自分や大切な人の健康を祈る「小寒」

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最大9連休となった年末年始。
 
年末の帰省ラッシュから、今度はUターンがピークを迎え、JR西日本によると、4日の敦賀発東京行き北陸新幹線の指定席は始発から全便が予約でほぼ埋まったほか、金沢または敦賀発の「はくたか」9本のうち5本で自由席乗車率が100%を超えた(同日午後4時現在)とのこと。
 
北陸新幹線敦賀開業から初めて迎える年末年始でしたが、ふる里で過ごした家族や友人との時間、或いは郷土料理やおふくろの味で感じた優しさや癒し、また迎える側も同じく、子や孫の成長を喜び、エールを寄せるなど、様々な思いを乗せて走る新幹線。
 
言わば、北陸新幹線に乗るとふる里を思い出す。
 
単に高速交通網としての乗り物としてではなく、これからは皆さんの思い出と新幹線が紐づくことになるんだなぁと、感慨深く思った次第です。
 
さて、連休最後の今日からは、二十四節気の「小寒」に入ります。
 
小寒とは文字どおり「寒さがまだ小さい」という意味を表す言葉であり、小寒の初日を「寒の入り」というように、冬の冷え込みが徐々に厳しくなってくる季節。
 
なお、一年のなかで寒さがもっとも厳しくなる次の節気「大寒」とをあわせた約30日間は「寒の内」と呼ばれます。
 
小寒の時期には寒中見舞いを送り、七草粥や小豆粥を食べて、自分や大切な人の健康を祈りながら過ごすのが風習だそうで、ひとつでも生活に取り入れることで、季節を感じてみてはいかがでしょうか。
 
自分はといえば、寒さに負けじと年明けから再開したのがランニング(ジョギング)。
 
50歳を過ぎて、健康管理のためと言えば聞こえは良いのですが、理由は「ふっくら」してきた顔や身体を絞るため。
 
「健全な精神は健全な身体に宿る」とも言うとおり、身体を動かすと気持ちもスッキリするもの。
 

【昨日は小雨降るなか「カッパRun」。野坂の麓から敦賀湾方面を見る。】
 
これで「3日坊主」は過ぎましたが、自分を律するというストイックな目的だけでは辛いもの。
 
小寒、大寒もさることながら、自然の中で身体を動かすことで、二十四節気の季節の移り変わりを感じ、楽しみながら、まずはこの一年続けていきたいと思います。
 
皆様方におかれましては今後、私の容姿に変化があれば「効果あり」、なければ「叱咤」の声を掛けていただければ幸いです。

令和6年も大変お世話になりました

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27日から実施していた、町内の年末特別警戒パトロール。
 
ここまで雨続きでしたが、最終日の昨日は「終わり良ければすべて良し」と思える好天。
 
星が輝く夜空のもと、皆さんと気持ち良く活動することができました。
 

【家を出るとこの夜空。お天道様に感謝した次第。】
 
年末特別警戒に関しては、防災部員の皆様の丁寧な声掛けに加え、住民の方々が「4日間のうち1度は参加を」との呼び掛けに応じていただいた結果、述べ参加人数は200名超え。
 
昨晩は2組の親子連れにお越しいただくなど、こうして世代を超えて、多くの町民が参加し、防火・防災意識を高めることはまさに「共助」につながる「防災力」であり、今後も住民の皆さんと協力し、わが町の「地域の力」を高めるため、汗をかいていきたいと思います。
 
さて、今日は大晦日。
 
令和6年もいよいよ終わりです。
 
元日の能登半島地震から始まった令和6年。
 
被災した能登の復旧は今なお続いていますが、敦賀でも震度4、津波警報が発表され、自然災害の恐ろしさを目の当たりにするとともに、「災害に備えるまちづくり」の重要性を一層認識。
 
自身も、3月定例会の一般質問で取上げました。
 
3月16日には、半世紀に亘る悲願であり、敦賀にとって「歴史の転換点」となる「北陸新幹線開業」を迎えました。
 
観光入込客の増加はあるものの、いま敦賀市が進めているよう、今後は「開業効果」から真の「新幹線効果」へ取組むことが肝要。
 
歴史から学ぶ敦賀の盛衰は、鉄道や港が「独占状態」にあるかないかがポイントであり、北陸新幹線「敦賀以西」の延伸やリニヤの東京ー名古屋間開業など、今後の高速交通網発展までに何をするかが極めて重要と認識するところ。
 
また、私ごとでいえば、6月定例会において副議長に推挙いただき、これまでと違った役割のもと、議会運営に携わることに。
 
議会は「言論の府」であり、全体の奉仕者として、さらには市民の規範となるような言動が求められる立場において、正副議長はその中でも最たる責務を担っているとの思いのもと努めていますが、市民の皆様にはどう映っているか。
 
