駅、福井県内では21ある「道の駅」。
 
所属議員のいる高浜町では、既存の道の駅「シーサイド高浜」が現在大規模改修工事中で、こうした施設をどのように活用し、地域のにぎわいや交流につなげていくのかが、今後ますます求められていることや、ご当地敦賀では、道の駅整備について委託調査検討がされるも、ケーススタディしたパターンいずれもが赤字予想。
 
現状は、金ヶ崎エリアの開発見通し(既に、同エリアでのオーベルジュなど開発計画は断念)や民間商用施設の動向を見ながら判断していくとしているほか、他市町でもさまざまな視点から関心高いのが「道の駅」となっています。
 
なお現在、同じく所属議員のいる福井市では、美山地区で廃校となった学校施設を活用して「道の駅」を開設できないか、地元・民間で気運を高めつつ検討が進められており、今回のレクチャーではまず、県連側から同地区での計画について、プレゼン形式にて説明。
 

【政策レクチャーの様子。衆議院第二議員会館内の会議室にて】
 
その後、国交省ご担当者より、基本的なところから、「道の駅」のそもそもの目的は「道路利用者への安全で快適な道路交通環境の提供、地域の振興に寄与」つことであること。
 
続いて「道の駅」の機能に関しては、①休憩機能、②情報発信機能、③地域連携機能という3つの基本的な役割を有していることが条件であり、例えば①については、“24時間無料”で利用できる駐車場・トイレ、②では、道路情報、地域の観光情報や緊急医療情報などを提供、③では、文化教養施設、観光レクリエーション施設などの地域振興施設であること、加えて災害時は防災機能を発現するなど。
 
さらに、「道の駅」の設置者や登録方法(「一体型」と「単独型」がある)や整備フロー、整備する場合の交付金等の事例についてもご教授いただきましたが、別に資料提供のあった各省庁の「道の駅」支援メニューでは、省庁の関わり方やその種類の多さに驚いた次第です。
 
その上で、美山地区での計画にあたっての参考事例であり、全国的にも注目されている千葉県鋸南町の「道の駅 保田小学校」を例に、廃校となった小学校を地域の交流・観光拠点として活用した取り組み事例についてご説明。
 
あわせて、同じく廃校利用の道の駅である岩手県の「三田貝分校」や滋賀県の「奥永源寺 渓流の里」についても紹介いただきました。
 
こうした廃校施設を活用した「道の駅」の事例を中心に、制度の概要や整備の考え方、地域活性化との関わりなどについて説明を受けた後、福井市での計画を例に挙げつつ、福井県内各地の既存施設の改修のあり方、あるいは新設に向けての課題などについて質疑・意見交換を行なった次第です。
 
約1時間半ではあったものの、大変お忙しいところご対応いただいた担当者様には心から感謝申しあげます。
 
東京まで足を運んだ分、非常に有用な情報、考え方を学んだところであり、敦賀に当てはめた場合どうなるのか、自身においても思考を深める所存です。

名称改め「やまたけタウンミーティング」を開催します

ブログ 活動報告

お盆明けがちょうど月曜日となり、昨朝は恒例の街頭演説からスタート。
 
交通量が著しく少なかった先週に較べ、昨日は元通り。
 
早朝(5時台)は、涼しげな秋の気配を感じたところですが、7時を過ぎれば残暑厳しく。
 
また、南風も強く、のぼり旗をなびかせての街頭活動となりました。
 
なお、街頭では、お盆や終戦の日とかけて、この1週間で経験、学んだことなどをご紹介。
 
戦争や平和に関しては特に、政治と密接に関係することから、自身の考えもお伝えした次第です。
 

【この交差点では初の麦わら帽子着用。風にあおられているだけで、決してカッコつけてるわけではありません(笑)】
 
さて、皆さまも一つや二つは、やろうと思っていて出来ていないことというものがあるかと思いますが(勝手に想定)、実は私も同じ。
 
それは、久しく開催していない「地域での活動報告会」と同じく「NEWSのポスティング」。
 
活動報告会に関しては、労働組合の関係では定期的に行なっているものの、町内をはじめ地域関係では年単位以上でやっていない…。
 
また、「やまたけNEWS」は新聞折り込みしていますが、当然、新聞購読していないお宅には届くことなく。
 
以前にご近所の方から、「やまたけ議員、何しとんかな?と言ってる人おったよ〜」とのお話しを聞いたことがきっかけで、せめて自分の住む町内くらいは、毎回ポスティングしようと続けていましたが、ここ2回分は配れておらず。
 
