松原客館の謎に迫る! 〜7月27日(土)は「 敦賀市民歴史講座(第2講)〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

事実と異なる発信は、場合によって誹謗中傷や名誉毀損、負のレッテル貼りなどにもつながることからやってはいけないこと。
 
とりわけ、SNSの中でも拡散性の強い「X」(旧Twitter)へのポスト(投稿)には細心の注意を払う必要があるところ、最近ある方の事実誤認ポストが炎上、投稿主も誤認を認め、X上で撤回したものの批判は収まらず、ポストの的となった団体に直接謝罪するに及んだケースを目の当たりにしました。
 
この方は一般の方でしたが、こうした光景を見るに、公人である各級の議員は、一層の留意が必要であることを改めて認識するところであり、事実に基づく発信を徹底する所存です。
 
さて、事実に基づくを「史実」に置き換え、その積み重ねから生まれるのが「歴史」の世界。
 
「歴史は作ったもの勝ち」などと仰る方も過去にいましたが、それは言語道断。
 
私が所属する敦賀の市民歴史団体「気比史学会」は、こうしたことを徹底的に排し、「史実に基づく」歴史、地域史を学び、再発見し続け、昭和52(1977)年から連綿と活動を続けていますが、そのポリシーは不変のもの。
 
そんな気比史学会が主催する「敦賀市民歴史講座」は今年度で40期を迎え、7月6日(土)の第1講を皮切りに、全5講の構成で進めるところ。
 
本日は、同講座のご紹介となりますが、今年度第2講となる講座を以下の通り開催いたします。
 
講師には、昨年11月のNHK「ブラタモリ」(敦賀編)にも出演された、追手門学院大学名誉教授の南出眞助氏をお招きし、「歴史地理学からみた古代・中世の敦賀」をテーマにご講義いただきます。
 
歴史地理学の第一人者であり、大学の卒論にここ「敦賀」を取り上げたというくらい、関心と熱意をもって調査研究し続けてこられた南出先生。
 
今回は、あったことは間違いないが、証拠が明らかとなっていない、いわゆる「敦賀の三大謎」(松原客館、愛発関、敦賀城)のひとつで、7つの候補地があると言われながら場所が特定されていない「松原客館」について、歴史地理学における、先生のこれまでの豊富な知見を踏まえた上でのご見解を伺えるとのことであり、私自身、今からワクワクしていますが、ぜひ皆さんとともに松原客館の謎に迫っていければと思います。
 
<開催概要>
◉日 時:令和6年7月27日(土)14:00〜
◉場 所:敦賀市立図書3階 研修室
◉定 員:100名(事前予約なし、当日先着順)
◉受講料:200円(講座協力金として)
 
なお、これまでも多くのお問い合わせをいただいていますが、当講座は事前予約制ではなく、「当日先着順」となっています。
 
満員をご心配な方は、過去の経験上、13時30分頃までにお越しいただければ間違いないかと思いますので宜しくお願いいたします。
 
先生のプロフィールなど、詳しくは下記パンフレットをご覧ください。

【第40期 敦賀市民歴史講座パンフレット(第2講までを掲載)】
 
なお、松原客館に関しては、本年5月26日に開催した「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリッビューイング」(@粟野公民館)にあたり、当会にて「平安時代と敦賀」をテーマに「ミニ歴史講座」を実施したところ。
 
古代から現代に掛けての海岸線の位置や、氣比神宮近くには「東の入江」、来迎寺近辺の「西の入江」、花城(はなじり)辺りの「第三の入江」と三つの入江があったことなどから、松原客館があったとされる候補地も7つとなっている訳ですが、こうした時代ごとの地理的変化から史実を解き明かそうというのが、まさに「歴史地理学」であり、今回説明されること。
 
ミニ歴史講座で使用したパワポのスライドをいくつかご紹介しますが、南出先生から「新説」が出るやも知れぬ「第2講」。
 
まさに、「松原客館の謎に迫る!」
 
敦賀の悠久の歴史、ロマンを探究に、27日はぜひ敦賀市立図書館にお越しください。
 

 
【古代から現在に至る海岸線と「三つの入江」】
 

【松原客館があったとされる7つの候補地】
 

【松原客館のイメージ。NHK大河「光る君へ」に出てきた客館と比べていかがでしょう?】

敦賀市戦没者戦災死没者追悼式

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本日は、これまで実行委員会の皆さんと準備を進めてきた「第27回 敦賀港カッターレース」。
 
これに伴い、昨日は現地の設営など最終準備のため、朝から川崎・松栄岸壁へ。
 
9時より、この日の作業などミーティングを行い、それぞれ分かれて効率良く準備にあたりました。
 
レースはいよいよ今日が本番。
 
天気はあいにくの雨予報でありますが、お時間のある方はぜひ、敦賀の「夏の風物詩」のひとつ「カッターレース」の雰囲気をご覧に、お越しいただければ幸いです。
 
さて、私のほうは一旦準備を抜け、礼服に着替えた後、プラザ萬象へ。
 
10時30分より、大ホールにて開催された「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」に参列いたしました。
 
