敦賀発電所1号機 営業運転開始から54年

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宇宙事業会社スペースワンの小型固体燃料ロケット「カイロス」初号機が昨日午前11時1分、和歌山県串本町のロケット発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げられた直後に爆発。
 
民間単独による初の人工衛星打ち上げは失敗しました。
 
政府は民間を含め、2030年代には30機のロケット打ち上げを目指すとしているだけに残念ではありますが、歴史を見ても科学技術開発はチャレンジの連続。
 
この失敗を糧に、次の成功を期待する次第です。
 
さて、科学技術開発といえば、今日3月14日は、日本原電の敦賀発電所1号機(以下、敦1)が営業運転を開始した日。
 
この日を誕生日とすると、敦1(つるいち)は「54歳」。
 
私(52歳)とほぼ同世代の敦1は、我が国初の商業用軽水炉として運転を始め、1970大阪万博に原子力の灯(電気)を送ったことで有名で、まさに高度成長期の電力供給を支えたプラントです。
 
2015年4月27日には約45年間の運転を終え、現在は廃止措置を進めているところですが、原子力黎明期にあって、国益に資する新たなエネルギー源を確立するため、初めて尽くしの発電所建設から運転までを乗り越えた先人に敬意を表するとともに、社員はもとより協力会社、メーカーの皆さんまで多くの人に愛され、支え続けられた「敦1」の存在を今でも誇りに思うところです。
 

【昭和44(1969)年10月3日。初臨界を達成し握手する日本原電の一本松社長とカートライト GE東京支社長(2020年12月に開催された「敦賀発電所50周年 げんでんふれあいギャラリー」より)】
 
私も発電所で保修業務に携わっていた際には、敦1の設計者であるゼネラル・エレクトリック(GE)や東芝、日立などプラントメーカー、さらには多くの協力企業の皆さんとともに、担当する機器をまさに「愛車」をいたわるよう、愛着と情熱をもってメンテナンスにあたったことを思い返します。
 
そうした記憶、幾度かトラブル対応も経験しましたが、毎回の定期検査に無事起動できた時の達成感と充実感は即ち、原子力発電で社会に貢献することへの誇りでした。
 
なお、現在では敦賀発電所2号機が停止して10年以上が経過をし、運転経験のない発電所員の割合が増えてきているのは事実として、若い方々にはぜひ、今日のこの日を思い返し、原子力発電が果たす役割、そこに我々は必ずや貢献するとの強い意志をもって進んでいただきたいと思う次第。
 
冒頭のロケット開発と同様、原子力発電も2030年台には次世代革新炉による実証に進むロードマップとなっています。
 
「原子力の研究・開発・利用を推進し将来のエネルギー資源を確保する。学術の進歩と産業の振興とを図り、人類社会の福祉と国民生活の水準向上に寄与する。」との方針を目的に定めた「原子力基本法」(1955年12月19日)から69年。
 
基本法に込められた崇高な理念、そしてその礎を築いたのは、ここ敦賀の地であり、日本原電の先輩たちのパイオニア精神であったことに思いを馳せ、次の時代にチャレンジするとの気概を改めて胸に刻む次第です。