イーストアイ敦賀駅入線の歴史的瞬間に立ち会う

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来春の選抜高校野球大会につながる北信越地区高校野球福井県大会は昨日、準々決勝が行われ、敦賀気比が鯖江を10-0(6回コールド)、敦賀が奥越明成を2-1(延長10回サヨナラ)で下し、準決勝進出を決めるとともに、北信越大会の出場権を得ました。
 
本日行われる準決勝で敦賀気比が北陸に、敦賀が福井商業にともに勝ち、敦賀勢同士の決勝戦となることに期待高まるところ。
 
いずれにしても、敦賀は「球都」と呼ばれる野球どころであり、そのことを誇りに全力プレーする姿を応援したいと思います。
 
さて、高校野球でも「敦賀」の名が紙面を飾っているところですが、昨日は福井県のみならず、民放各局の全国版ニュースにも「敦賀」の名が紹介されました。
 
それは、言わずもがな北陸新幹線。
 
「来年3月16日の北陸新幹線開業に向け、新幹線車両を使用した走行試験が9月23日、金沢―『敦賀』間の約125キロで始まりました。」とアナウンサーが紹介し、県内初入線となった初日、JR東日本の新幹線電気・軌道総合検測車「East i(イーストアイ)」が走り、レールや架線、信号設備に異常がないか確認したことや、福井県内の「北の玄関口」となる芦原温泉駅で歓迎式典が開かれた様子が映像で放映されていました。
 
1973年の整備計画決定から半世紀を経て、新幹線車両が県内に乗り入れる歴史的瞬間が昨日ということで、もちろん私もこの瞬間を見逃すまいと、見るならココと決めていた「敦賀駅前立体駐車場」の屋上へ向かいました。
 
X(旧Twitter)情報にて、大幅に遅れ気味ということは把握しておりましたので、20時過ぎに立体駐車場に向かうと、屋上までほぼ満車。
 
何とか駐車をし、最上階に行くと、既に多くのギャラリーが待ち構えていました。
 
本格的なカメラをセットした「鉄っちゃん」が数名いましたが、ほとんどが親子連れやご家族で、小さなお子さんからお年寄りの方までが、新幹線入線の「歴史的瞬間」を楽しみに来られていたことに、私も嬉しくなりました。
 

【多くのギャラリーが待つ駅前立体駐車場屋上の様子】
 
「もう5時間待っている」との声も聞こえましたが、待つこと約1時間半。
 
福井方面の深山トンネルを抜け、21時26分。
 
イーストアイが「新時代」の光を灯しやってきました。
 
皆さんとも感動を共有したいので、以下に動画を添付します。
 


【画面の左端、ほのかに光るのがイーストアイ】
 
イーストアイは、トンネル出口の停止信号付近で最終確認し、いよいよ敦賀駅ホームに入ってくると聞き、注視していましたが、何と下り線14番線に入るシーンはこの場所から見えず、21時50分頃にいつの間にかホーム入りしたとの「X」でのポスト(投稿)を見て落胆しましたが、それは自分の選択につき致し方なし。
 
下り線に入ってくる車両を見るなら「やまなみ口(東口)」と覚えておくことといたします。
 
その後、新幹線ホームから車両基地に向かうところまで確認し帰宅した次第です。
 

【新幹線ホームを出て、一旦車両基地に向かうイーストアイ】
 
次は26日から始まる「W7系」の走行試験。
 
関係者の皆様には引き続き、安全第一での走行試験をお願いするとともに、次は見逃すことのない位置取りで、記念すべきシーンを目に焼き付けたいと思います。

北陸新幹線が本日、福井県内「初入線」

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昨日の敦賀市議会は、10時より常任委員会を開催。
 
私が委員長を務める文教厚生委員会は何と、今定例会においては付託された議案がなく、ベテランの先輩議員をもってしても、あまり記憶にないという珍しい状況。
 
とはいえ、議案審査はないものの、この9月定例会では年に1度、所管する指定管理者の運営状況を確認するため、教育委員会、福祉保健部から順次説明を受けたほか、10月に予定している行政視察への議員派遣を確認し、委員会を終えました。
 
