一輪の朝顔と脅威に対する危機管理

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穏やかな秋晴れとなった昨日。
 
特段の公務もなかったことから、妻、愛犬と暫しドライブに出掛けた後、庭の掃除などをし過ごしました。
 
例年であれば茶色の葉のまま落ちてしまう我が家の庭木ですが、今年は赤々と紅葉。
 
植樹してから初めてではなどと話していると、その木の幹には、夏に植えた朝顔が一輪、力強く花咲かせていました。
 
また別の花壇に目を向けると、こちらはピンクの薔薇が一輪咲いており、秋も深まる中にあっても凛と咲く姿に元気をもらった次第。
 
遠くへは行かずとも、こうして身の回りにある自然の力、美しさを大切にしていきたいと思います。
 

【この時期でも凛と咲く、一輪の朝顔】
 
さて、穏やかな秋のワンシーンとは打って変わりますが、ここ最近の私の関心事は尖閣諸島周辺の動き。
 
尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域で20日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認。
 
これで尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは33日連続となっており、第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載していたことから領海に近づかないよう巡視船が警告したとのこと。
 
また、一昨日には中国海軍の測量艦1隻が鹿児島県の屋久島と口永良部島付近の海域で17日夜に領海侵入したと防衛省が発表。
 
同省が中国海軍艦艇の領海侵入を確認して公表したのは、平成29年7月以来で4度目となり、武器使用が可能になる自衛隊法に基づく海上警備行動は発令されなかったものの、日本政府は、外交ルートを通じて中国政府に懸念を伝達したとあります。
 
さらに、日本周辺で見ると18日以降、中国とロシアの駆逐艦など計3隻が対馬海峡経由で、東シナ海に入ったのを確認したほか、19日には、中国とロシアの爆撃機それぞれ2機ずつが、日本海や東シナ海で長距離飛行し、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)しており、防衛省は、中国がロシアとも連携し活動を活発化させているとみて警戒を強めています。
 
以前にもあった、中国とロシアによる「日本列島を舐め回す」かのような挑発行為に対し、毎回「懸念を伝達」するという対応となっているのが現状ですが、やはり日本政府自身が毅然とした態度を示し続けるほか、私たち国民ひとり一人も「そこにある脅威」を強く認識しておく必要があると思うものであります。
 
ある新聞を読んでいましたら、「専守防衛から“戦略守勢”へ転換を」との東洋学園大学客員教授・元空将の織田邦男氏の記事が掲載されていました。
 
記事には、我が国の安全保障政策の基本に「専守防衛」がある。これは国際用語ではなく、国内で通用する政治的造語である。それだけに同床異夢が生じやすく、安全保障論議を稚拙なものにしてきた。未だに「一切攻撃しないで守りに徹する」と真顔で主張する政治家もいる。
 
防衛白書は次のように説明する。「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」。
 
似た用語に「戦略守勢」がある。こちらは国際用語だが似て非なるものがある。武力攻撃を受けてはじめて立ち上がるのは同じだが、違うのは「必要最小限」でなく「合理的」であるところだ。
 
「鶏を割くに焉(いずく)んぞ牛刀を用いん」という故事がある。小さなことを処理するのに、大げさな手段を取る必要はないという喩えである。だが危機管理においては、「牛刀」が求められる。
 
との冒頭文節があったうえで、最後には、
 
「専守防衛」は平和主義の幻想を生み自己満足に陥りやすい。だが攻撃を受けてはじめて立ち上がることから、実際には国民に被害が出ることを前提とした残酷な政治姿勢であることを国民は承知しておかねばならない。
 
と結んでいます。
 
筆者がここでいう「牛刀」は、様々な意味が込められた例えかと思いますが、最大の意味合いは「刀」を持つことを可能にする「憲法改正」にあると、私は理解したところです。
 
先に述べた既に日本周辺にある脅威に対し、我が国の国土、国民の生命と財産を守り続けるためには、確固たる信念と覚悟を持った判断がなければならない訳であり、求められる毅然とした態度を思うに、厳しき寒さに向かう中にあっても凛と咲く、一輪の朝顔の姿が重なった次第です。