令和8年度 敦賀市戦没者戦災死没者追悼式

ブログ 敦賀の歴史・文化


【献花を終えた祭壇】
 
昨日は10時30分より、敦賀市主催の「令和8年度 敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」がプラザ萬象大ホールにて挙行されました。
 
敦賀市では、昭和20年7月から8月に受けた、3回の空襲によって失われた尊い命225柱、そして、日清戦争から太平洋戦争にかけて、戦地などで亡くなった敦賀市出身者1,764人の計1,989柱の戦没者と戦災死没者を追悼するため、毎年この時期に追悼式を行なっており、昨日もご遺族を始め多くの関係者が参列のもと、厳かに追悼式が執り行われました。
 
私は議員の立場としてお招きいただき、会場の皆様とともに、哀悼の誠を捧げるとともに、先人たちの犠牲の上に今の暮らしがあることへの感謝、そして、世界では絶えることなく各地で紛争が起こる中にあっても、心から恒久平和を祈念した次第です。
 
また、今回の追悼式では、遠方の方、会場までお越しになることが難しい方々のためにと新たに取り組まれた「オンライン献花」には30名を超える皆様から献花があり、会場後方にメッセージと合わせて掲示されていました。
 
すべてに目を通しましたが、文面に込められた想いはかけがえなく尊いものであり、犠牲になられた方々や英霊に必ずや届いたものと思ったところです。
 
そして、81年前の今日、昭和20(1945)年7月12日は、先の大戦において日本海側で初めての空襲を敦賀が受けた日。
 
この空襲によって、敦賀は市街地の大半が焦土と化したほか、7月30日、8月8日※にも続けて戦禍に見舞われ、これら3回の空襲によって225柱もの尊い命が失われました。
 
※同年8月8日午前9時頃、B-29が敦賀に投下したのは長崎に投下した原子爆弾と同型の模擬爆弾(通称パンプキン)
 
なお、12日にあった敦賀空襲の詳しくは、以下の過去ブログよりご覧ください。
 
 →2025年7月6日 ブログ『敦賀空襲を伝え つなぐ』はこちら
 
本日敦賀市では、12日(土)10時に、市内にある屋外スピーカー(防災情報伝達システム)を使用してサイレンを鳴らし、戦没者戦災死没者のご冥福を祈るとともに、世界の恒久平和を願い、ご家庭や事業所(今日は休みのところが多いかと)等において、黙とうを捧げていただくことをホームページ上でお願いしており、こうした取り組みが、この空襲を、そして戦争の恐ろしさや悲惨さを忘れないことにつながるものと認識するところです。
 
また、元町にある本勝寺様では、この空襲による犠牲者を追悼する法要が行われます。
 
爆撃された東洋紡績敦賀工場で若き生命を失った皆様に対し、心からのご冥福をお祈りいたします。
 
これら、一連の追悼式、法要が連綿と続けられていることは非常に重要なことであり、国民の約9割が戦争を知らない世代となったいま、戦争の悲惨さや平和の尊さを今一度思い起こし、胸に留める機会として、今後も大事にしてまいる所存です。
 
追悼式を終え、礼服からTシャツに着替えた後は、川崎・松栄岸壁へ。
 
毎年、このパターンを繰り返しているわけですが、岸壁に行く理由は、19日の「第29回敦賀港カッターレース」に向けて行われているチーム練習対応のため。
 
真夏日の中での練習対応は、体調管理に留意してのものですが、無事に昨日の練習日程を終えたところです。
 

 
写真は、練習を終えた17時過ぎの岸壁。
 
「なんて美しい敦賀の風景」と思うと同時に、同じ夏でもどうだったのであろうと、「81年前の夏」に思いを馳せた次第です。

「皇室典範等の一部を改正する法律案」が衆議院にて可決

ブログ 政治

本日、敦賀市では「令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」が執り行われます。
 
昭和20(1945)年7月12日、日本海側では初めての空襲を受け、市街地の大半が焦土と化した敦賀は、更に7月30日、8月8日と続いて戦火に見舞われ、これら3回の空襲によって、225柱の尊い命が失われました。
 
また、日清戦争から太平洋戦争までの数次の戦役に際し、本市出身戦没者1,764柱の方々が、祖国の安泰を念じながら散華されたことを踏まえ、これらの戦没者戦災死没者を追悼し平和を祈念するため、敦賀市戦没者戦災死没者追悼式が実施される運びとなっています。
 
なお、敦賀市ホームページでも呼びかけているよう、この追悼式は、“どなたでも”ご参加いただけます。
 
本日は午前10時30分より、プラザ萬象大ホールにて行われますので、命の大切さと平和の尊さを次世代に語り継いでいくため、特に若い世代の方々に積極的なご参加をいただければ幸いに存じます。
 
