戦没者にささげる正午の黙とう

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81回目の「終戦の日」を迎えた昨日。
 
政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下のほか、高市首相ら三権の長、戦没者遺族ら計4180人が参列のもと、戦没者を悼みました。 
 
昨年の追悼式で、天皇陛下が「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」のお言葉を述べられたことを、昨日のブログでお伝えしましたが、今年のお言葉は次のとおり。
 
<天皇陛下のお言葉(全文)>
 
先の大戦においてかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
 
終戦以来81年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。
 
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
 
<引用終わり>
 
あらためて、このお言葉を胸に留めます。
 
なお、高市首相の式辞で気になったのは、昨年までの「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」から、「繰り返させない」と、敢えて「せ」の一文字を加えていたこと。
 
文脈的に、前者が、“自分自身(自国)が二度としない”に対し、後者は“相手や他者(他国)、あるいは曖昧な存在に、させない”となるため、これは大きな違いであり、陛下のお言葉にある立ち位置とも異なるのではと、違和感を覚えた次第です。
 
厳粛な雰囲気の中行われた式典は、午前11時50分過ぎに始まり、正午の時報に合わせて1分間の黙とうがささげられました。
 
なお、敦賀市の公式LINEからは、11時30分に「黙とうのお願い」を着信。
 
12時00分に屋外スピーカーからサイレンを鳴らすのに合わせて、1分間の黙とうをささげていただくようお願いする旨のお知らせがあり、こうして事前に、市として呼びかけられることは大変良い取り組みと感じた次第です。
 
また、全国各地で、正午に黙とうが捧げられる中、熱戦続く甲子園球場では、ちょうど第2試合の敦賀気比―智弁和歌山戦の五回表終了時。
 
選手、スタンドの観客全員で、戦没者の慰霊と永遠の平和を祈念して黙とうをささげる様子がテレビで流れていました。
 

【甲子園での黙とうの様子(産経ニュースより引用)】
 
甲子園での「終戦の日」の黙とうは1963年の第45回大会から行われているとのこと。
 
試合では、2-2同点からのタイブレークの末、延長11回に3-7で、地元代表の敦賀気比は惜しくも敗れましたが、選手の皆さんの健闘を讃えるとともに、大歓声から一転、静寂の「甲子園」でささげた黙とうの記憶が、この後、8月15日を迎えるたびに蘇るのではと思った次第です。
 
こうして「終戦の日」が過ぎ、今日の敦賀は「とうろう流しと大花火大会」。
 
お盆も最後、天気の心配もなく、無事に開催されそうです。

戦後81年「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぐ」

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亡き父の初盆を迎え、昨日はお盆参り。
 
実家(といっても隣ですが)にて、住職様にお経をあげていただきました。
 
これに、母はもちろん、我が家と妹(双子)夫婦、甥っ子、姪っ子も集まりにぎやかに。
 
笑顔の写真を採用した遺影の父も、いつも以上に微笑んでいる気がしました。
 
なお、先日ご紹介したよう、浄土真宗は、お盆だからといって、御霊を迎え、お送りする習慣はないものの、皆で故人を偲び、生命のありがたさを思うことは同じ。
 
こうした機会を大切にしていきたいと思った次第です。
 
さて、お盆と重なって迎える今日の「終戦の日」。
 
戦後81年となった本日、すべての御霊安らかなれと心からの祈りを捧げます。
 
その上で、実は、日本対連合国諸国との間で戦われた大東亜戦争の国際法上の終結は、昭和26(1951)年9月8日に調印された講和条約が翌27年4月28日に法的効力を発効させた時を以て(もって)であり、これを真の終戦とすれば、今年で75年。
 
しかしながら、我が国の正規の国軍が死力を尽して戦った戦争は実質、昭和20(1945)年8月に終ったことから、本年を「戦後81年」と捉えることは妥当とされます。
 
振り返ってみますと、本年元日のブログで、自身の思いを「昨年、議会でも取り上げました『戦後80年』の節目を過ぎあらためて、先の大戦において、わが国の領土と国民の生命、財産を守るために戦った英霊、犠牲となったすべての戦没者戦災死没者に哀悼の意を表するとともに、こうした先人たちの命懸けの努力の上に今があることを胸に、次の時代に進まねばと思うところ」と述べています。
 
思いの根底にあるのは、祖国や家族を守るため命を懸けて戦った英霊や戦争の戦禍に倒れ命を失った、すべての先人たちの犠牲の上に今の平和があり、今の日本があるということ。
 
そしてもう一つは、「史実を踏まえない誹謗に気概を持って反論しなければ、自虐史観から脱することはできない」ことから、「大東亜戦争」など、史実に基づく戦争の呼称や「日本は何のために戦ったのか、戦わざるを得なかったのか」をしっかりと認識せねばならないとの思いであります。
 
なお、後段について、私は戦争を美化する考えは毛頭もなく、逆に戦争をしないため、恒久平和をいかに実現するかを根底からどう考えるかの視点に立っての記載であることをご理解賜りたく存じます。
 
そうして今日は、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開かれます。
 
厚生労働省によると、事前に参列意向を示した遺族は3270人。
 
うち、戦後生まれは昨年初めて半数を超える53%だったのに対し、今年は1840人で56%に増えたとのこと。
 
こうして戦後生まれの参列が過去最多となる中、惨禍の記憶と教訓を次世代にどう継承し生かすか、その在り方が問われています。
 
天皇陛下は、戦後80年となった昨年のお言葉で「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」との一節を新たに加えられました。
 
