土俵から地元にエールを送る「大の里関の優勝」

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「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、一気に涼しくなった昨日。
 
窓を開けていると夜は寒いくらいで、締め切って寝ましたが、朝方にサッと降った雨で一段と過ごしやすくなった気がします。
 
なお、今朝の散歩中、昇る朝日とともに出会ったのは見事な虹。
 

【見事な半円を描くレインボー】
 
ふと、記録的豪雨に遭った能登半島でも、この虹が架かっているといいなと思ったところ。
 
この豪雨に関しては、報じられる目を覆うような光景に、改めて自然の恐ろしさを感じるとともに、不安な生活を余儀なくされている住民の方々の心中を察するところであり、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げる次第です。
 
さて、そうした状況の中で、地域外の者が軽々に申し上げるべきではないのかもしれませんが、石川県の皆さんを元気づける出来事は、大相撲の関脇大の里の優勝ではなかったかと。
 
大の里は同県津幡町出身。
 
元日に発生した能登半島地震に心を痛め、初土俵から所要7場所での最速初優勝を遂げた夏場所後の6月2日には金沢市内の避難所を訪問した際には、「(優勝と大関昇進の)明るい話題で元気になってほしい」と話していました。
 
さらにこの秋場所では、14日目の21日に2度目の優勝を果たし、直近の3場所で2度の優勝を含む計34勝を挙げ、大関昇進を確実にするとともに、初土俵から所要9場所での新大関は、昭和以降で最速の記録とのこと。
 
優勝を決めた取組後、地元の石川県が能登地方を中心に記録的豪雨に見舞われたことについて、大の里関は「暗いニュースで大変な状況。自分の優勝が力になって、少しでもいい報告ができたら」と思いを述べており、まさに土俵から地元にエールを送っており、被災された皆さんにとっては、落胆の中にもひとつの元気や勇気になったのではと思った次第です。
 
なお、大の里の四股名(しこな)は大正から昭和にかけ、小兵ながら大関を7年務めた大ノ里に由来し、師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)が、角界を背負える弟子が現れたときに授けようと温めてきたとあります。
 
出世に髪の伸びが追いつかない大の里関は、角界の大器。
 
これも軽々に言ってはいけないのかもしれませんが、今後綱取りへと向かう大の里関の活躍が能登を始め石川の皆さんの力となり、復旧・復興も出世と同様、スピードを上げて進むことを願ってやみません。

SNSで生まれる「相互理解」

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雨を覚悟していた、昨朝の週初め街宣。
 
予報が外れて歓迎するのはこういう時で、雲に覆われつつも、雨には降られることなく無事に街頭活動を終えることができました。
 
またこれまでは、30分も話していると汗が背中を滴る暑さが続いてきましたが、昨日は暑さも和らぎ、汗を拭くこともなく。
 
最近は、朝散歩で見る風景も徐々に進む稲刈りシーンに切り替わり、「敦賀まつり」に合わせて秋の訪れを感じる次第です。
 

【野坂山と稲刈り後の風景(2024年8月31日 やまたけ撮影)】
 
さて、最近あった嬉しいことのひとつとして、8月28日のブログでは「一通のお便りと甲子園球場の切手」のタイトルで、市民の方から叱咤激励を頂戴したことをご紹介しましたが、ここ数日は、SNSでのやり取りで嬉しいことが。
 
自身が発信しているSNS媒体には、X(旧Twitter)、Facebook、Instagram、LINE VOOMと4種類ありますが、この中でも最も拡散性が高いのは「X」。
 
他の3種類と違い、Xの場合は元々「つぶやく」の由来にあるよう、思ったことを都度発信しても構わない(他の3種類もダメではありませんが)ものであることから、以前から利用しているもの。
 
一方、パリオリンピックでも選手への誹謗中傷が取り上げられたよう、匿名で投稿できることなどから「攻撃性」も高く、「バズる」こともあれば「炎上」することもあるというリスクがあり、その辺りは公人として気を使ってポスト(投稿)しているところです。
 
そうしたところ、以前には、エネルギー関連のことでポストした際、批判的と思われるコメントに対し返信したところ、意外やその後、こちらの考えをご理解いただいたうえ、激励の言葉まであり、恐れずに双方向コミュニケーションを図っていくことが大事と感じた次第。
 
8月29日には、敦賀2号の審査書案「了承」を受けてコメントした、福井新聞の記事を紹介ポストすると、ある方から「だからさ、要不要の問題有るにしても基準の問題でしよ?建て直し含めて2号機が必要って話ではないのだから、科学の話をしよう。」とのコメントあり。
 
私の本意が伝わっていないと思い、説明の返信をするとご理解いただけたようで、その方からは以下の返信がありました。
 
(以下、原文のママ)
 
