都怒我・角鹿・敦賀の地名の謎に迫る

ブログ 敦賀の歴史・文化

今朝の福井新聞にはやや残念な記事。
 
毎年1月の第3日曜に開催される、敦賀の冬の風物詩で国指定重要無形民俗文化財となっている「夷子(えびす)大黒綱引き」について、運営団体の「敦賀西町の綱引き伝承協議会」は来年の開催見送りを決めたとのこと。
 
夷子大黒綱引きは相生町内の「西町」で400年以上続く伝統行事で、漁業関係者の「夷子方」と農業関係者の「大黒方」に加えて見物客も綱を引き合い、夷子方が勝てば豊漁、大黒方が勝てば豊作とされ、当日は多くの観客も集まり賑わうところ。
 
見送りの理由は、大綱作りや運営に必要な協賛金集めに当たる人手の確保が困難なためとありましたが、伝承協議会の事務局長さんからは無念とお詫びの言葉に続き、「貴重な敦賀の文化財を守りたいという気持ちは我々としては強いので、地元西町の皆さんはじめ関係者とともに継承の仕方や運営体制を考えていきたい」とありました。
 
敦賀のこうした伝統行事を守っていただいていることに感謝申し上げた上で、地元や協議会にすべてを委ねるのではなく、地域を問わず市民皆でつないでいくことが必要な時代になっていることから、自らが協力することも踏まえつつ、再来年の再開を切に願う次第です。
 
さて、文化や歴史に関する話題を続けますが、自身が所属する気比史学会では、基本月1回、知育・啓発施設「ちえなみき」の2階をお借りしての「ミニ歴史講座」を開催しています。
 
直近では、11月30日(日)に開催しており、その際はテーマを『記紀の世界と敦賀』、『都怒我(つぬが)・角鹿(つのが)・敦賀(つるが)の地名の謎に迫る』をサブタイトルに学んだところです。
 

【ちえなみき2階のディスプレイに表示した当日の資料表紙。写真は、敦賀駅前に立つ“都怒我阿羅斯等像”】
 
まず、敦賀の地名の由来については、敦賀市ホームページに掲載の「市の紹介(あゆみ)」にこう書かれています。
 
“敦賀の地名の由来にはいくつかありますが、『日本書紀』には、崇神天皇の時代に朝鮮半島から「都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)」がこの地に渡来したことにちなんで「角鹿」と呼ばれるようになったとあります。必ずしも史実かどうかはわかりませんが、古くからの大陸との関わりを思わせる、興味深い説話です。”
 
なお、「敦賀」という字に改められたのは和銅6(713)年。
 
“必ずしも史実かどうかはわかりませんが”とあるのがポイントであり、講座では、役員でもある発表者より、古事記や日本書紀、敦賀市史などを丁寧に読み解いた上で、〝都怒我阿羅斯等は個人名ではなく称号であることから、地名の由来としては不自然”と指摘(実は、敦賀市史にも同様の趣旨の指摘があります)。
 
「角鹿」の由来について、古事記にある異説や別の地形説(敦賀半島が角のように見える)もご紹介されつつ、ご自身の見解として「新説」を述べられるなど、大変興味深くも探究心高まるお話をお伺いすることができました。
 
※「新説」は説得力のあるものであり発表したいところですが、ご本人の了承を得ていないのでここでは差し控えます。
 
他の参加者と一緒に、私も興味津々で拝聴した訳ですが、古事記には、「(要約)気比大神が皇子(応神天皇)に与えたイルカの血が臭かったので血浦(ちぬら)と名づけ、それが角鹿になったとの記述もある」とのこと。
 
こうして地名ひとつとっても奥が深く、諸説あるところを探究していくことがまた、地域史の再発見、深掘りになった次第であり、今後も楽しみながら学んでいければと思います。
 
なお、講座の概要は、気比史学会のFacebookにも投稿されていましたが、多仁照廣先生からは次のようなコメントがありました。
 
(以下、多仁先生コメント)
敦賀の地名についての検討視覚で欠けているのが「鶴賀」です。鶴を獲って朝廷に献上する場所から鶴賀といわれ、美称にするのに敦賀としたと考えることも必要です。ラクーン(潟)が広がりそこには丹頂鶴が飛来していたことが考えられます。舞鶴市の鶴賀はそうです。醍醐寺文書に敦賀から鶴が献上された文書があります。もっとも文書名は忘れましたが。
 
