2021年11月30日
ブログ 敦賀市議会
「未知のリスクには慎重の上にも慎重に対応すべきだと考え、政権運営を行っている。私がすべてを負う覚悟でやる」
これは新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」が南アフリカなどで確認されたことを受けた対応について、岸田首相が昨日、官邸で記者団に語った言葉。
オミクロン株による感染拡大を防ぐため水際対策を徹底する考えを強調し、オミクロン株が確認された26日以降、段階的に強めてきた入国規制も29日には「全世界からの外国人の入国を当面の間、停止する」と表明しました。
安倍・菅政権ではまさに、この水際対策が後手に回ったことが批判を浴びたこともあり、こうしたことも意識しての対応とも思いますが、「最悪の事態を想定」した先手先手の対策はまさに危機管理の鉄則であり、引き続き首相のリーダーシップのもと、このオミクロン株の感染拡大を何としてでも防がねばと考えるところです。
さて、早いもので本日は11月最終日。
明日からの師走入りを前に、敦賀市議会では令和3年第4回定例会(以下、12月定例会)が開会となります。
開会初日の今日は、9時30分より全員協議会、10時より本会議が開かれる予定となっておりますが、既に提出されている各議案について慎重審査・審議に努めてまいりたいと思います。
従来と同様、日々の議会の状況はこのブログやSNSにて発信していきますので、是非ご覧いただきたく存じます。
こうして迎える12月定例会ですが、いつもと違うことがひとつあります。
それは、市役所現庁舎で最後の定例会になるということです。
以前にお伝えしました通り、今月21日には新庁舎が竣工、年明け1月4日から供用開始となっていることを受けてのこととなりますが、たった2年半の議員経験でしかない私などはさて置き、期数を重ねられた先輩議員を始め、長年勤められた市職員の皆さんにとってはどこか感慨深いものがあるのではと思うところです。
【今年一杯で役割を終える敦賀市役所現庁舎(11月21日に立体駐車場より撮影)】
昭和49年から約半世紀に亘り、敦賀市民の皆さんを見守るとともに市政の司令塔としての役割を担ってきた現庁舎に思いを寄せつつ、この定例会の一日一日を大切に、熟議に努めることが、現庁舎の歴史やここで過ごした先人の方々への思いに応えること。
私自身としてはそうした思いのもと、この定例会に臨む所存です。
会期は12月21日(火)までの22日間。
議会の模様は、RCN議会チャンネル(CH093)または敦賀市議会ホームページのインターネット中継にてご覧いただくとともに、お時間の許す方は是非、最後の本会議場に足を運んでいただければ幸いに存じます。
→→→敦賀市議会12月定例会の会期日程はこちらをご覧ください
2021年11月29日
ブログ 新型コロナウイルス
前日の天気から一転、終日青空が広がった日曜日。
早朝の散歩で眺める野坂山は、頂上付近が薄らと白くなっており、北陸の冬がすぐそこまで近づいてきていることを感じました。
敦賀の慣習で「野坂山に3回雪が降ったら市内にも降る」と良く言われますが、今年はそうなる前に冬支度。
今週からは12月に入ることもあり、我が家の車もタイヤ交換。
ひとまず装備は安心の状態となりました。
自分が交換したから言うようで恐縮ですが、まだ終えられていない方は、不意の降雪に備えお早めの交換を。
【頂上付近(左端の三ノ岳付近)が薄らと白くなった野坂山】
さて、県内では新規感染者「ゼロ」が続く新型コロナウイルスですが、突如として現れてきたのが新たな変異株「オミクロン株」。
南アフリカで確認されたこの変異株は、既にイギリスやドイツでも感染者が確認されており、各国で規制強化がされるなど世界的に緊張感が高まっているところです。
日本においては、11月26日に国立感染症研究所(NIID)がこの変異株を「注目すべき変異株(VOI)」として位置づけ、監視体制の強化を開始していましたが、28日には国外における情報と国内のリスク評価の更新に基づき、オミクロン株を「懸念すべき変異株(VOC)」に位置付けを変更しました。
ニュースの見出しを見ると「オミクロン株の警戒度、日本も最高レベルに」などとありますが、実際にはこのように2段階の監視レベルを上位に移行したとの表現が正しいのかと思います(2段階の上位なので「最高レベル」で間違いではないのですが)。
こうして「最高レベル」と伝えるニュースやテレビでのコメンテータの発言を見るに、どこか不安を煽るような表現となっている気がしてならず、とかく感染症に関しては事実を淡々と伝えられないものかと思ってしまう訳ですが、そこでやはり大事なのは「確実な情報ソースを自分で確認」すること。
早速昨日もNIIDのホームページを確認すると、オミクロン株に関しては概略以下のように報告がされていました。
【オミクロン株について】
オミクロン株に共通するスパイクタンパク質の変異のうち、H655Y、N679K、P681HはS1/S2フリン開裂部位近傍の変異であり、細胞への侵入しやすさに関連する可能性がある。nsp6における105-107欠失はアルファ株、ベータ株、ガンマ株、ラムダ株にも存在する変異であり、免疫逃避に寄与する可能性や感染・伝播性を高める可能性がある。ヌクレオカプシドタンパク質におけるR203K、G204R変異はアルファ株、ガンマ株、ラムダ株にも存在し、感染・伝播性を高める可能性がある。
※記号の意味合いまでは分からずとも性質は大体把握できる。
【海外での流行状況と評価】
◉2021年11月27日時点で、南アフリカで77例、ボツワナで4例、香港で2例、イスラエルで1例、英国で2例、イタリアで1例、ドイツで2例、チェコで1例が確認されている。