さて、話を変え、昨日は注目の「皇室典範等の一部を改正する法律案」と附帯決議が衆議院にて可決しました。
 
これには自民党、維新の会の与党だけでなく、中道改革連合、国民民主党、参政党、チームみらい(党議拘束かけず)の賛成多数をもって可決したわけですが、国民民主党においては、今回の改正は、あくまで「皇族数の確保」に関するものであって、今後の皇位継承の方策を「先取りしたり、縛ったりするものではない」ということを質疑を通じて確認できたとしています。
 
また、「安定的な皇位継承を確保するための方策について、引き続き、検討する」とした附帯決議も採択され、官房長官から政府としても、「その趣旨を尊重する」旨の明確な発言がありました。
 
これに、同党の玉木雄一郎代表は自身のXでこうポスト(投稿)しています。
 
<以下、Xポスト引用>
 
私からは政府に対して、この改正の内容を正しく国民に周知し、広く国民の理解が得られるものとなるよう、引き続き努力してほしい旨を要請しました。
 
今回の改正は、皇位継承の問題とは切り離された内容となっているにもかかわらず、あえて、特定の皇位継承の方策を取り上げ、それがあたかも採用された、あるいは排除されたかのように喧伝し、いたずらに国民の分断を煽るような動きには懸念を覚えます。
 
国民民主党としても、安定的な行為継承を確保するための方策については検討を継続するとともに、今回の改正の内容について丁寧に説明してまいります。
 
皇室典範特例法の附帯決議から9年、政府有識者会議報告書から4年半、そして、皇室全体会議の開始から2年の月日が経ちました。この間、成案が得るために努力されたすべての関係者のご尽力に敬意を表します。
 
あわせて皇室の弥栄を祈念いたします。
 
<引用、終わり>
 

【同法律案に対する附帯決議案(玉木代表のXポストより引用掲載)】
 
本案は参議院に送付され、参議院では、同日の本会議で設置された特別委員会で審議されることとなりました。
 
改正案の附帯決議案には「30年ごとに見直しが行われる」との規定があり、木原官房長官の答弁によれば、その意味は「30年間は改正できないとの趣旨ではなく、必要があれば30年ごとに見直す趣旨」とのこと。
 
いずれにしても、初代・神武天皇から今上天皇に至るまで「万世一系」で継承されてきた歴史は、世界で唯一無二のもの。
 
建国以来、一つの系統を維持し続けていることを誇りに思いつつ、参議院においても「静謐な環境」の下での議論をお願いする次第です。

最後のお知らせ!7月12日(日)は『議員と語ろう!駅前カフェ』を開催します!

ブログ 敦賀市議会

ちょうど今日、知り合いの鯖江市議会議員さんにお会いする機会があるので、その際お伺いしようと思いますが、今朝の福井新聞“れいほく版”にあったタイトルは、『鯖江市会、定数削減応じず』。
 
議員定数を2減の18にするよう要望していた市区長会連合会に対し、鯖江市議会は、現在の定数を「妥当」と回答し、削減しない方針を示したとありました。
 
先の敦賀市議会6月定例会では、鯖江と同じく市区長連合会から提出された「議員定数削減を求める請願」(定数22名を20名に削減)を不採択としたばかりであり、関心をもって記事を読み進めたところ。
 
記事では、市区長会連合会は1月、議員の質低下などを指摘する声が多いとして経費削減などの点から定数の1割減を要望し、議長は「真摯に受け止めたい」と述べ、来年の改選までに回答する考えを示していた。
 
議長からの回答書では、各会派代表者会(非公開)を4回開き、対応を協議した上で、鯖江市の人口は6万7千人余りで「同規模の他市議会の議員定数と比較しても20人の定数は妥当な水準」と強調。
 
人口減少が進む中で定数の在り方は調査、研究していきたい。
 
「議員活動が見えにくい」との指摘には、新型コロナ禍後、議会報告会の対象を各地区から市内各種団体に見直し、年1、2回の議会報告会を続けていると反論したほか、各区長が行ったアンケートなどの資料提出を求めたが連合会から提出されなかったとして「議論を深め、十分検討することには至らなかった」ともありました。
 
これに、区長連合会側は、議論を本格化させる構えが見えないと反発。
 
区長連合会長は取材に対し、「提出できる書類は出したが、定数削減を議論しないための理由を並べているだけで回答になっていない」と批判も。
 
市議会が抱える課題の検証が公開の場でされていない点も指摘し、「各地区の意見を聞き、会長会で今後の対応を決めたい」と話したと一連の経過を把握した次第です。
 
敦賀に置き換えると、区長連合会が20名への削減する根拠としてよく挙げられるのが、「人口が同規模の鯖江が20名だから」ということ。
 
敦賀市議会として、前回提出された請願を「不採択」としたこと、また自身も本請願に「反対」した立場から、私には市民の皆様に対する“説明責任”があるとし、現在校正中の「やまたけNEWS」にも記載するところですが、いずれにしても、鯖江も敦賀も、こうして「それだけの議員は要らない」と言われる本質的な部分を、全議員が深く胸に留めなければならないと思うところです。
 
