令和4年第2回定例会を前に議会運営委員会を開催

ブログ 敦賀市議会

早いもので今日で5月も終わり。
 
これに合わせたかのように空模様は鉛色の曇り空に変わり、昨晩は久しぶりの降雨があった敦賀です。
 
こうした天気を見るに、梅雨間近と感じる訳ですが、ちょうど昨日、日本気象協会が今季の「梅雨入り予想」を発表。
 
これによると、今年の梅雨入りは、九州~関東は「平年より遅い」、北陸、東北は「ほぼ平年並み」になりそうとのことで、北陸地方に関しては「6月12日頃」との予想となっています。
 
本格的な雨の季節を目前に控え、行政においては危機管理に努めるとともに、各町内やご家庭においては、細かなことを言えば、周りの側溝掃除など大雨への備えを早めに行っていただければと思います。
 
さて、そうしたことも思い浮かべながら議会のほうは昨日、6月6日に開会を控えた令和4年第2回定例会を前に議会運営委員会を開催。
 
議会運営に関する事項等について協議しました。
 
配布された市長提出議案を見ますと、今年度補正予算案や現在整備中の駅西エリアを管理するための条例制定などを含む議案13件、さらには市民団体などから提出された請願5件(うち1件は陳情を請願扱いとする旨、議会運営委員会で決定)となっており、それぞれ付託する委員会についても確認したところです。
 
膨大な当初予算案を取り扱った3月定例会と比べれば、今回配布された書類の量自体は圧倒的に少ないものの、だからと言って、議案ひとつ一つの重さに変わりはありませんので、各議案、請願1件1件を精査のうえ、次週から始まる定例会に臨む所存です。
 
なお、残り1年を切った議員任期の中、定例会も残すところ今回を含めあと4回となりました。
 
これまで欠かすことなく行ってきている一般質問(代表を含む)については、今回も市民の皆さんのリアルな声も踏まえつつ準備を進めているところであり、少しでも市政発展につながる意見提起となるよう尽力したいと考えます。
 
最後になりますが、以下に今定例会の会期日程をリンクいたします。
 
市民の皆さんに関心を持って議会をご覧いただくことが、より良い議会、より緊張感を高めた議論につながると考えますので、お時間のある方は是非、議場或いはインターネット中継等によりご覧いただければ幸いに存じます。
 
 →→→敦賀市議会 令和4年第2回(6月)定例会日程はこちらから
 

【任期中の定例会も残り4回。気を引き締めて頑張ります。】

2ヶ月間の研修を終え、いざ東京へ

ブログ

「意を決して」とは、やや大げさであったかも知れませんが、先週水曜日から新たな取組みとして始めた街頭での活動報告。
 
日曜日の昨日お昼前、初回と同じく粟野交番前の交差点にて活動しましたが、やはり休日とあって同じ町内の方や知り合いが通り掛かり、車内より優しい笑顔で視線を送っていただきました。
 
また、休みの開放感も手伝ってか、手を振っていただけたり、クラクションを鳴らしていただいたり(励ましと受け止め)と、初回とは違った反応をありがたく感じた次第。
 
2回くらいで偉そうなことは言えませんが、今後もコツコツと続けていきたいと思います。
 
さて、本日はまったくの私ごととなりますが、この春大学を卒業し、IT系の会社に就職した長女のこと。
 
驚かれるかと思いますが、4月に入社して以降、先週末まで、本社のある福岡県博多にて研修を行い、ようやくこの6月からそれぞれ新天地に配属ということで、土曜日には一旦敦賀に戻ってきたところ。
 
即戦力を求めがちなこのご時世、2ヶ月間も新入社員研修をしてくれる会社も珍しいと思う訳ですが、じっくり社会人としてのマナーや業務にあたる基礎知識を教えていただけたことに、親としてもありがたい気持ちで一杯です。
 
なお、長女の配属先は東京。
 
都市圏に支店を持つこの会社ですが、東京勤務は娘が希望したものとのこと。
 
希望通りに配属してくれたことにもまた感謝な訳ですが、大学の名古屋から博多、そして東京へと、色んな土地の空気を吸って成長して欲しいと思うとともに、とにかく心身の健康にだけは気をつけて暮らしてくれればと願う次第です。
 
配属先が決まってからというもの、名古屋から一旦自宅に送ってあった荷物を東京の新居に送るための手配、本格的な独り住まいに向けての生活品準備など、こちらは妻が大車輪の活躍。
 
一緒に買い出しに行っても、「あれが要る」、「これもあったほうが」とテキパキと品定めが出来るのはやはり、家庭生活を切り盛りする立場からの想像力の賜物であり、私が遠く及ばないことを実感したところです。
 