引き続き、自分自身を律するのみならず、議会全体があるべき姿となるよう尽力してまいります。
 
政党活動においては、10月に行われた衆院選にて、所属する国民民主党が7議席から28議席へと大躍進。
 
直近の政党支持率では14%と、全体の2位に浮上しているところですが、これは「103万の壁」引上げに代表されるよう、国民の皆さんとお約束した選挙公約の実現に実直に取り組んでいるものであり、決してパフォーマンスではないと自負するところ。
 
少数与党であるか否かに関わらず、旧来の批判やスキャンダル狙い、いわば「足の引張り合い」の政治から、「政策主導」「政策論争」の政治に変わりつつあるものであり、これぞ本来あるべき「国家、国民のための政治」。
 
一所属議員、一地方議員で微力なれど、国民民主党のさらなる党勢拡大が日本を、地域を良くすると思い、活動を継続していきます。
 
プライベートに関しては、先に挙げた地域での活動はもとより、市民歴史団体「気比史学会」、夏は「敦賀港カッターレース」の事務局を担い、それぞれ大いに学び、また感動があった次第です。
 
そして何といってもこの一年、健康で充実した年を送れたのも、地域の皆さん、仲間の皆さん、家族の支えがあってこそ。
 
お世話になったすべての皆様に深く感謝申し上げます。
 
昨日は、去り行く一年を思うかの夕日。
 
思えば、こうした郷土の風景にも元気づけられました。
 
雄大な景色、自然を思えば、つくづく人間は生かされていると思う次第。
 
一年の終わりにこの風景に出会えたことにも感謝をし、令和6年最後のブログといたします。
 
拙い日々のブログをご覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。
 
それでは皆様、良いお年をお迎えください。
 

【昨日の夕日。沈みゆく太陽はまた昇る。人生の如き。】

民社の理念「自由・公正・友愛」の精神絶やすことなかれ

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年の瀬に悲しい知らせ。
 
敦賀市議会議員(4期)、福井県議会議員(1期)を務められた安居喜義(やすいきよし)さんが昨日、逝去されました。
 
享年79歳。
 
市議時代は東洋紡労組、県議では連合福井の推薦を受け、働く者の立場から政治の場でご活躍され、晩年は地元で農作業などに勤しまれていました。
 
私と安居さんとの関係については、父が東洋紡労組の役員であったことや、私自身、安居さんが議員時代にちょうど、嶺南地区友愛会(その後解散)事務局長や原電総連敦賀総支部長、連合福井嶺南地域協議会(当時は敦賀美方地域協議会)の役員を務めていたことから、様々な場で近しくお話しさせていただき、多くのご指導を賜ったところ。
 
議員になってからは礼を欠いてしまい、小河のご自宅には選挙前しかお伺いできませんでしたが、お会いするといつも笑顔で、「山本君、元気に頑張っとるか」とお声掛けいただいたことを思い出します。
 
こうして80歳を前に逝去されたことは誠に残念でなりませんが、生前を偲ぶとともに、市政、県政発展にご尽力いただいたことへの心からの敬意と感謝を込めて、哀悼の意を表する次第です。
 
安居さん、今まで本当にありがとうございました。
 
安らかにお眠りください。
 
さて、世間一般的には本日、仕事納め(役所関係は御用納め)。
 
一昨日は、西浦(名子)で今年最後となる辻立ちを行いましたが、その日は気温4℃ながら、久々に青空が広がる天気のもと、年末のご挨拶の気持ちを込めて活動したところ。
 

【今年最後の辻立ちに思いを込めて】
 
この日の相方からは、「今年のラストが僕で良かったです!」と嬉しい言葉もいただきましたが、今年も一年、毎週一緒に立ち続けてくれた仲間の皆さんに感謝した次第です。
 
改めて、労組の仲間を思えば、先の安居喜義さん、故山根徳男さん(元県議、同じく東洋紡労組)は、旧同盟・旧友愛系の労組出身で、政治の場においては民社の系を継がれた方。
 
敦賀ではいま、その血を汲むものは私しかいませんが、ここで民社の系を絶やす訳にはいきません。
 
民社の理念である「自由・公正・友愛」の精神に基づき、建設的かつ現実的な政策実現を通じて、平和で豊かな国づくり、地域づくりを目指すとともに、理念を共有する仲間を一人でも増やす。
 
そんな思いを誓う、仕事納めの日の朝。
 

【一昨日朝の景色。安居さん安からに。合掌。】

「主観的な幸せの実感(ウェルビーイング)」を考える

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昨日は、福井県嶺南振興局共創文化創出事業の一環「REINANゆるピッチコンテスト」で採択された、養生デザイン(敦賀市)の「※ウェルビーイングや幸せの実感を高める事業」の取組みにお声掛けいただき参加。
 