これに別の方からは、「敦賀の地名語源に丹頂鶴は関係ないでしょう。語源説にもなりません。」などと反論のコメントあり。
 
専門家でも意見の分かれる「敦賀の地名の由来」。
 
多説あったほうが面白いと思うのは、私のような素人の考えか。
 
いずれにしても、次の「敦賀市史」改定の際には、大議論になりそうです。
 

【会場の「ちえなみき」。冬に暖色カラーであたたかみを感じました。】

「敦賀市民文化祭」と「氣比の杜整備構想市民ワークショップ」

ブログ まちづくり 敦賀の歴史・文化

文化芸術に触れ、心満たされる。
 
昨日は11月6日(木)から開催の「敦賀市民文化祭」(敦賀市文化協会・敦賀市教育委員会主催)総合展示が最終日ということで、見逃すまいと鑑賞してまいりました。
 

【会場のプラザ萬象入口】
 
会場のプラザ萬象では、大ホールにて写真や絵画、水墨画、書道、工芸、俳句など、小ホールでは小中高生が描いたポスター原画と、いずれも力作ばかり。
 

【作者の思いがこもった力作はすべて見どころ】
 
ジャンルを問わずじっくりと鑑賞した中に、先輩や知人の作品も多く展示されていましたが、こちらは工芸(漆塗)の分野で、現代の名工に学び、全国レベルの賞を数々受賞されている浅賀貴宏さんの作品とともに、敦賀で立ち上げた「敦賀工藝鹿鳴会」の紹介もあり、鑑賞を通してエールを送ったところです。
 


【浅賀さんの作品(上)と「鹿鳴会」の紹介】
 
また、多目的室(市民ギャラリー)では、創作の部として、市内で活動する「hari hari warks(ハリハリワークス)」さんの作品を鑑賞。
 
手芸にフラワーアレンジメント、ワイヤーアート、押し花、水引など、こちらはよくもまあこんな細かい仕事ができるものだと、感嘆の声を挙げながら見て回ったところですが、なんと知人のご姉妹が、水引・つまみ細工の技術で国際平和美術展に出展されるなど、世界的な評価をされていることを知り、その方から直接じっくりお話しを伺うことができた次第です。
 

【水引とつまみ細工で作ったRaruraさんの作品(同じものが国際平和美術展に出展)】
 
こうして気づけば、1時間半ほど鑑賞した訳ですが、冒頭で述べたとおり、文化芸術に触れることは心癒され幸せな気持ち、そして力をもらったところ。
 
「心をつなぐ 世代をつなぐ 文化のちから」の基に伝統文化の継承と発展に取り組むことはもとより、新しい流れにも目を向けながら、文化でつながる親しみのある町へ会員一同で取り組んでいただいている敦賀市文化協会様に敬意を表するとともに、こうした場を提供いただいたことに感謝申し上げる次第です。
 
その後は、北公民館で開催の「氣比の杜整備構想(けひのもり)市民ワークショップ(WS)」へ。
 
氣比の杜整備構想に関しては、これを調査・検討する委託業務「氣比神宮周辺公有地等の利活用方策検討調査業務」の仕様書を見るに、「本業務は、本市の歴史と文化の中心である氣比神宮の周辺公有地等の利活用について、上位・関連計画の整理や市民意識調査などを実施し、得られた情報の整理・分析を行った上で、氣比神宮エリア一帯の魅力をさらに高める「氣比の杜」構想のコンセプト策定及び望ましい導入機能を検討し、利活用方策をとりまとめることを目的とする。」とされており、その一環として、昨日の市民WSも開催されているところ。
 
既に第1回目のWSは10月12日(日)に同じく北公民館で開催されており、2回目の昨日、傍聴に参加した訳ですが、北地区を中心に参加されている皆さんは、高校生から現役世代、ご高齢の方まで、まさに老若男女が集い、どこかアットホームな雰囲気を感じた次第です。
 

【市民WS会場の様子】
 
市のホームページによれば、このWSは、世代を問わず地域で生活するさまざまな方の意見を聞いて、今後のまちづくりに活かすために実施しており、「将来このような場所になったらいいな!」「こんな活動ができる空間がほしいな…」 などの思いやアイデアについて出し合い、今後の“氣比の杜整備構想”の検討に反映していくとあります。
 
昨日のWSでも、自分たちが欲しいもの、観光客目線ではどうかなどが話し合われ、様々なご意見があったところ。
 
ワークショップは全3回開催する予定であり、次回は11月30日(日)。
 
3回では少ないのではないかとの思いはあるものの、こうした機会を通して、氣比神宮やその周辺の現状や課題、将来のあり方などを地域住民自らが考えることには、大いに意味があると思うところであり、注視していく所存です。
 
今朝は時間がなく、この後追記するかもしれませんが、一旦これまでに。。。

文化的、政治的、芸術的側面から、世界と日本をつないだ「敦賀」は特別な存在であり

ブログ 敦賀の歴史・文化

「人が一番の宝」
 
「自分で自分を知るということは意外に難しい」
 
講演会の冒頭にあった、小倉和夫氏からの二つのキーワード。
 
昨日14時より、きらめきみなと館小ホールにて、約90名の方にお集まりいただき、気比史学会主催(敦賀市共催)第41期敦賀市民歴史講座「シリーズ戦後80年」(最終講)を開催しました。
 
テーマは「ー戦後80年 昭和100年ー 世界の中の日本、そして敦賀」。
 
講師には、祖父母、母が敦賀にゆかりがあり、1938年に東京でお生まれ、東京大学法学部卒業後、外務省に入省。
 
外務省文化交流部長、経済局長、また各国大使、国際交流基金理事長を歴任され、現在は同基金顧問、日本財団パラスポーツサポートセンターパラリンピック研究会代表をお務めの小倉和夫氏。
 
