『第42期 敦賀市民歴史講座』が始まります

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話題持ちきりのサッカーワールドカップ。
 
私はあいにく所用と重なり、ライブ視聴はできませんでしたが、1次リーグF組の日本は昨日、第2戦のチュニジア戦に4―0で大勝し、勝ち点を4に。
 
予選リーグ最終戦のスウェーデンで勝つか引き分けなら同組2位以上が確定し、1次リーグ突破が決まる状況となったことに大盛り上がり。
 
日本は最終戦で敗れても、オランダがチュニジアに負けた場合、1次リーグ全試合の総得点などで上回れば2位となるともありますが、次も勝って「勝ち点3」を積み、得失点差でも上回って、堂々とF組1位での決勝トーナメント進出を期待するところです。
 
さて、サッカーのみならず、オリンピックや野球のWBCなど、「日の丸」を背負って戦うチームや選手たちを国民全体で応援することによって、チーム(選手)に対しては力を与え、逆に奮闘するチームの姿からは勇気や元気をもらう。
 
とりわけ、国際スポーツ大会では、こうした国民の一体感が生まれるものと思うところですが、話を一転、グッと身近な話で、しかも文化芸術の面においても同じことが言えるのではと。
 
それは、昨日から始まった『市美展(しびてん)』の略称で親しまれる『第45回敦賀市総合美術展』。
 
こちらも所用により、初日に鑑賞に伺えずでしたが、毎年この時期に開催の『市美展』においては、展示される日本画・水彩画や絵画・造形、工芸や書道、写真など、様々な分野における「市民アーティスト」の力作を拝見し、感嘆の思いと元気を頂戴するとともに、こんなに多くものアーティストが活動されていることに、芸術の分野における「市民力」を感じるところです。
 
『市美展』の開催期間は、6月28日(日)まで。
 
多くの方が鑑賞されることは、市民アーティストの皆さまの、さらなる「創作力」につながると思いますので、ご都合の良いお日にち、お時間に、プラザ萬象まで足を運んでいただければ幸いです。
 
そして、私にとって、元気と勇気をもらうことに加え、敦賀への「誇り」がますます高まるのは、地域史を学ぶこと。
 
自身が活動に参画いたします、敦賀の市民歴史団体「気比史学会」の『第42期 敦賀市民歴史講座』がいよいよ7月4日(土)を皮切りに始まります。
 
この「敦賀市民歴史講座」は、昭和60(1985)年に開講以降、体系的な年間テーマのもとに、「地域史の再発掘と歴史を活かしたまちづくり」のため通年開催。
 
これまで48年に亘り取り組んできた市民歴史団体(会としては来年50周年)としての理念、活動を継承しつつ、ここ敦賀の豊富で悠久の歴史を楽しみながら、次代へ継承するとの思いのもと、これまで同様、広く一般市民の聴講を求め、地域史に立脚した市民文化構築の一助とするもの。
 
今年の年間企画テーマは、NHK大河ドラマも睨み、その名も『信長から秀吉へ 〜そして家康へ〜 -越前・若狭の武将たち-』。
 
7月4日(土)の第1講では、大谷吉継研究の第一人者でもある、外岡慎一郎氏(元奈良大学教授)をお迎えし、『信長以前~越前・若狭の「戦国時代」』をテーマにご講演いただくほか、後の3講も多彩な講師陣にお願いしており、どのようなお話が聴けて、どんな学びがあるのかワクワクしているところです。
 
詳細は、以下の講座リーフレットをご覧いただければと思いますが、9月27日(日)には<特別講>として、『羽柴兄弟とめぐる北近江の旅』と題したフィールドワークも計画していることから、お楽しみにしていただければと思います。
 


【第42期 敦賀市民歴史講座リーフレット(本来A3見開きをA4に分割して掲載)】
 
この市民歴史講座に関しては、先日たまたま、高校の同級生(女性)と話していたところ、「私、今頃になって歴史に興味あるんやってー」と、私にとっては「待ってました!」のひと言。
 
気比史学会のことなどを紹介し、後日、上記のリーフレットと会報を人伝いに届けると、その同級生から「7月4日の講座行くしな!」と嬉しい電話。
 
しかも、声かけたお母さんもお越しいただけるということで、ダブルの喜びとなったところ。
 
名前に「学会」とつくからか、「敷居が高いと思っていた」との声を聞いたことがありますが、そんなことはまったくございません(私が事務局を務めているくらいですので)。
 
「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」
 
設立以来の会是を胸に今期も開催してまいりますので、初めての方、歴史に少し興味があるという方はぜひ、お気軽に参加いただければ幸いに存じます。

「第29回敦賀港カッターレース」に向けて代表者会議を開催     

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高校時代は陸上競技に打ち込んでいた私。
 
 →その様子は、リンクの「プロフィール」を参照ください
 
県大会で優勝すれば全国大会(甲子園)に出場できる野球などと違い、陸上は、県大会6位入賞で北信越地区大会に進み、さらに北信越地区大会で6位に入って初めて全国大会(インターハイ)に出場できるという“狭き門”。
 
私は結果して、1500mや3000m障害で県大会においては優勝経験があるものの、北信越では決勝にすら進めなかった、つまり全国大会の切符は夢のままで終わったわけですが、この時期はちょうど、そうしてライバルたちと凌ぎを削った北信越大会の時期。
 
滋賀インターハイを懸けた、今年の北信越地区大会は現在、石川県の西部緑地公園陸上競技場で開催されており、2日目の昨日は大記録が飛び出しました。
 
その大記録とは、女子100mハードルで優勝した藤田紗季選手(敦賀高2年)。
 
優勝タイムの13秒20は、なんと日本高校新記録!
 