ということで、頭の片隅に、この「やっていないこと」が悶々と残っていたわけですが、実はこれをお盆期間中にクリアしました。
 
方法としては、町内で報告会を開催するにも、政治に関することを回覧板で回すわけにもいかないため、開催のお知らせチラシを作成。
 
2号分のNEWSとあわせて、一挙に全戸ポスティングすることに。
 
予定の合間と、暑さを避け、朝夕の時間を利用するなどして3日をかけてコンプリート(笑)
 

【夕焼け空を見上げながらのポスティングも良いものでした】
 
思いを込めて、489軒にお届けしましたが、汗もかいて運動代わり、「やってないこと」がクリアされ、気持ちもスッキリのポスティングとなりました。
 
なお、お堅い「活動報告会」のネーミングを今回から改め、やわらかい雰囲気の「やまたけタウンミーティング」に。
 
実際、お気軽に参加いただき、ざっくばらんにお話しするスタイルにしたいと思います。
 
開催日時は、①8月23日(日)16時〜、②8月26日(水)18時30分〜 と休日・平日1回づつとしましたので、ご都合の良い方でご参加いただければ幸いです。
 
町外の方ももちろん参加OKですが、駐車場が2台分しかありませんので、その点ご留意ください。
 

 
“知って行なわざれば 知らぬことと同じなり”
 
ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、自身が心がけるこの「知行合一」の考え、そして「やらずに後悔するぐらいなら、やって後悔せよ」の教えに則り、今後も活動にあたってまいります。

「嶺南忠霊場盂蘭盆法要」にて先人の気概を知る

ブログ 敦賀の歴史・文化

お盆の最後を締めくくる、昨晩の「とうろう流しと大花火大会」。
 
こうした節目があるのも敦賀の良いところと思うところですが、お盆とともに夏も徐々に終わりに近づき、今朝は涼しげな風。
 
次は秋へと、季節の移り変わりを感じるところです。
 
お盆の節目に関しては、今年から参列した「嶺南忠霊場盂蘭盆(うらぼん)法要」。
 
毎年、8月16日の14時から、市野々の良覚寺様で営まれる嶺南忠霊場盂蘭盆法要は、もともと嶺南忠霊場(敦賀市岡山町)で行われていましたが、参列者の高齢化とコロナ禍もあって、ここ数年は良覚寺様のご本堂をお借りして営まれているとのこと。
 
法要の趣旨からいって、本来どなたでも参列可能でありましたが、恥ずかしながら私はこれまで参列したことなく。
 
今年、自身が所属する気比史学会が「戦没者追悼敦賀市民の会」の賛助団体となり、その関係で私も同会の会員に。
 
そうした経過もあり、今回お声かけをいただき、それは是非ということで参列した次第です。
 
14時からの法要ではまず、参列者全員での合掌に続き、戦没者追悼敦賀市民の会代表より追悼の辞、良覚寺住職様による読経と法話(途中、お焼香)。
 
その後は、来賓代表として米澤光治敦賀市長からのご挨拶、結びに嶺南地域遺族連絡協議会会長からの謝辞で締めくくられました。
 
なお、最後の嶺南地域遺族連絡協議会会長である奥野治樹さんからのご挨拶では、なぜこの法要を良覚寺様で営んでいるかの経緯に連れられるとともに、戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の管理下で嶺南忠霊場を取り壊す命令が下された際、これに良覚寺の前々住職様が大きく関係し、元のまま残された歴史を拝聴。
 