また、夕方は街頭へ。
 
今回は、拡声器の電池をバッチリ新品に交換し、万全の状態で約30分、20日に行った一般質問の内容などをご報告しました。
 
通行中のお車からは、車内からのお声掛け、お手振りなどいただき感謝。
 
それにしても、日が暮れるのがすっかり早くなり、ぼちぼち顔が見えなくなってきた18時前には撤収した次第です。
 
日が短くなったといえば、今日は「秋分」。
 
立秋から始まる秋の中間点で、春分と同じように、昼と夜の長さが同じになる頃。
 
この日を境にだんだんと夜が長くなっていきますが、「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、お彼岸が終わるといよいよ秋ですね。
 
さて、そんな季節の変わり目の今日は、半世紀前に計画された北陸新幹線が福井県内に初入線してきます。
 
昨日の福井新聞では、「福井県初の『イーストアイ』がやってくる…北陸新幹線9月23日から走行試験」と題し、来年3月16日に開業する北陸新幹線金沢―敦賀間で、9月23日から走行試験が始まるとし、初日は新幹線電気・軌道総合検測車「イーストアイ」が金沢から敦賀まで走行する予定と紹介。
 
福井県内での初走行を記念して、芦原温泉駅で午前9時ごろから歓迎式が開かれるほか、走行試験は、建設主体の鉄道建設・運輸施設整備支援機構とJR西日本による「監査・検査」の一環で、12月9日までのうち約40日間、1日1往復程度走行し、軌道や架線、信号設備などに問題がないか確認するとありました。
 

【9月23日から北陸新幹線金沢-敦賀間を走行試験する「イーストアイ」(福井新聞WEBより)】
 
また、イーストアイは23日未明に白山総合車両所(石川県)を出発し、時速30~45キロで金沢駅から敦賀車両基地まで走行するとのことで、福井県は、走行中の北陸新幹線を見ることができる「視点場」を県のホームページで紹介しているとも。
 
敦賀市は、「あっとほうむ」、「手筒山展望台」が観覧スポットとして紹介されていましたが、こうして歴史的な出来事に立ち会えることを嬉しく思うところです。
 
と同時に、北陸で最も早く鉄道が敷かれた敦賀。
 
柳ヶ瀬トンネルの超難工事を経て、「長浜〜敦賀」が全線開通した1883年(明治17年)から数えて140年。
 
入線してくる新幹線に、努力を重ね偉業を達成した先人の姿を重ね合わせたいと思います。
 
(参考)福井県ホームページに掲載されている「福井県内で北陸新幹線が見える場所(視点場)」

今晩より一般質問「再放送」

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先の内閣改造において、首相補佐官に元国民民主党副代表の矢田稚子(わかこ)氏を起用したことに対しては様々な憶測を呼んだところですが、21日、高松市で講演した自民党の麻生太郎副総裁からは、賃上げ実現に向け労働組合の意見を反映させるためだと狙いの説明があったとのこと。
 
矢田氏は連合傘下の民間産業別労組「電機連合」出身の元参議院議員ですが、麻生氏は「経団連と賃上げの話をしているのが自民だ。連合との間を取り持って賃上げをしてくれと交渉している」と語ると同時に、連合の芳野友子会長とも賃上げについて話した経緯に触れ「率直に賃上げをできる体制をつくっているのが岸田政権だ」と強調したとのこと。
 
政局ごとと捉えれば、これを揺さぶりと言うのかと思いますが、「賃金が上がる経済の実現」は国民民主党が掲げる一丁目一番地の政策であり、矢田氏の持つパイプと能力を駆使して、目的に進むことを期待する次第です。
 
さて、敦賀市議会のほうは、昨日一般質問の最終日を迎え、4名が登壇。
 
質問者は、元職1名、1期目の方3名というバランスで、それぞれ、ご自身がお仕事として経験されたことを踏まえての意見を盛り込むなど、熱のこもった質問でした。
 
一方、どこでスイッチが入ったのか、理事者に対して激昂する場面もありましたが、これはいかがなものかと。
 
かくいう私も以前に、前市長の答弁に納得がいかず、思わず演台を叩いてしまったことがある(その際は、議会運営委員長に注意を受けました)ので偉そうに言えませんが、やはり議場は神聖なる場。
 