「有益な情報ありがとう御座います。
審査落ち及びその理由から、「電気が足りなくなる、酷い、言いがかり」等の言説が飛び交っていまして、原発推進派の私としても気になっていたので、あの様なリプしました。
おっしゃる通り断層の評価がこの問題の本質であり、そこは科学的に行い安心の上再稼働を行い、電力需要を賄えるしっかりとしたエネルギー供給をお願いしたいです。以上ありがとう御座います。」
 
すると今度は別の方から、「NRA(※1)の審査を外部から監視して適切なものにするよう法律を作るしか無いでしょう。玉木さん(※2)、最近エネルギー問題には投稿少ないですね。」とのコメント。
 
※1:原子力規制委員会
※2:国民民主党代表
 
これにも返信すると、その方からは、
 
「NRAの監視役は必要です。これは国政レベルでやる事。山本議員が国会議員になってガンガンやって頂くのが一番だとは思いますが、、、今のままでは、再処理、革新軽水炉、高温ガス炉、SMR、、、全部彼らが止めますよ。彼らは止めるために仕事してますから。」
 
とあり、私への過分なる言葉への御礼とともに、再返信した次第です。
 
長々と事例紹介をしてしまいましたが、言いたいことは、SNS、特に匿名で投稿できるものは「顔が見えない」ことから、文面だけでは読み取れないことが多々あり、そこをクリアしていくにはやはり、批判を恐れず返信すること、丁寧にやり取りすることと改めて認識するところです。
 
併せて、こうして「双方向コミュニケーション」から「相互理解」が生まれることを嬉しく思う次第です。
 
なお、皆様方におかれましては、先に述べた各種SNSの中でご利用のものがあれば、「山本武志」あるいは「山本たけし」で検索いただき(このホームページのトップにはQRコードも掲載しています)、ご覧いただければありがたく存じます。
 
結びに、敦賀2号審査のやり取りから、最後は日本の原子力規制のあり方にまで発展した際の、私の返信を参考まで掲載いたしますので、この考えにもぜひ「双方向コミュニケーション」で、理解を深めていければと存じます。
 
<以下、Xでの私の返信> 制限140字を(続)でつないでポストしています
 
私のポストをきっかけに、こうしてご議論いただきありがとうございます。また、@h76e さんの私に対する過分なるお言葉にも感謝です。
米NRCの「活動原則」にあって、NRAにないのが「効率性」。規制活動は、それにより達成されるリスク低減に見合ったものであるべき、有効な選択肢が複数ある場合(続)
 
(続)は、リソースの消費が最小限となる選択肢を採るべき、規制の判断は不必要な遅れが生じないようにすべきとの原理があります。つまりは、規制による国民生活や経済活動への影響とのバランスを考慮している点が、日本と大きく違う点と考えます。
ですので、科学技術的な部分に政治が影響を(続)
 
(続)与えるという意味ではなく、原子力規制が「国益」と直結するとの観点から、規制システムの見直しを提起する役割や責務は国会にあると思いますし、国策として「原子力の最大限活用」を掲げるのであれば尚のこと、今こそ必要なことではと考える次第です。
なお、原子力規制の「効率性」に(続)
 
(続)関してはアメリカのみならず、フランスもイギリスも取り入れている、いわば「世界標準」と認識しています。
「効率性」というと「安全を蔑ろにするのか」との声が挙がりそうですが、先に述べた通り、原子力の再稼働が進んでいないことを主要因とした現在のエネルギー危機と(続)
 
(続)稼働が進む、あるいは今後の原子力開発を含め、これによって得られる「国益」を考え、国家観をもって判断するのは「政治」の場でしかないと考えます。
長々と、且つ偉そうに申し上げましたが、私がお伝えしたかったことは以上です。釈迦に説法のような話であったなら聞き流してください(終)
 
本日のブログは以上です。

「生きる」ということ

ブログ 人生観

昨夜参列したお通夜。
 
悲しみに打ちひしがれるご家族を前にお慰めする言葉すら見つからず、ただお辞儀をするしかありませんでした。
 
参列された多くの方も同じ心境ではなかったかと思います。
 
突然の訃報に触れ、本当に残念でなりませんでしたが、ただただ若くして逝った故人のご冥福を心からお祈りいたします。
 
皆様もそうであるよう、私自身もこれまで、親族や身近な人の死に直面し、その際、人の生死について考える場面が多々ありました。
 
その際出会ったのが、詩人・谷川俊太郎さんが代表作のひとつ「生きる」(絵本)について語った言葉。
 
そこには、
 
ウォーコップというイギリスの哲学者は、生きることを「生きる挙動:living behaviour」と「死を回避する挙動:death-avoiding behaviour」の二つに分けています。僕には、現代人の行動のほとんどは死を回避する挙動ばかりに見える。「生きる挙動」というのは内部からわいてくるエネルギーみたいなもので、こっちのほうが大事だと思う。この絵本は、死を回避するほうではなくて、生きる挙動について書いている。
 
