「令和6年第1回(3月)敦賀市議会議員定例会」は本日最終日

ブログ 敦賀市議会

昨日から選抜高校野球が始まり、いよいよ「球春」到来。
 
2日目の今日は、地元の敦賀気比高校が明豊(大分)と対戦となりますが、北陸新幹線開業の勢いそのままに、快進撃を期待するところです。
 
一方、天気のほうは、明日「春分の日」を迎えるというのに、冬に逆戻りしたかの寒さ。
 
昨朝は週頭街宣でしたが、冷たい北風に加え、雪までチラついてきたため、久々にカッパ着用での活動。
 
そんな中、労組の仲間がわざわざお手伝いに来てくれ、ジャンバーも着ずに旗持ちから写真まで撮影してくれ、ありがたいやら嬉しいやらで、寒さを吹き飛ばす感激の朝になった次第です。
 
Yさん、本当にありがとうございました!

【撮影いただいた写真。仲間の存在に感謝しつつの30分でした。】
 
さて、これまでもご報告してまいりました令和6年第1回(3月)敦賀市議会議員定例会ですが、28日間の会期もあっという間に過ぎ、いよいよ今日は最終日。
 
9時からは議会運営委員会、9時30分より全員協議会を行った後、10時に本会議再開となります。
 

【市役所入口のデジタルサイネージも残るは本日の表示のみ。】
 
再開後は、各議案に対する委員長からの審査結果報告の後、討論、採決に進むほか、会議規則の改正など議員提出議案(B議案)提出も予定されています。
 
ついては、途中、本会議の休憩を挟んでの進行になろうかと思いますが、お時間許す方は、RCN議会チャンネルまたは敦賀市議会インターネット中継にてご覧いただければ幸いです。
 
本日は、敦賀気比高校の勝利を願いつつ、球児同様、最後まで全力プレーの気持ちをもって、議会に臨む所存です。

「郷土を思う」みなとつるが山車会館リニューアル式典                

ブログ 北陸新幹線 敦賀の歴史・文化

北陸新幹線敦賀開業で大いに盛り上がる福井県ですが、併せて報じられる敦賀以西の延伸に関し、ネット上では「ルート論議」が再燃。
 
一時は、Xで「#米原ルート」がトレンド入りしたほどですが、私のXポストに対しても「正直新大阪までの延伸は課題では済まされない状況にしか見えません。少なくとも京都を縦断するトンネル工事自体、これは大袈裟でなく国土を破壊するに等しく、調整は不可能に見えます。」とのコメントあり。
 
私からは「敦賀以西に関しては、日本海側と太平洋側の2面活用と、特に災害時に東京・大阪間の大動脈を多重化する観点から小浜ルートが必要かと考えます。」と国土軸形成からの視点で回答。
 
その後も何度かやり取りしたものの、当然答えは出ず。
 
また意外なことに、巨大で高スペックの敦賀駅を見るに、北陸新幹線は敦賀が最終地点のイメージがあり、実は以西への延伸は考えてないのではとのコメントも。
 
もちろんそのようなことは無い訳ですが、こうしたイメージや論調を払拭するためにも、「以西」の調整を早期に行なっていただかなくてはなりません。
 
さて、開業に話しを戻しますと、訪れる観光客はもとより、こうした機会に市民の皆さんに一層知っていただきたいのが、敦賀の歴史や文化。
 
この2日間は、まさに歴史と文化が詰まった「敦賀市立博物館」と「みなとつるが山車会館」でも多くのイベントが開催され、とりわけ「つるがの山車まつり」のメイン、山車巡航では引き手が満員となるなど、大変盛況だったとのことで嬉しい限り。
 
なお、「みなとつるが山車会館」に関しては、先日終えた改修工事を踏まえ、16日にはリニューアル式典が行われ、私も出席。
 
リニューアルの詳細は、内覧会の模様を記した2月27日のブログをご覧ください↓
 
 →「つぬが千年の祭り」〜みなとつるが山車会館がリニューアル〜
 
また何と、一日館長を務めたのは、敦賀市出身の俳優 大和田伸也さん。
 
改修した大型シアターのナレーションも務めていただきましたが、漂うオーラ、ご挨拶で聴いた生の声はよりズシリと響く、重厚感がありました。
 

【テープカットをする左から馬渕清和 敦賀市議会議長、米澤光治 敦賀市長、大和田伸也さん、上野弘 教育長】
 
ご挨拶であった、大和田さんの「郷土敦賀のためにお役に立ちたい」との言葉も響きましたが、リニューアルに花を添えていただき、誠にありがとうございました。
 
この後、自身二度目となるシアターを観せていただきましたが、大和田さんのナレーションとともに敦賀の祭りの歴史を感じ、最後に実物の山車が登場するシーンでは、観客から拍手が起こるほどの迫力。
 
