敦賀で開催される「原子力発電所に関する説明会」

ブログ 原子力

「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く言ったもので、春分の日の昨日は18度まで気温上昇。
 
朝のうちにとタイヤ交換をしましたが、Tシャツ1枚でいいくらいの汗ばむ陽気となりました。
 
近くのグラウンドの桜のつぼみもピンクに色付き、いよいよ北陸も春ですね。
 
さて、そんな昨日は、午前中は区の役員にて、4月に開催する総会資料の準備、区内道路とゴミステーションの点検パトロール。
 
午後は、妻と帰省中の長女、それに愛犬「きゅう」を連れ、北陸自動車道南條SAのドッグラン、日野川河川敷へとドライブ、夕方は明日の議会最終日に討論通告している令和3年一般会計当初予算案に係る討論原稿の最終チェックと、自分で言うのも何ですが、オンとオフのメリハリの利いた1日となりました。
 
このうち、区の総会資料準備では、役員11人にて、A3両面で6枚ほどの資料を「人間ソーター」、ホッチキス留め、班ごとの仕分けまでを分担し、約500部を30分程度で完成。
 
連綿とこうした皆さんの協力があって、効率的な運営が出来ているのだと改めて感じました。
 
道路やゴミステーションの点検では、普段車で走っていても気付かぬ「穴ボコ」や昔からある班のステーションでは、錆でドアレールが欠損している箇所があったりと、年に一回はこうして確認をし、こまめに補修、ケアしていくことで、これまた安心・安全の暮らしが維持されていることを体感しました。
 
まちの根幹を成すのは、各区であり、まさに共助の部分。
 
自らも参画することで、より住み良い、助け合いの区にしていきたいと思います。
 
さて、本日は敦賀市「あいあいプラザ」にて、福井県主催の「原子力発電所に関する説明会」が開催され、国のエネルギー政策や関西電力が保有する原子力発電所の審査などに関する説明が行われます。
 
私は、事前申込みのうえ、会場参加することとしていますが、今回は2月9日に同じく県主催で、3月4日には資源エネルギー庁主催で福井フェニックスプラザで開催された内容をドッキングさせた形であり、さらにはその際、参加者から要望のあった「嶺南での開催」が実現したものとなっています。
 
◉時 間:13時30分 ~ 17時00分
◉内 容:( )は説明者
①基準地震動の策定(原子力規制庁)
②美浜3号炉および高浜1、2号炉の審査結果(原子力規制庁)
③我が国のエネルギー政策(資源エネルギー庁)
④高浜発電所1・2号機と美浜発電所3号機に関する安全対策の取組み(関西電力)
⑤高浜地域と美浜地域の原子力防災(内閣府)
 
地元福井新聞を始め、紙面を開けば原子力に関わる記事のない日が無いという昨今。
 
国のエネルギー基本計画見直し議論も進められている中でもありますので、賛成・反対に関わらず、是非③の部分だけでもオンライン視聴いただけると幸いに存じます。
 →→→オンライン中継は、こちらのYouTube配信より
 
今回で私は3度目の会場参加となりますが、改めて、エネルギー政策は国家の根幹を成すものであり、現実的でなければならないとの考えのもと、現場でのリアルな雰囲気を感じつつ、しかと拝聴する所存です。
 

敦賀を盛り上げる高校生パワー!

ブログ まちづくり

待ちに待った球春到来。
 
昨年は新型コロナウイルス感染の影響により中止となった選抜高校野球ですが、今年は無事に開幕を迎えました。
 
試合のほうはニュースでダイジェストしか観れませんが、アルプススタンドから送られるのは声援の代わりに拍手、ブラスバンドの音色は生演奏ではなく母校で録音してきたものなど、やはりここでもコロナ感染対策に配慮しての大会運営ではあるものの、こうして夢舞台の甲子園球場で選手がハツラツとプレーをする姿が見られるだけで、本当に良かったと思うもの。
 
初日から明徳義塾vs仙台育英の好カードを始め、3試合とも接戦の試合で幕をあけましたが、5年ぶり8回目の出場となる地元敦賀気比高校の試合は、大会第5日の3月23日第3試合、相手は関東地区大会準優勝の常総学院(茨城)。
 
初戦突破で波に乗り、2015年選抜以来の全国制覇を!と言いたくなりますが、ここは甲子園でプレー出来ることへの喜びを噛み締めながら、1戦1戦大切に戦っていただき、敦賀に盛り上がりをもたらせてくれることを期待したいと思います。
 
こうして、高校球児のプレーが全国に元気を与えている訳ですが、ここ敦賀では市内の高校生が、まちを盛り上げる活動を繰り広げています。
 
ひとつは、敦賀工業高校の生徒が製作した北陸新幹線敦賀開業に向けた「カウントダウンボード」。
 
実は、昨年末には、敦賀駅交流施設「オルパーク」にて、同校の情報ケミカル科と建築システム科の生徒が製作した北陸新幹線開業予定のイルミネーションが点灯され、駅の利用者皆がそのネオンに魅了されたところ。
 
今回も同じくオルパークの通路にボードを設置。
 
開業日を2024年3月31日に設定(開業日が決定すれば切り替えるとのこと)したボードは、単に開業日までの日数を表示するだけでなく、敦賀までの沿線停車駅ボタンに触れると、そこから東京までの乗車時間に切り替わるという優れもの。
 