長身で年齢を感じさせない、まさに紳士であり、重責を担ってこられたそのご経験から、質疑を含めて約2時間、ご講演をいただいた次第です。
 
講演では、こちらからのテーマ設定を、「人」に焦点を当て、『「敦賀の人」物語』のタイトルにてお話しいただきました。
 

【投影した資料の表紙】
 
また、歴史上、敦賀を発った人、敦賀を通った人、敦賀に来た人(敦賀を語った人)など、講演の構成は以下スライドのとおりであり、以下概略をご紹介いたします。
 

【資料より抜粋】
 
「敦賀を発った人」ではまず、与謝野晶子。
 
敦賀よりフランスに渡り、流行を追いながら、しかも流行の中から自分の趣味を標準にして、自分の容色に調和した色彩や形を選んで用い、一概に盲従して居ない、言わば「自分らしさや個性」を持つ、フランスの「婦人の姿」に感服した彼女は、一方で当時(明治期)の日本を次のように表現。
 
 堅苦しく、うはべの律義を喜ぶ国
 しかも、かるはずみなる移り気の国
 支那人などの根気なくて、浅く利己主義なる国
 阿米利加の富なくて阿米利加化する国
 疑惑と戦慄とを感ぜざる国
 男みな背を屈めて宿命論者となり行く国
 めでたく、うら安く万万歳の国
 
小倉氏からは、この状態というのは、100年以上経った今の日本も変わらないのではとの問い掛けがありました。
 
また、次に登場した林芙美子の同じくフランスヘの旅立ちは、下関から朝鮮半島、中国を経てウラジオに至り、シベリア鉄道でパリに赴いたもので、敦賀経由ではないものの、パリに芙美子が着いた終着駅「北駅」(ガールドノール)と敦賀を掛け、終着駅にはロマンがあり、敦賀は、現在その状態であることをむしろ思い切ってPRしてはどうか、加えて、駅をつなぐ連絡通路に絵を飾ってギャラリー(文化的なまち)にとのご示唆。
 
「敦賀を通った人」では、ロシアの音楽家プロコフィエフ。
 
プロコフィエフは、かくて1918年5月、ペトログラードを発ち、シベリア鉄道でウラジオストックに着き、そこから船で敦賀に上陸。
 
6月、東京へ赴いた訳ですが、現代的スタイルの音楽家として名をなすようになった彼は、「長唄 越後獅子」からヒントを得て、そのリズムを用いて「ピアノ協奏曲 第3番第3楽章」を作曲したこと。
 
「敦賀に来た人」ではまず、かの有名な建築家ブルノ・タウト。
 
ブルノ・タウトは、1933年5月、ウラジオストックから汽船で敦賀に乗陸して、日本に1936年10月まで滞在。
 
その間、桂離宮などの日本建築に心酔し、日本建築の美と精神を国際的に知らしめる役割を担いましたが、そのタウトが敦賀に入港する際、港の風景に触れて記したのが「気比の松原」。
 

【タウトが表現した「気比の松原」(資料スライドより抜粋】
 
ここでは、小倉氏より「タウトが称賛した気比の松原を世界に」の言葉がありました。
 
続いて、日本人では水上勉。
 
敦賀を訪れた水上が「思いのこもる故郷」として残したのは、これまた「気比の松原」。
 
<以下、水上勉の言葉>
 
何げない松並木でも、山の端道にも、海岸の砂浜にも、その人の心の歴史が落ちこぼれているからにほかならない。私は私で、あの気比の松原から、三松、勢の松原にいたる岸辺を、若い妻と、長くあずけていた子をつれて、さまようた日を懐しいと思う。とりわけ、敦賀の気比の松原は、私にとっては、永劫のものである。
(中略)
そこで走っていた子の耳と髪とワンピースに、松の落葉が、ふきこぼれていた風光も、牛が寝たように見えた立石岬も、糸をひいたようだった波荒い白い沖も、私だけのものだ。
 
小倉氏から特別な言葉はなかったものの、情景浮かぶ水上の文章から、気比の松原が特別な存在であることを感じた次第です。
 
その後は歴史を遡り、「渤海と敦賀」では、古から敦賀が大陸とつながる重要港であったこと、長屋王の例からは、伝統的に陸上交通の要地であったことを紹介。
 
一部、スライドを割愛されたものの、「歴史と人」の視点から、文化的、政治的、芸術的側面から、世界と日本をつないだのが「敦賀」であり、外国人にとっても日本人にとっても「敦賀」は特別な存在であったことを学んだ次第です。
 
ご講演は、その後、数件の質疑を受けた後、司会の私から、世界を俯瞰するお立場から、今後の敦賀に向けた貴重なご示唆をいただいたこと、歴史を大切にし、人は宝であることを再認識できたことに感謝申し上げました。
 
なお、冒頭にありました「自分で自分を知るということは意外に難しい」の意味とは、個に留まらず「自分たちの住むまちを自分たち自身が知るということ」と置き換えれば、こうして、連綿と継承される地域史を学び、知ることの重要性はもとより、「日本」に置き換えても然りと考えるところです。
 