◉南アフリカにおいては、ハウテン州のCOVID-19患者数が増加傾向にある。南アフリカでは、公共の場での常時のマスク着用、夜間の外出禁止、飲食店の時短営業、集会の人数制限、酒類の夜間販売停止等の対策が継続されていた。
◉南アフリカハウテン州で2021年11月12日から20日までに採取された77検体すべてがB.1.1.529系統(オミクロン株)であった。11月以降に遺伝子配列が決定された新型コロナウイルスの検出割合では、B.1.1.529系統が増加傾向で、2021年11月15日時点では75%以上を占めていた。
◉香港で報告された2症例のうち1例は2回のワクチン接種歴があり、10月下旬から11月にかけて南アフリカへの渡航歴があり、症状はなかった。別の1例はカナダからの帰国者で、2回のワクチン接種歴があり、上記の症例と同じ検疫隔離用ホテルの向かいの部屋に滞在しており、発症を契機に検査を受け、陽性が判明した。
【国内での検出状況】
ゲノムサーベイランスでは、国内及び検疫検体にB.1.1.529系統に相当する変異を示す検体は検出されていない(2021年11月27日時点)。
【評価】
オミクロン株については、ウイルスの性状に関する実験的な評価はまだなく、また、疫学的な評価を行うに十分な情報が得られていない状況である。年代別の感染性への影響、重篤度、ワクチンや治療薬の効果についての実社会での影響、既存株感染者の再感染のリスクなどへの注視が必要である。
◉感染・伝播性への影響
南アフリカにおいて流行株がデルタ株からオミクロン株に急速に置換されていることから、オミクロン株の著しい感染・伝播性の高さが懸念される。
◉免疫への影響
オミクロン株の有する変異は、これまでに検出された株の中で最も多様性があり、感染・伝播性の増加、既存のワクチン効果の著しい低下、及び再感染リスクの増加が強く懸念される。
◉重篤度への影響
現時点では重篤度の変化については、十分な疫学情報がなく不明である。
◉診断への影響
国立感染症研究所の病原体検出マニュアルに記載のPCR検査法のプライマー部分に変異は無く、検出感度の低下はないと想定される。
オミクロン株は国内で現在使用されるSARS-CoV-2PCR診断キットでは検出可能と考えられる。
そして最後に【基本的な感染対策の推奨】
個人の基本的な感染予防策としては、変異株であっても、従来と同様に、3密の回避、特に会話時のマスクの着用、手洗いなどの徹底が推奨される。
NIIDによる情報を見る限り、自分でできることは、このような事実と状況に注視をし、従来通りの感染対策を徹底するに他ならないと思う訳であります。
コロナ初期に水際対策で失敗したと言われる日本ですが、政府においては同じ轍は二度と踏まない覚悟で対応いただくとともに、公的立場にある者は特に、正しき情報を正確に伝えることに徹しないといけないと思う次第です。
要らぬ誹謗中傷や偏見を生まぬためにも、感染症の基本は「正しく怖がる」こと。
新たな変異株「オミクロン」を前に、過去に経験したことを生かし、今一度実践あるのみと考える次第。
2021年11月28日
ブログ 敦賀の歴史・文化
先日の「地域共生社会推進全国サミットプレセミナー」から一昨日の「小さな親切運動 市民のつどい」と、ここ最近は大変貴重な「心の気づき」に出会う機会が続いています。
こうした機会に恵まれることに感謝するとともに、人生を豊かにするのは、こうした気づきや学びにより心が満たされることにあることを身をもって感じる今日この頃ですが、昨日は「学び」の場に参加。
これまでも毎回楽しみに参加してきています気比史学会が主催する市民歴史講座は、これまた新たな発見とヒントに「出会う」場となりました。
今年度第4講となる今回は、福井県立博物館学芸員の有馬香織様をお招きし、「氣比神宮と朝倉宗滴 〜天文十年造営・運営事業を中心に〜」をテーマにご講演いただいた訳ですが、「一乗谷」のイメージが強い朝倉家は、ここ敦賀、とりわけ「北陸の海の総鎮守」である越前国一宮の氣比神宮を取り込むことで、要所である敦賀地域を味方につけるとともに、天文十年の氣比神宮造営は、北陸七ヶ国の神をも巻き込んだ朝倉氏の権力拡張を狙った壮大なプロジェクトであったことを知りました。
講師の方が結びに仰ったのは、朝倉家のスーパースターとも言える宗滴(教景)の存在をもっと広めていくとともに、北陸新幹線で今後より一層つながる福井県を朝倉家の歴史で盛り上げていけるのではなどの貴重なご意見もいただいた次第。
まさに昨日は、気比史学会結成時からの会是でもある言葉、「過去に学び、未来に期待し、今日に生きる」にふさわしい一日となりました。
毎回恐縮ですが、学んだことを私ごとに留めておくのはもったいありませんので、会場でのリアルメモ、資料の抜粋などをまとめたものを以下に掲載いたします。
関心のある方は是非、この後も読み進めていただければ幸いに存じます。
【以下、やまたけのまとめメモ】
令和3年度 市民歴史講座(第4講)
氣比神宮と朝倉宗滴 〜天文十年造営・運営事業を中心に〜
1.日 時 :令和3年11月27日(土)14時〜16時10分
2.講 師 :福井県立博物館 学芸員 有馬 香織 氏
3.内 容 :
(1)はじめに
◉敦賀に鎮座する氣比神宮の存在は、越前朝倉氏の勢力進展の要であった。
◉敦賀郡司であり軍奉行であった朝倉宗滴(教景)は「戦わずして勝つ」戦略であったが、宗滴亡き後は続かなかった。
(2)氣比神宮
◉越前国一宮の氣比神宮は「北陸の海の総鎮守」。
◉北陸の海の総鎮守であったことから、敦賀だけではなく広大な(加賀から越後や佐渡、あるいは近江まで)影響力を持っていた。
◉越前朝倉氏は敦賀郡司を置いていたが、①港の権利(通行税の徴収権利など)と②敦賀湾浦々の地域の中心職の任命権だけは氣比神宮から奪えなかった。
◉度重なる造営があったが、これには敦賀湊の関銭(1%課税)が充てられた(延暦寺や奈良の西大寺も敦賀湊関銭が充てられる)。