議会は言論の府であることを肝に銘じ、それ以降は、冷静な発言を心掛けているところですが、只でさえ反論権のない理事者を叱るようなシーンは見ていて気持ちの良いものではないもの。
 
人のふり見て…と言いますが、改めて教訓として認識した次第です。
 
一般質問が終わり、本日午前中は常任委員会が開催されます。
 
また、今晩からは、嶺南ケーブルネットワーク(RCN)議会チャンネル(CH093)にて一般質問の模様が再放送されます。
 
以下に放送スケジュールを掲載しますので、関心のある議員だけでもご覧いただければ幸いです。
 

一般質問にて保育現場の思いを伝える

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東京電力福島第一原子力発電所のALPS処理水海洋放出を巡り、北海道函館市議会は20日までに、「岸田文雄首相は漁業者らの反対の声を無視して実施した」として、直ちに中止するよう求める意見書を賛成多数で可決したとのニュース。
 
意見書では、政府と東電の対応について「漁業者と交わした『関係者の理解なしにいかなる処分も行わない』との約束を反故にした」と非難したうえで、「海洋放出を強行し、地元漁業の復興を阻害することは断じて許されない」と強調したとのこと。
 
対中国を念頭に、風評に屈しない気概をもって、国内世論を強固なものにしていくべきと考えていた私としては、非常に残念な意見書採択としか言いようがありませんが、民意を反映する議会でどのような議論があったのか、掘り下げて調べてみたいと思います。
 
さて、同じ議会でも、こちらは一般質問が続く敦賀市議会。
 
2日目の昨日は、6名の議員が登壇。
 
職員の職場環境づくり、金ケ崎緑地へのオーベルジュ誘致、防災力の強化や生理の貧困、サッカー場の必要性など、初日と同様、各議員の視点から、多岐にわたる質問がされました。
 
私もこの日の最終バッターで質問。
 
通告書に従い、1項目目として、今年度中に見直すとする市の最上位の計画「総合計画」の策定について、国の「地方版総合戦略の策定・効果検証のための手引き」を基に、(1)計画策定に向けた基本的考え方では、地域ビジョン(地域が目指すべき理想像)とは何か、市町村連携や具体的施策の明示の仕方や数値目標・重要業績評価指標(KPI)の設定、議会との関係、(2)検討体制、スケジュールでは、策定に向けた検討体制、具体的な策定スケジュール、策定の過程においてどういった住民、関係団体等に参画を求めるのか等について、質問、意見しました。
 
また大項目の2つ目「保育士のより良い職場環境づくりについて」では、保育士の労働環境に対する現状認識を伺ったうえで、近年の離職・新規採用者数、年齢構成の変化などをデータで把握したうえで、その課題解決に向けて、例えば、新規採用並びに年齢ギャップを少しでも改善する優位性ある市独自の取り組みとして、滋賀県野洲市の「野洲市三方よし人材バンク」などの施策を検討されてはいかがかと提案。
 
また、敦賀市の公立保育園では、国の保育士配置基準を十分にクリアしているものの、現場実態を踏まえた加配、さらには業務の負担軽減策として、保育士の本来業務(保育士でないとできない業務)に集中いただくためにも、日常的なトイレ掃除や除草、冬季の除雪対応などに関しては、他に委託する等の対応を講じられないかなど意見しました。
 
次期総合計画に関しては、米澤市長ご自身の思いや、この見直しでやりたいことの本質を伺うとともに、私の方からは、住民にもたらされた便益(アウトカム)に関する数値目標(KPI)の設定や検討プロセスを市民の皆さんにも広く知っていただくための周知をお願いするなど、しっかりと噛み合った議論ができたと感じています。
 
また、保育士の職場環境づくりについても、所管する福祉保健部長、人事や採用を担当する総務部長からそれぞれ、今ある課題を共有のもと、改善に向け、前向きに取り組むとの答弁がありました。
 
私としては、こうした答弁をいただいたことはもちろんですが、会派として、市内全園の保育士さんと意見交換して伺ったことを議会の場で届け、理事者の皆さんにしっかり受け止めていただけたことを嬉しく感じた次第です。
 
