「原子力の日」に込められた我が国の決意

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昨日は、福井県電力総連傘下の代表者が集う会議が開催され、推薦議員団の4名も出席。
 
南越前町議会の山本優議員、福井市議会の堀川秀樹議員、高浜町議会の小幡憲仁議員(現議長)、そして私より、ひとり10分程度の活動報告をさせていただきました。
 

【活動報告の様子(右から、山本優議員、堀川議員、小幡議員、山本】
 
その後、意見交換の場もありましたが、ともに電力職場で働く者同士とあって、終始和やかな雰囲気のなか、来春の統一地方選挙に向けても力強い言葉を頂戴した次第です。
 
代表者の中には、嶺南の原子力職場で働く労組役員の方も多くおられ、互いの状況などもお話ししたところですが、一夜明け、本日10月26日は「原子力の日」。
 
この日が、原子力の日とされたのは、1963年(昭和38年)、日本原子力研究所(現在の日本原子力研究開発機構)の動力試験炉(JPDR)で、日本が初めて原子力による発電に成功した日であり、また、1956年(昭和31年)に日本が国際原子力機関(IAEA)への加盟を決めた日であることが由来とされています。
 
米国、ソ連、英国では核爆発実験を続けるなか、原子力を世界の平和のために利用することを日指す国際的な機関の必要性が叫ばれ、IAEA憲章が国連総会で採択されたのが昭和31年。
 
その年の10月26日には、日本を含む70カ国で憲章に署名がなされ、原子力の平和利用の国際協力が大きな広がりを持つことになりました。
 
10月26日のJPDRでの原子力発電は、IAEA参加の日を強く意識して計画されたものと言われています。
 
なお、さらに遡れば、先の大戦がエネルギー戦争であったことを踏まえ、「我が国が必ずや復興を成し遂げ再び繁栄するためには、安定した電力の確保が不可欠」、「原子力のエネルギーを平和利用し、世界に貢献することこそが、唯一被ばく国である我が国の使命であり、責任」だとし、故中曽根康弘氏らが超党派の議員立法により「原子力基本法」を制定したのが、昭和30年(1955年)。
 
今から約67年前、将来史観のもと原子力黎明期を支えた方々の気概や信念たるものを感じざるを得ませんが、原子力に携わる者として、こうした先人たちの思いを忘るることなく思考、行動せねばと強く認識するところです。
 
奇しくも、今の日本が陥っているのは電力需給逼迫。
 
世界情勢の変化や電力供給構造から来る電気料金高騰により、苦しい国民生活、停滞する経済活動を余儀なくされている状況を、中曽根氏はどんな気持ちで天国から見ているでしょうか。
 
「我が国が必ずや復興を成し遂げ再び繁栄する」、「唯一被ばく国である我が国の使命」が「原子力エネルギーの平和利用」であり、「原子力の日」の今日、静かにそのことを再確認し、次に進む。
 
本日はそのような一日にしたいと思います。