2026年7月12日
令和8年度 敦賀市戦没者戦災死没者追悼式

【献花を終えた祭壇】
昨日は10時30分より、敦賀市主催の「令和8年度 敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」がプラザ萬象大ホールにて挙行されました。
敦賀市では、昭和20年7月から8月に受けた、3回の空襲によって失われた尊い命225柱、そして、日清戦争から太平洋戦争にかけて、戦地などで亡くなった敦賀市出身者1,764人の計1,989柱の戦没者と戦災死没者を追悼するため、毎年この時期に追悼式を行なっており、昨日もご遺族を始め多くの関係者が参列のもと、厳かに追悼式が執り行われました。
私は議員の立場としてお招きいただき、会場の皆様とともに、哀悼の誠を捧げるとともに、先人たちの犠牲の上に今の暮らしがあることへの感謝、そして、世界では絶えることなく各地で紛争が起こる中にあっても、心から恒久平和を祈念した次第です。
また、今回の追悼式では、遠方の方、会場までお越しになることが難しい方々のためにと新たに取り組まれた「オンライン献花」には30名を超える皆様から献花があり、会場後方にメッセージと合わせて掲示されていました。
すべてに目を通しましたが、文面に込められた想いはかけがえなく尊いものであり、犠牲になられた方々や英霊に必ずや届いたものと思ったところです。
そして、81年前の今日、昭和20(1945)年7月12日は、先の大戦において日本海側で初めての空襲を敦賀が受けた日。
この空襲によって、敦賀は市街地の大半が焦土と化したほか、7月30日、8月8日※にも続けて戦禍に見舞われ、これら3回の空襲によって225柱もの尊い命が失われました。
※同年8月8日午前9時頃、B-29が敦賀に投下したのは長崎に投下した原子爆弾と同型の模擬爆弾(通称パンプキン)
なお、12日にあった敦賀空襲の詳しくは、以下の過去ブログよりご覧ください。
→2025年7月6日 ブログ『敦賀空襲を伝え つなぐ』はこちら
本日敦賀市では、12日(土)10時に、市内にある屋外スピーカー(防災情報伝達システム)を使用してサイレンを鳴らし、戦没者戦災死没者のご冥福を祈るとともに、世界の恒久平和を願い、ご家庭や事業所(今日は休みのところが多いかと)等において、黙とうを捧げていただくことをホームページ上でお願いしており、こうした取り組みが、この空襲を、そして戦争の恐ろしさや悲惨さを忘れないことにつながるものと認識するところです。
また、元町にある本勝寺様では、この空襲による犠牲者を追悼する法要が行われます。
爆撃された東洋紡績敦賀工場で若き生命を失った皆様に対し、心からのご冥福をお祈りいたします。
これら、一連の追悼式、法要が連綿と続けられていることは非常に重要なことであり、国民の約9割が戦争を知らない世代となったいま、戦争の悲惨さや平和の尊さを今一度思い起こし、胸に留める機会として、今後も大事にしてまいる所存です。
追悼式を終え、礼服からTシャツに着替えた後は、川崎・松栄岸壁へ。
毎年、このパターンを繰り返しているわけですが、岸壁に行く理由は、19日の「第29回敦賀港カッターレース」に向けて行われているチーム練習対応のため。
真夏日の中での練習対応は、体調管理に留意してのものですが、無事に昨日の練習日程を終えたところです。

写真は、練習を終えた17時過ぎの岸壁。
「なんて美しい敦賀の風景」と思うと同時に、同じ夏でもどうだったのであろうと、「81年前の夏」に思いを馳せた次第です。






