【速報】敦賀市で新規感染者確認。あくまでも冷静な行動を。

ブログ 新型コロナウイルス

お知らせです。
本日、敦賀市内にて新型コロナ感染者が確認されました。
 
14時からの福井県の会見にて公表された情報は以下の通りです。
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《記者会見からの主要情報》
◉20代会社員男性
◉発症から2週間以内の範囲で大阪に居た。
◉大阪で会った知人が検査で陽性反応であったことを受け、PCR検査したところ陽性と判明。
◉大阪までは電車を利用。
◉同居者なし。
◉多数の客と接するような職種では無い。
◉大阪で何をしてたか、何日滞在したかなどについては公表を控えて欲しいとの本人意向。
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これは想定内の事象です。
慌てる必要はありませんので、これまで通り自らの感染防止対策を徹底しましょう。
 
なお、先般の「やまたけNEWS」にて呼び掛けました通り、誹謗中傷は感染症対策に向け団結すべき民衆の力を弱めるだけですので、お控えいただけますよう切にお願いいたします。
 

「台湾民主化の父」と「日本精神」

ブログ 政治

台湾の民主化を進め、初の直接選挙による総統を務めた李登輝元総統が30日にお亡くなりになりました。
 
享年97歳。
 
生前に残した偉大な功績と最後まで信念を貫き通したその生き方に対し、謹んで深く哀悼の意を表するとともにご冥福をお祈りいたします。
 
私と台湾との関係と言えば、今から11年前の2009年に、ある労働団体の交流事業で訪れたことがあるだけでありますが、訪問するに際し事前に勉強した台湾の歴史、そして李登輝元総裁の思想や生き方に感銘を受けたことを今でも新鮮に思い出すところです。
 
その台湾訪問、予習を持って訪れた台湾の地の雰囲気はまさに「日本」。
 
到着の後、最初に訪れた台湾が誇る建造物の象徴である「台北101」ビルは、2007年にドバイのブルジュ・ハリファに抜かれるまでは、世界一高いビルとしてギネスブックにも認定されていたもの。
名前の由来となったように地上101階からなり、施工は日系企業が中心となって約7年間かけてこの超高層建築物を完成させたことを知りました。
 

【2009年に撮影したもの。雲に隠れる「台北101」】
 
また、このビルに設置されている超高速エレベーターは「東芝製」で当時「世界最速」。
速度もさることながら、揺れやエレベーター特有の耳の違和感なども全くない、世界最高レベルの技術に何と「異国」で感銘を受けた次第。
 

【世界最速エレベーターの証。Toshiba Elevator and Building Systems Corporation (Japan)の文字が誇らしい。】
 
まちの雰囲気もどこか日本を思わせる看板やお店が並び、李登輝氏が「電車の中でも本を読む、日本人の勤勉な国民性」を習い、台湾内でも呼び掛けたとの話しなどを聞いていた通り、接する台湾人は日本と日本人に大変興味を持ち、そして優しい方ばかりだったことも思い出されます。
 

 
これ以外にも台湾新幹線も日本製だったことや、日本の企業も多く進出しているなど、単に思想的なことだけではなく、技術や雇用といった面でも「日本を信頼」してもらっているとの感情を持った次第。
 
つまり、台湾は親日か反日と言えば、私の中では絶対に「親日」なのであります。
 
そして、その風土や思想の礎を築いたのが李登輝元総裁。
 
終戦前から台湾に住む「本省人」として初の総統に就任し、中国大陸由来の国民党政権による一党独裁体制を内側から変革し、「台湾民主化の父」と呼ばれたことは誰もが知るところ。
 
中国からは「台湾独立派」と批判されましたが、流暢な日本語と親日的な言動で多くの日本人に親しまれてこられました。
 
また、高校時代に新渡戸稲造の「武士道」を読み込んだ李登輝氏は、自著でも「日本の伝統的価値観の尊さ」を訴え、戦後日本の「自虐的歴史観は誤り」と書かれたほか、日本との関係では、2001年に心臓手術で訪日する際、ビザの発給が政治問題化して以降、2016年夏までに計8回訪日し、2007年には実兄が祭られている靖国神社に参拝。
 
台湾も領有権を主張する尖閣諸島(沖縄県石垣市)を巡っては、台湾内で批判を受けながらも「日本の領土だ」と公言し続けました。
 
こうして李登輝氏を語る、代表的な話題を書くだけでもこの「日本」と「日本精神」を愛してやまなかったことを強く思う訳であります。
 
生前これほどまでに拘った「日本精神」を「僕はね、戦後の日本人が失ってしまった純粋な日本精神を今も持ち続けているんだ。だから政治の苦難も乗り越えられた」との言葉も残されています。
 
危険を顧みず、命を削り、これほどまで我が身をもって「日本人へのメッセージ」を送っていただいたことに改めて感謝を申し上げるとともに、日本人のひとり一人が李登輝氏の生き様を決して無にしないためにも、この「日本の文化」と「日本精神」を今一度肝に銘じなければなりません。
 
私自身、そのことを今一度胸に留め、行動していく所存。
 
最後に、偉大なる「台湾民主化の父」に合掌。
 
安らかにお眠りください。

日本原燃「六ヶ所再処理工場」の事業変更許可申請が許可される!