なお、福井新聞の紙面で、奇しくも議員定数削減の記事の隣にあったのは『鯖江市会の報告会 あすから順次開催』のタイトル。
 
「市民と議員のおしゃべり会」と題し、市内10地区の公民館で、議員4〜5人が担当し、市民とざっくばらんに語り合うとあり、たまたまにしては、何とも言えぬタイミングと思った次第。
 
敦賀市議会も昨年は、市内9地区の公民館で開催したことや、お気軽に参加いただきたいとの思いを込め、タイトルにも知恵を絞ったのであろう(ちなみに、敦賀は「議員と語ろう!駅前カフェ」)ことは、同じ議会に属する者として共感するわけですが、両議会ともに、議員定数削減を求められる中での議会報告会であり、なおのこと多くの市民の皆様にお越しいただけるようお願いするところです。
 
ひるがえって敦賀市議会。
 
これまで何度もお伝えしてきたため、「もう分かってる」とお感じかもしれませんが、これが最後の告知。
 
敦賀市議会では、公式YouTubeにて、議長以下、全議員にて「議会報告会にお越しください」と呼びかけていますので、以下リンクよりご覧ください。
 
→敦賀市議会公式YouTube「議会報告会お知らせ」はこちら
 

【敦賀市議会YouTubeのショート動画。チャンネル登録もぜひお願いします。】
 
なお、報告会のお知らせは、YouTubeは一例で、広報つるがや嶺南ケーブルネットワークなどの各媒体はもとより、市内全区にチラシを回覧板で回しています。
 
そのため、市区長連合会長様をはじめ、区長各位にもお越しいただけると思っておりますが、市民の皆様におかれましては、「議会(議員)は何をしているのか」「市民の代表としてちゃんと働いているのか」確認する意味も込めて、ご家族、知人・友人、ご近所お誘い合わせの上、ぜひお気軽にお越しいただけますようお願いいたします。
 
告知はこれで最後にしますので。
 

時に私たちは『対決より解決』のために『解決のための対決』も選ぶ

ブログ 政治

与党や政府の審議拒否、高市総理が約束した党首討論、予算委員会の集中審議に出席されないとして空転していた国会。
 
国民民主党は、いわば約束を守らないこうした状況や、あまつさえ数の力で自分たちに都合のいい議員立法だけを強行する今の政府・与党の姿は、まさに結党時に懸念した「民主主義の危機」そのものだと、「対決より解決」ではなく、時には民主主義を守るために、「解決のための対決」を選択し対応してきたところ、ようやく総理が党首討論と予算委員会集中審議への出席を決断し、国会は正常化しました。
 
ここに至るまでに、国民民主党の榛葉賀津也幹事長は3日の会見で、「国会は議論する場所ですから、党の幹事長として責任を持って予算・QT(党首討論)を実りある議論をすると同時に衆議院で残された最後の閣法、皇室典範の改正。そして参議院ではこれプラス16本の閣法が参議院は残っています。残り2週間で出口の参議院で審議をして、法案の議論を前に出していきたいと思います。」と、ここでも政府批判に留まるのではなく、政争の具にせず“議論”を求める発言あり。
 
また、6日に東京・新宿駅前で行われた緊急街頭演説会で、玉木雄一郎代表が述べたのは以下。
 
「約束した党首討論や予算委員会の集中審議をやってほしい。私たちは特別なことを求めているのではなく、歴代の政権が当たり前のようにやってきたこと、そしてその審議を通じて国民民主党の皆さんが、この国の重要事項について政府がどう考えているのか知っていただく機会をつくりたい。それが私たちの願いだった。でも与党が審議拒否、政府の審議拒否が起こったので、私たちは(審議に)出たくても出られなかった
 
「私たちの『対決より解決』は全く変わっていない。それは政権に唯々諾々と従うことを意味しない。国民にとって必要なことは協力する。おかしいと思ったことは堂々と指摘し、対案を示していく。これが『対決より解決』だ」と党の政治姿勢を紹介し、「だからこそ民主主義の根幹、選挙制度という民主主義を支える制度を合理性もなく変えようとするときは、体を張って抗議の意思を示す。そうしないと先人が守ってきた民主主義を守れないからだ。時に私たちは『対決より解決』のために『解決のための対決』も選ぶ。みなさんの暮らしをもっと良くするために、全力で働きたい」と訴えました。
 

【新宿駅前で行われた国民民主党 緊急街頭演説会の様子(同党HPより引用)】
 
先般、野党が一斉に委員会を欠席したことに「給料ドロボウ」などと揶揄される声があるようですが、こうしてでも正常化せねばならない理由があったことをご理解いただけますようお願いいたします。
 
また、こちらは「対決より解決」になろうかと思いますが、社会保障国民会議(以下、国民会議)にて、2029年度の「給付付き税額控除」の導入までのつなぎとして、飲食料品の消費税を2年間に限り1%に減税(1人当たり平均で約3.6万円の負担減)とすること等を内容とする案が示されたことに対し、国民民主党は、即時制や国民にとっての軽減効果から、以下の案を訴えています。
 