「終戦の日」にあたり、このお言葉の意味を今一度噛み締め、「戦没者追悼敦賀市民の会」に参画するなど、自身も微力ながら尽力してまいる所存です。
 

【「終戦の日」の朝。敗戦から、この朝日のように立ち上がった先人の姿を忘れてはならない。】

初盆を迎えるにあたり

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次々と現れる台風。
 
台風15号が過ぎ去ったかと思えば、今後は大型の台風17号(名称:ナンカー)が発生し、小笠原近海を北北東に進んでいます。
 
なお、進路に関しては、台風15号と同じようにしばらく東寄りに進んだあと、北へと進路を変える見込みとあり、「今のところ」日本列島に上陸することは無いようですが、このまま予想どおりの方向へ進むよう願うのみであります。
 
さて、今日からはお盆。
 
言うまでもなく、お盆とは、ご先祖様の霊をご自宅にお迎えしてご供養する夏の仏教行事。
 
宗派や地域によっては、1年に1度帰省するご先祖様の魂が迷わぬよう、玄関先で焚いて目印とする炎を指す、お盆の「迎え火・送り火」や、浄土宗や日蓮宗などの宗派の場合は、提灯などのお盆飾りやお供え、ご先祖様の冥福を祈る「追善供養」を行うのが一般的とあります。
 
一方で、浄土真宗(真宗大谷派)の我が家も然り、「亡くなられた方の魂はすぐに極楽浄土へ往生できる」という考えのため、「お盆にご先祖様が帰ってくる」という概念がなく、お盆の追善供養も一般的には行わないことは、以前に住職からも教わったこと。
 
お盆を迎えるにあたり、そのことを今一度理解しておこうと、浄土真宗の考えを辿るとまず、お盆の原点である経典『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』では、この時に修行者の集団に食物等を供養すれば、その善い行いにより、生存している父母から亡くなった先祖までが大きな福を得ることができることが説かれています。
 
※「お盆」は、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といい、「倒さ(さかさ)に懸ける倒懸(とうけん)」という意味で、お釈迦さまの弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)の亡き母が餓鬼道(がきどう)に落ちている姿をたとえたもの。
 
『盂蘭盆経』には目連尊者の母が六道の中の餓鬼の世界に堕ちていたことが説かれており、そして現在、浄土真宗以外の多くの宗派では、お盆に施餓鬼会(せがきえ)を勤めています。
 
施餓鬼会は、餓鬼の世界の飢えと渇きに苦しんでいる者たちに食物を施す法要で、『盂蘭盆経』の内容からすれば行って当然だろうと思われるかもしれませんが、実は最初からお盆に施餓鬼会が勤められていたわけではなく、元はそれぞれ別の法会であったのが、江戸時代頃に一緒になったといわれていて、実はかなり最近のこと。
 
また、一般的なお盆のイメージはやはり、「先祖の霊が帰ってくる」というものですが、『盂蘭盆経』には、亡き人の幸福のために善いことを行うという追善供養のことは説かれていても、「霊が帰ってくる」というような記述はどこにもなく、実はこの「霊が帰ってくる」という考え方は、『盂蘭盆経』や、その他の仏教の教えに由来するものではなく、日本の民俗信仰に由来するものだといわれています。
 
この『盂蘭盆経』物語を思うとき、浄土真宗ではお盆をお迎えするにあたっては、特別なお供え(野菜で作る馬や牛など)をすることではなく、改めて亡き人を偲びながら、“いのち”の事実とその“いのち”にかけられた深い願いに耳を傾けることを大事にしてきました。
 
お寺やご家庭のお内仏(お仏壇)、お墓へのお参りを通して、いま生きているこの私の“いのち”や人生を振り返る時間として過ごすのが、浄土真宗の「お盆」の迎え方とされています。<真宗大谷派ホームページなどによる>
 
決して他の宗派や習わしを否定するわけでないことはご理解いただいた上で、もとは浄土真宗の教えと合わないような考え方であっても、お浄土を思い、阿弥陀さまの教えを通して受け止めることによって、お浄土の懐かしい方々を偲びつつ、阿弥陀さまのお救いを聞きよろこぶ大切なご縁となっていく。
 
これが、浄土真宗のお盆の要であると学びました。
 
昨秋に父を亡くし、迎える初盆。
 
上記の考えとも通ずる、49日の法要で住職さんが最後に残された言葉はこちら。
 

 
あらためてこの意味合いを思いつつ、教えに沿って、このお盆を過ごしたいと思います。

81回目を迎える広島「原爆の日」

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2日間の行政視察を終え、昨日から通常運転。
 
水曜朝恒例の辻立ちは、二人の仲間と元気良く、海辺の風を感じながらの活動となりました。
 
なお、活動の模様は、YouTube等の動画でも発信していますので、以下リンクよりご覧ください(拙い内容ですが)。
 
併せて、チャンネル登録いただけるとなお嬉しいです。
 
→YouTube「やまたけチャンネル」動画はこちら
 
さて、同じく昨日、政府では、飲食料品の消費税率を来年4月から2年間に限り「1%」に引き下げる基本方針を閣議決定。
 
9月に税制改正大綱をまとめ、秋の臨時国会に関連法案を提出し、成立を目指すとありました。
 
これに、飲食料品消費減税は「上りエスカレーターを下る」ようなものだと例えるのは国民民主党の玉木代表で、「1%減税案は、今のまま何の対策もなければ、“離農促進減税”、“外食離れ促進減税”になるとともに、追加の財政出動も必要となり、もう、何のための政策なのか分からなくなります。」と意見を述べていました。
 