※ウェルビーイング(Well-being)とは?
well(よい)とbeing(状態)からなる言葉。世界保健機関(WHO)では、ウェルビーイングのことを個人や社会のよい状態。健康と同じように日常生活の一要素であり、社会的、経済的、環境的な状況によって決定されると紹介しています。
 
こちらは、8月に東京渋谷のQWSで行われたワークショップ「北陸新幹線の終着駅から考える、地方ビジネスの可能性とは?in SHIBUYA QWS」にて、養生デザインが提案したプランをブラッシュアップする観点から、8月のワークショップに参加された方に実際敦賀にお越しいただき、地元の様々な職種の皆さんとともに、「ウェルビーイングツーリズムを入口にしたウェルビーイングな働き方と経営へ導く提案になるのか」をテーマにフィードバックするというもの。
 

【養生デザインからのプレゼンの後、皆で意見交換しました】
 
事業の軸を「身体のサインをひろう」、「健康をデザインする」に置く養生デザインが考えるウェルビーイングツアーとは、いま在る暮らしや日常を大切にし、健康について知ることによって自分の身体に気付く+他のコンテンツを結びつけ、付加価値とすることで、より高い意味合い、関係者とのより広いつながりを目指すものであり、他の参加者と意見交換する中で私自身、大変勉強になった次第です。
 
私は、約3時間のフィードバックセッションのみの参加でしたが、その後ご一行様は若狭町に移動しお食事、本日は嶺南地域をフィールドワークされるとのこと。
 
「雪が降るかも」という天気回りではあるものの、まさに「北陸の冬の日常」を実感いただくことで客観的な気付きやヒントをいただくとともに、何より安全に行程を進めていただくことを願う次第です。
 
さて、「ウェルビーイング」や「幸せ」に関していえば、「全47都道府県幸福度ランキング2024年版」(一般財団法人日本総合研究所編)において、福井県が総合1位と10月に発表。
 
幸福度ランキングとは、一般財団法人日本総合研究所が、一人あたり県民所得などの基本指標と分野別指標(健康、文化、仕事、生活、教育)など全85指標により都道府県の幸福度を算出するもので、福井県はなんと、2014年版、2016年版、2018年版、2020年版、2020年版に続き、6回連続の「幸福度日本一」。
 
繊維・眼鏡などのものづくり産業を中心に安定した雇用環境があり、失業率が低く、働く女性や高齢者の割合が高いことや子どもたちは家族や地域に見守られながら安心して勉強や運動に打ち込める環境があり、学力・体力の高さにつながっていること。
 
こうした環境で育った優秀な人材がまた福井県を支えるという好循環が、「幸福度日本一ふくい」の基盤になっていると評価されています。
 

【「全47都道府県幸福度ランキング2024年版」における福井県の評価】
 
一方、全47都道府県幸福度ランキングの調査結果は、各種客観指標による客観的幸福度を統計データから数値化したものであり、県民一人ひとりの主観的な幸福感、すなわち主観的ウェルビーイングを県民に尋ね反映したものではないことに留意が必要であることも背景に、福井県では、こうした客観的な幸せ指標に加え、主観的な幸せの実感(ウェルビーイング)を高める取組みにも力を入れており、幸福度日本一の福井県と一緒に、幸せ実感・ウェルビーイングの向上に向けた「幸せ実感プロジェクト」に取り組んでいただける企業、大学、公的機関を募集するところ。
 
なお、世界の幸福度に関する潮流を捉えると、人々の幸福・幸せへのアプローチのメインストリームは、主観的ウェルビーイングの測定にあり、昨今、様々な国際機関・国・地域にてその実践が見られています。
 
また,「全47都道府県幸福度ランキング2020年度版」では、幸福度ランキングの進化として「自らの行動による幸福実感」をメッセージに掲げ、客観的指標だけでは捉えることのできない、主観的なウェルビーイングの重要性にも言及していることなども踏まえ、福井県では「県民ウェルビーイングに関する調査」を行なっています。
 
調査は、福井県在住の満18歳以上の住民基本台帳から福井県内市町の人口割にて無作為抽出した3,000人を対象、2022年10月28日から11月18日までの期間で実施。
 
福井県立大学が、本調査結果を考察した研究論文『ウェルビーイングの視点からの福井県の地域づくりの課題と可能性』のまとめには、以下のようにありました。
 
「主観的ウェルビーイング度と居場所と舞台の実感に関しては、正の相関関係が見られた。県民が心身の健康と社会のつながりを実感しよりよく生きるために、居場所と舞台という二つの場の重要性を確認することができた。今回明らかになった「仕事」分野と「文化」分野の課題に対しても、居場所と舞台という場づくりは「仕事」分野では、働く環境・職場において、ほっとできる居場所や自分らしく活躍できる舞台。また「文化」分野においては、文化芸術活動を通じてともに居合わせる居場所や自己表現ができる舞台と効果が期待される具体的なアプローチである。居場所と舞台という2つの場の概念は、ウェルビーイング社会に向けた媒介目標としての展開可能性を有していると考える
 