この大記録樹立を祝福するとともに、同じ敦賀高校陸上部で競技生活を送った者として、心から嬉しく思うところです。
 
あわら市出身で、親元を離れ、敦賀市内で下宿生活を送っているという藤田選手。
 
驚くことに、ハードルの後は走り幅跳びでも優勝したとありましたが、全国大会出場を目指していた私と違い、彼女の目標は全国優勝やさらなる日本高校記録更新であり、今後ますますの活躍を期待する次第です。
 
こうした吉報、青春時代(今も青春ですが)を思い返すニュースから元気をもらい、昨日のメインイベントは、7月19日(日)に開催予定の「第29回 敦賀港カッターレース」の代表者会議。
 
参加チームの代表者に集っていただき、大会や練習関係の説明や、レース順などを抽選で決めるこの場は、本番前のひとつの節目であり、事務方の私としては緊張感をもって臨んだところです。
 
実行委員の皆さんは午後6時に、会場の敦賀市総合運動公園体育館2階の会議室に集合して設営を行った後、続々と訪れるチーム代表者をお迎え、受付し、会議は午後7時にスタート。
 
なお、今大会の出場チームは42チーム。
 
タイムで分かれる第1部に11、第2部に26、女性の部5チームで、このうち県外からは4チームが参加。
 
最も遠くは、青森県八戸市からお越しいただくということで嬉しい限り。
 
ただし、遠方から会議だけのために敦賀にというわけにはいかないことから、そうしたチームに向け、敦賀港カッターレース公式のYouTubeチャンネルを立ち上げ、昨日は初のライブ配信にて、会議の模様を中継した次第です。
 

【代表者会議の様子(各チームの希望順にテント位置を決めています)】
 
会議では、実行委員会の力野豊会長の挨拶に始まり、私から大会・練習関係の説明をした後は、順次、スムーズにレース順のくじ引きやテント位置を決めるなど、実行委員の慣れた進行や代表者の皆さんのご協力もあり感謝。
 
最後は同じく、実行委員会の宇野精浩副会長の言葉で締めくくりました。
 
なお、自身も選手として登録している「敦賀市議会チーム」は、もちろん今年も出場。
 
前回大会では決勝4位と入賞を逃しましたが、タイムが3分40秒を切っているということで、今大会から「1部昇格」(嬉しいような嬉しくないような)。
 
強豪11チームに混じっての激漕になろうかと思いますが、選手としても、実行委員としてもとにかく楽しみながら、「敦賀の夏の風物詩」に「参加して良かった」と言ってもらえる大会にしていきたいと思います。
 

【目標は!と言いたいところですが、手に届くには遠い、1部の優勝カップ】

『平和な世界のために』〜敦賀市内の小学校にて「平和の語り部」が行われる〜

ブログ 人生観 敦賀の歴史・文化

「戦争の史実を風化させない」
 
昨日は、敦賀市立小中学校で行われる平和学習のうち、令和8年度から取り入れた「戦没者追悼 敦賀市民の会」語り部事業を活用した授業を傍聴してきました。
 
小学校6学年を対象に、市内11校を2グループに分け、隔年で開催していこうというこのプログラム。
 
昨日は、角鹿小中学校の小学6年生を対象に行うとの情報をいただき、学校側にもお断りした上でお伺いしたもの。
 
午後1時45分からの授業ということでしたが、15分ほど前にお訪ねすると、ちょうど休み時間だったようで、校内には元気な児童生徒の姿と声が。
 
また、ご丁寧に校長先生にお出迎え、ご案内いただき感謝した次第です。
 
この日「語り部」を行う、「戦没者追悼 敦賀市民の会」の奥野治樹氏は、日頃から大変お世話になっている方であるとともに、同会の取り組みに関しては、崇高な理念のもと、まさに戦争の史実を風化させない、次代につなぐとの思いをもって行動されていることに敬意を表するところ。
 
実は、その奥野さんが語り部を務められるということで参ったわけですが、まだ真新しさの残る校舎の特徴的とも言えるホールには、次々と6年生が集合。
 
元気な掛け声を合図に、語り部『平和な世界のために』が始まりました。
 

【角鹿小中学校のホールで行われた「語り部」の様子。お話しされているのが奥野治樹さん。】
 
語り部ではまず、「小学校の悩みランキング」から入り、皆んな多かれ少なかれ悩みを持っていることを共有。
 
続いて、「戦時下の子どもたちの生活」(学童疎開や勤労奉仕、食糧不足、空襲、遊びの変化)、「近代日本の戦争史(明治以降)」では、日清戦争から第二次世界大戦まで100年の間に日本は多くの戦争をしてきたこと。
 
「終戦の昭和20年」では、3月10日の東京大空襲(死者約10万人)にはじまり、7月19日には福井、そして敦賀には7月12日、7月30日、8月8日の3回にわたり空襲があり、8月8日の空襲で投じられたのは、翌9日に長崎に落とされた原子爆弾と同じ型の“模擬爆弾”であったこと。
 
※敦賀空襲の詳しくは、以下リンクより、2025年7月6日のブログをご覧ください。
 →2025年7月6日ブログ「敦賀空襲を伝え つなぐ」はこちら
 
原子爆弾投下により、8月6日の広島では死者約14万人、9日の長崎では死者7.4万人の尊い命が失われ、15日のポツダム宣言となったことが紹介されました。
 

【空襲により戦禍となった敦賀(左が空襲後)】
 
太平洋戦争の死者は軍人・軍属で約230万人、民間人約80万人の計310万人。
 
このうち、戦死者の妻が約45万人であったことから算出すると、「未婚戦死者」は185万人と80%を占め、子孫がいない戦死者はその存在自体がなくなってしまうかもしれないことから、「どうかその方たちのことを思って欲しい。消し去って欲しくない。」との言葉に込められた、奥野さんの思いが痛いほどに伝わってきた次第です。
 
ひと通りの説明を終え、一旦質問タイムに入ると、児童たちは積極的に次々質問。
 
挙げられた質問や感想は、
・戦艦大和の乗組員の年代は?
・平和が大事なことと実感した
・戦後復興にかかったお金はいくらぐらいか
・当時居たら、僕たちも戦争に行かないといけなかったのか
・戦争がないのが一番重要。今ごはんが食べられることに感謝しないといけない。
・戦争をしている時に、平和になって欲しいと思っていた人はいたのか
など。
 
これに例えば、「僕たちも戦争に行かないといけなかったのか」との問いには、「召集令状は17歳から、20歳前になったら戦地へという形だったので、小中学生は行かなくてもよかったが、勤労(畑とか)はしないといけなかったでしょう」、「平和になってと思っていた人はいたのか」には、「戦争に勝つんだという、いわば“洗脳”されていたため、戦争が終わって欲しいというより、早く勝って欲しいと思っていたのではないか。戦争が終わって初めて、なんて愚かなことをしたのかと思われたのではないか。」など、奥野さんからは的確なお答えがありました。
 
また、奥野さんが仰った「今、自分たちは何をすれば良いか。今を一生懸命生きることが、戦争で亡くなった人へのお礼ではないか」との言葉は、自身の胸にも響いたところです。
 
語り部はここからまとめに入り、結びにあった言葉は、「自分たちの家庭や学校でもできることで『世界の平和の一歩』は始まっている」。
 
戦争という史実を風化させない、次の世代にバトンタッチする準備をしていくとの思いをもって話された「語り部」奥野さんの思いとお話、そしてそれを真剣に聞き、自分ごととして考える生徒たちの姿に感動したところです。
 