こうして、戦後80年、激動の昭和100年の節目の最後にふさわしい講座になったと思うところであり、ご多忙のなかお越しいただいた小倉氏に感謝申し上げます。
 
そして、秋晴れの行楽日和にも関わらす、参加くださいました皆様にも心より感謝申し上げます。
 
今回お話しいただいたことと重なるのは、気比史学会設立以来の会是。
 
「過去に学び 未来に期待し 今日を生きる」
 
会是を胸に、また豊富で悠久の歴史を持つ郷土敦賀を誇りに、今後も活動してまいります。

公私それぞれ活動再開

ブログ 働く仲間とともに 敦賀の歴史・文化

はや本日11月7日からは、二十四節気の「立冬」に入ります。
 
立冬は、秋分と冬至のちょうど中間にあたり、暦の上では今日から冬。
 
いよいよ寒さが本格化する時期となる一方、福井県では昨日「越前がに」の漁が解禁となり、越前漁港や三国漁港に帰港する底引き網漁船から新鮮なカニが次々と水揚げされる、活気に包まれた様子が報じられていました。
 
漁期は雌のセイコが12月31日、雄のズワイが来年3月20日まで。
 
「越前がに」は、言わずと知れた福井を代表する冬の味覚であり、「解禁」をさりげなく妻にPRしつつ、わが家にも早くあの姿(セイコ専門ですが)、あの味が訪れることを楽しみに待つところです。
 
こうして季節の移り変わりを感じる中でありますが、活動のほうは通常に戻り、今は順次、職域での市政報告会を開催しています。
 
一昨日は、日本原電の敦賀発電所で開催したところ、お昼休みの貴重な時間にも関わらず、多くの皆様にお集まりいただき感謝。
 
こちらも度々申し上げているとおり、敦賀発電所は、新入社員時代から私を育ててくれた「マイプラント」であり、1号機は廃止措置、2号機は再申請・再稼働に向けた調査や維持管理など、発電所を運営いただいている所員の方々に敬意を表しつつ、自身の一般質問の内容や敦賀市政のトピックスに関し、思いの丈をお話しした次第です。
 

【多くの皆様にお集まりいただいた市政報告会】
 
質問時間があまり取れず申し訳なかったのですが、感じたのは母体組織のあたたかさ。
 
真剣なまなざしでお聞きいただくとともに、励ましの言葉まで頂戴し、沸々と力がみなぎってきた次第です。
 
「活動の原点は、職場と地域の声にあり」
 
今一度この思いを胸に、引き続き活動にあたる所存です。
 
なお、報告会は職域・地域を問わず、オファーがあればお伺いいたしますので、ブログをご覧の皆様からもぜひお声掛けいただければ幸いです。
 
また、ジャンルは変わりますが、活動を通常に戻すといえば、プライベートで事務局を務める市民歴史団体「気比史学会」。
 
再掲となりますが、明日11月8日(土)14時からは、今年度講座の最終講として、「戦後80年」そして激動の「昭和100年」の節目にあたり、「世界の中の日本、そして敦賀」をテーマに、各国大使を歴任された小倉和夫氏による講演会を開催いたします。
 
 →詳しくはこちらより、11月2日掲載のブログをご覧ください
 

 
世界を俯瞰した立場から、どのようなご示唆をいただけるのか、私自身大変楽しみにするところであり、一人でも多くの方、特に次代を担う世代の皆さんにお聞きいただきたく。
 
入場料無料、事前申込はございませんので、皆様お誘い合わせのうえ、ぜひ参加いただけますようよろしくお願いいたします。

テレジン収容所の幼い画家たち展

ブログ 敦賀の歴史・文化

ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の象徴的な場所は、ナチス・ドイツが占領下ポーランドに建設した最大の強制収容所「アウシュビッツ」であることは周知の事実ですが、その歴史の中で、「アウシュビッツという地獄への控え室だった」と言われるのが「テレジン」という小さな街。
 
こちらもドイツの占領下にあったチェコスロバキア(当時)の首都・プラハから北へ60キロほど離れた街に作った収容所は、アウシュビッツへの中継地となり、多くの子ども達までが収容されました。
 
1945年5月8日に解放されたテレジン収容所には、子ども達が書いた4,000枚の絵とともに数十枚の詩が残されていたとあり、現在「人道と港敦賀ムゼウム」で開催中の特別展『テレジン収容所の幼い画家たち展』では、遺された絵の一部が展示されています。
 
アウシュビッツに送られた幼い子ども15,000人のうち、生き残って平和な日を迎えたのは、わずか100人。
 
明日への希望を夢見て書いた絵と照らし合わせ、罪なき子ども達が「ユダヤ人だから」という理由だけで殺されなければならなかった史実を思うに、胸を裂くものがありました。
 
「子どもたちが遺した絵や詩が私たちに教えてくれる」
 
これは、特別展のタイトルに添えられていた言葉ですが、まさに1枚1枚の絵から深く感じるものがありました。
 
また、展示室を出た廊下の壁面には、ポーランド生まれでアウシュビッツができた初日に送られたヤン・コムスキー氏が書いた、自身が経験した同収容所の実態の絵が展示されていました。
 