質問全体の自己評価としては、時間配分がどこかで狂い、もう少し保育士さんのパートで伝えたかったことがありましたが、建設的に意見することができたと思います。
 
これで、議員になって18回目の質問でしたが、何回やってもパーフェクトはないもの。
 
反省点は反省点として次に生かすとして、やはり現場のリアルな声を大事にし、今後も質問に臨みたいと思います。
 
議会のほうは、私の質問を最後に閉会。
 
本日は早や、一般質問最終日となりますが、残る4名の質問をしかと拝聴してまいります。
 
※なお、いつもの一問一答式の議事メモについては、追って文字起こしのうえ掲載いたします。
 

【市役所を出る頃は、既に外は薄暗く。安堵した気持ちと秋の気配を感じながら帰宅の途につきました。】

やまたけ一般質問は本日6番目

ブログ 敦賀市議会

「途切れ途切れの街頭演説は迷惑でしかない」
 
毎週月曜日の朝に実施している「粟野交番前」での街頭演説ですが、今週は祝日にあたることから、昨日(火曜日)にスライド。
 
三連休明けは元気良く!と話し始めましたが、次第に拡声器から出る音が途切れ途切れに。
 
マイクの電池は交換したばかりでしたので、確か車のトランクに積んであったと、拡声器の電池(単1×8本)を交換し、再スタートしたものの、状況は一層ひどいことに。
 
交換した電池は「使用済み」のものでした…。
 
意気消沈したのと、この時点で7時50分ということで(いつもは8時まで)、この日の街頭活動を早目に切り上げましたが、予備電池を準備しておくことは街頭に立つ者の基本であり、今後の教訓にしておきたいと思います。
 
こうして、若干情けないスタートとなりましたが、気を取り直して今週も頑張ります。
 
さて、敦賀市議会の一般質問ですが、初日の昨日は5名の議員が登壇。
 
私の質問順は「11番」につき、昨日は終日、他の質問者と理事者のやり取りから学ばせていただいた次第です。
 
質問では、公立幼稚園の必要性や内水氾濫等に対する防災・減災、性的マイノリティ政策の今後、金ケ崎周辺整備、敦賀まつりなどなど、多様な視点からの質問がされました。
 
このうち、「市職員の給与」について質問された方の話しを聞いていると、質問は民間事業者の給与、経済活性化に向けてと展開し、結婚を躊躇するそもそもの原因は水準の低い給与にあると主張されるなど、まさに国民民主党が掲げる「給料が上がる経済の実現」に通ずるものと感じた次第です。
 
他にもあった多くの気づきは、しっかりメモに残しましたので、また今後の活動の糧にしていきたいと思います。
 
一般質問2日目の今日は、質問順6番の豊田耕一議員からスタート。
 
10時の開会から、順次予想していくと、私の出番は15時半か16時頃になるのではと思います。
 
なお、通告した私の質問項目は以下。
 
1.次期総合計画について
(1)計画策定に向けた基本的考え方等
(2)検討体制、スケジュール
2.保育士のより良い職場環境づくりについて
(1)人員体制
(2)業務の負担軽減
 
市長が交替されたこと、国の地方版総合戦略やデジタル田園都市構想とも相まって、今年度内に策定する(見直す)としている次期「総合計画」について、社会的な課題ともなっている「保育士のよりよい職場環境づくり」の2項目について意見してまいります。
 
再掲となりますが、本会議場での傍聴はもとより、嶺南ケーブルネットワーク議会チャンネル(CH093)、敦賀市議会インターネット中継にてご視聴いただけますようお願いいたします。
 

【市役所中央玄関のデジタルサイネージ。お時間ある方はぜひ、議場までお越しください。】

議会は今日から一般質問

ブログ 敦賀市議会

初戦のチリ戦を快勝で飾ったラグビーW杯の日本代表。
 
昨日は早朝より、1次リーグ2戦目となるイングランド戦が行われるということで、ブログを早目に仕上げてテレビ観戦。
 
日本は、過去にW杯優勝1回の強豪イングランドの強力FWを粘り強く食い止め、9-13で前半を折り返し、後半の逆転劇を期待しましたが、結果は12-34で敗れ、1勝1敗に。
 