【開業までの日数を表示(私が訪れた3月4日時点の日数は、1123日でした)】
 
さらに、このボードは表裏で敦賀気比高校とコラボしていて、駅正面から見ると何と、ガラス越しに氣比神宮の大鳥居を新幹線がくぐる絵が描かれていました。
 

【左下の絵がカウントダウンボードの裏面、気比高生が描いた氣比神宮と北陸新幹線】
 
また、このオルパークにはもうひとつ高校生の作品が。
 
コロナ禍で沈みがちな人を元気づけたいと、今度は敦賀高校の生徒が天井からカラフルな傘をつるす装飾「アンブレラスカイ」を設置。
 
アンブレラスカイは2012年、ポルトガル中部の街アゲダの芸術祭で初めて行われ、傘と光が織りなす美しさからSNSなどで人気を呼び、これまで国内外の各地で実施されてきたとのことであり、同校では昨年11月に生徒会の発案で「上を向いて歩こうプロジェクト」として始動、1、2年生総勢50人で取り組まれたとのこと。
 
生徒は市内の小中学校や図書館などで不要な傘を集めて回ったり、敦賀商工会議所青年部に依頼し、設置費や材料費などで協力してもらったほか、活動費の足しにと募金も行ったうえで、2月19日には約100本の黄色やピンク、水色など色とりどりのアンブレラが見事に設置されました。
 
既に設置から1ヶ月が経過をしてのご紹介で恐縮ですが、生徒たちの「コロナ終息の願いを込めた」との思いが駅を訪れた人皆に伝わったものと思います(私も見上げてジーンときてしまいました)。
 


【ライトに照らされる夜だと一段と綺麗かも】
 
こうして市内にある3校の高校それぞれが何か敦賀のため、皆を元気付けようと取り組まれる姿には胸を打たれるばかりです。
 
首都圏の緊急事態宣言もようやく明日21日に解除。
 
引き続きコロナ禍は続きますが、この高校生パワーをまちの活力に変え、上を向き、前を向いて前進するのみであります。

原子力発電所の運転を巡る二つの裁判

ブログ 原子力

昨日のブログにて、18日の一番の関心事として注視するとした原子力発電所の運転に関する二つの裁判について、判決が下されました。
 
まず、四国電力の伊方発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを命じた、昨年1月の広島高裁の仮処分決定を不服とした四国電力の申し立てによる異議審について。
 
広島高裁は、四国電力側の異議を認め運転を容認する決定を下しました。
 
判決に関しては、真っ当な判断がされたものと受け止めるところでありますが、この伊方発電所3号機の運転差し止めの仮処分を巡っては、3年余りで司法判断が二転三転しており、広島高裁では今回を含め、運転を認めたのが2回、差し止めとしたのが2回、「世界最高水準の基準」とする国の新規制基準に適合した原子力発電所が裁判所の判断に翻弄されるという、いわゆる「司法リスク」が露呈する形となっています。
 
次に、日本原電の東海第二発電所(茨城県東海村)運転差し止め訴訟に関する水戸地裁の判決について。
 
水戸地裁は、判決要旨にて「人格権に基づく原子炉運転差し止め請求に係る具体的危険とは、深層防護の第1から第5のいずれかが欠落し、また不十分なことをいうものとして解釈したうえで、本件訴訟の争点のうち、第1から第4の防護レベルに係る事項については、その安全性に係ることがあるとは認められないが、避難計画の第5のレベルについては、本件発電所の原子力災害対策重点区域であるPAZ(概ね半径5キロ以内)、UPZ(概ね半径30キロ以内)の住民は94万人に及ぶところ、原子力災害対策指針が定める防護措置が実現可能な避難計画及びこれを実行し得る体制が整えられているというには程遠い状態であり、防災対策は極めて不十分であると言わざるを得ず、PAZ及びUPZ内の住民である79名との関係において、その安全性に欠けるところがあると認められ、人格権侵害の疑いがあると判断した。」との理由を示しました。
 
つまりは、耐震設計の目安となる揺れを示す「基準地震動」といった耐震性や津波の想定、火災対策などを含め、原子力発電所の安全性に関しては、日本原電の評価手法に「合理性」があるとし、原子力規制委員会の適合性判断の過程に「看過しがたい過誤、欠落があるとまでは認められない」としながらも、国の原子力災害対策指針に基づき、茨城県や周辺市町村が定める住民らの広域避難計画について、東海第二発電所の半径約30キロ圏内14市町村のうち、多くの人口を抱える水戸市や日立市など9自治体では、昨年の結審時点で広域避難計画を策定していないことや茨城県が平成27年に策定した広域避難計画についても、大規模地震で道路が寸断された場合の住民への情報提供手段具体化や複数の避難経路設定がされていないことなども挙げ、住民らの人格権を侵害する「具体的危険がある」と結論付けた形となっています。
 
これに対し、同日、日本原電はホームページ上にて「本日の判決は、当社の主張をご理解いただけず、誠に遺憾であり、到底承服できないことから、判決文の詳細を確認のうえ、速やかに控訴に係る手続きを行います。」とのコメントを発出しています。
 
発電所の安全性に関わる技術的・科学的評価に対し、日本原電の主張が認められたことは一つの試金石であると受け止めるものの、各近隣市町が避難計画策定中の現段階を捉えて判断されては、それはそれで厳しいもの。
 
裏を返せば、再稼働に向け将来的に策定が進めば、判決の視点もクリアされていくのではと私見として考えるところです。
 
いずれにしても、日本原電は「控訴」するとのことですので、今後の対応、裁判の行方に引き続き注視をしていかねばなりません。
 

【安全性向上対策工事が進む東海第二発電所(日本原電ホームページより引用)
 
