前進できぬ駒はない

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3期9年に亘り敦賀市教育長を務められた上野弘氏が退任。
 
先般ご紹介した通り、上野前教育長は私が粟野中学校3年生の時、同学年別クラスの先生であったことから、かれこれ35年以上前に知り合ったことになりますが、任期満了となる昨日、教育長室にお伺いし、暫し歓談させていただいた後、最後のご挨拶をしたところです。
 
子どもの教育環境はもとより、文化芸術やスポーツの振興まで幅広い分野を所管する教育委員会において、トップリーダーとして取り組まれた“上野先生”に、改めて感謝と敬意を表する次第です。
 
市内にお住まいですので、またお会いすることもあろうかと思いますが、今後はくれぐれもご健康に留意され、新たなステージでご活躍されますことご祈念申し上げます。
 
また、この6月は母体の日本原電では人事異動時期。
 
ここ敦賀の地から転勤される方や退職される方にとって昨日は現職場での最後の出勤日。
 
お世話になった方すべてに直接お声を掛けることまでできませんでしたが、皆様方におかれましては、これまで献身的に業務にあたってこられたこと、また私の活動に対してもご理解とご協力をいただいたことに心より感謝するところ。
 
それぞれ、新天地あるいは別の分野での飛躍を祈念する次第です。
 
なお、転勤や退職は仕事のみならず、人生における大きな転機であることはいうまでもないところ。
 
この機会を前向きに捉えられる方もいれば、不安にかられる方もいらっしゃると思いますが、皆さんに贈りたいのはこの言葉。
 
「前進できぬ駒はない」
 
これは、昭和から平成の時代にプロ棋士として活躍した十六世名人の中原誠さんが語った言葉で、歩や桂馬、香車のように、将棋の駒の中には後退できない駒がある一方で、前進できない駒はないんだということを意味しています。
 
真っすぐ1歩ずつ進んだり、斜めに進んだりと、駒ごとに動き方はさまざまですが、それでも確実に前へと進める。
 
これは将棋盤の上だけに留まらず、私たちの人生においても言えることであり、転機や日々の行動すべてが「前進」につながると思えば元気、勇気が湧いてくるもの。
 
私自身もこの言葉を胸に置くとともに、週明けから新たなスタートを切られる皆様にエールを贈る一言になれば幸いです。
 

【もう一言エールを。「この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。」byアントニオ猪木(写真は6月27日やまたけ撮影)】

「私たち女性が産まずして何が女性でしょうか」発言の真相

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【X(旧Twitter)に掲載されていた風刺画】
 
5月9日のブログで、「『だから何』と言いたいタイトル」と題し、福島第一原子力発電所ALPS処理水の海洋放出に関して共同通信社が、全く問題が無いごく少量のトリチウムが検出された際にも「トリチウム検出」とタイトルに掲げたことを捉え、なぜ「風評加害」になり兼ねない、誤解につながるタイトルをつけるのかとの意見を申し上げましたが、またもや同種の記事が(以下)。
 
上川氏「うまずして何が女性か」 静岡知事選の応援演説で
 
上川陽子外相は18日、静岡県知事選の応援のため静岡市で演説し、自民党推薦候補の当選に向け「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と述べた。新たな知事を誕生させるとの趣旨の発言だが、野党からは「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」(立憲民主党の逢坂誠二代表代行)との批判が出た。
 
翌日、上川外相はこの発言について、「女性パワーで未来を変えるという私の真意と違う形で受け止められる可能性がある」として撤回した訳ですが、これに国民民主党の玉木雄一郎代表はXで次のようにポスト。
 
上川大臣の発言が話題になっています。次期総理候補とも言われている方ですから、突っ込まれる余地のある発言をしたことは、正直、軽率だったと思います。
 
他方、配信したメディアの第一報の見出しが
 
「私たち女性が産まずして何が女性でしょうか」と述べた。
 
だったものが
 
「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と述べた。
 
に修正されています。「産まず」も「うまず」に、なぜか、ひらがなに変更。
 
修正前の第一報では、「女性は子どもを産むもの」だと決めつけ、政治的な正しさを欠いているとの印象を与えるものが、修正後は「新知事を誕生させよう」との意味がより明確になっていると思われます。
 