後半14分に松田のペナルティゴールで1点差に迫ったものの、直後にイングランドがパスミスからのこぼれ球を拾ってトライを奪取。
 
世界最高峰のW杯では、ミスひとつが勝負を決めることを痛感しましたが、次は29日のサモア戦。
 
もう「番狂せ」ではないレベルにあると思いますので、次戦に勝利し、再び「旋風」を巻き起こすことを期待する次第です。
 
さて、こちらも真剣勝負(議論)となりますが、敦賀市議会では今日から21日(木)にかけて一般質問が行われます。
 

【今日から3日間、一般質問が行われる本会議場】
 
この週末も、打ち合わせや庁議など、理事者の皆様におかれては、答弁確認のため対応いただいたことと存じますが、こうして熟議のうえ臨まれる場ですので、質問者である議員としても、通告した内容を基に、一問一答でしっかりと、深みのある議論をしていかねばと気を引き締めるところです。
 
なお、今回質問に立つのは15人。
 
再掲となりますが、以下に15人の発言通告一覧をリンクしますので、関心のあるテーマ、議員をチェックいただければと思います。
 
 →令和5年第4回(9月)定例会の発言通告一覧はこちら
 
私は「11番目」ということで、進み具合にもよりますが、出番は明日20日(水)の午後になる予定です。
 
お時間のある方は、議会傍聴はもちろんのこと、嶺南ケーブルネットワーク議会チャンネル(CH093)並びに敦賀市議会インターネット中継にてご覧いただければ幸いです。

地域の魅力は「ロケーション」と「人」にあり

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9月8日には、草花に朝露がつき始める頃という意味の「白露」に入りましたが、朝散歩していても「露」どころか、ムシッとした生ぬるい風が吹く今日この頃。
 
「夏に逆戻りやね」が合言葉のようになっていますが、昨日の最高気温は33.9℃。
 
23日の「秋分」頃には、暦通りの気温になって欲しいものです。
 
さて、そうした中ではありますが、東浦地区では、福井県の無形民俗文化財に指定されている「赤崎の獅子舞」や「阿曽の相撲甚句」、市内各地では収穫祭など、それぞれ地域の慣わしが行われたところ。
 
私はといえば、同じ東浦地区でも、父の出身地、大比田区の八幡神社例大祭(秋祭り)にお声掛けいただき、お昼からの御輿巡行に参加してきました。
 
大比田区では、前日に宵宮が行われ、昨日午前中にはお宮さんでの神事、14時からはお祭りの最後を飾る御神輿ということで、集会場に向かう道路脇には、近所の皆さんが神輿の出発を楽しみに待っておられる姿がありました。
 
実は、お祭りの様子を覗かせてもらう程度でしたが、地区の皆さんにあたたかく迎えていただいたうえ、神輿を担ぐことを勧められ、「では喜んで」と法被をお借りした次第。
 
その後、集会場に子ども達から大人までが集い、祝詞をあげての出発式。
 
ちょうどそのタイミングで米澤市長がお越しになり、一言ご挨拶されるなど、良き雰囲気のなか神輿巡行がスタート。
 
ご存知の方も多いと思いますが、大比田集落の道は狭く、上り坂下り坂だらけで、気を使いながらの神輿巡業で大変でしたが、「わっしょい!」の掛け声とともに、汗かく担ぎ手、綱を引く子ども達、その姿を見守る保護者の方やお年寄りなど、皆さんの一体感は最高でした。
 

【下り坂を進めば海が見える。このロケーションの神輿巡行はなかなかないのではと。】
 
途中、休憩を挟みながら、約2時間の巡行でしたが、さほど担いでいない私でさえ汗びっしょり。
 
皆様、大変お疲れ様でした。
 
平均年齢が65歳を超える大比田では、以前には青年会、壮年会とあった町内の組織も、今は壮年会だけとなっていることや、子どもの数が著しく少なくなっているなどの状況もお聞きしましたが、区外に出た若い世代が、ふるさとに戻ってお祭りに参加される(関係人口とでも言うのでしょうか)など、皆が地域の行事を大切にされていると感じた次第です。
 
一方、近年では、茨城県と新潟県から移住者がある大比田。
 
ちょうど移住されてこられた方とお話しする機会がありましたが、その理由は、このロケーションと人だと。
 
この言葉を聞いて大変嬉しく思った訳ですが、その方々がこうして地域に溶け込み、お祭りに参加されている姿自体が、地域コミュニティのお手本だと、どこか心満たされ会場を後にした次第です。
 
