「嶺南忠霊場盂蘭盆法要」にて先人の気概を知る

ブログ 敦賀の歴史・文化

お盆の最後を締めくくる、昨晩の「とうろう流しと大花火大会」。
 
こうした節目があるのも敦賀の良いところと思うところですが、お盆とともに夏も徐々に終わりに近づき、今朝は涼しげな風。
 
次は秋へと、季節の移り変わりを感じるところです。
 
お盆の節目に関しては、今年から参列した「嶺南忠霊場盂蘭盆(うらぼん)法要」。
 
毎年、8月16日の14時から、市野々の良覚寺様で営まれる嶺南忠霊場盂蘭盆法要は、もともと嶺南忠霊場(敦賀市岡山町)で行われていましたが、参列者の高齢化とコロナ禍もあって、ここ数年は良覚寺様のご本堂をお借りして営まれているとのこと。
 
法要の趣旨からいって、本来どなたでも参列可能でありましたが、恥ずかしながら私はこれまで参列したことなく。
 
今年、自身が所属する気比史学会が「戦没者追悼敦賀市民の会」の賛助団体となり、その関係で私も同会の会員に。
 
そうした経過もあり、今回お声かけをいただき、それは是非ということで参列した次第です。
 
14時からの法要ではまず、参列者全員での合掌に続き、戦没者追悼敦賀市民の会代表より追悼の辞、良覚寺住職様による読経と法話(途中、お焼香)。
 
その後は、来賓代表として米澤光治敦賀市長からのご挨拶、結びに嶺南地域遺族連絡協議会会長からの謝辞で締めくくられました。
 
なお、最後の嶺南地域遺族連絡協議会会長である奥野治樹さんからのご挨拶では、なぜこの法要を良覚寺様で営んでいるかの経緯に連れられるとともに、戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の管理下で嶺南忠霊場を取り壊す命令が下された際、これに良覚寺の前々住職様が大きく関係し、元のまま残された歴史を拝聴。
 
なお、この歴史的エピソードは、この日配布された良覚寺 寺報(第11号を戦没者追悼敦賀市民の会にて拝刷)に記されており、これによれば、昭和20年8月に終戦となったその年の12月下旬、GHQが忠霊塔を爆破するとの噂を耳にした遺族代表の橋本五郎さんが、福井県軍政部のハイランド中佐に爆破の中止を頼みにいく前日のこと。
 
GHQの軍政官が敦賀市役所に来て、「忠霊塔の中に軍人の遺骨が入っているだろう。すぐに取り壊せ。」との指示があり、市役所は関係しておらず、管理しているのは敦賀遺族会と敦賀市内の寺院である旨回答すると、明日案内せよと。
 
翌日の朝、軍政官3人と敦賀市職員5人が良覚寺を訪ね、同様の質問をするに、前々住職様は、8千余の軍人の遺骨は、福井、滋賀、岐阜など他県に引き取られた旨を説明した上で、「今は、戦没者嶺南地区一部と敦賀市内の寺院有志が預かった身寄りのない遺骨が入っている。中を見せるには全有志の承諾のもと、有志寺院3名以上の立会いが必要で、反対する寺院が一つでもあった場合は忠霊塔の中を開けることはできない。その鍵は全有志の委託を受けて私が預かっている」と言うと、軍政官は「分かった」と言ってくれたとのこと。
 
その後、軍政官は祀ってある仮仏を観て、深々とお辞儀をしたり、帰り際に渡した日本酒一升瓶を大層喜んだこと、前々住職様と握手して帰った様子が手に取るように記されていました。
 
寺報は続けて、後日、この話を聞いた市長(当時)さんが「お酒一升で取り壊しを免れたことは欣快(きんかい)この上ない」と前々住職様への謝意を述べられたとのこと。
 
今の忠霊塔(忠霊場)があるのは、まさに命懸けでGHQに懇願を試みた橋本五郎さん、そして前々住職様が気概をもって凛とした対応をされたことがあってのことと、これに心から敬意を表するとともに、大変感慨深く学んだ次第です。
 
また、奥野さんがお話の中で、前々住職様の肖像画があると仰ると、お寺の方が持ってきてくれてお披露目。
 
上記のエピソードから想像するとおり、肖像画のお姿は貫禄と徳がにじみ出るお方でした。
 

【良覚寺ご本堂の前でお披露目された前々住職様の肖像画】
 
こうした歴史的経緯を経ての法要を今後も連綿と続けていくこと、そしてこれらを語り継ぐことの大切さを思いつつ、来年以降もお盆の節目に参列することを思い、良覚寺様を後にした次第です。