昭和20年7月12日、先の大戦において日本海側で初めて戦禍に遭った敦賀は、この空襲によって、市街地の大半が焦土と化しました。
 
加えて、7月30日、8月8日にも続けて戦火に見舞われ、これら3回の空襲によって、225柱の尊い命が失われたことは、昨日のブログでも記載したところですが、この式典では、ご遺族を始め多くの関係者が参列のもと、この空襲を含め、敦賀市出身の戦没者及び戦災死没者の御霊をお迎えし、厳かな雰囲気のもと挙行されました。
 
敦賀市戦没者戦災死没者は1,989柱。
 
私も献花をさせていただき、心よりご冥福をお祈り申し上げた次第です。
 

【1,989の御霊に心よりご冥福をお祈りいたします(写真は追悼式終了後に撮影)】
 
式典を終え改めて、今の私たちがこうして平和に暮らしていることは当たり前ではないこと、そして戦争の悲惨さを深く胸に刻んだところでありますが、先の大戦から79年目を迎える現在では、戦争を知らない割合が8割を超えたそう。
 
平和を希求することは簡単なことですが、戦争の悲惨さや恐ろしさを忘れてはならないことはもちろんのこと、国を守るため犠牲となった英霊の存在があって、この平和があることは決して忘れてはなりません。
 
こうして式典に参列した者の使命は、これらを風化させぬよう次代に継承していくことにあると思い、本日のブログにも書かせていただきました。
 
皆様におかれましても是非、今一度、79年前にあった出来事を思い返していただけますようお願いいたします。

敦賀大空襲から79年

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昭和20(1945)年7月12日。
 
先の大戦において日本海側で初めての空襲を敦賀が受けた日。
 
この空襲によって、敦賀は市街地の大半が焦土と化したほか、7月30日、8月8日※にも続けて戦火に見舞われ、これら3回の空襲によって、225柱もの尊い命が失われました。
 
※同年8月8日午前9時頃、B-29が敦賀に投下したのは長崎に投下した原子爆弾と同型の模擬爆弾(通称パンプキン)
 
この空襲に関し、「敦賀市史」通史編(下巻)第四節 三.敦賀大空襲では、当時の状況を以下のように記録しています。
 
<以下、「敦賀市史」を引用>
 
昭和二十年(一九四五)七月十二日の夜、数賀市は大空襲に見舞われた。日本海治岸都市としては最初の空裏であった。十二日夜九時四〇分ごろ熊野港から侵入したB20約一〇〇機は三波に分かれ、その一部は、奈良・三重県境を北上して琵琶湖の南部を経て福井県に入った。
 
この編隊は、駄口上空を通過し、道口より山麓に沿って東に転じ、東郷村井川において第一弾を投下した。この爆撃で、咸新小学校・新善光寺・高福寺、民家七軒が延焼した。ついで深山寺(民家四戸全焼)、高野(民家一戸全焼)、田尻(松岸寺全焼)など一帯に投弾し、東浦村に至り、田尻(民家五戸全焼)、赤崎(赤崎小学校、民家二戸全焼、一戸半焼)、五幡(二戸全焼、一戸半焼)上空で旋回し、福浦湾に面する磐城セメント工場に投弾して、天筒山上空より、市街地に侵入した(図15参照)。
 

【「敦賀市史」通史編(下巻)第四節 三.敦賀大空襲にある図15「B29の侵入経路」】
 
天筒山山麓より攻撃が開始され、火は入船・常盤・天満と逐次拡大し、川東地区はほとんど火の海と化した。さらに火は川中地区に拡がり、桜・御手洗・橘・富貴・大島・神楽・北津内と延焼し、晴明・大和田銀行より元の朝市場を経て、大黒・高徳寺にいたる線においてようやくとどまった(図16参照)。
 

【同 図16「敦賀市戦災地域図」】
 
その被災面積は、約二一万五〇〇〇坪にわたり、本市街の八割を占め、失家屋は四一一九戸(復興事務所調では四二七三戸)、被災世帯は五〇五七世帯(市厚生課調では四〇九九世帯)、被災人員は一万九三〇〇人(市厚生課調では一万六一五人人)の多きに達し、死者も一〇九人に上った。
 
焼失した主な建物は、気比神宮・敦賀駅・敦賀高等女学校・敦賀中学校など表1に挙げたように多数に上るが、空襲から逃れた建物には、市役所・敦賀商業学校・大和田銀行(現在の敦賀市歴史民俗資料館)・敦賀病院・敦賀郵便局・敦賀区裁判所などがあった。
 
<引用終わり>
 
以上が、敦賀市史に記録されている史実であり、B29爆撃機が夜の市街地・敦賀港上空を舐めるように飛行し、ピンポイント攻撃を仕掛けていった様子が分かるとともに、突如として襲われた火の海の中で、尊い命を失われた先人の無念を思う次第です。
 
昨日は、戦没者戦災死没者のご冥福をお祈りするとともに、79年前にあったこの事実を忘るることなく次代に継承していくことを誓う日であり、市内の元町にある本勝寺では、敦賀市遺族次世代の会と本勝寺による共同法要が営まれました。
 