 →ウェルビーイングの視点からの福井県の地域づくりの課題と可能性(研究論文:福井県立大学)
 
個のみならず地域社会全体で取り組む今後のキーワードは「ウェルビーイング」ではないかと。
 
養生デザインの取組みの進化、深化を祈念しつつ、昨日は自分自身も意識転換を図る、契機の日となった次第です。

「努力の天才」が日本歴代3位で優勝

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公務のない日曜日。
 
所用を済ませた後は、常に頭にありながら後送りしていた書類の作成やタイヤ交換など、身の回りのことで時間を過ごしました。
 
今年も冬支度の季節になったかと思えば、はや12月。
 
一年が本当に「あっ」という間と感じたところですが、月並みな言葉ではあるものの、悔いなき一年にするためにも、残り1ヶ月も一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。
 
さて、「ながら仕事」で知った情報となりますが、書類を作成しながらチラ観していたのは「福岡国際マラソン2024」。
 
私にとって、福岡国際マラソンといえば、瀬古選手が爆発的なラストスパートでイカンガー選手を制した、あの時の記憶が蘇ってくる訳ですが、その後も数々のドラマを生んだ日本有数の大会。
 
その大会が昨日、福岡市の平和台陸上競技場発着で行われ、吉田祐也(GMOインターネットグループ)が日本歴代3位となる2時間5分16秒で制しました。
 
終盤独走となるなか、最後までスピードは衰えることのない圧巻の走りであり、来年9月の世界選手権東京大会の参加標準記録(2時間6分30秒)も突破。
 
初の代表入りにも前進しました。
 

【見事な走りでゴールテープを切る吉田祐也選手】
 
なお、青学大で競技をやめる予定だった吉田選手は、4年時の2020年2月の別府大分マラソンで2時間8分30秒をマーク。
 
一般企業の内定を辞退し実業団に進み、同年12月の福岡国際で日本歴代9位(当時)の2時間7分5秒で優勝。
 
以降は振るわなかったものの、今年2月の大阪では2時間6分37秒と自己ベストを更新して4位となるなど、復調の兆しの中迎えた今回の大会とあって、レース後の場内インタビューでは「2020年に初優勝してから、この4年間は本当に辛かったことや悔しかったことがあまりにも多すぎて…」と号泣。
 
「目標から遠ざかっていく自分がいまいましくてならなかったんですけど、たくさんの方が支えてくれたから、今こうしてこういうレースができたと思います」と深々とお辞儀したシーンが印象的であり、走りでお返しした吉田選手に思わず拍手を送った次第です。
 
また、レース中から何度も、吉田選手のことを「努力の天才」と呼んでいたのは恩師の青学大・原晋監督。
 
テレビ中継で解説を務めた原監督も感激し、レース後「本当に涙が出ますね。感動します。私の1番の嬉しさは教え子が活躍してくれていること。本当に、努力の天才なんですよ、彼」と惜しみない賛辞を送りました。
 
まさに「努力は裏切らない」を形で示したレースに、元気付けられた方も多いと思いますが、私もその一人。
 
この後テレビを消し、書類作成のペン(タイプ)が走ったことは言うまでもありませんが、例え花咲かずとも、自分の目標や目的に向かってコツコツと、日々努力を重ねることは必ずや人生の糧になる。
 
改めて、その思いを強くしつつ、一夜明け、本日は月曜日。
 
週はじめ恒例の街頭活動に、今から出掛けてまいります。

土俵から地元にエールを送る「大の里関の優勝」

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「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、一気に涼しくなった昨日。
 
窓を開けていると夜は寒いくらいで、締め切って寝ましたが、朝方にサッと降った雨で一段と過ごしやすくなった気がします。
 
なお、今朝の散歩中、昇る朝日とともに出会ったのは見事な虹。
 

【見事な半円を描くレインボー】
 
ふと、記録的豪雨に遭った能登半島でも、この虹が架かっているといいなと思ったところ。
 
この豪雨に関しては、報じられる目を覆うような光景に、改めて自然の恐ろしさを感じるとともに、不安な生活を余儀なくされている住民の方々の心中を察するところであり、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げる次第です。
 
さて、そうした状況の中で、地域外の者が軽々に申し上げるべきではないのかもしれませんが、石川県の皆さんを元気づける出来事は、大相撲の関脇大の里の優勝ではなかったかと。
 
大の里は同県津幡町出身。
 
元日に発生した能登半島地震に心を痛め、初土俵から所要7場所での最速初優勝を遂げた夏場所後の6月2日には金沢市内の避難所を訪問した際には、「(優勝と大関昇進の)明るい話題で元気になってほしい」と話していました。
 
さらにこの秋場所では、14日目の21日に2度目の優勝を果たし、直近の3場所で2度の優勝を含む計34勝を挙げ、大関昇進を確実にするとともに、初土俵から所要9場所での新大関は、昭和以降で最速の記録とのこと。
 