そんなことはないと信じたいのですが、あえて前者の配信を行い、センセーショナルな印象を与えた方が記事のビュー数を稼げるとの企図がメディア側にあったとしたら、果たして適切な配信だったのか、よく考える必要があります。
 
いずれにせよ、私自身も言葉の選択には十分気をつけたいと思います。
 
(引用終わり)
 
確かに私も違和感を抱いたのは、「産む」から「生む」ではなく、「うむ」としているところ。
 
漢字一文字にはもちろん意味があり、ペンの力を持つ新聞社であれば最も気を使う部分かと思いますが、なぜ「ひらがな」としたのか。
 
なお、Xには「コミュニティノート」という、Xでより正確な情報を入手できるようにすることを目的に作られた機能があり、この機能により、誤解を招く可能性があるツイートに、Xユーザーが協力して背景情報を提供することができようになっていますが、この記事に対しては以下のようなノートが付されています。
 
記事タイトルだけを読むと失言があったように見えますが、上川氏の発言について読売新聞では以下のように報じています。
 
”自民党推薦候補について、「この方を私たち女性が(知事として)生まずして何が女性でしょうか。生まれてくる未来の静岡県を考えると、手を緩めてはいけない」と述べ、支持を訴えた。”
 
元の発言を切り取ることなく理解したうえで配慮に欠けた発言であったか、言葉狩りか、判断することをお勧めします。
 
(引用終わり)
 
奇しくも、世界に発信される「X」の中でこう表されたことを、発信元はどうお感じか。
 
本日は、敢えて冒頭に風刺画を置きましたが、眼前の事実も「切り取り」次第でいかようにでもなります。
 
メディアが発信する情報を鵜呑みにすることなく、その背景や全体の流れから、真実を見抜く力が求められる。
 
情報にあふれる現代社会にあって、改めて、その点に留意するとともに、地方議員であっても自身の言葉には十分注意する所存です。

戦後の日本に勇気と希望をもたらせた「世界チャンピオン」

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昨日の福井新聞論説「エネルギー基本計画 『未来』に共感得ているか」。
 
先日、同計画の見直し論議が本格スタートしたことを受けての内容でしたが、結びにあったのは、「現行のエネルギー基本計画は『エネルギーの選択は、未来の選択に他ならない』とし、国民一人一人が共鳴・共感し自分事として行動していくことが大前提と位置付けた。まず、国として※原子力や再エネの拡大に理解を得る行動は十分だったかの検証が不可欠だ。」と。
 
※原文の“原発”を“原子力”に置き換えています
 
主張されることはごもっともな訳ですが、一方で東日本大震災以降、「原子力か再エネか」の二項対立を煽ってきたのは一体誰なのかと、思わずつぶやいたところ。
 
決して福井新聞が、ということではいことをお断りした上で、この間の新聞やテレビの報道は、前述の「理解を得る行動」だったのか。
 
国に言うばかりでなく、自らの行動を厳に振り返っていただきたいと思った次第です。
 
さて、エネルギーの分野では、1970大阪万博に送った「原子の灯(ひ)」が、将来の日本にとって「希望の灯」となりましたが、今日5月19日は、戦後の日本にとって、勇気と元気を与える希望の灯となった「ボクシングの日」。
 
これは、今から72年前の昭和27(1952)年5月19日、ボクシングで日本人初の世界チャンピオンが誕生したことに由来します。
 
夜の後楽園球場で4万人を超える観衆が詰めかけて開催されたボクシング世界フライ級タイトルマッチで、当時の世界チャンピオン ダド・マリノに挑戦した「白井義男」選手は激闘の15ラウンドを戦い抜き、判定勝ちで世界チャンピオンベルトを日本に初めてもたらし、日本ボクシング史に輝く栄光の名を刻みました。
 
