「説明責任」を果たすことの意味合いとは

ブログ 活動報告

埼玉県ふじみ野市の立てこもりで、人質となった医師が銃で撃たれ殺害された事件。
 
まずは、殺害された医師のご冥福をお祈り申し上げるとともに被害に遭われたクリニック関係者の皆さんにお見舞い申し上げます。
 
これまでの調べにより、県内の他の病院でも、母親の治療を巡り、容疑者が希望する治療法に対して、医師が「そこまでする必要はない」などと断ると、病院に長文の抗議文を送るなどのトラブルを起こしていたことや今回の立てこもりに関しても「自殺しようと思い、自分だけではなく医師やクリニックの人を殺そうと考えた」と供述していることも判明しているとのこと。
 
母親を思う気持ちが募ってというには度が過ぎた、身勝手なこの行為は決して許されまじことであるとともに、「説明責任を尽くす」の言葉も意味をなさない、こうした人間の感情はどこから生まれるのか暫し考えてしまった次第です。
 
大阪のビル放火や東大前での殺傷事件、そして今回の立てこもりと続く、罪のない人をも巻き込む身勝手極まりない昨今の事件を見るに、日本社会にある陰の部分を感じてなりません。
 
解のない話題から入っていまい恐縮ですが、先にありました「説明責任」の言葉は、議員のように公の立場にあるものは特に意識しておくべきこと。
 
掲げた公約に対する取組みに対してということもあれば、例えば、行政で課題となっている事案に対して議会はどう対応しているかなど、意味合いは様々なれど、大抵の場合、誤解や摩擦は「丁寧な説明を欠く」ことによって生じるものであり、自分自身そう言い聞かせ活動しているところです。
 
そしてさらに言えば、そうして「説明を欠く」ことが続けば、人々の関心は低くなり、つまりは存在意義自体が薄まり、やがて淘汰される。
 
これは何も議員に限ったことではない、企業や社会にある自然の構図と思う訳ですが、ここで悲観的なことを申し上げるつもりはなく、裏を返せば、「説明責任を果たす」ことは、関心や存在意義を高め、誤解や摩擦を低減することができるということ。
 
ポジティブ思考で言えば、「やらなければならない」とのいわゆる「使命感」や「やらされ感」というよりも、こうしたプラスの側面につながるとの目的意識のもと取組むものかと思うところです。
 
手前味噌で恐縮ですが、そうした思いのもと、今回の「やまたけNEWS」は新聞折込みに加え、最近では新聞を取らない若い世帯もあるとのことから、自分の住むひばりヶ丘町と関係性の深い大比田区のお宅へは昨日、全戸ポスティングさせていただきました。
 
また、地域での集合型開催は難しい状況が続いている「活動報告会」に関しては、初チャレンジした昨年7月に続き、今回オンラインで開催することで、ポスティングに合わせてご案内(ひばりヶ丘町のみですが)をさせていただいた次第です。
 
オンライン報告会は。今後、地域の皆さんに限らず、対象を広くして開催をしていきたいと考えるところですが、自分自身ができる精一杯の「丁寧な説明」を心掛け、実践していく所存です。
 
決して欠いてはならない「説明責任」。
 
何回も言うようで申し訳ないのですが、「コロナ禍だから」はただの「やらない」言い訳に過ぎません。
 
今後も引き続き、「どうしたらできるか」を常に考え活動にあたっていきますので、皆さんお気づきの点やご意見あらば遠慮なく、私まで届けていただけますようお願いいたします。
 

【「やまたけNEWS」とセットでお届けした「オンライン報告会」の開催案内。ひとりでも多くの方に参加いただければと。】