ブログ 原子力

昭和30年に制定された「原子力基本法」。
 
第一条の「目的」にはこう記されています。
 
『この法律は、原子力の研究、開発及び利用(以下「原子力利用」という。)を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。』
 
エネルギー資源に乏しい日本が、ゆたかな国民生活や経済成長を目指すために必要不可欠である、安定した電気の供給のため選択されたのが「原子力」であり、現時点においても本法律が存在する以上、我が国の将来を見据え、国家観を持って判断された先人の魂は今なお生き続けていると理解しています。
 
昨日、将来におけるエネルギー確保という観点から実現すべき「原子燃料サイクルの確立」を目指すうえで大きな鍵を握る、日本原燃の使用済み核燃料「再処理工場」が約6年半に亘る原子力規制委員会の審査を経て、事業変更許可申請の許可を得ました(簡単に言うと「審査に合格」)。
 
「再処理」とは、貴重なウラン資源をより有効に利用するために、原子力発電所の使用済燃料から再利用できるウランとプルトニウムを取り出すシステムのことであり、青森県六ヶ所村にある日本原燃がしゅん工を目指し取り組んでいるもの。
 

【青森県六ヶ所村にある日本原燃】

【日本原燃の事業説明(ホームページより)】
 
今回合格した再処理工場は、2014年1月に新規制基準への適合性に係る事業変更許可申請を行い、これまで審査会合の場において安全性向上対策について議論を重ねてきており、審査においては、火災・爆発対策や地震・津波対策、外部火災対策、竜巻対策(最大風速100m/sを想定)、火山対策などの「設計基準」に加え、臨界事故や水素爆発への対策など「重大事故等」に対し、何と21回もの一部補正(見直し)をされ、ここに至ったものであります。
 
この日の許可は、再処理工場のしゅん工、その後の安全な操業に向けて大きな一歩になるものであり、関係者の皆さまのこれまでの努力に心から敬意を表するものであります。
 
再処理工場がしゅん工し、MOX燃料工場が完成すると、ウラン濃縮から再処理、MOX燃料加工、廃棄物管理までの環(サイクル)が完結し、『準国産エネルギー』の安定供給に大きく近づくことになります。
 
石油・天然ガスなどの化石燃料は、一回燃やしてしまうと二度と燃料として利用することはできません。
これに対してウラン燃料は3~4年間使うことができ、さらに再処理することで繰り返し利用することができます。
 
多くの原子力発電所で利用されている軽水炉では、主にウラン235からエネルギーを取り出していますが、ウラン238が中性子を吸収すると、ウラン238の一部がプルトニウムに変化します。
このプルトニウムとまだ使えるウラン235を再処理して取り出し、ウラン燃料やMOX燃料(Mixed Oxide Fuel)の原料として使えるようにするのが再処理工場の役割です。
 
つまり、再処理工場は「準国産エネルギー資源の創出の場」であるといえます。
 
再処理により回収したウランやプルトニウムを軽水炉で利用することにより1~2割のウラン資源節約効果が得られ、さらに将来的にプルトニウムの転換効率に優れた高速増殖炉(もんじゅは廃止措置に入っていますが)でプルトニウムを利用することができれば、利用効率は格段に向上すると期待されています。
 

【(出典)鈴木篤之「原子力の燃料サイクル」より】
 
つまり、冒頭に述べた「原子力基本法」の目的である「将来におけるエネルギー資源を確保し」との目的につながるものであり、我が国のエネルギー政策においても大きな役割を果たすものであることは言うまでもありません。
 
こういった話しをしますと、「あなたは原子力発電所に勤めているからそう言うのでしょ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、国際情勢や現在の状況を客観的に捉えた考えとして、今もこの先も使えるエネルギー資源を使わないことの非効率性と、その非効率が及ぼす影響は国民生活や経済、さらには国力の低下にもつながりかねないリスクであることすれば、至極真っ当な考えである思う訳でありまして、その点は「賛成」「反対」の二項対立ではなく、是非とも皆さまにも冷静にお考えいただきたく思うところであります。
 
日本原燃は令和3年度上期の工事終了を目指すものの、昨日の会見で増田社長は「これからが大事。安全審査で約束した事項を現場の工事に反映させ、安全に安定して操業するのが使命」と述べられています。
 
「原子力基本法」の第二条(基本方針)にはこうあります。
 
『原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。』
 
役割を果たすためには、この先超えなければならないハードルはまだまだあるものの、法律の趣旨に則り、何をおいても「安全第一」の事業運営が不可欠。
 
日本原燃の審査合格を踏まえ、今一度、先人たちの思いと法の精神を深く念じ、我が国が「原子力を選択した意味」を忘るることなく信念を持って取り組む所存です。

つながりと情報連携で北陸新幹線敦賀開業効果を嶺南一円に

ブログ まちづくり

企業の会議を始め、自治体が開催するような各種ワークショップなどにおいて最もいけないのは「形骸化」、いわゆる「マンネリ」の言葉ではないでしょうか。
 
結果ありき、実績づくりのために開催するよう会議は、正直、出席者からは「時間泥棒」と思われる訳でありまして、成功している企業や自治体においては、限られた時間を効率的に使い、「新たな発想」を生み出すことや「生産性」を高めることを恒常化した取り組みが進められています。
 