何度観ても素晴らしいと感じた次第。
 
観光とは、地元の人が自慢にしている宝(光)を観ていただくもの。
 
敦賀には、その宝が沢山あり過ぎて磨き切れていないと言われますが、新幹線開業を機に、こうして地元の皆さんが、地元の歴史・文化を再発見することこそ大事なこと。
 
敦賀にお住まいの方はもとより、大和田さんのように、敦賀を離れて暮らしていても「郷土を思う」。
 
郷土への誇りや愛着であふれる、そんなまちづくりに努めていきたいと思います。

「人・人・人」の新幹線開業日

ブログ 北陸新幹線

「歴史の転換点」北陸新幹線金沢ー敦賀間開業に沸く福井県。
 
まず、福井新聞朝刊がお正月かと思うほどの分厚さと広告の量にまず驚き、続いて同社では「敦賀 歓喜の発車」のタイトルでWEB号外を発行。
 
東京行きの1番列車が敦賀駅を出発する写真が大きく掲載されていました。
 

【開業記念にWEB号外を掲載します】
 
一方、敦賀に向かう東京発の1番列車「かがやき501号」の出発を、若狭地方出身のXでつながる友人(その名も「若狭7:30」さん)が見送ってくれ、その様子をXポスト(投稿)。
 
こちらは記念すべき、1番列車を表示する出発案内表示。
 
行き先「敦賀」が誇らしげに「かがやいて」見えました。
 

【東京駅の出発案内表示。若狭7:30さん、お見送りありがとう!】
 
そうして1番列車が無事出発し、いよいよ開業を迎えるなか、私は「北陸新幹線金沢・敦賀間しゅん功開業式・祝賀会およびハピラインふくい開業祝賀会」に出席するため、敦賀駅の「まちなみ口」(西口)へ向かうと、同じく開業を迎えた「ハピラインふくい」の記念切符?を求めるお客さんで長蛇の列をなしていたほか、駅出口に構内も人・人・人でごった返し。
 
さらに改札を抜け、旧JR特急乗り場に向かう通路、「歩く歩道」を進み新幹線駅構内へ。
 
2階コンコースを進むと、こちらは新幹線を降車したお客さんで一杯。
 
なお、特急への乗換時間に心配の声が挙がっていましたが、新幹線改札を出た床面には「しらさぎ」と「サンダーバード」乗り場への誘導表示がされ、大変分かりやすくなっていました。
 
これに沿って行けば迷う人もいないでしょう。
 

【2階コンコースの誘導表示】
 
こうして9時58分発の「はくたか号」に乗り福井市へ向かいましたが、新北陸トンネルを抜けるとすぐに「越前たけふ駅」、あっという間に「福井駅」に到着。
 
最短17分で行ける時間短縮効果は、距離的にも近くなったマインドにさせるものであり、大きな変化と改めて実感した次第です。
 

【敦賀駅で記念撮影。表情とは別に、内心大変喜んでいますので。】
 
こちらも人でごった返す福井駅周辺を抜け、新しく開業した「コートヤード・バイ・マリオット福井」ホテルヘ。
 
式典では、国会議員や省庁関係、JRや鉄道運輸機構など建設関係者、自治体議員、ハピラインふくい関係者などが一堂に会し、それぞれの開業を祝うとともに、主催者の杉本知事はもとより、国土交通大臣や地元国会議員を始めご来賓の挨拶では、「次は京都、大阪へ」との言葉がありました。
 

