2026年8月13日
初盆を迎えるにあたり
次々と現れる台風。
台風15号が過ぎ去ったかと思えば、今後は大型の台風17号(名称:ナンカー)が発生し、小笠原近海を北北東に進んでいます。
なお、進路に関しては、台風15号と同じようにしばらく東寄りに進んだあと、北へと進路を変える見込みとあり、「今のところ」日本列島に上陸することは無いようですが、各地で被害が生じることのなきよう、こればかりは願うのみであります。
さて、今日からはお盆。
言うまでもなく、お盆とは、ご先祖様の霊をご自宅にお迎えしてご供養する夏の仏教行事です。
宗派や地域によっては、1年に1度帰省するご先祖様の魂が迷わぬよう、玄関先で焚いて目印とする炎を指す、お盆の「迎え火・送り火」や、浄土宗や日蓮宗などの宗派の場合は、提灯などのお盆飾りやお供え、ご先祖様の冥福を祈る「追善供養」を行うのが一般的です。
一方で、我が家も然り、浄土真宗(浄土真宗本願寺派・真宗大谷派)では、「亡くなられた方の魂はすぐに極楽浄土へ往生できる」という考えのため、「お盆にご先祖様が帰ってくる」という概念がなく、お盆の追善供養も一般的には行わないことは、以前に住職からも教わったこと。
お盆を迎えるにあたり、そのことをキチンと理解しておこうと、浄土真宗の考えを辿るとまず、お盆の原点である経典『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』では、この時に修行者の集団に食物等を供養すれば、その善い行いにより、生存している父母から亡くなった先祖までが大きな福を得ることができることが説かれています。
※「お盆」は、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といい、「倒さ(さかさ)に懸ける倒懸(とうけん)」という意味で、お釈迦さまの弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)の亡き母が餓鬼道(がきどう)に落ちている姿をたとえたもの。
『盂蘭盆経』には目連尊者の母が六道の中の餓鬼の世界に堕ちていたことが説かれており、そして現在、浄土真宗以外の多くの宗派では、お盆に施餓鬼会(せがきえ)を勤めています。
施餓鬼会は、餓鬼の世界の飢えと渇きに苦しんでいる者たちに食物を施す法要で、『盂蘭盆経』の内容からすれば行って当然だろうと思われるかもしれませんが、実は最初からお盆に施餓鬼会が勤められていたわけではなく、元はそれぞれ別の法会であったのが、江戸時代頃に一緒になったといわれていて、実はかなり最近のこと。
また、一般的なお盆のイメージはやはり、「先祖の霊が帰ってくる」というものですが、『盂蘭盆経』には、亡き人の幸福のために善いことを行うという追善供養のことは説かれていても、「霊が帰ってくる」というような記述はどこにもなく、実はこの「霊が帰ってくる」という考え方は、『盂蘭盆経』や、その他の仏教の教えに由来するものではなく、日本の民俗信仰に由来するものだといわれています。
この『盂蘭盆経』物語を思うとき、浄土真宗ではお盆をお迎えするにあたっては、特別なお供え(野菜で作る馬や牛など)をすることではなく、改めて亡き人を偲びながら、“いのち”の事実とその“いのち”にかけられた深い願いに耳を傾けることを大事にしてきました。
お寺やご家庭のお内仏(お仏壇)、お墓へのお参りを通して、いま生きているこの私の“いのち”や人生を振り返る時間として過ごすのが、浄土真宗の「お盆」の迎え方とされています。<真宗大谷派ホームページなどによる>
決して他の宗派や習わしを否定するわけでないことはご理解いただいた上で、もとは浄土真宗の教えと合わないような考え方であっても、お浄土を思い、阿弥陀さまの教えを通して受け止めることによって、お浄土の懐かしい方々を偲びつつ、阿弥陀さまのお救いを聞きよろこぶ大切なご縁となっていく。
これが、浄土真宗のお盆の要であると学びました。
昨秋に父を亡くし、迎える初盆。
49日の法要で、住職さんが最後に残していただいた言葉。
風は見えないけれど
風のすがたは
なびく 草の上に 見える
意味は、
大切なあなたは もうこの世に居ないけれど、
あなたの姿は
あなたのこころざしを受けた
家族や友人たちの生き様の上に 見える
あらためてこの言葉を思いつつ、教えに沿って、このお盆を過ごしたいと思います。