なお、当時まだテレビ中継はなく、ラジオの聴取率は83%をマークしたとのこと。
 

【白井選手が世界王座を獲得した後楽園球場(BOXING NEWSより引用)】
 
なお、先般、井上尚弥選手が4団体統一世界スーパーバンタム級タイトルマッチを制しましたが、ちなみに現在の階級は17、チャンピオン認定団体も増えて、WBA、WBC、IBF、WBOの主要4団体がそれぞれチャンピオンを認めており、その総計は70人ほどになるのに対し、当時のチャンピオンは「世界に8人」。
 
つまり、8つの階級に一人づつチャンピオンが君臨していたことを思うと、その価値と重みが分かるところ。
 
また、白井選手と師弟関係にあった、アメリカ人のカーン博士は試合前、白井選手にこう語ったとあります。
 
「日本は戦争でアメリカに負け、今の日本で世界に対抗できるのはスポーツしかないだろう。キミは自分のために戦うと思ってはいけない。日本人の気力と自信をキミの勝利で呼び戻すのだ」
 
アメリカ人に言われるところがまた何とも言えないのですが、いずれにしても4万もの大観衆のなかで見事判定勝ちを収め、文字通り「日本人に勇気と元気を与える希望の灯」となったことは、日本にとって大きな意味をもたらしたと言えます。
 
なお、白井選手は5度目の防衛戦で王座から陥落し、昭和30(1955)年5月30日に同相手と世界王座再挑戦リターンマッチが開催するものの、5回KO負けで敗戦。
 
この敗戦をもって現役引退するも、なんと同試合のテレビ中継は最高視聴率96.1%を記録するほどの人気と注目を集めたとのこと。
 
ほとんどの日本人が観たという、今では考えられないことですが、最高視聴率96.1%は、ビデオリサーチ社が視聴率調査を開始した昭和37(1962)年12月3日前後を通じてテレビ番組歴代最高視聴率とされており、「希望の灯」への当時の熱狂ぶりが数字としても残るもの。
 
日本初の世界王者誕生から72年。
 
戦後の日本に希望の光をもたらした白井選手の、飽くなき努力とチャレンジ精神、栄光に心から敬意を表する次第です。
 

【白井義男選手のファイティングポーズ(BOXING NEWSより引用)】

5/26「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリック・ビューイング&ミニ歴史講座」が開催されます!

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少し前になりますが、5月9日の電気新聞に嬉しい記事。
 
電力総連の組織内議員として、参議院議員を3期18年務められた小林正夫先輩が4月から、特別履修生として大学に通っているとのこと。
 
都内の工業高校を卒業後に東京電力の地中送電部門で働き、組合役員専従を経て2004年から国政へ。
 
2022年に引退した後は、ほぼ肩書きのない生活を送っていましたが、より深く社会について学ぼうと喜寿を目前に人生初のキャンパスライフに挑み、「武蔵大学」の特別履修生に応募。
 
無事に審査を通過され、晴れて特別履修生になられた訳ですが、応募した考えは、「ウクライナ危機に伴う資源価格高騰やデジタル化の進展など世界は激動している。時代遅れの高齢者にならないよう、リカレント教育で社会学のスキルアップを目指したい」とのこと。
 
いつまでも若々しいのは、こうして前向きに学ぶ姿勢にあるのかと思うところであり、尊敬する小林先輩がますますお元気で、キャンパスライフを送られることを応援するとともに、私もその姿勢を良きお手本にする次第です。
 
さて、学びでも趣味でもジャンルは問わず、「ライフワーク」を持っているというのは、ゆたかな人生を送る一番の秘訣かと思うところですが、身近で言えば「地域史の探求」をライフワークとする、敦賀の市民歴史団体「気比史学会」の糀谷好晃(よしあき)会長。
 
84歳を迎え、ますますお元気な会長とは、私も現在、同会の事務局長として参画していることもあり、よくお話しする間柄な訳ですが、その豊富な知識とご経験、歴史観を基にした考え方など、いつも勉強させていただいているところ。
 
なお、同会の会是「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」に出会って以降、この言葉は、私の思考、生きる上での「軸」となっている訳ですが、この会是を考えられたのも糀谷会長とのことであり、そうした点においても、尊敬する存在とお付き合いがあることに感謝する次第です。
 
