気候変動について考える(後編)

エネルギー ブログ

早速で恐縮ですが、昨日に続きテーマは「気候変動」について。
 
「気候変動について考える」などと大そうなタイトルとしておりますが、私自身、自論を述べるほどの専門知識を持ち合わせてはいませんので、これまで様々な有識者の見解を調べる中で、「なるほど」と思ったことを書き留めておく程度となることをまずお断りさせていただきたく存じます。
 
そのうえで、物事を正しく見るときには、ミクロとマクロの視点が必要ですが、この気候変動に関しても、地球誕生から46億年の歴史を長い目で見ると、「ミランコビッチサイクル」にあるよう、特に日照量の変化が大きな原因とし、地球は約10万年ごとに暖かくなったり(間氷期)寒くなったり(氷期)を繰り返してきたことが分かっていて、そうした人間の力ではどうにもならない太陽と地球の関係の中にあって、この温暖化スピードや将来予測をどう捉えるのかが重要かと思うところです。
 
非常にスケールの大きな話しから入りましたが、このIPCC報告書に対しては、総論ではなく各論としての理解し易さとして、キャノングローバル戦略研究所主幹研究員の杉山大志氏が他の科学者の意見やデータと照らし合わせ、報告書の内容を丁寧に紐解き、25の論点(10月10日現在)を挙げ反証をしており、私も大いに共感する部分がありましたのでポイントを書き留めていきたいと思います。
 
以下、杉山氏の論点から主だった部分を以下に掲載します。
 
①まずはCO2等の排出シナリオについて。これまでCO2等の排出の多い「RCP8.5」シナリオがIPCCでは頻繁に使われてきた。だがこのシナリオは、高い経済成長と莫大な石炭消費量を想定したもので、現実との乖離が目立ってきた。諸国がカーボンニュートラルなどと言い出す前だった2019年時点から、特段政策を強化しなくても、2050年時点の排出量はその半分以下に収まる、というのが、いま主流の見方(が、日本の環境省は排出量の多いRCP8.5のシナリオに基づき、被害予測を計算している)
 
②IPCCの報告では、20世紀に起きた地球規模での気温上昇は、その殆どがCO2等の温室効果によるものだとしている。だがこれは、太陽活動の変化が殆どなかったとするデータセットに基づいている。別の、NASAの人工衛星観測によるデータセットを用いると、太陽活動は大きく変化しており、地球温暖化の大半はそれで説明できてしまうため、CO2等の寄与は小さいという論文がある。
なお、IPCCが気候変動における太陽活動の役割を軽視しているという指摘は複数の研究者から挙がっている。

 

【「世界の気温変化の歴史と近年の昇温の原因」:同報告書政策決定者向け要約(SPM)暫定訳(2021年9月1日版)より抜粋】
 
③IPCC報告では、この陸と海での除去、つまり「吸収源」は、CO2排出量の増加にほぼ比例して増加しており、2010年から2019年の間に排出量の31%(陸)と23%(海)を吸収している。両者を足すと54%になる。ということは、大気中のCO2濃度を安定化させるためには、人類はCO2排出を半減させればよいのであって、ゼロにする必要は無い。
化学平衡で考えれば、産業革命前に280ppmだったCO2濃度が、いま410ppmになっている。この差がある限り、陸上にも海にもCO2は吸収され続ける。だから吸収された分だけは人間が排出しても、濃度は増えないことになる。
 
地球温暖化による大雨の激甚化など起きていない。今回のIPCC報告はそれをはっきり書いている。政策決定者向け要約にある図SPM.3がそれを示している(訳は気象庁)。日本以外の地域を見ても、殆どが「人間の寄与の確信度は低い」となっている。大雨のたびに温暖化のせいにする人がいるが、IPCCはそんなことは言っていない。
 
⑤地球温暖化したといっても、江戸時代から比べて1℃ぐらいという僅かなものだ。過去の再現ですらこんなに誤差が大きいのに、あと0.5℃や1℃の気温上昇やそれによる気候の変動の予測なんて、本当に当たるのか、疑問に思う。少なくとも、どのような予測結果を見る場合でも、「そのモデルはどのぐらい過去を再現できているのか」、1つ1つよく確認する必要がある。
 
⑥IPCC報告は、一方ではモデルにこれだけ問題があることを認めながら、他方ではそのモデルによる予測を滔々と説明している。だがこの予測は信頼に値するのだろうか。モデルにこれだけ問題があれば、本来なら、予測結果はいったん取り下げて、やり直すべきではないか。衛星観測の第一人者である元NASAのジョン・クリスティはそう主張している。
 
⑦IPCC報告書では、京都の桜の開花日が早くなっているという図が出ている。IPCC報告はこれが地球温暖化によると言いたげである。(そうはっきりとは書いていないが、普通の人が読むとそう読んでしまうように書いてある)。だがこの理由は、地球温暖化による気温上昇とは限らない。まず都市熱は大きい。気象庁のデータを見ると、京都は地球温暖化を上回るペースで気温が上昇している。
 