【式典の様子】
 
昨日のブログにも書きましたよう、計画完遂に向け、次は敦賀以西へ更なる延伸です。
 
その後は敦賀に戻り、やまなみ口改札を出る前に「ハピラインふくい」敦賀駅(旧JR敦賀駅)の地下通路へ。
 
実はこの地下通路の雰囲気が好きで、特急に乗る時は常にこちらを通っていましたが、「ハピラインふくい」の開業に合わせ、改修工事を行い雰囲気が一変。
 

【雰囲気がガラリと変わった地下通路。レトロ感を残してくれたことに感謝。】
 
「鉄道と港のまち」にふさわしい、赤レンガ倉庫を思い浮かべる基調となっていますので、「地下通路ファン」の方はぜひ覗いていただければ幸いです。
 
さらにこの後は、「みなとつるが山車会館リニューアル式典」に出席しましたが、これ以上は明日のブログに記載したいと思います。
 
いずれにしましても、駅構内に留まらず、駅前通りやotta(オッタ)の賑わいは見たことがないほどで、その流れは神楽通りまで続いていたものと感じました。
 
イベントのみならず、人の混雑やバスの運行など、安全面を配慮し対応する市職員を始め、関係者の皆さんのご尽力あってのこと。
 
献身的な対応に感謝する次第ですが、本日一日も大変かと思いますが何卒宜しくお願いいたします。
 

【ottaの様子。ここまでと言わずとも、この賑わいが持続的なものになればと。】

祝!北陸新幹線敦賀開業! 〜すべての道は敦賀に通ず〜

ブログ 北陸新幹線

長く続く企業や活動にはそれ相当の理由があるのかと思いますが、昨日は前身の「嶺南地区友愛会」時代から数えると30年以上続く、「ゆうあい倶楽部」の福祉施設訪問に参加してまいりました。
 
「ゆうあい倶楽部」は、嶺南地区友愛会の発展的解散に伴い発足した団体で、東洋紡や電力関係など旧友愛系の労働組合で構成するもの。
 
私自身、嶺南地区友愛会時代には事務局長を務めた愛着ある組織な訳ですが、市議会議員という立場上、今では顧問として活動に参画しているところです。
 
この福祉施設訪問は、同倶楽部の職域あるいは街頭カンパを通じ、頂戴した浄財を訪問先のニーズに応じた品物に代え、寄贈させていただくというもの。
 
昨日は、倶楽部の代表、事務局長、そして私の3人で、敦賀市・美浜町の児童養護施設や特別養護老人ホーム、社会福祉法人など6施設を訪問し、寄贈品を贈呈させていただきました。
 
各施設においては、毎年寄贈いただいた品を入居者や通所者さんが喜んで使っていただいていること、幾つかの施設ではお時間を頂戴し、現況や課題などのお話しをお伺いすることもでき、大変有意義な機会になった次第です。
 
お伺いした各施設はどれも社会にとって欠かせないものであり、お伺いしいたことも念頭に少しでも環境改善につなげられればと思います。
 
なお、こうして長く活動を続けてこれたのは、各職場や市民の皆様のあたたかいお気持ちがあってのことであり、この場を借りて感謝申し上げるとともに、「ほっとけんまち」を掲げる敦賀市が、多様性を認め合い、あらゆる世代が助け支え合う「地域共生社会」に向け、ご協力いただくことをお願いする次第です。
 
さて、カウントダウンを続けてきた「北陸新幹線敦賀開業」もいよいよ当日を迎えました。
 
計画から約半世紀を経て迎える敦賀開業に際し、これまでの計画から工事完遂に至るまで、携わってこられたすべての関係者の皆様に敬意と感謝を申し上げます。
 
いよいよ開業を迎え、私自身も気持ち躍るところですが、この後向かう新幹線駅の様子や開業祝賀会、市内で行われる各種イベントなどで「開業」を実感することになるかと思います。
 
また、金沢から敦賀への延伸により、北陸圏内の経済波及効果を大いに期待するところですが、意味合いにひとつ加わったのが能登の復興。
 
北陸三県が一体となって力強く政策を進めること、この先、小浜ルートでの大阪延伸を一日でも早く実現することが、能登を支えることにつながるとの思いのもと、「こころをひとつに能登」の気持ちをもって取り組まねばなりません。
 