【国民民主プレス号外(2026年6月30日発行)が分かりやすいため引用掲載】
 
国民会議に提示された案と比較して、どちらが有効か。
 
新聞情報だけでは分からないと思いますので、皆様方におかれましては、政策の有効性として比較いただければ幸いです。
 
さて、昨日は水曜恒例の名子での辻立ちを行いました。
 
私自身、先に述べた国民民主党が掲げる、結党以来の理念、そしてこうした政策に共感をし、これを地域でも広げるべく、日々、旗を挙げて活動をしています。
 
敦賀市、あるいは福井県内にお住まいの皆様にはぜひ、その点ご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
 

【昨朝の辻立ち。今日も暑くなりますが頑張っていきましょう!】

三重県紀北町議会の皆さまに「議会による主権者教育」についてご視察いただく

ブログ 敦賀市議会

昨日は、“超”のつく嬉しい出来事あり。
 
議会に行くため、車を停めて市役所駐車場を歩いていると、車中から「やまたけさん!」の声。
 
見ると長男の同級生(24になる歳)で、高校時代は野球部で苦楽をともにした仲間の子と、助手席には彼女らしき女性。
 
野暮かとは思いつつ、「何の用事で市役所来たの?」と聞くと、ストレートに「婚姻届を出しに来ました!」との返答。
 
奇跡の如く、このタイミングで彼らと遭遇したこと、そして何より若い二人の結婚が我がことのように嬉しく、思わず「ホンマか!」と興奮の声を挙げてしまった次第。
 
その後は、父親気分で彼女にもご挨拶をし、保護者が連れ立つように三人で市役所庁舎内へ。
 
市民課の窓口を案内しつつ、何とも仲睦まじい二人の記念写真を撮った後、届けの提出まで見届けようかと思いましたが、それこそ野暮というもの。
 
「おめでとう!お幸せに♬」の声をかけて別れた次第。
 
「あーそうか!」と、「七夕に合わせて婚姻届出すなんてロマンチックやん」と冷やかすと、ハニカミながら「全然関係ありません」と答えられたのが一番のオチでしたが(笑)、同級生の結婚に“幸せのお裾分け”をしていただいたところです。
 
こうして、サラダ記念日の一昨日から、幸せ感に包まれる日が続くところ、昨日はその後、行政視察対応のため議会へ。
 
三重県紀北町議会議員(14名)、副町長や教育長をはじめ理事者(6名)の合計20名の皆さまにお越しいただき、「議会による主権者教育」を項目に挙げ、ご視察いただけるということで、敦賀市議会からは浅野議長、議会運営委員会の馬渕委員長、そして同委員である私の3名、議会事務局の方々とで対応しました。
 
紀北町議会さまにおかれましては、以前に議会関係の機関誌に掲載された、敦賀市議会と敦賀高校で連携して実施した「模擬請願審査」の取り組みに着眼いただき、「主権者教育」の視点で視察先に選んでいただいたとのことであり、私は、この取り組みに際し議会運営委員会内に設置した「敦賀高校との模擬請願審査ワーキング(WG)」のメンバー(3名)を代表して出席した次第。
 
ご一行様には、ご到着後まず本会議場をご見学いただき、その後、視察会場の全員協議会室に。
 
浅野議長から歓迎のご挨拶の後、紀北町議会の入江康仁議長より視察にあたってのご挨拶を頂戴し、視察スタート。
 
まず、馬渕委員長より、事前にいただいた質問事項に基づき、パワーポイント資料を用い、
・模擬請願審査実施までの経緯
・学校との協議
・模擬請願審査実施内容
・議会内での協議
・今後の展開
の順でご説明。
 
続いて私からは、請願審査に至るプロセスのイメージを持っていただけるよう、写真スライドを用いて状況をご紹介しました。
 

【全員協議会室でのご視察の様子】
 
以降は、入江議長の仕切りで質疑時間に入りましたが、町議の皆さまから教育長に至るまで、大変積極的にご質問いただきありがたい限り。
 
質問の回答は、高校側との連携などや企画の実情を把握している私の方からさせていただきましたが、やり取りする中で、紀北町の皆さまの本取り組みに対する関心の高さ、小中学校しかない町においてどう生かしていけるか、しっかりとした目的意識をもって質問いただいていることをヒシヒシと感じたところです。
 
回答に集中していたこともあり、約1時間半の時間は「あっ」という間に過ぎましたが、今回のご視察が紀北町における主権者教育、また教育行政にとって参考になったのであれば幸いに存じます。
 
視察対応を終え、昨日は17時過ぎから東洋紡労組敦賀支部よりお声かけいただき、若手組合員との意見交換。
 
こちらも長男世代の組合員たちとざっくばらんに、敦賀市の取り組み(ある特定の事業)などに関して意見を交わし、私にとっては大変貴重なことをお伺いすることができました。
 
