原子の灯から半世紀、Fukushima50に思う

ブログ 原子力

1970年3月14日に日本原子力発電敦賀発電所1号機が営業運転を開始してから、昨日で50年。
 
半世紀前のこの日、原子の灯が大阪万博にも送られ、我が国における新たなエネルギーの時代が幕を明けました。
 
1972年生まれの私にとって、また入社当時から敦賀発電所1号機の保修業務に携わってきた立場として、「敦1(つるいち)」は、親友でもあり、親でもあり、同志でもあるような、単なる原子力施設や職場を通り越した存在でした。
 
そして、敦1に関わる人。
原電の先輩は勿論のこと、関連・協力企業の皆さん、メーカーの皆さん、携わる全ての人が敦1を大切にし、担当する設備を愛車や我が子のように可愛がる姿を見て育った私の中には、自然と強いマイプラント意識が芽生え、廃炉となった今でもその思いと育ててもらった感謝の気持ちは続いています。


 
そんな日に思いを馳せながら観た「Fukushima50」

 
故郷に背を向けなければならなかった方々、故郷を守るために命を張ってプラントを守った方々、原子力発電の黎明期から続く先人達の思い、自然の脅威、原子力に携わる自分、そして今。
 
様々な思いが交錯し、感情を抑えることが出来ませんでした。
 
ここで、これ以上感想を述べることはしません。
只々、「死の淵を見た男」吉田所長の思いとは何であったのかを常に自問自答し、原子力に携わるひとりとして役割を果たすのみであります。