そんなことを考えつつ、昨日は、「時間を提供するに値する」会議に参加しました。
 
以前に少し紹介しましたが、福井県嶺南地域の各市町議員の有志が集まり、北陸新幹線の敦賀並びに小浜開業までを見据えた嶺南一体のまちづくりをどのように構想していくのかを考える会(呼称「嶺南未来構想会議」)の第3回目を敦賀駅オルパークにて開催しました。
 

【オルパーク2階のオープンスペースは「開かれた会議」の雰囲気となりますね】
 
1回目は小浜、2回目は高浜、そして3回目は敦賀ということで、参加している議員の市町持ち回りで進めてきているところですが、海でつながる嶺南の町はどこもそれぞれ個性(風景や風土、そして人も)を持っており、そういったことを感じることが出来るのもこの会議の良いところ。
 
私はどちらかというとお声掛けいただき参加している立場でありますが、この日は敦賀開催ということで事前の調整や当日の進行役などを務めさせていただきました。
 
この日は、「集合前に是非、駅前立体駐車場屋上からの展望をご覧になってきてください!」とご案内したところ、皆さん屋上まで上がっていただけたようで「新幹線開業の息吹を感じました!」とのありがたい感想が得られ嬉しい限り。
 
「外さない」お気に入りの場所は、やはりどんどんPRですね🎵
 

【北陸新幹線敦賀駅舎から延びる高架群】

【駅舎から車両基地に向かう高架も出来上がってきています】
 
さて、会議の方は、せっかくの敦賀開催ということで、現在の工事や受け皿づくりの状況や効果を嶺南に一円につなげていくヒントについてお話しいただけないか、事前に敦賀市の担当部にお声掛けさせていただいたところ、二つ返事で快く引き受けていただける有り難さ。
 
そういった場にもどんどん出ていただけるという積極性に、ある種「熱量」を感じた次第です。
 
その熱量そのままの勢いで、会議の冒頭にプレゼン形式で都市整備部、観光部のご担当から説明をいただいた後、嶺南全体の連携や、開業効果を高めるために市民と行政をつなぐ議員の役割などについてディスカッションを行いました。
 
説明においては、バーチャルにて敦賀駅入口からコンコースを通り新幹線ホームまでの映像を見ることが出来たり、国道8号バイパスとつながる新幹線駅東口(木の芽側)は高速ICにもすぐそこの高いアクセス性を有することになることから、バスやレンタカーなど陸路のハブ(拠点)にもなり得ることなどヒントが満載。
 
ディスカッションにおいても、敦賀市としては開業効果を決して独り占めしようなんて考えは更々無く、嶺南一円にどう波及させていくかの視点で各市町とも連携していることや、敦賀・小浜の開業をどう生かしていくかの感覚は時間軸や地理的関係によって異なるため、その辺の温度差を埋めていく必要がある、そのためには行政も議会も情報を出し惜しみすることなく共有していくことが重要ではないか、お互いのまちの良さを知り合うような取り組みも必要ではないかとの意見は、両者に共通した考えと受け止めました。
 
あまりネタばらしは出来ませんので、ポイントのみご紹介させていただきましたが、他にも私からすると目からウロコの議論満載、やはり地域が違えば見る視点も違う、逆にその多様性こそ発見や気づきを生むということで、他市町の議員さんと連携することの大きな意味合いを感じました。
 
なお、丁寧なご説明に加え、ディスカッションにおいても気持ちの伝わるご意見をいただきました都市整備部、観光部の皆さんには感謝申し上げます。
 
行政とのディスカッションの後は、議員のみで今後の進め方などについて議論をし、本日の会議は終了。
 
この日は偶然にも、若干の時間差で「港都つるが」さんが本町、神楽など商店街の方々を集めての説明会をされていました。
 
趣旨は、新幹線開業に向けて気運を高めるため、まちづくりの関係者と今の状況を共有するとのこと。
 
先ほど述べた「大切なこと」ですね。
 
このように、「形骸化」とは真反対の「新たにチカラを生み出す」会議やミーティング、ワークショップは大歓迎ということで、この未来構想会議はもとより、今後各市町でもそういった気運が高まることを願うとともに、私自身も発信をする側の立場として、積極的に役割を果たしていきたいと思います。

活動の原点は市民の声にあり

ブログ 政治

日曜日に新聞折り込みさせていただきました「やまたけNEWS(第5号)」。
 
広く有権者の皆さんにお知らせすべく、facebookやLINE、instagramなどのSNS媒体でもお伝えするとともに、支えていただいている地域や各労働組合の職場の皆さんには直接お届けをするところであります。
 
もちろん私としては、議会活動でのやり取りや自身の考えを知っていただきたいとの気持ちが一番にある訳ですが、大切にしているのは、紙面をご覧になっていただいた方からの率直なご意見。
 