今朝の新聞では、65歳以上の高齢化率で世界トップ、10人に1人が80歳以上の時代に入ったとありましたが、これを悲観するのでなく、ここ大比田のように、知恵と工夫、自分が住むまちに誇りを持って、コミュニティや地域行事をいかに維持していくかが大事なこと。
 
その原動力となるのはやはり、シビックプライドとポジティブ思考であり、昨日体感したことを糧に、人口減少・高齢化社会における地域のあり方を考えていきたいと思います。
 

【海岸線を進む神輿。この景色も古から変わらぬ「地域の宝」】

敦賀城主 大谷吉継公遺徳を偲ぶ会

ブログ 敦賀の歴史・文化

契りあれば 六つのちまたに 待てしばし
遅れ先だつ ことはありとも
 
これは、関ヶ原の合戦において、家臣 平塚為広が「お先に敵陣に突入します」と、大将大谷吉継に書き添えて送った死別の歌に対し、吉継公が使者に手渡した返歌。
 
いわば、吉継公の辞世の句ですが、句の大意は「為広殿は武勇も和歌も感じるに余りある御仁である。わしも早々にあの世で逢おうぞ」とあり、同じく吉継公も既に、死を覚悟していたことが分かります。
 
9月15日は関ヶ原合戦の日ですが、昨晩は戦いで自害した敦賀城主 大谷吉継公の菩提寺である永賞寺(敦賀市栄新町)にて「遺徳を偲ぶ会」が営まれ、私も参列してまいりました。
 
会では、読経、供養奉納吟に続き、絵語り「大谷吉継 関ヶ原に死す」が催され、改めて「義の武将 吉継公」の生き様は、敦賀の誇りと胸に留めた次第です。
 

【偲ぶ会が営まれた永賞寺】

【丸山誠氏の「絵語り」には聞き入ってしまいました】
 
ここで吉継公をあまりご存知ない方のために、簡単に紹介しますと、大谷吉継は1565年(永禄8)の生まれ。
 
母親は豊臣秀吉の妻(お祢、高台院)の侍女で、東殿(ひがしどの)と呼ばれた女性(父親は判明していない)。
 
幼少期から、秀吉のもとで石田三成、加藤清正らと競い合いながら成長したと言われ、本能寺の変ののち、秀吉が天下人となると、吉継は優秀な実務官僚として豊臣政権を支えました。
 
1585年(天正13)、秀吉は関白になり、吉継も刑部少輔(ぎょうぶのしょうゆう)に任じられます。
 
吉継公が「大谷刑部」と呼ばれるのは、これに由来します。
 
敦賀城主として、1589年(天正17)に敦賀の領主となり、敦賀を「城のある港湾都市」に作り変えたことにより、敦賀は京都・大坂に物資を供給し、朝鮮出兵など戦争の折には兵粮、船、操船者を整える拠点としても機能することになります。
 
江戸時代の敦賀湊の繁栄の基礎は吉継の時代に作られたといえます。
 
この後は、ご存知のとおり、秀吉が没すると、次第に徳川家康が政治の中心となり、これに抵抗した石田三成に、劣勢と知りつつも「義を貫き」、味方して戦った関ヶ原合戦(1600年/慶長5)で敗れ、吉継は自刃します。
 
敦賀城も、1615年(元和元)の一国一城令で廃城となりました。
 
これが、吉継公の生涯ということになりますが、吉継自らの菩提寺である永賞寺の境内には没後9年後、1609年に造立された慰霊の九重塔(石造・敦賀市指定文化財)が残っているほか、毎年9月にはこうして、地元有志らによる「遺徳を偲ぶ会」(供養祭)も行われ、県外からも吉継ファンが足を運んでいます。
 
昨夜も県外からお二人が参列されていましたが、死を覚悟で三成への義を通した吉継公は、特に女性からの人気が高く、あの芦田愛菜さんも一番好きな武将は吉継公だとか。
 
改めて、今日の敦賀の礎を築かれ、発展に尽くすとともに、まさに武士道を貫いた吉継公の生き方に感銘を受けるとともに、また来年もこの会に参列し、供養の念をお送りすると誓った次第です。
 