次世代の会の奥野治樹会長のFacebookを拝見するに、本勝寺におかれては、空襲の中心近くで、毎日欠かさず空襲犠牲者の追悼の読経をいただいているとのことであり、「こんな小さな街でも空襲があった、そんな戦争の史実を次の世代に伝えることが、世界平和に繋がると信じている。」
 
「多くの敦賀市民の皆様のご協力を賜り、今年も法要ができましたことに感謝申し上げます。戦没者・戦災死亡者の追悼と史実継承の責務を強く感じ、今後も継続する決意を固めました。」
 
との言葉がありました。
 
私自身もまさに、奥野会長の仰ること、さらには会の理念に思いをともにするところです。
 
そんな79年前にあった史実から一夜明け、本日は10時30分よりプラザ萬象大ホールにて、敦賀市主催の「戦没者戦災死没者追悼式」が挙行されます。
 
犠牲になられた先人に対し思いを寄せるとともに、この史実を決して風化させないためにも、市民の皆様におかれてはご参列いただければ幸いです。
 

【散歩で出会った今朝の風景。この風景があるのも尊い平和があってこそ。】

「第40期 敦賀市民歴史講座」が始まります

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天空の城、七間朝一、日本一美しい星空に上庄さといも。
 
ピンと来た方も多いと思いますが、これらは「北陸の小京都」と呼ばれる福井県大野市の名所、名産。
 
昨日は、梅雨前線の影響に伴う大雨が心配される中でしたが、公務にて「大野市政施行70周年記念式典」に出席してまいりました。
 
開式に続き、北陸三県唯一の女性首長でもある石山志保 大野市長より、静かながらも力強い式辞が述べられ、その後は市政功労者表彰、来賓祝辞と続きました。
 
式典の後には「ふるさとの宝を未来へつなぐ」スペシャルムービーも放映されましたが、市民70名が順につなぐ「大野の宝」はどれも思いが込められたものであり、全体を通して「大野愛」あふれる素晴らしい式典であったと感じた次第です。
 
また、開式で昌和した「大野市教育理念」は「明倫の心を重んじ 育てよう 大野人(おおのびと)」。
 
「明倫(めいりん)」とは、大野藩第7代藩主 土井利忠(1811~1868年)が、藩の政治や経済の建て直しには、新しい知識を学んだ人材が必要であるという考えに基づき、弘化元年(1844年)に開設した藩校「明倫館」において、「明倫」という言葉は、「皆人倫を明らかにする所以なり」に由来し、人の生きる道を明らかにすること、すなわち、人として守り、行うべき道を明らかにすることを指しています。
 
この史実に基づいて、大野の教育の全てを貫く普遍の理念を「明倫」と定めているとあり、こうした理念を連綿と継承していることに感銘を受けたところです。
 
「今ある資源を徹底的に大切に」し、歴史と伝統を重んじながら新たな付加価値を創造する「まちづくり」には見習うべき点が大いにあると感じるとともに、大野市の今後ますますのご発展を祈念する次第です。
 
さて、副議長という立場故、こうした貴重な機会に出会えることに感謝する日々ですが、先の「今ある資源」という点では、敦賀には全国に誇る「悠久の歴史」があります。
 
これを継承し、次代につないでいこうと活動を続けるのが、自身も参画する市民歴史団体の「気比史学会」であり、その中心的な活動となる「敦賀市民歴史講座」が今期もいよいよ開始を迎えるタイミングとなっっています。
 
昭和60(1985)年の開講から数え、第40期を迎えた今年度の「敦賀市民歴史講座」。
 
今期は『越の道しるべ《つるが三道物語》』を年間テーマとし、全5講で構成しています。
 
詳細は、以下リーフレットを(拡大して)ご覧いただきたく存じますが、当会の副会長がネーミングした「街道、海道、鉄道」を意味する”三道”の歴史を知ることはまさに、「古より交通の要衝」であった敦賀を知ることであり、講座はどの回も大変興味深く、役員自身も今から楽しみにしているところ。
 

【第40期「敦賀市民歴史講座」リーフレット】
 
なお、気比史学会の会是「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」と併せて、当会が大事にしているのは「史楽」。
 
文字通り、敦賀の「地域史」を市民の皆さんと「楽しみながら学ぶ」のがこの歴史講座の目的。
 
先般、福井新聞など地元紙でも紹介されたため、既に複数のお問い合わせもいただいておりますが、いずれも事前申込み不要、当日先着順(定員100名)で開催します。
 
7月6日(土)の第1講を皮切りに、いよいよ始まる「敦賀市民歴史講座」。
 
市内外を問わずお気軽に、多くの参加をお待ちしています。
 
※お誘いしておきながら、自身は公務のため第1講を欠席しますことお詫び申し上げます。

「第43回 敦賀市総合美術展」始まる

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アート(=芸術)を辞書で引くと、「一定の材料・技術・身体などを駆使して、鑑賞的価値を創出する人間の活動およびその所産」とあります。
 
