嶺南忠霊場清掃奉仕にて先人たちを思う

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨日発行しました「やまたけNEWS(第29号)」の冒頭には、先の大戦末期の空襲によって、ここ敦賀も未曾有の戦禍に遭ったこと、そして先人たちの犠牲の上に今の私たちがあることを深く胸に留める旨、書き置いたところ。
 
これは、7月12日の敦賀空襲をはじめとする戦争の悲惨さ、また平和の意義や人間の尊厳を考える大切さを、今一度皆で考えることを呼びかける意味でも書いたわけですが、ちょうど発行した日に、自身がそのことを今一度強くする行事に参加してまいりました。
 
それは、中郷地区嶺南忠霊場清掃奉仕作業。
 
敦賀市岡山町の市立中郷小学校グランドに面した小高い山の頂上にある嶺南忠霊場(嶺南忠霊塔)は、昭和17(1942)9月27日に建立された高さ19メートルの忠霊塔で、第二次世界大戦などの戦没者6,765柱が安置されており、敗戦後の昭和21年12月23日に敦賀市長から福井県遺族互助会へ管理が移行され、「嶺南忠霊場」と改称されたもの。
 
奉仕作業は午前8時より、地元の社会福祉協議会や関係団体が参加して行われ、私は先般入会しました「戦没者追悼 敦賀市民の会(以下、敦賀市民の会)」の一員(気比史学会も賛助団体として協力)として、初参加してまいった次第です。
 
作業前のご挨拶では、中郷地区社会福祉協議会の会長さん(会社の大先輩でした)に続き、敦賀市民の会の野添会長からは、奉仕作業への感謝と、準備された1枚のパネル(戦後まもない頃の嶺南忠霊場)を掲げつつ、当時は、近くに走る北陸線列車の乗客は、忠霊塔下を通過する際、車掌の合図(車内でアナウンスが流れた)で英霊に黙祷を捧げたとのエピソードを紹介。
 
その情景を思い浮かべつつ、あらためてこの場所の大切さを認識したところです。
 
せっかくの機会と、本忠霊場のことをもう少し詳しく調べてみると、昭和12年、支那事変の勃発と共に戦没者は激増し、昭和14年に「敦賀忠霊塔顕彰奉賛会」が設立され、合葬墓としての忠霊塔の建設が進められ、昭和17年9月に(前述の)「支那事変戦没者忠霊塔」が竣工。
 
忠霊塔の右方、低い広場には沓見の墓地から移された3基(満州事変陣歿者合葬碑、上海事件陣歿者合葬碑、明治卅七八年役戦病歿 将校下士兵卒墓)の合葬碑が並ぶ。
 
山頂正面の台上に立つ忠霊塔は。建屋(台座)部分の間口約8.9m、奥行約9m、全高約19m(建屋部分は約4m)の大きな塔であり、終戦までに合祀された英霊は、1万5千余柱に達しましたが、戦後、滋賀・岐阜の両県の護国神社に引き渡され、現在は嶺南地区の英霊6765柱が祀られている。
 
終戦後、敦賀に進駐した米軍が敦賀忠霊塔を爆破すると伝えられ、遺族代表の橋本五郎氏が県軍政部代表のハイランド中佐に中止を懇請し、橋本氏個人の所有名義とすることで現状維持が認められた。
 
昭和21年12月23日、敦賀忠霊塔の管理は敦賀市長から福井県遺族互助会に引き継がれて嶺南忠霊場と改名され、昭和50年には、敦賀市公園緑地法の適用を受け国庫補助も含め参道遊歩道の整備のほか美化工事も行われた(今では桜の名所にもなっている)。
 
ハイランド中佐は、昭和23年に更迭されたが、昭和46年秋に敦賀を訪れた際に忠霊塔に参拝し、整備された霊場の姿に感慨無量と懐古されたとありました。
 
こうした変遷を経て、現在に至る嶺南中霊場。
 
奉仕作業では、急階段を登り、それぞれの団体さんが持ち場持ち場を清掃。
 
敦賀市民の会では、参加された6名にて、山頂から合葬碑までの通路部分に覆い茂った草木の剪定や土砂の除去を行い、電動工具の恩恵もあってか、約1時間ほどで見違えるほど綺麗に。
 
最後は参加者一同で忠霊塔に合掌をし、作業を終えた次第です。
 

【合掌を終え、忠霊塔を望む】
 
この機会に、忠霊塔の内部を初めて拝見しましたところ、人口正面には小さいながら荘重な祭壇があり(霊記簿が納められているという)、高く周囲をぐるりと囲むように戦地でお亡くなりになった方々のお名前が刻まれた筒状のものが祀られていました。
 
こうした雰囲気を肌で感じ、犠牲となった先人への敬意と感謝の念が湧き起こるとともに、大切なこの場所を今後も守っていくことの重要性を認識した次第です。
 
ここは春になると桜の名所。
 
舞い散ってゆく桜は「日本人の心」であり、そうした場所に祀られていることに、今を生きる者へのメッセージが込められている。
 
初めての奉仕作業に参加し、その思いを今一度強くした次第です。
 

『柴田勝家と丹羽長秀』〜第42期 敦賀市民歴史講座(第2講)を開催〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