そんな会長と現在、共同で作成を進めているのが、「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリック・ビューイング(PV)&ミニ歴史講座」の資料。
 
といっても、私は、会長が作った原稿をパワーポイントに落とし込んでいるに過ぎませんが…。
 
この「PV&ミニ歴史講座」は、現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」(毎週日曜 NHK総合 夜8時ほか)に、敦賀にかつてあったとされる迎賓館「松原客館」が登場することが発表されたことを契機に、5月26日(日)から始まる越前編のスタートを一緒に楽しんでいただくため、敦賀市が「PV&三二歴史講座」を企画したもの。
 
PVの前に、当時(平安時代)の歴史背景、紫式部と敦賀の関係を知っていただくことで、より大河ドラマにも敦賀の歴史にも関心を持ってもらえるようにとの目的のもと、ミニ歴史講座のパートを「気比史学会」にオファーいただいたものであり、これに向け、「松原客館」や渤海との関係、式部が通った「深坂古道」、さらには「古代の北陸道」や「芋粥のこと」など、当時の歴史を分かりやすく紐解くべく、資料作成を進めているところです。
 
昨日も会長と資料のすり合わせをしたところですが、途中に織り込む「歴史クイズ」を除きほぼ完成。
 
皆さんにご紹介できるのが大変楽しみな内容となったところです。
 
PVに関しては、昨日の福井新聞にも掲載されていましたが、以下のチラシで参加呼び掛けをしています。
 
ついては、5月26日(日)19時〜 粟野公民館にて開催しますので、ご家族・ご近所・友人お誘い合わせのうえ、奮ってご参加いただけますようお願いいたします(私も会場でお待ちしています)。
 


【敦賀市作成の開催チラシ。QRコードや記載の方法にて、事前申込いただければ幸いです(当日参加も可能です)】

天皇陛下即位から5年

ブログ 人生観

毎週続けている、月曜朝の街宣活動。
 
今週は、月曜日が祝日であったことから昨日にスライドし実施しました。
 
ゴールデンウィーク期間中ではあったものの、感覚的に交通量はさほど変わりませんでしたが、最近変化を感じるのは通学する高校生。
 
付近を自転車で通過する際はマイクを止め、「おはようございます」と声掛けしていますが、最近、ハニカミながらも笑顔で挨拶を返してくれる学生が増えてきたような。
 
週一回とはいえ、顔を合わせることによって生まれるコミュニケーションを嬉しく感じた次第です。
 
さて、昨日は自身の議員活動が「平成最後の日」から始まって5年経過したと書きましたが、今日5月1日は「令和最初の日」から5年となります(当たり前のことで恐縮です)。
 
即ち、天皇陛下が即位されてから5年を迎えたことになりますが、この間、未曾有の新型コロナウイルス感染を始め、最近では能登半島地震に至るまで、国と国民の安寧を祈り、さまざまなお務めに励まれてきた陛下に深く感謝申し上げます。
 
元号を「令和」に改め、5年前に即位された陛下は第126代天皇にあたり、戦いや争いで時代が変わるのでなく、粛々と厳かに皇位継承されてきたのが日本。
 
なお、初代の神武天皇から2600年余を超えて「万世一系」で続く、世界で最も古くから続く国が日本です。
 
また、即位された令和元年の今日、雨が上がり、東京の空に虹がかかる、どこか神秘的な雰囲気のなか執り行われた「即位礼正殿の儀」、また「即位後朝見の儀」で述べられた陛下のお言葉は、まさに我が国の歴史と文化の尊さを表しており、国民のひとりとして、この国に生まれたことを幸せに、そして誇りに感じたことを思い返す次第です。
 
その陛下、今年初めに起きた能登半島地震では被災者の身を深く案じ、皇后様とともに、3月と4月に被災地を訪問されたほか、日常の公務も多忙で、昨年1年間に署名、押印された政府関連の書類は895件、各界の識者や外国要人らとのご会見や茶会、晩餐などの行事も昨年は皇居で240件も行われたとのこと。
 
天皇は、憲法第1条で「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定める日本の立憲君主の立場ですが、こうしたお役目を全身全霊で取り組まれていらっしゃることに、重ねて感謝申し上げます。
 