(3)朝倉宗滴(教景)
◉文亀3年(1503)朝倉景豊が貞景に対して謀反を企てた時、教景(宗滴)は寺に入って一乗谷の貞景にその企てを直訴した。その後、貞景は敦賀を侵略し、その際教景の功績を認めて教景を敦賀郡司とした。
◉敦賀郡司の居城は金ヶ崎城。敦賀での館は法泉寺周辺(今の本町あたり)とされる。
◉宗滴の逸話や大絶賛の評判が「朝倉始末記」や「朝倉宗滴和記」などに記されている(悪い話は皆目ない)。
◉近江の浅井氏を始め、上杉家からは大鷹一連と鳥屋を拝領するなど、他国からの評判も良く、交友も広かった。
◉天文24年(1555)9月8日、79歳で死去(内臓の病気による)。
◉死去3日前には、一乗谷外にいた朝倉氏に代々仕える薬師を呼び寄せて治療に当たらせる旨の命令も出されていた。
(4)氣比神宮と朝倉家の関係
◉朝倉孝景(宗滴)が敦賀郡司の頃は、氣比神宮は「支配」ではなく「気遣い」による関係であった。
◉宗滴の時代には、氣比神宮の社家に朝倉氏の一字(冬や景)を名前に賜った人が増えてきていることから、朝倉氏が社家を取り込んでいるように伺える。
◉敦賀湊浦々の氣比神宮が有する権利に関わる人にも朝倉家から一字を賜った人になってきていて、じわりと氣比神宮が持つ権利を取り込んでいったことが「氣比神宮社記」により分かる。
(5)朝倉家による天文十年(1541)の氣比神宮再建事業
①朝倉家による造営の意図
◉氣比神宮造営と御遷宮の儀については、従来、北陸道七カ国で費用を出していたが、この時は「越前一国だけで行う」ことを申し出ている。つまり、朝倉家が北陸道七カ国の鎮守を守る立場の頂点にいることを内外に知らしめる効果を期待したもので、周到な政治的計画であった。
◉越前一宮を大掛かりに取り込めば(要所の敦賀を味方につける)、北陸道七カ国への神をも巻き込んだ朝倉氏の権力拡張となり、朝倉家にとって壮大なプロジェクトであったとも言える。
②「氣比神宮古図」(敦賀市指定文化財)を読み解く
◉「氣比神宮古図」に関し、氣比社遷宮条々の中にある「当国」、「社絵図之事」とあり、つまりは越前側から出した条々で朝倉氏が作成したものと考えられる。
◉「氣比神宮古図」は、大鳥居の位置と神宮寺の存在が特徴的とされてきたが、本来「西側」にあるべき大鳥居が「東側」に書かれているのはいかにも不自然であり、懐疑的に見れば、大鳥居は「朝倉側」を向いているように思える。
◉通常の絵図にはない「礎石」が書かれていて、設計図かのように何間(距離)かが分かるように描いているのは朝倉氏の建築物への拘りではないか(礎石まで書かれた絵図は見たことがない)。
◉その他にも塀の「押さえ」が朝倉氏の時代に見られる方法であることや防御のためと考えられるような外の塀があるのは、氣比神宮が戦場になることを想定していたのではないか。→その後、実際戦場となった。
◉造営するための御材木の手配は敦賀に基盤のある宗滴に権限があり、一乗谷の裁決を覆したほか、近江からの材木は敦賀郡司が守ると述べ、敦賀郡が主体となっていた。
◉天文十年の造営は朝倉家にとって大きな意義があるものであったと言える。
【「氣比神宮古図」・・・左下(西側)にあるべき大鳥居が右上(東側)に描かれているなど見れば見るほど朝倉家の意図が透けて見えるとのこと。】
(6)宗滴亡き後の敦賀、氣比神宮と朝倉義景
◉文亀元年春に織田信長のために氣比神宮が戦場となる。
◉手筒山城が落城した理由は、朝倉義景と氣比神宮の社家には「万事相談するな、裏表が分からない」と命じていたことに対し、社家が憤り、お互いの不信感が講じたことにあると言われる。
◉天正元年の刀根坂の戦い前には、朝倉義景の陣中に氣比神宮の御使があり、氣比大明神が出陣せぬよう仰っている旨伝えるが、義景は聞かず出陣し敗れ、一乗谷は三日三晩焼かれ朝倉家は滅亡した。氣比神宮は最後まで朝倉家のことを心配していたことが分かる(朝倉始末記)。
(7)さいごに
宗滴の頃から、戦わずして氣比神宮社人を取り込み、越前国だけで氣比神宮再興を成し遂げたことは、この時朝倉氏最盛期であり、越前国一宮まで取り込む野心まで想定できるが、その努力は宗滴亡き後には続かなかった。
以 上
2021年11月27日
ブログ まちづくり
「“小さな親切”は、気づきと勇気があれば誰でもできる」
「小さな親切運動」の言葉は誰しも聞いたことがあるものかと思いますが、昨晩はその意味合いや具体的な取組みの大切さを知る貴重な機会に出会うことができました。
その機会とは、昨晩プラザ萬象で開催された「小さな親切」運動敦賀支部が主催する「第1回市民のつどい」。
今年度は、これまでの同支部総会に代わり、支部会員や賛助者が集う機会として開催されるということで、記念すべき「第1回」に私も参加できたもので、冒頭の言葉はこの中で支部代表の方がお話しされたもの。
「小さな親切運動」が始まったルーツを調べてみると、1963年(昭和38年)3月の東京大学の卒業式で、茅誠司総長(当時)が卒業生に向けて送った言葉「“小さな親切”を、勇気をもってやっていただきたい。そしてそれが、やがては日本の社会の隅々までを埋めつくすであろう親切というなだれの芽としていただきたい。(中略)その教養を社会人としての生活の中に生かしていくには、やろうとすれば誰でもできる“小さな親切”を絶えず行っていくことが大切です。“小さな親切”はバラバラな知識を融合させる粘着剤の役目を果たすのです」にあるとのこと。
「小さな親切」運動は、茅誠総長と、この卒業告辞に感銘を受けた人々が提唱者となり、卒業式から3ヶ月後の6月13日にスタートし、現在では全国32道府県本部、137市町村支部とともに、次世代を担う青少年をはじめ広く国民の間に「小さな親切」の心を育てる様々な活動を行っているとありました。