これは労働組合役員時代から染みついている「活動の原点は職場の声にあり」の後段を「市民の声」に置き換えただけであり、私にとってはこれまでの活動路線を地で行くものでしかない訳ですが、今回もありがたく、様々な視点からご意見を頂戴しているところです。
 
今回掲載した記事の順番で言えば、
◉コロナ感染に対する市の当初の対応は危機感が薄いと感じられたが、今は市長からの呼び掛けなどもあり、適切に対応されているのでは。
◉コロナの医療対応は、(感染病床などの)事実関係をもっと市民に周知することで無駄な不安が低減するのでは。
◉感染者を敦賀病院で受け入れたことより、市内で発生した場合にどういった対応となるのかが知りたい。
◉イベント開催は慎重であるべきであり、今年やらなくても良いものは中止すべき。
 
全般的なものとして、
◉今の敦賀では、歳をとっても住み続けたいと思えない。観光施策より市民の福利厚生や移動手段(交通機能)の充実に目を向けるべき。
 
などなど。
 
メッセージや直接対話など伝えていただく形は様々ですが、頂戴したご意見に対しては、どんな内容であろうとまずはその声に真摯に耳を傾ける、いわゆる「傾聴」が大切。
 
もちろん、その上で自身に確固たる考えを持って対応させていただく訳ですが、自分の認識不足や把握出来ていないことに対して、「知ったかぶり」や「上辺の知識」で答えを返すことはせず、即答は出来ずとも調査をしてから「事実」を持って回答や対話にあたるようにしています。
 
何故なら、市民の方の「真摯」なご意見に、議員が「いい加減な頷き」や「考えなき同調」をしているようでは、その辺の井戸端会議と変わらないからです。
 
議員である以上、「事実」や「実態」を正確にお伝えすることが役割でありますし、自身の「発言に対する責任」でもあります。
 
やや堅苦しい流れになりましたが、本日以降もお伝えいただいたご意見や質問に対しては、そのようなスタンスを持って対応させていただき、より良いまちづくりに生かしていきたいと思いますので、是非とも宜しくお願いいたします。
 
あっ、こう書くとご意見されるのも構えられるかもしれませんが、どうぞ「お気軽に」ということで。。。
 
ではでは。
 

【本日の投稿とは関係ありませんが、休日の散歩コースからの眺めを掲載します。何か落ち着く集落の風景です。】

イベントやスポーツ大会を支える裏方さんのチカラ

ブログ まちづくり

曇天続きの4連休となり、梅雨前線がまだ残る日本列島ですが、今週の半ば頃からは次第に夏の太平洋高気圧が西日本に張り出してくるとのこと。
 
早いもので7月も最終週となりますが、お子さんは夏休み、大人も夏の訪れを楽しみに、今週も頑張りましょう。
 
さて、夏の風物詩といえば「敦賀港カッターレース」でありまして、徹底したコロナ対策を講じつつ、規模を縮小して今年も開催する運びとしていることは以前にご紹介しました通り。
 
一昨日の土曜日には、8月9日(日)の本番に向けたカッター下ろし(仮置き場から移動し、海に浮かべる作業)が行われ、私もスタッフの一員として原電労組(ボランティア参加)の皆さんと参加しました。
 
この日は、会場の川崎・松栄岸壁に20名弱のスタッフが集合し、それぞれの持ち場を確認後、3艇のカッター(例年は4艇)をユニック車で移動、オールや艇に必要な装備品などの据え付けまでを行いました。
 


 
海の世界では、ロープの結び方など基礎的なことが出来なければ「使えない人?」ということで、実は私もそのひとり。。。
 
カッターを海に下ろして以降は、颯爽と艇に乗り込み、装備品を手際良く装着していく海洋少年団OBや海の男の皆さんの仕事っぷりを補助することしか出来ませんでしたが、「安全第一」の作業は大変勉強になりました。
 
作業終了後は、会場を屋内に移し、作業にあたったスタッフ全員の抗原検査を実施。
 
もちろん初めての経験でありましたが、検査キットの説明を受けながらスムーズに検査を進め、結果、私を含め全員が「陰性」。
 

【「陰性」を示すCの位置にラインが出てひと安心】
 
大会当日まで、引き続きコロナ感染防止に念には念を入れた準備を進めていきます。
 
こうして、この時期に開催しようという各種イベントやスポーツ大会に関しては、同じように入念な対策と気を使いながらの運営に苦慮されていると思います。
 
昨日、福井県内では、陸上競技の「福井国体記念強化記録会」、水泳の「県選手権大会」、テニスでは県内8校の高校が参加しての「交流試合」などが開催され、選手や関係者の皆さんの思いが込められた「今シーズン初」を迎えられたようです。
 
一方、高校野球と同様に、これらの大会や記録会を最後とし、高校部活生活にピリオドを打たれる選手も多かったと思いますが、参加されたひとり一人にとっての「区切り」と今後のさらなる成長への糧となることを願うとところであります。
 
私の知人や同級生のFacebookなどには、この日行われた大会のスタッフとして汗を流し、無事の大会開催に安堵する様子が書かれており、「裏方」としてのご苦労をヒシヒシと感じた次第です。
 
選手の皆さんの一生の思い出づくりの裏には、思いを持って支えていただいている「縁の下の力持ち」の存在があることを忘れてはなりません。
 
改めて、イベントやスポーツ大会を支える裏方さんのチカラに感謝するとともに、自身もその一員となれるよう汗をかいていきたいと思います。

「やまたけNEWS(第5号)」本日発行!

