2026年5月3日
歴史の転換点では「時間が思想を試す」 〜憲法記念日にあたり考える〜
今日は、日本国憲法の施行79年目となる憲法記念日。
所属する国民民主党においては、憲法記念日にあたって「談話」を発表しており、そこには、2020年9月の結党直後に「憲法改正に向けた論点整理」を取りまとめ、変化する社会環境や新たな課題に対応するため、時代に即した憲法改正の方向性を示していること。
2024年の衆議院憲法審査会では、大規模災害時等における国会機能維持に関する改憲条文案について、自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党、有志の会の当時の5つの会派で合意に至るとともに、参議院の合区解消も論点となることや、これまで両院の憲法審査会で議論の積み上げのあるテーマに絞って具体的な条文づくりに取り組むことが、改憲に向けた現実的アプローチと考えること。
憲法9条については、これまで9条が果たしてきた役割にも配慮しつつ、単に自衛隊の組織名を明記するのではなく、9条2項に規定する「武力」との関係を整理するなど、本質的な議論を深めていかなくてはならず、憲法改正の議論こそ、改憲・護憲の単純な二元論に陥ることなく、まさに「対決より解決」の姿勢を貫き、幅広い国民との憲法対話を続けることで、必要な憲法改正に向けた開かれた国民議論をリードしていくとあり、私自身、考えをともにする次第です。
憲法記念日の今日は、こうした各政党からの談話や新聞各社においても、憲法のあり方や改正論議に対する考え、認識などが記載されるところ。
いわゆる改憲派、護憲派それぞれの考え方、主義主張があるものの、やはりここは国民民主党が言うよう「二元論に陥らない」ことが重要であり、冷静かつ真摯に議論を尽くすことが、それこそ民主主義国家としての矜持(きょうじ)であろうと認識いたします。
そうしてさまざま記事を読むところ、「なるほど」と思ったのは、5月2日付けの産経新聞にあった『安保論議「信仰」対立からの脱却図れ』の記事。
ズバリ、ここで指摘しているのは“時間軸と政治”。
まず、書き出しはこう。
“ミサイルが発射されてから着弾まで、政治に許される時間は憲法論争を一巡させるほど長くない。日本の安全保障の議論には、決定的な時間軸のずれがある。中国本土や沿岸部から、中距離級ミサイルが発射されたと想定しよう。米軍衛星や日米レーダーによる早期警戒、着弾予測、政治判断や法的確認などの対処は数分の中に押し込まれる。公式な数字は示されていないが、最短なら4~6分、標準的にみても6~10分で着弾し得る。憲法論争どころか、息をつく間もない瞬時の作業となる。”
現実はまさにこの「時間軸」の中での対応が求められる訳ですが、一方のわが国の状況を見れば、“国会や言論空間では「撃ってよいのか」「憲法9条上許されるのか」「誰が、いつ決めるのか」という問いが、今も平時の速度で反復されている。日本の議論の本質はここにある。”
“ミサイルの速度ではなく、戦後政治の慣性で動いている”とありました。
続けて、こちらも「そのとおり」と思う考えが。
“F4戦闘機の空中給油装置が、周辺国への配慮を理由に外された逸話は、その象徴であった。能力を持たないことが平和を生むという発想は、相手の能力が限定的な時代には通じたかもしれない。相手が長射程ミサイル、サイバー攻撃、海上封鎖能力を統合する時代には、抑止の空白を招く。”
“抑止とは相手に「成功しない」と思わせる技術である。拒否的抑止があり、限定的な反撃能力がある。継戦能力があり、補給と産業基盤がある。どれか一つを持つだけでは足りない。相手の計算を狂わせる全体設計が必要なのだ。”
“明治維新の指導者たちは、列強の砲艦がもたらす時間の圧力を知っていた。だから藩の論理を捨て、国家の器を急造した。歴史の転換点では、時間が思想を試す。遅すぎる正論は、しばしば無力となる。速度を崇拝する必要はないが、拙速は民主国家を危うくすることも念頭に置く。平時に深く考え、非常時に速く限定して動く制度が要る。”
結びにあった、“ミサイルが飛ぶ前に政治が議事録を残せるか。民主国家の矜持はそこにある。安保論争を信仰告白から戦略へ戻さねばならない。数分後の国家を今ある制度と言葉で守れるか。それは、政治そのものに対する試験である。”との言葉に、こちらも考えをともにした次第です。
大事なことばかりで、ついつい抜粋引用が多くなってしまいましたが、思えば侵攻開始から4年が経過したロシアによるウクライナ侵攻(その前のクリミア半島然り)は、国際法に反する「武力による一方的な現状変更」であり、この時から強く、法や秩序は時に無力であることを思い知るとともに、戦後掲げ続けてきた「平和憲法」があれば日本を守れるとする考えは、前述の“能力を持たないことが平和を生むという発想”と同意と認識するところ。
その上で、極めて現実的な体制をとらねば、わが国の領土、国民の生命と財産は守れぬと、緊張が増すばかりの周辺環境や、昨今の中東情勢を見てなお強く思います。
こう書くと、先の大戦で経験したことを忘れたのか!と思われるかもしれませんが、逆に80年前の惨禍、犠牲を繰り返さぬために、時代の変化に応じてどうやって国を守るのかを考えるのが、現代を生きるものの使命であり、役割と考えます。
昨年開催した気比史学会主催の「戦後80年」をテーマにした講座で、当会の糀谷会長が仰った言葉が強く胸に残っています。
「今を戦前にしない」
80年前の終戦の際の“呆然と安堵”を想い、戦火に散った内外の先人に恥じぬよう、今を生きる私たちは、過去にも未来にも責任を負っています。
平和を守り、次世代へと手渡す。
憲法記念日の今日は、一人ひとりが担うその責任の重さについても考える日といたします。

【昨日の夕日。こうして穏やかで平和な日本であり続けるためには何が必要か。】

























