分水嶺に立つ自覚を持て

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「水が出たぞ!」
 
これは、断水が続いていた南越前町鹿蒜(かひる)地区で水道設備が復旧したことを表現した昨日の福井新聞の見出しですが、住民の皆さんが心から安堵した気持ちが伝わるものであり、こちらも「良かった」と喜んだ次第。
 
この断水に関し、敦賀市からは、発生当初より応急給水支援として給水車並びに職員を派遣し対応を続けられてきたところですが、関係者に聞くところによると、一昨日は敦賀市管工事組合さんが8社25名で大桐地区までの仮設配水管布設にあたられるなど、献身的な対応があって、昨日の断水解消に至ったとのこと。
 
まさに「我がこと」として対応にあたられた関係者の皆さまに敬意と感謝を表する次第です。
 
また、昨日は早朝より、敦賀市に「大雨(土砂災害)警報」が発表されたことから、その後も気象情報や市からの防災情報収集に努める一日となりましたが、とりわけ夕方以降の大雨予報に警戒し、14時には東郷並び愛発公民館に自主避難所が開設されました。
 
開設後、早速私もこの2箇所の公民館にお伺いし、避難所の開設状況や職員さんの対応などについて確認させていただきましたが、当該地区の各区長さんとも連携を図られ対応されているともお聞きし、こちらも地域の安全確保のため献身的に対応されると受け止めたところです。
 
その後、大雨が弱まり、多発的な土砂災害が発生する恐れは少なくなったとし、20時20分に「全警戒解除」、0時に全ての避難所、市に設置されていた災害対策連絡室も閉鎖となりました。
 
途中、災害対応を統括する危機管理対策課にも問い合わせをさせていただきましたが、休日の待機を含め、仕事とはいえ、こちらも対応にあたられた全ての皆さまに感謝申し上げます。
 
引き続き「備えあれば憂いなし」、危機意識を高めた対応をお願いする次第です。
 
さて、話しは変わり、本日は77回目となる「終戦の日」。
 
まずもって、先の大戦でお亡くなりになった軍人、民間人合わせて310万人の全ての御霊安かれと、心からお祈り申し上げます。
 
私はこの8月15日には毎年、先の大戦で犠牲になられた方々の存在があって、今の日本、そして平和があることへの感謝、さらには自身の歴史観をブログで書き綴ってきており、その思いは不変な訳でありますが、今年は考えを共感した、「分水嶺に立つ自覚を持て」のタイトルで記載された産経新聞の記事(8月15日朝刊)を引用させていただきます。
 
以下、前略にて記事引用。
 
【分水嶺に立つ自覚を持て】
 
戦争で亡くなった人々を悼むなら彼らが営んだ当時の日本を侵略国と決めつけ、断罪していいものか。岸田文雄首相と閣僚には、全国戦没者追悼式出席に加え、靖国神社に参拝してほしい。それは、現代日本の防衛意志を内外に示すことにもなる。何より、最も大切な天皇陛下のご親拝再開につながる。
 
靖国神社で永くお祀りするのは、英霊との国の約束だ。英霊を気の毒な犠牲者としか見ないようでは話にならない。追悼とともに、日本のために尊い命を捧げたことを顕彰し、日本が侵略されれば、今の世代も子孫のために日本の国と国民を守り抜くことを誓うべきである。
 
日露戦争の英霊も靖国神社に祀られている。負ければ日本という国が消え、アジア・アフリカの植民地支配はもっと続いたかもしれない。それなのに日本は、日露戦争終結100年の平成17年に国として記念行事をしなかった。ウクライナ国民が侵略者ロシアと戦う姿を見た今なら、明治の人々が必死に戦ったから現在の日本があると分かるだろう。
 
特に幕末維新後、どの世代も子孫に立派な日本を引き継ごうと努めてくれた。今はわれわれの番だ。中国や北朝鮮など専制主義の差し迫った脅威から目をそらしてはご先祖さまに申し訳ない。戦う前に抑止力で侵略を防ぐ時代になった。防衛力の抜本強化と同盟国との協力で平和を守りたい。それができるかどうかの分水嶺にわれわれは立っている。
 
〜引用終わり〜
 
日本人の誰もが希求する「平和」ですが、これを追求、維持するための手段は人それぞれの考え方があります。
 
「話し合いで解決」、「不戦を誓う憲法があれば大丈夫」との考えもその一つですが、ロシアの軍事行動を目の当たりにした今、その手段は通用するのか。
 
そのうえで、先人達が身を途して守ってくれたこの尊き領土を、我々世代がどう子孫に残していけるのかを、国民皆が人任せにせず、真剣に考えねばと強く思うところ。
 
今はまさに、先の記事にあった「分水嶺」であり、77回目を迎える「終戦の日」にあたり、私は今一度、「現実路線」でそのことを考える日にしたいと考えます。
 

【東京での単身赴任時代には、毎年参拝していた靖国神社。遠方からではありますが、本日ここに、この地に眠る英霊に合掌。】