人類が自らの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体である文化との関係でみれば、その形成の中核を担ってきたのがアートであり、それは私たちの習慣、信念、価値観の一部を反映している。
 
つまり、人間が人間らしく生きる上でアートは必要不可欠なものである。
 
まさに、このアートの持つ意味合いを体現する「第43回 敦賀市総合美術展」(市美展)が昨日から始まりました。
 
昭和56年から続くこの市美展は、敦賀市文化協会が主催し、新人の育成と芸術文化活動の高まりを促進するために、文化交流の一環として、敦賀市、美浜町、若狭町の方々のご支援をいただきながら公募型で行われているもので、今回も※7部門に248点の作品が出品されています。
 
※7部門→①日本画・水墨画、②絵画・造形、③デザイン・版画、④彫刻、⑤工芸、⑥書道、⑦写真
 

【「市美展」開場のプラザ萬象には大きな看板が掲げられています。】
 
開場式では主催者代表のご挨拶に続き、堤副市長、力野県議会議員、そして市議会を代表して私と、祝辞を述べる機会を頂戴。
 
挨拶の後にはテープカット(私は初体験)が行われ、開場後は早速作品を鑑賞しましたが、創作者の思いがストレートに伝わる感動や癒し、そして生きる力(決して大げさでなく)を感じた次第です。
 

【僭越ながら、私の方より市議会からのお祝いのご挨拶】
 
ここ数年は毎年、市美展を訪れていますが、どこか気持ちが満たされ、「自分も頑張ろう!」というマインドが自然に湧いてくるのがアートの力といったところ。
 
文化芸術に触れることは、まさに「人生と心をゆたかにする」ことですね。
 
この市美展の会期は、6/23(日)まで(但し、6/17(月)は休館)。
 
市内外を問わず、皆様ぜひ、会場のプラザ萬象に足を運んでいただければ幸いです。
 
なお、自身の挨拶でも触れたことでありますが、昨今、アートと健康、ウェルビーイングとの関係に注目が集まっており、そのきっかけは、2019年11月にWHO(世界保健機関)による「健康とウェルビーイング向上におけるアートの役割」のレポートにおいて、認知症などの病気の予防、孤独や社会的孤立など身体的、精神的健康にアートが良い影響を与える可能性が示されたことによります。
 
つまりは、これまでボンヤリ「芸術は健康に良い」とされていたものが、科学的データとして証明されてきているということになる訳であり、本レポートでは、個人や地域、国レベルでアートと健康をしっかりと結びつけていくことが奨励されており、すでに海外では、美術館や自治体はもちろんのこと、政治家もアートを政策に落とし込み、実践につながっている事例もあるところ。
 
また、日本においては、「文化は『ともに生きる社会基盤の形成』(文化庁)」の実践の場として、地域における芸術文化の活動も年々盛んになっており、実例としては2000年代中頃から、ビエンナーレ、トリエンナーレの実施数の増加や規模の拡大などが見られ、地元自治体でも、地域の活性化にもつなげようと積極的な取組みが見られています。
 
芸術文化観光専門職大学の古賀弥生教授によれば、「人づくり」と「まちづくり」、両方をあわせて「地域づくり」と捉えられる。
 
「地域づくり」といえば、「地域経済の活性化」を思い浮かべる人が多いかもしれない。
しかし、地域が元気になるためには、そこに住む人々が元気でなくてはならない。元気な人々が自分たちの地域の将来を真剣に考え、地域の課題解決や活性化のために自ら行動する、そんな地域こそが元気な地域といえるだろう。つまり、「人づくり」と「街づくり」の循環により「地域づくり」が行われる。
 
アートイベントの開催や文化施設の建設でまちが活性化するものではなく、その地域で暮らす人々が地域への愛着や誇りを胸に、地域のあるべき姿を真剣に語り合い行動することこそ重要であり、そのためには、人々が創造性を発揮できるような土壌を文化芸術でつくることが求められている。
 
人が元気で、気な人が地域を元気にし、完気な地域に元気な人々が集まってくるーーこのサイクルに文化芸術の持つ力が作用することが「文化芸術を通じた地域振興」、つまり文化芸術による地域づくりなのである。
 
もちろん、このような「文化芸術を通じた地域振興」に関する活動は、行政だけでなくその地域の運営に関わる多様な当事者(市民)がその担い手となっていることを忘れてはならない。
 
(引用終わり)
 
このように、文化芸術には多様で高い付加価値があることを理解するとともに、長きに亘り続く「市美展」を見るに、先にあった「土壌」が、ここ敦賀にはあると思う次第です。
 
「芸術は爆発だ」は、かの岡本太郎さんの名言ですが、今では「芸術は融合だ」といったところでしょうか。
 
人口減少、多様性、共生社会の現代において、人と人、気持ちと気持ちを結び、力に変える。
 
そんな文化芸術の分野がさらに発展するよう、引き続き応援、支援していく所存です。

クルーズ客船「ハンセアティック・スピリット」が敦賀港に初寄港

ブログ まちづくり 敦賀の歴史・文化

天気予報でご案内の通り、今週は快晴が続くとともに気温が30℃を超えるそう。
 
ここ敦賀も今日の最高気温は31℃となっており、熱中症予報も厳重警戒となっています。
 
熱中症に関しては、十分な睡眠や食事により体調管理に留意することはもちろんのこと、乾く前のこまめな水分補給が重要となりますので、皆様もご注意のうえお過ごしくださいませ。
 