収容所内では、従順な「被支配者」になりたくないという思いから反抗的な態度をとり、度々「ムチ打ち」や後ろ手に縛られて吊るされるなどの懲罰を受けるなど、苦痛は大きかったものの、そのたびに「自分は生きている」と確認し、さらに「生きのびてこの事実を伝えねば」と、弱った体を奮い立たせていたと、展示パネルに氏のことが紹介されていました。
 
なお、そうして描かれた絵はリアルに、非人道的な扱い、環境を伝えていて、こちらは呼吸が詰まるかのような、ずっしりと胸に重くのしかかるものがありました。
 
私自身、昨日足を運び、じっくりと企画展を拝見したところですが、ちょうど11月3日は、ムゼウムのリニューアルオープンから5周年。
 
この3連休開催された「みる しる わかる ムゼウムDays!」には多くに方々が来館されたとお聞きしたところであり、恒久平和や命、そして人道とは何かを教え、問いかけてくれるムゼウムの存在意義は年々大きくなっており、今後もここ敦賀から世界へ、発信を強めていっていただきたいと願う次第です。
 

【昨日の「人道の港敦賀ムゼウム」。リニューアルオープンの5年前と同じ、青空が広がっていました。】

自由と平和を愛する「文化の日」

ブログ 敦賀の歴史・文化

「スポーツの秋」とかけるには、いささか無理があるかもしれませんが、昨日行われた米大リーグのワールドシリーズ(WS)最終戦。
 
大谷翔平選手らを擁するロサンゼルス・ドジャースの相手は、大リーグで唯一、カナダに本拠を置くトロント・ブルージェイズであったため、WSはさながらアメリカvsカナダの国家間対決を彷彿させる緊張感と熱気。
 
試合は、9回2死までブルージェイズがリードしたものの、なんとここで起死回生。
 
9番ロハスのソロ本塁打で追いつくと、延長11回にはスミスのソロで勝ち越し、結果、5-4でドジャースが連覇を達成しました。
 
野球の醍醐味、面白さがすべて詰まった劇的な試合でしたが、圧巻は前日の第6戦で勝利投手となった山本由伸投手。
 
9回から6番手でマウンドに上がり、9回は1死満塁、延長11回は1死一、三塁の手に汗握るピンチをしのぎ、WS4勝のうち3勝を挙げたエースは、シリーズMVPを獲得しました。
 
私も同様「試合が終わるまで」と、テレビの前から離れられなくなった方も多かったかと思いますが、ドジャースの偉業達成をお祝いするとともに、大谷選手、佐々木選手らを含め、世界最高峰の舞台で大活躍した日本人選手を誇りに思う次第です。
 
さて、昨日のブログでは、秋の楽しみとして文化的な講座のご案内をしたところですが、今日は「文化の日」。
 
国民の祝日に関する法律によれば、文化の日の趣旨は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とあります。
 
従前は「明治節」として、明治天皇の誕生日を祝う日であった11月3日を国民の祝日に制定するにあたっては、当時(昭和23年)の参議院本会議における説明で、立法の精神からすれば、日本国憲法が公布された日であり、新憲法において、世界の如何なる国も、未だかつて言われなかったところの戦争放棄という重大な宣言をしていること。
 
これは日本国民にとって忘れ難い日であるとともに、国際的にも文化的意義を持つ重要な日であることから、平和を図り、文化を進める意味で、この日を文化の日と名付けたとあります。
 
つまりは、枕言葉に“自由と平和を愛し”があることの意味合いを、今一度胸におくところであります。
 
祝日の説明が長くなりましたが、そうした趣旨、当時の議論に思いを馳せながら、市内で開催されている文化展などを巡りたいと考えていますが、併せて注目するのは敦賀市立博物館。
 
10月17日から始まっている特別展「つるがのみほとけ~海辺の祈り、山里の祈り~」では、市内でも比較的、戦争の被害が少なかった湊周縁や野坂山麓の地域には、歴史を秘めた仏像が大切に守られてきたことがわかり、こうしたみほとけの像をはじめ、優れた経典など、敦賀の歴史の中で伝えられてきた仏教文物を紹介しています。
 

【敦賀市立博物館ホームページより引用】
 
詳しくは、以下ページよりご覧ください。
 
 →敦賀市立博物館 特別展紹介ページはこちら
 
みほとけこそ、自由と平和を象徴すると思うところであり、私も心安らかに、本日「文化の日」に合わせて訪れてみようと思います。

ー戦後80年 昭和100年ー 世界の中の日本、そして敦賀

ブログ 敦賀の歴史・文化

気づけば、秋もグッと深まり、街中や山あいの木々にも紅葉がチラホラ。
 
同じく気温もグッと下がり、ご家庭内では暖房器具が必要な肌寒さとなってまいりましたので、皆様方におかれましては、風邪などひかれませぬよう、ご注意のうえお過ごしくださいませ。
 