このように原子力発電所運転の可否を巡る判決に関しては、福島第一原子力発電所事故後、事業者や国に運転差し止めを命じた判決や仮処分は7件ありますが、このうち5件は高裁などで判断が覆り確定したものはなく、昨日の広島高裁と水戸地裁が下した判断もその一例といった状況にあります。
 
このことは、日本のエネルギー政策を巡る不確実性の大きさを浮き彫りにするものであり、判決のたびに原子力発電所の危険性ばかりが強調される悪循環が続けば、国民理解や冷静な議論を阻害するに留まらず、我が国が今後目指す「脱炭素化」や「S+3Eを基本」とした国の根幹に係るエネルギー政策を誤らせることになりかねないと強く危惧するものであります。
 
以前の繰り返しとなりますが、三権分立の中においても、原子力発電所が大規模で複雑なシステムであるが故、その裁判に関しては、高い技術レベルと専門性を有した専門の裁判官、裁判所を置いて科学的且つ客観的に判断を下すべきではと考えるところ。
 
ここで言っていても始まらないのかもしれませんが、「司法リスク」を抱えたままの状態は、民間事業者にとって「経営リスク」を抱えたままの状態となることを忘れてはならず、与える影響やその代償の大きさを鑑みるに、国や政治は、このことをいつまでも放置していてはいけないと警鐘だけは鳴らさせていただきたく存じます。

来年度予算案の審査を終え、本会議での討論・採決へ

ブログ 敦賀市議会

先週13日のブログにて、九州電力玄海原子力発電所3、4号機の設置許可取り消しなど2件の訴えを退けた佐賀地裁判決(12日)で、原子力規制委員会の内規「地震動審査ガイド」に記載されている「地震規模のばらつきへの考慮」だけを過度に取り上げることなく、九州電力が総合的に地震への安全性を考慮していた点を踏まえ、それに基づく原子力規制委員会の判断を「妥当」と結論付けたことをご紹介しましたが、昨日17日は、関西電力の原子力発電所に関わる司法判断。
 
福井県にある関西電力の原子力発電所の運転に反対する市民グループが新型コロナウイルスが収束していない中、事故が起きると安全に避難できないと主張して運転を認めないよう求めた仮処分の申し立てについて、大阪地方裁判所は「事故が発生するという具体的な危険性が示されていない」として、退ける決定を下しました。
 
この時期に原子力発電所関係の判決が集中するのは偶然かも知れませんが、本日18日は、日本原電の東海第二発電所(茨城県東海村)について、住民らが原電に運転の差し止めを求めた訴訟の判決が水戸地裁にて、四国電力伊方原子力発電所3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを命じた広島高裁の仮処分決定を不服として、四国電力が取り消しを求めた異議審で、同高裁の決定が出される予定となっています。
 
東海第二の争点のひとつは「想定される最大の揺れとして設定する数値の妥当性」、伊方は「敷地近くに活断層がある可能性」となっており、いずれも地震、地盤に関わるものであり、冒頭の玄海、それ以前に真逆の判決がされた関電大飯の司法判断とも関連づけ、どう判決が下されるのか、今日一番の関心事として注視していきます。
 
さて、話しは代わり、昨日の敦賀市議会は、予算決算常任委員会(全体会)、議会運営委員会、広報広聴委員会と3本立ての出席。
 
予算決算常任委員会では、令和3年度一般会計予算を始めとする当初予算案件について、各分科会長報告から質疑、討論、採決までを行い、結果、全ての予算案について原案通り認めるべきものと決しました。
 
私は、産経建設分科会長として審査報告をさせていただきましたが、全議員、理事者が揃う中で14ページに亘る原稿を読み上げるには集中力が要るもの。
 
中盤、やや噛み気味となりましたが、前分科会長のご苦労を身を持って感じながら、役割を終えることが出来ました。
 
議会運営委員会では、全国市議会議長会における標準市議会会議規則の一部改定を踏まえた「欠席の届出」、「請願書への押印」について、敦賀市議会会議規則等も見直しを行うこと、最終日に採決を行う「敦賀市手話言語条例制定の件」などについて、手話通訳者を議場に配置して欲しいとの敦賀市聴覚障がい者福祉協会からの要望を受け、これに対応することを確認しました。
 
広報広聴委員会においては、「議会だより」の次号の構成に関わる件と以前に開催した「議会報告会」(コロナ禍によりケーブルテレビ放映とYouTube配信を併用)の実施報告書について取りまとめを行いました。
 
なお、議会報告会に関しては、現時点で視聴者数が200を超えていることや、県外の議会からも実施の参考にしたいと問い合わせがあったとのことであり、新たな手法で実施したことの効果、成果は確実に表れているものと評価するところであります。
 
こうして、ひとつづつ慎重審査、審議を進めてきている今定例会ですが、早いもので、残すところ22日(月)の本会議のみとなりました。
 
最終日には、各議案の採決に先立ち討論が行われますが、私も「第10号議案 令和3年度敦賀市一般会計予算」に対し討論通告をさせていただきました。
 
この議案に対しては、複数の会派、議員より討論通告がされていると聞いておりますので、時間の会う方につきましては、敦賀市の施策の方向を位置付ける予算案に対し、各議員がどのような視点で評価をしたのかをご覧いただけると嬉しく思います。
 
