絶対に風化させてはならないこと。今日は「原爆の日」。

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あなたにとって絶対に風化させてはならないこととは何か?と問われれば、私の答えは2つ、「戦争」と「北朝鮮拉致問題」です。
 
そのうちのひとつ「戦争」に関しては、毎年、今日を境とし徐々に先の大戦に関する新聞記事やテレビ番組が増えるような気がします。
 
8月6日。
 
今日は、戦争を象徴する出来事、広島に原爆が投下されて75年となる「原爆の日」。
 
9日の長崎とを合わせ、これで四半世紀を3度重ねたことになります。
 
広島の地で行われる平和記念式典は、新型コロナウイルス禍における感染拡大防止のため、規模を縮小して行われるとのことでありますが、どれだけ長い時間が経っても犠牲者を悼むとともに、原子爆弾の被ばくという未曽有の事態からよみがえった広島の歩みを、改めて思う1日にしなければなりません。
 
記念式典では広島市の松井市長が平和宣言されますが、事前に発表された骨子によると、平和を脅かすウイルスに対しては「連帯」が重要と強調し、「75年間は草木も生えぬ」と言われた広島でも人々が「連帯」して苦難に立ち向かい復興したと述べられるようです。
 
一瞬にして焼け野原となった絶望から、それでも人々は懸命に歩み、まちや暮らしを再建してきた、まさに苦難と復興の歴史を思い返すことは、新型コロナウイルスや豪雨災害に苦しむ今の日本に、目に見えない力を与えてくれるような気がします。
 
そしてこの日、併せて考えなければならないのは、核兵器の問題であります。
 
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約に日本が参加しなかったことに対する世論も様々な訳でありますが、北朝鮮など核兵器の脅威が続く中、今なお米国の核の傘に抑止力を頼らざるを得ない日本として、国際社会の中でどう行動していけば良いのか。
 
もちろん、私も世界から核兵器が無くなれば良い、いわゆる「核兵器廃絶」を目指すべきとの考えであり、その「理想」は尊いものであると考えます。
 
しかし、「理想」だけで「平和」は守れないというのも、この厳しい国際社会における現実。
 
では具体的にどうするのか?
 
正直、私の中にこれ以上の答えは持ち合わせていないのが現実で、思考不足な点は否めないところでありますが、長い人類の歴史において唯一、原子爆弾による被ばくを経験した日本であるからこそ果たせる役割、そのことを経験したうえで乗り越えなければならないこと、この先も暫くはその葛藤との戦いのうえに立って思考を続けねばならないものと考える次第。
 
奇しくも新型コロナウイルス禍で迎える「原爆の日」。
 
ウイルス禍に耐え、今ある現実の平和を守ること、そして75年前に起きた現実を絶対に風化させないとの念だけは、強く我が胸に留め置きたいと思います。
 

【3年前に訪れた広島の地。今なお「原爆ドーム」がその歴史を語り継いでいます。】