福井県内で初のウクライナ避難民受け入れに思う

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ロシアによるウクライナ侵略開始から1ヶ月以上が警戒し、幾度となく行われた停戦交渉の度に、合意の吉報を期待するも及ばず。
 
ただ戦況はウクライナ軍の徹底抗戦により、ロシア軍が撤退する地域も出てきており、強気なロシアとの交渉環境を優位に進める環境となることを期待する次第です。
 
ウクライナ軍においては、女性や学生までもが志願兵として参加するほか、東部や南部でロシア軍の攻撃が続く中、命の危険にさらされながらも故郷を守ろうと現地に留まるウクライナ国民が多いことが報じられてもいる訳ですが、ウクライナ文学などに精通する東京外国語大の中澤英彦名誉教授によると「大陸の領土観は電車の席に例えられる。席を立ったら次に来た人のものになる」と言い、「ここで戦わなければ、350年にわたってロシアにこき使われてきた時代に戻ってしまうという恐怖がある」と、この状況を分析しています。
 
また、同氏によるとウクライナ国歌の原形は、ロシア帝国(1721~1917年)支配下の1860年代に誕生。
 
帝国崩壊後に短期間存在したウクライナ民族国家の国歌に採用されたものの、ソ連時代(1922~1991年)には影を潜め、ソ連崩壊後の1992年に国歌として復活したものであり、侵略に苦しんできた民族の悲哀と自由への渇望、抵抗する勇気の尊さを伝えるものであることを知りました。
 
「我らがコサックの氏族であることを示そう」
 
コサックは中世ウクライナの自治を守る戦士を意味する最後の歌詞には、壮絶な民族の覚悟が込められており、同氏は「義のためにはいかなる困難も恐れず、身も心もささげるというコサックの心性は日本の武士道にも通じる」との言葉が強く印象に残った次第です。
 
さて、こうした覚悟を持って懸命に戦う気持ちはさぞかし同じでありながら、やむを得ず避難される方がいるのも現状であり、隣国ポーランド共和国を始め、日本を含めた世界の多くの国々が避難民の受け入れを表明する中、4月1日には福井県でウクライナからの避難民3人を受け入れるとの発表がありました。
 
避難される方は、福井市内に住むウクライナ人女性の親族で、女性の母親と妹、妹の息子の3人。
 
激戦地から逃れてきた3人は、3日深夜に同市に到着する予定で、県内でのウクライナ避難民受け入れは初めてとみられています。
 
福井県国際経済課によると、女性宅で当面過ごした後、県が無償提供する福井市の県職員住宅に入居し、希望に応じて生活費や日本語学習、就労などを支援するとのこと。
 
避難したとはいえ、破壊された故郷を思う気持ちは片時も頭を離れないと思いますが、心配して止まなかった娘さんとの再会、そして何より一旦ゆっくり身体と気持ちを休めていただければと願うところであります。
 
こうして県内でも受け入れがされることで、より支援の輪が広がるものと考えますが、ここ敦賀市では避難民の受け入れに全面的に協力する旨を3月15日に表明しているところ。
 
受入方法については国からの指示に従うとあるものの、住宅政策課など関係する部署では万全の準備がされていることと存じます。
 
長期化を様する現状においては、今後ここ敦賀でも避難民受け入れが現実のものとなる可能性は十分あることから、そうした場合においては、約100年前にポーランド人孤児を敦賀港で受け入れた先人の対応、気持ちを思い返し、市民皆であたたかく迎えたいと思う次第です。
 

【ウクライナ東部マリウポリで破壊された建物の外のがれきに立ち、パンを食べる人たち(ロイター通信より)。同じ地球上で起きている現実を他人事にしてはいけない。】