さて、気温はともかく、晴天のもとお迎えできるのがクルーズ客船「ハンセアティック・スピリット」。
 
総トン数15,651トン、全長138.78m、乗客230名(乗組員170名)を誇る客船「ハンセアティック・スピリット」が本日午後、敦賀港金ヶ崎岸壁に寄港する予定となっています。
 

【クルーズ客船「ハンセアティック・スピリット」(敦賀みなと振興会ホームページより引用)】
 
13時(予定)の入港イベントでは、敦賀高校吹奏楽部による吹奏楽演奏やゆるキャラ(はぴりゅう、ツヌガ君)などのお出迎えがあるほか、15時~15時30分に掛けては、「人道の港敦賀ムゼウム」研修室において、中村副知事、米澤敦賀市長、池田敦賀観光協会長、客船からは船長等3名が出席しての初寄港記念式典が行われる予定となっています。
 
また、観光ブースや物産ブース出店、敦賀から他エリアの観光地に向かうオプショナルツアー、18時(予定)の出港の際は、青いハンカチを振って皆でお見送りするなどの歓迎事業が企画されています。
 
なお、客船の乗客は主に欧米人とのことで、金ヶ崎エリアのシンボル的存在である「人道の港敦賀ムゼウム」にも多くお立ち寄りいただけることと思いますが、本日6月11日は19時まで開館時間を延長するとのこと。
 
市民の皆様もぜひ足を運んでいただければ幸いです。
 

【「ハンセアティック・スピリット」歓迎事業概要(福井県ホームページより引用)】
 
古くは古墳時代より、大陸との玄関口として栄えた敦賀。
 
その歴史は天然の良港「敦賀港」に由来するものであり、こうして豪華客船の寄港にその歴史が重なるところ。
 
本日午後はぜひ、お時間のある方は金ヶ崎エリアに足を運んでいただき、「みなとまち敦賀」の歴史に思いを馳せつつ、客船のお迎え、お見送りをしていただければ嬉しく思います。

大成功の「NHK大河ドラマ『光る君へ』のパブリックビューイング」

ブログ 敦賀の歴史・文化

風が強いながらもお天気に恵まれた日曜日。
 
敦賀の駅前では、ライブやキッチンカー、はたらく車にクラシックカー&スーパーカーが登場する北陸新幹線敦賀延伸開業記念イベント「TSURUGA DEPART」。
 
金ヶ崎緑地と敦賀赤レンガ倉庫では、地域の学生吹奏楽部や地元アマチュア演奏者によるライブ「つるがのおと」が開催されるなど、市民企画のイベントにより多くの賑わいがあったところ。
 
私のほうは日中、敦賀市民歴史講座で何度も講義を拝聴している多仁照廣先生が、以前に「シリーズ物語 敦賀藩」を出版されたことを祝う「多仁照廣氏出版記念会」に気比史学会の一員として出席。
 
若狭エリアを主とした関係者が集い、多仁先生のご功績を讃えるとともに、今後ますますのご活躍を祈念した次第です。
 
続いて、昨日のメインイベントは、19時からの「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリックビューイング(PV)&ミニ歴史講座」。
 
昨晩の放送から「越前編」入ることを機に、敦賀市が企画したこのイベント。
 
先回りして申し上げれば、番組終盤でまひろ(紫式部)らが琵琶湖を舟で渡り、越前に向かう際に通った山道はまさに北陸最古の「深坂古道」であり、セリフと映像、さらにはキャプションで登場したのは「松原客館」と、いずれも敦賀が誇る歴史に関わるもの。
 
次週の予告では、「松原客館」を舞台に、宗人と藤原為時(まひろの父)が交渉するシーンがあるようですので、皆さんぜひご覧いただければ幸いです。
 
さて、嬉しいことに、このPVには100名を超える市民の参加があったことに加え、米澤市長、福井県や越前市からは観光関係のご担当の方、さらにはNHK大河のプロデューサーの方まで参加されての盛況ぶり。
 
また、越前編をより楽しく観ようと、PVに先立ち開催した「ミニ歴史講座」では、講師として気比史学会の糀谷好晃会長、アシスタントの私にて対応した次第。
 

【熱気あふれるPV会場(粟野公民館 大ホール)】
 
限られた時間の中でしたが、「平安時代の敦賀」と題し、①平安時代から今日まで、②松原客館の謎にせまる、③深坂古道~北陸最古の詩と史の径(みち)~、④古代の北陸道/芋粥のこと についてお話ししましたが、ここではいくつかのスライドのみご紹介いたします。
 

