夢舞台叶わぬ球児に贈る「球けがれなく道けわし」

ブログ 敦賀と野球

一高校野球ファンとして、そして高校球児を持つ一人の親として、ある程度の覚悟はしていたものの、いざ現実に直面すると胸が痛くて堪りません。
 
昨日、日本高校野球連盟(以下、高野連)の運営委員会等が開催され、注目の夏の甲子園大会を中止するとの決定がされました。
夏の大会としては「戦後初」、センバツを含めた春夏中止は「史上初」になるとのこと。
 
18時から開催された高野連と主催者である朝日新聞社合同の記者会見もライブで視聴しましたが、新型コロナウイルス感染の状況を踏まえながら、各都道府県高野連とも連携を図りながら、あらゆる可能性を探りつつ熟慮を重ねてきたうえで、全国から集うことによる感染リスクや準備不足、学業への影響など、「球児たちの安全」を最優先に判断した結果との中止理由でありました。
 
また、印象に残ったのは、高野連の八田会長の「高校野球は、あくまでも教育の一貫であることを重んじた」との言葉。
 
勝利至上主義などとも揶揄される中にあって、原点に立ち返る考えに基づき判断されたと受け止めたい。
 
とは言え、甲子園を目指す予選参加校は3,800を超え、全国15万人の高校球児たちの思いは幾ばくか。
相手がコロナ感染であろうと、軽々に「仕方ない」の一言で片付けることは到底出来ない訳であります。
 
仲間とともに青春の全てを懸け「夢舞台へ挑戦」するはずの、その機会すら失った球児に対して、こちらもあらゆる可能性や手段を探り、これから出来る代替策を講じることが、大人の役割と強く思うところであります。
 
これは、高校野球に限らず、先に中止を決定している高校総体(インターハイ)に関しても全く同じであります。
 
野球に関しては、高野連自身も昨日の会見で、選手権の地方大会という位置づけはなくなるものの、代替の地方大会開催については「地方の自主判断に任せるというのが基本姿勢」と述べており、本福井県においても前向きに検討との考えを示していることから、今後出来得る限りの協力をしていきたいと考えます。
 
全国の球児たちも同様かと思いますが、部活動が休止になって以降、約2か月の間、高校3年生になった我が長男も日々、家での筋トレやストレッチなどを欠かさず行っている姿を見てきました。
多くは語りませんが、再開後にある「甲子園への切符を懸けた戦い」に備え、並々ならぬ闘志を込めて備えをしていたのだと思います。
 
その姿は、昨日の中止の決定を聞いても変わらず、黙々と筋トレに励む姿がありました。
 
敦賀高校は、今春のセンバツ21世紀枠選出校の全国9校にまで残り、甲子園出場まであと一歩まで行きながら落選した苦い記憶があります。
あの時の「平常心で物事を受け入れよ」との監督さんの教えで「落胆や悔しさ」を乗り越え、「次への力」に変えることが出来た訳ですが、一度ならぬ二度までものこの場面にあっても、そういった姿を見せないというのは、あの時の経験が心身ともに一段成長させていたのだと感じるとともに、親に敢えてそういう姿を見せない、泣き言を言わないようにしているのかとも思うと、胸が切なく、無駄に言葉を掛けることを止めた次第。
 
この状況になって、ひとつ言えることは、これで全てが終わったわけではなく、仲間とプレーする可能性はまだ大いに残っているということ。
 
3年間培ってきた努力の成果を確認する最後の機会に向け、「これで終わり」でなく「これから何をすべきか」をチームメイトとともに良く議論し、前に進むことが、必ずやこの先の人生の糧になると信じています。
 
「球けがれなく道けわし」
 
これは、ドカベンで有名な水島新司氏の野球マンガ「球道くん」の主人公、中西球道君が大切にしている教えで、私も好きな言葉です。
人生訓に置き換えれば、「人生という道は険しいけれど、白球を無我夢中で追った直向きな努力と信念があれば乗り越えられる」ではないかと。
 
最後になりますが、長男へは機を捉え直接、この気持ちを伝えたいと思いますし、心の中では全国の球児にも同じ思いを贈りたいと思います。
 

【写真は昨年の夏の甲子園開会式の様子】