【まとめのスライド。世界の恒久平和は「自分ごと」。】
 
なお、スライドにあった「握手は世界共通の挨拶」ということで、早速生徒たちはホール内を次々と駆けめぐり、傍聴していた私たちや報道陣と握手に。
 
即実践する行動力と積極性に驚いたわけですが、語り部で聞いたこと、学んだことを胸に、これからの人生に「平和の尊さ」を置くことは、家族や仲間を大切にし、お互いを尊重する「人づくり」につながるもの。
 
世界では戦争や紛争が止むことなく、21世紀になってなおそうした脅威に囲まれる世にあって、「人道の港」を有する敦賀らしい教育環境の中で、平和の尊さややさしさを持った人に育って欲しいと切に願う次第です。
 
思えば、令和7年第3回(9月)定例会の一般質問にて私から、「学校の選択に委ねるのではなく、『語り部』を敦賀市内の小中学校でも毎年のプログラムに取り入れるべき」と意見し、「戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶ教育の充実に努めてまいる」との答弁があったわけですが、こうして早速、平和学習としてプログラム化いただいた花木教育長をはじめ、教育委員会、学校関係者の皆さまには心より感謝申し上げます。
 
 →令和7年第3回(9月)定例会の「やまたけ一般質問」はこちら
 
ブログの最後に、語り部を努められた奥野さん、大変お疲れさまでした。
 
そして、ありがとうございました。

「金ヶ崎プロジェクト」は一旦リセット

ブログ まちづくり 敦賀の歴史・文化

昨日の「氣比の杜整備基本計画策定委員会」に続き、今日も敦賀の「まちづくり」に関する話題。
 
北陸新幹線敦賀開業から10ヶ月が経過するタイミングで、「新幹線効果」の発揮に向け、鍵を握るひとつとして策定されたのが『敦賀まちづくりアクションプログラム』。
 
これは、令和6年1月に設立された、敦賀商工会議所・敦賀市・福井県の三者による「敦賀まちづくり協議会(以下、協議会)」において、経済界と行政が一体となり、新幹線効果の最大化と持続化を趣旨に、協議を重ね、取りまとめたものであり、以降、このプログラムを基にした取り組みが進められているところ。
 
昨日は、第5回目となる協議会が開催され、傍聴してきた次第です。
 
前述のとおり、協議会のメンバーは座長に敦賀商工会議所の奥井隆会頭、敦賀市からは米澤光治市長、福井県からは武部衞副知事。
 
協議会ではまず、奥井座長より「新幹線開業後、行く先々で敦賀の知名度が上がっていると感じている」「体制を維持し、効果的なまちづくりを進めていきたい」などと挨拶があった後、議題は「北陸新幹線敦賀開業後の状況」と「金ヶ崎プロジェクト」の2点。
 
「1.北陸新幹線敦賀開業後の状況」では、市の担当より、以下の報告あり。
 
<敦賀市所管施設と二次交通の状況>
◉①開業2年目、②開業1年目、③開業前の観光各施設、二次交通の入込・利用客数を比較
◉対開業前比(①/③)の考察は以下のとおり
・来訪者数は全施設で増加→平均値で112%
・ムゼウム(147.33%)、博物館(142,18%)、山車会館(154.38%)が堅調な推移
・クルーズ船の寄港増加も影響
・二次交通も堅調で、開業2年目にコミュニティバスのダイヤ改正した効果か
・シェアサイクルは73%増の伸びとなっている
 
<市内観光施設(民間等)および外国人観光客にかかる新幹線開業前後の各種数値比較>
・気比の松原は年々減少(開業前98,800人→1年目98,200人→2年目92,100人)しており、要因はレジャーの趣向変化や天候の影響か
・気比神宮は開業前比145.8%(129.3万人)で堅調な伸び
・金崎宮は同108.3%、あっとほうむは横ばい(99.8%)、日本海さかな街は減少(85.6%)
・外国人観光客は、博物館(239.5%)、ムゼウム(203.8%)など増加していると実感
 
併せて、敦賀商工会議所からは以下の紹介あり。
 
<商工会議所調査>
・売上動向の四半期ごと調査では、R8.1〜3月と開業前比較で「増加」と答えた割合54.4%
・開業直後のフィーバーを維持している
・コロナ禍前(H31)と直近では49.5%が売上増加→コロナ禍前と比べても遜色ない増加
・駅周辺ビジネスホテル稼働率7〜8割、ピーク時は9割の高いレベルで維持、宿泊者数も増加している
 
これに対し、まず武部副知事からは、
・開業効果を維持していることを嬉しく思う
・二次交通が大きく伸びているが、データを分析しながら次の手をどう打っていくかを考えるとうまくいくのでは
・氣比神宮も伸びており、参道としての改修を生かしていただきたい
・インバウンドも伸びている。クルーズ船の計画はどれくらいあるのか。
・終着駅でもあり、国際港を持つのは敦賀しかないので、県も一緒にやっていきたい。
とのご意見。
 
米澤市長からは、大きく3点あるとし、
①数字は前向きに捉えれば良いと思っている。
①ただ緩んではいけないので、効果としてしっかり維持した上で、開業効果から新幹線効果に生かしていきたい
②来訪者がどういう行動をとっているのか。消費行動など、中身をいかに把握していくのか、調査のやり方も含めて課題になってくる
②市民のメリットにならないといけないので、経済効果としてあるべし。効果に濃淡や広がりに問題があったりもするので、成功事例を抑えながら水平展開していくことが重要。
③クルーズ船が入ってきた時以外でもインバウンドが増えている。日常的にどうおもてなしするかの観点から、クルーズ船はその練習にもなる。
③県と市で役割分担しながら、クルーズ船誘致等については費用面も含めて対応をお願いしたい
との評価の受け止めがありました。
 
次に「2.金ヶ崎プロジェクト」について。
 
既に一昨日の福井新聞等で報道されている、金ヶ崎緑地部分の開発(プロジェクト)について、令和3年5月には、福井県と前田建設工業。アクアイグニスの3者にて「オーベルジュ整備事業に関する開発協定」、令和4年3月には、敦賀市と同2社の3者にて「敦賀市における賑わい施設整備協定」を締結し、これまで金ヶ崎エリア整備構想の基本計画、事業計画案の検討が進められてきたところ。
 
前田建設工業においては、昨今の建築資材高騰や労務費の上昇が続く中において、建築工事費や運営経費縮減などの実施により、収支採算が取れる、継続的なプロジェクトとすべく検討を進めてきたものの、本年3月に取りまとめた事業性検討において、このプロジェクトの前提条件である「民設民営」スキームでは、持続可能な事業性の見込めるプロジェクトとすることは「困難」。
 