人間にとっては生活よりも生きることの方が大事です。生活するということは、どうしても社会との関係で、給料をもらったりとか、人とつきあったりすることが必要でしょう? 生きるというのは、人間も哺乳類の一つとして、命をもった存在として、宇宙の中で生きるということ。自分が宇宙の中の存在であると同時に、人間社会の中の存在であるという二重性がある。詩を書くときはその両方をちゃんと持っていなきゃいけない。
 
との「生きる」ということへの思いが込められていました。
 
お見送りする命を思うたび、「生きる挙動」の意味合い、「生かされている」ことの尊厳を深く考える次第です。
 
今日は、気持ち的にもこれ以上書くことはやめます。
 
故人が安らかに眠られることを心から願い、合掌。
 

【やることは、自分は何のために生きるのかを考え、一日一日を精一杯生きるのみ】

お互いの生徒が美しかった「激闘」 〜甲子園史に残る早実vs大社戦〜

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お盆も終わり、約1週間帰省していたわが家の長女も昨日、東京へ戻って行きました。
 
最後のお昼には、故郷のパワーチャージとばかりに「ヨーロッパ軒」をしっかりと味わってもらいましたが、敦賀のソウルフードも胸に、何をおいても健康第一でまた頑張って欲しいと思います。
 
こうしてお盆も過ぎると晩夏、季節は秋へと言いたいところですが、私の中で夏の終わりを告げるのは「甲子園の決勝戦」。
 
つまりは、今はまだ夏真っ盛りな訳ですが、それを象徴するかの如く、熱戦続く「第106回全国高校野球選手権大会」で昨日は「壮絶な」試合がありました。
 
その試合は、ベスト8進出を決める3回戦最後に登場した、早稲田実業(西東京)vs大社(島根)。
 
夏の選手権第1回から出場を続ける伝統校同士の対決は、まさに手に汗握る大接戦のうえ、大社が延長11回タイブレークの末、3―2で早稲田実業(以下、早実)にサヨナラ勝ちし、93年ぶりの準々決勝進出を果たしました。
 
両校ともに2回戦をタイブレークで制し勝ち上がってきましたが、この日も中盤まで同点のまま進む緊迫した試合展開。
 
試合が動いたのは1―1の7回表、早実の先頭打者が放った打球をセンターが後逸し、まさかのランニングホームランで勝ち越し。
 
万事休すと思われた9回裏、今度は早実の守備の乱れもあり、大社がスクイズで追いつき、なおも一死二、三塁の場面で球場がどよめく奇策に打って出たのが早実の和泉監督。
 
守備固めでレフトを交代させたと思いきや、代わって入った西村選手は外野に向かわず、ピッチャーと三塁の間を守らせる「内野5人シフト」を敷き(もちろんレフトはガラ空き)、続く大社の打者、藤原選手の打球は狙い通りそこに転がり、一塁へ投げて二死、さらに本塁に突入した三塁走者もアウトにスリーアウト。
 
記録上は「レフトゴロ」でサヨナラ負けを防ぎました。
 
この作戦を「奇策」と書きましたが、試合後、早実の和泉監督はインタビューで、西村選手の起用について「一番守備が安定している。スクイズだけはさせまいと思って。うまく彼のところにいって処理して、ホームタッチアウトもできた。予選からこういうのがあるよと練習はしていたが、練習試合を含めて試合では初めてだった。」と明かしました。
 
これも「想定内」とイメージのうえ、普段から練習していたことに脱帽した次第です。
 
この後、無死一、二塁から攻撃するタイブレークに入り、この場合の「鉄則」とも言える、まずは送りバントで二、三塁とすることを試みるも、両者素晴らしい守りでこれを防ぎ、試合は11回へ。
 
そして、この試合最大のポイントと言っても良い場面が、11回裏、大社の攻撃で代打で登場した安松選手。
 
両チームあれだけ決められなかった送りバントを、今大会初出場の安松選手が、見事に三塁線上に決めてチャンスを広げ、続くエース馬庭選手が決勝打を放ちサヨナラ勝ちとなった訳ですが、今度は大社石飛監督が、同じく試合後のインタビューで「もちろん(安松選手が)初出場なのは分かっていました。ただ、あの場面で選手たちに聞きました。“ここでバント決められる自信があるものは手を挙げろ”と。すると安松が手を挙げて”サード側に決めてきます”と」と話したところで声を詰まらせ、監督は「私は信じるだけでした」と絞り出しました。
 
また、石飛監督はインタビューで「選手、生徒の夢と可能性は無限大」、「試合の途中、ベンチではサヨナラで決めると言っていた」と、強豪早実を相手に凄まじい緊張感の中で、選手の可能性を信じ、勝利に向かって鼓舞し采配を振るった姿、言葉に感激した次第です。
 