なお、この歴史的エピソードは、この日配布された良覚寺 寺報(第11号を戦没者追悼敦賀市民の会にて拝刷)に記されており、これによれば、昭和20年8月に終戦となったその年の12月下旬、GHQが忠霊塔を爆破するとの噂を耳にした遺族代表の橋本五郎さんが、福井県軍政部のハイランド中佐に爆破の中止を頼みにいく前日のこと。
 
GHQの軍政官が敦賀市役所に来て、「忠霊塔の中に軍人の遺骨が入っているだろう。すぐに取り壊せ。」との指示があり、市役所は関係しておらず、管理しているのは敦賀遺族会と敦賀市内の寺院である旨回答すると、明日案内せよと。
 
翌日の朝、軍政官3人と敦賀市職員5人が良覚寺を訪ね、同様の質問をするに、前々住職様は、8千余の軍人の遺骨は、福井、滋賀、岐阜など他県に引き取られた旨を説明した上で、「今は、戦没者嶺南地区一部と敦賀市内の寺院有志が預かった身寄りのない遺骨が入っている。中を見せるには全有志の承諾のもと、有志寺院3名以上の立会いが必要で、反対する寺院が一つでもあった場合は忠霊塔の中を開けることはできない。その鍵は全有志の委託を受けて私が預かっている」と言うと、軍政官は「分かった」と言ってくれたとのこと。
 
その後、軍政官は祀ってある仮仏を観て、深々とお辞儀をしたり、帰り際に渡した日本酒一升瓶を大層喜んだこと、前々住職様と握手して帰った様子が手に取るように記されていました。
 
寺報は続けて、後日、この話を聞いた市長(当時)さんが「お酒一升で取り壊しを免れたことは欣快(きんかい)この上ない」と前々住職様への謝意を述べられたとのこと。
 
今の忠霊塔(忠霊場)があるのは、まさに命懸けでGHQに懇願を試みた橋本五郎さん、そして前々住職様が気概をもって凛とした対応をされたことがあってのことと、これに心から敬意を表するとともに、大変感慨深く学んだ次第です。
 
また、奥野さんがお話の中で、前々住職様の肖像画があると仰ると、お寺の方が持ってきてくれてお披露目。
 
上記のエピソードから想像するとおり、肖像画のお姿は貫禄と徳がにじみ出るお方でした。
 

【良覚寺ご本堂の前でお披露目された前々住職様の肖像画】
 
こうした歴史的経緯を経ての法要を今後も連綿と続けていくこと、そしてこれらを語り継ぐことの大切さを思いつつ、来年以降もお盆の節目に参列することを思い、良覚寺様を後にした次第です。

戦没者にささげる正午の黙とう

ブログ 人生観

81回目の「終戦の日」を迎えた昨日。
 
政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下のほか、高市首相ら三権の長、戦没者遺族ら計4180人が参列のもと、戦没者を悼みました。 
 
昨年の追悼式で、天皇陛下が「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」のお言葉を述べられたことを、昨日のブログでお伝えしましたが、今年のお言葉は次のとおり。
 
<天皇陛下のお言葉(全文)>
 
先の大戦においてかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
 
終戦以来81年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。
 
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
 
<引用終わり>
 
あらためて、このお言葉を胸に留めます。
 
なお、高市首相の式辞で気になったのは、昨年までの「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」から、「繰り返させない」と、敢えて「せ」の一文字を加えていたこと。
 
文脈的に、前者が、“自分自身(自国)が二度としない”に対し、後者は“相手や他者(他国)、あるいは曖昧な存在に、させない”となるため、これは大きな違いであり、陛下のお言葉にある立ち位置とも異なるのではと、違和感を覚えた次第です。
 