と、評論家のようなことを言っていては叱られますので、私なりに出来ることを手伝い、とにもかくにも何とか荷物の発送、家電製品の手配などを終え、安堵した次第。
 
そして、いよいよ今日は東京への旅立ちの日。
 
新天地への出発を祝うかのように、今朝の天気は快晴です。
 
まずは職場の雰囲気や生活に慣れ、次に会う時は、社会人としてひと回り成長した姿を見せてくれることを期待し、笑顔で送り出したいと思います。
 

【私も単身赴任で9年過ごした東京。今度は長女がお世話になります。(写真は電力総連のある三田方面から見た東京タワー)】

モニュメントに込められた敦賀の将来像に向け「いざ発進!」

ブログ まちづくり

暦の上では、5月21日には小満(しょうまん)を迎え、次は6月6日の芒種(ぼうしゅ)へと向かう日々。
 
恥ずかしながら、ブログを書くようになってから、「大寒」や「立春」など代表的なもの以外の二十四節気を知った訳ですが、この「小満」や「芒種」もその内のひとつ。
 
「小満」に関しては、「万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来る頃」とあり、この日を境に「天気は徐々に熱くなり、降水量も増加する」との意味を持つそうですが、深まる木々の緑、鮮やかに咲く花々を見ていると、まさに「その通り!」と思える季節となっています。
 
ご承知置きの通り、二十四節気とは、1年を太陽の動きに合わせて24等分し、それぞれの季節に名称を与えた昔の呼び方ですが、そうした季節の節目を感じながら過ごすことで、自身の生活にもひとつ一つ区切りが出来ているような気がするところであり、引き続き今後も過ぎ行く季節を感じながら、充実した時間を積み重ねていきたいと思います。
 
さて、そのようなことを感じつつ、心地良い天気となった昨日は、母体の原電総連敦賀総支部の皆さんとボランティア活動を行いました。
※原電総連:日本原子力発電労働組合総支部連合会の略称
 
原電総連では15年ほど前から、自分達が住み、働く地元に何か貢献していこうと、事業所のある東京、東海村(茨城県)、敦賀の3拠点それぞれでボランティア活動を行ってきているところですが、ここ敦賀においては、敦賀駅前から氣比神宮までのアーケード沿いに設置されている「シンボルロードモニュメント」のクリーンアップに取組んできたところ。
 
手前味噌ながら、この発案者は当時総支部長をしていた私でして、観光シーズンが本格化する時期を前に、敦賀駅を出て迎えるシンボルモニュメントをピカピカにしてお迎えしようと企画したものですが、その後もこうして脈々と続けてきてくれていることを感慨深く感じるとともに、この日集まった15名ほどの若いメンバーと一緒に、和気あいあい、笑顔で活動出来たことを大変嬉しく感じた次第です。
 

【発電所で同じ職場だった仲間とペアで、気持ち良く活動しました。】
 
なお、この「シンボルロードモニュメント」とは何ぞや?ということですが、こちらは敦賀商工会議所さんのホームページによると次のように説明されています。
 
「鉄道と港の街つるが」〜松本零士作品と敦賀の関係〜
かつては東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、敦賀は「日本でも有数の鉄道と港の町」でした。1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体、「銀河鉄道999」のブロンズ像18体の計28体のモニュメントを敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置しました。
 
詳しくは、モニュメント28体とその説明が記された以下のページをご覧ください。
 →→→「シンボルロードモニュメント」紹介ページはこちら
 
「科学都市」には半世紀に亘り共存してきた原子力発電の意味合いを含むものですが、改めて、敦賀の特色と見事に掛け合わせた、しかもあの松本零士さん監修とあっては、まさに敦賀の「財産」と認識した次第です。
 
各モニュメントの脇にはそれぞれのテーマが表記されていますが、読めばそれは、将来に進む敦賀へのメッセージとも感じるものがいくつもあり、この「旅立ち」もそのひとつ。
 

 
2024年春の北陸新幹線敦賀開業を控えることとも重なり、汽笛が敦賀の旅立ちの訪れを告げ、列車に乗るのは敦賀市民といったところですが、こうして見ていくと夢と希望が湧いてくる素晴らしいモニュメントであり、市民の皆さんにこそ、ひとつ一つご覧になっていただきたいと思った次第です。
 
「鉄道と港の街つるが」
 
古より交通の要衝として栄えてきた街であることを表すこのコンセプトを大切にすることは、まさに敦賀の歴史をつなぐことであり、モニュメントに込められた将来像に向け「いざ発進!」との思いのもと、さらなる発展、飛躍が遂げられるよう、私自身尽力する所存です。

葛西氏が「国家観」をもって貫いた「エネルギー安全保障」

エネルギー ブログ

旧国鉄の分割民営化で中心的役割を果たし「改革3人組」の一人と呼ばれたJR東海名誉会長の葛西敬之氏がお亡くなりになったことが大きく報じられた昨日。
 
「卓越した国家観を持った経営者」、「稀有な憂国の経営者」とも呼ばれた葛西氏は、国鉄の民営化では日本の鉄道の将来を憂い、民営化の実現に奔走。
 
その後、自らリニア中央新幹線計画を主導したのも、大地震で東海道新幹線が被災した際の影響を憂慮したことや、新幹線の技術を海外に売り込む際、当時の財界内で要望が強かった中国への技術移転に強く反対したのも、中国への技術流出を懸念したからであり、ビジネスの前に国の安全保障の姿をいつも考えていた人だったとも。
 