夏の高校野球 福井大会。
 
昨日、福井市のセーレン・ドリームスタジアムで決勝戦が行われ、先制点を奪った敦賀気比は、試合を優位に進め、福井工大福井に4-1で勝利。
 
見事、甲子園の切符を手にしました。
 
全国高校野球選手権の開幕は8月6日。
 
敦賀気比には県勢27校の代表として、“聖地”甲子園でも大いに活躍されることを期待いたします。
 
さて、決勝戦の行方を気にしつつ、お昼過ぎからは、気比史学会主催の「第42期 敦賀市民歴史講座(第2講)開催のための準備。
 
こちらはもう手慣れたもので、机・椅子などの設営は敦賀市シルバー人材センターの方々にお任せし、役員側にてプロジェクターや音響などのセッティング、受付の準備など。
 
開演1時間前の13時に受付を開始すると同時に、数名の方がお越しになり、それだけ楽しみにお越しいただいたことを嬉しく思った次第です。
 
その後も続々と来場があり、開演前には定員100名がほぼ満席。
 
昨日も30℃を裕に超える猛暑の中、95名の参加をいただいたことに事務局として心より感謝申し上げます。
 

【ほぼ満席となった会場の市立図書館3階 研修室】
 
今期第2講の講師は大河内勇介様(福井県立博物館 学芸員)。
 
『柴田勝家と丹羽長秀』をテーマに、冒頭、趣旨として、秀吉が多大な影響受け、名字とした「羽」=丹羽長秀、「柴」=柴田勝家をとりあげ(羽柴名字の由来は、寛永8年(1631)竹中重門『豊鑑』)、勝家の越前統治や長秀の若狭統治の特徴、そして二人の運命を大きく変えた本能寺の変から腰ヶ岳の戦いまでの動向、柴田家滅亡後の丹羽家の変遷などについて、古文書を読み解きながら紹介していくとありました。
 
また講座では、①勝家の越前統治、②長秀の若狭統治、③本能寺の変から賤ヶ岳の戦いまで、④丹羽家の越前統治と変遷等について、例えば古文書をLINE風にお示しいただいたりと、大変分かりやすく、また楽しくご教授いただきました。
 

【古文書もLINE風にするとこんなに面白い。信長からの手紙に部下は「承知しました」のみ。】
 
なお、当会の糀谷会長曰く、通算300回近くになる本市民歴史講座で、“勝家と長秀”を本格的に取り上げたのは、意外や初めてとのことで驚き。
 
先生の資料によれば、本能寺の変で信長が亡くなり、勝家、長秀、秀吉の運命が変わった。
 
織田家に忠実で合議を重視し、天下人になろうとしなかった勝家。
 
織田家中の情報の結節点・調整役であったが秀吉についた長秀。
 
山崎の合戦で最大の功績をあげ、勢力を伸ばし、天下人となる野望を自覚した秀吉。
 
秀吉は天下分け目の戦いで長秀とともに勝家を滅ぼし、勝家は織田一族の血を秀吉に託した。
 
内容を端折り恐縮ですが、“まとめ”では、「秀吉に深く関わった勝家と長秀。二人とも福井にゆかり。対照的な動向。墓所は近く。」とありました。
 
墓所は確かに、福井市内の足羽山近くのわずか1kmしか違わないということで、機会あらば、二人の墓所をお参りしたいと思う、心に残る講座となった次第です。
 
本講座に初登壇いただいた大河内先生。
 
最近ではAIも駆使して研究に取り組まれる、日本中世史の分野において大活躍されている方。
 
今回、大変興味深いお話をいただいたことに感謝申し上げるとともに、今後ますますのご活躍をご祈念いたします。
 
誠にありがとうございました。

未来の平和のために、過去あったことを伝えること 〜平和の語り部勉強会〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

公私ともに何かと立て込んでおり、時間に追われる毎日。
 
優先順位をつけて、何とか停滞なく過ごしているところですが、「忙」は心を亡くすと書きます。
 
忙しい日々にあっても、気持ちの上において大事なことを忘れて(こちちも亡くす心ですね)しまうことのなきよう、少しの余裕、遊びを心がけていきたいものです。
 
さて、そうした中、昨日は私にとって「大事なこと」に参加。
 
7月12日には、敦賀市戦没者戦災死没者追悼式が執り行われたところですが、私自身、とりわけ敦賀の歴史において未曾有の惨禍となった敦賀空襲の実相、戦争の史実と平和を希求することの尊さを次代へ継承していくことの重要さを思い、先般、「戦没者追悼 敦賀市民の会」の会員となったところ。
 
一方、今年で戦後81年を迎え、国民の約9割が「戦争を知らない」状況になったいま、戦時中を体験した人が減る中でどうやってこの史実を語り継いでいくのかは大きな課題であり、「戦没者追悼 敦賀市民の会」では、今年度から市内すべての小学校に“語り部”を派遣して平和学習の授業を行っています。
 
なお、これまで実施した「語り部」授業は、同会の副会長であり、戦時中に伯父を亡くした奥野治樹氏が担ってきたところ、今後も若い世代に教訓を伝え続けられるよう、語り部の育成などを目的とした勉強会が初めて開かれるということで、私も参加。
 
昨日の勉強会には、市民の会のメンバー8名が参加し開催されました。
 

【会場に投影されたスライド表紙】
 
勉強会では、奥野氏が講師となり、冒頭、語り部の目的は「未来の平和のために、過去あったことを伝えること」と趣旨を述べられた後、厚生労働省としての取り組みであることや平和の語り部には、①小学校6年生対象、②地域のコミュニティセンターなど、③遺族会会員対象の、主に3パターンあること。
 
「平和の語り部の方向性」として、①史実を伝える(戦争の記録などは決して正確とは言えない。確実な史実を伝える。)、②思想・宗教・政治には触れない、③戦争の話の「3K」は、暗い・怖い・聞きたくない であり、不謹慎にならない範囲で少し明るめに語る必要がある と非常に重要な納得のポイント。
 
また、「注意事項」としては、子どもたちに体調不良が生じていないか、家庭でも戦争を話題にした会話につながるよう、伝える内容を絞り込むなど、これら以外にも配慮すべき事項など、今後、語り部を実践して行く上での基礎知識を大いに学んだ次第です。
 
