気候変動問題は「グローバルに考えてグローバルに行動すべき」

エネルギー ブログ

昨日は内容の濃い一日。
 
午前中は、自身が委員長を努める広報広聴委員会にて、年明けに予定している「高校生との意見交換会」(中身は出前授業)で講義するパワーポイント資料の確認、午後は福井県市議会議長会研修会、終了後、議会事務局さんによる「サイボウズoffice」説明会(デジタル媒体を用いた連絡手段の導入に向けて)、夜は原子力ユニオン敦賀支部さんへの活動報告会など。
 
それぞれの詳細は割愛しますが、どの時間も気づきや考えさせられることありで、大変有意義な一日となりました。
 
とりわけ、原子力ユニオン敦賀支部さんへの活動報告の場では、参加された皆さんより、コロナやまちづくり、議会活動などに対し、率直なご意見や提案などを頂戴しありがたい限り。
 
「活動の原点は職場、地域にあり」のモットー通り、こうした機会、ご意見を大切にし、活動に活かしていきたいと思います。
 
さて、報告会の中でも、話題の一つとして取り上げた「第26回国連気候変動枠組条約締結国会議(COP26)」が13日に閉幕しました。
 
COP26では「1.5℃目標」が焦点となった訳ですが、海面上昇の被害を受ける一方、石炭を禁止しても失うものがないカリブ海など島国の支持を議長国イギリスなどが後押しする形でしたが、ボリビア代表の「2050年ネットゼロを強要するカーボン植民地主義を拒否する」との宣言やそれに呼応して旧植民地(イギリスの)のインドが反撃したのが決定的だったようで、結果的に最終文書では1.5℃は「努力目標」にとどまり、石炭火力も”phasedown(段階的に縮小)”という無意味な表現になったというのが交渉の舞台裏だそう。
 
こうした情報を聞くに、まさに気候変動に関する国際目標というのは、「人類のため純粋な思いで」などという世界はことさら遠く、自国の利害を一番に考え交渉されるのが「世界標準」であるということが如実に分かります。
 
COP26の期間中に同意された「石炭火力の段階的廃止声明」に日本は参加しなかったことを「非協力的」だと揶揄する声、報道も耳にしますが、現実的に国内供給の約25%を賄っている石炭火力(再エネの代替電力としての役割も大)を安易に無くしていくなどということは到底できる訳がなく、毅然と参加しなかった日本政府の対応は、私は至極真っ当なことと考えるところです。
 
アゴラ研究所所長の池田信夫氏の言葉を借りれば、そもそもこの「1.5℃」は産業革命(1850年ごろ)からの上昇幅であり、現在までに1.1℃上昇したので、あと0.4℃上昇で半永久的に気温上昇を止めるという話で、直観的に無理なことは明らかだとしています。
 
また、ここがポイントで、「開催国のボリス・ジョンソン首相がこれにこだわったのは、2℃を目標としたパリ協定から前進した形を作りたかったからだが、科学的には1.5℃を超えたら何か特別な現象が起こる訳でははない。これは2050年ネットゼロという政治的目標から逆算した数字なのだ」とありました。
 
逆算した数字、いわゆるバックキャストで思い浮かぶのは、まさに第6次日本のエネルギー基本計画(2030年46%CO2削減を達成するよう電源比率を無理くり当てはめたもの)ですが、科学的意味合いがないことに巨額の費用と生活や経済への負担を強いることにどれだけの価値があるのかと考えてしまう次第です。
 
科学的意味合いの観点では、IPCCの特別報告書で、1.5℃では起こらないが2℃で起こる現象をリストアップしていますが、結果ほとんど差がなく、1.5℃と2℃の間に、南極の氷が一挙に溶ける臨界点があるという説もあったものの、IPCCの第6次評価報告書では「可能性の低いシナリオ」として参考データになっています。
 
また、例として、気温上昇についてIPCCは「中緯度域の極端に暑い日が約3℃昇温する」と書いていますが、高緯度域では「極端に寒い夜が約4.5℃昇温する」ので、ロシアやカナダは快適になることや東京の平均気温は既に産業革命から3℃上昇していますが誰も気づかないこと。
 
同じくIPCCは、「干ばつの影響を受ける世界全体の都市人口が約3億5000万人になる」と予想していますが、干ばつの死者はこの100年で90%近く減っていて、人的被害はインフラ整備で大幅に減らすことができるとされていることなど。
 
IPCC報告書の件に関しては、以前にもこのブログに記載させていただきましたが、学者や有識者の間でも評価が分かれる気候変動問題は、何が確定的な将来予測なのか誰も知る由がないといった状況が現状ではないのかと。
 
池田信夫氏は、コストメリットにも触れており、「先進国にとって脱炭素化のメリットは、その莫大なコストよりはるかに小さい。日本がパリ協定に基づいてCO2の排出を1トン減らす限界排出費用は378ドル。スイスと並んで世界最高である。それに対してほとんどの途上国の費用は1ドル以下だ。」と述べています。
 
その実態は、(公財)地球環境産業技術研究機構(RITE)が以前に提示した、各国とのコスト比較で見れば明らかな訳ですが(下表参照)、日本がCO2を1トン減らすコストでインドでは378トン以上減らせるということを意味します。
 

【約束草案の排出削減努力の評価と2030年以降の排出削減への道筋(RITEシステム研究グループ グループリーダー 秋元圭吾氏資料より抜粋)】
 
つまりは、日本が2030年までに46%CO2を削減するのだと必死に莫大なコストを掛ける分は、中国やインドなどでは極めて小さなコストで削減できるということであり、ローカル(国内)で必死になる意味合いはないとしています。
 
こと気候変動に関しては、「グローバルに考えてローカルに行動しろ」ではなく、日本は「グローバルに考えてグローバルに行動すべき」。
 
池田氏の言わんとすることに自然と共感する自分がいます。
 
だからといって、気候変動問題を決して蔑ろにする訳ではありませんが、高い目標を定めるのであれば、日本には日本の国情に見合った現実的な方法を用いるべき(無責任な再エネ頼みではなく、原子力や環境性能の高い火力の活用など)であり、ことエネルギーに関して政治判断される立場の方は、究極のリアリストであるべきと考える次第です。
 
昨晩の報告会でも生意気にお話しさせていただきましたが、こうした考えもあることを一人でも多くの方に知っていただくことも自身の役割のひとつと考え、引き続きこうした活動にも尽力してまいります。