また、鉄道事業だけではなく、東京電力福島第1原子力発電所の事故後、多くの財界人が世論の反発を恐れ、原子力の話題に触れるのを避ける傾向が強い中にあっても、葛西氏は正面から、資源小国の日本における原子力発電の必要性を説き、議論から逃げなかったことはやはり、我が国のエネルギー安全保障のあり方を、信念をもって貫いた態度であったと深く感銘するところです。
 
偉大なる葛西氏のこれまでの国家への多大なる貢献に敬意を表するとともに、ここに心よりご冥福をお祈りいたします。
 
さて、そのような日に開催された「第50回 総合資源エネルギー調査会 電力・ガス事業分科会 電力・ガス基本政策小委員会」ですが、経済産業省資源エネルギー庁はこの中で「2022年度の電力需給見通しと対策について」との資料を提示し、各エリアで予備率3%を切る今夏、さらには東京管内などではマイナスとなる今冬の深刻な電力需給逼迫が見込まれる状況に対し、大規模停電の恐れが高まった場合、大企業などを対象に「電力使用制限」の発令を検討すると明らかにしました。
 
違反すれば罰金が科される強制的な措置で、実際に発令されれば東日本大震災の影響で計画停電に続き実施した平成23年7~9月以来となり、幅広い経済活動に影響が及ぶ可能性が生じることとなります。
 
同じく、需給ひっ迫警報等の国からの「節電要請」の手法の高度化やセーフティネットとしての「計画停電」の準備状況の確認なども記載されたことは、供給力を増すための手立てを講じることに限界が来ている状況を露呈するものであり、「深刻」を通り越し、「危機的」状況にあると同時に、このような言葉が並ぶこと自体、もはや先進国と言えないのではないかと自虐的な念さえ覚える次第です。
 

【「原則実施しない」と整理される「計画停電」にまで踏み込んだ記載(同会議における資源エネルギー庁提出資料「2022年度の電力需給見通しと対策について」より:2022年5月27日)】
 
なお、本年4月8日の岸田総理会見でありました「夏冬の電力需給逼迫を回避するため、再エネ、原子力などエネルギー安保及び脱炭素の効果の高い電源の最大限の活用を図ってまいります」との発言を受けては、申し訳なさげに以下のスライドのように記載されていて、特に原子力に関しては、何をもって「最大限」とするのか、具体的なことは一切書かれていないという状況となっています。
 

【同じく、資源エネルギー庁提出資料「2022年度の電力需給見通しと対策について」より】
 
※詳しくお知りになりたい方は、以下のリンクより資料お読み取りください。
 →→→「第50回 総合資源エネルギー調査会 電力・ガス事業分科会 電力・ガス基本政策小委員会」資料はこちら
 
なお、この日開催された衆議院予算委員会では、国民民主党の玉木代表が質問に立ち、古くなった原子力発電所を小型モジュール炉(SMR)や高速炉等へリプレース(建て替え)することを提案しましたが、岸田総理は「しない」と明言。
 
昨日、このブログでお伝えした通り、国民民主党は、電力の安定供給とともに技術や人材の確保のためにも、安全性の高い新型炉等へのリプレースは必要との方針を掲げていますが、短期的に見ても、中長期的に見ても、政府が原子力発電を「最大限」活用するとの具体的な意図が見えてこないのは、残念の極みとしか言いようがありません。
 
迫る電力需給逼迫の危機に加え、ロシアの関係も踏まえた資源価格、電気料金高騰はダブルパンチで国民生活や企業活動に大きな影響を与え続けています。
 
エネルギー安全保障の重要性を究極なまでに拘り続けた葛西氏であれば、この国難をどう乗り越えたであろう。
 
そんなことを思いながら、葛西氏が人生を通して貫いた、国家観をもって世論の反発を恐れず、議論から逃げない姿勢こそが「政治の役割」だと、肝に銘じる次第です。

次期参議院選に向けた各党の公約やいかに

ブログ 政治

6月22日公示、7月10日投開票の日程がほぼ確実となっている第26回参議院議員通常選挙。
 
通常国会が終盤を迎える中にあって、各選挙区、全国比例候補を擁立する陣営の活動が活発化しているところですが、各政党も本選挙に向けた公約を相次いで発表するなど、次第に選挙モードにシフトしつつあるところです。
 
自身が所属する国民民主党福井県連に関しては、選挙区での独自候補擁立を断念、特定候補からの支援要請もないことから、この参議院選に関しては、全国比例候補の必勝に向け、一票でも多く党名票を獲得するための運動を展開することを確認したところでありますが、2年が経過した新型コロナウイルスによる影響に加え、ロシアのウクライナ侵略によって一変した国際環境下において行われる大変重要な選挙となることから、国民の皆さんには、各党、各候補が掲げる「政策」をもってご判断いただくことを切にお願いする次第です。
 