この試合では、これ以外にも、7回に後逸で勝ち越しを許したセンター藤原選手に「気にするな」と手を振り、イニング終了後ベンチに戻っても励ます馬庭投手の姿があり、また馬庭投手のサヨナラ打に一番最初に抱きついたのが藤原選手であったなど、まさに地獄から天国へ、こうした人間ドラマに人生観を見た気がしたところです。
 
試合後の球場全体から両チームへの惜しみない拍手、早実の和泉監督が試合後のインタビューで涙して語った、「お互いの生徒が美しかった。負けは覚えられてないけど、今日の敗戦は監督を辞めても覚えていると思う」とうなずいたシーンが、この試合を物語っていましたが、まさに「激闘」。
 
甲子園100年の歴史に残る、100年以上の伝統を誇る両校の名勝負に涙し、心から拍手を送った次第です。
 
明治31(1898)年創立で、約3キロ離れた位置にある出雲大社に最も近い大社高校。
 
この日の実況が「神々の国からやって来た少年たちの快進撃は100年の甲子園でまだ続きます!」と言っていたとおり、次の準々決勝でも監督と選手、選手同士が信頼し合うこのチームの快進撃を期待して止みません。
 

【激闘を終えた甲子園球場。夏も残り3日。】

早田ひな選手の発言と特攻で逝った英霊の思い

ブログ 人生観

水戸、土浦、習志野、袖ケ浦、市川、世田谷、練馬、山梨、松本、諏訪、浜松、三河、尾張小牧、名古屋、岐阜、富山、石川、奈良、飛鳥、滋賀、京都、大阪、なにわ、堺、神戸…。
 
これは昨朝、名子のヨットハーバーで辻立ちをしていた際に、前を通過した車のナンバー。
 
割合は明らかに福井ナンバーを上回り、この後も続々と敦賀半島を先へ行く車の列は続きましたが、夏の思い出づくりに、敦賀の海を選択いただいたことを嬉しく感じた次第です。
 
と同時に、お盆時期と重なることもあって、こうした「平和」の大切さを感じたところですが、本日は終戦から79年となる8月15日。
 
政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われるほか、各地でも同様の追悼式が行われますが、先の大戦で犠牲となった約310万人のご冥福を心からお祈りいたします。
 
「先の大戦」に関しては、パリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルに輝いた早田ひな選手が13日、帰国記者会見で発言したことが話題になっています。
 
会見で「いまやりたいことは」と聞かれた早田選手は、「アンパンマンミュージアムに。ちょっとポーチを作りに行きたいなと思っているのと」と答えた上でさらに、「あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています」と続け、特攻に関する資料が展示される知覧特攻平和会館を行きたい場所として挙げました。
 
「知覧特攻平和会館」とは、大戦末期の沖縄戦において、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員1036人の遺品や関係資料を展示している場所ですが、早田選手の発言を受けて同会館は、「早田選手の発言でより多くの皆様に当会館のことを知っていただく機会をいただき大変ありがたく感じております。また、若い世代の『特攻』を知らない皆さんにもこれを機会にご来館いただき、特攻の史実を知っていただければ幸いと存じます」。
 
早田選手が来館した場合、どこを見て欲しい、どういう所を知って欲しいかとの問いには、「知覧特攻平和会館では隊員の多くは早田選手と年齢も近しい年代です。それらを見学いただくことで,会見でも話されておられるよう、生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさを感じていただければ幸いと考えます」と答えています。
 
その「知覧特攻平和会館」の詳細に関しては、以下のリンクよりぜひご覧いただきたく存じます。
 
 →「知覧特攻平和会館」ホームページはこちら
 
なお、ホームページには特攻隊員が家族や恋人に宛てた遺言や手紙が掲載(デジタルアーカイブ)されており、そのひとつをご紹介いたします。
 
これは、23歳の穴澤利夫大尉(戦死後の階級)が出撃前に婚約者に宛てた手紙で、女性がこの手紙を受け取ったのは戦死から4日後。
 
<原文抜粋>
 
今は徒(いたずら)に過去に於(お)ける長い交際のあとをたどり度(た)くない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与へ(え)て進ませて呉(く)れることと信ずる。然(しか)し、それとは別個に婚約をしてあった男性として、散って行く男子として、女性であるあなたに少し言って征(ゆ)き度(た)い。
 
「あなたの幸せを希ふ(ねがう)以外に何物もない」
 
「徒(いたずら)に過去の小義(しょうぎ)に拘(こだわ)る勿(なか)れ。あなたは過去に生きるのではない」
 
「勇気を持って、過去を忘れ、将来に新活面(しんかつめん)を見出すこと」
 
「あなたは、今後の一時(いっとき)一時(いっとき)の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界には、もう存在しない」
 
<引用終わり>
 
彼女の幸せを一途に願い、自分を忘れ、これからを生きよと切に伝える文面に言葉がありません。
 
特攻作戦を美化するつもりはありませんが、一途にこの国と愛する家族や恋人を守るため、若くして散ったその史実を語り継ぐこと、英霊たちの犠牲の上にあって、今の自分や家族の暮らし、今の平和があることを深く胸に刻む次第です。
 