厳粛な雰囲気の中行われた式典は、午前11時50分過ぎに始まり、正午の時報に合わせて1分間の黙とうがささげられました。
 
なお、敦賀市の公式LINEからは、11時30分に「黙とうのお願い」を着信。
 
12時00分に屋外スピーカーからサイレンを鳴らすのに合わせて、1分間の黙とうをささげていただくようお願いする旨のお知らせがあり、こうして事前に、市として呼びかけられることは大変良い取り組みと感じた次第です。
 
また、全国各地で、正午に黙とうが捧げられる中、熱戦続く甲子園球場では、ちょうど第2試合の敦賀気比―智弁和歌山戦の五回表終了時。
 
選手、スタンドの観客全員で、戦没者の慰霊と永遠の平和を祈念して黙とうをささげる様子がテレビで流れていました。
 

【甲子園での黙とうの様子(産経ニュースより引用)】
 
甲子園での「終戦の日」の黙とうは1963年の第45回大会から行われているとのこと。
 
試合では、2-2同点からのタイブレークの末、延長11回に3-7で、地元代表の敦賀気比は惜しくも敗れましたが、選手の皆さんの健闘を讃えるとともに、大歓声から一転、静寂の「甲子園」でささげた黙とうの記憶が、この後、8月15日を迎えるたびに蘇るのではと思った次第です。
 
こうして「終戦の日」が過ぎ、今日の敦賀は「とうろう流しと大花火大会」。
 
お盆も最後、天気の心配もなく、無事に開催されそうです。

戦後81年「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぐ」

ブログ 人生観

亡き父の初盆を迎え、昨日はお盆参り。
 
実家(といっても隣ですが)にて、住職様にお経をあげていただきました。
 
これに、母はもちろん、我が家と妹(双子)夫婦、甥っ子、姪っ子も集まりにぎやかに。
 
笑顔の写真を採用した遺影の父も、いつも以上に微笑んでいる気がしました。
 
なお、先日ご紹介したよう、浄土真宗は、お盆だからといって、御霊を迎え、お送りする習慣はないものの、皆で故人を偲び、生命のありがたさを思うことは同じ。
 
こうした機会を大切にしていきたいと思った次第です。
 
さて、お盆と重なって迎える今日の「終戦の日」。
 
戦後81年となった本日、すべての御霊安らかなれと心からの祈りを捧げます。
 
その上で、実は、日本対連合国諸国との間で戦われた大東亜戦争の国際法上の終結は、昭和26(1951)年9月8日に調印された講和条約が翌27年4月28日に法的効力を発効させた時を以て(もって)であり、これを真の終戦とすれば、今年で75年。
 
しかしながら、我が国の正規の国軍が死力を尽して戦った戦争は実質、昭和20(1945)年8月に終ったことから、本年を「戦後81年」と捉えることは妥当とされます。
 
振り返ってみますと、本年元日のブログで、自身の思いを「昨年、議会でも取り上げました『戦後80年』の節目を過ぎあらためて、先の大戦において、わが国の領土と国民の生命、財産を守るために戦った英霊、犠牲となったすべての戦没者戦災死没者に哀悼の意を表するとともに、こうした先人たちの命懸けの努力の上に今があることを胸に、次の時代に進まねばと思うところ」と述べています。
 
思いの根底にあるのは、祖国や家族を守るため命を懸けて戦った英霊や戦争の戦禍に倒れ命を失った、すべての先人たちの犠牲の上に今の平和があり、今の日本があるということ。
 
そしてもう一つは、「史実を踏まえない誹謗に気概を持って反論しなければ、自虐史観から脱することはできない」ことから、「大東亜戦争」など、史実に基づく戦争の呼称や「日本は何のために戦ったのか、戦わざるを得なかったのか」をしっかりと認識せねばならないとの思いであります。
 
なお、後段について、私は戦争を美化する考えは毛頭もなく、逆に戦争をしないため、恒久平和をいかに実現するかを根底からどう考えるかの視点に立っての記載であることをご理解賜りたく存じます。
 