【令和5年の天皇誕生日 一般参賀にお出ましになられる天皇皇后両陛下(宮内庁HPより引用)】
 
歴史が証明するよう、天皇の祈りと、それに対する国民の感謝は、皇室を軸とする国民の結束につながります。
 
歴代の天皇と国民が守ってきたこの国柄を、私たち世代も守っていくためには、皇位継承の正統性(男系(父系)継承)を保っていくことが極めて重要であり、初代天皇から続く継承の経緯を思い返すとともに、国難や外乱があろうとも、この令和時代、そしてその先も脈々と日本国家が続くことを願う次第です。

2期目2年目のスタート

ブログ 人生観 政治

「科学が風評に負けるのは国辱だ」
 
これは、故石原慎太郎氏が東京都知事時代、築地市場の豊洲移転の際あった土壌問題に対して毅然と仰ったことで、私も時折引用しているもの。
 
「科学と風評」といえば、最近では東京電力福島第一原子力発電所のALPS「処理水」海洋放出を巡り、国内の一部に加え、中国が「汚染水」と呼ぶなどの問題がありましたが、先般4月19日には、5回目の処理水放出を開始。
 
福島第一原子力発電所周辺で28日に採取した海水に含まれる放射性物質トリチウムの濃度を分析した結果、機器で検出できる下限値未満だったと発表しており、昨日の新聞には極めて小さな記事があったほか、声を荒げて「汚染水」と叫んでいた勢力の姿は見えなくなりました。
 
これはまさに「科学が風評に勝った」ことを証明するものかと認識するところです。
 
27日には、自身のブログで、「原発」や「核のごみ」などのネガティブワードと風評加害について書きましたが、同時にXやFacebookなどで発信すると、
 
 →2024年4月27日ブログ「福井県原子力平和利用協議会 第53回定期総会」はこちら
 
「大変有難うございます。
・事実を正確に理解、周知させるために呼称は重要
・兵器や汚染といった負のイメージを故意に与える呼称は立地自治体の不利益に直結する
のは本当だと思います。
是非、(原平協)役員の間で(HPへの掲載を)ご議論下さい。宜しくお願いします。」
 
また、別の方からは、
 
「老人⇒高齢者、ごみ処分場⇒廃棄物処理場、と呼ばれるようになっても、マスコミは平気で“核のごみ”と言う。そうやって小さな誤解を積み重ねて風評加害することで自分たちの飯の種を作っている。」
 
など、他にもコメント(リプライ)が寄せられているところですが、いずれも賛同の声ばかり。
 
全国の原子力立地地点から国に意見(「原発→原子力発電」「核のごみ→高レベル放射性廃棄物」等)すべきとのご意見まであったりと、こうして理解者が多くいることを嬉しく感じる次第です。
 
さて、このような例も議員活動のひとつとして、冒頭の言葉も念頭に、少しでも事実認識が広がるよう取組んでいることでありますが、その議員任期も今日からは2期目2年目の節目となります。
 
平成最後の日から始まった1期目は、敦賀では戦後初となる「無競争」の市議選となったことから、「負託を受けていない者が議員をやっている」などと辛辣な声を掛けられる中でのスタートでした。
 
2期目は、皆様から多大なるご支援をいただき当選した後、ちょうど1年前の今日、気持ち新たに2期目を開始し、現在に至るところ。
 
この5年間、「初心忘るべからず」、「継続は力なり」と自分に言い聞かせ活動にあたってきましたが、常に念頭に置くのは、皆様のご理解とご支援、励ましに対する感謝。
 
ここに御礼申し上げますとともに、活動でお返しすることが議員の責務と思い、今後も精進してまいります。
 
結びに、4月30日に思い返すのは、5年前の選挙後に掲載されていた福井新聞の読者投稿記事と、前回選挙後に届いた1枚のハガキ。
 

【大事にとってある「切り抜き」と「ハガキ」】
 
そこにあった「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の時代のことを考える」、「誠実一路」の言葉は、政治に携わるものの基本であり、心掛けねばならぬこと。
 