最後に、9日から11日に行われました「代表質問、一般質問」の録画が「敦賀市議会インターネット中継」に掲載されております。
 
ケーブルテレビ再放送を見逃された方、気になる議員だけでも見ておこうという方がおられましたら是非、以下よりご視聴いただければ幸いです。
 
ではでは、本日の「やまたけブログ」はこれまで。
 
 →→→「敦賀市インターネット中継」はこちらから
 

【敦賀市議会インターネット中継の表示画面はこんな感じです。この前の画面にて議員ごとに選択することも出来ますので。】

バイデン政権下で初の「2プラス2」開催

ブログ 政治

一昨日から特別委員会が続く敦賀市議会。
 
昨日は、今定例会開会日に新設を決めた「廃棄物対策特別委員会」が開催され、所属外ではあるものの委員会傍聴をしてまいりました。
 
設置後、初の委員会とあってか、傍聴議員は6名を数えるなど関心の高さが伺えました。
 
内容に関しては、先般議員説明会でもありました、今後進める敦賀市と美浜町の一般廃棄物の共同処理、新清掃センタ-整備事業、新一般廃棄物最終処分場整備事業の大きく3項目について説明質疑が行われました。
 
これらについては、新清掃センタ-(現清掃センターの近隣に建設予定)整備費が約138億円、赤崎の最終処分場に代わる新一般廃棄物最終処分場(金山地係に建設予定)の整備費が約43億円という巨額の税を投じるものであることから、いざ議案提案の際に的確な審議が出来るよう、今後も委員会での調査内容把握に努めていきたいと考えます。
 
さて、話しはガラリと代わり、昨日は、ブリンケン米国務長官とオースティン国防長官が来訪し、日本との外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)で、インド太平洋地域における中国の覇権的行動(海警法施行など)に対する日米の緊密な連携を確認、中国に東・南シナ海の一方的な現状変更を自制するよう警告することなどを確認しました。
 
このほか、北朝鮮の完全な非核化に向けた日米韓の連携強化でも日本と考えをともにしたなどともありますが、米両長官がバイデン政権の閣僚級として最初の訪問国に日本を選んだのは、中国の台頭に伴い「世界の地政学上の中心領域」(ブリンケン長官談)と化した、インド太平洋で米国の安全保障戦略を展開する上で、日米同盟を最も有力な基盤と位置付けているためとのこと。
 
ブリンケン氏は協議後の共同記者会見で「日米同盟はかつてなく強固だ」と表明し、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた共同行動を進めるにあたり、日米が満足のいく形で意見の一致をみたとの認識を示したともあります。
 
「世界の地政学上の中心領域」であるインド太平洋を巡っては、日米のみならず、欧州主要国による艦船派遣が相次いでおり、ドイツ国防省は今月初めに、今年8月から来年2月にかけて、フリゲート艦「バイエルン」をインド太平洋に送ると発表。
 
「法の秩序維持、航行の自由、多国間主義」を示すのが狙いだとしています。
 
さらに、英政府も16日に公表した、2030年までの外交や安全保障などの政策を定めた「統合レビュー」の中で、中国の台頭を踏まえ、インド太平洋地域について「世界の繁栄と安全保障に対する重要性が増大している」とし、同地域への関与を強化する方針を明記しています。
 
欧州連合(EU)によるインド太平洋戦略の策定を目指す動き、EUから離脱した英国は広範な国々との連携で国力増強を図る「グローバル・ブリテン」構想を掲げ、インド太平洋地域での存在感を高める考えですが、いずれもこの背景には、中国が新型コロナウイルス禍でも軍拡を進め、威圧を強めていることへの危機感があります。
 
世界各国の外交、安全保障政策の視点が、こうしてインド太平洋にシフトしてきていることは、日本にとって緊張高まる脅威でもあり、他国間連携のもと牽制、防御していくことが重要不可欠であると考えるところです。
 

【九州西方の海域で共同訓練する海上自衛隊の補給艦「はまな」(中央)、米駆逐艦「カーティス・ウィルバー」(左)、仏フリゲート艦「プレリアル」(2月19日:海上自衛隊提供写真より)。こうした多国間連携のもと、日本の安全は維持されていることを強く認識します。】
 
そうして我が領土の足下を見るに、尖閣諸島周辺の接続水域には昨日も中国海警局の巡視船3隻を確認(うち、1隻は機関砲のようなものを搭載)。
 
中国当局の船が確認されるのは、これで32日連続となります。
 
第11管区海上保安部が、睨みを効かせ警備にあたっていただいていることには心から感謝するところでありますが、虎視眈々と実効支配を狙うかの中国の姿勢に対しては、「法の解釈」ではなく「法整備」をし対応すべきではないかと、私は考えるところです。
 
2月の海警法施行以降、行動も発言も過激さを増していると感じる隣国の動きに対しては、引き続き関心高く注視をし、国民のひとりとして思考していきます。

新幹線対策特別委員会にて現況を確認!