今後は、頂戴したご意見をもとに改善を図るべく、建設的に提案していきたいと存じます。
 
こうして昨日は、嬉しい出来事から始まり、高校生との取り組みを話し合い、若い方と接点を持てた一日となりました。
 
七夕は年に一度ですが、このような機会は何度あっても良いもの。
 
なお、機会は受け身ではなく、能動的につくってかねばとも思った次第です。

七夕の日に「言語化」する約束とは何か

ブログ 人生観

今は梅雨であり、降る雨は作物にとっても、人間にとっても「恵みの雨」。
 
そんな昨朝は、雨に降られることを覚悟していましたが、街頭活動をしている間はピタリと止み、お天道様に感謝。
 
街頭演説では、場所が交差点(しかも粟野交番前)につき、ドライバーの皆さまは、視線まっすぐながら、お手を挙げて応援いただける方もチラホラといて、重ねて感謝。
 
同じ町内の方で、単身赴任が解けて敦賀に戻ってきたと伺っていた友人も目の前を通り、元気なお顔を拝見できるなど、嬉しい朝となりました。
 
なお、街頭演説においても冒頭、昨朝のブログでご紹介した「サラダ記念日」のことをお話ししましたが、前を登校する中高生にとっては、完全に生まれる前の話。
 
下手をするとお父さん、お母さんも、知らない世代?と思いつつも、幸せになれる考え方として知っていただければと、思いをお届けした次第です。
 
加えて、俵万智さんネタとして、もう一つだけご紹介いたしますと、俵さんのX(旧Twitter)の固定ページになっている以下のポスト(投稿)がジワリと胸に沁みます。
 
<俵さんのX固定ポスト>
 
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
 
今は「いいね」の数を競うような風潮があるけれど、これはたった一つの「いいね」で幸せになれるという歌です☺️
 
(引用終わり)
 
これは、2020年7月6日のポストですが、6年もの間、トップに「固定」し続けていることに、SNS時代となった昨今の世を憂うではなく、そんな世の中にあっても、人として大切にして欲しいという、俵さんの気持ちが込められているものと、深く胸に沁みる次第です。
 
私自身は、発信することに意義があるとし、「いいね」の数は気にしていないものの(負け惜しみではなく)、“たった一つの「いいね」”を大切に、今後も過ごしていきたいと思います。
 
さて、冒頭に「今は梅雨」と申し上げましたが、今日からは二十四節気の「小暑」。
 
この前の節気はつい最近だったのに!と思いきや、6月21日の「夏至」は2週間以上前だという日の経つ早さ。
 
「小暑」とは、梅雨明けが近くなり、暑さが増し始める頃を指し、梅雨明けとともに気温が上がり、日差しも一気に厳しくなるとされています。
 
天気予報では、この節気を合図に!と言わんばかりに、今日から1週間は30℃を超える真夏日続きとなるようですので、皆さま体調管理には十分ご留意くださいませ。
 
そして、今日は「七夕」。
 
サラダ記念日と違い、“特別な日”となります。
 
そして、七夕といえば短冊に託すお願いごとですが、これにかけて、養生デザインの青木優加さんはこう言います。
 
「お願いするだけでは何事も叶いません。お願いって自分との約束の言語化なのではないかと思います」
 
「んー、なるほど」と、短歌ではないものの、俵万智さんばりに「深いい」言葉。
 
今日は、夜空にたゆる天の川が見えることに期待を寄せつつ、「言語化する約束とは何か」について考える日にしたいと思います。
 

【まだ主役と言わんばかりに咲く、隣のアジサイ。この後の真夏日続きも頑張って!】

なんでもない日が記念日になる喜び 〜今日は『サラダ記念日』〜

ブログ 人生観

『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
 
この短歌を詠んだ作者は、私たち世代であれば「誰でも知っている」、俵万智(たわらまち)さん。
 
1962年、大阪府生まれの俵さんは、中・高と福井県で過ごされたという理由だけで、勝手な親近感を抱いているわけですが、当時新人歌人であった彼女の第一歌集『サラダ記念日』(1987年発売)は、280万部を超えるベストセラーに。
 
その後も数々の賞を受賞している俵さんは、現代日本を代表する歌人といえます。
 

【1987年発売の『サラダ記念日』(河出書房新社HPより引用掲載)】
 
今日7月6日は「サラダ記念日」にちなみ、少し深掘りしてみると、この歌が生まれたきっかけは、サラダではなく「鶏の唐揚げ」だったそう。
 
これは、俵さんご自身が裏話を公開しているよう、鶏の唐揚げをカレー味に工夫したら「お、これいいな」とボーイフレンドに褒められたことがきっかけで、その気持ちを短歌にしたそう。
 