そして、古から交通の要衝として栄えた敦賀にとっては「歴史の転換点」。
 
すべての道は敦賀に通ず。
 
「新幹線開業で敦賀は大きく飛躍した」と歴史の1ページに刻むか否かは、現世を生きる私たちに懸かっているとの気概をもって、さらに前進あるのみです。
 

【昨日、施設訪問の途中、泉ケ丘から撮影した敦賀市内。開業を待つ新幹線駅を中心に、光輝く我が郷土を誇りに思う次第。】

敦賀〜金沢間の「しらさぎ」「サンダーバード」が本日ラストラン

ブログ 北陸新幹線

敦賀市議会3月定例会は昨日、予算決算常任委員会を開催。
 
第8号議案 令和6年度敦賀市一般会計予算を始め9件の当初予算案、1件の補正予算案について、各分科会長からの審査結果報告から討論、採決までを行い、結果、全件を原案の通り認めるべきものと決定しました。
 
28日間の会期日程もはや、19日(火)の本会議を残すのみとなりましたが、採決にあたっては一般会計予算案に討論通告をしたほか、最終日には議員提出議案(会議規則の改正等)も予定されていることから、最後まで慎重に対応していきたいと思います。
 
さて、「歴史の転換点」北陸新幹線開業をいよいよ明日に控えるなか、役割を終える「歴史」も。
 
明日の北陸新幹線県内開業に合わせ、敦賀以北のJR北陸線は、第三セクター会社「ハピラインふくい」に引き継がれるとともに、金沢―敦賀間の特急「しらさぎ」「サンダーバード」は本日をもって運行停止となります。
 
とりわけ、今日以降見ることができない特急に関しては、いわゆる「撮り鉄」さんを始め、沿線住民の方もそれぞれのビューポイントからの「撮り納め」をされていると見聞きするところ。
 
また、福井新聞ONLINEを見ると、JR鯖江駅では、「ありがとうJR北陸線」「さよならサンダーバード」と記された「思い出ボード」が設けられ、地元を走る在来線特急が廃止となる惜別と、これまでの感謝が付箋に書かれ、ボードはあふれる思いで埋め尽くされているとの記事。
 
別の記事には、昨日は南越前町の今庄駅周辺で、住民ら約100人がひと足早い「見納め」イベントを開き、お手製の旗を手に、勢いよく通過する特急列車を目に焼き付けたとありました。
 

【JR今庄駅にて、運行が取りやめになる特急を見送る住民や生徒たち(福井新聞ONLINEより)】
 
今庄駅に現在、特急は停車しませんが、かつて旧国鉄時代には峠越えの要衝として栄えた歴史があり、午後3時ごろからの見送りイベントには幅広い世代が集い、ライトを照らした特急が姿を見せると住民らは夢中で旗を振り、「今までありがとう」と声をかけた。
 
「今庄は国鉄のまち。鉄道を愛する心が根付いている」との言葉や、参加した中学2年の女子生徒は「生まれたときからずっと走っていた特急。さみしいけれど、みんなでお別れできて嬉しい」と笑顔だったとありました。
 
明日以降、「しらさぎ」「サンダーバード」の発着点となる敦賀に住む者としては、「これまでありがとう。そして、これからもよろしく。」との思いが正直なところですが、敦賀以北の沿線住民の皆さんのこうした気持ちを察しつつ、同じレールでつながってきた歴史を振り返りながら、今日のラストランに感謝の念を込めたいと思います。
 
鉄道は、人や荷物を運ぶだけでなく、思い出や希望を運ぶもの。
 
出会いあれば別れあり。
 
また、別れあれば出会いあり。
 
「歴史の転換点」は同時に、それぞれの人生模様やドラマと重なるものですね。
 
 
<本日は「おまけ」で番宣>
 
明日の北陸新幹線敦賀開業を前に、11月に放送された、敦賀を舞台としたNHK「ブラタモリ」が今晩午後7時57分より再放送されます。
 
「鉄道と港のまち」と言われる敦賀の歴史が詰まっていますので、皆さんぜひご覧ください!
 

