今なお生き続ける「萬世永頼」に込めた思い

ブログ 敦賀の歴史・文化

新型コロナウイルスを巡る政府の水際対策の大幅緩和と全国旅行支援が始まってから初の週末。
 
ニュースを見ていると、各地の観光地には多くの人が訪れ、かつてのにぎわいが戻ったかの様子が映し出されるなど、感染者数の減少傾向を見て、早速旅行を決めた人がいる一方で、再流行を懸念する声もあり、まだまだ手放しで喜べる状況ではないと認識するところ。
 
かくいう私は近場でお出掛けということで、昨日はお隣の滋賀県長浜市へ。
 
14日に鉄道開業から150年を迎えたことは、先日ブログでご紹介した通りですが、長浜市の鉄道資料館に展示されている蒸気機関車の汽笛が修理され、12日にはおよそ50年ぶりに鳴らされたとのニュースを見て、ホットな話題に惹かれて目的地に据えたもの。
 
当時国内最長の柳ヶ瀬トンネルを経て敦賀とレールでつながった長浜ですが、南越前町と合わせ、3市町で日本遺産を形成する関係の深いまちであり、改めてそうした歴史に思いを馳せつつ車を走らせたところ。
 
お目当てのD51形蒸気機関車は、昭和45年までおよそ27年間、東海道や東北などを走ったもので、国内に現存する最古の駅舎を活用した鉄道の資料館「長浜鉄道スクエア」に格納、展示されており、見事なまでに磨き上げられていることに思わず感嘆の声を挙げてしまいましたが、座った運転席では、当時の機関士気分になることができました。
 
あいにく、汽笛の鳴る時刻は2時間に一回ということでタイミングが合いませんでしたが、およそ100万円をかけて修理されたという音色は、また次の楽しみに取っておきたいと思います。
 

【美しい姿で保存、活用されるD51蒸気機関車(デゴイチ)】

【運転室に座ると、当時の情景が浮かぶよう】
 
また、長浜鉄道文化館では、柳ヶ瀬から敦賀、山中へと難所を攻略して進む蒸気機関車の姿、各駅の様子を記録映像や鉄道資料にて拝見しましたが、特に、蒸気機関士にとって、長大な柳ヶ瀬トンネルの中を走ることは窒息などの危険があり、まさに命懸けであったこと、排煙装置など様々な対策が施されたことを知りました。
 
文化館を出、外に並ぶ石領や石碑をじっくり見るに、敦賀側にある山中や柳ヶ瀬トンネルに掲げられていたものが、何故ここにあるのか若干悔しい気持ちにもなりましたが、それにしても伊藤博文や黒田清隆ら、歴史に名を残した人物の題字からは、この長浜ー敦賀間開通に懸けた明治政府の並々ならぬ思いを感じた次第。
 
その伊藤博文が柳ヶ瀬トンネル東口(滋賀県側)に残した石領には「萬世永頼」との言葉が記されていました。
 
「万世永く頼む」と詠み、「この鉄道が世のために働いてくれることを、いつまでも頼りにする」という意味とのこと。
 
柳ヶ瀬トンネルは、鉄道トンネルとしての存在ではなくなったものの、今もなお自動車用トンネルとして活用されているばかりか、今庄までのトンネル群は県道として「現役」であり、まさに役割を変えて、伊藤博文の期待を果たしていると感じたところです。
 
こうして体系的且つ思いを込めて鉄道遺産を残し、活用する長浜市には敬意を表するところであり、わが敦賀市もより一層、「鉄道と港のまち」の名にふさわしい保存活用をせねばと感じる、鉄道巡りの一日となりました。
 
もう暫しは、人混みを避け、近場での学びや気づきスポットを楽しむ秋にしたいと思います。
 

【伊藤博文が残した「萬世永頼」の文字。約150年前の言葉にずっしりと重みを感じた次第】