そうした経過の中、脈々と活動を続けてこられた敦賀支部さんにはまず敬意を表するものですが、「第1回市民のつどい」の中では、作文コンクールで優秀な成績を納められた3名の中学生の皆さんへの表彰や自主的にボランティアを継続されるなど「小さな親切運動」に貢献された個人、団体への実行章の授与などがあり、市内でもこうして多くの方が運動に取り組まれていることを知るとともに大変感銘を受けることが多くありました。
とりわけ感銘を受けたのは、作文で表彰された中学生の皆さんの朗読発表。
作文の視点は、自身が受けたものや逆に自身が行った親切、親切の模範は父親であるとしたものなど三者三様でしたが、その内容、文章構成の素晴らしさはもとより、表彰の時と同様、凛とした立ち姿、そして大きな声で堂々と朗読される姿には、感心させられることばかりでした。
また、表彰団体を代表し、返礼のあいさつを述べられた福井養正館(特別養護老人ホーム渓山荘への慰問や清掃活動を続ける剣道教室)のこちらも中学生がまた素晴らしく、作文の皆さんと同様、こちらはステージ上でシナリオを手にすることもなく、真っ直ぐ前を向いて感謝の辞を述べる姿にこれまた感心するばかり。
運動に真摯に取り組む姿勢もさることながら、こうした若い皆さんの頼もしい姿にどこか自分が恥ずかしくなるほどでした。
【「市民のつどい」式典時の様子】
つどいのほうは、第2部で敦賀市社会教育指導員の山本拓先生より、「親切・思いやりが 自分もまわりも輝かせる」と題し、いじめや誹謗中傷(SNSなど)、心ない行為が行われた実例などを写真や動画などを活用し紹介されたうえで、ではどう行動すれば良いのかをともに考える講演を拝聴しました。
実は山本拓先生は、実際のお名前は「ヒロシ」ですが、皆から「タク先生」の愛称で親しまれる方で、私自身も陸上つながりで以前より知るほか、長女も中学時代に部活の顧問としてお世話になった方。
こうして柔らかい語り口ながらも信念が伝わる「タク先生」のお話しからは、現代社会における問題、そうした中自分自身が行動すべきことの両側面を学ぶことができました。
レジメに記載されていた「小さな親切 八か条」にあったのは、「朝夕のあいさつをかならずしましょう」、「はっきりした声で返事をしましょう」に始まり、「人が困っているのを見たら手つだってあげましょう」、「他人のめいわくになることはやめましょう」まで。
書かれていることは当たり前のことと思いきや、自分自身ができているかと問われれば、自信を持って「はい」と言えない項目があるのも確か。
「“小さな親切”は、気づきと勇気があれば誰でもできる」
冒頭に記載した言葉の意味合いはまさにこのことであり、できていないことに気づいたら後は勇気をもって行動するのみ。
自分もまわりも輝かせる「八か条」を今日から実践あるのみです。
2021年11月26日
ブログ 働く仲間とともに
連日、熱戦が続いているプロ野球日本シリーズ。
3勝1敗で日本一に王手を懸けたヤクルトは、劣勢の8回裏に山田哲人選手の豪快なスリーランで5-5に追いつき、試合の流れを引き寄せたかに思った直後の9回表、先頭ジョーンズ選手に勝ち越しの左本塁打を浴び敗戦。
まさに目の離せない試合だった訳ですが、ここまでの5戦を見ても息詰まる試合ばかりあり、一寸先はどうなるか分からないドキドキ感はどこか人生模様にも感じたところです。
「人生には3つの坂がある」と言います。
登り坂、下り坂、そして3つ目の「まさか」が起きるから野球は面白いのだと思いますが、人生においての「まさか」は、被弾する側ではなく、喜びの立場で味わいたいものです。
さて、話しを変えまして、定例会と定例会のインターバル期間に開催してきております支援労組さんへの活動報告会ですが、昨晩の東洋紡労組敦賀支部さんへのご挨拶をもって、ひとまず12月定例会前に予定していた分を終えることができました。
コロナ禍により、各労働組合さんの活動自体も自粛せざるを得ない状況が長く続いていましたが、それぞれオンラインの活用などにより工夫を凝らしながら活動を維持されてきたことに心より敬意を表するとともに、こうして集合形式での報告会を受け入れていただけることに感謝する次第です。
昨晩、支部委員会の冒頭でご挨拶の時間を頂戴した東洋紡労組敦賀支部さんにおかれては、実は先週19日の執行委員会の場にもお邪魔をし約1時間、活動報告をさせていただいたところであり、こちらも重ねて感謝。
支部委員会の冒頭では東洋紡労歌斉唱があり、凛とした空気の中でのご挨拶は身の引き締まる思いでしたが、支部役員の皆さんに対し、日頃のご支援への感謝と活動への思いの一端、さらにはプチネタとして、先日竣工した市役所新庁舎内に配備されたクッション類に東洋紡製品の「ブレスエアー(BREATH AIR)」が採用されていることなども紹介させていただきました。
【東洋紡労組敦賀支部の皆さんに対し、ご挨拶の機会を頂戴しました】
【参考:市役所新庁舎各フロアにある休憩スペースのクッション材質は東洋紡製(BREATH AIR)です】
労働組合のご支援をいただいている私の立場としては、職場の声を第一義に活動することはもちろんのこと、職場の皆さんに市政や政治を身近に感じてもらうよう取り組むことが役割としてあるのだと思います。
そうした意味合いも含め、今後もこうした場を大切に、少しでも多くのことをお届けできればと考える次第です。
とりわけ東洋紡労組さんが加盟する産別「UAゼンセン」と私が所属する「電力総連」は、旧同盟時代から理念を同じくするとともに、政治に関しても民社党時代から現在の国民民主党に至るまで、支持政党をともにしてきたいわば同志。
ちょうど、写真の演台には、UAゼンセンが来夏施行予定の参議院議員通常選挙組織内候補予定者としている「かわいたかのり」氏のポスターが掲示されていましたが、こちらについては、電力総連の組織内候補予定者「竹詰ひとし」氏と揃い踏みで何としても勝ち上がっていただきたい方。