ブログ 活動報告

本来であれば、開設し賑わいを見せているはずだった「海の日」、歓喜の渦の中、東京オリンピックが開幕していたはずだった「スポーツの日」と続く4連休も今日が最終日。
 
新型コロナウイルスを言い訳にして、「〜はずだった」とネガティブ思考、マイナススパイラルに陥っていては何も始まらないことを、昨日投稿しました高校野球が示してくれましたので、彼等の姿に習い、ポジティブ思考、プラススパイラルに回るよう取り組んでいかねばなりません。
 
そういった思いのもと、本日は「やまたけNEWS」を新聞折込みさせていただきました。
 
定例会ごとに発行しているこのNEWSも早いもので、今回が「第5号」となりました。
 


 
このブログにせよ、やまたけNEWSにせよ、私は議員という立場である以上、有権者の皆さんに対しては上っ面の言葉や議会でのやり取りだけでなく、自身の思いや魂を込めて伝えねばならないとのスタンスであり、読み手の皆さんからすれば、少々「暑苦しさ」を感じる文章となっているかもしれませんが、そこは「山本武志」のスタイルとご理解いただきたく存じます。
 
また、今回の発刊に際しては、貴重な税金(政務活動費)を使わせていただく予定です。
 
政務活動費に関しては、敦賀市の場合、議員ひとりあたり4万円/月、会派単位で与えられるということで、私が所属する市民クラブ(2人会派)に対しては年間96万円の使用が出来ることとなります。
そうした重みも踏まえながらとなれば尚のこと、税金を使わせていただくに値する内容、価値で無ければならない訳でありまして、お読みいただけた方におかれましては、私の書いた内容がそれに値するのか否か、正直な感想やご意見などを頂戴出来ればと思います。
 
限られた紙面で作成する以上、今回も分量調整に苦慮しましたが、伝えたいポイントについては「太字」、「POINT」の注釈を入れるなど、若干の改良を加えました。
 
特に、今回お伝えしたいのは、新型コロナへの備え、敦賀の医療の実情についてであり、敦賀市内の皆さまにおかれましては、是非とも数ある新聞広告の中から取り出していただき、お読み取りいただければ幸いに存じます(今朝見ましたら、広告を束ねる役目をしておりましたので…)。
 
また、市外の皆さまにおかれましては本ページの写真、或いは追って掲載します「山本たけしホームページ」からアクセスのうえご確認いただきたく。
 
コロナ禍にあって、集合型の「議会報告会」開催が難しい状況である訳であり、地域の皆さんへの対応に苦慮しているところでありますが、だからと言って市民の皆さんに「お知らせする義務」を放棄してはなりません。
 
まずは、いま私が出来る紙媒体やSNS(Facebook、LINE、instagram)を活用し、ひとりでも多くの方に実情や政治に関心を持っていただくことに取り組んで参りますので、メールでもFacebookでも、もちろん直接でも方法は何でも構いませんので、ビシバシと忌憚のないご意見を頂戴出来ますよう宜しくお願いいたします。

敦高野球部の「夏の終わり」で得られた「価値」と「清々しさ」

ブログ 敦賀と野球

連日、高校野球の話題で恐縮ですが、昨日は私にとって生涯忘れないであろう日となりましたのでご紹介を。
 
今日は議員としてではなく、ひとりの親としての立場で述べさせていただきますことご容赦願います。
 
福井県高校野球大会は昨日から2回戦に入り、組み合わせ上、唯一2回戦から登場する敦賀高校、福井商業高校の対戦が敦賀市総合運動公園野球場にて行われました。
 
本大会のスタンド観戦に関しては、背番号を付けた選手の親、家族、1チーム100人までという制限の中、集合・入場時間厳守、事前の観戦者名簿提出、入場時の検温、観戦時のソーシャルディスタンスは勿論、不要な場内移動禁止という徹底した感染防止対策を行なったうえでのものでした。
 
また、大声での掛け声やメガホンを叩くことも禁止、つまり選手へ応援の気持ちを送る方法は唯一「拍手」ということで、恐らく生涯最も拍手をしたのではないでしょうか。
 
そうしたある種静寂、特別な雰囲気で迎えた試合は9時プレーボール。
 

【ベンチ前集合もソーシャルディスタンスで】
 
夏の甲子園出場22回(県内第1位)を誇る「炎の福井商業」、同じく17回(県内第2位:敦賀商業時代含む)を誇る「全者一丸の敦賀高校」、福商は2013年から、敦高は1999年から甲子園から遠ざかってはいるものの、県立屈指の両校。
 