運営面の行政支援なしで民間事業として収支採算性を確保して事業を実施するためには、少なくとも施設整備費用に対する「全額の行政支援が必要」となることから、前田建設工業としては「凍結」したい旨の報告があったと、市より説明がありました。
 
これに対する、3者の受け止めは次のとおり。
◉米澤市長
・凍結もやむを得ない。前提条件だとこのプロジェクトを進めるのは不可能だった。スキームを変えるつもりもない。
・事業者には熱心に取り組んでいただいていただけに残念だが、採算が取れる状況にないので、あらためて敦賀市としては凍結はやむを得ないと考えている
・(プロジェクトの立案から)3年くらい経過をし、そろそろ結論をとの声も議会などからもあり判断したい。事業者に対しては感謝している。
 
◉武部副知事
・全額の支援は困難。県としてもその判断をやむを得ないと考えている。
 
◉奥井座長
・規模の大きさに配慮が足りなかった。民営でやるにはこれだけの規模は厳しかったのか。
・県市とも協議をしてきた経過もあり、次につなげていく方策を。
・金ヶ崎は、最後のドル箱、ウォーターフロントであり、憩う港。旧港は町なかにも近いので、今回のことをたたき台にして引き続きやっていきたい。
 
座長からの、
・持続可能な運営は難しい、一度リセットすることで合意。
・これで敦賀のまちづくりは終わったなどと思わず、今後も応援していただきたい。
との言葉をもって、本プロジェクトに区切りをつけることとなりました。
 
なお、米澤市長からは、今後の同エリア開発に関し、
・公園(仮称:敦賀みなと公園)と駐車場整備は市が進めていく
・金ヶ崎の整備は、今後もこの協議会で進めていけば良いかと思っている。
・リソースも含めて、県とやっていければありがたい。
・県の長期構想は、川崎・松栄辺りを「人が賑わう場所に」としている。思いをひとつにしてやっていきたい。
・オーベルジュ自体あきらめるわけではない。敦賀の観光ポテンシャルを否定することはあり得ない。
・オーベルジュもあった方が良いとは思っていて、他の事業形態を検討して、他社さんでもあれば、事業者へのインセンティブ(地域振興プロジェクト支援金)もあるので歓迎したい。
 
呼応する形で、武部副知事からは、
・まず、終着駅である敦賀をしっかり整備していく。広域行政を担う県としてはそこから周辺自治体にも広げていきたい。
・港湾緑地(金ヶ崎緑地)については、市民の皆さんがどうしていきたいのか聞いていただき、敦賀市としてどうしていきたいのかを踏まえ、こうした場で膝を突き合わせて議論し、良い方向にもっていきたい。
 
このような議論を経て協議会は閉じられましたが、自身の受け止めとしては「致し方ない」としか言いようのないもの。
 
加えて言えば、最後の武部副知事の言葉にあるよう、敢えて「市民の皆さんがどうしていきたいのか」と仰った点に強く共感したところであります。
 
新幹線開業から2年と2ヶ月を経て、一旦仕切り直しとなるわけですが、そもそもの『敦賀まちづくりアクションプログラム』の目的は、①敦賀の鉄道や港、歴史・文化、食などポテンシャルが高いコンテンツを充実、連携させ、国内外から人を惹きつける場所をつくる、②まちなかに持続的な賑わいを生み出すとともに、その効果を市内全域あるいは嶺南地域全体に波及させること。
 
将来像は「世界と未来に開かれた 選ばれるまち敦賀 〜つるがファンの獲得へ〜」。
 
歴史を思えば、受け入れたユダヤ難民が「heaven(天国)」と称したのが敦賀港であり、まさに金ヶ崎の地。
 
世界を視野に掲げた、素晴らしい将来像を目指し、「オンリーワンの何か」を見つけ出していく。
 
そういったチャンスがもう一度訪れたと、今一度、市民の皆さんとともに考え、真に期待され、後世にもつなぐシンボリックな場所にしていくことに大きな価値があるのだと、講堂を後に思った次第です。
 

【昨日の氣比神宮の歴史と同様、お金で買えないのはこの景色(2022年10月やまたけ撮影)。「heaven」と称された雰囲気と重なるこの風景は既に、「ここにしかない」オンリーワンと言えるのではと。】

「氣比の杜整備基本計画策定委員会」がキックオフ

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季節の変化に伴い、朝の生活リズムが変わっていることは以前にお伝えしたとおり。
 
昨日も「逆さ野坂」を眺めながらの朝散歩(きゅうちゃんと)からスタートした後は、水曜恒例の辻立ちのため名子へ。
 
「風ニモマケズ」と、強い風の中での辻立ち活動では、この日の相方、身体も心もビッグな仲間が大きく手を振り続けてくれたおかげか、ご通行中の皆さんもにこやかに、手を振り返していただける割合も高いように感じました。
 
大きな声で「おはようございます!」と言う彼を見ていると、アントニオ猪木の「元気があれば何でもできる」の言葉が浮かんだわけですが、何とも元気が湧いてくる、気持ちの良い活動となりました。
 

【後ろ姿もビッグ。ちなみに、この写真の撮影者も負けじとビッグな仲間。】
 
さて、昨日一番の話題は「氣比の杜整備基本計画策定委員会」が発足、第1回の委員会が開催されたこと。
 
敦賀市のホームページ(HP)によれば、氣比神宮周辺の公有地等の利活用について検討を進める「氣比の杜整備構想」は、構想の検討にあたって、敦賀市民をはじめ、氣比神宮周辺エリアに関心のある方を対象に、世代を問わず幅広いご意見を伺うため、これまで市民意識調査等(ワークショップの開催や2,000名を対象とした市民アンケート)を実施。
 
こうした市民意識調査等の結果を参考に、本年4月に同構想を策定したところ。
 
ざくっと申し上げれば、氣比神宮隣の旧敦賀北小学校跡地に新たな複合施設や「杜」を設けて、敦賀の歴史や文化、芸術などの魅力を発信し、市民や観光客にとって、にぎわいや学び、交流が生まれる場を目指すものですが、目的や期待されることが幅広いため、正しくは以下リンクより、構想の原文をご覧ください。
 
 →敦賀市HP『氣比の杜整備構想』はこちら
 
その「氣比の杜整備構想」を具現化するため、各方面から選出された委員が委嘱された上で、昨日はキックオフとなる第1回の委員会が敦賀市役所2階の講堂にて開催され、私も傍聴してまいりました。
 