信念と理念をともにする同志は、時には良きライバルともなりますが、切磋琢磨することでより良き政治につながることは間違いなきもの。
こうした関係も大切にしつつ、私自身は今後も引き続き、働く仲間の皆さんとともに活動の歩みを進めてまいります。
2021年11月25日
エネルギー ブログ
朝方は晴れ間が覗いたかと思いきや、鉛色の空が広がり、強い風雨が降ったり止んだり。
12月を前に、いよいよ冬将軍を思わせる天気の昨日でしたが、これも北陸地方の特徴であることから、ガッカリするのではなく、流れる四季のひとつと楽しむくらいの余裕を持って過ごしたいものです。
そんな昨日のお昼休みは、原電総連敦賀総支部の皆さんへ活動報告会の機会を頂戴し、自身の議会活動を始め、至近の市政・議会トピックス、さらにはエネルギー政策に関する考えなどについてお話しさせていただきました。
とりわけエネルギー政策に関しては、10月22日のエネルギー基本計画閣議決定や先般閉幕したCOP26の裏事情などについてお伝えする中で、「カーボンニュートラルをめざす欧米は、あらゆる脱炭素オプションを総動員している」ことや「脱原子力は世界の潮流ではなく、逆に原子力を一層利用していこうというのが世界の潮流である」ことなどについてお話ししたうえで、つまりは日本の選択すべきは、「再エネ偏重ではないエネルギーベストミックスでしかない」との思いを共有させていただいた次第。
このことは母体労組の皆さんだけに言うのではなく、これまでも他の労組さんや地域の皆さんに対してもお伝えしているものであり、自身の役割、ライフワークとして、今後も「日本の国情に則した現実的なエネルギー政策」に関する理解を広く深めていただけるよう活動していきたいと考えます。
【昨日の活動報告風景。皆さん熱心に聞いていただき感謝です。】
さて、エネルギーに関して言えば、世界的な原油価格高騰に対応し、日米中などの主要な消費国が備蓄石油の協調放出を決めたとあり、国際的な連携で市場に石油を供給し、石油価格の引き下げをめざすとのこと。
原油高騰はコロナ禍からの景気回復機運に水を差すだけでなく、インフレにつながりかねないこと、産油国への増産圧力を掛けるなどの考えなどから、備蓄石油の放出を消費国に呼び掛けるバイデン米大統領の言いなりだ、あるいはサウジアラビアなど産油国と緊密な外交関係を構築してきた日本は、産油国への増産要請にもっと積極的に動くべきだなどとの意見のほか、余剰分備蓄石油には限りがあることから、放出したとしても価格の引き下げ効果は限定的(確かに具体的な価格引き下げ効果は聞いたことがない)だとの見方が強い現状にあります。
そして、国民民主党の玉木代表などが「法律違反の可能性がある」と指摘しているよう、私自身も問題ではと思うのは、そもそも価格引き下げを目的に国家の備蓄石油を放出して良いのかという点です。
日本の原油備蓄は海外有事や災害時などの供給途絶に備えた制度であり、放出による価格引き下げを想定していないことは、先日「トリガー条項凍結解除」のことを記載した際にお伝えしましたが、実際の法律「石油の備蓄の確保等に関する法律」(昭和五十年法律第九十六号)を確認すると目的は以下のようにあります。
(目的)
第一条 この法律は、石油の備蓄を確保するとともに、備蓄に係る石油の適切な供給を図るための措置を講ずることにより、我が国への石油の供給が不足する事態及び我が国における災害の発生により国内の特定の地域への石油の供給が不足する事態が生じた場合において石油の安定的な供給を確保し、もつて国民生活の安定と国民経済の円滑な運営に資することを目的とする。
さらに、国家備蓄の放出に関する条項を探しましたが、直接的な文言はなく、類するところでは以下のような条項がありました。
(国家備蓄石油の譲渡し及び貸付け)
第三十一条 前条に規定するもののほか、経済産業大臣は、我が国への石油の供給が不足する事態又は我が国における災害の発生により国内の特定の地域への石油の供給が不足する事態が生じ、又は生ずるおそれがある場合において、石油の安定的な供給を確保するため特に必要があると認めるときは、経済産業省令で定めるところにより、国家備蓄石油を譲り渡し、又は貸し付けることができる。この場合において、国家備蓄石油を交換するために譲り渡すときは、同条第二項の規定を準用する。
なお、岸田首相は、11月24日に行った「国家備蓄石油の売却」についての会見で「法律に反しない形での対応をしっかりと検討しています。」、同日の松野官房長官会見では「国家備蓄の放出に関しては油種の入れ替えの前倒しで実施するため、石油備蓄法には違反しないとした。」と述べています。
法解釈の範囲において、それぞれの考え方があることは分かるものの、「価格の引き下げ目的」で行うことは、法にある「供給不足の事態」「安定的な供給確保」に該当するのか、政府として明確な説明が必要ではないかと考える次第です。
私の勉強不足で、既に明確に説明されていたのであれば恐縮ですが、とりわけ自国のエネルギー資源に乏しい日本にとって、有事に備える国家備蓄石油の位置付けの重さを鑑みれば、米政権の呼び掛けに応じるため、あるいは減税したくない(トリガー条項の凍結解除)との理由によって対応されるのだとしたら、それは過去の教訓が生かされない本末転倒の考えではないかと危惧して止みません。
もっとも、私如きの危惧などには及ばない、高レベルの政治判断なのかもしれませんが。。。
2021年11月24日
ブログ まちづくり
このブログでも何度か引用させていただいている、かのマザー・テレサが残した「愛の反対は憎しみではない 無関心だ」との言葉ですが、これは、無関心であること、苦しむ者に関わりを持たずに傍観者であることが愛の対極にあることを意味するもの。