これまでも甲子園の切符を懸け、激闘が繰り返されてきた、いわば「宿敵」であり、昨秋の県大会においても大量点を先制した福商に徐々に追い付き、10-9で敦高が劇的な逆転勝利を納めた関係であり、この大会で再戦するということも何かの運命のようなものを感じた次第。
 
試合の方は、両先発ピッチャーが無難な立ち上がりを見せるものの、1-1から迎えた3回裏、2アウトから3連打にて福商が2点を加点。
 

【我が息子は1安打、守備でも全力プレーが見れただけで十分】
 
その後、敦高は得意の継投で0点に抑えるも、福商のエース奥村君の球威と変化球の切れは最後まで落ちることなくゼロ封。
 
9回表には、2アウト1、3塁とし最後までチャンスを作り粘るも最後は三振で力尽き、結果、1-3で敗戦を喫しました。
 

【試合後のスタンド前挨拶では、さすがにホロリ涙が流れました】
 
この福商のエース奥村君、実はウチの長男も含め敦高の数名のメンバーとは中学時代にKボール(旧名KWBボール)の福井県選抜で同じチームメイトだった選手。
 
当時も唸る速球を武器とし、表情を変えずに投げる頼もしいエースでしたが、この日は敦高の前に立ちはだかりました。
 
体付きは勿論のこと球速衰えることなく一人で9回を投げ切り、しかもマウンド上の闘士満々の姿は、敵ながら天晴であり、その成長を我が子を見るように嬉しく感じました。
 
こうして奥村君と対戦できたことも、野球の神様がくれた運命だったのかもしれません。
 
この敗戦により、敦高にとっては「最後の夏が終わる」ことが現実となりました。
 
思い返せば、秋の県大会準優勝、北信越大会ベスト8まで進み、選抜21世紀枠の全国9校にまで選出されながらもう一歩のところで逃した悔しさ、さらに再度の挑戦を誓った「夏の甲子園」という目標をコロナで失いながらも、仲間と1試合でも多く試合をしたい、先輩から引き継ぐ「敦笑」をもって「地域の方への感謝」をプレーで示したいと最後まで諦めることなく全力でプレーする敦高野球部の姿は、私にとって誇りに思えました。
 
かつて経験したことがないことが相次ぎ、正直何でこの年に…と思った時期もありましたが、そんな中でも腐ったり、やけになったりすることは1ミリもなく、とにかく前を向く、ポジティブに「今出来ることを精一杯やる」敦高野球部そして我が子の姿を見ていると、そんな気持ちなどいつの間にか何処かへ消えていました。
 
一番苦しい、悔しいのは部員、マネージャーであるはずなのに、皆で支え合い、励まし合い、こうして試合を終えた彼等、彼女らの姿は、困難や悔しさを乗り越え、笑顔にまで変えられた「人間としての強さ」を感じるまでに、一回りも二回りも成長していました。
 
今なお人類が戦っている新型コロナですが、彼等、彼女等がこれからの人生を歩むうえで否応なく感じる「社会の理不尽や厳しさ」に対しても、皆で乗り越えたこの時間と経験が糧となり、必ずや乗り越えてくれることでしょう。
 
大会前の激励会で監督さんが部員に対して掛けたのは、「勝負はついてもこの大会で必ず得られるのは『価値』である」との言葉でした。
 
今、戦いを終え、敗戦により高校野球生活にピリオドを打った選手にとっても保護者にとっても、まさしく得られたのは「価値」であり、私は昨日から何か清々しい気持ちになっています。
 
この厳しい環境で戦ったのは、部員のみならず、常に気を配っていただいた指導者の皆さん、そして食事や精神面でサポートを続けてきた親や家族です。
 
そういった意味では、関係した方々皆が、コロナと対峙した高校野球生活の誇りと自信を今後の人生に生かし、それぞれの立場、ステージで必ずや活躍することを祈念するところであります。
 
こうした貴重な経験と選手の全力プレーをこの目に焼き付け、「ひとつの区切り」を迎えることが出来たのも、最後に独自の福井県高校野球大会を開催いただけたからこそであり、福井県高野連を始め、全ての関係者の皆さんに感謝するとともに、勝ち残ったチームにおかれては、最後の最後までの奮闘、全力プレーを期待し応援いたします。
 
最後に一言。
 
ありがとう敦高野球部!ありがとう高校野球!
 
「敦笑」と「全者一丸」の思いは永遠に不滅です!

「球都」の名に恥じぬスコアボードであるために

ブログ 敦賀と野球

2回戦から登場の敦賀高校vs福井商業のカードは本日9時に順延となったものの、昨日の福井県高校野球大会は福井・敦賀両球場とも3時間遅れで1回戦の計4試合が行われました。
 
試合は大差がついたものもあれば、終盤までもつれたものもありましたが、福井新聞D刊の速報写真に写る球児はどれも泥まみれの全力プレー。
 
この先も傘と曇りマークが混在する天候が続くようですが、どんより空気を吹き飛ばす熱戦と元気ハツラツのプレーを期待するところです。
 
さて、タイトルを見るに今日は何の話しかとお思いかと存じますが、取り上げるのは本大会でも使用されている敦賀総合運動公園野球場のスコアボードのことであります。
 
今から述べますことは、決して市の対応への「批判」や「なぜ修理してないのか」と結果論で申し上げるものではないということを初めにお断りさせていただきますので、その点誤解なきようお願いします。
 