⑧2100年時点の海面上昇は、2050年の排出ゼロといった極端に脱炭素を進めるシナリオ(SSP1-1.9)では55cmぐらいになっている。他方で、高い排出の場合はどうか。SSP5-8.5とSSP3-7.0は、何れも排出量が多すぎて現実的ではないことは論点①(筆者HP上の)で述べた。2019年以降、特段の温暖化対策強化をしなくても、SSP2-4.5とSSP3-7.0の中間ぐらいになる。2100年時点で両者の中間を読むと海面上昇は75cmぐらいになっている。
すると、極端な脱炭素に励むことで、2100年の海面上昇は75cmから55cmへ、20cmばかり抑制される訳だ。20cmの差というのは僅か過ぎて、脱炭素に伴う莫大なコストを正当化することは出来ない。なお最後に付言すると、論点③(筆者HP上の)で述べた様に、気候モデルは明らかに温暖化を過大評価しているものが多くある。
 
⑨IPCC報告には地球の平均気温がぐんぐん上昇しているという図が出ているが、イギリス気象庁による最新のデータでは、2000年から2014年ごろまでは、気温上昇はほぼ止まっていた。これはハイエイタス(停滞)と呼ばれるものだ。その後2016年から2020年までは高温の年が続いた。2021年に入って、気温は急降下。2021年は、2014年以来、もっとも寒い年になるかもしれない。何が起きてきたかというと、2016年から2020年までは強いエルニーニョだった。それが2021年になってラニーニャになった。(ちなみにこのラニーニャは太陽活動の変化に連動して起きるという予言が当たった)。
今後気温が上がるか下がるか、予断は出来ない。気候モデルを信じるなら「何れ急激に上がる」ということになるが、この連載でも縷々述べてきたように、筆者はそこまでモデルの信頼性は高くないと見ている。
 
⑩いまの世界では暑さで亡くなるよりも寒さで亡くなる人の方が遥かに多い。そのため、過去の地球温暖化の帰結としては、世界の人間の寿命は伸びた。寒さによる超過死亡率は減少し、暑さによる超過死亡率の増加を上回ったのだ。これは日本でも同じことで、地球温暖化によって寿命は伸びている。
図2を見ると、日本は緑色になっていて、死亡率が減少していることが読み取れる。我々は温暖化のお陰で少しばかり長生きしている。地球の気温は感じることも出来ないぐらいゆっくりと上昇したが、人類を脅かすような「広範囲かつ急速な変化」などという程のことは起きていない。
 
私が捉えた論点のいくつかを挙げさせていただきましたが、杉山氏は総じた見方として、論点のいくつかでこのように結んでいます。
 
◉おどろおどろしく「気候危機」というなら、自然災害のデータはさぞや急激な右肩上がりで、誰の目にも明らかで文句無しなのかと思えば、そうではない。実態はこの程度のことで、たいていは誤差の内か、せいぜい、かろうじて判別できるぐらいだ。冷静になって数字を見ると、「人類の危機が迫っている!」という様な話からは程遠いことが分かる。
 
◉地域ごとに見ると、気温は大きく変動してきた。そして人類はそれに対処して逞しく生きてきた。地球全体の平均で100年かけて1℃気温が上昇してきたといっても、それで「人類が存亡の危機に立っている」などという訳ではない。そのくらいの変化は、我々の先祖はとっくに経験済みで、問題なく対処してきた。
 
論点を全て読み感じたことは、過去を確実に再現した予想モデルでなければ意味をなさず、特に不確実性の高い気候変動の分野においては、評価モデル次第でいかようにも将来の予想は変わる。
 
裏を返せば、導きたい答えに合わて作ることだって出来てしまう世界でもあるということ(IPCC報告書がそうであるという意味ではない)。
 
どうかで聞いたことと思えば、これは日本の第6次エネルギー基本計画案策定の際にあった「太陽光のコストが初めて原子力を下回った」試算モデルがまさにこれであり(太陽光を安くするために有利な条件をセット)、さらに言えば基本計画自体が「野心的=不確実性が高い」ものであることは周知の事実であります。
 
このIPCC報告書については、杉山氏のみならず、国内外の有識者、科学者が異論を唱えてもいることから、改めて全て鵜呑みにすることはせず参考程度に捉えておきたいと思いますが、こうした将来予想に連なって締結される国際協定、脱炭素化の世界の潮流、そしてその中で2050カーボンニュートラルを目指す日本という現実。
 
冒頭の大きなスケールに照らせば、太陽系の惑星のひとつに過ぎない地球号、太陽の影響に比べれば、この地球上に住む人類の力など無力に近いものだとすれば、同じく地球上にあり続ける炭素を躍起になってゼロにする必要なんてあるのか、しかも今後、国民や企業に巨額の経済負担を強いてまで行うべきことかと考えてしまいます。
 
「じゃあ指を咥えて何もしないのか!」と叱られるかもしれませんが、ここは受け止めのひとつとして、出来る範囲でやれば良いのではと、感じたことに感じたことに関してはお許しいただきたく。
 
本日は、自身の勉強のような内容となり失礼しましたが、これまたスケール大きく言わせていただくと、同じ地球上に生きる皆さんに少しお知りいただきたかったことでもあり、長文、駄文をお許しいただきたく存じます。
 
最後に論点掲載しましたキャノングローバル戦略研究所主幹研究員の杉山大志氏の投稿をリンクいたしますので、関心のある方はさらにお読み取りいただければ幸いです。
 →→→ご紹介した杉山大志氏の「論点」はこちらから