「原爆」を想像させる「原発」の呼称は使用するべからず

ブログ 原子力

核兵器廃絶と恒久平和を願う「原爆の日」に述べるのは相応しくなかろうと、昨日は書くのを控えましたが、逆にこの日に因んでどうしてもお伝えしたいことがありますので、本日はその前置きのもとお読み取りいただければと存じます。
 
それは、「核兵器」とは真逆の「原子力の平和利用」を目的とした「原子力発電」の呼称に関してです。
 
私の記憶の中でしかないものの、以前は言葉の持つ意味合いを踏まえ「原子力」と「原発(げんぱつ)」とが新聞社によって入り混じっていた印象がある訳ですが、恐らく福島第一原子力発電所の事故を境に、そのような考えなど無かったかのように、今では「原発」と呼ぶのが当たり前となっている現実があります。
 
随分前のことですが、「原発」と呼ぶのは、日本人にとって悪の「原爆」とイメージを被せるが如く用いる左翼用語であること、よって原子力発電に携わる者は、正しく「原子力発電」或いは「原子力」と呼ぶべしと教えられたことが鮮明に記憶されおり、以降、その教えは私の中に根付いています。
 
先に述べた通り、今では左派系は勿論のこと中道、右派系報道機関までもが「原発」を統一用語のように用いていること自体、私としては嘆かわしいことでありますが、その言葉を巡りこのような事例がありました。
 
昨年の敦賀市議会選挙後に、とある新聞社の政策アンケートがあり、その設問のひとつに「敦賀原発3、4号の増設を進めるべきか」との問いがありました。
 
私は、自身の回答書を送付するにあたり、先に述べた教えと信念に基づき、「敦賀原発という呼び方は存在しない。正しく、事業者が使用している「敦賀発電所3、4号機」若しくは「敦賀3、4号機」に設問を修正し掲載すべき」との意見を添え修正を求めたところ、実際、選挙後に掲載された新聞記事の設問は「敦賀3、4号機」と表現されていました。
 

【当時の新聞切り抜き。少し見難いのですが、左上の設問をご覧ください。】
 
この事例を思えば、アンケートを作成された記者さん個人、新聞社さんがどこまで意識をしてか知らずか「原発」を使っているのかでありますが、指摘に習い修正(特に反論、逆質問もなし)されたことを思えば、そこまでの拘りを持って使っている訳ではないものと考えると同時に、意識せずとも「使ってしまっている」、つまりは既に「標準語」として浸透しつつあることに対し危機感を覚えた次第であります(まんまと左翼の作戦に嵌ってしまっている)。
 
そこまで敏感にならずとも「原子力発電」を略したら「原発」やろ?とのご意見も聞こえてきそうでありますが、言葉ひとつも思想やイデオロギーに関わるものであることから、今後もこの点に関しては信念を持って「原子力発電」、「原子力」と表現すべきと呼び掛けていきたいと考えます。
 
この言葉の使い方に関して言えば、昨日、平和記念式典が行われた「広島」を「ヒロシマ」と呼ぶのは、何を意図しているのか。
 
「長崎」は「ナガサキ」、「沖縄」は「オキナワ」、そして「福島」は「フクシマ」。
 
何か共通点のある、都道府県名をカタカタ表記すること、或いはその背景にあるものに対し大いなる違和感を感じるのは私だけではないでしょう。
 
話しを元に戻しますが、あの「原爆」までもを反対運動の作戦として使うこと自体が、私にとっては許されることでありませんので、このブログを呼んで考えに賛同いただける方におかれましては是非とも、「原発」ではなく「原子力」、「原子力発電」と呼んでいただくとともに、日本人として違和感のある言葉に対してはご注意されますよう切にお願いいたします。