2024年11月24日
古より「氣比神宮」と「敦賀津」は敦賀のシンボル
「勤労感謝の日」の昨日は、日本全国の神社で「新嘗祭」(にいなめさい)が執り行われました。
私は議会の立場で、氣比神宮の「新嘗祭」に参列いたしましたが、新嘗祭は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りする祭典。
特に宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉るとともに、御親らもその新穀をお召し上がりになりますが、収穫感謝のお祭りが11月下旬に行われるのは全国各地での収穫が終了する時期に、御親祭を行われたためと考えられています。
なお、伊勢神宮のホームページを見ると、
『春には祈年祭で豊作を祈り、秋には新嘗祭で収穫に感謝』
『日本書紀』に天照大御神が斎庭(ゆにわ)の稲穂を天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けられたことが記され、そこに日本の始まりが位置づけられることは大きな意味を持ちます。春に豊作を祈り、秋の収穫に感謝する稲作を中心とした営みを、日本人は2000年以上繰り返して来ました。天皇陛下から国民に至るまで神を祀ることは日本の大切な文化です。
との由来と意味合いが記載されていました。
なお、春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈るお祭り「祈年祭」は国家規模で執り行われ、平安時代の『延喜神名式』によると、神宮を始め全国2,861社の神々に幣帛(はいはく)が奉られていたとあり、この「新嘗祭」に至るまでを考えるとまさに、稲の育成周期が日本人の一年と感じたところです。
氣比神宮では、福井県内農協を通じ多くの農家より本年の新穀のご奉納を戴いたとあり、そのことと合わせ、感謝を込めて玉串拝礼いたしました。
【収穫への感謝と国家の繁栄を祈りました。】
また、夜はニューサンピア敦賀で開催された「「第35回北前船寄港地フォーラムin加賀・福井」のレセプションに出席。
「北前船寄港地フォーラム」とは、江戸時代に物流のネットワークと地域交流の役割を担っていた北前船の伝統を現代に生かし、関係自治体が連携してその魅力を発信し地方創成に寄与することを目的に平成19年(2007)から日本海側の北前船寄港地などで開催されているもので、今回で35回目。
11月21日・22日は加賀市にて、23日は福井県で、特に今年は能登半島地震からの北陸の復興支援および北陸新幹線の開業を契機として開催されました。
福井県産業会館で行われたお昼のフォーラムでは、「北前船がもたらした食文化」をテーマとしたスペシャルトークセッションに奥井隆 敦賀商工会議所会頭(株式会社奥井海生堂 代表取締役社長)が話し手として登壇されたそうで、まさに北前船と直結する昆布にまつわるお話しをされたとありました。
出席した夜のレセプションは敦賀市のほか、小浜市、美浜町の会場でも開催され、敦賀会場においては、県から中村保博副知事、岩倉南越前町長、米澤敦賀市長や行政関係者、一般社団法人 北前船交流拡大機構関係者、敦賀商工会議所の方々など多くが募り、大変盛り上がったレセプションとなりました。
ご来賓の挨拶では、「(北前船の)本丸ともいえる敦賀に来て、奥深い歴史や文化を感じた。」、「古くから国際港を有する敦賀のことをどんどん発信していきたい。」との言葉があり、嬉しく感じた次第ですが、先の氣比神宮と敦賀の津(のちに湊→港)は、古代から敦賀のシンボルであり、北陸はもとより日本の要衝であることを示すもの。
古より連綿と続くこの歴史と文化を誇りに、まさに気比史学会の会是『過去に学び 未来に期待し 今日に生きる』の理念のもと、引き続き、郷土発展のため汗をかいていく思いです。
【『引札 田中組(千石船)』敦賀市立博物館 所蔵品データより】
陸海物貨運輸所 金ケ崎停車場前にて。俵を満載した千石船と沖には蒸気船を描く。