※詳しくは、以下リンクの2026年8月1日「やまたけブログ」をご覧ください。
 
→やまたけブログ「国民民主党は、現役世代から豊かになる政策を愚直に目指します」はこちら
 
また玉木代表は、昨日の閣議決定を受け、自身のXで、「農家や外食が被る悪影響への具体策もなく閣議決定とは驚いた。見切り発車だ。消費税減税が悪いわけではない。食料品だけ大きく税率を引き下げることが問題なのだ。単一税率(例えば一律8%)での減税なら、農家や外食の問題は発生しないし、2年後の“増税”負担も小さくなる。」とポスト。
 
ちなみに、国民民主党は、衆院選公約で「消費税減税」を掲げていたのに「反対するとはけしからん」とのご意見も挙がっているようですが、公約で飲食料品の消費税減税を訴えた事実はなく、消費税に関しては、10%から一律5%へ引き下げ、期間も2年など「時限的ではなく」、賃金上昇率が物価上昇率を「安定して2%以上、上回る状況になるまで」の間としており、景気対策としての目的明確化、出口戦略も見据えた公約であったもの。
 
国民民主党は、「対決より解決」、「批判するなら対案を持て」の政党ですので、闇雲に高市政権を批判したいがために反対する“昭和の野党”とはまったく違う点だけは、何卒ご理解賜りますようお願いいたします。
 
なお、こうした意見が本当に指摘にあたるのかは、税率を戻す2029年春、物価上昇によって「上りエスカレーター」がどこまで上がっているかにもよるわけですが、いわゆる“つなぎ”の政策が及ぼす影響を踏まえ、今度はこのことが議論される、秋の臨時国会に注視であります。
 
さて、本日8月6日は、広島「原爆の日」。
 
今年で81回目を迎えた「原爆の日」にあたり、命を落とされた方々の御霊に深く哀悼の意を表します。
 
また、長きにわたり苦しみを抱え、心身に深い傷を負ってこられた被爆者の皆様、今もなお癒えない悲しみを抱えてこられたご遺族の皆様に心からお見舞いを申し上げます。
 
唯一の戦争被爆国である日本にとって「核なき世界」の実現は悲願であり、これに向けては、我が国がリーダーシップをとって、核保有国へ現実的なアプローチをすること、そして核保有国と非保有国との橋渡し役を担うことが果たす役割であることは言うまでもないこと。
 
今日は私自身、先人たちの犠牲の上に今の平和があることに感謝をし、あらためて恒久平和と核兵器根絶を目指すことを誓う日にいたします。
 

【今朝の日の出前。こうして平穏に、今日という日を迎えられること自体、平和で幸せなことであり。】

七夕の日に「言語化」する約束とは何か

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今は梅雨であり、降る雨は作物にとっても、人間にとっても「恵みの雨」。
 
そんな昨朝は、雨に降られることを覚悟していましたが、街頭活動をしている間はピタリと止み、お天道様に感謝。
 
街頭演説では、場所が交差点(しかも粟野交番前)につき、ドライバーの皆さまは、視線まっすぐながら、お手を挙げて応援いただける方もチラホラといて、重ねて感謝。
 
同じ町内の方で、単身赴任が解けて敦賀に戻ってきたと伺っていた友人も目の前を通り、元気なお顔を拝見できるなど、嬉しい朝となりました。
 
なお、街頭演説においても冒頭、昨朝のブログでご紹介した「サラダ記念日」のことをお話ししましたが、前を登校する中高生にとっては、完全に生まれる前の話。
 
下手をするとお父さん、お母さんも、知らない世代?と思いつつも、幸せになれる考え方として知っていただければと、思いをお届けした次第です。
 
加えて、俵万智さんネタとして、もう一つだけご紹介いたしますと、俵さんのX(旧Twitter)の固定ページになっている以下のポスト(投稿)がジワリと胸に沁みます。
 
<俵さんのX固定ポスト>
 
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
 
今は「いいね」の数を競うような風潮があるけれど、これはたった一つの「いいね」で幸せになれるという歌です☺️
 
(引用終わり)
 
これは、2020年7月6日のポストですが、6年もの間、トップに「固定」し続けていることに、SNS時代となった昨今の世を憂うではなく、そんな世の中にあっても、人として大切にして欲しいという、俵さんの気持ちが込められているものと、深く胸に沁みる次第です。
 
私自身は、発信することに意義があるとし、「いいね」の数は気にしていないものの(負け惜しみではなく)、“たった一つの「いいね」”を大切に、今後も過ごしていきたいと思います。
 
さて、冒頭に「今は梅雨」と申し上げましたが、今日からは二十四節気の「小暑」。
 
この前の節気はつい最近だったのに!と思いきや、6月21日の「夏至」は2週間以上前だという日の経つ早さ。
 
「小暑」とは、梅雨明けが近くなり、暑さが増し始める頃を指し、梅雨明けとともに気温が上がり、日差しも一気に厳しくなるとされています。
 
天気予報では、この節気を合図に!と言わんばかりに、今日から1週間は30℃を超える真夏日続きとなるようですので、皆さま体調管理には十分ご留意くださいませ。
 
そして、今日は「七夕」。
 
サラダ記念日と違い、“特別な日”となります。
 
そして、七夕といえば短冊に託すお願いごとですが、これにかけて、養生デザインの青木優加さんはこう言います。
 
「お願いするだけでは何事も叶いません。お願いって自分との約束の言語化なのではないかと思います」
 
「んー、なるほど」と、短歌ではないものの、俵万智さんばりに「深いい」言葉。
 
今日は、夜空にたゆる天の川が見えることに期待を寄せつつ、「言語化する約束とは何か」について考える日にしたいと思います。
 

【まだ主役と言わんばかりに咲く、隣のアジサイ。この後の真夏日続きも頑張って!】

なんでもない日が記念日になる喜び 〜今日は『サラダ記念日』〜

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『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
 