 
まずは、「紫式部の一生」ですが、越前編で描かれる国府にいたのはたった1年であるとともに、「源氏物語」は約1000年前に書き上げられたものであることが分かります(ちなみに、平安時代はちょうど400年で、265年の江戸時代より長く、日本の歴史上最長の時代)。
 

 
続いてこちらが、昨日のシーンでも山道として出てきた「深坂古道」。
 
式部が通ったとされる北陸最古の古道であり、ここで式部は「知りぬらんゆききにならす塩津山 世にふる道はからきものぞと」との歌を詠んでいます。
 


 
なお、この深坂古道は、敦賀みなとライオンズクラブのご協力を得て、気比史学会とともに平成4年に整備、説明板や紫式部の歌碑も建立し、当時の新聞にも掲載されました。
 

 
続いて、敦賀にあったとされる対外使節の迎接館「松原客館」。
 
※左は北陸電力作成資料より、右は敦賀市立博物館所蔵の越前国敦賀古図(幕末に描かれた推定画)の一部抜粋より。
 

 
発見されていない「松原客館」を語る上で、頭に入れておきたいのが、古代の地理であり、図を見て分かるとおり、海岸線は今の松原の位置よりずっと内陸寄り(今の松陵中学校の辺りか)、①東の入江(氣比神宮近辺)、②西の入江(来迎寺辺り)、③第三の入江(西福寺近く)と3つの入江があったことから、主にその周辺にあったのではないかと推定されています。
 

 
上記の地理的関係から想定される、「松原客館」があったとされる「7つの候補地」。
 
なお、⑦の「中遺跡群」は、過去の出土品にベルトのバックルのようなものがあり、庶民が装着するものでないことから、当時の豪族、有力者が住んでいたと考えられることから、他の候補と離れた位置に候補として挙げられています。
 

 
何ともミステリアスな「松原客館」ですが。過去に気比史学会では「松原客館の謎にせまる」と題した市民歴史講座、刊行物も出版するなど、当時のブームの火付け役となりました(「敦賀学たんさ隊」による帯磁率探査も行われました)。
 


 
文献では、804(延暦23)に「比年、海使の来着多く、能登国に在りし停宿の処、疎あるべからず、宜しく早く客院を造るべし」の勅(天皇からの命令)により、福良津に能登客院の造営されており、同じ頃に松原客館も創設されたと考えられていることに加え、昨日のドラマで「松原客館にいる70名の宗人を返せ」との命を受け、為時が越前に立ちましたが、2枚目のスライドにあるよう、995 (長徳1)には「若狭国着の宗の商人・朱仁聡(しゅじんそう)ら70余名を越前国 松原客館に移送」とあり、まさにこのことを描いているものと推察いたします。
 
ご紹介したいことはまだまだ沢山ありますが、書き出すとキリがないのでこの辺りで止めておきます。
 

【ミニ歴史講座の一コマ】
 
申し上げたいことは、古墳時代から始まる、大陸とつながる敦賀津(港)の歴史は平安時代も大変重要なものであったこと、かの紫式部が為時らと、ここ敦賀(深坂古道など)を通って越前国府に向かったこと、さらには謎多きながら必ずやあったとされる「松原客館」は当時の日本が誇る迎接館であったこと。
 
こうした歴史に思いを馳せながら、次週以降の大河ドラマをご覧いただくとともに、敦賀の悠久の歴史を感じていただければ幸いです。
 
また、視聴率から言えば、全国で2,500万人が観ているとされるNHK大河ドラマ。
 
ドラマを通じ、敦賀、そして当時大国であった越前国に注目が集まることを切に期待いたします。
 
結びに、企画から準備。運営まですべて手作りで、熱意をもって進めていただいた敦賀市まちづくり観光部 観光誘客課のご担当を始め、関係者の皆様に心から敬意と感謝を申し上げます。

ふたつの定期総会で感じたこと

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青空広がるこの週末。
 
昨日は、ふたつの団体の定期総会に出席しました。
 
ひとつ目は、自身が事務局長として参画している、敦賀の市民歴史団体「気比史学会 第48回定期総会」。
 
昭和52(1977)年設立の「気比史学会」のことや、私がこの団体の運営に携わることになった経緯に関しては、これまで何度かご紹介しているため割愛しますが、今年で47年目を迎える、連綿と続く活動に敬意を表するところ。
 
昨年に続き、主催側として2回目となる総会は、13時30分より市立図書館3階の会議室にて、会員ならびに賛助会員にお集まりいただき開催。
 
次第に従い、2023年度の事業や収支報告、役員体制の一部見直し、2024年度の事業計画、予算までを提案のうえ、ご承認いただきました。
 
なお、提案事項に対しては、活発な質疑、建設的なご意見もいただき感謝。
 
ご意見の中にもあったよう、これだけの歴史と実績を重ねてきているが故、市民の皆さんからするとやや敷居の高い、学問的な団体に映っているのかもしれませんが、設立時から変わらぬ考えは「史楽」。
 