なお、奥野氏がお話された後の意見交換では、総じて、“次の世代にバトンタッチする準備”をしていくこと、“戦争の史実を風化させない”、“戦争や平和を自分ごととして感じてもらう”ことなどがメンバー内で共有され、メンバー一同、認識を共有。
 
同会においては、今後も取り組みの輪を広げ、敦賀市教育委員会とも連携のもと、「未来の平和のために、過去あったことを伝える」語り部授業を行なっていくこととしていることから、趣旨に共感し、我こそはという方がいらっしゃいましたらお声かけいただければ幸いです。
 
なお、市民の会の取り組み趣旨と重なるのが、同じく自身が所属する気比史学会の設立以来の会是。
 
『過去に学び 未来に期待し 今日に生きる』
 
私にとって心の拠り所となる「大事なこと」を大切に、思いをともにする方々と一緒に取り組んでまいる所存です。
 
結びに、勉強会の模様は、昨日のNHK「ニュースザウルス」で放送された上で、ウェブ版では「NHK ONE福井」で配信されていますので、ぜひ以下リンクからご覧いただければ幸いです。
 
→「NHK ONE福井」はこちらから

令和8年度 敦賀市戦没者戦災死没者追悼式

ブログ 敦賀の歴史・文化


【献花を終えた祭壇】
 
昨日は10時30分より、敦賀市主催の「令和8年度 敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」がプラザ萬象大ホールにて挙行されました。
 
敦賀市では、昭和20年7月から8月に受けた、3回の空襲によって失われた尊い命225柱、そして、日清戦争から太平洋戦争にかけて、戦地などで亡くなった敦賀市出身者1,764人の計1,989柱の戦没者と戦災死没者を追悼するため、毎年この時期に追悼式を行なっており、昨日もご遺族を始め多くの関係者が参列のもと、厳かに追悼式が執り行われました。
 
私は議員の立場としてお招きいただき、会場の皆様とともに、哀悼の誠を捧げるとともに、先人たちの犠牲の上に今の暮らしがあることへの感謝、そして、世界では絶えることなく各地で紛争が起こる中にあっても、心から恒久平和を祈念した次第です。
 
また、今回の追悼式では、遠方の方、会場までお越しになることが難しい方々のためにと新たに取り組まれた「オンライン献花」には30名を超える皆様から献花があり、会場後方にメッセージと合わせて掲示されていました。
 
すべてに目を通しましたが、文面に込められた想いはかけがえなく尊いものであり、犠牲になられた方々や英霊に必ずや届いたものと思ったところです。
 
そして、81年前の今日、昭和20(1945)年7月12日は、先の大戦において日本海側で初めての空襲を敦賀が受けた日。
 
この空襲によって、敦賀は市街地の大半が焦土と化したほか、7月30日、8月8日※にも続けて戦禍に見舞われ、これら3回の空襲によって225柱もの尊い命が失われました。
 
※同年8月8日午前9時頃、B-29が敦賀に投下したのは長崎に投下した原子爆弾と同型の模擬爆弾(通称パンプキン)
 
なお、12日にあった敦賀空襲の詳しくは、以下の過去ブログよりご覧ください。
 
 →2025年7月6日 ブログ『敦賀空襲を伝え つなぐ』はこちら
 
本日敦賀市では、12日(土)10時に、市内にある屋外スピーカー(防災情報伝達システム)を使用してサイレンを鳴らし、戦没者戦災死没者のご冥福を祈るとともに、世界の恒久平和を願い、ご家庭や事業所(今日は休みのところが多いかと)等において、黙とうを捧げていただくことをホームページ上でお願いしており、こうした取り組みが、この空襲を、そして戦争の恐ろしさや悲惨さを忘れないことにつながるものと認識するところです。
 
また、元町にある本勝寺様では、この空襲による犠牲者を追悼する法要が行われます。
 
爆撃された東洋紡績敦賀工場で若き生命を失った皆様に対し、心からのご冥福をお祈りいたします。
 
これら、一連の追悼式、法要が連綿と続けられていることは非常に重要なことであり、国民の約9割が戦争を知らない世代となったいま、戦争の悲惨さや平和の尊さを今一度思い起こし、胸に留める機会として、今後も大事にしてまいる所存です。
 