【タモリさんにこう言わしめた敦賀はやっぱり「すごい」んです。】

敦賀発電所1号機 営業運転開始から54年

ブログ 原子力

宇宙事業会社スペースワンの小型固体燃料ロケット「カイロス」初号機が昨日午前11時1分、和歌山県串本町のロケット発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げられた直後に爆発。
 
民間単独による初の人工衛星打ち上げは失敗しました。
 
政府は民間を含め、2030年代には30機のロケット打ち上げを目指すとしているだけに残念ではありますが、歴史を見ても科学技術開発はチャレンジの連続。
 
この失敗を糧に、次の成功を期待する次第です。
 
さて、科学技術開発といえば、今日3月14日は、日本原電の敦賀発電所1号機(以下、敦1)が営業運転を開始した日。
 
この日を誕生日とすると、敦1(つるいち)は「54歳」。
 
私(52歳)とほぼ同世代の敦1は、我が国初の商業用軽水炉として運転を始め、1970大阪万博に原子力の灯(電気)を送ったことで有名で、まさに高度成長期の電力供給を支えたプラントです。
 
2015年4月27日には約45年間の運転を終え、現在は廃止措置を進めているところですが、原子力黎明期にあって、国益に資する新たなエネルギー源を確立するため、初めて尽くしの発電所建設から運転までを乗り越えた先人に敬意を表するとともに、社員はもとより協力会社、メーカーの皆さんまで多くの人に愛され、支え続けられた「敦1」の存在を今でも誇りに思うところです。
 

【昭和44(1969)年10月3日。初臨界を達成し握手する日本原電の一本松社長とカートライト GE東京支社長(2020年12月に開催された「敦賀発電所50周年 げんでんふれあいギャラリー」より)】
 
私も発電所で保修業務に携わっていた際には、敦1の設計者であるゼネラル・エレクトリック(GE)や東芝、日立などプラントメーカー、さらには多くの協力企業の皆さんとともに、担当する機器をまさに「愛車」をいたわるよう、愛着と情熱をもってメンテナンスにあたったことを思い返します。
 
そうした記憶、幾度かトラブル対応も経験しましたが、毎回の定期検査に無事起動できた時の達成感と充実感は即ち、原子力発電で社会に貢献することへの誇りでした。
 
なお、現在では敦賀発電所2号機が停止して10年以上が経過をし、運転経験のない発電所員の割合が増えてきているのは事実として、若い方々にはぜひ、今日のこの日を思い返し、原子力発電が果たす役割、そこに我々は必ずや貢献するとの強い意志をもって進んでいただきたいと思う次第。
 
冒頭のロケット開発と同様、原子力発電も2030年台には次世代革新炉による実証に進むロードマップとなっています。
 
「原子力の研究・開発・利用を推進し将来のエネルギー資源を確保する。学術の進歩と産業の振興とを図り、人類社会の福祉と国民生活の水準向上に寄与する。」との方針を目的に定めた「原子力基本法」(1955年12月19日)から69年。
 
基本法に込められた崇高な理念、そしてその礎を築いたのは、ここ敦賀の地であり、日本原電の先輩たちのパイオニア精神であったことに思いを馳せ、次の時代にチャレンジするとの気概を改めて胸に刻む次第です。

「敦賀駅東口駅前広場/東口駐車場」が完成

ブログ 北陸新幹線

「持続的な賃上げ」となるかが大きな焦点となっている今年の春季生活闘争。
 
賃上げの流れを中小企業にも広げるためにも、大手が相場を引張ることが極めて重要ですが、本日3月13日には、主に大企業が回答する集中回答日を迎えます。
 
自動車や金属産業の労働組合では既に経営側から満額を含む高い水準の回答が示されるケースも出ており、「早期有利回答」を目指し、山場に向け懸命な交渉を続けている自身が所属する電力総連を始め、連合傘下の各産別労組の皆さんにエールを送る次第。
 
経営側におかれましては、「持続的な賃上げ」が真のデフレ脱却、さらには少子化対策の観点など、我が国の課題に直結することを強くご認識のうえ、目に見える成果として表していただきたく存じます。
 
さて、話しを変え、昨日の午後は完成した「敦賀駅東口駅前広場/東口駐車場」の行政視察に出席。
 
市議会議員ならびに報道機関各位が出席のもと、敦賀市都市整備部 新幹線整備課の方々に現地にてご説明をいただきました。
 
やまなみ口(東口)に整備された広場・駐車場は整備面積が約10,900m、総事業費約23億円、平成28年度から令和5年度までの8年の歳月を経て、この度完成したもの。
 

【完成した東口駅前広場】
 
市の説明資料によれば、駐車場施設駐車台数 124台(うち障害者用3台)、バス乗降場2台、バス待機場9台、タクシー待機場8台、一般車乗降場5台などを有するほか、キャノピー(通路屋根)約1,500m2、公衆トイレ、喫煙所の施設内訳。
 
