2026年7月4日
「令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」にご参加ください
本日7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日。
1775年4月19日、英国軍が米マサチューセッツ州の民兵軍を襲撃しようとしたことから独立戦争が始まり、自由のための戦闘が続く一方で、ペンシルベニア州フィラデルフィア市では、もうひとつの戦い、すなわち言葉の戦いが行われ、反逆とみられる「独立宣言」を大陸会議が承認。
この日が1776年7月4日であり、英国とのつながりを正式に断ち切って、新たな独立国家、アメリカ合衆国を形成したことが由来であることは周知の事実。
これに至るには、2つの大きな出来事が英国に反抗する入植者たちを統一させ、定められた宿命への道を急がせたとあり、その一つは、1770年3月5日、英国軍が、抗議をするボストン市民の集団に向けて発砲して5人を殺害し、その他にも負傷者を出した「ボストン虐殺事件」。
もうひとつの大きな出来事は、紅茶に対する課税に関するもので、紅茶は植民地で人気のある商品でしたが、英国の税法は、英国の紅茶販売会社である東インド会社に有利なものとなっていたことに入植者たちは憤慨し、これらに対する抗議活動が大きな広がりをみせたこと。
独立から今日で250年。
独立のきっかけが、英国からの暴力行為と関税措置にあったとすれば、いま、米トランプ政権がやっていることは、米国民にどう映っているのでしょうか。
「歴史は繰り返す」ということにならぬよう、独立から250年を機に、国の生い立ちを国民皆で考えることに意義があると考える次第です。
さて、この米国と日本の関係。
先の大戦で戦った相手が今は同盟国であるというのも、紛れもない「歴史」であるわけですが、私にとって、独立記念日と同じ、7月の出来事といえば「敦賀空襲」と「戦没者戦災死没者の追悼」。
1945年7月12日、日本海側で最初の大規模空襲があったのは敦賀で、その後7月30日、そして8月8日には翌9日に長崎に落とされた原爆と同じ型の「模擬爆弾」が投下された3度の空襲は、敦賀の中心市街地を焼き尽くし、本市の歴史上最大の惨禍となりました。
なお、「敦賀空襲」の惨禍については、過去の「やまたけブログ」で詳しく説明をしていますので、よろしければ以下リンクよりご覧ください。
→2024年7月13日ブログ『敦賀大空襲から79年』
→2025年7月6日ブログ『敦賀空襲を伝え つなぐ』
→2025年8月8日ブログ『敦賀に「模擬原爆」が投下されてから80年』
こうして3度の空襲によって失われた225柱の尊い命。
また、日清戦争から太平洋戦争までの戦役に際し、祖国の安泰を念じながら命を落とされた本市出身戦没者1,764柱の方々の戦没者戦災死没者を追悼し、平和を祈念するため、毎年7月には「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」が実施されています。
この「追悼式のあり方」については、国民の9割が戦争を知らない世代となり、敦賀においても同じく、市民のほとんどが戦争を知らない世代となるなかで、戦後80年を機に、戦没者追悼敦賀市民の会とも連携を図りながら、若い世代の方にも積極的に参加していただけるように取り組んでいく必要があり、今後のあり方について具体的議論を進めていくべきではと、令和7年第3回(9月)定例会の一般質問でいくつかの提案をしたところです。
上記、一般質問の詳しくは、以下リンクよりご覧ください。
→2025年9月20日ブログ『敦賀のアイデンティティを継承し、地域を守り抜くために何をすべきか』
そうした経過を経て迎える、今年度の「令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」は、7月11日(土)午前10時30分より、プラザ萬象大ホールで執り行われます。
また、市の方では新たな取り組みとして、追悼式における「オンライン献花」を受け付けるとあり、市HPでは、「当日のご来場に関係なく、どなたでもできますので、戦没者・戦災死没者への思いをメッセージとしてお寄せいただければ幸いです」としています。
※受付期間が、7月7日(火)までとなっていますのでご留意ください
こうして変化を恐れず、新たなことを試みる市の姿勢に敬意と感謝を申し上げるところであり、私の立場からもお願いする次第です。

【追悼式におけるオンライン献花の呼びかけ画面(敦賀市HPより引用)】
なお、追悼式全体に関する敦賀市HPは以下よりご覧ください(オンライン献花のお申し込みもこちらに掲載されています)。
→敦賀市HP『令和8年度敦賀市戦没者戦災死没者追悼式を実施します』はこちら
先の一般質問では、教育の場において、戦争体験を風化させずに継承しようと、福井県遺族連合会が県内の小中学校や高校で始めた「語り部」を、敦賀市内においても毎年のプログラムに取り込み実施することを提案したところ、花木教育長はじめ、教育委員会ならびに各学校のご理解もあり、今年度から市内小中学校(半分づつ)にて取り組みが始まったところ。
敦賀っ子、敦賀人の「人道」と「平和」との関わり、関わり方については、先の一般質問「戦争の惨禍と人道の心を伝え、つなぐことについて」での最後に、米澤市長に言葉を充てています。
本日のブログの最後にそのことを記すとともに、是非とも思いを共有いただき、7月11日の追悼式には、多くの市民の皆さまにご参加いただければ幸いに存じます。
<一般質問での結びの言葉>
(敦賀)ムゼウムは、「人道の港」の史実を保存する中において、敢えて「戦争」を深く語っていないと認識している。「人道」の史実を学ぶ一方で、もう一つの史実「戦争」に関しては、先の大戦によって、ここ敦賀でも多くの人命が奪われたこと、中心市街地が焦土と化し、そして復興を果たしたという、我々は先人の努力の上に立っているという思いを持たないのでは、敦賀のアイデンティティが引き継がれないのではと考える。
古より、その地域を治める長の役割とは、地域にある固有の歴史や文化を守り、継承することにあると考えることから、とりわけ、人道の港を有する「敦賀だからこそ」、市長には、敦賀のアイデンティティを後世に継承していくべきとの思いをもって市政を進めていただくことを最後にお願いする。