追悼式を終え、礼服からTシャツに着替えた後は、川崎・松栄岸壁へ。
 
毎年、このパターンを繰り返しているわけですが、岸壁に行く理由は、19日の「第29回敦賀港カッターレース」に向けて行われているチーム練習対応のため。
 
真夏日の中での練習対応は、体調管理に留意してのものですが、無事に昨日の練習日程を終えたところです。
 

 
写真は、練習を終えた17時過ぎの岸壁。
 
「なんて美しい敦賀の風景」と思うと同時に、同じ夏でもどうだったのであろうと、「81年前の夏」に思いを馳せた次第です。

「カッター下ろし」と「敦賀市民歴史講座」

ブログ 敦賀の歴史・文化

議員活動とあわせ、プライベートも充実している今日この頃。
 
昨日はまず、7月19日(日)開催の「第29回敦賀港カッターレース」に向けて、通称〝カッター下ろし”作業を実施。
 
幸い、暑くもなく、雨でもない曇天模様の中、実行委員会のメンバーが集合し、1年間保管していた場所から海(川崎松栄岸壁)へ、カッター4艇を移動しました。
 

【陸の保管場所でカッターをひっくり返し】

【1艇づつ海へ(川崎松栄岸壁コの字水面】
 
なお、今年の参加は42チームで、遠くは青森県八戸市、富山など、県外からも4チームにお越しいただくこととなっているこの大会。
 
今日から来週にかけてのチーム練習を経て本番となりますので、各チームの皆さんにとって、とにかく楽しく、気持ちの良い大会となるよう準備していきたいと思います。
 
と言いつつ、ダブルヘッダーの昨日は、お昼前に作業を中座し、TシャツからYシャツに着替え移動。
 
こちらも楽しみに企画を進めてきた、気比史学会「敦賀市民歴史講座」の今期開講日ということで、会場の敦賀市立図書館へ。
 
会場となる同館3階研修室にて設営、準備をしていると、開演(14時)の1時間ほど前から会場を覗く方がチラホラ。
 
「しばしお待ちを」とお声かけしつつ、関心高くお越しいただいたことを嬉しく思った次第です。
 
その後、受付を開始するとなんと、次々と来場があり、開始前には席が足りないほどになり、慌てて椅子を補充し対応。
 
結果、110名を超える皆さんにお集まりいただき、熱気の中で開講を迎えることができました。
 

【あふれんばかりとなった会場】
 
今年で第42期を迎えた「敦賀市民歴史講座」では、開講にあたり糀谷好晃会長より、ひと言ご挨拶いただいた後、第1講の講師には、大谷吉継研究の第一人者であり、これまで幾度も本講座に登壇いただいている外岡慎一郎氏が登壇。
 
今期の年間テーマ 『信長から秀吉へ そして家康へ ー越前・若狭の武将たちー』の第1講にあたり、外岡先生には『信長以前〜越前・若狭の戦国時代』と題し、「信長以前」の概観から敦賀の戦国時代(長禄合戦や朝倉豊景の乱等)、「信長以後」への展望について、約1時間45分に亘りご講義いただき、誠にありがとうございました。
 

【戦国時代の情景が浮かぶようなお話しをいただいた外岡慎一郎先生】
 
また、聴講者あってここまで続いてきたこの講座。
 
昨日は初めての方、お若い方など、大変多くの方にご来場いただいたことに心より感謝申し上げます。
 
次回は、7月25日(土)14時より、福井県立歴史博物館 主任学芸員の大河内勇介氏をお招きし、『丹羽長秀と柴田勝家』をテーマにお話しいただきますので、皆さま奮って参加いただけますうようお願いいたします。
 
→敦賀市HP「第42期 敦賀市民歴史講座(第2講)」のお知らせはコチラ
 
こうしてダブルヘッダーを終え、充実した一日。
 
敦賀にある、ゆたかな自然と歴史に触れることを幸せを感じながら、この後も過ごしてまいります。

「令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」にご参加ください

ブログ 敦賀の歴史・文化

本日7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日。
 
1775年4月19日、英国軍が米マサチューセッツ州の民兵軍を襲撃しようとしたことから独立戦争が始まり、自由のための戦闘が続く一方で、ペンシルベニア州フィラデルフィア市では、もうひとつの戦い、すなわち言葉の戦いが行われ、反逆とみられる「独立宣言」を大陸会議が承認。
 
この日が1776年7月4日であり、英国とのつながりを正式に断ち切って、新たな独立国家、アメリカ合衆国を形成したことが由来であることは周知の事実。
 
これに至るには、2つの大きな出来事が英国に反抗する入植者たちを統一させ、定められた宿命への道を急がせたとあり、その一つは、1770年3月5日、英国軍が、抗議をするボストン市民の集団に向けて発砲して5人を殺害し、その他にも負傷者を出した「ボストン虐殺事件」。
 
もうひとつの大きな出来事は、紅茶に対する課税に関するもので、紅茶は植民地で人気のある商品でしたが、英国の税法は、英国の紅茶販売会社である東インド会社に有利なものとなっていたことに入植者たちは憤慨し、これらに対する抗議活動が大きな広がりをみせたこと。
 
独立から今日で250年。
 
独立のきっかけが、英国からの暴力行為と関税措置にあったとすれば、いま、米トランプ政権がやっていることは、米国民にどう映っているのでしょうか。
 
「歴史は繰り返す」ということにならぬよう、独立から250年を機に、国の生い立ちを国民皆で考えることに意義があると考える次第です。
 
さて、この米国と日本の関係。
 
先の大戦で戦った相手が今は同盟国であるというのも、紛れもない「歴史」であるわけですが、私にとって、独立記念日と同じ、7月の出来事といえば「敦賀空襲」と「戦没者戦災死没者の追悼」。
 
1945年7月12日、日本海側で最初の大規模空襲があったのは敦賀で、その後7月30日、そして8月8日には翌9日に長崎に落とされた原爆と同じ型の「模擬爆弾」が投下された3度の空襲は、敦賀の中心市街地を焼き尽くし、本市の歴史上最大の惨禍となりました。
 
なお、「敦賀空襲」の惨禍については、過去の「やまたけブログ」で詳しく説明をしていますので、よろしければ以下リンクよりご覧ください。
 
→2024年7月13日ブログ『敦賀大空襲から79年』
→2025年7月6日ブログ『敦賀空襲を伝え つなぐ』
→2025年8月8日ブログ『敦賀に「模擬原爆」が投下されてから80年』
 
こうして3度の空襲によって失われた225柱の尊い命。
 
また、日清戦争から太平洋戦争までの戦役に際し、祖国の安泰を念じながら命を落とされた本市出身戦没者1,764柱の方々の戦没者戦災死没者を追悼し、平和を祈念するため、毎年7月には「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」が実施されています。
 
この「追悼式のあり方」については、国民の9割が戦争を知らない世代となり、敦賀においても同じく、市民のほとんどが戦争を知らない世代となるなかで、戦後80年を機に、戦没者追悼敦賀市民の会とも連携を図りながら、若い世代の方にも積極的に参加していただけるように取り組んでいく必要があり、今後のあり方について具体的議論を進めていくべきではと、令和7年第3回(9月)定例会の一般質問でいくつかの提案をしたところです。
 