また、同じく市の説明資料にある「特徵」を引用しますと、
 
●東口駅前広場は、国道8号バイパスや27号バイパス、敦賀インター、敦賀新港など広域交通のアクセスが良いことから、広域観光の出発点として大型観光バスが発着できる乗降場や待機場を整備しました。
●ロータリー中央には、敦賀湾の沖にある北陸のハワイ「水島」をイメージした交通島を整備した。
交通島は、敦賀市の木である「松」、周囲に水面をイメージした玉砂利と砂浜をイメージした芝生を配置し、防波堤をイメージした石積みには、疋田石を使用しました。(※明治の敦賀長浜間の鉄道開業時に鉄橋や線路敷きにも使われていました。)
●ロータリーと木ノ芽川の間は、周辺を散策していただけるよう、散策路橋や緑地広場を整備しました。
緑地広場は、河川堤防と一体的に市民や観光客など駅利用煮が憩えるスペースとして、芝生の斜め広場やベンチを整備し「やまなみ口」という通称にふさわしい空間としました。
●キャノピーのデザインは、駅西側の広場と統一感を持たせつつ、新幹線敦賀駅舎や東口からの風景と一体感が感じられるようなデザインとしました。
 
とありました。
 
全国の新幹線駅の中でも、川辺と散策路でつないでいるのは珍しいと思いますし、実際、芝や樹々の緑が映える季節には、自然と新幹線駅が調和した広場になるものと認識した次第です。
 
百聞は一見に如かずということで、市民の皆さんを始め、敦賀を訪れた方々にはぜひ「やまなみ口」で癒しや憩いを感じていただければ幸いです。
 
なお、この東口駅前広場の完成により、すべての新幹線工事が完了したこととなります。
 
北陸新幹線金沢ー敦賀間で最大の難所と言われた敦賀駅工区を、一年遅れたとはいえ見事に完成。
 
新幹線駅工事とのエリア調整などから、超タイトな工程となった敦賀市管轄の駅前広場工事が開業までにしっかり間に合ったのも、新幹線整備課の皆さんを始め行政関係者、そして何をおいてもヒーローは現場で汗してご尽力いただいた工事関係会社の方々だと思います。
 
ここに改めて、関係者各位に御礼申し上げるとともに、心より感謝いたします。
 
(以下、東口周辺の写真を参考掲載します)






文教厚生常任委員会にて条例改正議案等を審査

ブログ 敦賀市議会

凛とした冷たい空気、見事な青空となった昨朝は、恒例の週頭街宣からスタート。
 
東日本大震災から13年目を迎え、東北、そして能登への思いを込めて、約30分演説しました。
 
私たちがすべきは、この震災を決して風化させることなく、被災を我がことと捉え、経験や知見を必ず生かすこと。
 
冒頭そうしたことをお伝えした後、先週の代表質問のご報告をした次第。
 
微力ではありますが、今後も一人でも多くの方と思いを共有できるよう活動してまいります。
 

【青空と同じく、通学する高校生との挨拶に清々しさを感じる朝となりました。】
 
さて、敦賀市議会3月定例会は後半戦に入り、昨日は3つの常任委員会を開催。
 
私は、委員長を務める文教厚生常任委員会に出席しました。
 
所管する福祉保健部関係では、第25号議案「敦賀市特定教育・保育施設及び特定地域型保育事業並びに特定子ども・子育て支援施設等の運営に関する基準を定める条例の一部改正の件」を始め7件、教育委員会関係では、第32号議案「敦賀市立幼稚園設置条例の一部改正の件」など2件の計9件について審査。
 
福祉保健部関係の条例改正議案は、いずれも国の根拠法令改正に伴うもので、第26号議案では「ひとり親家庭等医療費の助成」に関する件、第27号議案では「介護保険料」に関する件、第28号議案〜31号議案は「介護予防サービス事業ごとの人員及び運営」(事業所の運営規程の概要等の重要事項を「書面」に加え「ウェブサイト」に掲載することの義務化、管理者について、同一敷地内の他事業所に限らず兼務を可能にするなど)に関わるものでした。
 
なお、第27号議案については、介護保険料施行令の一部改正及び第9期介護保険料事業計画の策定に伴い、保険料の算定における所得段階(10段階から13段階に)及び保険料の額の改定を行うもので、市民税賦課520万円以上に新たな区分3段階を設けた上で、従前の(第8期計画)保険料は据え置くこととしています。
 