最後に、会の詩吟で詠われた和歌に、「関ヶ原軍記を読む」と題した、かの西郷隆盛公の句がありましたのでご紹介いたします。
 
東西一決関ヶ原に戦う 嗔髪冠を衝く烈士の憤り
成敗存亡君説くことなかれ 水藩先哲公論あり
 
<大意>
東西に分かれ雌雄を決する天下分け目の戦いが関ヶ原で行われた。従軍の列士の憤は髪の毛が冠を衝き破るほどだった。成功、失敗を議論する必要はない。家康に大義名分がないということを水戸藩の先哲(水戸光圀)が大日本史で公正に論じている。
 
壮絶な天下分け目の戦いとは何だったのか考えさせられるとともに、合戦の地関ヶ原に、近いうちに足を運ぼうと思った次第です。
 

【大谷吉継公に「合掌」】

永久閉鎖した「パリセード原子力発電所(米)」の再稼働を決定

ブログ 原子力

19日からの一般質問を前に休会中の敦賀市議会ですが、昨日午前中は広報広聴委員会を開催。
 
11月に開催する「議会報告会」の意見交換テーマやその後予定している「出前報告会」について協議しました。
 
1期目の4年間も属した本委員会は、フランクに建設的な意見を言い合える場。
 
この日も自由闊達な議論がされましたが、大事な広報広聴活動であり、前例踏襲ではなく、市民にとってより身近な議会となれるよう、委員の皆さんと知恵を絞り、改善を重ねていきたいと思います。
 
さて、ここ福井県嶺南地方にある関西電力の原子力発電所ですが、昨日は高浜発電所2号機が原子炉起動。
 
これで、関西電力が保有する廃止措置プラント以外の全7基が再稼働を果たしたことになりますが、この間のすべての関係者の皆様のご努力に心より敬意を表する次第です。
 
国内ではこれで12基目の原子力発電所再稼働ということになり、我が国の低廉な電力安定供給はもとより、地球温暖化対策に貢献するため、今後も順次、粛々と運転プラントを増やしていくことが必要と考えるところです。
 
さて、こうした国内の状況と照らし、一歩も二歩も先を行くのが米国。
 
原子力産業新聞では、米国のホルテック・インターナショナル社が9月12日、ミシガン州で2022年に永久閉鎖となったパリセード原子力発電所(PWR、85.7万kW)を再稼働させるため、子会社を通じて、同原子力発電所が発電する電力を州内のウルバリン電力協同組合に長期にわたり販売する契約を締結したとの記事がありました。
 
「永久閉鎖」した原子力発電所を再稼働させること自体、今の日本では考えられないことですが、ホルテック社は今年2月、同発電所の再稼働に必要な融資依頼を米エネルギー省(DOE)に申請。
 
米原子力規制委員会(NRC)のスタッフとは、すでに複数回の公開協議を通じて、同発電所の運転再認可に向けた規制手続について議論を重ねており、「パリセード発電所は閉鎖後に再稼働を果たす米国初の原子力発電所になる」と強調。
 
再稼働を必ず実現させて、ミシガン州の各地に無炭素エネルギーによる未来をもたらしたいと述べたほか、長期停止中の原子力発電所を数多く抱える日本や脱原子力を完了したドイツでも、同様の流れになることを期待すると記載されていました。
 

【閉鎖後の再稼働を決めたパリセード原子力発電所】
 
なお、ホルテック社で原子力発電と廃止措置を担当するK.トライス社長は、「パリセード発電所を再稼働させることで、ミシガン州は今後のエネルギー需要を満たしつつ地球温暖化の影響を緩和できるほか、高収入の雇用を数百名分確保し地方自治体の税収を拡大、州経済の成長にも貢献できる」と指摘しています。
 
日本で同じことを言ったら、「金のために閉鎖した危険な発電所を動かすのか!」と即座に反応するであろう姿が目に浮かびますが、さすが「超」がつくほどの「現実主義」の米国。
 