この短歌を詠んだ作者は、私たち世代であれば「誰でも知っている」、俵万智(たわらまち)さん。
 
1962年、大阪府生まれの俵さんは、中・高と福井県で過ごされたという理由だけで、勝手な親近感を抱いているわけですが、当時新人歌人であった彼女の第一歌集『サラダ記念日』(1987年発売)は、280万部を超えるベストセラーに。
 
その後も数々の賞を受賞している俵さんは、現代日本を代表する歌人といえます。
 

【1987年発売の『サラダ記念日』(河出書房新社HPより引用掲載)】
 
今日7月6日は「サラダ記念日」にちなみ、少し深掘りしてみると、この歌が生まれたきっかけは、サラダではなく「鶏の唐揚げ」だったそう。
 
これは、俵さんご自身が裏話を公開しているよう、鶏の唐揚げをカレー味に工夫したら「お、これいいな」とボーイフレンドに褒められたことがきっかけで、その気持ちを短歌にしたそう。
 
しかし、鶏の唐揚げでは少し重く感じたため、もう少し軽やかなサイドメニューの「サラダ」に変更したとのこと。
 
また、記念日の日にち「七月六日」も実際、その出来事があった日ではなく、月は、野菜が元気な初夏とサラダの音の響き合いを考えて「7月」、日にちは、七夕の7日を思い付いたものの、何でもない普通の日こそ記念日と思える歌にしたいと考え、「6日」を選んだとも。
 
「大切な人からの誉め言葉でなんでもない日が記念日になる喜びを、“サラダ”のみずみずしいイメージが引き立てている秀逸な短歌といえます」と評価されていて、さすが日本を代表する歌人。
 
込められた”深い”考えに感嘆するところです。
 
こうして「なんでもない日が記念日になる」と思えば、日常の小さな出来事を幸せに感じ、心も人生も豊かになるものと思う次第です。
 
なお、同じく歌集「サラダ記念日」にある代表的な歌は以下。
 
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
 
従来の短歌は基本的に、「私」がどう思ったかの一人称で完結しているのに対し、俵さんの短歌の特徴は、「私」とは別の「あなた」のセリフが入っている、二人称にあるとのこと。
 
この歌は歌で、じんわりと心に沁みる、家族や職場などでの通常の会話(この歌の場合は恋人同士ですが)にも“あたたかさ”があふれていることを感じます。
 
こうして今朝は、俵さんの短歌から、幸せに包まれる気持ちでブログを書きました。
 
まさに『サラダ記念日』ですね♬
 
さらに、少し大げさかもしれませんが、「短歌」や「俳句」で表現される文化、そして「読む」と「詠む」を使い分ける言葉の美しさがある日本に生まれたことを、幸せに感じる朝ともなりました。

「すべての問題を解く愛」とは

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もはや生活していく上でなくてはならない存在になっている“スマートフォン”。
 
今日は、その時代の幕開けとなった初代iPhoneが、アメリカで初めて発売された日(現地時間の2007年6月29日)だそう。
 
初代モデルは日本未発売でしたが、ガラケー(すでに死語になりつつある)主流の約20年前に登場したiPhoneは、翌年には「iPhone 3G」モデルが日本で初めて発売され、長蛇の列ができるほど話題となりました。
 
「iPhone 3G」のスペックは、最大メモリが16GB、画面の大きさ3.5インチ、メインカメラは200万画素(インカメラ:非搭載)。
    
それだけでも、なんとスゴいものが登場したのかと驚きと憧れに包まれたことを思い出しますが、時を経て、現在の最新機種、2026年リリースの「iPhone 17e」のスペックはどうか。
 
最大メモリ512GB、画面サイズ6.1インチ、メインカメラは広角:4,800万画素(インカメラ:1,200万画素)と基本スペックを比較しただけでも大きく数値が拡張しており、顔認証やバッテリー性能、防水・防塵機能をはじめ、肝心要の「A19」チップの処理能力は当時から飛躍的な成長を遂げていることは言うまでもないところ。
 
「スマホ時代」が到来した時のことを思い返しつつ、20年経った今は「AI時代」。
 
開発のスピードは凄まじく、新たな幕開けと思うや否や実用の域に入るばかりか、米国のAI企業アンソロピックが開発した新型AI「Claude Mythos(クロード・ミュトス)」は、システムの未知の脆弱性を全自動で見つけ出し、攻撃コードまで生成する能力(核兵器のボタンを押せるとまで)を持つまでに。
 
かつて核兵器が世界の力関係を決定づけたように、このAIのアクセス権を持つ国と持たない国とで、新たな安全保障上の格差を生む、またはゲームチェンジャーになり得るとも指摘されています。
 