委員は学識経験者から北地区区長会、角鹿小中学校PTA、敦賀市文化協会、気比史学会、氣比神宮(宮司、総代)、敦賀商工会議所、神楽1丁目商店街振興組合、港都つるが観光協会、公募委員2名(うちお一方は高校生)という、各方面から集まった総勢13名。
 
これに加え、オブザーバーとして福井県より3名、委員長が出席を求める者として敦賀市の全部長と教育委員会事務局長まで出席というそうそうたるメンバー。
 
この計画策定に懸ける意気込みと本気度を感じた次第です。
 
委員会では冒頭、市まちづくり観光部の小川部長より経過説明を含めたご挨拶があった後、委員長に福井大学大学院の野嶋慎二特命教授、副委員長に福井県立大学の朝倉由希教授を選出。
 
続いて、江戸東京博物館の佐々木秀彦参事より、『文化複合施設の変遷と潮流〜文化的コモンズとしての未来』と題した基調講演があり、まさにそうした整備に向かう面において、大変参考になったところです。
 
その後は、市の担当より、策定されている「氣比の杜整備構想」について説明。
 
初回につき、本基本構想を踏まえた意見交換が行われ、各委員からは主に次のような意見が挙げられました。
 
◉松尾芭蕉記念館を設置すべき(この時、席を外していたためほとんど聞けず)
◉複合施設に求められる防災機能について、今後具体的な必要面積などの算出が必要
◉旧北小学校グランドを利用しているスポーツ少年団の活動場所確保
◉敦賀にないものは美術館であり、美術館機能をメインに検討いただきたい(この機会を逃したら実現することはない)
◉ワークスペース、飲食スペースを設けて欲しい
◉3世代〜4世代を見据えた植栽が大事。武道館などもどうするのか、ゾーニングが重要。
◉商店街を通ってもらう動線を踏まえた検討が必要
◉氣比神宮の歴史的価値を最大限に尊重した上で、稼げるエリアに。周辺の商業エリアと競合ではなく相乗効果が得られるよう民間活力の導入を。
◉氣比の杜に返す(戻す)というのが趣旨
◉古事記にも記載されている氣比宮(氣比神宮)の歴史的位置づけを皆で確認。戦前までの氣比神宮の「杜」を第一義に扱い、緑の世界をできるだけ確保。本物の歴史を後世に残すことが重要。
 
このように、各方面からの視点から挙げられるご意見を大変興味深く拝聴しましたが、どれもこれもお立場からのご意見としてはごもっとも。
 
現時点において「決め打ち」することなく、これから検討が始まるわけですが、敦賀にとって、後世に残し、つなぐべきものとは何かの観点から、「最も大事にすべきこと」だけは共有いただき、建設的な議論となることを切に期待する次第です。
 
なお、本構想のコンセプトは以下。
 
敦賀の「文化の発見&発信地」として、市民の学びと交流のインフラを支える「緑豊かな共生の杜」を持つ、「探究・創発エリア」
 
氣比宮からはじまる氣比神宮の歴史は1300年。
 
お金では決して買えない、歴史・文化的価値を有する敦賀のシンボルとどう調和させていくか。
 
敦賀市民の皆さまにはぜひ、本検討に注視いただければ幸いに存じます。

気比史学会「第50回定期総会」を開催

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いつまで続くのか、この強風。
 
台風並みの風が吹く敦賀の昨日の最大瞬間風速は23.1m/s(12時52分)・・・気象庁観測データによる
 
夜半も風音、シャッターを叩く音は止まず、本日もここまでの最大瞬間風速は20.2m/s(2時55分)を記録するほか、平均でも8〜9m/sの風が吹くところ。
 
本日は、8時30分より開催される、敦賀市の水防訓練に参加する予定ですが、雨こそないものの、本番さながらの悪コンディションに十分注意してまいる所存です。
 
皆さまにおかれましても、突風による飛来物や、気をつけるところでは車のドア開閉時(隣の車にぶつける、ぶつけられる)など、生活する上においてもご注意くださいませ。
 
さて、そうした強風の中ではありましたが、昨日開催したのは、自身が事務局を務める気比史学会の定期総会。
 
以前に、6月定例会までに乗り越える“二つの節目”があると申し上げましたが、これで二つ目の総会(一つ目は先週開催した国民民主党福井県連の定期大会)を無事に終えたところです。
 
昭和52(1977)年の設立以来、連綿と活動を続ける敦賀の市民歴史団体「気比史学会」。
 
設立から49年を数えるこの「気比史学会」ですが、昨日は市立図書館3階会議室にて「第50回定期総会」を開催。
 
実は5年前、同会においては役員の高齢化や会員数の減少、これに伴う財政面の懸念など、会の存続に関わる課題が生じてきており、その年の定期総会では、「令和4年度末(2023年3月31日)をもって会の幕を閉じる」との方向性が確認されたところでしたが、これだけの活動を積み重ねてきた、しかも歴史を学ぶ団体がこのまま消滅してしまっては、敦賀にとって大きな財産を失うことになるとの思いにかられ、その一心で「何とか継承の道筋を探らせてもらえないか」と懇願した私。
 
1年後の総会では、あらためてそのことを申し上げたことに加え、自分自身も理事として会の運営に加わった上で、その後、約1年を掛け、役員会では主に、①継承に向けた組織体制、②財政、③活動内容の3点についてロードマップを示しつつ、ありがたいことに、同じく若手理事として名を連ねておられた方1名を始め、私を入れて7名(30〜50代)の思いを共有するメンバーが揃ったことから、継承が現実のものに。
 
3年前の総会では、これまでの検討経過、そして会を存続させることについて確認を得て、新たなスタートを切ったという経過があります。
 
その際、理事を務めていた私は事務局長を拝命したというわけですが、それから3年(3期)。
 
活動が軌道に乗るとともに、先輩方の過去の活動を継承しつつ、新たな取り組みや視点、そして「次代への継承」の考えをもって会を運営するところであります。
 
前置きが長くなりましたが、新体制となって3年を経て迎えた、節目の「第50回」定期総会。
 
強風のなか、会員、賛助会員の皆さまに出席いただき、冒頭、本年5月2日に急逝された、新体制になってから理事を務めていただき、献身的にご協力いただいた 故 木原茂豪(しげひで)さんへの感謝とご冥福を心からお祈りし、全員で黙祷を捧げました。
 
その後は、議事を進め、令和7年度の活動や決算報告、令和8年度の活動方針案、予算案を提示し、承認をいただいたところです。
 
49年の歴史を有する「気比史学会」は、「歴史の大衆化」や「楽しみながら地域史を学ぶ」との考えのもと、敦賀の歴史再発掘に向けた調査や研修の内容を学び合う「市民歴史講座」を40年以上継続するほか、出版活動、疋田舟川や向出山古墳などの文化財保護、北陸最古とされる深坂古道の整備復元など幅広い活動を展開してきた市民歴史団体であり、今では全国の市民歴史団体のなかでも稀有な存在となっているところ。
 
