信頼と直結する政治家の言葉は「重きもの」

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昨日は、4回目のコロナワクチン接種。
 
3回目までと違い、周りからは「4回目はもういいかな」などの声も聞こえるところですが、コロナ感染された方の後遺症や違和感の長期化などの話しを伺うに、やはり重症化のリスクは可能な限り低くしておくべきと考えるところ。
 
集団接種会場の敦賀市立看護大学では、係の方のテキパキとした指示に従い、流れるように接種を済ませましたが、その後、久しぶりに校舎裏手を歩いてみると気持ちの良いロケーションに出会うことが出来ました。
 

【春はピンク、秋は赤く染まる桜の木。青空と芝生の緑、その先には敦賀湾が見えます。】

【車に戻ると、偶然の落葉と映り込みで、フロントウィンドウにも秋が。】
 
深まる秋を心地良く感じたところですが、今日は副反応が軽く済むことを祈るばかりです。
 
さて、話しを変えますが、「人の振り見て我が振り直せ」の意味で思うことは、「政治家の言葉は重い」ということ。
 
言わずと知れた、「法相は死刑のはんこを押すときだけトップニュースになる地味な役職」などと発言した葉梨康弘前法相のことですが、仮に切り取り報道であったとしても、言って良いことと悪いことくらいは私にでも分かること。
 
これに岸田首相は、11日午前の参院本会議で「職責の重さを自覚し、説明責任を果たしてもらいたい」と葉梨氏の更迭を直前まで否定していたものの、急遽方針を転換。
 
同氏を更迭しましたが、法相の立場でありながら、職責と人命を軽視した発言であり、更迭は当然と受け止めるところ。
 
なお、こうした対応は、岸田政権においては山際前経済再生担当相を更迭したばかりでもあり、続投させた場合、政権に打撃を与えるとの判断からと考える次第ですが、新法相の認証式に急遽、天皇陛下にご対応いただいたうえ、外交日程にも影響を与えたことなど、岸田首相の判断の遅さにも批判が出ているところです。
 
話しを「言葉の重さ」に戻すと、この軽率な発言というのはどういうロケーションで発してしまうのか。
 
これまでの例を思い返すと、圧倒的にご自身の支持者が集まる政治資金パーティーや党内の会合などで発せられていることが多いと感じるところであり、そう考えれば、身内ばかりという安心感からの「ウケ狙い」、「緩み」がこうした取り返しのつかない事態を生んでしまうものと察するところ。
 
話す相手を信用して、「ここだけの話し」をするのとは別次元の話しであり、発言したことは「本音」と言われても仕方なきもの。
 
「人の振り見て我が振り直せ」と申しましたが、私自身、こうしたことは厳に慎むべきと思った次第です。
 
それにしても、こうした政治家の言動は、政治への信頼と直結するもの。
 
経済や安全保障、そしてコロナと国難とも言える課題が山積の我が国において、いわゆる「反面教師」から教訓を得ている場合ではない訳であり、政治に携わる地方議員の一人として、私自身、凛と襟を正して行動していきたいと思います。