しかし、鶏の唐揚げでは少し重く感じたため、もう少し軽やかなサイドメニューの「サラダ」に変更したとのこと。
 
また、記念日の日にち「七月六日」も実際、その出来事があった日ではなく、月は、野菜が元気な初夏とサラダの音の響き合いを考えて「7月」、日にちは、七夕の7日を思い付いたものの、何でもない普通の日こそ記念日と思える歌にしたいと考え、「6日」を選んだとも。
 
「大切な人からの誉め言葉でなんでもない日が記念日になる喜びを、“サラダ”のみずみずしいイメージが引き立てている秀逸な短歌といえます」と評価されていて、さすが日本を代表する歌人。
 
込められた”深い”考えに感嘆するところです。
 
こうして「なんでもない日が記念日になる」と思えば、日常の小さな出来事を幸せに感じ、心も人生も豊かになるものと思う次第です。
 
なお、同じく歌集「サラダ記念日」にある代表的な歌は以下。
 
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
 
従来の短歌は基本的に、「私」がどう思ったかの一人称で完結しているのに対し、俵さんの短歌の特徴は、「私」とは別の「あなた」のセリフが入っている、二人称にあるとのこと。
 
この歌は歌で、じんわりと心に沁みる、家族や職場などでの通常の会話(この歌の場合は恋人同士ですが)にも“あたたかさ”があふれていることを感じます。
 
こうして今朝は、俵さんの短歌から、幸せに包まれる気持ちでブログを書きました。
 
まさに『サラダ記念日』ですね♬
 
さらに、少し大げさかもしれませんが、「短歌」や「俳句」で表現される文化、そして「読む」と「詠む」を使い分ける言葉の美しさがある日本に生まれたことを、幸せに感じる朝ともなりました。

「カッター下ろし」と「敦賀市民歴史講座」

ブログ 敦賀の歴史・文化

議員活動とあわせ、プライベートも充実している今日この頃。
 
昨日はまず、7月19日(日)開催の「第29回敦賀港カッターレース」に向けて、通称〝カッター下ろし”作業を実施。
 
幸い、暑くもなく、雨でもない曇天模様の中、実行委員会のメンバーが集合し、1年間保管していた場所から海(川崎松栄岸壁)へ、カッター4艇を移動しました。
 

【陸の保管場所でカッターをひっくり返し】

【1艇づつ海へ(川崎松栄岸壁コの字水面】
 
なお、今年の参加は42チームで、遠くは青森県八戸市、富山など、県外からも4チームにお越しいただくこととなっているこの大会。
 
今日から来週にかけてのチーム練習を経て本番となりますので、各チームの皆さんにとって、とにかく楽しく、気持ちの良い大会となるよう準備していきたいと思います。
 
と言いつつ、ダブルヘッダーの昨日は、お昼前に作業を中座し、TシャツからYシャツに着替え移動。
 
こちらも楽しみに企画を進めてきた、気比史学会「敦賀市民歴史講座」の今期開講日ということで、会場の敦賀市立図書館へ。
 
会場となる同館3階研修室にて設営、準備をしていると、開演(14時)の1時間ほど前から会場を覗く方がチラホラ。
 
「しばしお待ちを」とお声かけしつつ、関心高くお越しいただいたことを嬉しく思った次第です。
 
その後、受付を開始するとなんと、次々と来場があり、開始前には席が足りないほどになり、慌てて椅子を補充し対応。
 
結果、110名を超える皆さんにお集まりいただき、熱気の中で開講を迎えることができました。
 

【あふれんばかりとなった会場】
 
今年で第42期を迎えた「敦賀市民歴史講座」では、開講にあたり糀谷好晃会長より、ひと言ご挨拶いただいた後、第1講の講師には、大谷吉継研究の第一人者であり、これまで幾度も本講座に登壇いただいている外岡慎一郎氏が登壇。
 
今期の年間テーマ 『信長から秀吉へ そして家康へ ー越前・若狭の武将たちー』の第1講にあたり、外岡先生には『信長以前〜越前・若狭の戦国時代』と題し、「信長以前」の概観から敦賀の戦国時代(長禄合戦や朝倉豊景の乱等)、「信長以後」への展望について、約1時間45分に亘りご講義いただき、誠にありがとうございました。
 

【戦国時代の情景が浮かぶようなお話しをいただいた外岡慎一郎先生】
 
また、聴講者あってここまで続いてきたこの講座。
 
昨日は初めての方、お若い方など、大変多くの方にご来場いただいたことに心より感謝申し上げます。
 
次回は、7月25日(土)14時より、福井県立歴史博物館 主任学芸員の大河内勇介氏をお招きし、『丹羽長秀と柴田勝家』をテーマにお話しいただきますので、皆さま奮って参加いただけますうようお願いいたします。
 
→敦賀市HP「第42期 敦賀市民歴史講座(第2講)」のお知らせはコチラ
 
こうしてダブルヘッダーを終え、充実した一日。
 
敦賀にある、ゆたかな自然と歴史に触れることを幸せを感じながら、この後も過ごしてまいります。

「令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」にご参加ください

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本日7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日。
 