自身にとって周年日の今日、今一度このことを胸に、この後は朝の街頭活動に出掛けてまいります。

「辞世の句」と「散り際」

ブログ 人生観 政治

春の嵐から一転。
 
昨日は、澄み渡る青空と海に囲まれての辻立ちからスタート。
 
一昨日の雨風にも耐え、懸命に咲く桜から元気をもらうところ、次は自分が元気を与える番と、いつも以上に笑顔を心掛け活動にあたりました。
 
思いが通じてか、お手振りやお声掛けなど、通行する多くの皆様よりリアクションいただき感謝。
 
思えば、この「朝活」も5年目に入りました。
 
単なる辻立ちに過ぎませんが、「継続は力なり」で今後も続けてまいります。
 

【いつも活動をともにする原電労組の仲間にも感謝!】
 
さて、唐突ですが、「辞世」とはこの世に別れを告げることを意味し、「辞世の句」とは、死を見据えてこの世に書き残す生涯最後の句のことを言います。
 
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
 
これは、戦国時代の武将、明智光秀の娘で細川忠興の妻として知られる細川ガラシャの「辞世の句」。
 
細川ガラシャは明智光秀の三女として出生し、細川忠興の正室となった後、関ヶ原の戦いを巡り、西軍の石田光成がガラシャを人質にとろうとしたものの拒絶。
 
ガラシャは家臣に刀を突かせ、壮絶な最後を迎えたとされ、先の「辞世の句」は「花は、散る時期を知っているからこそ美しい。人もそうありたいものである」という意味が込められているのだそう。
 
前置きが長くなりましたが、10日に辞職願を静岡県議会議長に提出した川勝平太知事は辞職願を提出する前、現在の心境を報道陣に問われた際、この句を引用。
 
前述のとおり、散り際の大事さを説いた有名且つ命を賭す場面で残した一句に対し、川勝氏の場合は自身の失言によって辞任に追い込まれた形とあって、SNS上では批判の意見が相次ぎましたが、私としても軽々にこの崇高な句を引用して欲しくなかったというのが正直なところです。
 
また、辞職願提出後の会見では、西道仙の「城山」と呼ばれる漢詩の一節を口にしていますが、こちらも西郷隆盛の敗死を深く嘆いて作った詩と川勝氏自らが西郷のようであるかに心中を例えるのもいかがなものかと。
 
自身の「散り際」や「生き様」はガラシャや西郷と同じと言わんばかりの発言は、もはや自分に酔っているとしか思えない訳でありますが、川勝氏の一連の言動からは、政治家の発する言葉たるや、あらゆる方面への影響なりを深く思慮し、一言一言に重みがあることを厳に認識すべきと(反面教師として)教えていただいたことに感謝する次第です。
 
なお、私にとって、最も心に残る「辞世の句」といえば、吉田松蔭先生の
 
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留どめ置かまし大和魂」
 
「私の身がたとえ武蔵の地で朽ちてしまったとしても、大和魂だけはこの世に留めおきたいものだ。」との思いを表した句で、安政の大獄で処刑される直前に門人や同志に当てた遺書「留魂録」の冒頭に記したもの。
 
その後、この大和魂を継いだ同志、志士らによって明治維新を果たしたことは言うまでもありませんが、「辞世の句」とはそれほど重いもの。
 
私としては、歴史上の人物の「辞世の句」を引用することはないとお約束するところですが、これからは桜が散る季節。
 
散りゆく花びらに、「散り際」こそサムライの「美学」であったことを思い返すとともに、それは冒頭の桜のように、悔いなきよう精一杯生きることがあって成り立つ精神であることを、自身の人生観として深く胸に留め置くことにいたします。