若干ニュアンスが違うのかも知れませんが、まさにこの言葉とリンクする、大変意義深い講演を拝聴することができました。
ここ敦賀市では、来年11月に「地域共生社会推進全国サミット」を開催する予定ですが、これに先立ち、昨日は「プレセミナー」として、株式会社ミライロの田中利樹氏をお招きしての講演会がプラザ萬象大ホールにて開催され、私も参加させていただいた次第。
演題は「ユニバーサルマナーセミナー」ということで、恥ずかしながら私、この「ユニバーサルマナー」という言葉自体、聞いたことがある程度であった訳ですが、右目の視力が全く無く、幼少時代から「視覚障害があるからこそ、できることはたくさんある」との思いのもと、様々なスポーツやボランティア活動に挑戦されてきた田中先生の実感こもった分かりやすいお話しにより、多くのことを学ばせていただきました。
講演は、途中前後の席同士がペアを組んでの体験ワークショップなども挟みながら、大きく3つのセクションについてお話しされましたので、ここではポイントだけご紹介させていただきます。
【セクション1:ユニバーサルマナーとは】
◉「バリアフリー」は高齢者や障害者のみを対象にしているのに対し、「ユニバーサルデザイン」はより多くの人を対象としている。
◉つまり、「ユニバーサルデザイン」とは、国籍や性別、年齢、障害の有無に関わらず、使いやすいモノやサービスのあり方を意味する。
◉「ユニバーサルマナー」とは、こうした考えのもと、自分とは違う誰かのことを思いやり、適切な理解のもと行動することを指す。
◉ユニバーサルマナーを巡る日本の惜しい現状として、「無関心」と「過剰」があり、人も企業も向き合い方が二極化している。
【セクション2:障害者差別解消法】
◉日本では、高齢者3662万人(29%)、障がい者962万人(8%)、3歳未満280万人(2%)と社会の約4割が何かしらの必要性、ユニバーサルマナーを求める層となっている。
◉障害者差別解消法などの概念では、「ハードがすぐに変えられなくても、私たちのハートはすぐ変えられる」。
◉障害とは何か?を考える時に、「障害は人ではなく、環境にある」というスタンスにあるべき。
◉障害者の障害別割合では、身体障害436万人(44%)、精神障害419万人(44%)、知的障害109万人(11%)。さらに身体障害では、肢体不自由障害(45%)を始め5種類に分類される。
◉それぞれの障害をサポートする際のポイントとして、肢体不自由では、車椅子ユーザーの「目線の高さを感じること」や「移動経路に障害物を置かない」など、視覚障害では、大枠の情報から伝えるなど(風景が思い浮かぶよう)の情報伝達のコツや注意点があること、内部障害に関しては、「オストメイト」や「ヘルプカード」により、ご本人の意思や必要なサポートについて理解することが肝要である。
【講演会のワンシーン】
【セッション3:多様性との向き合い方】
◉ユニバーサルマナーとして私たちに求められる姿勢は「無関心でもなければ過剰でもない、中間のさりげない配慮」である。
◉過剰にならないためには、「押し付け」ではなく「選択肢」を提供することが大事(障害があるから◯○はできないと決めつけない)。
◉つまり、サポートへのはじめの一歩を踏み出すためには、困っている姿を見た場合などに「大丈夫ですか?」ではなく、「何かできることはありますか?」の声掛けをすること。
このようにザッとお伝えするだけでもこの内容で、まだまだ聞いていたいくらいでしたが、約1時間20分の講演を終え、こうしたお話しを聞くことができたこと、多くの気づきを頂戴できたことに感謝した次第です。
併せて、この日は「勤労感謝の日」の祝日にも関わらず、プレセミナーの企画・運営にあたられました敦賀市福祉保健部職員の皆さまにも感謝を申し上げます。
大変お疲れ様でした。
自身がモットーとする、知って行わざれば知らぬことと同じなりの「知行合一」の精神に則り、今回得た貴重な知見を今後実践と行動に移していく所存です。
このプレセミナーはもとより、地域共生社会とは、制度・分野ごとの「縦割り」や「支え手」「受け手」といった関係を超え、地域住民や地域の多様な主体が「わが事」として参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えて「丸ごと」つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会をいうものであり、ここ敦賀市が、来年開催される「全国サミット」を開催するにふさわしいまちにしていきたいとも感じたところ。
最後になりますが、マザー:テレサはこうも述べています。
私たちは、大きいことはできません。
小さなことを大きな愛をもって行うだけです。
今回の講演とも重なる、慈愛に満ちたこの言葉も胸に、今日から実践あるのみです。
2021年11月23日
ブログ 政治
強い雨が降る中でしたが、昨晩は久々に夜の敦賀駅に。
要件は、知人の迎えであった訳ですが、オルパーク前を歩くと、以前に市内の高校生の皆さんが思いを込めて作ったイルミネーション、中に入ると北陸新幹線敦賀開業までのカウントダウンボードが明るく輝いているように見え、改めて心温まる素晴らしいものであると感じた次第です。
【雨中に輝く「ようこそつるがへ」の文字と北陸新幹線のイルミネーション】
開業までのカウントダウンボード(敦賀工業生作)は、昨日で「860日」まで進んでおり、着実に近づいていることを感じさせてくれます。
(注)開業日は2024年3月31日と設定
こうして次代を担う若い皆さんとともに進んでいかねばと、こちらも改めて気持ちを強めた次第。
さて、昨日は今月30日に開会する令和3年第4回定例会(12月議会)の招集告示がされ、午前中には議会運営員会を開催。
私も委員として出席をしました。