【昭和20年4月12日、知覧高等女学校の生徒達が、出発線に向かう第20振武隊の穴澤利夫少尉(当時)を八重桜の枝を振って見送る場面(同館HPより引用)】
 
今日で終戦から79年を迎えますが、戦争を知らない世代が多くなる中、早田選手の今回の発言が、戦争や特攻についてあらゆる世代が学び、知覧に行かずとも、「生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさ」を実感する機会になればと願うとともに、勇気をもってこのような発言をされた早田選手に敬意と感謝を申し上げる所存です。
 
なお、終戦の日を前に昨日、岸田文雄首相が9月の自民党総裁選に出馬しない考えを示しました。
 
私は、このタイミングで表明したことに何かメッセージ性を感じずにはいられませんが、現政権与党のリーダーになる方には、自民党を守るためではなく、日本古来からの歴史を大切に国家観を持ち、先の大戦で犠牲になられた方々や拉致被害者、そのご家族の思いを受け止め、真にこの国を守り抜く覚悟のある方に就いていただきたい。
 
そのことだけを申し上げ、本日のブログを閉じたいと思います。

感動の「パリ五輪」が閉幕

オリンピック ブログ 人生観

17日間に亘り熱戦が繰り広げられたパリ五輪が昨日閉幕。
 
今大会での日本選手団の活躍は目覚ましく、獲得した金メダル数20個は海外開催では最多、メダル総数45個も同じく最多記録で、とりわけ金メダル獲得数は、米中(ともに40)に次ぎ第3位という成績を誇らしく思う次第です。
 
時差の関係から、決勝種目がほぼ夜中であったため、ハイライトで感激を味わうことが多かった訳ですが、それでも満面に広がる選手達の笑み、嬉し涙や悔し涙など、印象的なシーンがいくつも浮かぶところ。
 
私にとって、何と言っても印象に残るのは、2大会連続の兄弟金メダルを狙った女子柔道の阿部詩選手。
 
まさかの2回戦負けに、日本全体が落胆しましたが、畳を降りた後、泣き叫ぶかの如く号泣したことに対し、武道家として人前で泣くのはみっともないなどと非難、SNSなどでは誹謗中傷まで起きる騒ぎに。
 
私もこれまで、野球や陸上の大会で敗れ、嗚咽するほどの悔し涙を流した経験がありますが、そのことは自分が何かに一所懸命取り組んだことの裏返しであり、3年前に世界の頂上に立ち、連覇を達成するこの日のために、地獄のような練習に打ち込み続け、それが報われなかった詩選手の思いたるや、常人には計り知れないこと。
 
会場全体が「詩コール」で励ましのエールを送るなか、日本人が号泣したことを責めることに、私は理解できませんでした。
 
一方、勝者の笑みを挙げればキリがありませんが、史上初という観点から、陸上女子のフィールド競技で金メダルを奪った、やり投げの北口榛花選手。
 
圧倒的な力、そして明るい笑顔が持ち味の北口選手ですが、X(旧ツイッター)の五輪日本語公式アカウントが投稿した写真が「奇跡の一枚」と反響を呼んでいます。
 

【五輪日本語公式アカウントが投稿した北口選手の写真】
 
ご覧いただくよう、優勝を決めた北口選手が大きな日の丸を背に掲げたものですが、風になびいた日の丸が偶然、ハートマークのように写っており、この投稿は10時間で300万回近く表示(先ほど見ると430万回)されたとのこと。
 
日本の金メダルを契機に、どこか、世界中に幸せを届けているような気持ちになったところです。
 
また、メダルには届かずとも、納得の行く入賞を果たしたのは男女のマラソン。
 
男子では赤崎暁選手が、女子では鈴木優花選手がともに6位入賞を果たしました。
 
両選手とも、並みいる海外勢を相手に、しかもこれまでで最もタフと言われる「激坂」のコースで見せ場たっぷりの走りを見せ、ゴール後、赤崎選手は「人生で一番楽しいレースだった」、鈴木選手は「皆さんに感謝の気持ちを伝えたい。本当に楽しい五輪だった」と見せた笑顔は最高に輝いていました。
 
