広陵高校が前代未聞の出場辞退

ブログ 社会

以前のブログで、夏の風物詩は「甲子園」と「敦賀港カッターレース」と書きました。
 
カッターレースについては、昨日ご報告したよう無事終わり安堵するところですが、一方、熱戦続くのは甲子園。
 
敦賀気比高校は1回戦で横浜(神奈川)に敗れたため、地元出場高を応援する機会は無くなったものの、やはり聖地「甲子園球場」ではつらつとプレーする高校球児の姿は見ていて清々しいもの。
 
ところが、私自身、高校野球ファンの一人として極めて残念な、その雰囲気はもとより、今大会全体にも暗い影を及ぼす事案が発生。
 
今大会に出場している、春の選抜大会で3度優勝するなど全国屈指の強豪校として知られる広陵高校(広島)において、野球部内で暴力行為事案があったとし、大会を辞退すると発表しました。
 
広陵高は大会第3日の1回戦で旭川志峯(北北海道)に勝利しており、第9日第4試合で津田学園(三重)と対戦する予定でしたが、これにより津田学園は不戦勝に。
 
問題の発端はといえば、広陵高の硬式野球部では今年1月、寮で禁止されているカップラーメンを食べたとして1年生部員(当時)1人に対し、2年生部員(同)4人が別々に暴力行為を行ったことを学校は日本高校野球連盟(高野連)に報告。
 
報告を受けた高野連は3月に厳重注意としましたが、公表基準にはあたらないとして発表していませんでした。
 
ところが、大会開幕前の8月上旬、SNS上でこの件について投稿があったため、広陵高は大会開幕後の6日になって事案を発表。
 
旭川志峯高との1回戦があった7日夜には、これとは別に、監督やコーチ、一部部員から暴力行為を受けたという元部員の申告が昨年3月にあり、第三者委員会を設置して調査していることを公表し、その後、SNSにて大きく拡散。
 
私もX(旧Twitter)での一連の投稿を見ましたが、生々しい暴力行為の様子や指導者が隠蔽工作(口止め)を図ったことなどが拡散される一方、暴力をふるったとされる側の選手が今大会出場の登録選手は実名と背番号付きで、また登録外の選手も実名が出される形で発信されており、何とも表現しようのない気持ちに。
 
こうした状況で出場する広陵高ナインは、開会式の入場行進もどこか覇気がないように見えたほか、1回戦で勝利しても笑顔はほとんどなく。
 
逆に、敗れた旭川志峯高は試合終了後、整列して挨拶した後、数名の選手は、互いに健闘を讃える握手をせずに自軍のベンチに戻るなど、両チームの選手が複雑な心境でプレーしていたものと推察したところです。
 
広陵高にとっては、勝ち進むほどこの事案に対する注目が高まり、同校への批判や選手への誹謗中傷が過激さを増すとの考えもあり、結果、出場辞退の判断を下したとありましたが、そもそもの問題は、両者(学校と被害者)がともに暴力事案の存在自体は認めるものの、その範囲や程度、そして監督・コーチの隠蔽工作があったか否かについて、決定的な認識の相違があること。
 
野球だけではなく言えることは、部活動における暴力行為をなくすことはもちろんのこと、万が一発生した場合は、被害者のケアを最優先とした対応を図ること、速やかな客観的調査により事実を明かにし、必要な処置、再発防止に努めること。
 
なお、出場辞退に関し、高校野球においては、2002年に全国制覇した明徳義塾高(高知)が05年、夏の甲子園出場が決定した後に部員の暴力行為や喫煙などが発覚し、大会直前になって大会への出場を辞退したことがありましたが、代表校が甲子園期間中に不祥事によって出場を辞退するのは史上初。
 
次に対戦するはずであった津田学園は、貴重な甲子園での経験を1戦失う形になったほか、他高は別と思いながらも、ここ数日の曇天の如く、どこか暗い影を感じざるを得ない心境であります。
 