また、秋といえば、食欲の秋、読書の秋、文化の秋と様々な楽しみが浮かぶところ。
 
10月28日のブログでは、「人道の港敦賀ムゼウム」において、11月3日のリニューアルオープン5周年を記念して開催中の「みる しる わかる ムゼウムDays!」と題したイベント(開催期間:11月1日〜3日)をご紹介しましたが、そのほか市内で催されている文化展などにもぜひ、足を運んでいただければと思う次第です。
 
さて、本日ご紹介しますのは、上記の「みる しる わかる ムゼウムDays!」と関連して開催する、気比史学会主催(敦賀市共催)の講演会について。
 
あらためまして、当会におきましては、昭和52(1977)年の設立以降、「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」の会是のもとに、豊富で悠久な敦賀の「地域史」をより多くの方に知っていただくべく活動を展開し、愚直ながらも変わらぬ志で今年、結成48年目を迎えています。
 
その上で、当会の中心的な活動であり、今年度41期を迎える「敦賀市民歴史講座」については、先の大戦から80年を迎え、改めて戦争の歴史に思いを馳せ、戦後の歩みを振り返り、平和の意義を胸に刻む1年にすること。
 
また、戦争体験者が減少し、次世代に引き継ぐ難しさが年々増している状況にあって、世界に戦火が絶えぬ中、過去の記憶を掘り起こし、いかに継承できるかが課題と捉え、今年度の年間テーマを「シリーズ戦後80年」に設定し、講座を開催するところ。
 
また、激動の渦中に在って、明日何が起きるのか、非常に不確定な時代に私たちは生きています。
 
かつては“歴史の必然性”を学んできましたが、今やこの歴史観では説明できないのが現実の世界であり、この不確定な時代をいかに生きるのかと言う問いに的確な解を求めていくべく、各国大使を歴任されたご経験から、広い世界観、見識をお持ちの小倉和夫様によるご講演を開催することとしています。
 
なお、開催日時や小倉様のプロフィール等は、以下ご案内チラシをご覧ください。
 

【気比史学会作成の開催チラシ】
 
本講座は今年度講座の最終講になるとともに、「戦後80年」そして、激動の「昭和100年」の節目にどのようなご示唆をいただけるのか、大いに学ぶべく私自身大変楽しみにする一方、事務局の立場といたしましてもしっかりと準備にあたる次第です。
 
チラシのとおり、開催日時は、11月8日(土)14時から。
 
事前申込は不要ですので、ぜひとも多くの皆様にお越しいただけますようお願い申し上げます。

リニューアルオープン5周年記念「みる しる わかる ムゼウムDays!」

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨日、来日したトランプ米大統領。
 
来日に先立つ26日には、マレーシアの首都クアラルンプールで開かれたタイとカンボジアの和平合意の調印式に参加し、停戦実現を自身の外交的成果としてアピール。
 
トランプ氏はタイとカンボジアを含めて「8つの戦争」を解決したと主張しており、8月には旧ソ連構成国アゼルバイジャンとアルメニアの和平に向けた共同宣言の署名式をホワイトハウスで開催したほか、今月13日にはパレスチナ自治区ガザの和平を巡りエジプトで国際会議を開催し、イスラエルとイスラム原理主義組織ハマスの停戦実現とガザの復興開始をアピールしています。
 
さらに、トランプ氏は30日までのアジア歴訪の期間中、核・ミサイル開発や日本人拉致問題を抱える北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党総書記との会談に意欲を示しており、今後、北朝鮮問題への取り組みを進める可能性があるとしています。
 
こうして、世界で起こる戦争や紛争の解決に向けた橋渡し役は、米大統領という立場だけではなく、もはやトランプ氏にしかできないのかもと思いつつ、氏自身は「平和の創造者」として、悲願であるノーベル平和賞獲得に向け実績づくりを進めていると思うと、これはこれで複雑な心境になるところ。
 
いずれにしても、世界の恒久平和は人類の願いでもあり、紛争や戦争で尊い命が失われる世の中から一日も早く脱することを希求する次第です。
 
こうした思いも込めつつ、先の9月定例会の一般質問では「戦争の惨禍と人道の心を伝え、つなぐことについて」をテーマに、とりわけ「人道」の点に関しては、「人道の港敦賀ムゼウム」が果たす役割、市民の皆さんとともに育んでいくことの大切さを意見し、今後の取り組みに期待すると発言したところ。
 
その「人道の港敦賀ムゼウム」においては、11月3日のリニューアルオープン5周年を記念して、「みる しる わかる ムゼウムDays!」と題し、様々なイベントが開催されます。
 
開催期間は、11月1日(土)〜3日(月・祝)。
 
内容は、以下2つのページどちらからでもご覧ください。
 
 →「人道の港敦賀ムゼウム」ホームページはこちら
 
 →敦賀市ホームページ「人道の港 敦賀ムゼウム リニューアルオープン5周年イベントを開催します!」はこちら
 
また、ムゼウム作成の開催チラシも添付しますので、併せてご覧ください。
 


 
駐日ポーランド共和国大使館、ポーランド広報文化センター、駐日リトアニア共和国大使館、駐日イスラエル大使館に後援いただいていることを見ても、ムゼウムの存在意義を感じるところですが、5年前の11月3日、澄み渡る青空のもとリニューアルオープンした時のことを思い返し、私も期間中にじっくり足を運びたいと思います。
 