優勝を決めた取組後、地元の石川県が能登地方を中心に記録的豪雨に見舞われたことについて、大の里関は「暗いニュースで大変な状況。自分の優勝が力になって、少しでもいい報告ができたら」と思いを述べており、まさに土俵から地元にエールを送っており、被災された皆さんにとっては、落胆の中にもひとつの元気や勇気になったのではと思った次第です。
 
なお、大の里の四股名(しこな)は大正から昭和にかけ、小兵ながら大関を7年務めた大ノ里に由来し、師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)が、角界を背負える弟子が現れたときに授けようと温めてきたとあります。
 
出世に髪の伸びが追いつかない大の里関は、角界の大器。
 
これも軽々に言ってはいけないのかもしれませんが、今後綱取りへと向かう大の里関の活躍が能登を始め石川の皆さんの力となり、復旧・復興も出世と同様、スピードを上げて進むことを願ってやみません。

SNSで生まれる「相互理解」

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雨を覚悟していた、昨朝の週初め街宣。
 
予報が外れて歓迎するのはこういう時で、雲に覆われつつも、雨には降られることなく無事に街頭活動を終えることができました。
 
またこれまでは、30分も話していると汗が背中を滴る暑さが続いてきましたが、昨日は暑さも和らぎ、汗を拭くこともなく。
 
最近は、朝散歩で見る風景も徐々に進む稲刈りシーンに切り替わり、「敦賀まつり」に合わせて秋の訪れを感じる次第です。
 

【野坂山と稲刈り後の風景(2024年8月31日 やまたけ撮影)】
 
さて、最近あった嬉しいことのひとつとして、8月28日のブログでは「一通のお便りと甲子園球場の切手」のタイトルで、市民の方から叱咤激励を頂戴したことをご紹介しましたが、ここ数日は、SNSでのやり取りで嬉しいことが。
 
自身が発信しているSNS媒体には、X(旧Twitter)、Facebook、Instagram、LINE VOOMと4種類ありますが、この中でも最も拡散性が高いのは「X」。
 
他の3種類と違い、Xの場合は元々「つぶやく」の由来にあるよう、思ったことを都度発信しても構わない(他の3種類もダメではありませんが)ものであることから、以前から利用しているもの。
 
一方、パリオリンピックでも選手への誹謗中傷が取り上げられたよう、匿名で投稿できることなどから「攻撃性」も高く、「バズる」こともあれば「炎上」することもあるというリスクがあり、その辺りは公人として気を使ってポスト(投稿)しているところです。
 
そうしたところ、以前には、エネルギー関連のことでポストした際、批判的と思われるコメントに対し返信したところ、意外やその後、こちらの考えをご理解いただいたうえ、激励の言葉まであり、恐れずに双方向コミュニケーションを図っていくことが大事と感じた次第。
 
8月29日には、敦賀2号の審査書案「了承」を受けてコメントした、福井新聞の記事を紹介ポストすると、ある方から「だからさ、要不要の問題有るにしても基準の問題でしよ?建て直し含めて2号機が必要って話ではないのだから、科学の話をしよう。」とのコメントあり。
 
私の本意が伝わっていないと思い、説明の返信をするとご理解いただけたようで、その方からは以下の返信がありました。
 
(以下、原文のママ)
 
「有益な情報ありがとう御座います。
審査落ち及びその理由から、「電気が足りなくなる、酷い、言いがかり」等の言説が飛び交っていまして、原発推進派の私としても気になっていたので、あの様なリプしました。
おっしゃる通り断層の評価がこの問題の本質であり、そこは科学的に行い安心の上再稼働を行い、電力需要を賄えるしっかりとしたエネルギー供給をお願いしたいです。以上ありがとう御座います。」
 
すると今度は別の方から、「NRA(※1)の審査を外部から監視して適切なものにするよう法律を作るしか無いでしょう。玉木さん(※2)、最近エネルギー問題には投稿少ないですね。」とのコメント。
 
※1:原子力規制委員会
※2:国民民主党代表
 
これにも返信すると、その方からは、
 
「NRAの監視役は必要です。これは国政レベルでやる事。山本議員が国会議員になってガンガンやって頂くのが一番だとは思いますが、、、今のままでは、再処理、革新軽水炉、高温ガス炉、SMR、、、全部彼らが止めますよ。彼らは止めるために仕事してますから。」
 
とあり、私への過分なる言葉への御礼とともに、再返信した次第です。
 
長々と事例紹介をしてしまいましたが、言いたいことは、SNS、特に匿名で投稿できるものは「顔が見えない」ことから、文面だけでは読み取れないことが多々あり、そこをクリアしていくにはやはり、批判を恐れず返信すること、丁寧にやり取りすることと改めて認識するところです。
 