なお赤崎選手は、大学時代に箱根駅伝に出場するも最高順位は区間9位。
 
その時の「不完全燃焼」がここに至るまでの原動力とあり、挫折や悔しさが人を強く、成長させることを、赤崎選手の生き様から改めて感じた次第です。
 
思えば、無観客開催を強いられた「東京」から3年。
 
パリ五輪では満員のスタンドからの応援が選手の背中を押しました。
 
なお、閉会式を前に選手の入場を伝える、Xの五輪日本語公式アカウントにはこうありました。
 
「国境・競争を越えて友情を育み、素晴らしい努力、諦めない姿を通して、私たちにたくさんの感動を与えてくれた選手たちの入場です」
 
私の思いもまさに、この言葉に込められています。
 
パリ五輪に出場されたすべての選手の皆さん、そして大会を支えていただいた関係者、ボランティアの皆様、大変お疲れ様でした。
 
そして、多くの感動をいただいたことに感謝申し上げます。
 

【4年後はロスアンゼルスで(閉会式の様子を伝える五輪日本語公式アカウントのXより)】

前進できぬ駒はない

ブログ 人生観

3期9年に亘り敦賀市教育長を務められた上野弘氏が退任。
 
先般ご紹介した通り、上野前教育長は私が粟野中学校3年生の時、同学年別クラスの先生であったことから、かれこれ35年以上前に知り合ったことになりますが、任期満了となる昨日、教育長室にお伺いし、暫し歓談させていただいた後、最後のご挨拶をしたところです。
 
子どもの教育環境はもとより、文化芸術やスポーツの振興まで幅広い分野を所管する教育委員会において、トップリーダーとして取り組まれた“上野先生”に、改めて感謝と敬意を表する次第です。
 
市内にお住まいですので、またお会いすることもあろうかと思いますが、今後はくれぐれもご健康に留意され、新たなステージでご活躍されますことご祈念申し上げます。
 
また、この6月は母体の日本原電では人事異動時期。
 
ここ敦賀の地から転勤される方や退職される方にとって昨日は現職場での最後の出勤日。
 
お世話になった方すべてに直接お声を掛けることまでできませんでしたが、皆様方におかれましては、これまで献身的に業務にあたってこられたこと、また私の活動に対してもご理解とご協力をいただいたことに心より感謝するところ。
 
それぞれ、新天地あるいは別の分野での飛躍を祈念する次第です。
 
なお、転勤や退職は仕事のみならず、人生における大きな転機であることはいうまでもないところ。
 
この機会を前向きに捉えられる方もいれば、不安にかられる方もいらっしゃると思いますが、皆さんに贈りたいのはこの言葉。
 
「前進できぬ駒はない」
 
これは、昭和から平成の時代にプロ棋士として活躍した十六世名人の中原誠さんが語った言葉で、歩や桂馬、香車のように、将棋の駒の中には後退できない駒がある一方で、前進できない駒はないんだということを意味しています。
 
真っすぐ1歩ずつ進んだり、斜めに進んだりと、駒ごとに動き方はさまざまですが、それでも確実に前へと進める。
 
これは将棋盤の上だけに留まらず、私たちの人生においても言えることであり、転機や日々の行動すべてが「前進」につながると思えば元気、勇気が湧いてくるもの。
 
私自身もこの言葉を胸に置くとともに、週明けから新たなスタートを切られる皆様にエールを贈る一言になれば幸いです。
 

【もう一言エールを。「この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。」byアントニオ猪木(写真は6月27日やまたけ撮影)】

「私たち女性が産まずして何が女性でしょうか」発言の真相

ブログ 人生観


【X(旧Twitter)に掲載されていた風刺画】
 
5月9日のブログで、「『だから何』と言いたいタイトル」と題し、福島第一原子力発電所ALPS処理水の海洋放出に関して共同通信社が、全く問題が無いごく少量のトリチウムが検出された際にも「トリチウム検出」とタイトルに掲げたことを捉え、なぜ「風評加害」になり兼ねない、誤解につながるタイトルをつけるのかとの意見を申し上げましたが、またもや同種の記事が(以下)。
 
上川氏「うまずして何が女性か」 静岡知事選の応援演説で
 
上川陽子外相は18日、静岡県知事選の応援のため静岡市で演説し、自民党推薦候補の当選に向け「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と述べた。新たな知事を誕生させるとの趣旨の発言だが、野党からは「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」(立憲民主党の逢坂誠二代表代行)との批判が出た。
 
翌日、上川外相はこの発言について、「女性パワーで未来を変えるという私の真意と違う形で受け止められる可能性がある」として撤回した訳ですが、これに国民民主党の玉木雄一郎代表はXで次のようにポスト。
 
上川大臣の発言が話題になっています。次期総理候補とも言われている方ですから、突っ込まれる余地のある発言をしたことは、正直、軽率だったと思います。
 
他方、配信したメディアの第一報の見出しが
 
「私たち女性が産まずして何が女性でしょうか」と述べた。
 
だったものが
 
「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と述べた。
 
に修正されています。「産まず」も「うまず」に、なぜか、ひらがなに変更。
 
修正前の第一報では、「女性は子どもを産むもの」だと決めつけ、政治的な正しさを欠いているとの印象を与えるものが、修正後は「新知事を誕生させよう」との意味がより明確になっていると思われます。
 