さて、そうした状況の中、国民民主党においては5月20日に「給料を上げる。国を守る。」をスローガンに掲げた参議院選挙の公約を発表。
 
玉木代表は「とにかく『給料が上がる経済』を取り戻したい。こんなに勤勉で真面目な国民がたくさんいるのに、なぜ賃金が下がり、将来への不安を抱えなければならないのか。この問題に体系的に総合的に取り組み、まじめに頑張れば報われる社会を実現する」と述べ、「給料が上がる経済」を実現するとしているほか、「人づくり」は国づくりの考えのもと、教育や科学技術予算を倍増すること、安全保障では、自分の国は「自分で守る」とし、「自衛のための打撃力」の整備に向けて、防衛費の増額を打ち出しました。
 
また、食料やエネルギーなどを含めた総合的な安全保障に万全を期すとしたうえで、エネルギーに関しては、安全基準を満たした原子力発電所は再稼働するとともに、次世代炉等へのリプレースを行うと明記するとともに、電力の安定供給を確保し、国富や技術力が流出することを防ぐとしています。
 
重点政策を以下にリンクします。
 →→→5月20日に発表した国民民主党の重点政策はこちら
 

 
また、この重点政策のさらなる核論の部分に関しては、先日、全国都道府県連政策責任者会議において説明があったところであり、この後公表されることになりますので、お時間があれば是非、そちらもお読み取りいただければと思います。
 
本日は、自身が所属する政党のことを紹介させていただきましたが、広く他の政党が発表される公約も読み込み、自分なりにこの参議院選挙の争点、論点の整理をしてみようと思います。
 
混沌とする世界、経済や安全保障などの環境が一変してしまったいま、究極の現実路線で対応せねば、国益を失するばかりか、我が国固有の領土、生命や財産まで危ぶまれる。
 
そのような強い危機感の中で行われる第26回参議院議員通常選挙。
 
繰り返しとなりますが、皆さまにおかれましては、あくまでも「人気や著名」ではなく、「政策重視」で選択いただけますようお願い申し上げます。

意を決して始めた街頭での活動報告

ブログ 活動報告

学校関係の調査事項があり、先日は粟野中学校、昨日は松陵中学校にお邪魔をし、現場確認をさせていただいたところ。
 
夕刻訪れた松陵中学校では、グラウンド並びに玄関前で生徒さんが元気に部活動をしており、横を通ると「こんにちは!」と礼儀正しく挨拶していただきました。
 
負けじと挨拶を返しましたが、やはり元気な声がこだましてこそ学校だなあと、しみじみ感じながら職員玄関を目指した次第。
 
また、アポイントをとっておりました校長先生とお話しすると、この日の午前中は、ここ2年、コロナ禍で自重していたオープンスクールを開催したとのこと。
 
密を避ける観点から、出身小学校区ごとに時間を区切り、保護者は私語を控え、廊下からの参観のみとするなどの対策を講じたところ、特段混乱もなく実施できたとのことであり、校長先生の安堵された様子が伝わってきました。
 
その後もGIGAスクールや部活動の地域移行などについて懇談した後、訪問の主目的である教室内の設備を確認させていただいた訳ですが、やはり「百聞は一見に如かず」で自分の目で現場を見ることの大切さを改めて痛感した次第です。
 
なお、松陵中学校では、例えば野球部で現在の3年生が引退すると、1年生3人だけになってしまうという状況のようで、二州地区においては既に気比、角鹿、美浜の3校も同じ状況で、合同チームで出場していることを考えると、生徒数の減少と相まって、様々な課題が生じてきていることも認識しました。
 
これは、先ほどの部活動地域移行にも関することかもしれませんが、何を置いても「現場第一主義」で、引き続き現場のリアルを把握のうえ、活動にあたる所存です。
 
さて、この日は水曜日ということで、朝は恒例の辻立ちからスタートした訳ですが、意を決して昨日から始めた活動がひとつ。
 
その活動とは、街角に立っての街頭報告会。
 
都会では駅などで普通に行われている街頭演説ですが、この車社会の敦賀で同じことをやってもどうかと、これまで踏ん切りがつかない自分が居ましたが、議員任期も1年を切り、自分の中で何か新たな一歩を踏み出さねばとの思いがあったのと、決定的だったのは、先日ご紹介した玉木雄一郎・国民民主党代表の街頭意見交換会で小学生と会話のキャッチボールをされたあのシーン。
 
拡声器やマイク等の機材を即座に購入し、昨日の定時以降、場所は以前から「やるならここ」と目をつけていた粟野交番前交差点(ヨーロッパ軒金山店前の方がピンと来るかと)にてマイクを持たせていただきました。
 