そうした活動を踏まえ、活動方針には、「これまで、『地域史の再発掘と歴史を生かしたまちづくり』のため、48年間に亘り取り組んできた市民歴史団体としての理念、活動を継承しつつ、ここ敦賀での豊富で悠久の歴史を楽しみながら、次代へ継承するとの思いのもと、また、次年度の結成50周年を意識しながら、今年度においても新たな発想、視点を取り込みながら、以下の事業を実施いたします」と思いを綴りました。
 

【役員会で協議のうえ、思いを込めて作り上げた定期総会議案書】
 
私が思うに、地域史を学ぶことは、単に面白いということのみならず、学べば学ぶほど郷土への誇りや愛着が増すことから、こうした史実を今度は私たちが、そしてさらに次代へとつないでいくことが、敦賀の持続的発展のためにも極めて重要なことと考える次第です。
 
「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」
 
この言葉は、気比史学会の設立からの会是ですが、まさに、現代を生きる私たちに必要なのは、糀谷会長が以前に会の機関紙の中で述べられた「歴史に学び、歴史をつくる志」の心意気。
 
こうした思いを込めながら、今期は第42期目となる市民歴史講座を始め、「ミニ歴史講座」の定期開催、次代を担う若者(小中高生)との連携事業などにも取り組む計画としています。
 
なお、市民歴史講座はどなたでも参加できますし、会の一般・賛助会員も広く募集しておりますので、関心のある方はぜひお気軽に、私まで連絡いただければ嬉しく思います。→ やまたけメール yamatake@yamamoto-takeshi.net
 
私自身は、おそらく設立当初がそうであったよう、肩肘張らず、何をおいても豊富で悠久の敦賀の地域史を「楽しく」学び、そしてまたその仲間が増えるよう、引き続き汗をかいていまいります。

ゴールデンウィークにめぐる「地域にある宝」

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暦通りでいけば、今日から5連休。
 
ブリッジホリデー(祝日と祝日の間の日に取得する休暇のこと)休暇を取得され、8連休、12連休という方もいらっしゃるかと思いますが、それぞれのゴールデンウィーク(GW)を有効活用され、リフレッシュいただければと思うところです。
 
さて、GWといえば毎年、行楽地に向かう車で渋滞する高速道路の様子や海外旅行に出かける空港の混雑具合などがニュースで流れるのが定番ですが、今年は少し様相が違うよう。
 
明治安田生命保険が、今年3月にインターネット上で行った調査で分かったのは、大型連休は「自宅で過ごす」人が多いこと。
 
調査は、全国の20歳から79歳の既婚男女1620人が回答し、4月末から5月初めの過ごし方についての質問に対し、「自宅で過ごす」が46.7%を占め、最多。
 
「海外旅行」を予定している人は1.2%にとどまり、「理想の連休」の過ごし方について「海外旅行」と答えた人(9.2%)の2割にも満たなかったとのこと。
 
調査ではこうした「理想と実際が違う理由」についても尋ねており、44.4%を占め1位となった「物価高騰」に続き、「円安などの為替の動向」(25.6%)、「航空券・燃油サーチャージの割高感」(24.1%)の順に高く、長引く物価高で海外旅行の断念を余儀なくされている実態が浮かんでいます。
 
また、予算に関しては「使う派」と「抑える派」の二極化がみられ、長引く物価高騰から、連休にも家計の「生活防衛意識」が見え隠れするとあり、このGWはまさに、世相を反映いているものと興味深く拝見した次第です。
 
なお、わが家では、子どもが小さい頃から「混雑」を避け、出掛けるとしても近場で済ませることが多かったため、上記の調査結果に違和感はない訳ですが、こうした心境からくる行動の変化が、少なからず経済活動にも影響するのだろうと推察するところ。
 
このような中、おすすめしたいのは「地元にある宝」をめぐってみては?ということ。
 
実は先日、国民民主党福井県連のタウンミーティングに県外から参加された方から、事前にリクエストされていたことは「金ヶ崎城跡に連れていって欲しい」ということ。
 
その方とは、以前からお付き合いがある「山ガール」ならぬ「山城ガール」(特に石垣が好き)ともうお一方、なんと鳥取県からお越しいただいた、その方のお知り合いの方(こちらも女性)。
 
このリクエストに応えねば!と、事前に一度足を運び、説明ポイントなどシュミレーションをし準備。
 
当日は、金前寺前の駐車場にて、ここ金ヶ崎では、南北朝時代と戦国時代に日本の歴史の転換点となる戦いがあったことを紹介した後、金崎宮から月見御殿、さらに本丸を守るために築かれた三つの木戸跡(一の木戸跡まで)までご案内。
 
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で登場した「金ヶ崎の退き口」の舞台となった場所であり、月見御殿からの眺望とともに、“目の肥えた”お二方にとっては、木戸跡に残る見事な堀切や竪堀に感激され、ご案内した甲斐があったと胸を撫で下ろしたところです。
 

【月見御殿より敦賀湾を望む二人】

【二人が興奮していた堀切(二の木戸だったか)】
 
駐車場に戻った際に、「山城ガール」が仰ったのは「これで1週間頑張れます!(笑)」。
 
このような言葉で表現される、心の栄養、養分になるコンテンツが地元にあると思えることが逆に、私にとっての喜びであり、リフレッシュの源になったところです。
 
こうした経験から、何が言いたいかといえば、遠くへ行かずとも、近場や地元にある歴史遺産や自然に足を運んでみることで、楽しめることが沢山あるのでは?ということ。
 
話は尽きませんが、今日からの5連休。
 
皆さまそれぞれ、ゆっくりとご自身の余暇時間をご活用いただければ幸いです。

4月29日は「吉継(よしつぐ)の日」

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各種団体等の事務局的役割を務めている方にとって、この時期は定期総会や大会に向けた準備に追われる“繁忙期”ではないでしょうか。
 
かくいう私もその一人であり、政治活動と並行して、政党や市民団体などの総会議案作成や段取りを進めていますが、ポジティブシンキングでいけば、ひとつ一つ節目をクリアしていくことは楽しくも達成感を感じるところ。
 
