改憲論議を閉塞する日本社会の将来に光を見出す機会に

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降ったり止んだりのぐずついた天候が続きましたが、今日は久々に晴れの予報。
 
どこへ出掛ける訳ではありませんが、外の空気を吸いリフレッシュといきたいものです。
 
ここ最近の感染状況から、どうしても触れざるを得ない新型コロナウイルスですが、県内では昨日14人の新規感染者、うち1名は敦賀市の30代女性であるとの発表。
 
敦賀市においては、一昨日、感染確認のあった気比中学校の生徒並びに教職員の計419人に対しPCR検査を行った結果、全員「陰性」ということで、ひとまず安堵していたところでしたが、感染確認された女性は、以前に確認された中郷小学校由来とのことですので、やはり油断は禁物。
 
決して予断を許さない状況であることだけは肝に銘じておかねばと考えます。
 
但し、福井県は、令和2年3月以降に確認された新型コロナ新規感染353例のうち、調査中の8例を除いては、感染経路が不明なものは4例という少なさ。
 
感染された方のご協力のもと、経路が追えているというのは、ひとつ安心感にもつながるものです。
 
また、全国大で見ると、人口10万人あたりの感染者数では、90.142人の大阪をトップに、23位の千葉県までは、政府分科会指標ステージIII(感染者の急増段階)以上となる15人以上のところ、福井県はといえば、5.339人で全国45位となっています。
 
県独自の緊急事態宣言発令中ではありますが、疑わしきは全てスピーディーに検査するとの考えで、徹底的にPCR検査を行っていただいている効果が、こうした感染拡大抑制効果として表れていると受け止めるところであり、保健所や医療機関、行政関係者の皆さんには、重ね重ね感謝の意を表するところです。
 
日本における新型コロナウイルスの流行は、従来株から感染力の強い英国型変異株に急速に置き換わりつつあり、さらには新たにインド由来の変異株が国内でも見つかっています。
 
英国株の感染伝播の力は、従来株の1.3倍から1.6倍とされ、大阪府では、重症者が増えるスピードが、第3波のときの3倍にもなっていることや40代の死亡例も出ており、若くても重症化すると考えて警戒すべきところに加えてのインド株。
 
インドでは連日、30万人を超える感染者が出ており、爆発的な流行原因の一つになっていて、「酸素不足」で人が陸の上の魚のように死ぬともあるこのインド型の存在には、特に警戒せねばなりません。
 
さて、前置きが長くなりましたが、本題は、本日5月3日に迎える「憲法記念日」。
 
この祝日はご承知の通り、1947年5月3日に日本国憲法が制定されたことを記念し、「国の成長を期する」との趣旨を込め、1948年に公布・施行されたもの。
 
現行憲法に対する私の考えについては、これまでも何度かブログにも考えを述べてきているところですが、制定から70年を経て、未だ一度も改正がされていない憲法というのは世界でも極めて稀なものとなっていることや、そもそも大日本帝国憲法に比較し、日本人としての精神を骨抜きにするが如く、戦勝国に押し付けられたものであったことは屈辱的でもあったことからすれば、単に制定を祝う「祝日」ではなく、実は先人の「屈辱」の思いが込められた日でもあると、私は認識しているところであります。
 
一部野党からは、憲法改正論議を新型コロナ感染のどさくさに合わせて行うなとの声もありますが、何年もの間「安倍政権の下では議論しない」と訳の分からぬ理由でズルズル先延ばしにしてきた張本人こそ一部野党な訳であり、国の命令権と国民の人権との関係の曖昧さが顕著になった新型コロナに関する特措法自体がそうであるよう(今も「私権の制限」無き緊急事態宣言発令の効果を疑問視されている)、憲法と各法との矛盾を正していく必要性があることに加え、中国・ロシア・北朝鮮など、我が国を取り巻く状況や国際社会が混沌とする中であることを踏まえ、国の根幹をなすべき憲法については先送りすることなく論議すべきと考えます。
 
そういった背景も踏まえ、国民の皆さんひとり一人が、憲法と国のあり方について関心を持つ日になればと思います。
 

 
国会の憲法審査会における国民投票法改正審議並びに今後続く改憲論議においては、「与党は度量を、野党は良識を持って議論すべし」というのが肝要であるとのこと。
 
私もそうした認識を持ちつつ国会議論を注視するとともに、一昨年12月9日に記載したブログの末尾部分を再掲させていただき、憲法記念日を迎えるにあたってのスタンスとさせていただきます。
 
(以下、スタンス再掲)
 
新たな時代に入り、先の大戦の惨禍と自虐史観から脱却しつつ、過去の歴史とこれからの未来を重ね合わせ、まずは日本人らしさとは何なのかを今一度見つめ直すこと、世界の大国となった「日本」、他文化や宗教を受け入れられる寛容な心を持った「日本」が、これから国際的に何をどう貢献していくのか、世界の中でどのような役割を果たしていくのかの視点のもと、「日本人であることに誇りを持って」憲法改憲に向けた国民議論が巻き起ることこそが、戦後75年を経て真に新たな歩みを踏み出す一歩になるものと考える。
 
当然、制定から初の改憲は政党間、国民の間でも議論が別れ、ぶつかり合うことは必至であり、当然のこと。
 
大日本帝国憲法により近代日本の礎が築かれ、目覚ましい国家の発展を遂げたことを思い出し、この改憲論議が、閉塞する日本社会の将来に光を見出す機会となるよう、私自身もその覚悟と信念のもと、真正面から論戦できるだけの考えを持ち、議論に参画していきたい。
 
※より詳細にご覧いただける方は是非、以下の「やまたけブログ」をお読み取りください。
 →→→誇りある我が国「日本」に相応しき憲法に(2019年12月9日掲載)