名前が書いてないのぼり旗につき、殆どの方は誰が話しているのか分からなかったとは思いますが、それでも車の窓を開けて手を振っていただける方、「たけちゃん頑張って」と声を掛けてくれる方、また、自転車で下校する高校生達が手を振ってくれたりのリアクションが嬉しく、気づけば1時間以上話していました。
 
時計を見て慌ててマイクを納めましたが、こうして行動に移してみれば、必ず何か得るものがあり、やるかやらぬかウジウジ考えていた自分を恥じたところです。
 
思えば、私がモットーとしている言葉は「知って行わざれば知らぬことと同じなり」。
 
「知識として知っていても行動が伴わなければ、知っていないことと同じである」という意味の「知行合一」の精神(儒教や吉田松陰先生の言葉)ですが、やはり実践することが大切なのだと改めて感じた次第。
 
決して格好をつけていう訳ではないと前置きしたうえで、この街頭報告会に関しては、自分自身のPRや選挙に向けてということが目的ではなく、市民の皆さん、とりわけ次代を担う若年層の皆さんに政治や議会への関心を持っていただきたいとの思いのもと実施するものとご理解いただき、辻立ちや日々のブログ、SNSでの発信同様、今後もコツコツ地道に続けていく所存です。
 
結びになりますが、市民の皆さまにおかれましては、街角で「やまたけ」を見掛けましたら、少しだけでもリアクションいただければ嬉しく思います。
 

【初の街頭報告を終えた粟野交番前交差点。野坂山とヨーロッパ軒のカツ丼の看板を眺めるロケーションは尚のこと、敦賀への思いがあふれてきます。】

「危機感」と「時間軸」がない日本の原子力政策

ブログ 原子力

既にバイデン米国大統領と岸田首相との首脳会談で発出した共同声明の内容が報じられているところですが、注目していたエネルギーの関係に関し、とりわけ原子力については、「CO2を排出しない電力および産業用の熱の重要かつ信頼性の高い供給源」として重要性を認識した上で、革新的原子炉・小型モジュール炉(SMR)の開発・世界展開、原子力サプライチェーンの構築などに向け、両国間の協力を拡大していくとしたところ。
 
ここでも出てくるのは「革新的」の言葉でしたが、ちょうど首脳会談が行われる前の5月19日には、総合資源エネルギー調査会の革新炉ワーキンググループが2回目の会合を開催し、米国テラパワー社、同ニュースケール社からの発表を受け、革新炉開発の海外動向・国際連携を中心に議論したとありました。
 
テラパワー社に関しては、2022年1月に日本原子力研究開発機構、三菱重工業他が覚書を締結、ニュースケール社に関しては同社のプロジェクトに昨春の日揮・IHIに続き、同年4月には国際協力銀行が出資を発表するなど、海外の革新炉開発への国内企業・機関の進出機運も高まっている訳ですが、同WGは、こうした状況も踏まえ「原子力発電の新たな社会的価値を再定義し、わが国の炉型開発に係る道筋を示す」ことを目指し4月20日に始動したもの。
 
今回のWGで発表された事項について、原子力産業新聞の記事をお借りすると、米国エネルギー省(DOE)の原子力サプライチェーンに関する報告書によれば、「米国では、今後高経年化石炭火力の多くが閉鎖され、石炭火力の設備容量を同規模の小型モジュール炉(SMR)にリプレースすることにより、既存送電線の活用および労働者の再雇用ができる」との分析結果が示されている。また、日立製作所が米国GE日立・ニュークリアエナジーと共同開発するBWR型SMR「BWRX-300」に関しては、カナダのオンタリオ州営電力(OPG)で最速2028年の運転開始を目指すプロジェクトが進んでいるが、同プロジェクトでは、製造建設段階(7年間)で約1,700人/年、運転段階(60年間)で約200人/年の雇用創出が図られる見込みとの報告。
 
さらに、テラパワー社からは、小型ナトリウム冷却高速炉「Natrium」の開発状況の説明があり、その立地に関し、原子炉建屋や燃料建屋などを配置する「ニュークリアアイランド」と、蒸気発生器やタービン建屋などを配置する「エネルギーアイランド」に敷地を二分した完成イメージを披露した上で、初号機はワイオミング州で閉鎖される石炭火力の代替として建設が計画されており、建設ピーク時に2,000~2,500人、プラント稼働時に200~250人のフルタイム雇用が創出されるとの試算を示し、「地元のコミュニティが非常に前向きにとらえており喜ばしい」などと述べたとありました。
 

【「Natrium」のイメージ図(テラパワー社発表資料より引用)】
 
こうして見れば、米国やカナダでは2028年の具体的な運転開始時期の目標を持って開発を進めていることが分かるとともに、原子力発電が自動車産業などと同じく、裾野の広い産業であることを改めて認識した次第。
 