そんなことはないと信じたいのですが、あえて前者の配信を行い、センセーショナルな印象を与えた方が記事のビュー数を稼げるとの企図がメディア側にあったとしたら、果たして適切な配信だったのか、よく考える必要があります。
 
いずれにせよ、私自身も言葉の選択には十分気をつけたいと思います。
 
(引用終わり)
 
確かに私も違和感を抱いたのは、「産む」から「生む」ではなく、「うむ」としているところ。
 
漢字一文字にはもちろん意味があり、ペンの力を持つ新聞社であれば最も気を使う部分かと思いますが、なぜ「ひらがな」としたのか。
 
なお、Xには「コミュニティノート」という、Xでより正確な情報を入手できるようにすることを目的に作られた機能があり、この機能により、誤解を招く可能性があるツイートに、Xユーザーが協力して背景情報を提供することができようになっていますが、この記事に対しては以下のようなノートが付されています。
 
記事タイトルだけを読むと失言があったように見えますが、上川氏の発言について読売新聞では以下のように報じています。
 
”自民党推薦候補について、「この方を私たち女性が(知事として)生まずして何が女性でしょうか。生まれてくる未来の静岡県を考えると、手を緩めてはいけない」と述べ、支持を訴えた。”
 
元の発言を切り取ることなく理解したうえで配慮に欠けた発言であったか、言葉狩りか、判断することをお勧めします。
 
(引用終わり)
 
奇しくも、世界に発信される「X」の中でこう表されたことを、発信元はどうお感じか。
 
本日は、敢えて冒頭に風刺画を置きましたが、眼前の事実も「切り取り」次第でいかようにでもなります。
 
メディアが発信する情報を鵜呑みにすることなく、その背景や全体の流れから、真実を見抜く力が求められる。
 
情報にあふれる現代社会にあって、改めて、その点に留意するとともに、地方議員であっても自身の言葉には十分注意する所存です。

戦後の日本に勇気と希望をもたらせた「世界チャンピオン」

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昨日の福井新聞論説「エネルギー基本計画 『未来』に共感得ているか」。
 
先日、同計画の見直し論議が本格スタートしたことを受けての内容でしたが、結びにあったのは、「現行のエネルギー基本計画は『エネルギーの選択は、未来の選択に他ならない』とし、国民一人一人が共鳴・共感し自分事として行動していくことが大前提と位置付けた。まず、国として※原子力や再エネの拡大に理解を得る行動は十分だったかの検証が不可欠だ。」と。
 
※原文の“原発”を“原子力”に置き換えています
 
主張されることはごもっともな訳ですが、一方で東日本大震災以降、「原子力か再エネか」の二項対立を煽ってきたのは一体誰なのかと、思わずつぶやいたところ。
 
決して福井新聞が、ということではいことをお断りした上で、この間の新聞やテレビの報道は、前述の「理解を得る行動」だったのか。
 
国に言うばかりでなく、自らの行動を厳に振り返っていただきたいと思った次第です。
 
さて、エネルギーの分野では、1970大阪万博に送った「原子の灯(ひ)」が、将来の日本にとって「希望の灯」となりましたが、今日5月19日は、戦後の日本にとって、勇気と元気を与える希望の灯となった「ボクシングの日」。
 
これは、今から72年前の昭和27(1952)年5月19日、ボクシングで日本人初の世界チャンピオンが誕生したことに由来します。
 
夜の後楽園球場で4万人を超える観衆が詰めかけて開催されたボクシング世界フライ級タイトルマッチで、当時の世界チャンピオン ダド・マリノに挑戦した「白井義男」選手は激闘の15ラウンドを戦い抜き、判定勝ちで世界チャンピオンベルトを日本に初めてもたらし、日本ボクシング史に輝く栄光の名を刻みました。
 
なお、当時まだテレビ中継はなく、ラジオの聴取率は83%をマークしたとのこと。
 

【白井選手が世界王座を獲得した後楽園球場(BOXING NEWSより引用)】
 
なお、先般、井上尚弥選手が4団体統一世界スーパーバンタム級タイトルマッチを制しましたが、ちなみに現在の階級は17、チャンピオン認定団体も増えて、WBA、WBC、IBF、WBOの主要4団体がそれぞれチャンピオンを認めており、その総計は70人ほどになるのに対し、当時のチャンピオンは「世界に8人」。
 
つまり、8つの階級に一人づつチャンピオンが君臨していたことを思うと、その価値と重みが分かるところ。
 
また、白井選手と師弟関係にあった、アメリカ人のカーン博士は試合前、白井選手にこう語ったとあります。
 
「日本は戦争でアメリカに負け、今の日本で世界に対抗できるのはスポーツしかないだろう。キミは自分のために戦うと思ってはいけない。日本人の気力と自信をキミの勝利で呼び戻すのだ」
 
アメリカ人に言われるところがまた何とも言えないのですが、いずれにしても4万もの大観衆のなかで見事判定勝ちを収め、文字通り「日本人に勇気と元気を与える希望の灯」となったことは、日本にとって大きな意味をもたらしたと言えます。
 