上記、一般質問の詳しくは、以下リンクよりご覧ください。
 
→2025年9月20日ブログ『敦賀のアイデンティティを継承し、地域を守り抜くために何をすべきか』
 
そうした経過を経て迎える、今年度の「令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」は、7月11日(土)午前10時30分より、プラザ萬象大ホールで執り行われます。
 
また、市の方では新たな取り組みとして、追悼式における「オンライン献花」を受け付けるとあり、市HPでは、「当日のご来場に関係なく、どなたでもできますので、戦没者・戦災死没者への思いをメッセージとしてお寄せいただければ幸いです」としています。
 
※受付期間が、7月7日(火)までとなっていますのでご留意ください
 
こうして変化を恐れず、新たなことを試みる市の姿勢に敬意と感謝を申し上げるところであり、私の立場からもお願いする次第です。
 

【追悼式におけるオンライン献花の呼びかけ画面(敦賀市HPより引用)】
 
なお、追悼式全体に関する敦賀市HPは以下よりご覧ください(オンライン献花のお申し込みもこちらに掲載されています)。
 
→敦賀市HP『令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式を実施します』はこちら
 
先の一般質問では、教育の場において、戦争体験を風化させずに継承しようと、福井県遺族連合会が県内の小中学校や高校で始めた「語り部」を、敦賀市内においても毎年のプログラムに取り込み実施することを提案したところ、花木教育長はじめ、教育委員会ならびに各学校のご理解もあり、今年度から市内小中学校(半分づつ)にて取り組みが始まったところ。
 
敦賀っ子、敦賀人の「人道」と「平和」との関わり、関わり方については、先の一般質問「戦争の惨禍と人道の心を伝え、つなぐことについて」での最後に、米澤市長に言葉を充てています。
 
本日のブログの最後にそのことを記すとともに、是非とも思いを共有いただき、7月11日の追悼式には、多くの市民の皆さまにご参加いただければ幸いに存じます。
 
<一般質問での結びの言葉>
 
(敦賀)ムゼウムは、「人道の港」の史実を保存する中において、敢えて「戦争」を深く語っていないと認識している。「人道」の史実を学ぶ一方で、もう一つの史実「戦争」に関しては、先の大戦によって、ここ敦賀でも多くの人命が奪われたこと、中心市街地が焦土と化し、そして復興を果たしたという、我々は先人の努力の上に立っているという思いを持たないのでは、敦賀のアイデンティティが引き継がれないのではと考える。
古より、その地域を治める長の役割とは、地域にある固有の歴史や文化を守り、継承することにあると考えることから、とりわけ、人道の港を有する「敦賀だからこそ」、市長には、敦賀のアイデンティティを後世に継承していくべきとの思いをもって市政を進めていただくことを最後にお願いする。

文化庁「100年フード」は敦賀にもあり

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨日の敦賀市議会は、議長以下、全議員が集っての「模擬報告会」を開催。
 
7月12日(日)に開催する「議会報告会」を前に、スケジュールやシナリオ、作成したパワーポイントを全議員で確認する場であり、議員間の認識共有を図る場。
 
資料でいくつか修正点があった以外、特段問題なしということで、最後は議場で告知用の動画を全員で撮影して終了。
 
12日(日)は議員皆でお待ちしていますので(部を分け、半分づつですが)、どうぞお気軽にお越しくださいませ。
 
さて、議員活動に加え、プライベートでは今週末(4日)から始まる「敦賀市民歴史講座」や19日(日)の「敦賀港カッターレース」など、ここから満載の行事ごとをネジ巻いて進めていくにあたっては、まさに体力勝負といったところ。
 
昨日は、夏至から数えて11日目の「半夏生(はんげしょう)」ということで、この日に食べる風習にちなみ、わが家の夕食にも「焼きさば」が食卓に並び、美味しくいただきました。
 
なお、本来は「串刺しの丸焼き」を食べるところ、切り身であったことは家庭の事情と理解(笑)。
 
農繁期が終わり、夏を迎える半夏生の日に串刺しの丸焼きさばを食べる風習で有名なのは福井県大野市で、実はこの「※半夏生さばの食文化」は文化庁の「100年フード」に認定されています。
 
※ここでは「はんげしょう」ではなく、「はげっしょ」と読む
 

【越前おおの観光ガイドHPに掲載の「半夏生さば」】
 
大野市のホームページ(HP)などを拝見するに、それを裏付ける史料は見つかっていないものの、安政元年(1854)6月、横枕村の野尻源右衛門(のじりげんえもん)が半夏生を理由に、田植えのために雇っている農民たちに「焼物鯖代」を渡しており、この頃には半夏生に焼さばを食べるという風習が定着していたと思われるとあります。
 
このため、半夏生さばを食べる風習は、夏バテ防止策として藩主が焼さばを食べることを奨励したあるいは焼さばを配ったことから始まったという言い伝えからくるものですが、これを知り、単純な私は、「切り身」であれ、バテずに夏を乗り越える元気が湧いた次第です。
 
大野市の「半夏生さばの食文化」が文化庁「100年フード」に認定されたのは令和3年度で、文化庁が認定する、次の条件を満たす食文化。
 
<100年フードの認定条件>
◉地域の風土や歴史・風習の中で個性を活かしながら創意工夫され、育まれてきた地域特有の食文化
◉地域において、世代を超えて受け継がれ、食されてきた食文化
◉その食文化を、地域の誇りとして、100年を超えて継承することを宣言する団体が存在する食文化
 