「啓蟄」は「前進」の合図

ブログ 人生観

雨を覚悟していた、昨朝の週頭街宣。
 
予報を覆し、家を出る前には青空も覗くなど、結果して降られることなく終了。
 
「ついてる」スタートとなりました。
 
気付けば、先週、今週とジャンパー着ずの活動となっており(決してやせ我慢ではなく)、厳しき寒さもやや和らいできたと感じる次第です。
 
さて、そうして季節の変わり目を肌感覚で感じる今日この頃ですが、二十四節気では、今日から「啓蟄(けいちつ)」。
 
「啓蟄」とは、「冬ごもりをしていた虫たちが土の中から出てくる頃」という意味で、春の気配を感じて、虫たちが活動を開始する頃を表しています。
 
なお、ここから次の「春分」に掛けては、一雨降るごとに気温が上がってゆき、日差しも徐々に暖かくなるなど、春に近づく時期とされています。
 
また「啓」の字は、「ひらく、開放する、(夜が)明ける」などの意味があり、あと11日に迫った「北陸新幹線敦賀開業」とも重なる、物事がいよいよ前進する季節とも感じる次第です。
 
季節を感じると言えば、昨日のブログでご紹介した、雪のなかに凛と立つ「つくしんぼ」をSNSにも掲載したところ、このようなコメントがありました。
 
いつもご苦労様です。
春の訪れに心躍る季節がやってきました。冬の鉛色の空が徐々に薄れ、明るく爽やかな風が吹くようになりました。そんな春の訪れによって我々は新たな希望を持つことができます。
 
力強い、共感のコメントをいただくのは大変嬉しいことで、その旨返信したところ。
 
古より変わらないのは郷土の四季。
 
厳しき冬をじっと耐え、乗り越えるからこそ、春の青空のありがたさや太陽のあたたかさに感謝し、「さぁがんばろう!」と次の一歩に進む原動力になる。
 
それが北陸人の強さと自負するところですが、同じ北陸で、被災した能登も春間近。
 
思いを寄せ、「啓蟄」を合図に、ともに前進あるのみです。
 

【一昨日の写真。地表に出るのを今か今かと待つ、虫たちの姿が浮かぶようです。】

「いつの日かきっと帰っておいで」

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3月は希望への旅立ちと別れの月。
 
意味するところはやはり卒業式で、とりわけ進学や就職へと、それぞれの道に進む高校のそれには胸を打たれるもの。
 
福井県内の県立高校では1日から卒業式が行われ、卒業生たちが慣れ親しんだ学び舎を後にするニュースがありましたが、このうち、わが母校でもある敦賀高校では、211人の卒業生が卒業証書を受け取り、山本泰弘校長からは「3月16日には北陸新幹線が敦賀まで開業しますが、古くから交通の要衝だった敦賀から志を持って旅立った人たちのように、自分自身を輝かせる冒険に出発して欲しい」とはなむけのことばが贈られました。
 
また、お隣の石川県に目を移すと、能登半島地震で被害を受けた県立輪島高校では、地震で体育館の一部が壊れ、3年生のおよそ3分の2が市外に避難していることなどから、会場を金沢市の県立音楽堂に変更し、同じく1日に卒業式が行われたとのこと。
 
全日制と定時制合わせて107人の生徒達は、避難先などから集まって久しぶりの再会。
 
式の前には全員で黙とうをした後、卒業証書を受け取り、祝辞では平野敏校長より「コロナ禍ではみんなで工夫して乗り越えることを学び、地震も起きて、みんなにこれ以上『頑張れ』とは言えませんが、前を向いていくしかありません。輪島に残るみんな、新しい街をつくろう。いったん輪島を離れるみんな、いつの日かきっと帰っておいで。みんながびっくりするような街をつくって待っています」とメッセージが送られました。
 

【NHK NEWS WEB版より】
 
生徒に語りかけるように、優しくも力強い、こんなメッセージを送る校長先生に只々感激。
 
記事を見ただけで涙が浮かんできた次第ですが、これに卒業生代表の女子生徒からは「友人や先生たちと歩いた当たり前にあった景色を今となってはしっかりと目に焼き付けておけばよかったと心残りに思います。先の見えない大変な状況で不安も多いかもしれませんが、それを乗り越えるのが負けん気のある私たちです。高校で得た多くの思い出や学びを糧に、ともに力強く歩んでいきましょう」と答辞を読み上げたとあり、これにも感激。
 