社会への実装から、軍事兵器への実装ともなっていることに、この先世界はどうなっていくのか、不安が頭をよぎる次第です。
 
そうした時代にあって、ヒット曲「ヨイトマケの唄(うた)」などで知られる歌手で俳優の美輪明宏さんが20日、老衰のため91歳で亡くなりました。
 
メディアやインターネット上では、美輪さんの直筆メッセージがホームページで公開されたことが話題になっているところですが、その言葉とは以下。
 
こんな世の中を
生き抜く武器は
愛の言葉しかありません
この世のすべての問題を
解く鍵は愛です
愛があれば
戦争なんか起こりません
 
美輪明宏
 

【三輪さんが残したメッセージ】
 
所属事務所は、このメッセージに「美輪の願いは、この世からあらゆる差別、偏見をなくし、すべての人が平和で明るく楽しく生きていける共生社会の実現でした。その願いを込めたメッセージです。本人が常々口にしていた言葉です」と補足しています。
 
美輪さんは10歳の時、長崎で原爆被害を目の当たりにしました。
 
その経験からこれまで反戦をテーマにした歌を多く世に送り出し、最期まで平和を願ったとも。
 
不謹慎かとも思いつつ、三輪さんの言葉をどう受け止めるのか、AIに尋ねてみました。
 
答えは、実は、人類の歴史における多くの争いや戦争も、「悪意」ではなく「愛」から始まっている側面がありますと始まり、身内や祖国への愛や正義のぶつかり合いなど、つまり、愛は非常に強いエネルギーであるがゆえに、「身内への深い愛」が「他者への深い敵意」に反転しやすいという危うさも秘めています。
 
最後には、あなたの考える「すべての問題を解く愛」とは、具体的にどのような状態や関係性のことを指しているのでしょうか?と、逆に問われた次第。
 
この問いに答える術がないわけですが、AIの社会実装と三輪さんが残した言葉に考えさせられる朝となりました。

遺作 髹漆鉢「暁天」に故浅賀貴宏氏を偲ぶ

ブログ 人生観 敦賀の歴史・文化

6月22日のブログでご案内した、敦賀市文化協会主催の『第45回敦賀市総合美術展』。
 
『市美展(しびてん)』の略称で親しまれる同美術展の会期は、6月21日(日)〜28日(日)まで。
 
なお、『市美展』を構成する部門は多岐に富み、すべては以下のとおり。
 
◉日本画・水墨画、水彩画
◉絵画・造形
◉デザイン・版画
◉彫刻
◉工芸
◉書道
◉写真
 
毎年この時期に開催される『市美展』を楽しみに、鑑賞に訪れていますが、様々な部門における「市民アーティスト」の作品を拝見していると、完成に至るまでには相当の研鑽をされたのであろうと、それまでのご努力が浮かぶなど、感嘆の思いとともに、それぞれの力作から力を頂戴しているところ。
 
そして、このように多くのアーティストが活動されていることに、敦賀の文化力の高さ、芸術の分野においても「市民力」を感じる次第です。
 
そうした『市美展』に、昨夕は“特別な思い”をもって鑑賞してまいりました。
 
会場のプラザ萬象 大・小ホールには、例年同様に素晴らしい作品が並び、一点づつ歩を進めましたが、先の“特別な思い”とは、その先の多目的室に展示される作品に。
 
工芸(漆塗)の分野で、いわゆる人間国宝の川北良造氏をはじめ、多くの現代の名工に学び、これまで全国レベルの賞を数々受賞され活躍をされていた、本市在住の浅賀貴宏(あさかたかひろ)さんが、本年3月末に逝去されました。
 
お一人暮らしのところの急病であったことっや、ご実家が県外ということで、訃報を知ることなく、実はこの事実を知ったのは今週に入って、ある方から聞き、驚くやら残念やら、葬儀にも参列できなかった無念を思うなど、複雑な心境で今もいるところ。
 
実は、浅賀さんと私は、最初、議員としての私を慕ってお声かけいただいたことをきっかけに親交が始まり、以降は、直接あるいはLINEのやり取りなどで、私は浅賀さんの作品が全国クラスの展覧会で受賞したことや、人間国宝から教えを受けていることなどを伺うなど、仕事をしながら、ゆくゆくは自分も人間国宝を目指す思いで漆塗工芸に精進されている彼を心から尊敬し、応援していたところ。
 
それだけに、急逝という形で、その才能が閉じてしまったこと、最後のお別れも伝えられず、お見送りすることもできなかったことを含め残念無念。
 
こればかりは、人生の非情を恨む心境であります。
 
そうした心境にあって、いま私にできることは、浅賀さんの生前のご功績と生きた証を一人でも多くの方に知っていただくことではないかと、追悼の意味を込め、そのことを以下にご紹介したいと思います。
 
<故 浅賀貴宏氏を偲ぶ>
 
日本文化財漆協会正会員であり、本市在住の浅賀貴宏氏においては、敦賀市立短期大学在学時に漆芸と出会って以降、石川県立輪島漆芸研究所で研鑽、重要無形文化財(木工芸)保持者(いわゆる人間国宝)の川北良造氏、村山明から指導を受け、さらなる漆芸技術の向上に努められていた有望な工芸家。
 
漆工芸家として全国各地で出品活動を続ける中において、福井県はもとより、石川県、全国公募展に出品し、数々の受賞や入選を重ね、令和3年には第35回日本煎茶工芸展にて文部科学大臣賞を受賞するなど、大いに活躍されました。
 
