海陸交通の要衝「敦賀」は、芸術への関心も高かった

ブログ 敦賀の歴史・文化

胸が澄くような秋晴れが続いた敦賀ですが、今日は残念ながら雨模様。
 
気になる台風16号はフィリピンの東を進み、27日には一番上のランクの「猛烈な」勢力となる予想とのこと。
 
今日からは南西諸島や西日本・東日本の沿岸部では、次第に影響が出始めるとありますが、今後の進路には十分留意しておきたいと思います。
 
さて、様々な楽しみのある「秋」ですが、昨日は令和3年度第3講となる気比史学会主催の市民歴史講座に参加し、「敦賀の芸術」に触れることが出来ました。
 
「地域史を掘る」と題し、全5講で行われる今年度の講座ですが、昨日のテーマは「敦賀コレクションの魅力と敦賀ゆかりの絵師たち」。
 
郷土ゆかりの画家はもちろん、江戸時代から近代にかけて京都で活躍した画家たちの作品を豊富に集めた「敦賀コレクション(敦賀市立博物館館蔵絵画)」について知り、学ぶことが出来ました。
 
正直、この分野の知識は皆目ありませんでしたが、講義のまとめにあったよう、敦賀は海陸交通の要衝であり、町人文化の発展、芸術への関心の高さから「町絵師」への支援につながったこと、みなとまちであったことの影響は間違いないが、人もモノも集まる敦賀であったからこそ、今のコレクションがある。
 
つまりは、「敦賀コレクション」は、みなとまち敦賀の文化、歴史の豊かさを語るものだということを知り、ますます敦賀というまちの奥深さを感じた次第です。
 
先週の「鉄道カフェ」に続き恐縮でありますが、この市民歴史講座の内容も私だけの知識に留めておくにはもったいないことから、概略メモを掲載させていただき、皆さんへのご紹介と情報共有に変えたいと存じます。
 
以下に、私が書き留めたメモを記載しますので、宜しければご覧ください。
 
【敦賀コレクションの魅力と敦賀ゆかりの絵師たち】
 
1.日 時 : 令和3年9月25日(土)14時〜16時
2.講 師 : 敦賀市立博物館 学芸員 加藤 敦子氏
3.内 容 :
(1)はじめに
・敦賀コレクション(敦賀市立博物館館蔵絵画)は、1978年8月の市立歴史民俗資料館開館の翌年の1979年に絵画作品の第1号を購入。
・1983年より絵画収集を本格化し、312点を収集。
・コレクション収集にあたっては、調査研究員・美術購入選考委員会の故田邊昌平氏が多大な貢献をされた。
・コロナ禍で開催した「ふつうの系譜おかえり展」には3,817人が来館。市内外の来館者の多くからは「癒しになった」との声を頂戴した。
 
(参考)敦賀市立博物館の江戸絵画の一部は、府中市美術館の「春の江戸絵画まつり」でもたびたび展示され、「やまと絵や円山四条派など、ひたすら美を追求した画家たちの作品によって、ひたすら美しい「非奇想」の世界に浸っていただきます」と紹介されている。
 
(2)コレクションの構成
・収集方針
 ①第1項 郷土ゆかりの作家の作品
 ②第2項 前項の師弟関係にあたる作家の作品
 ③第3項 郷土作家に影響を与えたと考えられる作家の作品
 ④第4項 前1〜3に掲げた以外の郷土との人縁・地縁で結ばれる作品
・コレクションを構成する主な流派のうち、弟子が千人居たと言われるくらい人気であった「丸山応挙」、応挙の影響を受けた「呉春」らを総称する円山四条派は、バラエティーに富んだ画風を築いた。 
・狩野派や土佐派は、世襲により流派の画風を重んじた。
・コレクションの流派別では、円山四条派が32%、狩野派が12%を占める。
・絵師の活動エリア別では、京都が55%、東京25%、敦賀は6%。
・活動時期では、江戸時代中期が51%で大半を占める。
 

【円山応挙 《狗子図》 安永7年(1778年) 敦賀市立博物館】
 
(3)江戸時代の敦賀の文化情勢について
(江戸時代前期)
・敦賀の経済は、幕藩体制の下、上方と北前をつなぐ港が栄え、かの井原西鶴は「敦賀は北国の都」と呼んだ。
・敦賀の絵師、橋本長兵衛(初代)は現在の相生町に住み、権力者に重宝されたほか、学雄、中村幽甫、橋本仙桂らがいた。
 
(江戸時代中期・後期)
・国全体が活気付き、町人が台頭。絵師たちの活躍の場も広がり、画壇でも新しいものへのニーズの高騰から個性化、人々の好奇心、知識欲の高まりから「真写」の動きとなった。
・敦賀の経済は、西回り航路が開発されたため、入船数が以前より減少したものの、近江商人の松前物の荷役が増加。
・敦賀の絵師、内海元孝は円山応挙に学んだのは確実と言われ、スケッチが八幡神社に残されている。
・今村公龍の作品は貴重で氣比神宮に保存されていたが消失。市立敦賀病院のロビーに掛かっている敦賀湾の絵は、公龍のものである。
 
(近代)
・近代国家体制の中で「美術」の概念や制度化が進められる。
・フェノロサらによる日本画の近代化。京都画壇の近代化も進められ、流派は消滅し、美術学校や美術団体が設立、展覧会などで競い合う時代に。
・東京や京都と違い、敦賀はおおらかな雰囲気の中で、上方絵師の来敦により、京都画壇の影響が広まる。
・豪商、財界人らが学問的な教養として、芸術分野への関心を高める。
・敦賀出身の内海吉堂は、南画家として活躍し、鯉の絵が有名。
 
(4)地域を超えた人的交流
・敦賀に来た絵師は、狩野永敬、円山応挙、山口素絢、横山華山など著名人が多数。
・こうした環境から、敦賀の商人も絵師の襖絵などを所有していた。
敦賀では、多岐に亘る寺子屋や私塾での教育が発達していたこともあり、絵や芸術に対する関心や教養が高かった。
・寺子屋以外でも「文化サロン」があり、大和田荘兵衛が立ち上げた「揮毫会」は、後に「文殊会」として地域を超えた文化交流がされた。
 
(5)まとめ
・敦賀は海陸交通の要衝であり、町人文化の発展、芸術への関心の高さから「町絵師」への支援につながった。
・みなとまちであったことの影響は間違いないが、人もモノも集まる敦賀であったからこそ、今のコレクションがある。
・つまり、敦賀コレクションは、みなとまち敦賀の文化、歴史の豊かさを語る。
・こうした土壌があって、全国でも有数のコレクションとなっている。
・当時の人々が愛した「美しさ」が伝わるコレクションから「美」を感じる心は昔も今も同じである。

 
講師の加藤さんが説明いただいたパワーポイントのスライドをお見せ出来ないのが残念ですが、江戸時代からの絵師の作品を始め、ゆかりのあるエピソードの紹介などから、当時の敦賀の賑わいや一歩先を行く芸術文化に触れる風土があった情景を浮かべることが出来た次第です。
 
こうして、私にとっては未知の角度から敦賀のことをより知ることが出来たことは貴重な財産でしたが、より多くの市民の方に知っていただきたいとの思いとなるのも事実。
 
次回の市民歴史講座(4講)のテーマは、「氣比神宮と朝倉宗滴 〜天文十年造営・遷宮事業を中心に〜」(講師:福井県立歴史博物館主任 有馬香織氏)となります。
 
11月27日(土)14時より、敦賀市立図書館3階にて開催されますので、興味のある方は是非お気軽に参加いただければと思います。