1775年4月19日、英国軍が米マサチューセッツ州の民兵軍を襲撃しようとしたことから独立戦争が始まり、自由のための戦闘が続く一方で、ペンシルベニア州フィラデルフィア市では、もうひとつの戦い、すなわち言葉の戦いが行われ、反逆とみられる「独立宣言」を大陸会議が承認。
 
この日が1776年7月4日であり、英国とのつながりを正式に断ち切って、新たな独立国家、アメリカ合衆国を形成したことが由来であることは周知の事実。
 
これに至るには、2つの大きな出来事が英国に反抗する入植者たちを統一させ、定められた宿命への道を急がせたとあり、その一つは、1770年3月5日、英国軍が、抗議をするボストン市民の集団に向けて発砲して5人を殺害し、その他にも負傷者を出した「ボストン虐殺事件」。
 
もうひとつの大きな出来事は、紅茶に対する課税に関するもので、紅茶は植民地で人気のある商品でしたが、英国の税法は、英国の紅茶販売会社である東インド会社に有利なものとなっていたことに入植者たちは憤慨し、これらに対する抗議活動が大きな広がりをみせたこと。
 
独立から今日で250年。
 
独立のきっかけが、英国からの暴力行為と関税措置にあったとすれば、いま、米トランプ政権がやっていることは、米国民にどう映っているのでしょうか。
 
「歴史は繰り返す」ということにならぬよう、独立から250年を機に、国の生い立ちを国民皆で考えることに意義があると考える次第です。
 
さて、この米国と日本の関係。
 
先の大戦で戦った相手が今は同盟国であるというのも、紛れもない「歴史」であるわけですが、私にとって、独立記念日と同じ、7月の出来事といえば「敦賀空襲」と「戦没者戦災死没者の追悼」。
 
1945年7月12日、日本海側で最初の大規模空襲があったのは敦賀で、その後7月30日、そして8月8日には翌9日に長崎に落とされた原爆と同じ型の「模擬爆弾」が投下された3度の空襲は、敦賀の中心市街地を焼き尽くし、本市の歴史上最大の惨禍となりました。
 
なお、「敦賀空襲」の惨禍については、過去の「やまたけブログ」で詳しく説明をしていますので、よろしければ以下リンクよりご覧ください。
 
→2024年7月13日ブログ『敦賀大空襲から79年』
→2025年7月6日ブログ『敦賀空襲を伝え つなぐ』
→2025年8月8日ブログ『敦賀に「模擬原爆」が投下されてから80年』
 
こうして3度の空襲によって失われた225柱の尊い命。
 
また、日清戦争から太平洋戦争までの戦役に際し、祖国の安泰を念じながら命を落とされた本市出身戦没者1,764柱の方々の戦没者戦災死没者を追悼し、平和を祈念するため、毎年7月には「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」が実施されています。
 
この「追悼式のあり方」については、国民の9割が戦争を知らない世代となり、敦賀においても同じく、市民のほとんどが戦争を知らない世代となるなかで、戦後80年を機に、戦没者追悼敦賀市民の会とも連携を図りながら、若い世代の方にも積極的に参加していただけるように取り組んでいく必要があり、今後のあり方について具体的議論を進めていくべきではと、令和7年第3回(9月)定例会の一般質問でいくつかの提案をしたところです。
 
上記、一般質問の詳しくは、以下リンクよりご覧ください。
 
→2025年9月20日ブログ『敦賀のアイデンティティを継承し、地域を守り抜くために何をすべきか』
 
そうした経過を経て迎える、今年度の「令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」は、7月11日(土)午前10時30分より、プラザ萬象大ホールで執り行われます。
 
また、市の方では新たな取り組みとして、追悼式における「オンライン献花」を受け付けるとあり、市HPでは、「当日のご来場に関係なく、どなたでもできますので、戦没者・戦災死没者への思いをメッセージとしてお寄せいただければ幸いです」としています。
 
※受付期間が、7月7日(火)までとなっていますのでご留意ください
 
こうして変化を恐れず、新たなことを試みる市の姿勢に敬意と感謝を申し上げるところであり、私の立場からもお願いする次第です。
 

【追悼式におけるオンライン献花の呼びかけ画面(敦賀市HPより引用)】
 
なお、追悼式全体に関する敦賀市HPは以下よりご覧ください(オンライン献花のお申し込みもこちらに掲載されています)。
 
→敦賀市HP『令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式を実施します』はこちら
 
先の一般質問では、教育の場において、戦争体験を風化させずに継承しようと、福井県遺族連合会が県内の小中学校や高校で始めた「語り部」を、敦賀市内においても毎年のプログラムに取り込み実施することを提案したところ、花木教育長はじめ、教育委員会ならびに各学校のご理解もあり、今年度から市内小中学校(半分づつ)にて取り組みが始まったところ。
 