 
なお、チラシの2枚目、右下に掲載の「小倉和夫氏」による講演会は気比史学会主催。
 
こちらは追って、あらためてご案内いたしますが、今期の敦賀市民歴史講座 シリーズI「戦後80年」の最終講として、戦後80年、昭和100年の節目としての講演会を開催いたします。
 
ムゼウムのイベントも、講演会もぜひ多くの皆様にお越しいただければ幸いです。

「鉄道と港のまち敦賀」のルーツをご案内

ブログ 敦賀の歴史・文化

気象庁の観測データによれば、昨日の敦賀の最大瞬間風速は18.1m/s(11時26分)。
 
強い風が吹く方向は南からでしたが、嬉しい来客は北の方から。
 
新幹線学と歴史の関係で以前に敦賀に来られ、意見交換したことのある青森大学付属総合研究所の方(客員研究員)が来敦。
 
事前にご連絡もいただき、昨日は朝からお昼過ぎまで、市内をご案内いたしました。
 
青森市では今年、青森港開港400年を迎え、あらためて「港(湊)」と絡めた歴史を辿るとともに、新幹線開業後の動向ということも踏まえ、ここ敦賀に調査にお越しになったとのことであり、その方のご希望も踏まえつつ、港とそれに通ずる鉄道のルーツをご案内した次第。
 
ご案内したのは、文化財センター建設予定地、向出山古墳(併せてホテル北国からの市内眺望)、敦賀港線跡地、(仮称)敦賀みなと公園予定地、金ヶ崎緑地、ずっと飛んで疋田舟川(愛発)、小刀根トンネル。
 
何が「港」に通ずるのか、ピンと来ない方もおられるかと思いますが、例えば、向出山古墳はその出土品から、平安時代より前の古墳時代から、敦賀が大陸と通ずる港を有していたことを証明するもの。
 
また、疋田舟川は、平清盛の時代から明治に至るまで、敦賀湾と琵琶湖を結ぶという壮大な計画があったこと、鉄道の関係は、そうした大陸に開けた国際港があったからこそ、明治政府が横浜や神戸と並び、いち早く敦賀と鉄道で結ぼうとしたことなど、そうした背景も踏まえながらご案内したところです。
 
なお、ご案内した場所のいくつかを以下にご紹介いたします。
 

【敦賀湾と琵琶湖を結ぶという壮大な計画が浮かぶ「疋田舟川」】

【現存する日本最古の鉄道トンネル「小刀根トンネル」。中を歩けば、蒸気機関車の時代にタイムスリップ。】
 
なお、昨日はグッドタイミングでクルーズ船「シーボーン・クエスト」が寄港。
 
しかも、金ヶ崎側の岸壁ということもあって、良きロケーションになったところです。
 

【金ヶ崎緑地からの眺め】

【人道の港敦賀ムゼウムとの風景は、さながら明治から昭和初期の情景が浮かぶもの】
 
なお、浮かぶ情景とはこちら(金ヶ崎桟橋と税関の絵葉書:敦賀市立博物館所蔵)。

 
ちなみに、(仮称)敦賀みなと公園のパース図もお見せしながら、この公園に来れば、上記のような情景が浮かぶ場所にしたいのだと、自身の考えをお伝えしたところ、その方からも大いに共感を得たところであり、やはり歴史的視点からも重要なことであると認識できた次第です。
 
途中、お昼を挟みながら、約4時間ご案内…というより、私の「自慢スポット」にお付き合いいただいた形になってしまった訳ですが、車中では青森市と敦賀市それぞれの歴史や、現在の状況や課題など多くの意見交換もでき、私自身、大変有意義な時間になった次第です。
 
最後は敦賀駅前ottaまでお送りし、お別れしましたが、今日まで敦賀に滞在され調査を続けた後、青森に戻り、最終年度となるレポートの取りまとめ、編集に入られるとのことでした。
 
こうして新幹線開業と港を通じてつながる、「人」と「まち」との関係。
 
今回ご案内してあらためて、古より海陸の要衝であることを意味する「鉄道と港のまち敦賀」の特徴であり、強みは、「つながり」を大切にしながら発展することと認識した次第です。
 
結びに、拙い知識の私を頼りに連絡をいただいたことに感謝するとともに、歴史を生かしたまちづくりにより、青森市が今後ますます発展されますこと祈念申し上げます。

心の中に生きる水戸天狗党の「清廉の義」

ブログ 敦賀の歴史・文化

「幕末の悲劇」とも称されている「水戸天狗党」。
 
元治元年(1864年)に藤田小四郎らを中心に筑波山で挙兵した後、京にいる一橋慶喜を頼り、朝廷に尊王攘夷を訴えようと約千名が行軍。
 
その年の12月、風雪の中、木ノ芽峠を越えて敦賀の新保村に着陣したものの幕府軍に捕らえられ、首領の武田耕雲斎、藤田ら天狗党は、ここ敦賀の地で処刑されるという幕末の歴史。
 
