文化庁「100年フード」は敦賀にもあり

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨日の敦賀市議会は、議長以下、全議員が集っての「模擬報告会」を開催。
 
7月12日(日)に開催する「議会報告会」を前に、スケジュールやシナリオ、作成したパワーポイントを全議員で確認する場であり、議員間の認識共有を図る場。
 
資料でいくつか修正点があった以外、特段問題なしということで、最後は議場で告知用の動画を全員で撮影して終了。
 
12日(日)は議員皆でお待ちしていますので(部を分け、半分づつですが)、どうぞお気軽にお越しくださいませ。
 
さて、議員活動に加え、プライベートでは今週末(4日)から始まる「敦賀市民歴史講座」や19日(日)の「敦賀港カッターレース」など、ここから満載の行事ごとをネジ巻いて進めていくにあたっては、まさに体力勝負といったところ。
 
昨日は、夏至から数えて11日目の「半夏生(はんげしょう)」ということで、この日に食べる風習にちなみ、わが家の夕食にも「焼きさば」が食卓に並び、美味しくいただきました。
 
なお、本来は「串刺しの丸焼き」を食べるところ、切り身であったことは家庭の事情と理解(笑)。
 
農繁期が終わり、夏を迎える半夏生の日に串刺しの丸焼きさばを食べる風習で有名なのは福井県大野市で、実はこの「※半夏生さばの食文化」は文化庁の「100年フード」に認定されています。
 
※ここでは「はんげしょう」ではなく、「はげっしょ」と読む
 

【越前おおの観光ガイドHPに掲載の「半夏生さば」】
 
大野市のホームページ(HP)などを拝見するに、それを裏付ける史料は見つかっていないものの、安政元年(1854)6月、横枕村の野尻源右衛門(のじりげんえもん)が半夏生を理由に、田植えのために雇っている農民たちに「焼物鯖代」を渡しており、この頃には半夏生に焼さばを食べるという風習が定着していたと思われるとあります。
 
このため、半夏生さばを食べる風習は、夏バテ防止策として藩主が焼さばを食べることを奨励したあるいは焼さばを配ったことから始まったという言い伝えからくるものですが、これを知り、単純な私は、「切り身」であれ、バテずに夏を乗り越える元気が湧いた次第です。
 
大野市の「半夏生さばの食文化」が文化庁「100年フード」に認定されたのは令和3年度で、文化庁が認定する、次の条件を満たす食文化。
 
<100年フードの認定条件>
◉地域の風土や歴史・風習の中で個性を活かしながら創意工夫され、育まれてきた地域特有の食文化
◉地域において、世代を超えて受け継がれ、食されてきた食文化
◉その食文化を、地域の誇りとして、100年を超えて継承することを宣言する団体が存在する食文化
 
大野市では現代においても、半夏生の日には、店頭で焼き上げる光景や半夏生さばが多くの家庭の食卓に並ぶほか、離れて暮らす家族に半夏生さばを送る人もいることなど、「時代を越えて愛され続け、人と人とを繋いできた半夏生さばの食文化を、もっと先の未来まで継承していきましょう」と記されています。
 
こうして、大野市を羨むかに思われるかと存じますが、以下の文化庁HPにある、福井県の「100年フード」一覧をご覧ください。
 
→福井県の「100年フード」はこちら
 
トップには、江戸時代から続く郷土の料理「敦賀のおぼろ昆布」(令和6年認定)があり、一番下には、これも敦賀の人には馴染み深い「若狭地方のニシンのすし」(令和3年度認定)があります。
 
昆布とニシンはまさに、敦賀の「自慢の食文化」。
 
現在、敦賀市では「食文化ストーリー」として取り組んでいますが、大野市と同様、地元市民に愛され、歴史とともに将来に継承していきたいものですね。