ブログ 北陸新幹線 敦賀市議会

冒頭、事実関係だけ一点ご報告いたします。
 
以前に私や他の敦賀市議会議員が問題視していた、3月5日の衆議院内閣委員会における「原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法の一部を改正する法律」審議における斉木武志議員の発言(敦賀市職員が本法案を「カビの生えた法案」と揶揄している)について、昨日開催された敦賀市議会の原子力発電所特別委員会の場で委員から、これに対する敦賀市の対応について質問がされました。
 
敦賀市からは、斉木議員の発言は事実と異なるものであるだけでなく、敦賀市の意思に反するものであり誠に遺憾であることや、この発言が立地自治体と国との信頼関係を損なわせる恐れがあること、今後このようなことがないよう記した「抗議文」を既に議員に対し送付している旨の説明があったとのこと。
 
敦賀市のこうした対応を見れば、国会の場で発したこの発言の重大さがご理解いただけるのかと。
 
私見を述べることは一切しませんが、「地元」から抗議までされた斉木議員が今後どのように対応されるのかだけは、「地元」市議の立場としてしっかりと注視していく所存です。
 
さて、私はと言えば、昨日は新幹線対策特別委員会に出席。
 
本委員会に関しては、これまで所属外でしたので、委員会傍聴にて調査状況の把握に努めてきましたが、今回からは委員として出席。
 
2023年春開業予定から1年遅れとなったことも受け、工程管理や受け皿づくりの具現化に向け、益々重要な委員会になるとの認識のもと、初の委員会に臨みました。
 

【北陸新幹線敦賀駅舎から北側の工事状況(10日ほど前に撮影)】
 
今回の調査事項は、以下の通り。
 
1.駅西地区土地活用事業について
2.新幹線駅前広場について
3.報告事項として
(1)北陸新幹線建設負担金について
(2)並行在来線について
(3)北陸新幹線の整備状況について
 
1.駅西地区土地活用事業に関しては、①知育・啓発施設解説準備状況、②ホテル建設工事(説明会)概要、③駅西地区土地活用資金スキームの見直し、④公園レイアウトの項目について。
 
コロナ禍にはありながらも、知育・啓発施設については、市民の皆さんからより多くの声を反映すべく、引き続きネットワーキング活動を継続することやホームページのスタイル、施設通称の応募方法について説明がありました。
 
ホテル建設に関しては、2月15日に近隣地区(鉄輪町1丁目、2丁目、白銀町)の住民を対象とした説明会を開催したうえで、2022年6月末の竣工に向け来月より工事着手すること、資金スキームについては、知育・啓発施設整備費に国庫補助金を充てることにより、広場維持管理費のランニングコストを抑えることが出来る仕組みを構築すること、公園レイアウトに関しては、昨年11月に行った社会実験イベントの結果も踏まえ、ウッドマウンテンやベンチ、イベントやケータリングを行うための水・電源を確保することなどを確認しました。
 

【現時点での駅西公園レイアウト計画図】
 
次に駅東側(木の芽側)の駅前広場については、木の芽川整備までを含めたパース図がお披露目され、具体的イメージが沸いた次第です。
 

【新幹線駅前広場(やまなみ口)のパース図】
 
報告事項に関しては、現時点における敦賀市の建設負担金が約8.6億円(工期延期前より約6千万円増)になること、並行在来線については、令和4年開業としていたものを令和5年3月頃の開業に見直しすること、北陸新幹線の整備状況については、各工事区間の進捗状況を確認のうえ、1年延期の要因のひとつである敦賀駅工区に関しては、クリティカルパス(主要工程)が約1ヶ月半先行して進んでいる旨の説明がありました。
 
私自身、説明を受けての質疑では、各項目において不明に思う点、とりわけ工事工程に関しては、突如の1年延期となったことの反省として、本委員会としても精度を上げて進捗確認をしていくべきとの考えのもと、資料の見直しについて意見させていただきました。
 
理事者からの説明により、進捗率だけでは真値の工程感が見えないことも良く分かりましたので、ここは発電所の工程管理と同じく、今後はクリティカルパスに重きを置きチェックしていきたいと考えます。
 
北陸新幹線敦賀開業に向けては、駅舎を始めとする工事のみならず、駅西・東の開発など、今後は目で見て分かる変化が生じてきます。
 
ハード整備はハード整備でもちろん大事なこととして、同じか、それ以上に大事なのはソフト面。
 
即ち、開業に向けては、市民の皆さんにより積極的且つ丁寧に説明・アナウンスをすることでワクワク感を高め、敦賀全体の機運を高めていくこと。
 
この点に関しては、理事者任せにすることなく、自身もPR隊となって、積極的に役割を果たしていきたいと思います。

祝!「うららん所在(No.2)」発刊!

ブログ 地域コミュニティ

ここ最近は、議会中ということもあってブログに書く題材に事欠かない日々を過ごしており、それ故に若干遅くなってしまったのですが、実は先週末(金・土)と福井新聞の嶺南版に嬉しい記事が掲載されていました。
 
金曜日は、敦賀市の東浦地区にて、同地区の高齢化や過疎化が進む中、区長会や老人クラブなど8つの団体が垣根を越えて地域行事や交流に取り組む「東浦コミュニティ運営協議会」を設立(昨年10月)したとの記事。
 
記事ではさらに、来年度は市からの交付金も活用し、新たなスタイルの夏祭りや地区の活動を報告する広報誌の発行などに取り組むことを5月の総会で提案していくことまでが紹介されていました。
 
これに関しては、以前に東浦地区の区長会長さんからもお話しを伺っていた訳ですが、地区に住む人口の半数以上が65歳以上という高齢化にあっても地域の継承と活性化をしようと知恵を絞り取り組む姿、そしてこうして一歩前に進む役員の皆さんの姿に心から嬉しく感じること。
 
関係人口の考えも取り入れ、来て良かった、住んで良かった東浦地区を目指すとの力強い思いも込めて設立した運営協議会。
 
実は私、議員になって初めての定例会で一番最初に取り上げた質問テーマが「地域コミュニティ」でして、今でもまちづくりの一丁目一番地は「ここにあり」と考えるところであり、そうした思いも踏まえながら、今後、東浦地区とは連携をさせていただきながらお手伝いさせていただきたいと思います。
 