併せて、こうして「双方向コミュニケーション」から「相互理解」が生まれることを嬉しく思う次第です。
 
なお、皆様方におかれましては、先に述べた各種SNSの中でご利用のものがあれば、「山本武志」あるいは「山本たけし」で検索いただき(このホームページのトップにはQRコードも掲載しています)、ご覧いただければありがたく存じます。
 
結びに、敦賀2号審査のやり取りから、最後は日本の原子力規制のあり方にまで発展した際の、私の返信を参考まで掲載いたしますので、この考えにもぜひ「双方向コミュニケーション」で、理解を深めていければと存じます。
 
<以下、Xでの私の返信> 制限140字を(続)でつないでポストしています
 
私のポストをきっかけに、こうしてご議論いただきありがとうございます。また、@h76e さんの私に対する過分なるお言葉にも感謝です。
米NRCの「活動原則」にあって、NRAにないのが「効率性」。規制活動は、それにより達成されるリスク低減に見合ったものであるべき、有効な選択肢が複数ある場合(続)
 
(続)は、リソースの消費が最小限となる選択肢を採るべき、規制の判断は不必要な遅れが生じないようにすべきとの原理があります。つまりは、規制による国民生活や経済活動への影響とのバランスを考慮している点が、日本と大きく違う点と考えます。
ですので、科学技術的な部分に政治が影響を(続)
 
(続)与えるという意味ではなく、原子力規制が「国益」と直結するとの観点から、規制システムの見直しを提起する役割や責務は国会にあると思いますし、国策として「原子力の最大限活用」を掲げるのであれば尚のこと、今こそ必要なことではと考える次第です。
なお、原子力規制の「効率性」に(続)
 
(続)関してはアメリカのみならず、フランスもイギリスも取り入れている、いわば「世界標準」と認識しています。
「効率性」というと「安全を蔑ろにするのか」との声が挙がりそうですが、先に述べた通り、原子力の再稼働が進んでいないことを主要因とした現在のエネルギー危機と(続)
 
(続)稼働が進む、あるいは今後の原子力開発を含め、これによって得られる「国益」を考え、国家観をもって判断するのは「政治」の場でしかないと考えます。
長々と、且つ偉そうに申し上げましたが、私がお伝えしたかったことは以上です。釈迦に説法のような話であったなら聞き流してください(終)
 
本日のブログは以上です。

「生きる」ということ

ブログ 人生観

昨夜参列したお通夜。
 
悲しみに打ちひしがれるご家族を前にお慰めする言葉すら見つからず、ただお辞儀をするしかありませんでした。
 
参列された多くの方も同じ心境ではなかったかと思います。
 
突然の訃報に触れ、本当に残念でなりませんでしたが、ただただ若くして逝った故人のご冥福を心からお祈りいたします。
 
皆様もそうであるよう、私自身もこれまで、親族や身近な人の死に直面し、その際、人の生死について考える場面が多々ありました。
 
その際出会ったのが、詩人・谷川俊太郎さんが代表作のひとつ「生きる」(絵本)について語った言葉。
 
そこには、
 
ウォーコップというイギリスの哲学者は、生きることを「生きる挙動:living behaviour」と「死を回避する挙動:death-avoiding behaviour」の二つに分けています。僕には、現代人の行動のほとんどは死を回避する挙動ばかりに見える。「生きる挙動」というのは内部からわいてくるエネルギーみたいなもので、こっちのほうが大事だと思う。この絵本は、死を回避するほうではなくて、生きる挙動について書いている。
 
人間にとっては生活よりも生きることの方が大事です。生活するということは、どうしても社会との関係で、給料をもらったりとか、人とつきあったりすることが必要でしょう? 生きるというのは、人間も哺乳類の一つとして、命をもった存在として、宇宙の中で生きるということ。自分が宇宙の中の存在であると同時に、人間社会の中の存在であるという二重性がある。詩を書くときはその両方をちゃんと持っていなきゃいけない。
 
との「生きる」ということへの思いが込められていました。
 
お見送りする命を思うたび、「生きる挙動」の意味合い、「生かされている」ことの尊厳を深く考える次第です。
 
今日は、気持ち的にもこれ以上書くことはやめます。
 
故人が安らかに眠られることを心から願い、合掌。
 

【やることは、自分は何のために生きるのかを考え、一日一日を精一杯生きるのみ】

お互いの生徒が美しかった「激闘」 〜甲子園史に残る早実vs大社戦〜

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お盆も終わり、約1週間帰省していたわが家の長女も昨日、東京へ戻って行きました。
 
最後のお昼には、故郷のパワーチャージとばかりに「ヨーロッパ軒」をしっかりと味わってもらいましたが、敦賀のソウルフードも胸に、何をおいても健康第一でまた頑張って欲しいと思います。
 
