結論は「今を一生懸命生きる」こと

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意識不明の重体が続いていた福井県議会議員の辻一憲さんが、26日午後8時46分に入院する越前市の病院内でお亡くなりになりました。
 
辻県議は、2015年に越前市・今立郡・南條郡区から県議に初当選され、現在2期目。
 
県議会の第2会派であり、連合系会派である「民主みらい」に所属し、今年3月からは会長の重責を担われていた方。
 
私は、市議になってからのお付き合いでしかないのですが、それでも連合福井推薦議員団の懇談会などで顔を合わすといつも優しく声を掛けていただいたり、政策的なアドバイスを個別に電話で頂戴したりと、年齢や議員の期数に関係なく、誰とも分け隔てなく、同じ目線で接する「紳士」であり「人格者」というのが辻県議に対する印象でした。
 
また、お付き合いが深い方のお話しを伺っても、世のため人のために尽くす実直な思い、バランス感覚の取れた政治姿勢は誰からも信頼され、次は国政へと期待もされるほどであったとのことであり、そのお人柄、能力、期待の大きさからも、その存在を失ったことの影響の大きさは計り知れず、ただただ残念としか言いようがありません。
 
享年56歳。
 
私も短いながらも政治の場に身を置く立場として、辻県議のこれまでのご活躍、ご功績に敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
 
さて、このような内容の後に私ごと切り替えるべきではないのかもしれませんが、昨日は長男が4月からお世話になった福井県消防学校の初任教育卒業式がありました。
 
第56期となるこの初任教育は全寮制にて行われ、同校が掲げる校訓「誠実、責任、規律」のもとに、公共の安全に尽くす消防職員としての必要な知識、技術の習得及び公務員としての心構え等の教育訓練のほか、校外でも40キロに及ぶ強歩訓練、風雨の中の山岳訓練等が実施され、長男の顔つき、体つきの変化からも、心身両面から鍛え上げるご指導をいただいたことに感謝申し上げたいと思います。
 
卒業式のほうは、コロナ対策から保護者の出席は1名のみということで、私は議会中でもありましたので、妻のみ出席。
 
撮影してくれた写真からは、厳粛な式典の様子を伺うことが出来たところです。
 

【皆の後ろ姿が、春よりたくましく見えるのは訓練の成果でしょうか】
 
4月5日から9月28日の118日間、敦賀美方消防組合から出席した長男含む4人を始め、同じ志を持って県内から集い、ともに精神力、体力を鍛え上げ合った39人の仲間は同志であり、各消防署に配属されて以降も、ここでのつながりを大切に成長してくれることを期待し、応援したいと思います。
 
こうして彼ら彼女らが自らの目標に向け力強く進む姿を見るに、やはり人生に「志」を持つことの大切さを学ぶと同時に、1日1日、1分1秒を大切に過ごさねば、その志に到達できないのではないかと考えるところ。
 
冒頭の辻県議、ご本人もさぞかし志半ばで無念であったであろうと人は言ったとしても、県議自身は、いつ何があっても悔いなきよう日々過ごしてきたから大丈夫と仰るかもしれない。
 
もう聞くことは出来ないので想像の世界でしかありませんが、あの辻県議であれば、そう生きて、生きた証、人生の爪痕をしっかりと残されたのだと私は思います。
 
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」
 
吉田松陰が「留魂録」の冒頭に記された、我が身が亡くなってもその魂や考えは受け継がれる(つまりは生き続ける)との意を持つ辞世の句ですが、辻県議にもそう思っていただけるよう、思いを我が身の中に生かし続けなければならないとも思うところです。
 
まさかとは言え、若くして人生の幕を閉じた辻県議、そしてこれから新たに実戦の場で研鑽を積む消防学校卒業生、その両面から悔いなき人生とは何かを考えた時、それは人間に唯一平等に与えられている「時間」を精一杯大切に使うことに尽きると思う次第。
 
こうして今も時は過ぎていて、過ぎた時間は二度と返ってこないし、未来は放っておいてもやってくる。
 
結論は、「今を一生懸命生きる」こと。
 
知って行わざれば知らぬことと同じなり。
 
自分自身、ただただ実践あるのみです。