なお、白井選手は5度目の防衛戦で王座から陥落し、昭和30(1955)年5月30日に同相手と世界王座再挑戦リターンマッチが開催するものの、5回KO負けで敗戦。
 
この敗戦をもって現役引退するも、なんと同試合のテレビ中継は最高視聴率96.1%を記録するほどの人気と注目を集めたとのこと。
 
ほとんどの日本人が観たという、今では考えられないことですが、最高視聴率96.1%は、ビデオリサーチ社が視聴率調査を開始した昭和37(1962)年12月3日前後を通じてテレビ番組歴代最高視聴率とされており、「希望の灯」への当時の熱狂ぶりが数字としても残るもの。
 
日本初の世界王者誕生から72年。
 
戦後の日本に希望の光をもたらした白井選手の、飽くなき努力とチャレンジ精神、栄光に心から敬意を表する次第です。
 

【白井義男選手のファイティングポーズ(BOXING NEWSより引用)】

5/26「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリック・ビューイング&ミニ歴史講座」が開催されます!

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少し前になりますが、5月9日の電気新聞に嬉しい記事。
 
電力総連の組織内議員として、参議院議員を3期18年務められた小林正夫先輩が4月から、特別履修生として大学に通っているとのこと。
 
都内の工業高校を卒業後に東京電力の地中送電部門で働き、組合役員専従を経て2004年から国政へ。
 
2022年に引退した後は、ほぼ肩書きのない生活を送っていましたが、より深く社会について学ぼうと喜寿を目前に人生初のキャンパスライフに挑み、「武蔵大学」の特別履修生に応募。
 
無事に審査を通過され、晴れて特別履修生になられた訳ですが、応募した考えは、「ウクライナ危機に伴う資源価格高騰やデジタル化の進展など世界は激動している。時代遅れの高齢者にならないよう、リカレント教育で社会学のスキルアップを目指したい」とのこと。
 
いつまでも若々しいのは、こうして前向きに学ぶ姿勢にあるのかと思うところであり、尊敬する小林先輩がますますお元気で、キャンパスライフを送られることを応援するとともに、私もその姿勢を良きお手本にする次第です。
 
さて、学びでも趣味でもジャンルは問わず、「ライフワーク」を持っているというのは、ゆたかな人生を送る一番の秘訣かと思うところですが、身近で言えば「地域史の探求」をライフワークとする、敦賀の市民歴史団体「気比史学会」の糀谷好晃(よしあき)会長。
 
84歳を迎え、ますますお元気な会長とは、私も現在、同会の事務局長として参画していることもあり、よくお話しする間柄な訳ですが、その豊富な知識とご経験、歴史観を基にした考え方など、いつも勉強させていただいているところ。
 
なお、同会の会是「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」に出会って以降、この言葉は、私の思考、生きる上での「軸」となっている訳ですが、この会是を考えられたのも糀谷会長とのことであり、そうした点においても、尊敬する存在とお付き合いがあることに感謝する次第です。
 
そんな会長と現在、共同で作成を進めているのが、「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリック・ビューイング(PV)&ミニ歴史講座」の資料。
 
といっても、私は、会長が作った原稿をパワーポイントに落とし込んでいるに過ぎませんが…。
 
この「PV&ミニ歴史講座」は、現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」(毎週日曜 NHK総合 夜8時ほか)に、敦賀にかつてあったとされる迎賓館「松原客館」が登場することが発表されたことを契機に、5月26日(日)から始まる越前編のスタートを一緒に楽しんでいただくため、敦賀市が「PV&三二歴史講座」を企画したもの。
 
PVの前に、当時(平安時代)の歴史背景、紫式部と敦賀の関係を知っていただくことで、より大河ドラマにも敦賀の歴史にも関心を持ってもらえるようにとの目的のもと、ミニ歴史講座のパートを「気比史学会」にオファーいただいたものであり、これに向け、「松原客館」や渤海との関係、式部が通った「深坂古道」、さらには「古代の北陸道」や「芋粥のこと」など、当時の歴史を分かりやすく紐解くべく、資料作成を進めているところです。
 
昨日も会長と資料のすり合わせをしたところですが、途中に織り込む「歴史クイズ」を除きほぼ完成。
 
皆さんにご紹介できるのが大変楽しみな内容となったところです。
 
PVに関しては、昨日の福井新聞にも掲載されていましたが、以下のチラシで参加呼び掛けをしています。
 
ついては、5月26日(日)19時〜 粟野公民館にて開催しますので、ご家族・ご近所・友人お誘い合わせのうえ、奮ってご参加いただけますようお願いいたします(私も会場でお待ちしています)。
 


【敦賀市作成の開催チラシ。QRコードや記載の方法にて、事前申込いただければ幸いです(当日参加も可能です)】

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