国も自治体も、そして規制側も、環境負荷や経済性を踏まえ判断していることが分かります。
 
この点に関しては、「文化の違い」で片付けてはいけませんので、エネルギーは国力の源とすればまず、いま持っているポテンシャル(停止している原子力発電所)をフルに発揮すること、さらには次世代革新炉の開発、実装を急ぐことに他ならないと考えます。
 
皆様方におかれましては、世界の「現実」を睨みながら、「理想論」では決して国益を利することはできないことを、ご理解いただければ幸いです。

阪神が18年ぶりの「アレ」を決める

ブログ 人生観

岸田文雄首相は、国民民主党に所属していた矢田稚子(わかこ)元参院議員を首相補佐官に起用する方向で調整に入ったとの驚きのニュース。
 
即座にこれを「連立」の呼び水と揶揄する声も挙がるなか、国民民主党の玉木雄一郎代表は14日のインターネット番組で、「そういう(補佐官の)話が出たことは基本的に(矢田氏)ご本人の問題。党としてどうこうということではない」、「矢田氏の能力を政権として評価したということではないか」と指摘したうえで、「仮にもし(補佐官に)なったら元仲間としてこれまでの経験や知識を生かして活躍してもらいたい」とエールを送りました。
 
先の国民主党代表選後、新体制となった8日以降、矢田氏は支援団体の連合や党役員も外れていますので、問われれば、私も玉木代表の言葉通りお答えしたいと思います。
 
さて、驚きのニュースに続き、喜びの昨夜。
 
プロ野球セントラル・リーグでは、甲子園球場で行われた巨人との対戦に4-3で勝ち、阪神が18年ぶりの「アレ」を決めました。
 
今季の阪神は岡田彰布監督が15年ぶりに指揮を執り、若手が主体のチームを率いながら、5月は球団の月間最多タイ記録となる19勝をマーク。
 
セ・パ交流戦は負け越したものの、8月も18勝を挙げると、なんと9月は負けなしの11連勝を飾り、一気に頂点へ上り詰めました。
 

【6度目のリーグ制覇ということで、胴上げ回数も6回。岡田監督が宙に舞いました。(自宅のテレビ画面を撮影)】
 
なお、皆様ご存知のことと思いますが、「アレ」とは、岡田監督が「優勝」を表現する代わりに使う言葉で、「ライバル球団に隙をみせるフレーズで、刺激を与えたくない」というのが理由。
 
実は、オリックス監督時代の2010年、選手に交流戦の優勝を意識させないように使い始めたのがキッカケ。
 
今季のチームスローガンは「A(Aim=目的)」「R(Respect=尊敬)」「E(Empower=パワーアップ)」を組み合わせた「A.R.E」(エー・アール・イー)ですが、もちろん語源は岡田監督の「アレ」からきています。
 
「即物的な『優勝』という言葉ではなく、選手の想像力と自発性を引き出した『アレ』は間違いなく流行語大賞だ」とまで評価されていますが、当の岡田監督は、優勝後の記者会見で、コーチ(2003)・監督(2005)として優勝を経験した時と今回とを比較し、次のように述べています。
 
「(2003、2005年と優勝した時は)ある程度完成されたチームというのがあったのでね。あんまり言うことというか、コミュニケーションとか会話は少なかったですね。今年の場合はやりたい野球というか、その辺でちょっと変えないといけない部分がある、一番はとにかく守り重視でいくということなんですけど、前回よりは選手と話す機会というか、それはだいぶ増えましたね。自分のこういう野球をするというのを伝えないといけないのでね。ずっとユニホーム着てた前回と、今回は着てなかったので、その辺の違いはあると思いますけど」
 
この言葉を聞いて、今年の強さの要因は、トップリーダーである岡田監督の考え(ビジョン)が選手に浸透したからだと理解すると同時に、それができたのは、リーダー自らの、積極的な会話とコミュニケーションにありと認識した次第です。
 
昭和60年、甲子園での巨人戦で放った、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発は、今でも脳裏に焼き付いていますが、5番岡田は、時を経て名将として返り咲き、チームを優勝に導きました。
 
天国の星野仙一さんもさぞかし、目を細めて見ているのではと思いますが、この先のクライマックスシリーズ、そして日本シリーズを勝ち抜き、再び「アレ」を決めてくれることを期待し、イチファンとして静かに応援したいと思います。

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