浅賀氏は、本市における文化芸術の発展、漆塗りの本場である輪島との関係から、令和6年能登半島地震からの復興を期する思いも込めて、一層の精進を積み重ねられていましたが、令和8年3月30日、病気により逝去されました。
 
以下に、浅賀様のご経歴、数々の受賞履歴をご紹介し、そのご功績を讃え、本市の文化の発展にご貢献されたことに敬意と感謝の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
 
【所属団体等】
・日本工芸会研究会員
・漆工房あさか代表
・日本文化財漆協会正会員
・福井県総合美術展工芸部門会員(無監査)審査委員
・敦賀市文化協会/工芸部門(無監査)審査委員
 
【略歴】
・1983年 新潟県柏崎市に生まれる
・2004年 敦賀短期大学日本史学科 卒業
・2007年 石川県立輪島漆芸研修所 普通研修課程 髹漆科 修了
      敦賀短期大学地域交流センター職員(漆工芸演習助手・進路支援員)
・2008年 敦賀短期大学公開講座 漆の未来~伝統工芸とする産学協働の実践教育Ⅰパネルディスカッション・パネラー
・2011年 重要無形文化財(木工芸)保持者川北良造氏から指導を受ける
・2015年 重要無形文化財(木工芸)保持者村山明氏に木工芸を学ぶ
・2019年 重要無形文化財伝承者養成研修会「髹漆」
・2021年 重要無形文化財伝承者養成研修会「蒔絵」
・2022年 重要無形文化財伝承者養成研修会「色絵磁器」
      重要無形文化財(木工芸)保持者 川北良造氏より「漆工房あさか」と名付けていただき工房を設立
 
【主な入選・受賞歴】
・日本伝統漆芸展 入選6回
・第5回藝文京展 京都新聞社賞
・日本煎茶工芸展 最高賞・文部科学大臣賞受賞(入選6回)
・石川の伝統工芸展 奨励賞(入選12回)
・新潟伝統工芸展 奨励賞(入選2回)
・全国木工芸の祭典in屋久島 屋久島教育委員会賞
・讃岐漆芸美術館 カップ展 特別賞・夏炉賞
・伊勢国際クラフト展「酒器・酒器台」入選1回
・福井県総合美術展 最高賞・知事賞1回、受賞6回 無監査推挙
・敦賀市総合美術展 最高賞・市長賞1回、受賞1回 無監査推挙
 
※浅賀さんの作品は、以下、日本工芸会およびGALLERY JAPANのホームページをご覧ください
 
→日本工芸会HP 浅賀さんの作品はこちらから
 →「GALLERY JAPAN」HPはこちら
 
浅賀さんが魂を込め、おそらく最後の受賞作品となった、髹漆鉢「暁天」。
 
工芸作品が並ぶ多目的室に、“遺作”として展示される「暁天」を、これまでの感謝の思いを込めて鑑賞いたしました。
 

【浅賀さんの遺作 髹漆鉢「暁天」】
 
本当にこれまでありがとうございました。
 
そして、お疲れさまでした。
 
これは書こうか迷いましたが、お亡くなりになったことをまったく知らず、4月6日に浅賀さん宛に送ったLINEメッセージに書いた言葉は、「ご無沙汰しております。試練の嵐に耐えた桜はやはり、日本人の心と思うところ。以前にお話ししていました受賞作品の返却時期がもうそろそろではと。手元に戻ってきましたら、市長表敬訪問についても調整してまいります。」
 
言葉は届くことなく、以前から望んでいた市長表敬訪問も叶わぬまま逝ってしまったことが誠に心残りでなりませんが、LINEは既読にならずとも、私の思いは、天国の浅賀さんに届いているものと信じる次第です。
 
結びに、浅賀さんの漆塗工芸に対する思いは、自らが敦賀で立ち上げた「敦賀工藝鹿鳴会」に引き継がれることを願うとともに、市美展は明日28日(日)16時まで。
 
皆さま方におかれましては、故人を偲び、プラザ萬象の一室で“輝く遺作”を鑑賞いただければ幸いに存じます。
 

【2024年の市美展会場にて。浅賀さん、ありがとうございました。天国でも漆塗工芸を極めて、必ずや人間国宝になってくださいね】

『平和な世界のために』〜敦賀市内の小学校にて「平和の語り部」が行われる〜

ブログ 人生観 敦賀の歴史・文化

「戦争の史実を風化させない」
 
昨日は、敦賀市立小中学校で行われる平和学習のうち、令和8年度から取り入れた「戦没者追悼 敦賀市民の会」語り部事業を活用した授業を傍聴してきました。
 
小学校6学年を対象に、市内11校を2グループに分け、隔年で開催していこうというこのプログラム。
 
昨日は、角鹿小中学校の小学6年生を対象に行うとの情報をいただき、学校側にもお断りした上でお伺いしたもの。
 
午後1時45分からの授業ということでしたが、15分ほど前にお訪ねすると、ちょうど休み時間だったようで、校内には元気な児童生徒の姿と声が。
 
また、ご丁寧に校長先生にお出迎え、ご案内いただき感謝した次第です。
 
この日「語り部」を行う、「戦没者追悼 敦賀市民の会」の奥野治樹氏は、日頃から大変お世話になっている方であるとともに、同会の取り組みに関しては、崇高な理念のもと、まさに戦争の史実を風化させない、次代につなぐとの思いをもって行動されていることに敬意を表するところ。
 