いずれにしても、前代未聞の出場辞退はSNSのあり方を含め、多くの課題を突きつけた格好となっています。
 
「甲子園に出場できなくなるからやらない」では、本質的な問題は何も変わらない。
 
いわゆる「勝利至上主義」が、「仲間を大切にする」ということすらできなくなっているのであれば、そんな考えは今すぐにでも捨て去るべきだし、そんな高校野球を聖地「甲子園」は決して望んでいない。
 

【107回を数える夏の甲子園。長い歴史にあって「史上初」となったことを極めて重く受け止めなければならない。(写真は「週間ベースボールONLINE」より引用)】

雨天を吹き飛ばす「第28回敦賀港カッターレース」

ブログ まちづくり

昨日あった二つのイベント。
 
ひとつ目は、敦賀市立博物館主催「大谷吉継サミット2025」(気比史学会協力)。
 
主催者発表によれば、500名を超える来場があったとのこと。
 
私は参加出来なかったため、肌感覚での雰囲気までは分からないものの、吉継ファンの方はもとより、多くの方々が、最後の敦賀城主であり、義の武将「大谷吉継」の魅力に触れていただけたことは嬉しいこと。
 
気比史学会副会長もパネルディスカッションに登壇するなど、地元敦賀の視点も織り込み開催されたことは、「生誕460年」の節目として、記念すべき催しになったものと考える次第です。
 
ふたつ目は「第28回敦賀港カッターレース」。
 
概要は昨日のブログで触れたとおりですが、最も心配していた天候は、レース中こそ時折強い雨が降ったものの、開会式や閉会式の時には一旦止んだり、また、開催時間を通して風も弱まり(気象庁HPでは、最大瞬間風速8.3m/s)、真夏を思えば逆にベストコンディションとなったところ。
 
途中、実行委員会首脳陣にて相談に相談を重ねた結果、予選2レース、決勝レースと予定どおりの工程で開催することができました。
 

【曇天のなか開催された「第28回敦賀港カッターレース」の様子】
 
大なり小なり雨に濡れた参加者の皆さんからは、口々に「楽しかった!」、「来年も参加します!」との言葉をいただいたのが最高の評価の言葉。
 
主催者冥利に尽きました。
 
また、選手として出場した敦賀市議会チームも何と、決勝進出(予選2レースで良いタイム順4チーム)。
 
決勝レースでは惜しくも3位入賞は逃したものの、回頭(折り返し)まではトップと並び通過するなど善戦。
 
議員同士の団結力が高まった次第です。
 
※ちなみに私は、実行委員会チームでも予選2レースと合わせ、自己最多の計5回漕ぎました。
 
大会終了後、待ってましたとばかりに強い雨が降る中での片付けも、実行委員の皆さん、お手伝いいただいた原電労組の皆さんのテキパキとした作業で無事に終了。
 
私も、Tシャツどころか、パンツまでずぶ濡れになったものの、それも達成感の証。
 
大きなイベントを安全かつ無事に終えることが出来たことに、安堵と達成感を感じたところです。
 
大会には、遠く神奈川県横浜市など、県内外から参加された計38チームの皆さま、共催・協賛・ご協力いただきました各関係機関・団体・企業の皆さま、誠にありがとうございました。
 
そして、企画から準備、運営に至るまで、完全ボランティアで対応されたカッターレース実行委員会の皆さま、大変お疲れ様でした。
 
敦賀の夏の風物詩「敦賀港カッターレース」。
 
むすびに、1996年に始めてから約30年。
 
この先はさらに多くの市民の皆様に参加いただき、青い空、青い海のもと、仲間と息を合わせて漕ぐカッターレースの素晴らしさを感じていただけるよう、自分自身、汗をかいていく所存です。