つまりは、「地域史を楽しく学ぶ」ということであり、郷土の歴史をより広く、深く知ることの「ワクワク感」を持ちながら「探究」するということ。
 
この視点を持ちながら、「敦賀の歴史ファン」を一人でも多く増やすこと、そしてそのことは必ずや郷土愛や誇りにつながるものと信じるものであり、次代に歴史を継承する意味合いも含め、今後も工夫しながら会を運営していく所存です。
 

【総会の様子。挨拶されているのは糀谷好晃 気比史学会会長。】
 
続いて、18時30分からは、あみや旅館で開催された「令和6年度 敦賀防衛懇話会 定期総会」に出席。
 
同会の会則第2条にある「目的」は、「この会は、陸上・海上・航空自衛隊の隊員が安んじて任務に邁進できるよう民間防衛基盤の育成強化を図り、自衛隊の実施する各種行事の支援協力を行うことを目的とする。」こと。
 
私自身、ここ数年は同会の行事に参加協力する形で参画してきましたが、今回の総会にて「理事」を拝命。
 
先の目的を胸に置き、微力ながら尽力してまいる所存です。
 
総会においては、気比史学会と同様、事業や会計に関わる実績報告、計画について承認されましたが、会長からは、自衛隊福井地方本部全体の入隊者についても言及。
 
令和元年度に98人であった入隊者は、令和5年度では59人(見込み)と毎年約10人づつ減少している状況であり、この危機感を共有のうえ、会員各位においても自衛隊員募集に向けた声掛けや情報発信をとの依頼がありました。
 
人口減少社会の影響、ここにもありといったところでありますが、隊員の減少は、わが国の防衛力に直結するものであることから、この点に関して十分留意のうえ、少しでも貢献していきたいと考えます。
 

【定期総会の資料一式。私たちは 国を守る自衛隊を 応援します。】
 
こうして、分野の異なる総会に出席した一日でしたが、それぞれあったのは、思いをもって活動されている皆さんの熱意。
 
両団体とも運営側に入った私ですが、今後引き続き「熱量」を持ち続け、活動に賛同する輪を広げていければと思います。

敦賀以西は「小浜・京都ルートしかない」

ブログ 北陸新幹線 敦賀の歴史・文化

ここ最近、プライベートの活動で注力しているのは、敦賀の市民歴史団体「気比史学会」。
 
市民歴史団体として、ここまで長く活動を続けているのは全国でも稀。
 
設立から47年の歴史を有する団体で、役員の高齢化などを理由に一旦は解散の危機もあったところ、今年度からは私を含む、30〜50歳代の世代で継承をし、活動を継続しています。
 
その気比史学会では、本日48回目の定期総会、明晩は敦賀市が主催する「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリックビューイング(PV)」で「ミニ歴史講座」を行うとあって、昨日も糀谷好晃会長と事務局長の私とで、資料の最終打合せをしたところです。
 
とりわけ、「NHK大河PV」に関しては、聞くところによると既に100名を超える事前申込みがあるとのこと。
 
PVに先立ち開催する「ミニ歴史講座」では、大河に登場することが発表されている「松原客館」を始め、紫式部が通った北陸最古の「深坂古道」などを中心に、ドラマと敦賀の関係や「平安時代の敦賀」を分かりやすくご紹介いたしますので、皆様もぜひ、粟野公民館まで足を運んでいただければ幸いです(5月26日 19時開会)。
 
 →「NHK大河ドラマPV」の詳しくはこちらをご覧ください(2024年5月18日ブログ)
 
さて、悠久の歴史を有する敦賀にあって、最も特徴的なのは、古より大陸と開けていた「港」と日本海側で一番早く開通した「鉄道」。
 
鉄道に関しては、本年3月16日に「歴史の転換点」である北陸新幹線敦賀開業を迎え、次は「敦賀以西」に向けて、福井県を始め沿線市町の力を結集するところ。
 
「以西」に関しては、石川県南部の一部自治体やSNS上などで「米原ルート」の再考を求める声が挙がっており、様々な議論を経て「小浜・京都ルート」決定した経過からして、私としては「ありえない」と思っていた訳ですが、金沢・敦賀間の開業後、初めて開かれた5月22日の「北陸新幹線建設促進同盟会」(北陸新幹線の沿線自治体沿線の10の都府県で構成)では、「小浜・京都ルート」での一日も早い認可と着工を国に求める決議が採択されました。
 
総会の場では、同盟会の会長を務める福井県の杉本知事はもちろんのこと、整備新幹線に関する与党のプロジェクトチームで座長を務める西田昌司 参議院議員(京都府選出)からは、「最近、『米原ルート』の話をよく耳にするが、一度決まった話を蒸し返すことは断じてない」とあったほか、総会後の取材で滋賀県の三日月知事は「『小浜ルート』での早期全線開通を求める一心で活動している。一度決めたことが実行、実現できる国になるべきだ」と述べています。
 
さらに昨日、JR西日本の長谷川一明社長は「小浜・京都ルートしか考えられない」との見解を会見で明言。
 
同社長は、「敦賀から京都、そして新大阪にダイレクトでつながっていくということが非常に大事。国の方針として大まかなルートとしては確定をされているので、違うルートというのはもう今日ではない。」とも。
 
