御巣鷹山の事故から今日で36年

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昨朝は、毎週水曜日に実施している辻立ちの日。
 
この日もいつものように、母体労組の役員1名と一緒に立っていると、向こうからワンちゃんが1匹駆け寄ってきました。
 
辻立ちしているとよく見掛ける近所のワンちゃんで、どうやら飼い主のオジさんがリードを外した瞬間、離れたとのこと。
 
ワンちゃんからすると、この界隈では「新参者」の私たちが、毎週ここに立っているのが気になっていたのかも知れませんね。
 
こうして暫し、飼い主のお迎えが到着するまでの間、ワンちゃんを携えての辻立ちとなりましたが、道ゆく車からすると「珍光景」の姿に、思わず車内からは笑みも。
 
夏本番のはずが、県独自のコロナ緊急事態宣言に加え、どんよりとした天気ということもあり、どこか気分も曇りがちですが、こうして少しでも明るく上を向いて、笑顔忘れず過ごしていただけるよう頑張っていきたいと思います。
 

【後で考えると、のぼり旗にワンちゃんを従えてとなると、私はさしづめ「桃太郎」気分を味わったということか?】
 
さて、「上を向く」といえば、東京2020オリンピックの閉会式では、世界的に親しまれた坂本九さんの「上を向いて歩こう」の歌声が会場に流れ、多くの人を感動させたシーンが思い出されますが、36年前の今日8月12日は、その坂本九さんらが乗った日本航空123便の旅客機が群馬県御巣鷹山に墜落した日であります。
 
36年前のこの日、私は中学生で、友らと夏休みを過ごしていた訳ですが、テレビがすべてこの事故のニュースに切り替わったことを今でも鮮明に覚えています。
 
この事故を契機として、毎年8月12日は「航空安全の日」、または、犠牲になられた方々の遺族らでつくる「8・12連絡会」が編集したメッセージ集のタイトルから「茜雲忌」とも呼ばれている訳ですが、日本航空のホームページには、事故のことを安全と品質に係るページに掲載し、次のように残しています。
 
(以下、日本航空のホームページより)
 
JA8119 御巣鷹山事故(123便事故)
 
JAL123便JA8119号機は、1985年8月12日、乗客509名、乗員15名が搭乗して、18時12分大阪(伊丹)空港に向け羽田空港を離陸しました。
巡航高度24,000フィート(7,315メートル)に到達する直前、伊豆半島東岸に差しかかる18時24分35秒、同機に「ドーン」という音と共に飛行の継続に重大な影響を及ぼす異常事態が発生しました。
機体後部圧力隔壁が破壊して、客室内与圧空気が機体尾部に噴出し、APU(補助動力装置)及び機体後部を脱落させ、垂直尾翼の相当部分を破壊し、それに伴い動翼を動かす油圧装置が全て不作動となりました。
以後、同機は激しい上下・蛇行運動を繰り返しながら約32分間飛行を続けましたが、18時56分頃群馬県多野郡上野村の山中(標高1,565メートル、御巣鷹山南方の尾根)に墜落しました。
本事故の原因は、同機が事故の7年前(1978年)大阪空港着陸時に起こした尾部接触事故の修理に際し、ボーイング社により行われた後部圧力隔壁の上下接続作業の不具合にあり、7年間の飛行でその部分に多数の微小疲労亀裂が発生、次第に伸長し、この飛行で隔壁前後の差圧が大きくなった時点で亀裂同士が繋がり一気に破壊が進み、2ないし3平方メートルの開口部ができたものと推定されています。
(運輸省航空事故調査報告書要約)
捜査・救難活動は事故後ただちに開始されましたが、人里離れた山中でもあり、墜落場所の確定も遅れ、救難隊の現地到着は翌朝となりました。乗客・乗員524名のうち520名の方が亡くなられ、4名の方が重傷を負われながらも救出されました。
 
同社のホームページには、「御巣鷹を忘れるべからず」の如く、安全憲章に始まり、安全管理体制やこれまでのトラブルと安全対策など、様々な取り組みが紹介されていますが、「安全を大前提として考え行動する人財を育成する」との項では、この数年で123便事故を経験した社員のほぼ全員が定年を迎える中、現人の貴重な経験や安全への想いを絶やすことなく次世代へ引き継ぐことで、常に安全を大前提として行動する人財を育成するとの考えがありました。
 
また、JALグループの「安全の礎」の項には、御巣鷹の事故の悲惨さ、ご遺族の苦しみや悲しみ、社会に与えた航空安全に対する不信の前で、二度と事故を起こさないと誓うとともに、事故の教訓を風化させてはならないという思いと、安全運航の重要性を再確認する場として、安全啓発センターを2006年4月24日に開設し、JALグループでは、この安全啓発センターを「安全の礎」とし、すべてのグループ社員がお客さまの尊い命と財産をお預かりしている重みを忘れることなく、社会に信頼いただける安全な運航を提供していくための原点としていきますともありました。
 
ちょうどある新聞の記事に、「啓発施設で悲惨さ伝える 〜事故知らぬ世代が案内役〜」とのタイトルで、この安全啓発センターのことが記載されていて、その記事には、羽田空港にあるセンターで今年から案内役となった、同じJALグループ会社で整備士を勤める36歳男性のと客室乗務員の28歳女性の言葉がありました。
 
訪れた人(社員や見学者)の心にいかに訴えかけるのかに模索を続けつつ、女性社員は「私の中でまだ答えはない。でも案内役として活動する中で、安全について日々考え、行動していくことが大切だと実感した。」とありました。
 
まさに、団塊の世代の引退などによる技術や安全文化の継承は、航空産業のみならず、日本のものづくり産業のすべてに関わる課題であり、こうした若い社員が、過去の教訓を「自分ごと」として捉え、考え続けることこそ大事なことと改めて感じた次第です。
 
さらに、同社のページにはこうも書かれています。
 
技術の進歩、訓練による技量の向上、ヒューマンファクター研究など、航空業界全体の不断の取り組みによって、航空安全の向上が図られており、2015年の航空事故発生率は、100万回飛行あたり0.32件と、1959年の発生率の約1/50になっています(IATA報告書による)。
この航空事故の発生率をさらに改善するためには、確固とした安全文化を組織に確立することが重要であると考えられています。
 
世の中には「ゼロリスク」は存在しないものの、こうした考えに則って、極限までリスクを低減させる弛まぬ取り組み、安全文化の醸成を進めることは、まさに原子力産業と同じであり、信頼と安心の日本の技術をともに高めていければと考えるところです。
 
最後になりますが、御巣鷹の事故により犠牲になられた520名の方々に対し深く哀悼の意を捧げるとともに、亡くなられた方々とその御遺族の皆様の「無念」の思いに立って、各産業分野でさらなる安全性向上が図られることを期待いたします。