オリンピック開催に向けて出来ることは、選手をあたたかく見守ること

オリンピック ブログ

全国各地を「聖火リレー」が巡り、本来であれば徐々にボルテージが上がるはずの東京オリンピック・パラリンピックですが、続くコロナ禍とあって、開催自体に対する疑問の声のボルテージも高まりつつあるところ。
 
一方、国家を挙げた一大イベントの万全の開催に向けて、各方面では粛々と準備が進められており、警備という重要な任務を担う警察もそのひとつ。
 
ちょうど、ある新聞記事にて、警視庁オリンピック・パラリンピック競技大会総合対策本部の上野良夫副本部長の安全実施に向けた種々の対応や自身の決意を語る記事を拝見しましたが、さすが、平成31年3月から元号をまたいで令和2年2月までの約1年、皇居や首相官邸、靖国神社など管内に重要箇所を数多く抱える麹町署の署長を務め、皇位継承に伴う一連の儀式を警備する中において、警備上の難易度が最高レベルとされた「祝賀御列(おんれつ)の儀」の陣頭指揮をされた方とあって、想像を絶する「想像と準備」のもと臨む姿勢には、ただ敬服あるのみという印象を受けた次第です。
 
上野副本部長は、「起こりうる事案を最大限イメージし、具体的な準備につなげること。現在に至るまで、常に心に留めている教えです」と述べ、この大会を、警察を含む治安機関の総力戦と捉えていると語られました。
 
本番を2ヶ月半後に控え、「万全を期すのは当然として、一方で、我々の力だけで乗り切れるものでもない」と、世界中の注目が集まる一大イベントの完遂へ、都民、国民一人一人に理解と力添えを呼び掛け、自身を含む全関係者のゴールは、“何も起こらない大会”だと記事は締め括られていました。
 
賛否両論はある中ではありますが、こうして「開催と成功のために」奮闘されている方々を思えば、軽々にオリンピック開催に対しての意見を述べるべきではないと考えるところであります。
 
さて、万全の準備といえば、当然その際たるは、大会の主人公であるべきアスリートな訳ですが、こうした選手に対して、心許ない言葉をぶつけてくる「輩」はいるようで、実は大変憤りを感じています。
 
それは、これまでもエールを送り続けてきている、競泳の池江璃花子選手に対してのものであるから尚のこと。
 
Twitterを始めとするSNS上では、池江選手に対して「五輪辞退を求める」、「開催反対に声を挙げて欲しい」といった趣旨の投稿や、さらに許せないのは「悲劇のヒロインを装うのは止めろ」とまで書かれたりもしていること。
 
ここまで来ると、とても人の気持ちを持った、同じ人間とは思えません。
 
こう書いていても、沸々と怒りが込み上げてくる訳ですが、当の池江選手は投稿を受けてのコメントを以下のようにTwitte上で述べています。
 
(Twitterは1投稿100文字以下の制限があるため、池江選手は4つに分けて投稿。以下、全文掲載します)
 
いつも応援ありがとうございます。
Instagramのダイレクトメッセージ、Twitterのリプライに「辞退してほしい」「反対に声をあげてほしい」などのコメントが寄せられている事を知りました。もちろん、私たちアスリートはオリンピックに出るため、ずっと頑張ってきました。ですが、↓
 
今このコロナ禍でオリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然の事だと思っています。私も、他の選手もきっとオリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけだと思っています。1年延期されたオリンピックは↓
 
私のような選手であれば、ラッキーでもあり、逆に絶望してしまう選手もいます。持病を持ってる私も、開催され無くても今、目の前にある重症化リスクに日々不安な生活も送っています。私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。ただ今やるべき事を全うし、応援していただいてる方達の↓
 
期待に応えたい一心で日々の練習をしています。オリンピックについて、良いメッセージもあれば、正直、今日は非常に心を痛めたメッセージもありました。この暗い世の中をいち早く変えたい、そんな気持ちは皆さんと同じように強く持っています。ですが、それを選手個人に当てるのはとても苦しいです。↓
 
長くなってしまいましたが、わたしに限らず、頑張っている選手をどんな状況になっても暖かく見守っていてほしいなと思います。
 
この池江選手のコメントを見て、涙が浮かびました。
 
病を克服し、ようやく出場権を得た池江選手は、心痛めているに違いないところ、自身のことのみならず、全てのアスリートの気持ちを代弁しているかのような姿、この言葉を聞き、さらに開催可否を軽々に語ることはすべきでないこと、出来ることは「あたたかく見守ること」であることと強く心に留めた次第です。
 
オリンピック開催可否について意見があれば、決定権のあるIOCや開催国である日本政府や東京都に向けて言うべきであり、アスリートに矛先を向けるのは一番やってはいけないこと。
 
もし、身近でそういうことを仰る方がいるのなら、怒りは抑え、そうして諭すことが、アスリートを守ることにつながると思い、私自身も行動したいと思います。
 
最後に、互いに責任逃れをしているように映っては、先に挙げたような心許ない言葉は増長されるばかりと思うところであり、日本政府や東京都に対しては、コロナ禍での開催となることを踏まえ、通り一遍の言葉でなし崩し的に時間を経過させるのではなく、こうした中にあっても「東京オリンピックを開催することの意義」を明確に国民、いや全世界に向けて発信する責務があると考えます。
 
でなければ、「お・も・て・な・し」と湧いた開催決定の瞬間も台無しどころか、全て逆効果に終わる可能性すらあり、そのことが最もアスリートを苦しめることになると考えるところであり、最もやってはならないことと思う次第であります。
 

【昨夕の風景。妙な色合いの空は、私の気持ちとオリンピック開催への複雑な国民感情を表しているように感じました。】