このタイミングでの議会運営委員会は、片山副市長を始め理事者、委員が出席(正副議長も同席)のもと行われ、主な協議事項を「定例会の運営」に置き、会期日程、市長提出議案、請願・陳情などについて確認するもの。
昨日もその流れに沿い、協議を行いました。
市長提出議案に関しては、配布された議案を見るに、補正予算案8件、条例改正案4件、指定管理者指定の件が3件、市有財産処分の件1件、契約案件2件の計18件となっており、指定管理者の件では、令和4年4月の運営再開をめざすリラ・ポートの件も含まれるなど注目すべき案件もあることから、以降の時間を事前の精査に充て、30日からの定例会に臨みたいと思います。
また、定例会関係の協議を終え、理事者ならびに正副議長が退出された後は、これまで本委員会にて議論を重ねてきている「議員定数」の件に関し協議を行いました。
本年6月にあった議長からの諮問、①市議会の議員定数を定める明確な基準、②削減人数について、令和4年3月までに結論を出すとの内容に対し、以降3度委員会を開催し、前回10月20日には、①について「委員会中心主義」することに関しては全会派一致、②については、多数決にて「2名削減」を決定したところ。
【解説】
現状の3常任委員会を是とし、1常任委員会あたりの委員数7名に委員会数3を乗じた21名に、議長を加え22名とし、現定数24名からの削減人数は2名とする結論に至った。
今回は、その内容を取りまとめ、議長に答申する文面を確認したものであり、その結果、審議内容で一部文言修正があったものの、以外に特段のコメントなく決定がされました。
答申については、この日のうちに議会運営委員会委員長より議長へ渡されたと漏れ聞いており、さらに今後の対応については私なんぞが意見する立場にない訳ですが、もちろんこれで終わりという訳ではありませんので、しっかり注視はしておきたいと思うところです。
「議員定数」に関しては、私が議員になってから約2年半に亘り議論を継続し、ひとつの結論を見たことになりますが、議長が「明確な基準と削減人数の結論を出す」よう諮問されたことによって、議会としての方向性を明確に示されたことが一番大きかったのではと振り返るところであり、ここまでに要した時間に無駄なものはひとつもなく、「自ら決める議会」であることが市民の皆さんにも伝わればと思うところです。
議員定数は、最終的に「条例改正」をしなければ成立しませんが、ここまでの議論経過、答申した内容に関して、改めてご理解いただけますよう宜しくお願いいたします。
2021年11月22日
ブログ まちづくり
お祝い事の日に天気が良いというのは、どこか華を添えられたかの気持ちになりますが、まさに昨日はそのような日に。
平成29年2月に建て替えを決定して以降、令和元年12月より建設工事が進められてきた「敦賀市・敦賀美方消防組合新庁舎」が昨日竣工を迎え、記念式典及び内覧会が開催されました。
下り坂と思われた天気は、式典が行われた午前中は青空が広がり、冒頭の気持ちとなった訳ですが、式典会場の新庁舎1階ホールに集まった関係者の皆さんの顔も晴れやかで、長く続くコロナ禍にあって、この竣工は敦賀にとって大変明るい出来事であることを嬉しく感じた次第です。
式典に先立ち、オープニングアウトでは、敦賀工業の生徒さんが吹奏楽、敦賀高校生はマーチング、敦賀気比高生はチアダンスと、それぞれ練習してきた成果を披露され、ここでは若い力がお祝いに華を添えるとともに、次代を担う彼ら彼女らとこうして記念の場を共有出来たことを力強く感じました。
【演台に門松ではなく、楽器や楽譜代が配置された式典会場というのも新鮮でした(もちろん、オープニングアウト後は配置換えされましたが)】
式典では、渕上市長の式辞の中で、ここに至るまでの関係各所への謝辞が述べられた後、現庁舎は昭和49年竣工から約半世紀もの間、市の発展と市民の安全を見守り続けてきたものであること、近年頻発する地震や風水害などへの備えと災害復旧拠点の役割が求められ新庁舎建設に着手したこと、また新庁舎は「災害に強い庁舎」を始め、「市民が利用しやすい親しみの持てる開かれた庁舎」など基本計画に掲げた4つの基本理念の実現をめざし整備が進められてきたことなどの経過や思いが述べられました。
また、その後は、高木毅衆議院議員を始め、ご来賓の皆さまからの祝辞に続き、工事を無事に完遂された工事関係者の皆さんや新庁舎へ寄贈品を寄せられた皆さんへの感謝状贈呈などがあり、こうして多くの皆さんの協力、力の結集あって、竣工に至ったことをひしひしと感じた次第です。
「いつもといつかを“つなぐ庁舎(場所)”」をコンセプトとする新庁舎に関しては、昨日より23日に掛け、市民の皆さん対象の内覧会が開催されますが、参加されない方も是非、リンク先の3D動画では実際歩いている感覚で内部を見ることができますのでアクセスいただければと思います。
→→→「敦賀市新庁舎内の動画公開サイト」はこちらから
なお、市役所側ばかりが取り上げられている感がありますが、敦賀美方消防組合新庁舎も大規模地震等の災害時にも防災拠点としての機能を十分維持できる耐震強度を有するほか、迅速な消防活動につなげるため、出動する隊員や緊急車両の動線を確保し、素早い出動態勢に移行できるよう各設備を最適な位置に配備したことに加え、女性隊員を含む、隊員の就業環境や衛生面についても整備されました。
実際に昨日も詳細にご案内いただくと、消防車庫までほぼ直結の階段、ノブを回さなくても開閉できる扉、救急車での救助から帰還後に直行で行ける衛生消毒室を配置するなど、従来から機能改善がされているほか、市役所ほどのゆとりあるスペースまでとはいかないものの、隊員用の食堂スペースなどが配置されるなど、就業環境にも配慮された点も理解することができました。