また、教育委員会関係の第32号議案は、今年度をもって「敦賀市立敦賀北幼稚園」を廃止するとの改正内容。
 
こちらは以前の議員説明会でも方向性が示されていたものですが、北幼稚園に在籍していた、次年度5歳の3名については松陵幼稚園に通園されるとの説明がありました。
 
なお、松陵幼稚園は長女も通った園ですが、説明では現在25名。
 
令和6年度では、4歳児11名、5歳児12名(北幼稚園からの3名含む)の計23名になるとのこと。
 
討論では「反対」の立場から、これで北地区には公立幼稚園がなくなること、これまで言い続けてきたが入園希望数が減少したのは教育委員会の政策の問題だとの意見、「賛成」の立場から、そもそも少子化で出生数も減るなか、これに併せて公共インフラも見直していく必要があるとの意見があり、採決の結果、「賛成多数」で原案どおり認めるべきものと決定しました。
 
なお、議案に関しては、これ以外の8件もすべて、原案どおり認めるべきものと決定。
 
この後、最終日(3/19)の本会議の場にて委員長報告を行った後、本採決に向かうこととなります。
 

【閉会後、委員長席より】
 
常任委員会を終え、会期日程は今日、明日と特別委員会、14日は予算決算常任委員会(来年度当初予算案の審査報告から採決)へと進みます。
 
北陸新幹線開業を4日後に控える中ではありますが、こちらは地に足を着けて、慎重審査、審議です。

東日本大震災から13年

ブログ 防犯/防災

今日は3月11日。
 
東日本大震災発生から13年目を迎えます。
 
まずもって、犠牲になられた1万5,900名(令和6年3月1日現在:警察庁調べ)の方々に対し鎮魂の祈りを捧げるとともに、未だ発見されていない行方不明者2,520名(同調べ)ならびにご家族の皆様にお見舞い申し上げます。
 
なお、死者数は去年の3月から変わりないものの、行方不明者については、見つかった遺体の一部をDNA鑑定した結果、3人が特定されたとのこと。
 
こうして13年が経過した今も、諦めることなく身元の特定にあたる関係者の献身的なご尽力に感銘を覚えるとともに、ご家族のもとに戻られたことに心から安堵する次第です。
 
また、復興に関しては、公共インフラ(14事業、23項目)の本格復旧・復興の進捗率を管理する復興庁「公共インフラの本格復旧・復興の進捗状況」(令和3年3月末時点)において、福島県の避難指示解除準備区域等を除く、東日本大震災により被災した地域については、災害公営住宅及び民間住宅等用宅地(高台移転など)の完了率は100%で住まいの再建工事は完了。
 
道路に関しては、国直轄区間は100%完了、県・市町村管理区間が99%、復興道路・復興支援道路は92%(100%着工)となっているほか、鉄道も100%完了し、交通網はほぼ復旧。
 
また、農業・漁業に関しては、農地が94%であるものの、こちらもほぼ復旧が完了している状況にあります。
 
この時からさらに3年が経過しており、公共インフラの復旧がほぼ完了していることに13年の時間の経過を感じる次第です。
 
東日本大震災、そしてその後に発生した福島第一原子力発電所事故の記憶は決して「忘れてはならない」ものであることから、毎年このブログにも記載しているところですが、当時、単身赴任で東京に勤務していた私にとって、人生で初めて体験する突き上げと、立っていられないほどの大きな揺れの恐怖、発災後、事務所のあった千代田区神田のオフィス街をヘルメット姿の避難者が行列をなして歩く異様な光景は、今でも鮮明に思い出されるところです。
 
テレビに映し出された大津波と東北地方沿岸部の無残な姿は言うまでもありませんが、連合災害ボランティアとして10日間、福島県南相馬市で活動した際に目の当たりにした現実は、一生忘れることの出来ない衝撃的な記憶となっています。
 