そうして今日は、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開かれます。
 
厚生労働省によると、事前に参列意向を示した遺族は3270人。
 
うち、戦後生まれは昨年初めて半数を超える53%だったのに対し、今年は1840人で56%に増えたとのこと。
 
こうして戦後生まれの参列が過去最多となる中、惨禍の記憶と教訓を次世代にどう継承し生かすか、その在り方が問われています。
 
天皇陛下は、戦後80年となった昨年のお言葉で「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」との一節を新たに加えられました。
 
「終戦の日」にあたり、このお言葉の意味を今一度噛み締め、「戦没者追悼敦賀市民の会」に参画するなど、自身も微力ながら尽力してまいる所存です。
 

【「終戦の日」の朝。敗戦から、この朝日のように立ち上がった先人の姿を忘れてはならない。】

北方領土は日本固有の領土だ

ブログ 政治

「レベル5特別警報」
 
警戒レベルと警報などの名称を併記する新たな防災気象情報は5月に提供が始まり、「レベル5特別警報」は、自治体が警戒レベル5の緊急安全確保を出す判断材料となります。
 
その「レベル5 大雨特別警報」が13日夜、千葉市など千葉県内の18市に気象庁から出され、千葉や茨城、埼玉の3県で避難指示は23万人超に上りました。
 
この大雨により、市川市・佐倉市(いずれも千葉県)では冠水した道路で男女2名が死亡、柏市(同)では車両に70代女性が閉じ込められ、心肺停止状態で搬送されるなどの人身被害が発生。
 
また、交通機能の麻痺により、多くの“帰宅難民”が発生するなど、留まった線状降水帯は大きな影響を及ぼしました。
 
なお、気象庁によると、5月に新たな防災気象情報の提供が始まって以来2度目(前回は台風6号に伴う河川の氾濫特別警報)、大雨のレベル5特別警報の発表は「初」だったとのこと。
 
自然災害は、いつどこで起きてもおかしくないことを痛感した次第であります。
 
なお、豪雨や暴風など、襲ってくる自然に対しては怒っても仕方ないと思う一方、同じ“暴”の付く、こちらの暴挙は国として怒らねばならぬこと。
 
終戦の日が迫る中、昨日、ロシアのプーチン大統領が北方領土の択捉島に足を踏み入れました。
 
ロシアの元首が北方領土に足を踏み入れるのは16年前のメドベージェフ大統領(当時)の国後島訪問以来。
 
これに高市総理は、「訪問に強く抗議する。北方領土は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土だ。日本国民の感情を傷つけるもので断じて許容できない」と述べたのは当然であります。
 
なぜなら、北方領土は日本固有の領土であり、旧ソ連時代から不法占拠する日本の島を訪れるのは認められず、このような暴挙は最大限の非難に値すると思うからであります。
 
この「北方領土」問題に関しては、四島返還運動の一層の推進を図る2月7日の「北方領土の日」が実は、自身の誕生日と重なることもあって、以前より意識をもって啓発活動などに取り組むところ。
 
ここで、「不法占拠」だという「北方領土問題」の事実関係を、過去ブログでも紹介した外務省ホームページ(HP)を基におさらいしておくと、ポイントは大きく以下3点となります。
 
<外務省ホームページ(HP)「北方領土の日」より引用>
 
(1)日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。
 
(2)しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から遅くとも9月5日までの間に北方四島の全てを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までに全ての日本人を強制退去させました。今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。
 
(3)北方領土問題が存在するため、日露間では、戦後70年(現在では80年)以上を経たにもかかわらず、いまだ平和条約が締結されていません。
 

【北方領土の位置関係(外務省HPより)】
 
<引用終わり>
 
※北方領土問題に関わる過去ブログは以下。
 
→2025年8月16日ブログ『許すまじ、終戦の後に不法占拠された「北方領土問題」』
 
日本が敗戦濃厚と見るや否や、国家間の約束など無かったかの如く日本の領土を奪い、既成事実化するロシアの姿はまさに、「火事場泥棒」。
 
この許されざる行為から今年で「81年」を迎えるのが、「北方領土問題」なのであります。
 
昨日、足を踏み入れたプーチン大統領は、第二次世界大戦の結果、北方領土がロシア領になったとの妄言も口にしているとありましたが、ウクライナ侵略といい、こうした暴挙をどれほど重ねるのか。
 
