鉄道開業150年と敦賀。レールは未来へ。

ブログ 敦賀の歴史・文化

先週土曜日、「ドローンを活用した新スマート物流SkyHub®︎」のフライト確認で杉箸区まで行った帰り、久しぶりに「小刀根トンネル」に寄りました。
 
この「小刀根トンネル」(56m)は旧北陸本線トンネル群のひとつで、1881(明治14)年に竣工。
 
日本人技術者によるもとのとしては、明治13年竣工の逢坂山トンネル(京都〜大津)に次いで二番目に古く、現存するものとしては「日本最古」の鉄道トンネルですが、トンネル内を歩けば、蒸気機関車の煙で煤けたレンガ、露出している岩盤などを見るに、どこか140年前にタイムスリップしたような感覚になる、まさに「敦賀の鉄道遺産」を誇りに感じてきたところです。
 


【現存する日本最古の鉄道トンネル「小刀根トンネル」。煙で煤けたレンガに140年の歴史を感じました。】
 
突然、鉄道トンネルの話しから入りましたが、1872(明治5)年10月14日、新橋ー横浜(現桜木町)間29kmの両停車場で開業式が行われた「鉄道開業の日」から今日で150年を迎えます。
 
翌10月15日からは旅客列車の運転が開始され、これを境に日本の交通事情、時間の使い方の概念がガラリと変わった訳ですが、蒸気機関車が走る姿は当時の人々にとって驚異的な出来事であり、まさに文明開化の象徴であったことが容易に想像できるところです。
 
さて、日本における鉄道の歴史は、明治維新から間もない1869(明治2)年12月12日に政府の鉄道敷設計画(助言者は「鉄道の父」井上勝)が決定したところから始まりますが、この計画にはこうあります。
 
「幹線ハ東西両京ヲ連結シ、枝線ハ東京ヨリ横浜ニ至リ、又、琵琶湖辺ヨリ“敦賀”ニ達シ、別ニ一線ハ京都ヨリ神戸ニ至ルベシ」
 
ご存じの方も多いかと思いますが、東京ー横浜、京都ー神戸と同格で「敦賀」までの敷設が記載されており、越前国海陸図の存在をはじめ、当時の敦賀が日本の物資輸送における重要な結節点としての役割を担っていたことを、この計画が証明していると言えます。
 
鉄道敷設計画については、その後、東京や京都が開業する中、難所続きの敦賀までは予算の関係で工事着工に至っていませんでしたが、1878年(明治11)年に「海運網と連絡する鉄道敷設重視」に政策転換したことにより、敦賀ー米原間(北陸線)の鉄道敷設工事費が計上され、1881年(明治14)年には小刀根トンネル、1884(明治17)年には柳ヶ瀬トンネル(当時、国内最長のトンネル)が完成し、悲願の敦賀(金ヶ崎)ー長浜間が開業。
 
さらに鉄道延伸により、敦賀以北へと続いたのが、「鉄道と港のまち敦賀」と言われる所以と認識する次第です。
 
なお、日本遺産にも認定されているトンネル群に話しを戻すと、「鉄道の父」井上勝氏は「汽車、レール、橋梁の資材は全て外国製品。外国に支払うばかりでは国内の技術は向上しない。西洋の技術を越えるものを、日本人の手で作らねばならない」との言葉に従い、先の「小刀根トンネル」の存在につながる訳ですが、敦賀人の気質として、攘夷の意識を強化される経験から、何事も「日本人だけの手で」との考えが強く、その実践として現に、明治期における近代遺産第1号「黒崎(阿曽)トンネル」が、日本人の手だけで1876年(明治9年)に手掛けられていることもまた、誇れる郷土のスピリットと財産であると思うところです。
 
ここまでは過去の歴史を振り返ってきましたが、レールは未来へとつながります。
 
JR東日本が作成した記念動画を観ると、このようなキャプションが流れていました。
 
150年前から始まった鉄道の歴史
線路が延びるたび
列車が速度を上げるたびに
日本はひとつになり
鉄道の進化は
この国を動かす原動力となりました
これまでもこれからも
行き先は新しい未来
 
1964(昭和39)年10月1日に東海道新幹線東京〜大阪間開業から58年を経て、1年半後に北陸新幹線の開業を迎える敦賀は、古から交通の要衝として栄えたまち。
 
しかしそれは単に地理的な優位性に依存するのみでなく、歴史遺産に刻まれる、その時々にあった、先人たちのチャレンジ精神や開拓精神があったからと強く認識するところ。
 
つまり、今を生きる私たちがこうした歴史、先人の思いをつなぎ、新たな時代を築いていく気概と気骨を持つことこそ、未来にレールを延ばす、この敦賀がさらに発展するための「原動力」であると、鉄道開業から150年の日に思う次第。
 

【完成すれば全国の整備新幹線駅の中で最も高く、最も容積の大きいものとなる「敦賀駅」。金沢ー敦賀間工事最大の難所をこうして進める関係者、現場の皆さんもまた、歴史に名を刻む開拓者であります。】