実は、その奥野さんが語り部を務められるということで参ったわけですが、まだ真新しさの残る校舎の特徴的とも言えるホールには、次々と6年生が集合。
 
元気な掛け声を合図に、語り部『平和な世界のために』が始まりました。
 

【角鹿小中学校のホールで行われた「語り部」の様子。お話しされているのが奥野治樹さん。】
 
語り部ではまず、「小学校の悩みランキング」から入り、皆んな多かれ少なかれ悩みを持っていることを共有。
 
続いて、「戦時下の子どもたちの生活」(学童疎開や勤労奉仕、食糧不足、空襲、遊びの変化)、「近代日本の戦争史(明治以降)」では、日清戦争から第二次世界大戦まで100年の間に日本は多くの戦争をしてきたこと。
 
「終戦の昭和20年」では、3月10日の東京大空襲(死者約10万人)にはじまり、7月19日には福井、そして敦賀には7月12日、7月30日、8月8日の3回にわたり空襲があり、8月8日の空襲で投じられたのは、翌9日に長崎に落とされた原子爆弾と同じ型の“模擬爆弾”であったこと。
 
※敦賀空襲の詳しくは、以下リンクより、2025年7月6日のブログをご覧ください。
 →2025年7月6日ブログ「敦賀空襲を伝え つなぐ」はこちら
 
原子爆弾投下により、8月6日の広島では死者約14万人、9日の長崎では死者7.4万人の尊い命が失われ、15日のポツダム宣言となったことが紹介されました。
 

【空襲により戦禍となった敦賀(左が空襲後)】
 
太平洋戦争の死者は軍人・軍属で約230万人、民間人約80万人の計310万人。
 
このうち、戦死者の妻が約45万人であったことから算出すると、「未婚戦死者」は185万人と80%を占め、子孫がいない戦死者はその存在自体がなくなってしまうかもしれないことから、「どうかその方たちのことを思って欲しい。消し去って欲しくない。」との言葉に込められた、奥野さんの思いが痛いほどに伝わってきた次第です。
 
ひと通りの説明を終え、一旦質問タイムに入ると、児童たちは積極的に次々質問。
 
挙げられた質問や感想は、
・戦艦大和の乗組員の年代は?
・平和が大事なことと実感した
・戦後復興にかかったお金はいくらぐらいか
・当時居たら、僕たちも戦争に行かないといけなかったのか
・戦争がないのが一番重要。今ごはんが食べられることに感謝しないといけない。
・戦争をしている時に、平和になって欲しいと思っていた人はいたのか
など。
 
これに例えば、「僕たちも戦争に行かないといけなかったのか」との問いには、「召集令状は17歳から、20歳前になったら戦地へという形だったので、小中学生は行かなくてもよかったが、勤労(畑とか)はしないといけなかったでしょう」、「平和になってと思っていた人はいたのか」には、「戦争に勝つんだという、いわば“洗脳”されていたため、戦争が終わって欲しいというより、早く勝って欲しいと思っていたのではないか。戦争が終わって初めて、なんて愚かなことをしたのかと思われたのではないか。」など、奥野さんからは的確なお答えがありました。
 
また、奥野さんが仰った「今、自分たちは何をすれば良いか。今を一生懸命生きることが、戦争で亡くなった人へのお礼ではないか」との言葉は、自身の胸にも響いたところです。
 
語り部はここからまとめに入り、結びにあった言葉は、「自分たちの家庭や学校でもできることで『世界の平和の一歩』は始まっている」。
 
戦争という史実を風化させない、次の世代にバトンタッチする準備をしていくとの思いをもって話された「語り部」奥野さんの思いとお話、そしてそれを真剣に聞き、自分ごととして考える生徒たちの姿に感動したところです。
 

【まとめのスライド。世界の恒久平和は「自分ごと」。】
 
なお、スライドにあった「握手は世界共通の挨拶」ということで、早速生徒たちはホール内を次々と駆けめぐり、傍聴していた私たちや報道陣と握手に。
 
即実践する行動力と積極性に驚いたわけですが、語り部で聞いたこと、学んだことを胸に、これからの人生に「平和の尊さ」を置くことは、家族や仲間を大切にし、お互いを尊重する「人づくり」につながるもの。
 
世界では戦争や紛争が止むことなく、21世紀になってなおそうした脅威に囲まれる世にあって、「人道の港」を有する敦賀らしい教育環境の中で、平和の尊さややさしさを持った人に育って欲しいと切に願う次第です。
 
思えば、令和7年第3回(9月)定例会の一般質問にて私から、「学校の選択に委ねるのではなく、『語り部』を敦賀市内の小中学校でも毎年のプログラムに取り入れるべき」と意見し、「戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶ教育の充実に努めてまいる」との答弁があったわけですが、こうして早速、平和学習としてプログラム化いただいた花木教育長をはじめ、教育委員会、学校関係者の皆さまには心より感謝申し上げます。
 
 →令和7年第3回(9月)定例会の「やまたけ一般質問」はこちら
 
ブログの最後に、語り部を努められた奥野さん、大変お疲れさまでした。
 
そして、ありがとうございました。

「ねむりの保健室」で学んだ「睡眠の優先順位を上げる」こと

ブログ 人生観

科学技術の進化は、あらゆる分野で活躍、貢献していますが、これに関連し、昨日の福井新聞に大いに期待する記事あり。
 
<以下、記事を引用抜粋>
 
福井大医学部附属病院(永平寺町)は、頭頸部(けいぶ)がんに対するロボット手術を進めている。高性能手術支援ロボット「ダビンチX i」を使い、口から喉の奥へ器具を挿入して腫瘍を切除する手術で、3月から北陸3県で初となる保険診療として開始。従来は顔や首を切開しなければ届かなかった喉の奥にも、口から直接アプローチできるようになった。身体負担を抑えながら、「食べる」「話す」といった機能温存への期待も高まっている。
 