水戸天狗党の行動については賛否、是非がありますが、総大将の武田耕雲斎先生以下、烈士411柱の御霊を祀るのが敦賀の松原神社であり、当時から連綿と敦賀水戸烈士遺徳顕彰会や市民の皆様の手によって守られ、顕彰されてきていることに心から敬意と感謝を申し上げる次第です。
 
その松原神社では、毎年10月10日に例大祭が斎行されており、ちょうど一昨日、私も参列したところです。
 

【例大祭が斎行された松原神社】
 
この例大祭には、敦賀市長や教育長、県議会議員、敦賀市議会議員をはじめ、市内の関係者はもとより、市外からは水戸市、常陸太田市、潮来市よりそれぞれ市長、議長を始め多くの皆様がご列席のもと、厳粛な雰囲気のなか執り行われ、遺徳を偲ぶとともに、安らかに眠られんこと祈りを捧げた次第です。
 
なお、天狗党の関係から、水戸市と敦賀市は水戸烈士没後100年(1965)には姉妹都市となり、以降、相互交流が続けられているところですが、今年はそれから60年。
 
今後末永くの友好関係をお願いするとともに、両市の益々の発展を祈念するところであります。
 
また、例大祭を終えた後は、参列者一同で神社の向かいにある「武田耕雲斎等墓」(幕府が下した斬首刑により敦賀で命を落とした353名の名前が墓石に刻まれている)を参拝。
 
国を思う一心で行動を起こし、純粋な「誠」と「義」、まさに「散って燃ゆる」武士道を貫いた、耕雲斎先生らの墓前に静かに手を合わせました。
 

【参列者一同、耕雲斎先生らの墓前に線香を手向けました】
 
こうした水戸天狗党の遺徳・顕彰に関しては、挙兵160年の昨年開催した、気比史学会主催の敦賀市民歴史講座(第4講)において、中央大学資料館事務室(法と正義の資料館・大学史資料館)学芸員の岩立将史氏を講師にお迎えし、『水戸天狗党ーゆかりの地における慰霊・顕彰と評価一』をテーマにお話しいただきました。
 
そこでは、水戸天狗党ゆかりの地における慰霊・頭彰を概観したうえで、各地域で出版された書籍などの叙述から天狗党の評価をご教授いただいた訳ですが、水戸市、下仁田市(群馬県)、下諏訪町(長野県)、飯田市(長野県)、敦賀市のそれぞれが、墓標や留跡碑の建立、祭りの開催などの行事を行なっていること。
 
「ゆかりの地における『戦前』と『戦後』の天狗党の評価を分析する」では、「戦前」が表現は異なるものの、各地域において天狗党=勤王(国家功労者)と評価している点が共通していること、(皇国史観の影響か)、「戦後」が茨城県や長野県、福井県において、天狗党の行動が明治維新の契機となった旨が述べられている点が共通しているとし、戦前から戦後にかけて、天狗党は「勤王(国家功労者)」から「明治維新の契機となった人々」と評価が変化している(好意的に捉えている点は共通か)との結びがありました。
 
なお、敦賀においては、元治2(1865)年2月に処刑された際に形成された「五塚」を、慶應2(1866)年頃には一所に集めて八間四方「墳塋」(ふんえい)したうえ、明治元(1868)年には、12間四面の方塚となり、墓石を建立しています。
 
さらに、明治2(1869)年7月、敦賀の真言宗行寿院峻山は水戸藩を通して太政官に天狗党の祭祀の許可を出願。
 
明治8年1月、松原神社創建と天狗党の祭祀が許可され、明治11年10月10日、祭粢料500円が滋賀県(当時の敦賀は滋賀県)に下賜されており、以降、先に述べたよう、例祭日である10月10日に連綿と「例大祭」を執り行ってきています。
 
このように、昨年の講座を思い返し、敦賀の人々が、水戸天狗党を「勤王」の「有為の士」、「義士」として敬意をもって祀ってこられたことをあらためて認識した次第。
 
結びに、例大祭で常陸太田市長の祭文にあった、水戸天狗党を表する言葉は「清廉の義」。
 
心が清らかで私欲なく、正しいと思った道を進むこと。
 
激動の幕末に貫いたその「義」は、混沌とする現世においても深く、自身の心の中に生きるものであります。
 
<参考>
水戸天狗党を取り上げた、過去の「やまたけブログ」(5件)をご紹介いたしますので、関心のある方は以下リンクよりご覧ください。
 
 →①天狗党の志士に思いを馳せる(2019年11月3日ブログ)
 →②幕末の悲劇「天狗党」〜武田耕雲斎からの手紙〜(2021年7月10日ブログ)
 →③水戸「弘道館」で幕末の歴史に思いを馳せる(2023年8月7日ブログ)
 →④筑波山での挙兵から160年〜松原神社例大祭にて水戸烈士の遺徳を偲ぶ〜(2024年10月11日ブログ)
 →⑤『水戸天狗党ーゆかりの地における慰霊・顕彰と評価一』〜敦賀市民歴史講座(第4講)〜(2024年10月13日ブログ)

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