もうひとつは、土曜日の新聞に掲載されていた、地元粟野地区の記事。
 
粟野地区においては、先ほどの東浦に先駆けて、平成28年に「粟野コミュニティ運営協議会」を立ち上げ、こちらは21の団体が協力し合って、既に「粟野ふるさと祭り」などのビッグイベント運営などを行なってきているところ。
 
そうした中、今回は、粟野地区の歴史を後世に伝えようと、各地区老人クラブの役員ら29名で構成する「粟野の歴史を語り継ぐ会」が、昭和から平成までの歴史を令和へつなぐ冊子「うららん所在(とこ)No.2」を発刊するとの記事。
 
このタイトルの「うららん所在」ですが、敦賀の人でも分からないかもと解説させていただくと、「うら」は「私」、「うらら」とは「私たち」を指す方言で、つまり訳すと「私たちの住むまち」となります。
 
記事では、昭和57年3月にNo.1が発刊されているということで、それから丁度40年の時を経て発刊されることとなった経緯や思いなどが掲載されていました。
 
そして、昨日、粟野公民館にて関係者が集っての「発刊記念の集い」が開催され、私も地元選出市議のひとりとして出席させていただきました。
 
手に取った「うららん所在」はA4版、271ページ、巻頭グラビア「後世に残したい!粟野ふるさと遺産!」から始まり、第1章では「写真で見る粟野の昭和史」、第2章では「写真で見る粟野の平成史」、第3章では「粟野地区の概要」、第4章では「皆様からの投稿編」として全82編の住民の皆さんから頂いた思い出話しやエピソード、伝統や風習までもを掲載、そして最後の「資料編」では、芥川龍之介の小説でも有名な「芋粥」に始まり、神社や文化財、仏像やお寺まで、粟野に古くからある貴重な財産を丁寧に紹介するなど、見応え、読み応え満載、まさに「後世に残すバイブル」的存在の冊子だと感銘を受けた次第です。
 

 
式典では、まさに粟野地区を表す「仰ぎ見る野坂の御嶽、水清き黒河の流れ」の歌詞で始まる粟野中学校校歌の静聴から始まり、主催者挨拶、渕上市長ら来賓からの祝辞に続き、冊子の概要をパワーポイントで紹介したり、特徴的なスライドではコメンテーターが当時の思い出を懐かしく語られたほか、敦賀市立博物館館長補佐の高早さんの記念講演「粟野の文化財を通して」までが行われ、改めて粟野への愛情とアットホームな雰囲気を感じる式典となりました。
 
昭和30年に敦賀市に編入合併するまでは、人口6,300人であった粟野村は、今や人口約23,000人、約9,600世帯、敦賀の約3分の1が住むマンモス地区に成長を遂げていますが、まさにその過程や出来事、エピソード、文化までを思いとともに詰め込んだ271ページ。
 
約2年の月日を掛けて企画、編集、発行までを戴いた「粟野の歴史を語り継ぐ会」の皆さんを始め、写真や記事を投稿戴いた地区住民の皆さん、そしてこの活動を縁の下でしっかりとバックアップしていただいた粟野公民館職員の皆さん、本当にありがとうございました。
 
説明スライドにあった言葉、「進歩の多くは、過去に対する知識によって生み出されている。粟野の歴史を知ろう。」
 
文化や歴史を次代が知り、継承していくことで時代は続く。
 
We Love AWANO、We Love TSURUGA
 
素晴らしき人、素晴らしき文化に恵まれ、こうしてこの粟野、敦賀に住んでいことへの感謝と誇りをもって、今日からさらに頑張ります!
 

トンネルは日本人だけの手で

ブログ 敦賀の歴史・文化

3月14日。
 
今日は、日本原電の敦賀発電所1号機(以下、敦1)が営業運転を開始した日。
 
この日を誕生日とすると、敦1は「51歳」。
 
私が2歳の時には、我が国初の商業用軽水炉として運転を始め、高度成長期の電力供給を支えてきたことになります。
 
2015年4月27日には約45年間の運転を終え、現在は廃止措置を進めているところですが、原子力黎明期にあって、国益に資する新たなエネルギー源を確立するため、初めて尽くしの発電所建設から運転までを乗り越えた先人に敬意を表するとともに、社員はもとより協力会社、メーカーの皆さんまで多くの人に愛され、支え続けられた「敦1」の存在を誇りに思うところです。
 
廃止措置は、全体期間を24年間計画として進められていますが、感謝の思いを忘るることなく、全ての工事を終えるまで見守っていきたいと思います。
 
さて、話しは変わり、昨日は観光ボランティアガイドつるが主催の「鉄道カフェ」に参加してきました。
 
この「鉄道カフェ」は、「港と鉄道の街つるが」を広く市民の皆さんに知っていただくことを目的とし、平成26年から開催しており、今回で21回目になるとのこと。
 
令和2年度としては2回目となる昨日のテーマは、「日本遺産認定“現存する日本最古の鉄道トンネル”〜日本人だけで作ったトンネル群〜」。
 
福井工業高等専門学校の武井幸久名誉教授による約1時間半の講義を拝聴し、鉄道遺産についてのみならず、敦賀の歴史の捉え方や日本人の手だけでトンネルを作った敦賀人の気骨までをも知ることができ、大変元気の湧く時間となりました。
 