日本が将来に亘って、より安全性を高めた原子力技術を開発していくことに異論は全くありませんが、それ以前に常々感じるのは「危機感」と「時間軸」の無さ。
 
これまでのブログでも紹介している通り、欧米の場合は、このエネルギー危機に対し現実論で、速やかに政策判断をし、「いつまでに誰が何をやるか」を明示した上で開発や投資をしていくのに対し、日本は「やるのかやらないのか」さえ曖昧のまま、具体的な期日も明示せず、政策判断までに時間が掛かり過ぎると感じるところ。
 
特に、この夏には予備率3%を切り、冬にはマイナスになるとまで予測されている電力需給逼迫を前に、いつになるやも知れぬ「革新炉」ばかりを言っている場合なのかと、正直私は憤りすら感じています。
 
繰り返しになりますが、こうしたエネルギー危機に直面するいま、行うべきは、原子力規制審査を加速し(決して安全を蔑ろにするという意味ではない)、既存の原子力発電所を早期に再稼働させること、既に実績があり、開発を進めている改良型軽水炉による新増設・リプレースによって電力供給力を増すことであると考える次第ですが、政府は支持率低下を恐れてか、これを具体的に進めようとしていません。
 
昨秋の衆議院選挙前の「エネルギー基本計画」でも明確にせず、今夏の参議院選挙前にも明示せぬままでは刻々と時間が過ぎるばかりであり、今年も需給逼迫の夏、そして冬がまたやってくる。
 
電力需要と産業の成長率とは比例の関係にあることを考えれば、需給逼迫が恒常化しているような国に将来があるとは言えません。
 
国内ではなく、海外で働きたいという若者が増えているのも、こうした環境を冷静に見ているからであり、このままでは日本を支える人材すら流出していく国家的危機にあると思う次第ですが、日本が先進国から取り残されることなく、もう一度、世界一の産業立国を目指すためにも、今度こそ岸田首相には英断をしていただきたい。
 
論点のすり替えのような「革新炉開発」の言葉を聞く度に、その思いは募るばかりです。

小学生と対話する街頭演説会

ブログ 政治

昨日は、国民民主党福井県連のメンバーにて参議院議員会館へ。
 
労組本部役員時代には幾度となく通った参議院議員会館ですが、この日は日米首脳会談が行われるとあって、地下鉄から地上に上がると国会議事堂裏の通りや首相官邸周辺は物々しい警備。
 
日の丸と星条旗が揺れる議事堂を眺めつつ、会館に向かった次第です。
 

【青空に映える議事堂。ここに来たのも何年ぶりでしょうか。】
 
肝心の用件の方はといえば、県連幹事長から田村まみ参議院議員(国民民主党・UAゼンセン組織内)事務所を通じて依頼をし、経済産業省より、関連する政策について意見交換をするということでしたが、改めて感じたのは「現場を知るものは強し」。
 
詳細は差し控えますが、私たち地方に暮らす者の声、生活者の実情やアイデアなどを伝え、国の政策に反映いただくことも地方議員の役割であり、今後も県連所属議員間での連携を強化し、こうした活動(陳情ではない)にあたっていきたいと思います。
 
さて、本日は国民民主党つながりで恐縮ですが、同じ国民民主党所属で東海村議会議員(茨城県)である越智辰哉(おちたつや)議員の公式Twitterにほのぼのとした話題が投稿されていましたのでご紹介いたします。
 
その話題とは、茨城県つくば市で開催された、玉木雄一郎代表が駆け付けての街頭演説会での出来事。
 
以下、おち議員のTwitterをそのまま掲載します。
 

 
少年の後ろ姿といい、玉木代表の表情といい、何とも心満たされるやり取りがあったことが分かる写真ですが、続いてコメント欄を拝見するに、この少年は玉木代表への質問の機会を得たことに対する御礼から始まり、「所得税や消費税について、代表はどのようなお考えか、教えて下さい」と、しっかりとした口調で質問。
 
とても小学6年生と思えない堂々たる姿であったことや、これに対し玉木代表が、「不景気になり利益や所得が下がれば、法人税や所得税は収める額が少なくなるが、消費税は広く公平に負担を強いる税金であり、景気が悪い時やコロナ禍では、消費税が国民生活により大きく効いてくる。だから、国民民主党は『消費税減税』を主要政策に掲げている。」との主旨の回答をされたとありました。
 
さらに、この投稿を引用リツイート(自分の言葉を添えて投稿をシェアすること)した玉木代表は、「小学生や中学生、そして大学生からどんどん手の上がる、とても有意義な質疑応答の時間でした。参加いただいたすべての皆さんに感謝!準備もお疲れ様でした!」と記載。
 
政党が行う街頭演説会といえば、声を張り上げて、自分達の考えを主張だけして去っていくようなイメージがありますが、こうして会場の皆さんと会話のキャッチボールができることでより政策や政治に対する理解が深まるものと感じた次第です。
 
私の方も、国民民主党の党勢拡大、さらには自身の考えを広く知っていただくため、今週あたりから街角での街頭行動を始めていく考えですが、少しでもこうしたイメージに近づくような形で実施できればと思います。
 
情報発信の武器は今やSNSかもしれませんが、やはり人と成りを知っていただくためには、自分の姿を直接見てもらうことが大事なこと。
 
なお、これは自分のためということだけでは決してなく、世代を問わず、市政でも国政でも関係なく、政治に関心をもっていただくということは、より良い政治、ひいてはより良い暮らしにつながることと思い、好事例はどんどん取り込んで活動にあたる所存です。
 
今後、街角で「やまたけ」を見掛けた際には、叱咤激励などいただければ幸いです。

「悲願」の「国道8号敦賀防災」が起工!