大野市では現代においても、半夏生の日には、店頭で焼き上げる光景や半夏生さばが多くの家庭の食卓に並ぶほか、離れて暮らす家族に半夏生さばを送る人もいることなど、「時代を越えて愛され続け、人と人とを繋いできた半夏生さばの食文化を、もっと先の未来まで継承していきましょう」と記されています。
 
こうして、大野市を羨むかに思われるかと存じますが、以下の文化庁HPにある、福井県の「100年フード」一覧をご覧ください。
 
→福井県の「100年フード」はこちら
 
トップには、江戸時代から続く郷土の料理「敦賀のおぼろ昆布」(令和6年認定)があり、一番下には、これも敦賀の人には馴染み深い「若狭地方のニシンのすし」(令和3年度認定)があります。
 
昆布とニシンはまさに、敦賀の「自慢の食文化」。
 
現在、敦賀市では「食文化ストーリー」として取り組んでいますが、大野市と同様、地元市民に愛され、歴史とともに将来に継承していきたいものですね。

遺作 髹漆鉢「暁天」に故浅賀貴宏氏を偲ぶ

ブログ 人生観 敦賀の歴史・文化

6月22日のブログでご案内した、敦賀市文化協会主催の『第45回敦賀市総合美術展』。
 
『市美展(しびてん)』の略称で親しまれる同美術展の会期は、6月21日(日)〜28日(日)まで。
 
なお、『市美展』を構成する部門は多岐に富み、すべては以下のとおり。
 
◉日本画・水墨画、水彩画
◉絵画・造形
◉デザイン・版画
◉彫刻
◉工芸
◉書道
◉写真
 
毎年この時期に開催される『市美展』を楽しみに、鑑賞に訪れていますが、様々な部門における「市民アーティスト」の作品を拝見していると、完成に至るまでには相当の研鑽をされたのであろうと、それまでのご努力が浮かぶなど、感嘆の思いとともに、それぞれの力作から力を頂戴しているところ。
 
そして、このように多くのアーティストが活動されていることに、敦賀の文化力の高さ、芸術の分野においても「市民力」を感じる次第です。
 
そうした『市美展』に、昨夕は“特別な思い”をもって鑑賞してまいりました。
 
会場のプラザ萬象 大・小ホールには、例年同様に素晴らしい作品が並び、一点づつ歩を進めましたが、先の“特別な思い”とは、その先の多目的室に展示される作品に。
 
工芸(漆塗)の分野で、いわゆる人間国宝の川北良造氏をはじめ、多くの現代の名工に学び、これまで全国レベルの賞を数々受賞され活躍をされていた、本市在住の浅賀貴宏(あさかたかひろ)さんが、本年3月末に逝去されました。
 
お一人暮らしのところの急病であったことっや、ご実家が県外ということで、訃報を知ることなく、実はこの事実を知ったのは今週に入って、ある方から聞き、驚くやら残念やら、葬儀にも参列できなかった無念を思うなど、複雑な心境で今もいるところ。
 
実は、浅賀さんと私は、最初、議員としての私を慕ってお声かけいただいたことをきっかけに親交が始まり、以降は、直接あるいはLINEのやり取りなどで、私は浅賀さんの作品が全国クラスの展覧会で受賞したことや、人間国宝から教えを受けていることなどを伺うなど、仕事をしながら、ゆくゆくは自分も人間国宝を目指す思いで漆塗工芸に精進されている彼を心から尊敬し、応援していたところ。
 
それだけに、急逝という形で、その才能が閉じてしまったこと、最後のお別れも伝えられず、お見送りすることもできなかったことを含め残念無念。
 
こればかりは、人生の非情を恨む心境であります。
 
そうした心境にあって、いま私にできることは、浅賀さんの生前のご功績と生きた証を一人でも多くの方に知っていただくことではないかと、追悼の意味を込め、そのことを以下にご紹介したいと思います。
 
<故 浅賀貴宏氏を偲ぶ>
 
日本文化財漆協会正会員であり、本市在住の浅賀貴宏氏においては、敦賀市立短期大学在学時に漆芸と出会って以降、石川県立輪島漆芸研究所で研鑽、重要無形文化財(木工芸)保持者(いわゆる人間国宝)の川北良造氏、村山明から指導を受け、さらなる漆芸技術の向上に努められていた有望な工芸家。
 
漆工芸家として全国各地で出品活動を続ける中において、福井県はもとより、石川県、全国公募展に出品し、数々の受賞や入選を重ね、令和3年には第35回日本煎茶工芸展にて文部科学大臣賞を受賞するなど、大いに活躍されました。
 
浅賀氏は、本市における文化芸術の発展、漆塗りの本場である輪島との関係から、令和6年能登半島地震からの復興を期する思いも込めて、一層の精進を積み重ねられていましたが、令和8年3月30日、病気により逝去されました。
 
以下に、浅賀様のご経歴、数々の受賞履歴をご紹介し、そのご功績を讃え、本市の文化の発展にご貢献されたことに敬意と感謝の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
 
【所属団体等】
・日本工芸会研究会員
・漆工房あさか代表
・日本文化財漆協会正会員
・福井県総合美術展工芸部門会員(無監査)審査委員
・敦賀市文化協会/工芸部門(無監査)審査委員
 
【略歴】
・1983年 新潟県柏崎市に生まれる
・2004年 敦賀短期大学日本史学科 卒業
・2007年 石川県立輪島漆芸研修所 普通研修課程 髹漆科 修了
      敦賀短期大学地域交流センター職員(漆工芸演習助手・進路支援員)
・2008年 敦賀短期大学公開講座 漆の未来~伝統工芸とする産学協働の実践教育Ⅰパネルディスカッション・パネラー
・2011年 重要無形文化財(木工芸)保持者川北良造氏から指導を受ける
・2015年 重要無形文化財(木工芸)保持者村山明氏に木工芸を学ぶ
・2019年 重要無形文化財伝承者養成研修会「髹漆」
・2021年 重要無形文化財伝承者養成研修会「蒔絵」
・2022年 重要無形文化財伝承者養成研修会「色絵磁器」
      重要無形文化財(木工芸)保持者 川北良造氏より「漆工房あさか」と名付けていただき工房を設立
 