こうしてお盆も過ぎると晩夏、季節は秋へと言いたいところですが、私の中で夏の終わりを告げるのは「甲子園の決勝戦」。
 
つまりは、今はまだ夏真っ盛りな訳ですが、それを象徴するかの如く、熱戦続く「第106回全国高校野球選手権大会」で昨日は「壮絶な」試合がありました。
 
その試合は、ベスト8進出を決める3回戦最後に登場した、早稲田実業(西東京)vs大社(島根)。
 
夏の選手権第1回から出場を続ける伝統校同士の対決は、まさに手に汗握る大接戦のうえ、大社が延長11回タイブレークの末、3―2で早稲田実業(以下、早実)にサヨナラ勝ちし、93年ぶりの準々決勝進出を果たしました。
 
両校ともに2回戦をタイブレークで制し勝ち上がってきましたが、この日も中盤まで同点のまま進む緊迫した試合展開。
 
試合が動いたのは1―1の7回表、早実の先頭打者が放った打球をセンターが後逸し、まさかのランニングホームランで勝ち越し。
 
万事休すと思われた9回裏、今度は早実の守備の乱れもあり、大社がスクイズで追いつき、なおも一死二、三塁の場面で球場がどよめく奇策に打って出たのが早実の和泉監督。
 
守備固めでレフトを交代させたと思いきや、代わって入った西村選手は外野に向かわず、ピッチャーと三塁の間を守らせる「内野5人シフト」を敷き(もちろんレフトはガラ空き)、続く大社の打者、藤原選手の打球は狙い通りそこに転がり、一塁へ投げて二死、さらに本塁に突入した三塁走者もアウトにスリーアウト。
 
記録上は「レフトゴロ」でサヨナラ負けを防ぎました。
 
この作戦を「奇策」と書きましたが、試合後、早実の和泉監督はインタビューで、西村選手の起用について「一番守備が安定している。スクイズだけはさせまいと思って。うまく彼のところにいって処理して、ホームタッチアウトもできた。予選からこういうのがあるよと練習はしていたが、練習試合を含めて試合では初めてだった。」と明かしました。
 
これも「想定内」とイメージのうえ、普段から練習していたことに脱帽した次第です。
 
この後、無死一、二塁から攻撃するタイブレークに入り、この場合の「鉄則」とも言える、まずは送りバントで二、三塁とすることを試みるも、両者素晴らしい守りでこれを防ぎ、試合は11回へ。
 
そして、この試合最大のポイントと言っても良い場面が、11回裏、大社の攻撃で代打で登場した安松選手。
 
両チームあれだけ決められなかった送りバントを、今大会初出場の安松選手が、見事に三塁線上に決めてチャンスを広げ、続くエース馬庭選手が決勝打を放ちサヨナラ勝ちとなった訳ですが、今度は大社石飛監督が、同じく試合後のインタビューで「もちろん(安松選手が)初出場なのは分かっていました。ただ、あの場面で選手たちに聞きました。“ここでバント決められる自信があるものは手を挙げろ”と。すると安松が手を挙げて”サード側に決めてきます”と」と話したところで声を詰まらせ、監督は「私は信じるだけでした」と絞り出しました。
 
また、石飛監督はインタビューで「選手、生徒の夢と可能性は無限大」、「試合の途中、ベンチではサヨナラで決めると言っていた」と、強豪早実を相手に凄まじい緊張感の中で、選手の可能性を信じ、勝利に向かって鼓舞し采配を振るった姿、言葉に感激した次第です。
 
この試合では、これ以外にも、7回に後逸で勝ち越しを許したセンター藤原選手に「気にするな」と手を振り、イニング終了後ベンチに戻っても励ます馬庭投手の姿があり、また馬庭投手のサヨナラ打に一番最初に抱きついたのが藤原選手であったなど、まさに地獄から天国へ、こうした人間ドラマに人生観を見た気がしたところです。
 
試合後の球場全体から両チームへの惜しみない拍手、早実の和泉監督が試合後のインタビューで涙して語った、「お互いの生徒が美しかった。負けは覚えられてないけど、今日の敗戦は監督を辞めても覚えていると思う」とうなずいたシーンが、この試合を物語っていましたが、まさに「激闘」。
 
甲子園100年の歴史に残る、100年以上の伝統を誇る両校の名勝負に涙し、心から拍手を送った次第です。
 
明治31(1898)年創立で、約3キロ離れた位置にある出雲大社に最も近い大社高校。
 
この日の実況が「神々の国からやって来た少年たちの快進撃は100年の甲子園でまだ続きます!」と言っていたとおり、次の準々決勝でも監督と選手、選手同士が信頼し合うこのチームの快進撃を期待して止みません。
 

【激闘を終えた甲子園球場。夏も残り3日。】

早田ひな選手の発言と特攻で逝った英霊の思い

ブログ 人生観

水戸、土浦、習志野、袖ケ浦、市川、世田谷、練馬、山梨、松本、諏訪、浜松、三河、尾張小牧、名古屋、岐阜、富山、石川、奈良、飛鳥、滋賀、京都、大阪、なにわ、堺、神戸…。
 