ブログ 防犯/防災

私が議員になって3年が経過をしましたが、この間だけでも、道路関係では、日本海さかな街の交差点から粟野交番までをつなぐ「岡山松陵線」、浦底から白木をつなぐ「敦賀半島トンネル」、白銀交差点から氣比神宮前までの国道8号2車線化、さらに本年3月には手から色浜までの「鈴ケ崎トンネル」が完成し、地域の安全や防災、利便性の向上に直結する姿を実感してきたところ。
 
そうした中、昨日は「国道8号敦賀防災」の起工式が執り行われました。
 
いわゆる「一桁国道」の国道8号は、新潟市から北陸地方を経て京都市に至る長さ約600kmの道路ですが、このうち、福井県の南越前町から敦賀市にかけての区間は地形が険しく、並走する鉄道のJR北陸本線は長い北陸トンネル(延長1万3870m)で、高速道路の北陸道も敦賀トンネルをはじめとする複数のトンネルと上下線別ルートでもって越える、言わば屈指の「難所」。
 
国道8号もこの区間は道幅が狭く、急勾配・急カーブが続くため事故が多く、特に冬期には積雪や路面凍結で立ち往生や渋滞が発生し、県内南北の大動脈が寸断されるほか、途中には津波浸水想定区間や市町境をまたぐ10.7kmは異常気象時(大雨時)の通行規制区間に指定されています。
 
このような課題を解消するため、国土交通省近畿地方整備局は2018年度、海沿いの敦賀市挙野~田結(たい)間をバイパスする長さ3.8kmの敦賀防災事業に着手し、調査・設計などを進めるとともに、敦賀市においては懸命の用地交渉にあたってこられるなどの努力があって、昨日起工式を迎える運びとなった次第。
 

【赤色の実線が現国道8号、点線が「敦賀防災」ルート】
 
 →→→詳しくは、こちらの「国道8号敦賀防災」のパンフレットをご覧ください(国土交通省近畿地方整備局HPより)
 
起工式の会場となった赤崎小学校(現在は廃校)の体育館には、杉本福井県知事や地元からは渕上敦賀市長、岩倉南越前町長、ご来賓として高木毅衆議院議員、滝波宏文参議院議員ほか、さらには東浦地区各区長の皆さんを始め、多くの関係者が集う中、盛大に開催されました。
 
式典のご挨拶・祝辞の中で度々発せられた言葉「悲願の道路」とはまさにその通りと頷くとともに、高木議員が仰った、「一桁国道が家の軒先を走るなんて、21世紀の道路環境としてあり得ない」との考えに共感した次第です。
 
また、ご挨拶に続き、角鹿小中学校児童(東浦地区から通学する児童と推測)、敦賀美方消防組合敦賀消防署(この区間で多発する事故等に対応)、杉津郵便局(市内から東端の郵便局に通勤)と国道8号のこの区間に深く関係する皆さんから、実感の込もった「敦賀防災」への応援メッセージ(ビデオ)が寄せられ、期待の大きさを感じざるにはいられませんでした。
 
さらには、角鹿小中学校吹奏楽部、氣比太鼓保存会の皆さんの演奏が華を添え、その後は「鍬入れ」、「万歳三唱」で幕を閉じた訳ですが、凜とした雰囲気の中にあって、この事業に懸ける会場に集まった関係者の熱意と決意を感じた次第です。
 
この「敦賀防災」3.8km区間の起工はもちろん喜ばしいことではありますが、我々の目指すゴールは南越前町大谷までの区間(10.7km)であり、この先も切れ目なく着実に事業化をし、一日も早い全線開通に向けた「始まり」の日であるとの思いだったからではなかったかと、私自身は認識したところです。
 
私ごとになりますが、実は父が東浦の大比田出身であることから、幼少期は国道8号の行く先には婆ちゃんが居て、夏には海水浴、秋はみかん狩りに行ける、楽しい思いばかりが記憶を蘇る訳ですが、海岸線を走る道路からの眺め、特に夕日の見える時間帯は最高のロケーションであり、大人になってからもドライブコースとしても利用してきた大好きな道路。
 
そんな思い出の詰まった国道8号ですが、生活道路として利用する東浦地区にお住まいの皆さんにとっては、渋滞や事故などで度々苦い思い、痛い目に遭ってきた道路であり、この計画に込める「悲願」の思いは脈々ならぬものがあると受け止める次第であり、引き続き、その思いとともに微力ながら尽力する所存です。
 
