敦賀が初めて空襲を受けた日。拉致問題と同じく風化させてはならない。

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10日、北朝鮮に拉致され、2002年に帰国を果たした地村保志さんのお父さん、保さんが小浜市内の病院でお亡くなりになりました。
 
6月に死去された横田滋さんとともに拉致被害者家族会を結成し、1978年に拉致された息子の保志さんを取り戻すため、先頭に立って取り組まれた方。
 
その保志さんと妻の富貴恵さんは、「父の救出活動がなければ私たちの帰国もかなわなかった。遺志を引き継ぎ、拉致問題が解決されるよう今後も取り組んでいく」とのコメントを発表されたとのこと。
 
享年93歳。
 
拉致問題に毅然と戦った姿を同じ福井県民として誇りに思うとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
 
さて、本日7月12日は、先の大戦にて敦賀市街が空襲された日(昭和20年7月12日)です。
 
敦賀市においては、この日に合わせ「敦賀市戦没者追悼式」が毎年開催されてきた訳ですが、今年は新型コロナの影響により中止。
 
式典は中止となりますが、午前10時に鳴らされるサイレンを合図に1分間の黙とうを捧げることを呼び掛けておりますので、市民の皆さまにおかれましたは何卒ご協力いただけますようお願いいたします。
 
この追悼式に関しては、昨年私も参列させていただき、敦賀が日本海側で最も早く空襲の戦禍にあった街であり、計3回の空襲により225柱の尊い命が失われたことや戦没者戦災死没者1,764柱のお御霊が眠られていること、戦後74年を迎え、国民の8割が戦争を知らない世代となる中、次世代に伝える活動をされている団体がいらっしゃることなどを知り、改めて戦争と平和を考える機会となりました。
 

【昨年の敦賀市戦没者戦没者追悼式の様子】
 
また、遺族会代表の方が式辞で述べられた、「国を思い、尊い命を失った英霊のもとに今の私達が存在し、この国と我が故郷敦賀の発展に尽力することが、英霊の思いに応えること」との言葉は胸に強く刻まれ、以降、活動にあたるうえでの糧となっています。
 
敦賀市ホームページの追悼式中止をお知らせするページにはこうあります。
 
「戦争が終わって75年が経ち、戦争の体験や記憶の風化が進んでいます。戦没者戦災死没者の冥福をお祈りするとともに、命の大切さと平和の尊さを次世代に語り継いでいただきますようお願いします。」
 
私も横田滋さんがお亡くなりになった日に述べた通り、日本人として「決して風化させてはならない」ことは拉致問題であり、さらには市ホームページにあるこの「戦争の体験と記憶」だと思うところです。
 
「我が国と故郷を守る」
 
言葉では容易く言えることですが、そのためには「国民の覚悟」と「実効性ある抑止力」が必要であり、国家の存亡にも関わるこの問題をいつまでも棚ざらしにしていてはいけないと考える次第であります。
 
1,989柱のお御霊はどうお考えか。
 
本日は、哀悼の意を捧げるとともに、そのことについても考える黙祷の時間にしたいと思います。