2025年11月4日
テレジン収容所の幼い画家たち展
ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の象徴的な場所は、ナチス・ドイツが占領下ポーランドに建設した最大の強制収容所「アウシュビッツ」であることは周知の事実ですが、その歴史の中で、「アウシュビッツという地獄への控え室だった」と言われるのが「テレジン」という小さな街。
こちらもドイツの占領下にあったチェコスロバキア(当時)の首都・プラハから北へ60キロほど離れた街に作った収容所は、アウシュビッツへの中継地となり、多くの子ども達までが収容されました。
1945年5月8日に解放されたテレジン収容所には、子ども達が書いた4,000枚の絵とともに数十枚の詩が残されていたとあり、現在「人道と港敦賀ムゼウム」で開催中の特別展『テレジン収容所の幼い画家たち展』では、遺された絵の一部が展示されています。
アウシュビッツに送られた幼い子ども15,000人のうち、生き残って平和な日を迎えたのは、わずか100人。
明日への希望を夢見て書いた絵と照らし合わせ、罪なき子ども達が「ユダヤ人だから」という理由だけで殺されなければならなかった史実を思うに、胸を裂くものがありました。
「子どもたちが遺した絵や詩が私たちに教えてくれる」
これは、特別展のタイトルに添えられていた言葉ですが、まさに1枚1枚の絵から深く感じるものがありました。
また、展示室を出た廊下の壁面には、ポーランド生まれでアウシュビッツができた初日に送られたヤン・コムスキー氏が書いた、自身が経験した同収容所の実態の絵が展示されていました。
収容所内では、従順な「被支配者」になりたくないという思いから反抗的な態度をとり、度々「ムチ打ち」や後ろ手に縛られて吊るされるなどの懲罰を受けるなど、苦痛は大きかったものの、そのたびに「自分は生きている」と確認し、さらに「生きのびてこの事実を伝えねば」と、弱った体を奮い立たせていたと、展示パネルに氏のことが紹介されていました。
なお、そうして描かれた絵はリアルに、非人道的な扱い、環境を伝えていて、こちらは呼吸が詰まるかのような、ずっしりと胸に重くのしかかるものがありました。
私自身、昨日足を運び、じっくりと企画展を拝見したところですが、ちょうど11月3日は、ムゼウムのリニューアルオープンから5周年。
この3連休開催された「みる しる わかる ムゼウムDays!」には多くに方々が来館されたとお聞きしたところであり、恒久平和や命、そして人道とは何かを教え、問いかけてくれるムゼウムの存在意義は年々大きくなっており、今後もここ敦賀から世界へ、発信を強めていっていただきたいと願う次第です。

【昨日の「人道の港敦賀ムゼウム」。リニューアルオープンの5年前と同じ、青空が広がっていました。】