敦賀総合運動公園野球場は、これまでも市内の学童野球から高校野球までを始め、ビッグイベントとしては2013年に開催された「第23回世界少年野球大会」や2018年の「福井しあわせ元気国体」(成年男子:軟式野球)の会場としても使用されてきているところです。
 
しかしながら、昨秋の高校野球県大会でも表示がされていなかったのは一時的な故障と思っていたスコアボードに関して、実は国体を終えた頃から調子が悪く、表示がされたりされなかったりの状態が続いていたそうで、タイミングの悪いことに、この福井県高校野球大会開幕日の朝には完全に制御不能状態となってしまったとのこと。
 

【制御不能状態のスコアボード】

【3塁側の芝生エリアにある第23回世界少年野球大会の記念植樹】
 
「スコアボードくらい無くたって野球は出来る」と仰る方もおられると思いますが、甲子園のイメージにあるように、選手にとっては、チーム旗がなびくボードに自分の名前が掲示されていることによる誇りや自負心、観る側にとっては常に得点やカウント、エラーかヒットかなど視線を送る、野球場に無くてはならないシンボル的存在がこのスコアボードであると言えます。
 
不調のスコアボードに関しては、地元野球ファンの方からもご意見をいただいたこともあり、管理者である市のほうに確認すると、不調当初から市内業者やスコアボードメーカーによる点検を行なったり、制御基盤の熱が原因ではないかと扇風機などでの冷却を試みたり、本大会開幕日の試合終了後には数時間を掛けて調査を行ったりと、出来得る対応、手は尽くしているとのことでした。
 
ちなみに、今回の大会での球場使用に際しては、このスコアボードの状態では選手や関係者も残念であろうと、敦賀市からは美浜や丹南など別球場での開催を打診したそうですが、高野連としては、グラウンドコンディションや設備面を優先され、結果、敦賀にて開催することとなったとのこと。
 
この不調状態に関し、経過や対応などについて市に話しを聞くに、何より一番の問題は、設計・据付したメーカーが、今ではスコアボード事業から撤退しており、ブラックボックス的な部分(制御基板)に対し設計思想に基づいた対応が出来ないということだそう。
 
また、磁気パネルを使い電光表示と同等のスコア表示や文字情報を表現する「磁気反転型」スコアボード(オセロのイメージ)が既に古い型式になってきているということで、パソコンで言えば、サポートされていないOSを騙し騙し使用している状態であることを考えれば、メンテナンスで対応せよというのは酷な状況であるということが良く分かりました。
 
そうなると、抜本的に最新の機能のものに取り換えれば良いのではとなる訳ですが、制御基板のみならず、もちろんボード側の改修も必要となるため、費用も大きなものとなり、予算措置など事業採択に対しては行政サイドでも苦慮していることも伺った次第。
 
私の考えを述べさせていただくとすれば、桐生市(群馬県)、木更津市(千葉県)、松山市(愛媛県)と並び、この敦賀市は、「野球どころ」であることを示す全国4つの「球都」の称号を与えていることを「誇り」に思うことや敦賀気比高校の選抜大会優勝で全国に「敦賀」の名を轟かせたこと、その反面「球音が聞けない」松原の市営野球場、「県内唯一バックネットのない高校」と揶揄されている敦賀高校の存在などに加えて、「表示されないスコアボード」の存在は正直、「球都」として「恥ずかしい」ものであり、すぐにでも改修すべきとの考え。
 
一方、既に手は尽くし、残るは抜本的な改修の道しかないことからすれば、大規模な支出を伴うこの改修が、災害対策や公衆安全など緊急を要する事業と較べ、優先してでも実施すべきことなのかとの考えも浮かびます。
 
両者が交錯するところでありますが、議員である以上、自身の考えは明確にしておかなければなりません。
 
一番には、先に述べたように、敦賀は野球のまち「球都」であるとの誇りをベースとし、本来あるべき施設の機能や住民サービスは維持すべき行政の立場、病気と同じでこのまま末端治療を続けていても抜本的改善とならないこと、そして何より、こうして不安定な状態であることにより、学童野球から大人まで、この球場で試合をした証や積み重ねた努力の成果がスコアボードに表されることで残る、親御さんを含めた「記憶」や「思い出」の機会を逸することは、お金に代えることが出来ない崇高なものであることを踏まえれば、答えはひとつ、「改修すべき」であります。
 
もちろん、掛かる費用やいつ実施するかに関して入念な検討が必要であることは言うまでもありませんが、これ以上、余計な不満や批判を生まないためにも、やはり「今後の対応方針」をキチンと示すことが大事なことだと思います。
 
昨日の「ふるさとの海」も同じかもしれませんが、野球場ひとつとっても、そこでプレーした人、スタンドで応援した人のかけがえの無い思い出は一生ものであり、次代に受け継がれるもの。
 