名は伏せますが、昨日はそのうちの1団体の役員会にて大会議案書(案)をご審議、ご承認いただき、ひとつ安堵。
 
いま何が欲しい?と問われれば、迷いなく「時間!」と答えたい気持ちですが、限られた24時間をどう使うかは自分次第。
 
自己マネジメントを楽しみながら、日々過ごしていきたいと思います。
 
さて、長い人では最大12連休にもなろうかという今年のゴールデンウィーク(GW)。
 
その皮切りは、本日の国民の祝日「昭和の日」からとなりますが、こちらは元々「天皇誕生日」であったもの。
 
内閣府ホームページ「国民の祝日」を拝見するに、祝日法は、半年以上に及ぶ国会での審議を経て、昭和23年7月5日に成立し、同年7月20日に公布・施行。
 
祝日法の制定時に「国民の祝日」とされたのは、元日(1月1日)、成人の日(1月15日)、春分の日(春分日)、天皇誕生日(4月29日)、憲法記念日(5月3日)、こどもの日(5月5日)、秋分の日(秋分日)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)で、この九つの日を選定したことについて、当時衆議院の小川半次文化委員長は、法案の提案理由説明の中で、「新憲法の趣旨に副(そ)うべきこと」及び「国民大衆をあげて容易に納得し、参加し得べきもの」の二つを基準としたと説明しています。
 
なお、その後、祝日法は主に議員立法による改正が重ねられ、七つの「国民の祝日」が順次追加されるなどした結果、今日では、計16日の「国民の祝日」が定められているとありました。
 
時を経て、「天皇誕生日」から「昭和の日」となった今日の祝日法における意味は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」
 
「昭和100年」の節目を超え、今一度その意味の重みを感じる次第です。
 
また、こちらは“語呂合わせ”となりますが、「知る人ぞ知る」から「広く知ってもらいたい」との思いが募るのが、今日4月29日は「吉継(よしつぐ)の日」であるということ。
 
このブログで何度もご紹介している、最後の敦賀城主「大谷吉継」は、盟友石田三成とともに関ヶ原で戦い、悲運の死を遂げた「義の武将」として有名ですが、天正17(1589)年に敦賀の領主となった吉継は、敦賀を“城のある港湾都市”につくりかえ、これにより敦賀は京都・大坂に物資を供給し、朝鮮出兵など戦争のおりには兵粮、船、操船者を整える拠点としても機能することに。
 
江戸時代の敦賀湊の繁栄の基礎は、吉継の時代につくられたといえる、まさに、今の敦賀の礎をつくった偉大な人物なのであります。
 
ついては、語呂合わせとはいえ、この日を契機に、大谷吉継公のことをより多くの方に知っていただければと思うところですが、吉継ファンから親しまれる今日は、「つるがみなと山車(やま)会館」では、市内外の吉継キャラクターが大集合し、「吉継の日」を一緒に盛り上げてくれるとのこと。
 

【「吉継の日」チラシ(つるがみなと山車会館HPより引用)】
 
イベントの詳しくは、以下リンクよりご覧ください。
 
 →つるがみなと山車会館HP『2026年「吉継の日」特別企画「吉継大集合!山車会館でクイズラリ~」』はこちら
 
私もどこかの時間帯で山車会館に足を運んでみようと思っていますが、先の「昭和の日」の意味と掛ければ、「吉継の日」の今日は、
 
「激動の戦国時代を経て、発展を遂げた郷土の歴史を顧み、敦賀の将来に思いをいたす」
 
といった感じでしょうか。

戦国の世と日本史を動かした「金ヶ崎の退き口」

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昨晩、初回の放送を迎えたフジテレビの「月9」。
 
福井県内はもとより、大々的に全国的に宣伝されているため、皆さんご承知置きかと存じますが、「月9」の新クール「サバ缶、宇宙へ行く」は、宇宙食サバ缶を開発した福井県小浜市の若狭高を題材にしたもの。
 
ドラマでは、水産高の新米教師役を演じる主演が北村匠海さん、生徒役には出口夏希さんら、今をときめく俳優さん達が登場することもあって注目の的となっており、私も初回放送を拝見しましたが、美しい小浜の風景や行ったことのある場所も登場し、あらためて同じ福井県嶺南地方のまちが取り上げられたことを嬉しく思ったところです。
 
なお、福井新聞で先日紹介されていた記事によれば、この宇宙日本食「サバ醤油味付け缶詰」は、2006年、旧小浜水産高が米国航空宇宙局(NASA)などが考案した食品製造の衛生管理システム「HACCAP」(ハサップ)を取得したのを機に生徒らの発案で開発がスタート。
 
2013年4月に水産高が若狭高に統合後、同校海洋科学科が研究を引き継ぎ、2018年11月には、高校が開発した食品では全国で初めて宇宙航空研究開発機構(JAXA)の認証を受け、さらに2020年には、宇宙飛行士の野口聡一さんが国際宇宙ステーション(ISS)でサバ缶を食べる様子が動画配信されました。
 
なお、北村匠海さん演じる主人公のモデルになった小浜市の小坂康之教育長は、福井新聞のインタビューに「生徒の飽くなき探究心が教師や地域の人たちを巻き込み、サバ缶を宇宙食にするという夢を実現した。自分たちに湧いて出てくる思いを大切に、挑戦し続ければ夢はかなう、ということを多くの人に知ってもらいたい。子どもたちだけでなく、大人の可能性も無限大であるということも」と述べています。
 
小浜市の食文化や自然の美しさとともに、小坂教育長が仰ることがどう表現されていくのか、今後の放送が楽しみですね。
 
さて、負けてはいられないと、こちらはNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」(この日のタイトルは“絶体絶命”)で登場した敦賀が舞台となった「金ヶ崎の退き口(のきぐち)」。
 
一昨日の放送に合わせ、敦賀市ではパブリック・ビューイングと歴史講座を行ったことまでは紹介したところですが、この歴史講座で講師を務めたのが、敦賀の市民歴史団体「気比史学会」理事の丸山哲士(さとし)さん。
 

【会場の松原公民館には多くの参加者。右奥でマイクを持つのが講師の丸山さん。】
 
大河ドラマ放送の前、午後7時から開催された講座ではまず、金ヶ崎での戦いに関しては、信長が野望を果たすために行われたと思われている方もいるかと存じますが、この戦いは「幕府軍としての連合軍」の戦いであり、幕府軍の戦いなので、「天下の乱れを鎮めるため」の戦いであったと説明。
 
その根拠は、信長自身が、大飯郡佐分利の石山城主・武藤友益の討伐のために出兵するとの書状を送っていることにあり、武藤は当時朝倉と連携していたため、朝倉を倒す必要があったとも。
 