思えば昨年、不法占拠する北方領土周辺(色丹島北方の複数の区域)で8月いっぱい軍事演習を行うと、ロシアが日本に通告したのは15日の「終戦の日」でした。
 
今年は「終戦の日」の2日前。
 
明らかな日本に対する挑発行為であり、威嚇であるとも言えます。
 
「力こそ正義」とばかりに行動する相手に対し、高市政権は、抗議だけでこの暴挙を見過ごすのではなく、「力による現状変更」は決して認められるべきではないという強い国家の意思を示し、宥和(ゆうわ)政策を見直した上で、国際社会と連携して対ロ制裁を強めるべきではないかと考える次第であります。

初盆を迎えるにあたり

ブログ 人生観

次々と現れる台風。
 
台風15号が過ぎ去ったかと思えば、今後は大型の台風17号(名称:ナンカー)が発生し、小笠原近海を北北東に進んでいます。
 
なお、進路に関しては、台風15号と同じようにしばらく東寄りに進んだあと、北へと進路を変える見込みとあり、「今のところ」日本列島に上陸することは無いようですが、このまま予想どおりの方向へ進むよう願うのみであります。
 
さて、今日からはお盆。
 
言うまでもなく、お盆とは、ご先祖様の霊をご自宅にお迎えしてご供養する夏の仏教行事。
 
宗派や地域によっては、1年に1度帰省するご先祖様の魂が迷わぬよう、玄関先で焚いて目印とする炎を指す、お盆の「迎え火・送り火」や、浄土宗や日蓮宗などの宗派の場合は、提灯などのお盆飾りやお供え、ご先祖様の冥福を祈る「追善供養」を行うのが一般的とあります。
 
一方で、浄土真宗(真宗大谷派)の我が家も然り、「亡くなられた方の魂はすぐに極楽浄土へ往生できる」という考えのため、「お盆にご先祖様が帰ってくる」という概念がなく、お盆の追善供養も一般的には行わないことは、以前に住職からも教わったこと。
 
お盆を迎えるにあたり、そのことを今一度理解しておこうと、浄土真宗の考えを辿るとまず、お盆の原点である経典『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』では、この時に修行者の集団に食物等を供養すれば、その善い行いにより、生存している父母から亡くなった先祖までが大きな福を得ることができることが説かれています。
 
※「お盆」は、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といい、「倒さ(さかさ)に懸ける倒懸(とうけん)」という意味で、お釈迦さまの弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)の亡き母が餓鬼道(がきどう)に落ちている姿をたとえたもの。
 
『盂蘭盆経』には目連尊者の母が六道の中の餓鬼の世界に堕ちていたことが説かれており、そして現在、浄土真宗以外の多くの宗派では、お盆に施餓鬼会(せがきえ)を勤めています。
 
施餓鬼会は、餓鬼の世界の飢えと渇きに苦しんでいる者たちに食物を施す法要で、『盂蘭盆経』の内容からすれば行って当然だろうと思われるかもしれませんが、実は最初からお盆に施餓鬼会が勤められていたわけではなく、元はそれぞれ別の法会であったのが、江戸時代頃に一緒になったといわれていて、実はかなり最近のこと。
 
また、一般的なお盆のイメージはやはり、「先祖の霊が帰ってくる」というものですが、『盂蘭盆経』には、亡き人の幸福のために善いことを行うという追善供養のことは説かれていても、「霊が帰ってくる」というような記述はどこにもなく、実はこの「霊が帰ってくる」という考え方は、『盂蘭盆経』や、その他の仏教の教えに由来するものではなく、日本の民俗信仰に由来するものだといわれています。
 