【会場の松原公民館ホールは、定員30名ほぼピッタリの盛況ぶり】
 
以下に印象に残った言葉、ポイントのみご紹介します。
 
1.歴史、人と場の見方・考え方
 
◉未来は常に過去を変えている(マチネの終わりに:毎日新聞社出版2016より)。
◉姿勢の三軸は、「社会性ー圏域性」、「能動性ー受動性」、「積極性ー消極性」。
◉変わらないものとして、景観十年、風景百年、風土千年。
◉敦賀は、古くより地政学的に交通の要衝であったことから、江戸、明治と国の主導が強く、「やる気」を無くしていたのではないか。
◉「消極的な能動性⇄消極的な受動性」、「積極的な能動性⇄積極的な受動性」とあるが、敦賀は前者(消極的)の傾向が強かった。
 
2.敦賀になぜ、かくも早く鉄道が
 
◉越前国海陸図の存在。
◉日本海の海運、疋田舟川(琵琶湖と日本海を運河で結ぶ計画)など、敦賀は物資輸送における重要な結節点としての役割。
◉1814年にG.スチーブンソンにより蒸気機関車発明⇨1854年にペリーが蒸気機関車の模型を将軍に献上。
◉1869年(明治2年)政府の鉄道敷設計画(助言者は「鉄道の父」井上勝)に「幹線ハ東西両京ヲ連結シ、枝線ハ東京ヨリ横浜ニ至リ、又、琵琶湖辺ヨリ「敦賀」ニ達シ、別ニ一線ハ京都ヨリ神戸ニ至ルベシ」。
 
3.近代と鉄道
 
◉鉄道計画については、1878年(明治11年)「海運網と連絡する鉄道敷設重視」に政策転換したことにより、敦賀ー米原間(北陸線)の鉄道敷設工事費の計上。
◉1881年(明治14年)には小刀根トンネル(現存する日本最古のトンネル)、1884年(明治17年)には柳ヶ瀬トンネル(当時、国内最長のトンネル)が完成し、敦賀(金ヶ崎)ー長浜間開業。
◉鉄道延伸により、敦賀ー長浜間から北陸線へ、敦賀では日本最初の私設銀行「大和田銀行」創設。
 
4.トンネルは日本人だけの手で
 
◉「鉄道の父」井上勝の言葉「汽車、レール、橋梁の資材は全て外国製品です。外国に支払うばかりで、国内の技術も向上しない。西洋の技術を越えるものを、日本人の手で作らねばならない」。
◉敦賀人の気質として、攘夷の意識を強化される経験から、何事も「日本人だけの手で」との考えが強く、その実践は既に始められていた。
◉現に、明治期における近代遺産第1号「黒崎(阿曽)トンネル」は、日本人の手だけで1876年(明治9年)に手掛けられている。
◉日本人だけで設計・施工した国内初の「小刀根トンネル」、その後の「柳ヶ瀬トンネル」に至っては今なお、道路トンネルとして使用されている。
 
一部、「近代とは何か」など先生のレベルについていけない部分もありましたが、講義はざっとこのような内容でした。
 
あと余談として、現在の北陸自動車道は旧北陸本線に沿った形で整備されていますが、当初計画時には「国道365号線沿いルート」もあったそうで、その際、当時県会議員をされていた高木孝一氏(後の敦賀市長で現衆議院議員の高木毅代議士の父)が県会議長(元衆議院議員の若泉征三氏の父)に食ってかかり、北陸本線ルートに引き戻したとのエピソードも紹介いただき、改めて高木孝一元市長の政治力の強さと肝っ玉を知ることが出来ました。
 
結びに先生は、大和田荘七氏がこの敦賀を大きく発展させるべく取り組んだことも例に挙げられ、北陸新幹線開業後10年は東京行きの始発となるこの敦賀を「消極的な能動性⇄消極的な受動性」から「積極的な能動性⇄積極的な受動性」に転換し、日本国内はもとより、世界に訴えていけるようなまちにしていかなくてはならないと述べられました。
 
これには全く同感。
 
敦賀人の気骨や歴史を胸に置き、冒頭の敦1とも掛け合わせ、チャレンジ精神があれば「宿命は反転可能」の思いをもって、こうして得たことを自身の取り組みに生かしていきます。
 

【以前、敦賀駅構内に掲示されていたポスター。鉄道も原子力も先人はこうして挑戦し、時代を乗り越えてきたのだ。】

「Fukushima50」と原子力発電所の裁判

ブログ 原子力

つい先日、月9ドラマ「朝顔」を観て「琴線に触れた」ことを書きましたが、昨晩は金曜ロードショーで放映された「Fukushima50」。
 
ブログを辿ると、ほぼ一年前の2020年3月14日にも映画館で「Fukushima50」を観て、どうにも堪えられない思いが込み上げ嗚咽して泣いたことを思い出す訳ですが、昨晩も全く同じ状態になってしまいました。
 

 
(約1年前のブログは以下のリンクより)
 →→→原子の灯から半世紀、Fukushima50に思う(2020年3月15日のブログ)
 
その感情は、発電所への愛情や育ててもらった感謝の思い、家族を置き命を張って最後まで発電所を守る覚悟など。
 
そして何と言っても、東京電力福島第一原子力発電所1号機と日本原電の敦賀発電所1号機が同型炉であることからなお、画面に映る光景が我がことのようにも思え感情移入してしまうもの。
 