学校によれば、卒業生のうち就職などで地元に残るのは1割ほどで、およそ9割が進学や就職などで輪島市を離れる見込みだそう。
 
未曾有の災害のなか卒業するシーンは、コロナ禍で卒業した長男の時を思い出しますが、困難をともに経験したからこそ、友や先生方との結びつきや絆はより深いものがあると思います。
 
敦賀と輪島で環境は違えど、見送る立場から言えば、平野校長の「いつか帰っておいで」の言葉に込められた思いは同じ。
 

 
写真は昨朝、近くを散歩している時に出会った「つくしんぼ」。
 
夜に薄っすら積もった雪のなか、野坂山をバックにまっすぐ上に伸びる姿は凛々しく、生きる力を感じたところであり、まさにこれから人生という大海原に旅立つ卒業生の姿と重なった次第です。
 
この春卒業される皆さんにおかれましては、自身の夢や希望に向かって、このつくしんぼのように、とにかく上を向いて頑張ってください。
 
皆さんの健やかな成長と飛躍を心から応援するとともに、一旦敦賀を離れる皆さんにおかれては、生まれ育った敦賀をより一層素晴らしいまちにして、また帰ってくることを待っています。

歴史上の偉大な人物二人から学ぶこと

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以前にお知らせしました、2月17日(土)に開催する気比史学会主催(敦賀市・敦賀市教育委員会共催)の敦賀市民歴史講座(第5講)。
 
「歴史の転換点となる北陸新幹線敦賀開業」をテーマに東洋大学の井上武史教授にお話しいただくこととしており、昨日は教授から届いた資料の焼き増しなど、講座に向けた準備作業。
 
また、夕方は久々に運動をと、野坂の麓から敦賀市内を眺めながらランニング。
 
たまの運動で偉そうに言えませんが、身体を動かすとやはり、気持ちもスッキリ、リフレッシュできました。
 
今後はもう少し頻度を上げて、気持ちも身体も引き締めていきたいと思います。
 

【夢街道から見た市内。何気ない風景に心癒されます。】
 
さて、毎日ブログを書いてきて身についたことのひとつは、「今日は何の日」かを調べること。
 
正直、ネタ探しとしてということもありますが、実はそこから学びや気づきを得ることも大いにあったり、楽しみながら続けているもの。
 
今朝もいつものように見てみると、今日は歴史上の偉大な人物二人の誕生日とありました。
 
ひとりは、第16代アメリカ合衆国大統領のエイブラハム・リンカーン、もうひとりは「種の起源」の著者チャールズ・ダーウィン。
 
さらに、なんとお二人は1809年2月12日生まれの同年同誕生日とのこと。
 
これだけでも「ネタ」になりますが、リンカーンの奴隷解放運動、かの有名な「人民の人民による人民のための政治」とのスピーチの意味は今まさに思うところであり、政治に携わる者として「誰のための政治か」を常に自分に問い掛けねばならないと再認識するところです。
 
また、「進化論」を提唱したダーウィンは、地質学者でもあり生物学者でもあったことから、それら研究に裏付けされた数々の名言を残しています。
 
「生き残るのは最も変化に適応したもの」
 
ダーウィンが書いた「種の起源」の中にある、「生き残る種とは、最も強いものでも最も賢いものでもなく、最も変化に適応したものだ」という言葉は有名ですが、これは、変化に適応する者が優れているという意味ではなく、変化に適応した者が生き残れるという意味であり、移り変わりの早い現代社会の中においても通ずるもの。
 
「無知というのは時折、知識よりも確信に満ちている」
 
この言葉には「様々な問題を科学では解決できないと主張するのは、決まって知識のない者である」という続きがありますが、これはシェイクスピアの「愚者は自身を賢いと思い、賢者は自身が愚かだと知っている」と通ずる言葉で、知識を持てば持つほど「まだ知らないことがたくさんある」と謙虚になるという意味合いを持っています。
 
このように、今日も学びと気づきがありました。
 
「知って行わざれば知らぬことと同じなり」
 
知行合一の言葉で表されるよう、あとは実践するかしないか。
 
人生をゆたかなものにするかしないか、結局は自分次第ですね。

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