『羽柴兄弟とめぐる北近江の旅』にて戦国の世に思いを馳せる

ブログ 敦賀の歴史・文化

あらためまして、自身が所属する「気比史学会」は、昭和52(1977)年設立の市民歴史団体。
 
「地域史の再発掘と歴史を生かしたまちづくり」のため、ここ敦賀の「深遠の歴史※」を楽しみながら、次代へ継承するとの思いのもと活動を続けています。
 
※ 深遠とは、はかりしれないとの意
 
中でも、中心的な活動である「敦賀市民歴史講座」は昭和60(1985)年の開講以降、体系的な年間テーマのもとに、歴史を学ぶ楽しさを市民と共有しながら連年開催してきており、今期で第42期目。
 
NHK大河ドラマと絡め、年間テーマを『信長から秀吉へ〜そして家康へ―越前・若狭の武将たち―』に置き、全5講を企画し、これまでに3講を終えたところ。
 
この企画中、座学ではなく、現地を訪れての“歴史探訪”を特別講として設定しており、昨日はこれを楽しみに、フィールドワーク『羽柴兄弟とめぐる北近江の旅』に出かけてまいりました。
 
なお、このフィールドワークにあたっては、会の役員の中で私に担当の機会を与えていただき、細かな行程調整や準備、現地の下見などを経て当日を迎えたもの。
 
事前の募集でお申し込みいただいた15名の皆さま、会長以下、史学会からは3名の計18名にて旅を進めた次第です。
 
概略コースとしては、午前8時30分にプラザ萬象駐車場を出発、国道8号線にてJR木ノ本駅(JRの駅は、木之本ではなく木ノ本と書く)に向かい、そこから徒歩で、メインの目的“田上山砦”(現地ガイドあり)へ。
 
下山後はJR木ノ本駅近くで昼食を摂った後、湖岸道路を経由し、長浜で開催されている「大河ドラマ館」(大通寺の敷地内)を鑑賞後、黒壁スクエアを自由散策し、午後4時過ぎに敦賀に戻るというコース。
 
心配していた雨は、皆さんの思いが通じてか、天気予報が変化をし、結果、秋らしい天候の中で計画どおり開催することができました。
 
プラザ萬象を出発した後の車中では、気比史学会の活動紹介などをしつつ、JR木ノ本駅では「奥びわ湖観光ボランティアガイド」の2名のガイドさんと合流。
 
以降は、ガイドさんより各ポイントで説明、休憩を交えながら、北国街道、意冨布良(おほふら)神社と進み、いざ田上山砦へ。
 

【いざ田上山へ!JR木ノ本駅より、ガイドさんが指差す山が田上山】
 
前半は急な登りで口数が少なくなる時間帯もありましたが、途中、眼科に広がる木之本の街並みを眺めつつ、主郭に到着。
 

【急登が続く前半戦】

【休憩ポイントから望む木之本の街並み】
 
なお、田上山城は、天正11(1583)年の賤ヶ岳合戦における羽柴秀吉軍の事実上の本陣として機能した城郭であり、秀吉の弟・秀長が陣を張り、合戦を指揮しました。
 
湖北の山城は大規模な天守を持つ城ではなく、尾根を削った曲輪や堀切、土塁などを利用した実践的な構造が多く、田上山周辺もまさにその系統で、地形を巧みに掘り込んだものであることを肌で感じることができました。
 
また、柴田勝家軍と対峙することから北側からの攻撃を強く意識した防御構造となっており、北方面が最重要防衛正面であったことを如実に物語っていることに加え、西郭は北国街道を眼下に見下ろす位置にあることから、交通路監視と防御の両面で重要な役割を果たしたことなど、ガイドさんの丁寧な説明により、この田上山城が、織豊期城郭の陣城形態を代表する遺構として極めて高い歴史的価値を有していることを学びました。
 

【南郭にて、小谷城方面を眺める】

【田上山砦跡の看板】
 
そして、この地でまさに秀長が、陣頭指揮を採って賤ヶ岳の戦いに勝利をし、天下統一に向かったのだと、戦国ロマンに思いを馳せた次第です。
 
こうしてフィールドワーク“最大の目的”を堪能した後、下山し昼食、“豊臣兄弟!”一色の長浜に向かい、「大河ドラマ館」を鑑賞。
 
大きな事故なく、無事に敦賀に戻ることができ、運営サイドとして、参加者の皆様のご協力に大いに感謝をお伝えし、お別れした次第。
 
昨年のフィールドワークでは、大谷吉継生誕460年にちなみ、関ヶ原の地を訪れ、吉継の墓前で手を合わせることができましたが、やはりこうして現地に赴き、昨日はまさに「羽柴兄弟がそばにいるような」そこでしか感じられない雰囲気や空気を記憶に留めることに意義と価値があると強く感じたところであり、今後も必ず続けていこうと決意したところです。
 
結びに、参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
 
これを機に、気比史学会の活動に参画いただくとともに、敦賀の「深遠の歴史」を一緒に楽しく学んでいきましょう。