【主な入選・受賞歴】
・日本伝統漆芸展 入選6回
・第5回藝文京展 京都新聞社賞
・日本煎茶工芸展 最高賞・文部科学大臣賞受賞(入選6回)
・石川の伝統工芸展 奨励賞(入選12回)
・新潟伝統工芸展 奨励賞(入選2回)
・全国木工芸の祭典in屋久島 屋久島教育委員会賞
・讃岐漆芸美術館 カップ展 特別賞・夏炉賞
・伊勢国際クラフト展「酒器・酒器台」入選1回
・福井県総合美術展 最高賞・知事賞1回、受賞6回 無監査推挙
・敦賀市総合美術展 最高賞・市長賞1回、受賞1回 無監査推挙
 
※浅賀さんの作品は、以下、日本工芸会およびGALLERY JAPANのホームページをご覧ください
 
→日本工芸会HP 浅賀さんの作品はこちらから
 →「GALLERY JAPAN」HPはこちら
 
浅賀さんが魂を込め、おそらく最後の受賞作品となった、髹漆鉢「暁天」。
 
工芸作品が並ぶ多目的室に、“遺作”として展示される「暁天」を、これまでの感謝の思いを込めて鑑賞いたしました。
 

【浅賀さんの遺作 髹漆鉢「暁天」】
 
本当にこれまでありがとうございました。
 
そして、お疲れさまでした。
 
これは書こうか迷いましたが、お亡くなりになったことをまったく知らず、4月6日に浅賀さん宛に送ったLINEメッセージに書いた言葉は、「ご無沙汰しております。試練の嵐に耐えた桜はやはり、日本人の心と思うところ。以前にお話ししていました受賞作品の返却時期がもうそろそろではと。手元に戻ってきましたら、市長表敬訪問についても調整してまいります。」
 
言葉は届くことなく、以前から望んでいた市長表敬訪問も叶わぬまま逝ってしまったことが誠に心残りでなりませんが、LINEは既読にならずとも、私の思いは、天国の浅賀さんに届いているものと信じる次第です。
 
結びに、浅賀さんの漆塗工芸に対する思いは、自らが敦賀で立ち上げた「敦賀工藝鹿鳴会」に引き継がれることを願うとともに、市美展は明日28日(日)16時まで。
 
皆さま方におかれましては、故人を偲び、プラザ萬象の一室で“輝く遺作”を鑑賞いただければ幸いに存じます。
 

【2024年の市美展会場にて。浅賀さん、ありがとうございました。天国でも漆塗工芸を極めて、必ずや人間国宝になってくださいね】

『第42期 敦賀市民歴史講座』が始まります

ブログ 敦賀の歴史・文化

話題持ちきりのサッカーワールドカップ。
 
私はあいにく所用と重なり、ライブ視聴はできませんでしたが、1次リーグF組の日本は昨日、第2戦のチュニジア戦に4―0で大勝し、勝ち点を4に。
 
予選リーグ最終戦のスウェーデンで勝つか引き分けなら同組2位以上が確定し、1次リーグ突破が決まる状況となったことに大盛り上がり。
 
日本は最終戦で敗れても、オランダがチュニジアに負けた場合、1次リーグ全試合の総得点などで上回れば2位となるともありますが、次も勝って「勝ち点3」を積み、得失点差でも上回って、堂々とF組1位での決勝トーナメント進出を期待するところです。
 
さて、サッカーのみならず、オリンピックや野球のWBCなど、「日の丸」を背負って戦うチームや選手たちを国民全体で応援することによって、チーム(選手)に対しては力を与え、逆に奮闘するチームの姿からは勇気や元気をもらう。
 
とりわけ、国際スポーツ大会では、こうした国民の一体感が生まれるものと思うところですが、話を一転、グッと身近な話で、しかも文化芸術の面においても同じことが言えるのではと。
 
それは、昨日から始まった『市美展(しびてん)』の略称で親しまれる『第45回敦賀市総合美術展』。
 
こちらも所用により、初日に鑑賞に伺えずでしたが、毎年この時期に開催の『市美展』においては、展示される日本画・水彩画や絵画・造形、工芸や書道、写真など、様々な分野における「市民アーティスト」の力作を拝見し、感嘆の思いと元気を頂戴するとともに、こんなに多くものアーティストが活動されていることに、芸術の分野における「市民力」を感じるところです。
 
『市美展』の開催期間は、6月28日(日)まで。
 
多くの方が鑑賞されることは、市民アーティストの皆さまの、さらなる「創作力」につながると思いますので、ご都合の良いお日にち、お時間に、プラザ萬象まで足を運んでいただければ幸いです。
 
そして、私にとって、元気と勇気をもらうことに加え、敦賀への「誇り」がますます高まるのは、地域史を学ぶこと。
 
自身が活動に参画いたします、敦賀の市民歴史団体「気比史学会」の『第42期 敦賀市民歴史講座』がいよいよ7月4日(土)を皮切りに始まります。
 
この「敦賀市民歴史講座」は、昭和60(1985)年に開講以降、体系的な年間テーマのもとに、「地域史の再発掘と歴史を活かしたまちづくり」のため通年開催。
 
これまで48年に亘り取り組んできた市民歴史団体(会としては来年50周年)としての理念、活動を継承しつつ、ここ敦賀の豊富で悠久の歴史を楽しみながら、次代へ継承するとの思いのもと、これまで同様、広く一般市民の聴講を求め、地域史に立脚した市民文化構築の一助とするもの。
 