こちらは、出動機会が少なければ少ないほど良いものの、災害に強い、安心安全のまちづくりに向け欠かすことのできない消防機能であり、隊員の皆さまにおかれましては、今後引き続きのご尽力をお願いするものです。
【消防署の地図記号「刺又」で覆われた新消防庁舎】
消防庁舎については、来月12月1日より、市役所新庁舎については、年明け1月4日から供用開始となります。
なお、約半世紀もの間、市のシンボルであり、拠点として活躍した現庁舎は役割を終え、来年1月中旬からは解体工事に入る予定とのこと。
私が議員としてお世話になったのは、たった2年半でありますが、そうした感謝の気持ちをもって30日からの「現庁舎最後の定例会」に臨むとともに、オープニングの力強い高校生たちのパワーに負けぬよう、自身もさらにネジを巻いて活動に邁進する所存です。
最後になりますが、厳しい人的体制の中、ここまでプロジェクトの管理をされてこられました担当部署を始め、関係する行政職員の皆さんに敬意を表するとともに、令和5年1月予定のグランドオープンに向けては長丁場となりますが、引き続き安全第一で工程が進みますよう宜しくお願いいたします。
【約半世紀の時を経て、世代交代を迎える市庁舎。このツーショットにはどこか感慨深いものがあります。】
2021年11月21日
ブログ 政治
穏やかな秋晴れとなった昨日。
特段の公務もなかったことから、妻、愛犬と暫しドライブに出掛けた後、庭の掃除などをし過ごしました。
例年であれば茶色の葉のまま落ちてしまう我が家の庭木ですが、今年は赤々と紅葉。
植樹してから初めてではなどと話していると、その木の幹には、夏に植えた朝顔が一輪、力強く花咲かせていました。
また別の花壇に目を向けると、こちらはピンクの薔薇が一輪咲いており、秋も深まる中にあっても凛と咲く姿に元気をもらった次第。
遠くへは行かずとも、こうして身の回りにある自然の力、美しさを大切にしていきたいと思います。
【この時期でも凛と咲く、一輪の朝顔】
さて、穏やかな秋のワンシーンとは打って変わりますが、ここ最近の私の関心事は尖閣諸島周辺の動き。
尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域で20日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認。
これで尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは33日連続となっており、第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載していたことから領海に近づかないよう巡視船が警告したとのこと。
また、一昨日には中国海軍の測量艦1隻が鹿児島県の屋久島と口永良部島付近の海域で17日夜に領海侵入したと防衛省が発表。
同省が中国海軍艦艇の領海侵入を確認して公表したのは、平成29年7月以来で4度目となり、武器使用が可能になる自衛隊法に基づく海上警備行動は発令されなかったものの、日本政府は、外交ルートを通じて中国政府に懸念を伝達したとあります。
さらに、日本周辺で見ると18日以降、中国とロシアの駆逐艦など計3隻が対馬海峡経由で、東シナ海に入ったのを確認したほか、19日には、中国とロシアの爆撃機それぞれ2機ずつが、日本海や東シナ海で長距離飛行し、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)しており、防衛省は、中国がロシアとも連携し活動を活発化させているとみて警戒を強めています。
以前にもあった、中国とロシアによる「日本列島を舐め回す」かのような挑発行為に対し、毎回「懸念を伝達」するという対応となっているのが現状ですが、やはり日本政府自身が毅然とした態度を示し続けるほか、私たち国民ひとり一人も「そこにある脅威」を強く認識しておく必要があると思うものであります。
ある新聞を読んでいましたら、「専守防衛から“戦略守勢”へ転換を」との東洋学園大学客員教授・元空将の織田邦男氏の記事が掲載されていました。
記事には、我が国の安全保障政策の基本に「専守防衛」がある。これは国際用語ではなく、国内で通用する政治的造語である。それだけに同床異夢が生じやすく、安全保障論議を稚拙なものにしてきた。未だに「一切攻撃しないで守りに徹する」と真顔で主張する政治家もいる。
防衛白書は次のように説明する。「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」。
似た用語に「戦略守勢」がある。こちらは国際用語だが似て非なるものがある。武力攻撃を受けてはじめて立ち上がるのは同じだが、違うのは「必要最小限」でなく「合理的」であるところだ。
「鶏を割くに焉(いずく)んぞ牛刀を用いん」という故事がある。小さなことを処理するのに、大げさな手段を取る必要はないという喩えである。だが危機管理においては、「牛刀」が求められる。
との冒頭文節があったうえで、最後には、
「専守防衛」は平和主義の幻想を生み自己満足に陥りやすい。だが攻撃を受けてはじめて立ち上がることから、実際には国民に被害が出ることを前提とした残酷な政治姿勢であることを国民は承知しておかねばならない。
と結んでいます。
筆者がここでいう「牛刀」は、様々な意味が込められた例えかと思いますが、最大の意味合いは「刀」を持つことを可能にする「憲法改正」にあると、私は理解したところです。
先に述べた既に日本周辺にある脅威に対し、我が国の国土、国民の生命と財産を守り続けるためには、確固たる信念と覚悟を持った判断がなければならない訳であり、求められる毅然とした態度を思うに、厳しき寒さに向かう中にあっても凛と咲く、一輪の朝顔の姿が重なった次第です。
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