明治の思い抜きでは語れない「憲法記念日」

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憲法記念日の今日。
 
1947年のこの日に日本国憲法が施行されたのを記念して、1948年に国民の祝日として制定されたことは周知の事実でありますが、昨今の改憲論議にも触れ、国民ひとり一人が自国の憲法について考える日になればと願うところです。
 
かくいう私自身の憲法に対する考え方に関しては、これまでにも幾度かブログ掲載していますので、お時間ある方は是非、以下お読み取りいただければ幸いです。
 
 →→→誇りある我が国「日本」に相応しき憲法に(2019年12月9日ブログ)
 
 →→→改憲論議を閉塞する日本社会の将来に光を見出す機会に(2021年5月3日ブログ)
 
このブログでも述べておりますよう、現行の「日本国憲法」を考えるにあたっては、その前にあった「大日本帝国憲法」の存在を思い返さねばならない訳ですが、当時の日本は西洋列強の圧力の中で国家としての生き残りを懸ける中で、文明国になるため、権力分立と権利保障を備えた立憲主義の体制が必要との認識のもと、伊藤博文ら明治の首脳らが制定したのが「大日本帝国憲法」であったとの歴史は忘れてはならないこと。
 
余談ではありますが、日本がアジアで初の近代的成文憲法を制定した1889年2月には、英国の「ザ・タイムス」が明治天皇を「東洋における最初の立憲国の君主」と称賛したように、明治日本の最も大きな事跡の一つが憲法の制定であったことは明白な事実として残っています。
 
以降、立憲国として近代国家の歩みを進める中で二つの大戦があり、とりわけ大東亜戦争での敗戦の後、戦勝国に突きつけられた現行憲法は、外交防衛の第一人者である田久保忠衛氏の言葉を借りれば、「歴史、伝統、文化を破壊された屈辱感、という一言に尽きる」ものであり、また、日本国憲法草案(GHQ案)提示の際に「我々はいま、原子エネルギーの暖を楽しんでいる」と被ばく地の悲惨ささえ嘲笑うかのような態度のうえで、「案を受け入れれば天皇の地位は安泰だ」など強迫的な説明を受けた、当時の吉田茂外相の無念を今の日本人は想像できるだろうかとの問いに、あるのは忸怩たる思いのもと平伏すしかなすすべなく受け入れたこの憲法を「いつか真に我が国のものにする」との思いしか浮かび得ない訳であります。
 
一方国会では、従前より衆参両院で憲法審査会が開催されているところでありますが、一部野党やメディアからは、新型コロナの際は「コロナのどさくさに紛れて改憲論議を進めるな」、そして今のロシアのウクライナ侵略に際しては「ウクライナ情勢を引き合いに改憲を進めるべきではない」などとの牽制する声があるものの、眼前に有事が迫っているからこそ議論を前に進めるのが政治の役割と考えるところです。
 
とかく、ウクライナ国民が祖国や故郷、愛する人々を守ろうと立ち上がり、欧米諸国や日本はそれを支援していることを鑑みるに、我が国の無責任且つ惰弱とも言える憲法前文で良いのか。
 
つまりは、戦後日本の平和を守ってきたのは、突き詰めれば自衛隊と日米安全保障条約に基づく米軍の抑止力が平和を守ってきたといえ、憲法前文やそれに連なる第9条ではなかった訳であり、国際法や他国の主権を尊重してこなかった中国や北朝鮮、旧ソ連・ロシアが、日本の9条を尊重するはずもないことは、尖閣諸島や相次ぐ弾道ミサイル発射、そして今回のウクライナ侵略を見れば火を見るより明らかなこと。
 
もちろん、改正すべきは前文や9条だけではありませんが、国家の最高法規である憲法の原点は何なのか。
 
神武天皇から続く万世一系により統治・継承される我が国の体は、今上天皇にて126代を数え、二千年もの間、権威と権力とを分離し、独自の文化を有し、祭祀王を持つ世界で唯一の国が「日本」であり、古から刻まれた歴史と先人たちの命と思いのもとに今があるとの認識に立てば、この誇り高きわが国の憲法は、次代、将来に亘り引き継いでいくためのものでなければならないと強く認識するところです。
 
改めて、本日は憲法記念日。
 
今一度、立憲国家たる我が国の歴史とそれに相応しい憲法のあり方について考える日にしたいと思います。
 

【はためく国旗に歴史と先人の思いを重ね】