また、軍勢に関しては、『敦賀市史』では10万8千人とあるものの、この人数を賄う兵糧(当時は玄米)を算定すると75万トンが必要であり、これは現実的ではない。
 
丸山氏としては、『言継卿記』に記される“3万人”が妥当の線ではないか。
 
続けて、わずか一日で落とされたとある手筒山城の戦いについては、南東側から攻撃されたというのが通説だが、東側の沼地(中池見側)から攻めたとする伝聞がある。
 
そして、注目の浅井長政が裏切った(突然の謀反)理由については、信長と父の関係で板挟みになったというのが、これも通説にあるが、史料によれば、長政は武将ではなく、信長からも朝倉からも“家来”として見られており、金ヶ崎の地で朝倉の軍勢1万と自軍の5千により南北から挟み撃ちすれば、信長の首が取れるとの誘惑に勝てなかったのでは?と。
 
こうした丸山さんの話を大変興味深く拝聴し、信長、朝倉、そして浅井三者の思惑に思いを馳せるとともに、戦国の世の情景が浮かんだ次第です。
 
そして、昨日もご紹介したとおり、金ヶ崎の地に集ったのは、信長に木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)、徳川家康、明智十兵衛(後の光秀)の戦国時代4英傑。
 
お市の方が信長に送ったとされる“小豆袋”(史料にはない)により挟み撃ちに気づき、信長は撤退を決めるも、この時殿(しんがり)を務めた藤吉郎の功績が認められ、後の天下取りにつながったことを思えば、まさに戦国時代の、いや日本の歴史上、重要なポイントがここ敦賀であったと言えます。
 
講座の後は、丸山さんのお話と重ね合わせながらドラマを鑑賞。
 
金ヶ崎での戦いの描写はもとより、信長勢が京に戻ってからの家康、光秀の動向に「なるほど」と頷いたところ。
 
こうしてパブリック・ビューイングと歴史講座を大いに楽しんだところであり、やはり敦賀の歴史は深くも面白い。
 
企画・準備から、この日も遅くまで対応された市職員の皆さんに感謝するとともに、気比史学会として役割を果たしていただいた丸山さんに敬意を表する次第です。
 
「サバ缶」に張り合って?、今日は代表的な敦賀の歴史をご紹介しましたが、ぜひ地域史の探究を楽しくやりたいという方がいらっしゃいましたら、私まで連絡いただけますようお願いいたします(気比史学会では、絶賛会員募集中ですので)。
 
※参考まで、金ヶ崎の戦いを含む「元亀争乱」に関しては、450年を迎えた2020年に、気比史学会が市民歴史講座で取り上げています。
ついては、その際に報告として記載したブログを2件(①美浜の国吉城、②浅井と③朝倉の三者からの視点)を以下にリンクしますので、関心のある方はぜひご覧ください。
 
 →①2020年9月20日ブログ『通説から新設へ、やっぱり歴史は面白い』
 
 →②2020年11月29日『市民歴史講座第3講「近江の元亀争乱」』
 
 →③2020年12月20日ブログ『文化と歴史をつなぐ大切さ 〜今年度の市民歴史講座を終えて』

桜の開花と時を同じくして始まる「花換まつり」

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昨日の敦賀の最高気温は15.4℃、風は北北東からでまだ肌寒いといったところ。
 
気になる“桜”に関しては、同じく27日の午前10時すぎに、福井市豊島にある福井地方気象台で行われた桜の開花状況の確認で「まだ一輪も開花していない状況」とのこと。
 
気象台の構内にある、標本木のソメイヨシノが5~6輪咲くと「開花宣言」とのことでしたが、この日はゼロということで発表はお預けとなりました。
 
なお、世の中にはいろんな「法則」がありますが、「600度の法則」というものがあるようで。
 
桜に関しては、2月1日以降の毎日の最高気温の合計が600度に達する頃に開花すると言われているとあり、これに当てはめると、福井市では26日までの合計が599度で、27日の最高気温を足すと616度となり、もういつ咲いてもおかしくない状況とのこと。
 
ネットニュースからの「にわか知識」ではありますが、敦賀も今日からは20℃超えの気温が続くようで、いよいよ待ちに待った「春本番」かと。
 
そして、春、桜といえば「金崎宮」。
 
海 山 港そして歴史の街
海と山に囲まれた
風光明媚な敦賀は
日本の歴史にいく度も登場する
その街の東北に鎮座する社
 
これは、金崎宮公式サイトのトップページにある言葉ですが、まさに古より、交通の要衝として発展してきた敦賀を象徴する社であり、もう一方で有名なのは「縁結び神社」であること。
 
 →恋の宮「金崎宮」公式サイトはこちら
 
金崎宮は「恋の宮」とも呼ばれ、これを体現する「花換まつり」が本日28日からはじまります。
 
昨日は夕方に少し空き時間があったため、金崎宮の様子を見に行くと、“主役の桜”はまだ「つぼみ」といった感じでしたが、階段や境内にはボンボリやのぼり旗が設置され準備万端といったところ。
 

【多くの来訪者を待つ金崎宮(登り口)】
 
また、「花換まつり」を特集する港都つるが観光協会のホームページを拝見すると、
 
 『明治に芽吹き、大正に花開く 今、あなたの恋物語が花開く』
 
と、何ともロマンチックなキャッチフレーズがならぶとともに、次のように説明されています。
 
花換祭は良縁祈願の祭として明治40年代から始まったと伝わっております。その始まりから数年後の大正初めには今の祭の形が出来上がったと言われております。百有余年の歴史の中で様々な縁を結んできた花換祭は、今年も皆様それぞれの恋物語が花開くことを応援いたします・・・。また現在では「花換まつり」として良縁祈願だけでなく、心眼成就のお祭りとして毎年、金崎宮は桜で染まる4月に開催されるようになりました。
 

【2026「花換まつり」の案内チラシ】
 
なお、期間中開催されるイベントやキッチンカー出店など詳しくは、以下の同協会ホームページをご覧ください。
 
 →「花換まつり」特集ページはこちら
 
今年の「花換まつり」は4月7日(火)まで。
 
ちょうどこれから咲き始めるタイミングと週末が重なることに加え、夜はライトアップもされますので、ぜひ足を運んでいただければ幸いです。
 
また敦賀市では、金崎宮の眼下に広がるエリアを「(仮称)敦賀みなと公園」として整備することとしており、今後工事が進められることから、今の風景が見られるのは今年が最後となります。
 

【昨日撮影した金崎宮階段からの風景】
 
南北朝や戦国時代にあった歴史的な戦いをはじめ、名だたる武将や明治期以降はここから欧州へ渡った、多くの人物が見下ろしたであろう金ヶ崎エリアと敦賀湾。
 
今後のさらなる発展に期待をしつつ、今日は私も足を運びたいと思います。

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