敦賀っ子、敦賀人の「人道」と「平和」との関わり、関わり方については、先の一般質問「戦争の惨禍と人道の心を伝え、つなぐことについて」での最後に、米澤市長に言葉を充てています。
 
本日のブログの最後にそのことを記すとともに、是非とも思いを共有いただき、7月11日の追悼式には、多くの市民の皆さまにご参加いただければ幸いに存じます。
 
<一般質問での結びの言葉>
 
(敦賀)ムゼウムは、「人道の港」の史実を保存する中において、敢えて「戦争」を深く語っていないと認識している。「人道」の史実を学ぶ一方で、もう一つの史実「戦争」に関しては、先の大戦によって、ここ敦賀でも多くの人命が奪われたこと、中心市街地が焦土と化し、そして復興を果たしたという、我々は先人の努力の上に立っているという思いを持たないのでは、敦賀のアイデンティティが引き継がれないのではと考える。
古より、その地域を治める長の役割とは、地域にある固有の歴史や文化を守り、継承することにあると考えることから、とりわけ、人道の港を有する「敦賀だからこそ」、市長には、敦賀のアイデンティティを後世に継承していくべきとの思いをもって市政を進めていただくことを最後にお願いする。

文化庁「100年フード」は敦賀にもあり

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨日の敦賀市議会は、議長以下、全議員が集っての「模擬報告会」を開催。
 
7月12日(日)に開催する「議会報告会」を前に、スケジュールやシナリオ、作成したパワーポイントを全議員で確認する場であり、議員間の認識共有を図る場。
 
資料でいくつか修正点があった以外、特段問題なしということで、最後は議場で告知用の動画を全員で撮影して終了。
 
12日(日)は議員皆でお待ちしていますので(部を分け、半分づつですが)、どうぞお気軽にお越しくださいませ。
 
さて、議員活動に加え、プライベートでは今週末(4日)から始まる「敦賀市民歴史講座」や19日(日)の「敦賀港カッターレース」など、ここから満載の行事ごとをネジ巻いて進めていくにあたっては、まさに体力勝負といったところ。
 
昨日は、夏至から数えて11日目の「半夏生(はんげしょう)」ということで、この日に食べる風習にちなみ、わが家の夕食にも「焼きさば」が食卓に並び、美味しくいただきました。
 
なお、本来は「串刺しの丸焼き」を食べるところ、切り身であったことは家庭の事情と理解(笑)。
 
農繁期が終わり、夏を迎える半夏生の日に串刺しの丸焼きさばを食べる風習で有名なのは福井県大野市で、実はこの「※半夏生さばの食文化」は文化庁の「100年フード」に認定されています。
 
※ここでは「はんげしょう」ではなく、「はげっしょ」と読む
 

【越前おおの観光ガイドHPに掲載の「半夏生さば」】
 
大野市のホームページ(HP)などを拝見するに、それを裏付ける史料は見つかっていないものの、安政元年(1854)6月、横枕村の野尻源右衛門(のじりげんえもん)が半夏生を理由に、田植えのために雇っている農民たちに「焼物鯖代」を渡しており、この頃には半夏生に焼さばを食べるという風習が定着していたと思われるとあります。
 
このため、半夏生さばを食べる風習は、夏バテ防止策として藩主が焼さばを食べることを奨励したあるいは焼さばを配ったことから始まったという言い伝えからくるものですが、これを知り、単純な私は、「切り身」であれ、バテずに夏を乗り越える元気が湧いた次第です。
 
大野市の「半夏生さばの食文化」が文化庁「100年フード」に認定されたのは令和3年度で、文化庁が認定する、次の条件を満たす食文化。
 
<100年フードの認定条件>
◉地域の風土や歴史・風習の中で個性を活かしながら創意工夫され、育まれてきた地域特有の食文化
◉地域において、世代を超えて受け継がれ、食されてきた食文化
◉その食文化を、地域の誇りとして、100年を超えて継承することを宣言する団体が存在する食文化
 
大野市では現代においても、半夏生の日には、店頭で焼き上げる光景や半夏生さばが多くの家庭の食卓に並ぶほか、離れて暮らす家族に半夏生さばを送る人もいることなど、「時代を越えて愛され続け、人と人とを繋いできた半夏生さばの食文化を、もっと先の未来まで継承していきましょう」と記されています。
 
こうして、大野市を羨むかに思われるかと存じますが、以下の文化庁HPにある、福井県の「100年フード」一覧をご覧ください。
 
→福井県の「100年フード」はこちら
 
トップには、江戸時代から続く郷土の料理「敦賀のおぼろ昆布」(令和6年認定)があり、一番下には、これも敦賀の人には馴染み深い「若狭地方のニシンのすし」(令和3年度認定)があります。
 
昆布とニシンはまさに、敦賀の「自慢の食文化」。
 
現在、敦賀市では「食文化ストーリー」として取り組んでいますが、大野市と同様、地元市民に愛され、歴史とともに将来に継承していきたいものですね。

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