そうした様々な思いが込み上げてくる「3.11」。
 
地震発生時刻の午後2時46分には、こうした思いを胸に抱きつつ、静かに黙祷を捧げたいと思います。
 
なお、地震津波といえば元旦の能登半島地震。
 
新聞を見ると「東日本大震災の被災地から、届け、能登へ。」のタイトルがあり、次の言葉が続いていました。
 
「13年前。激しい揺れに襲われ、どす黒い津波が何もかもさらっていった。生業(なりわい)を失い、大切な人を亡くした。寒空の下、不自由な日々を送った。痛み、悲しみ、苦しみ、やり場のない怒り、そして、生きることの大切さ、喜び。経験してきたからこそ、いま、元日の地震に見舞われた彼(か)の地に伝えたい思いがある。」
 
併せて掲載された写真には、震災発生時、小学5年生だった若い男女が「生きている自分を褒めて」、「一日一笑。明るい未来が待っています。」、「みんながいるよ大丈夫」などと書かれたプラカードを持ち、エールを送る姿がありました。
 
私には絶対に分からない、壮絶な経験からの言葉には力があります。
 
この思いが必ずや能登へ届き、復旧、そして復興への力になることを願っています。
 

【写真は福島県富岡町 夜ノ森の桜並木。この桜を愛し、命を懸けて逝った故吉田所長(事故当時の福島第一原子力発電所所長)の思いも絶対に忘れてはならない。】

山陽新幹線全線開業から今日で「49年」

ブログ 北陸新幹線

昨日ご紹介した防衛省 航空自衛隊「ブルーインパルス」の展示飛行ですが、同隊のホームページでは飛行予定を更新。
 
北陸新幹線敦賀開業の翌日3月17日は、能登半島を展示飛行するとのこと。
 
同隊のXポストによれば「能登半島地震で被災され、未だ不自由な生活を余儀なくされている方々や復興に尽力されている方々に、少しでも笑顔をお届けできる展示飛行をお見せします」としており、新型コロナウイルス禍、医療従事者らに敬意と感謝の気持ちを示すため東京の空を飛んだ時のよう、皆の思いをひとつにする展示飛行になればと祈念するところです。
 
併せて、2日間に亘り、北陸の空と気持ちをつなぐ飛行に心から感謝する次第です。
 
さて、49年前の今日は、山陽新幹線の新大阪〜博多間が全線開業した日。
 
1972(昭和47)年3月15日に新大阪~岡山駅間を先行開業した山陽新幹線は、「ひかりは西へ」のキャンペーンとともに延伸。
 
3年後の1975年3月10日には、博多駅まで全線開業となり、東京~博多間を最速6時間56分で結ぶ本州の大動脈が完成しました。
 
JR西日本では、来年(2025年)3月に全線開業から50年を迎えるということで、多くのお客様にご利用いただいたことへの感謝を込めて、今日から「山陽新幹線 全線開業50周年キャンペーン」を開催し、期間中は1年間にわたり、沿線各地の魅力発信につながる様々な企画を展開していくとしています。
 

【JR西日本の山陽新幹線 全線開業50周年記念ポスター】
 
部分開業した1972年は、私が生まれた年ですので、それから約半世紀。
 
この頃に北陸新幹線の整備計画が決定したことを思うと、国土交通軸形成における大動脈と地方のスピード差を改めて感じるところです。
 
新幹線に関しては、山陽新幹線全線開業から9年さかのぼり、1964(昭和39)年10月1日に東海道新幹線 東京~新大阪間が開通したことは有名ですが、東海道新幹線の工事は1959(昭和34)年に始まり、なんと5年3カ月という短い工期で東京・新大阪間の515.4kmを全線開通。
 
昭和10年代にあった東京〜下関間を結ぶ「弾丸列車計画」(第二次世界大戦により中止)で使う予定だったトンネルなどを利用できたから成し得たこととはいえ、「超」短後期での完成には「超」驚くばかりです。
 
こうして、人々が「夢の超特急」と呼んだ世界的な高速鉄道の運行が始まったとあります。
 
なお、超特急・特急の列車名を「ひかり」「こだま」に決定したのは、1964(昭和39)年7月7日。
 
そう「七夕」の日です。
 
年に一度だけ出会う織姫様と彦星様と掛け、新幹線を使って、恋人や大切な人と確実に、早く出会えるようにとの思いを込め、敢えて「七夕」の日を選んだのではと、勝手にロマンチックな気分に浸った次第です(根拠はどこにもありませんが)。
 
そんな新幹線時代の幕開けから、今年でちょうど60年。
 
敦賀に訪れる「歴史の転換点」まで、いよいよあと「6日」です。

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