このように、10もの北陸新幹線沿線都府県、京都選出国会議員、滋賀県知事にJR西日本と、ありとあらゆる責任ある方々が「小浜・京都ルートしかない」と仰っており、これに「米原ルート」を唱える優位性や根拠はどこにあるのか。
 
私としては、「小浜・京都ルート」を考える上で、最も重要視するのは災害時などの多重性を意味する「リダンダンシー」とさらに将来、山陰側への延伸への可能性を残す国土軸形成。
 

 
写真は、敦賀駅の新幹線ホームの西側を見たもの(2022年12月 やまたけ撮影)。
 
線路がY字に分かれていますが、左は車両基地、そして右はこの先「小浜」に向かう。
 
途切れたレールの先をつなぐことは、北陸のみならず、日本のさらなる発展につながるものと信じて止みません。
 
(おまけ)
冒頭ご紹介しました「NHK大河ドラマPV ミニ歴史講座」で使用する表紙の目次を掲載いたします。一緒に敦賀の歴史を楽しく学べれば幸いです。
 

5/26「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリック・ビューイング&ミニ歴史講座」が開催されます!

ブログ 人生観 敦賀の歴史・文化

少し前になりますが、5月9日の電気新聞に嬉しい記事。
 
電力総連の組織内議員として、参議院議員を3期18年務められた小林正夫先輩が4月から、特別履修生として大学に通っているとのこと。
 
都内の工業高校を卒業後に東京電力の地中送電部門で働き、組合役員専従を経て2004年から国政へ。
 
2022年に引退した後は、ほぼ肩書きのない生活を送っていましたが、より深く社会について学ぼうと喜寿を目前に人生初のキャンパスライフに挑み、「武蔵大学」の特別履修生に応募。
 
無事に審査を通過され、晴れて特別履修生になられた訳ですが、応募した考えは、「ウクライナ危機に伴う資源価格高騰やデジタル化の進展など世界は激動している。時代遅れの高齢者にならないよう、リカレント教育で社会学のスキルアップを目指したい」とのこと。
 
いつまでも若々しいのは、こうして前向きに学ぶ姿勢にあるのかと思うところであり、尊敬する小林先輩がますますお元気で、キャンパスライフを送られることを応援するとともに、私もその姿勢を良きお手本にする次第です。
 
さて、学びでも趣味でもジャンルは問わず、「ライフワーク」を持っているというのは、ゆたかな人生を送る一番の秘訣かと思うところですが、身近で言えば「地域史の探求」をライフワークとする、敦賀の市民歴史団体「気比史学会」の糀谷好晃(よしあき)会長。
 
84歳を迎え、ますますお元気な会長とは、私も現在、同会の事務局長として参画していることもあり、よくお話しする間柄な訳ですが、その豊富な知識とご経験、歴史観を基にした考え方など、いつも勉強させていただいているところ。
 
なお、同会の会是「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」に出会って以降、この言葉は、私の思考、生きる上での「軸」となっている訳ですが、この会是を考えられたのも糀谷会長とのことであり、そうした点においても、尊敬する存在とお付き合いがあることに感謝する次第です。
 
そんな会長と現在、共同で作成を進めているのが、「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリック・ビューイング(PV)&ミニ歴史講座」の資料。
 
といっても、私は、会長が作った原稿をパワーポイントに落とし込んでいるに過ぎませんが…。
 
この「PV&ミニ歴史講座」は、現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」(毎週日曜 NHK総合 夜8時ほか)に、敦賀にかつてあったとされる迎賓館「松原客館」が登場することが発表されたことを契機に、5月26日(日)から始まる越前編のスタートを一緒に楽しんでいただくため、敦賀市が「PV&三二歴史講座」を企画したもの。
 
PVの前に、当時(平安時代)の歴史背景、紫式部と敦賀の関係を知っていただくことで、より大河ドラマにも敦賀の歴史にも関心を持ってもらえるようにとの目的のもと、ミニ歴史講座のパートを「気比史学会」にオファーいただいたものであり、これに向け、「松原客館」や渤海との関係、式部が通った「深坂古道」、さらには「古代の北陸道」や「芋粥のこと」など、当時の歴史を分かりやすく紐解くべく、資料作成を進めているところです。
 
昨日も会長と資料のすり合わせをしたところですが、途中に織り込む「歴史クイズ」を除きほぼ完成。
 
皆さんにご紹介できるのが大変楽しみな内容となったところです。
 
PVに関しては、昨日の福井新聞にも掲載されていましたが、以下のチラシで参加呼び掛けをしています。
 
ついては、5月26日(日)19時〜 粟野公民館にて開催しますので、ご家族・ご近所・友人お誘い合わせのうえ、奮ってご参加いただけますようお願いいたします(私も会場でお待ちしています)。
 


【敦賀市作成の開催チラシ。QRコードや記載の方法にて、事前申込いただければ幸いです(当日参加も可能です)】

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