この『盂蘭盆経』物語を思うとき、浄土真宗ではお盆をお迎えするにあたっては、特別なお供え(野菜で作る馬や牛など)をすることではなく、改めて亡き人を偲びながら、“いのち”の事実とその“いのち”にかけられた深い願いに耳を傾けることを大事にしてきました。
 
お寺やご家庭のお内仏(お仏壇)、お墓へのお参りを通して、いま生きているこの私の“いのち”や人生を振り返る時間として過ごすのが、浄土真宗の「お盆」の迎え方とされています。<真宗大谷派ホームページなどによる>
 
決して他の宗派や習わしを否定するわけでないことはご理解いただいた上で、もとは浄土真宗の教えと合わないような考え方であっても、お浄土を思い、阿弥陀さまの教えを通して受け止めることによって、お浄土の懐かしい方々を偲びつつ、阿弥陀さまのお救いを聞きよろこぶ大切なご縁となっていく。
 
これが、浄土真宗のお盆の要であると学びました。
 
昨秋に父を亡くし、迎える初盆。
 
上記の考えとも通ずる、49日の法要で住職さんが最後に残された言葉はこちら。
 

 
あらためてこの意味合いを思いつつ、教えに沿って、このお盆を過ごしたいと思います。

無風の敦賀は「台風の目」か

ブログ 防犯/防災

お盆を前に、関東に上陸した台風15号。
 
各地で被害が出ていて、これまでに茨城県や栃木県であわせて4人がけが、倒木などの影響により、東京電力パワーグリッドによれば、12日午前6時の時点で、茨城県や栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、山梨県であわせておよそ7660戸が停電しているとのこと。
 
なお、停電に関しては、11日午後8時の時点で1万軒以上発生していたことを思えば、順次復旧しているのも昼夜分かたず作業に当たる関係者の皆さんのおかげ。
 
「電力マン」の思いは、“1秒でも早く電気を届ける”ことであり、使命感をもっての献身的な対応に敬意を表する次第です。
 

 
その上で、写真は12日午前6時現在のウェザーニュース“台風情報”。
 
上陸後、日本列島を西に進む「台風15号」の中心は、ちょうど敦賀の真上にあるように見えます。
 
台風襲来ということもあり、水曜恒例の辻立ちをあらかじめ中止としたところでしたが、先ほど外に出ると“無風”で静寂。
 
空にはわずかに青空も。
 
これが「台風の目」でしょうか。
 
こうしてピッタリ、中心に当たることもないかと、せっかくなので気象庁の解説にて「台風の目」について調べてみると、台風の中では、強い風が中心に向かって反時計回りに吹き込んでおり、スピードの速い車に乗っていると、カーブにさしかかったときに体が外側へ引っ張られるのと同じように、台風の風も中心に近づいて速くなるほど外側へ引っ張られる力(遠心力)が強く働きます。
 
すると、外側に引っ張られる力が強すぎて、中心に向かって風が吹き込めなくなる部分ができます。
 
この風の入り込めない部分が「台風の目」で、台風の「目」の中では風が弱く、雲がなく晴れていることもあります。
 
解説を読み、状況からして間違いないと認識したわけですが、油断は禁物。
 
台風の目を取り囲むようにある積乱雲の雲の壁の存在により、再び雨や風が強まり、非常に危険な状態になることがあるとも。
 
こうしたことから、今しばし、台風15号の状況を注視しておきます。
 
さて、話は変わり、昨日の甲子園では、福井県代表の敦賀気比が10-0で横手(秋田)に快勝。
 
次戦は15日(土)、対戦相手はこちらも強豪の智弁和歌山となります。
 
別の意味において、「台風の目」とは、激しく動く物事の中心にいて、周囲に大きな影響や波乱を引き起こす原因となる人や事物を表す慣用句としても使われますが、今の敦賀と同じよう、甲子園大会においても敦賀気比がその「目」になるか。
 
なお、敦賀気比は、センバツ優勝経験校。
 
“波乱”と言っては失礼に当たるかもしれませんが、この夏の甲子園に“旋風”を巻き起こすことを期待する次第です。

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