最後に、「国土強靭化」と検索すると、内閣官房のページにこうありました。
 
国土強靱化(ナショナル・レジリエンス)、防災・減災の取組みは、国家のリスクマネジメントであり、強くてしなやかな国をつくることです。また、日本の産業競争力の強化であり、安全・安心な生活づくりであり、それを実現する人の力を創ることです。国民の命と財産を守り抜きます。
 
国におかれては、この考えに基づき、「超リスクの高い一桁国道」の改善に向け、最大限の取り組みをいただきますよう切にお願いする次第です。
 


【(上)阿曽付近から夕日を望む(下)赤崎付近でスタックする大型トラック。良きも悪きも国道8号のリアルな姿。】

コロナ禍を乗り越え、つなぐ「地域の宝」

ブログ 敦賀の歴史・文化

ここ最近は、300人前後で推移している福井県内の新型コロナウイルス新規感染者ですが、一昨日にはマスクの着用について政府の考え方が公表されました。
 
それによると、基本的な感染対策としての着用の位置づけは変更しないとしたうえで、2メートル以上を目安に、周りの人との距離が確保できる場面では、屋内で会話をする場合を除いて「着用の必要はない」とするほか、屋内で会話をする場合でも、十分な換気などの対策をとっていれば「外すこともできる」としています。
 
政府の公式見解が示されたことは歓迎するものの、現在の感染状況を見るに、正直「そうはいっても」という気持ちがある訳ですが、ここは基本的考え方を認識しつつ、熱中症などのリスクに応じ、自己判断していきたいと思います。
 
公表の際、後藤厚生労働大臣は記者団に「日常の経済活動や社会活動を正常化していくことと、基本的な感染対策としてのマスクの着用は両立し得る。今後とも感染状況などの変更によってマスクの着用やその他の対策についても、エビデンスベースで対応していく」と述べましたが、今回のように「エビデンスベース」で国民に説明していくことが非常に重要と考えることから、今後もその考えに沿った対応をお願いする次第です。
 
さて、そうした中、昨朝福井新聞を開くと、コロナ禍前に完全に戻ったかのような記事が飛び込んできました。
 
以前に開催決定と報じられていた北陸三大祭りの一つ「三国祭」が20日に中日を迎え、記事によれば、呼び物の人形山車(にんぎょうやま)7基が福井県坂井市三国町旧市街地を練り歩いたとあり、3年ぶりに当番区の山車が勢ぞろいし、港町は活気に満ちあふれたとのこと。
 
「山車を動かす男衆たちは熱気を帯び、ひき手の力強いかじ取りで路地を縫うように練り歩いた。曲がり角では大きな音を立て旋回。威勢良いかけ声や囃子方の子どもたちの太鼓の音は夜まで響き渡った。」との記事、そして掲載された写真からは、祭りのにぎわいや活気が伝わってきた訳ですが、新型コロナウイルスの影響で、2020年は人形山車展示のみ、21年は規模を大幅に縮小して静かに巡行するなど制限されたこの祭りをこうして復活させたことを契機に、県内の催事も徐々に再開されていくのではと感じた次第です。
 
ここ敦賀において注目されるのは、お盆時期の「とうろう流しと大花火大会」、9月初めの「敦賀まつり」になろうかと思いますが、一部、花火大会に関しては規模を縮小して開催する方向とも聞こえてくるところ。
 
「敦賀はどうするんや?」と聞かれることも次第に増えてきているところでありますが、私としましては、地元地域の皆さんを始め、各関係団体のご判断を尊重すべきと考えるところであり、「今暫しお待ちください」とお答えしているところです。
 
こうした「開催への期待」は、裏を返せば「地域行事の大切さ」を思う気持ちの表れと受け止める次第であり、コロナ禍の制限で一層、その気持ちを高めることになっているのかとも考える次第(ポジティブに考えればですが…)。
 
そのうえで、同じ港町敦賀には三国に負けない山車(やま)があります。
 
先日、「みなとつるが山車会館」にてその姿を拝見してきましたが、建物の中に保存されている山車は、どこか寂しげに映りました。
 
館内に掲示された写真や映像を見るに、やはり似合うのは、氣比神宮の大鳥居前に勇壮と並ぶ姿、子どもから大人まで元気の良い掛け声に合わせてひかれる姿。
 
元々、霊や疫神を町の外へ送り出そうとしたのが山車の祭りのはじまりだと考えられていますが、こうした意味を持ち、大切に保存されてきた山車は「地域の宝」。
 
このコロナ禍を乗り越え、「この宝」を継承していくことこそまさに、歴史をつなぎ、地域のコミュニティをつなぐことであり、私たち市民の役割だと改めて認識する次第です。
 

【山車会館で鑑賞した迫力ある山車。皆さんもぜひ足を運んでみてください。】
 
 →→→遠方の方はこちらから、「山車会館」のホームページ」をご覧ください

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