2020年7月31日
「台湾民主化の父」と「日本精神」
台湾の民主化を進め、初の直接選挙による総統を務めた李登輝元総統が30日にお亡くなりになりました。
享年97歳。
生前に残した偉大な功績と最後まで信念を貫き通したその生き方に対し、謹んで深く哀悼の意を表するとともにご冥福をお祈りいたします。
私と台湾との関係と言えば、今から11年前の2009年に、ある労働団体の交流事業で訪れたことがあるだけでありますが、訪問するに際し事前に勉強した台湾の歴史、そして李登輝元総裁の思想や生き方に感銘を受けたことを今でも新鮮に思い出すところです。
その台湾訪問、予習を持って訪れた台湾の地の雰囲気はまさに「日本」。
到着の後、最初に訪れた台湾が誇る建造物の象徴である「台北101」ビルは、2007年にドバイのブルジュ・ハリファに抜かれるまでは、世界一高いビルとしてギネスブックにも認定されていたもの。
名前の由来となったように地上101階からなり、施工は日系企業が中心となって約7年間かけてこの超高層建築物を完成させたことを知りました。
【2009年に撮影したもの。雲に隠れる「台北101」】
また、このビルに設置されている超高速エレベーターは「東芝製」で当時「世界最速」。
速度もさることながら、揺れやエレベーター特有の耳の違和感なども全くない、世界最高レベルの技術に何と「異国」で感銘を受けた次第。
【世界最速エレベーターの証。Toshiba Elevator and Building Systems Corporation (Japan)の文字が誇らしい。】
まちの雰囲気もどこか日本を思わせる看板やお店が並び、李登輝氏が「電車の中でも本を読む、日本人の勤勉な国民性」を習い、台湾内でも呼び掛けたとの話しなどを聞いていた通り、接する台湾人は日本と日本人に大変興味を持ち、そして優しい方ばかりだったことも思い出されます。
これ以外にも台湾新幹線も日本製だったことや、日本の企業も多く進出しているなど、単に思想的なことだけではなく、技術や雇用といった面でも「日本を信頼」してもらっているとの感情を持った次第。
つまり、台湾は親日か反日と言えば、私の中では絶対に「親日」なのであります。
そして、その風土や思想の礎を築いたのが李登輝元総裁。
終戦前から台湾に住む「本省人」として初の総統に就任し、中国大陸由来の国民党政権による一党独裁体制を内側から変革し、「台湾民主化の父」と呼ばれたことは誰もが知るところ。
中国からは「台湾独立派」と批判されましたが、流暢な日本語と親日的な言動で多くの日本人に親しまれてこられました。
また、高校時代に新渡戸稲造の「武士道」を読み込んだ李登輝氏は、自著でも「日本の伝統的価値観の尊さ」を訴え、戦後日本の「自虐的歴史観は誤り」と書かれたほか、日本との関係では、2001年に心臓手術で訪日する際、ビザの発給が政治問題化して以降、2016年夏までに計8回訪日し、2007年には実兄が祭られている靖国神社に参拝。
台湾も領有権を主張する尖閣諸島(沖縄県石垣市)を巡っては、台湾内で批判を受けながらも「日本の領土だ」と公言し続けました。
こうして李登輝氏を語る、代表的な話題を書くだけでもこの「日本」と「日本精神」を愛してやまなかったことを強く思う訳であります。
生前これほどまでに拘った「日本精神」を「僕はね、戦後の日本人が失ってしまった純粋な日本精神を今も持ち続けているんだ。だから政治の苦難も乗り越えられた」との言葉も残されています。
危険を顧みず、命を削り、これほどまで我が身をもって「日本人へのメッセージ」を送っていただいたことに改めて感謝を申し上げるとともに、日本人のひとり一人が李登輝氏の生き様を決して無にしないためにも、この「日本の文化」と「日本精神」を今一度肝に銘じなければなりません。
私自身、そのことを今一度胸に留め、行動していく所存。
最後に、偉大なる「台湾民主化の父」に合掌。
安らかにお眠りください。