19日には、60代男性の中咽頭がん手術が報道陣に公開された。
(中略)
今回のような症例では、顔や首を切る手術を避けるため、放射線と抗がん剤による治療が選ばれるケースも多かった。ただ、約2カ月の入院が必要になるほか、強い痛みや味覚障害などの副作用が出ることもある。一方、ロボット手術では術後3日程度で退院でき、患者負担を大幅に軽減できるという。今回の患者も、手術で切除できたことで、再発時などに回数が限られる放射線治療を選べる可能性を残せるという。
 
<引用終わり>
 
こちらは、医療分野での最先端技術にあたるわけですが、「この技術があったなら」と思うのは、亡父が患ったのが下咽頭がんであったから。
 
手術が公開された中咽頭がんよりさらに下の部分のがんを発症した父は、放射線治療を選択し、まさに記事にあるよう、約2ヶ月半の入院を要し、加えて、放射線照射で喉の内側がやけどのような状態になることから、とにかく何か飲み込むたびに痛みを伴うということで、それでも体力を維持するため、頑張って食事する姿を見ているのが辛いくらいでした。
 
そのことを思い返すと、この「ダビンチXi」を使うことによって、そうした負担を劇的に改善することは画期的であり、大変喜ばしいこと。
 
手術された患者さんはもとより、父のような経験をされずとも治療できる技術開発と導入、そしてこの技術を使いこなす医師の皆さんにエールを送る次第です。
 
こうして医療分野の記事に触れるに、何をおいても“健康第一”、“身体が資本”と思うわけですが、ちょうど昨晩は健康に関するセミナーに参加。
 
大いなる気づきがありました。
 
そのセミナーとは、母体の原電総連敦賀総支部が企画・主催された、その名も「ねむりの保健室」。
 
講師に「養生デザイン」の青木優加さんと山中雄大さんをお迎えし、午後6時30分から約1時間半、「目からウロコ」のお話を伺いました。
 
なお、養生デザインは「10年先も健やかなココロとカラダを」をコンセプトに掲げ、企業の健康促進、中高大の探求学習、自治体の計画策定など多岐にわたる現場に伴走。
 
「対話」と「自己理解」を活動の軸に、ウェルビーイングの実感に取り組まれています。
 
この日のテーマはスバリ「ねむり(睡眠)」について。
 
「睡眠不足と飲酒運転は意識覚度が同じくらい」とのインパクトある言葉からはじまり、疲れが取れないことや集中力の低下はもとより、頭痛や体調不良など、実は睡眠不足が原因で起こっていることが多いこと。
 
不眠の要因について学んだ後、それぞれが記入した「眠りの体質チェック」をもとに、自分が ①リラックス苦手、②眠る力不足、③気を使いすぎタイプ、④実年齢より上タイプ(加齢)のどれに当てはまるか分析。
 
それぞれのタイプに応じ、生活を送る上で「やめてみること」、その逆で「やってみること」、おすすめの食材などについてレクチャーがあり、それだけでも勉強になったところです。
 

【和やかな雰囲気で行われたセミナー会場の様子】
 
共通する部分でもあり、「気を使いすぎるタイプ」であったのは、「心配するから胃が弱る、胃が弱るから心配する」とのことで、これに対しやってみることはシンプルに「※よく噛んで食べること」だと。
 
※日本人の噛む回数の平均は7〜10回。理想は30回。
 
ただでさえ、食べ物を溶かして吸収してと大忙しの“胃”に、飲み物で流し込んだりすると、胃に余計な仕事をさせることになり、これを「胃に残業させない」「胃に歯はない」と表現。
 
よく、お腹がなったからとすぐ物を食べるが、そこから何も食べず、胃を休ませてあげることが大事とも。
 
確かにあまり噛みもせず、しかも時間が来たからと日に3度、お腹も減っていないのに食べていてはオーバーワーク(胃が)かと、今日から早速改善を試みるところです。
 
こうした感じで、「なるほど」「へー」と思うことが多くあったわけですが、お二人が「今日のセミナーのポイントはこの2点」と強調されたのは以下。
 
◉睡眠の優先度を上げる
◉やらないことを決める

 
平たく言いますと、「早く寝れたら寝よう」ではなく、「睡眠時間を取るためにあれをやめよう」の発想に転換すること。
 
いわば「睡眠ファースト」とでも言いましょうか、早速実践と、昨日はどうせいつも寝落ちして見ない、布団に入ってからのスマホをやめましたが、ほかにも思いつくことが…。
 
あらためて、眠ることで体をつくり、回復させることは、人間の身体の本質的なことなんだろうと思いましたが、睡眠で得られる効果、それを得るためのヒントを教えていただいた養生デザインのお二方に心より感謝するとともに、今後ますますのご活躍を祈念する次第です。
 

【大変貴重なお話をいただいた青木さん(左)と山中さん】
 
結びに、なんと10時間寝るという「睡眠最優先」で有名なのは、あの大谷翔平選手。
 
ケガをしない強い身体とメンタル、健康体で世界一のパフォーマンスを発揮する彼をも見習い、昨日教えていただいたことを実践していく所存です。
 
「自分の身体は、自分で守る」ですから。

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