悠久の歴史をもつ国家「日本」

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トルコ南部のシリア国境近くで起きた大地震では、トルコとシリアの両国でこれまでにあわせて2万1000人以上が死亡したとのこと。
 
まずもって、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに被災された皆様にお見舞い申し上げます。
 
遠く離れた異国のこととはいえ、阪神淡路大震災や東日本大震災を経験した日本人にとって、崩壊した建物や犠牲者を救助する姿は他人事とは思えないもの。
 
これを受け、日本政府は現地に派遣する国際緊急援助隊の医療チームに資機材を迅速に届けるため、自衛隊機による輸送を行うことを決めたほか、トルコとシリア両国に対する資金面での人道支援として、ODA(政府開発援助)による緊急支援も早急に実施しており、こうした対応が少しでも支援につながればと、一国民として願う次第です。
 
さて、そうした思いのなか迎える「建国記念の日」。
 
初代天皇である神武天皇が即位したとされる日ですが、元をたどれば、それまで旧暦1月1日(1月29日)を「神武天皇即位日」としていたものを明治6年3月7日の太政官布告第91号「神武天皇御即位日ヲ紀元節ト称ス」によって、「紀元節」に改称。
 
同年7月20日太政官布告第258号によって、紀元節の日付を2月11日に改めたところから始まります。
 
明治5年に太陽暦採用を施行したことも影響するものの、新暦採用を宣する詔書には、太陽暦の精密に対して「太陰暦には不便が多過ぎる」とのみ述べており、「国際標準に合わせる」との主旨は一言もなかったとのこと。
 
国際慣例に従っていこうとする中においても国家の意思の自主性を明示したい明治政府の矜持をそこに読み取ることができる訳ですが、改めて先人たちのそうしたプライドたるものを感じるところです。
 
なお、祝日法では「建国をしのび、国を愛する心を養う」日としています。
 
世界で唯一、万世一系で国柄を守り続けてきた日本。
 
明治政府が2月11日を紀元節の祝日と定めたそこには、悠久の歴史をもつ国家の素晴らしさを再認識し、国民一丸となって危機を乗り切ろうとする意味があった訳であり、まさに難局を迎えているいま、祝日に込められた意味を今一度思い返す日にしたいと思います。