これは昨朝、名子のヨットハーバーで辻立ちをしていた際に、前を通過した車のナンバー。
 
割合は明らかに福井ナンバーを上回り、この後も続々と敦賀半島を先へ行く車の列は続きましたが、夏の思い出づくりに、敦賀の海を選択いただいたことを嬉しく感じた次第です。
 
と同時に、お盆時期と重なることもあって、こうした「平和」の大切さを感じたところですが、本日は終戦から79年となる8月15日。
 
政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われるほか、各地でも同様の追悼式が行われますが、先の大戦で犠牲となった約310万人のご冥福を心からお祈りいたします。
 
「先の大戦」に関しては、パリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルに輝いた早田ひな選手が13日、帰国記者会見で発言したことが話題になっています。
 
会見で「いまやりたいことは」と聞かれた早田選手は、「アンパンマンミュージアムに。ちょっとポーチを作りに行きたいなと思っているのと」と答えた上でさらに、「あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています」と続け、特攻に関する資料が展示される知覧特攻平和会館を行きたい場所として挙げました。
 
「知覧特攻平和会館」とは、大戦末期の沖縄戦において、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員1036人の遺品や関係資料を展示している場所ですが、早田選手の発言を受けて同会館は、「早田選手の発言でより多くの皆様に当会館のことを知っていただく機会をいただき大変ありがたく感じております。また、若い世代の『特攻』を知らない皆さんにもこれを機会にご来館いただき、特攻の史実を知っていただければ幸いと存じます」。
 
早田選手が来館した場合、どこを見て欲しい、どういう所を知って欲しいかとの問いには、「知覧特攻平和会館では隊員の多くは早田選手と年齢も近しい年代です。それらを見学いただくことで,会見でも話されておられるよう、生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさを感じていただければ幸いと考えます」と答えています。
 
その「知覧特攻平和会館」の詳細に関しては、以下のリンクよりぜひご覧いただきたく存じます。
 
 →「知覧特攻平和会館」ホームページはこちら
 
なお、ホームページには特攻隊員が家族や恋人に宛てた遺言や手紙が掲載(デジタルアーカイブ)されており、そのひとつをご紹介いたします。
 
これは、23歳の穴澤利夫大尉(戦死後の階級)が出撃前に婚約者に宛てた手紙で、女性がこの手紙を受け取ったのは戦死から4日後。
 
<原文抜粋>
 
今は徒(いたずら)に過去に於(お)ける長い交際のあとをたどり度(た)くない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与へ(え)て進ませて呉(く)れることと信ずる。然(しか)し、それとは別個に婚約をしてあった男性として、散って行く男子として、女性であるあなたに少し言って征(ゆ)き度(た)い。
 
「あなたの幸せを希ふ(ねがう)以外に何物もない」
 
「徒(いたずら)に過去の小義(しょうぎ)に拘(こだわ)る勿(なか)れ。あなたは過去に生きるのではない」
 
「勇気を持って、過去を忘れ、将来に新活面(しんかつめん)を見出すこと」
 
「あなたは、今後の一時(いっとき)一時(いっとき)の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界には、もう存在しない」
 
<引用終わり>
 
彼女の幸せを一途に願い、自分を忘れ、これからを生きよと切に伝える文面に言葉がありません。
 
特攻作戦を美化するつもりはありませんが、一途にこの国と愛する家族や恋人を守るため、若くして散ったその史実を語り継ぐこと、英霊たちの犠牲の上にあって、今の自分や家族の暮らし、今の平和があることを深く胸に刻む次第です。
 

【昭和20年4月12日、知覧高等女学校の生徒達が、出発線に向かう第20振武隊の穴澤利夫少尉(当時)を八重桜の枝を振って見送る場面(同館HPより引用)】
 
今日で終戦から79年を迎えますが、戦争を知らない世代が多くなる中、早田選手の今回の発言が、戦争や特攻についてあらゆる世代が学び、知覧に行かずとも、「生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさ」を実感する機会になればと願うとともに、勇気をもってこのような発言をされた早田選手に敬意と感謝を申し上げる所存です。
 
なお、終戦の日を前に昨日、岸田文雄首相が9月の自民党総裁選に出馬しない考えを示しました。
 
私は、このタイミングで表明したことに何かメッセージ性を感じずにはいられませんが、現政権与党のリーダーになる方には、自民党を守るためではなく、日本古来からの歴史を大切に国家観を持ち、先の大戦で犠牲になられた方々や拉致被害者、そのご家族の思いを受け止め、真にこの国を守り抜く覚悟のある方に就いていただきたい。
 
そのことだけを申し上げ、本日のブログを閉じたいと思います。

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