今年の年間企画テーマは、NHK大河ドラマも睨み、その名も『信長から秀吉へ 〜そして家康へ〜 -越前・若狭の武将たち-』。
 
7月4日(土)の第1講では、大谷吉継研究の第一人者でもある、外岡慎一郎氏(元奈良大学教授)をお迎えし、『信長以前~越前・若狭の「戦国時代」』をテーマにご講演いただくほか、後の3講も多彩な講師陣にお願いしており、どのようなお話が聴けて、どんな学びがあるのかワクワクしているところです。
 
詳細は、以下の講座リーフレットをご覧いただければと思いますが、9月27日(日)には<特別講>として、『羽柴兄弟とめぐる北近江の旅』と題したフィールドワークも計画していることから、お楽しみにしていただければと思います。
 


【第42期 敦賀市民歴史講座リーフレット(本来A3見開きをA4に分割して掲載)】
 
この市民歴史講座に関しては、先日たまたま、高校の同級生(女性)と話していたところ、「私、今頃になって歴史に興味あるんやってー」と、私にとっては「待ってました!」のひと言。
 
気比史学会のことなどを紹介し、後日、上記のリーフレットと会報を人伝いに届けると、その同級生から「7月4日の講座行くしな!」と嬉しい電話。
 
しかも、声かけたお母さんもお越しいただけるということで、ダブルの喜びとなったところ。
 
名前に「学会」とつくからか、「敷居が高いと思っていた」との声を聞いたことがありますが、そんなことはまったくございません(私が事務局を務めているくらいですので)。
 
「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」
 
設立以来の会是を胸に今期も開催してまいりますので、初めての方、歴史に少し興味があるという方はぜひ、お気軽に参加いただければ幸いに存じます。

「第29回敦賀港カッターレース」に向けて代表者会議を開催     

ブログ まちづくり 敦賀の歴史・文化

高校時代は陸上競技に打ち込んでいた私。
 
 →その様子は、リンクの「プロフィール」を参照ください
 
県大会で優勝すれば全国大会(甲子園)に出場できる野球などと違い、陸上は、県大会6位入賞で北信越地区大会に進み、さらに北信越地区大会で6位に入って初めて全国大会(インターハイ)に出場できるという“狭き門”。
 
私は結果して、1500mや3000m障害で県大会においては優勝経験があるものの、北信越では決勝にすら進めなかった、つまり全国大会の切符は夢のままで終わったわけですが、この時期はちょうど、そうしてライバルたちと凌ぎを削った北信越大会の時期。
 
滋賀インターハイを懸けた、今年の北信越地区大会は現在、石川県の西部緑地公園陸上競技場で開催されており、2日目の昨日は大記録が飛び出しました。
 
その大記録とは、女子100mハードルで優勝した藤田紗季選手(敦賀高2年)。
 
優勝タイムの13秒20は、なんと日本高校新記録!
 
この大記録樹立を祝福するとともに、同じ敦賀高校陸上部で競技生活を送った者として、心から嬉しく思うところです。
 
あわら市出身で、親元を離れ、敦賀市内で下宿生活を送っているという藤田選手。
 
驚くことに、ハードルの後は走り幅跳びでも優勝したとありましたが、全国大会出場を目指していた私と違い、彼女の目標は全国優勝やさらなる日本高校記録更新であり、今後ますますの活躍を期待する次第です。
 
こうした吉報、青春時代(今も青春ですが)を思い返すニュースから元気をもらい、昨日のメインイベントは、7月19日(日)に開催予定の「第29回 敦賀港カッターレース」の代表者会議。
 
参加チームの代表者に集っていただき、大会や練習関係の説明や、レース順などを抽選で決めるこの場は、本番前のひとつの節目であり、事務方の私としては緊張感をもって臨んだところです。
 
実行委員の皆さんは午後6時に、会場の敦賀市総合運動公園体育館2階の会議室に集合して設営を行った後、続々と訪れるチーム代表者をお迎え、受付し、会議は午後7時にスタート。
 
なお、今大会の出場チームは42チーム。
 
タイムで分かれる第1部に11、第2部に26、女性の部5チームで、このうち県外からは4チームが参加。
 
最も遠くは、青森県八戸市からお越しいただくということで嬉しい限り。
 
ただし、遠方から会議だけのために敦賀にというわけにはいかないことから、そうしたチームに向け、敦賀港カッターレース公式のYouTubeチャンネルを立ち上げ、昨日は初のライブ配信にて、会議の模様を中継した次第です。
 

【代表者会議の様子(各チームの希望順にテント位置を決めています)】
 
会議では、実行委員会の力野豊会長の挨拶に始まり、私から大会・練習関係の説明をした後は、順次、スムーズにレース順のくじ引きやテント位置を決めるなど、実行委員の慣れた進行や代表者の皆さんのご協力もあり感謝。
 
最後は同じく、実行委員会の宇野精浩副会長の言葉で締めくくりました。
 
なお、自身も選手として登録している「敦賀市議会チーム」は、もちろん今年も出場。
 
前回大会では決勝4位と入賞を逃しましたが、タイムが3分40秒を切っているということで、今大会から「1部昇格」(嬉しいような嬉しくないような)。
 
強豪11チームに混じっての激漕になろうかと思いますが、選手としても、実行委員としてもとにかく楽しみながら、「敦賀の夏の風物詩」に「参加して良かった」と言ってもらえる大会にしていきたいと思います。
 

【目標は!と言いたいところですが、手に届くには遠い、1部の優勝カップ】

« 古い記事