福島第一原子力発電所の事故を美化することは決してしませんが、事実としてあった、こうしたことだけはお知り置きいただければと思います。
 
さて、そんな昨日は、もうひとつ原子力関係で大きな出来事。
 
九州電力玄海原子力発電所3、4号機の設置許可取り消しなど2件の訴えを退けた佐賀地裁判決は、原子力規制委員会の内規「地震動審査ガイド」に記載されている「地震規模のばらつきへの考慮」だけを過度に取り上げることなく、九州電力が総合的に地震への安全性を考慮していた点を踏まえ、それに基づく原子力規制委員会の判断を「妥当」と結論付けました。
 
2つの訴訟の主な争点の一つは、原子力発電所の耐震設計を決める上で安全性の目安となる揺れの大きさ「基準地震動」の算出にあたり、過去の地震規模の平均値だけでなく、平均を大きく上回る規模(ばらつき)も上乗せして考慮する必要があるかどうか。
 
また、まさに同じ争点で争われている関西電力大飯発電所3、4号機の設置許可取り消しを求めた住民訴訟では、大阪地裁が昨年12月、関西電力が上乗せを考慮しないまま基準地震動を策定したのは地震動審査ガイドにある「地震規模のばらつきへの考慮」との記載に反すると指摘。
 
これを認めた原子力規制委員会の判断に「看過しがたい過誤がある」として許可を取り消しています。
 
一方、佐賀地裁の裁判長は、地震動審査ガイドの記載について、住民側が主張する「平均値への上乗せが必要なのではない」と指摘。
 
平均値を求める際に「原子力発電所が立地する地域の特性や、過去のデータのばらつきなどを確認する必要性を示したものであると解釈した」とあります。
 
そのうえで、九州電力が別の手法を用いて地震規模のばらつきなどを考慮していることから、新規制基準に沿った九州電力の耐震計画や原子力規制委員会の安全審査は「合理性がある」と結論づけた模様。
 
裁判を見るに、大飯の地裁判決とは「相反するズレ」が生じていることが露呈した訳であり、次の大飯裁判にも当然、共通の考えとして参考にされるべきと考えるところです。
 
冒頭の「Fukushima50」では、当時の菅(カン)直人首相が、にわか知識を振りかざし現場に介入してくるシーンがあり、吉田所長が「素人が言うんじゃねぇ」とばかりの表情を浮かべるシーンがありますが、一連の原子力発電所の規制基準審査に関する裁判に関しても、似通った案件なのに、裁判官によってコロコロと真逆の判決がされていることを踏まえれば、そこにはやはり司法の場においても一貫した技術的基準や専門性が必要なのではと考えるところ。
 
こうして判決で左右されることを「司法リスク」と呼んでいる訳でありますが、この点に関しては、より専門性と科学的基準をもって判断できる「日本版原子力裁判所」を作っても良いのではというのが私の考え。
 
東日本大震災発生から10年を迎えた翌日に放映されたことの意味合い、映画にもあったように、現在はさらにあらゆるリスク想定と備えを最大限に高め、「想定外を想定内」にする安全性を高めた取り組みと厳格な審査が行われているのも事実。
 
来週18日には、四国電力の伊方発電所、日本原電の東海第二発電所の判決がされることとなっておりますので、この点に関しても注視をするとともに、判断基準をしかと確認していきたいと考えます。

政府主催、最後の追悼式

ブログ 敦賀市議会

東日本大震災発生から10年を迎えた昨日。
 
敦賀市議会でも本会議開会直後、議場にいる全員で黙祷をささげました。
 
また、東京都千代田区の国立劇場では、政府主催の追悼式が、天皇、皇后両陛下をお迎えして開催され、国歌演奏後、地震発生時刻に参列者全員で黙祷をささげ、献花、菅首相の式辞、天皇陛下はお言葉で、犠牲者に哀悼の意を表されました。
 
政府主催の追悼式は新型コロナウイルスの影響で昨年は開かれず、2年ぶりの開催ということもあり、両陛下の追悼式のご臨席は皇太子同妃時代を含め初めてとのことでしたが、今回の追悼式を最後に来年からは政府主催では行わない考えを示しているとのこと。
 

【追悼式で、お言葉を述べられる天皇陛下と皇后さま】
 
追悼式はなくとも、この未曾有の出来事をひとり一人の胸に刻むとともに、「自分たちは大丈夫」という「正常化バイアス」を捨てた防災対策の一層の強化、リスク想定を最大限に高めた「原子力安全の追求」に励み続けることこそが、お亡くなりになられた方、今なお行方不明となってらっしゃる方、故郷への帰宅がままならない方の思いに報いることと肝に銘じ、自身の立場で取り組んでいきたいと考えます。
 
さて、黙祷により厳かな雰囲気からスタートした敦賀市議会は、一般質問最終日。
 
残る4名の議員が登壇され、敦賀市の雇用創出、学校給食の地産地消、道路・交通網、今後の廃棄物処分や井の口川の河川整備など、この日も多方面に亘り質問が繰り広げられました。
 
特にこの日は期数を重ねた議員さんが多く登壇されたこともあり、敦賀市を俯瞰的に且つ将来を見据えたテーマに対し、思いを持って果敢に理事者に問う姿に正直感銘を受けました。
 
質問とはこうあるべきとのお手本と受け止めましたので、以降、自分の質問スタイルにも取り込み、市政の発展に通ずるよう進化させていきたいと思います。
 
三日間の代表・一般質問を終え、今日は条例案等を審査する常任委員会が開催されます。
 
私は所属する産経建設常任委員会に出席。
 
委員長としての任をしっかり果たしていく所存です。

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