本日残念ながら、私にとっても「スコアボードなし」の記憶と思い出が残ることになる訳ですが、この思いをする方が1人でも少なく出来るよう、今後の課題として捉え、しかと対応せねばと思う所存であります。

「自然しか無い」なんて言ってたらバチがあたります

ブログ 敦賀の自然

今日は福井県高校野球大会の第3日目。
 
福井県営球場、敦賀市総合運動公園野球場にて、それぞれ3試合が予定されており、地元敦賀高校の初戦も予定がされています。
 
しかし、夜半からの雨に加え傘マークが並ぶ天気予報。
 
最後の試合になるかもしれないことを思えば、少しでも良いグラウンドコンディションで試合をさせてあげたいという気持ちと、短い夏休みの関係もあって、極力休日を利用し試合を進めていきたいという大会日程の面から主催者も悩ましいところと思います。
 
長梅雨や雨空を恨んでも仕方ありませんので、ここは心の中にてるてる坊主を吊るし、好天を待ちたいと思います。
 
さて、話しは全く変わるのですが、「ふるさとの海」という観点で思い返したことがありましたのでご紹介したいと思います。
 
昨夕、東浦方面での所用を済ませ、大比田の海岸沿いを走ると懐かしい光景が。
 


 
写真は大比田から越前町方面に抜ける「しおかぜライン」沿いで、上は横浜の海岸方面、下は越前方面を見たものとなります。
 
この場所から眺めていると、実は父の実家がこの大比田であり、幼少期の「夏休み」と言えば良くこの海を訪れ、サザエやしただみを取りに潜ったり(当時は全く取り締まってなかった)、横浜の浜で家族と過ごしたことを思い出しました。
 
また、上の写真の遠くに見えるテトラポットでは、父に連れられ「穴メバチ」釣りをしたことも。
 
そして、父親となった私は、今度は長男や近所の子を連れてこの場所で同じように釣りに興じ、小さいながらも「ググッ」と力強く引く魚の力、吊り上げた時のあの喜びを親子で感じたことも今では懐かしく思い出されます。
 
そんな長男ももう高校3年生な訳ですが、父から数えれば、親子3代、長男が父親になって子どもを連れてくれば4代と、幼少期の思い出とともに、ふるさとの海の良さと景色は引き継がれていくのだろうと、ひとり海岸線で感傷に浸ってしまいました。
 
その後、帰り道に、これは「市場調査」としてフェリーターミナル前にある「鞠山北魚釣り護岸」へ立ち寄ると、何とまあ日暮れ時を狙ってか、駐車場は滋賀、岐阜、一宮、名古屋など県外ナンバーの車でほぼ満車状態。
 
車を降り、護岸を覗くと、年齢層や組み合わせも様々ながら、「一定の間隔を(2m)空けて利用を」との注意看板を緩やかに遵守いただきながら、各々が楽しそうに竿を伸ばしておられました。
 


 
敦賀湾が一望でき、振り向けばフェリーターミナルや敦賀港と絶好のロケーションに加え、トイレや自動販売機も完備ということで、これだけ人気な理由も改めて理解したところであります。
 
本来であれば、この釣り客をいかに市内に足を運んでもらうようにすべきかと書き進めたいところですが、県外者との積極的な交わりを避けるコロナ感染に配慮し、ここでは止め、お伝えするのは「ふるさとの海への思い」について。
 
先ほど述べた私の思い出と同じく、この日訪れていた親子連れももしかしたら同じ境遇なのかな?このお子さんも将来父親、母親になったら、またここに来てくれるのかな?など、これまた勝手に思いを馳せて眺めていた訳ですが、これだけ県外から繰り返し足を運んでいただき、訪れた皆さんひとり一人の記憶に留まる「敦賀の海」は、やはり地元っ子からしても自慢に思える訳であります。
 
また、3月定例会の一般質問でも紹介したのですが、この新聞切り抜きをご覧ください。
2月のある日の福井新聞「こだま」欄に投稿された岐阜県の男性の思いです。
 

 
投稿にある突堤がこの護岸であったかは別として、厳しい冬の時期も敦賀の海を訪れ、寒さと戦いながら釣りを楽しむ内容かと思いきや、「岐阜から敦賀へ釣りに通い丸30年が経った。このまま通い続けたら、敦賀は私の第2の故郷になるかもしれない」と結んでいます。
 
こんなふうに思ってもらえることが何とも嬉しく、切り抜いたこの投稿は今でも手帳に挟み込んでいます。
 
県外の方が魅力に感じ、ここまで愛着を持ってくれる敦賀の海。
 
良好な地理的環境や地形から生まれたこの自然の恵みは、古から変わらず続く敦賀の宝物であり、こんな天然由来のプレゼントを、敦賀っ子が「自然しか無い」なんて言っていてはバチがあたりますね。
 
「自然と歴史を生かしたまちづくり」は私の持論。
 
こうした考えのもと、現世代から次世代へ、思いと記憶をつなぎ、「自慢は、ふるさとの海!」と言ってもらえるよう、しっかり取り組まねばと。
 
昨日は、嬉しい光景を目の当たりにしつつも、自身に対してネジ巻く1日となりました。

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