開催準備完了!「第28回敦賀港カッターレース」

ブログ まちづくり

昨日のブログでは、敦賀の市民歴史団体「気比史学会」に関する行事を紹介しましたが、同じく自身が事務局として携わっている「敦賀港カッターレース」が本日開催されます。
 
敦賀港 川崎・松栄岸壁を会場に開催される、夏の風物詩「カッターレース」。
 
例年は7月の三連休(海の日)に実施してきましたが、今年は参院選の日程を考慮し、8月の3連休に後倒しし実施するところ。
 
カッターレース開催に向けては、大会までの港利用に関し、敦賀港を管理する敦賀海上保安部や福井県嶺南振興局に許可・届出手続きを行うほか、カッターを保管している場所に立ち入るためのゲート開放は、敦賀海陸運輸さんにご協力いただくなど、何かと事前準備を済ませた上で行うもの。
 
6月下旬には、艇の保管場所から海へカッターを移動する作業、通称「カッター下ろし」に始まり、以降、初心者練習、2週間に亘るチーム単位での練習会を経て、今日を迎えています。
 
昨日は午前9時より、実行委員の皆が川崎・松栄岸壁(港大橋の西側)に集合した後、新日本海フェリー倉庫ならびに市総合運動公園に機材を取りに行く班、カッターを清掃する班、回頭(折り返し)ブイをセットする班に分かれ、テキパキと本番を迎える準備作業を終えました。
 

【回頭ブイをセットする作業中、警戒にあたるカッター。いつもと逆方向の写真につき掲載します。】
 
今年の大会参加は「38チーム」。
 
遠くは神奈川県横浜市、富山市からの県外4チームを含むとともに、「女性の部」が昨年4チームから6チームに増えるなど、参加の幅が広がっていることが何とも嬉しいところ。
 
こうして多くの参加、関係各所のご協力をいただき開催する「第28回 敦賀港カッターレース」。
 
本日は、あいにくの雨模様となりますが、何を置いてもとにかく安全に、そして参加された皆様が気持ち良く、楽しかったと言っていただけるような大会となるよう、実行委員の皆さんと一緒に運営にあたる所存です。
 
それではこの後、大会に向け家を出るため、今日はこれまでに。

明日は「大谷吉継サミット2025」

ブログ 敦賀の歴史・文化

今日は、長崎「原爆の日」。
 
80年前の昨日は、敦賀が「模擬原爆」による被害に遭った日でしたが、今日は長崎に原子爆弾が投下された日。
 
この原子爆弾により犠牲になられた方々の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。
 
と同時に、犠牲者、ご遺族、被爆者の皆様の筆舌に尽くし難い苦しみを思えば、実現すべきは「核兵器のない世界」。
 
核不拡散条約(NPT)の再検討会議において、条約第6条にある「誠実に核軍縮を行う必要性・重要性」を強調し、日本が中心となって具体的な提言を行うことや「非核三原則」を堅持し、国際社会において主導的な役割を担うことが唯一の戦争被爆国としての責任であることは言うまでもないところ。
 
「長崎を最後の被爆地に」という痛切な願いの実現、恒久平和と核兵器根絶を目指して取り組む思いを、一層強くする次第です。
 
7月12日を皮切りに3度遭った敦賀空襲、8月6日の広島、そして今日の長崎と、「戦後80年」の節目として、史実に想像を張りめぐらせながら書き綴ってきたところですが、一方、敦賀にとっての周年といえば「大谷吉継」。
 
最後の敦賀城主「大谷吉継」は今年で「生誕460年」を迎えます。
 
以前にご案内のとおり、自身が所属します敦賀の市民歴史団体「気比史学会」においては、年間シリーズテーマを「戦後80年」と「大谷吉継 生誕460年」の2本立てで市民歴史講座を開催するところ。
 
吉継に関しては、「忠義と友情」に殉じた武将として揺るぎない評価を得てきた、その人となり、生涯など霧につつまれた等身大の姿を描き出すことによって、大谷吉継研究の現時点における到達点に迫るシリーズと位置付け、3講開催することとしていますが、うち第1講目は敦賀市立博物館主催の「大谷吉継サミット2025」に協力する形で参画するもの。
 
そして、いよいよそのサミットが明日10日、敦賀市民文化センターで開催されます。
 

【大谷吉継サミット2025」のポスター(敦賀市立博物館作成)】
 
ポスターにあるよう、“大谷吉継研究の最前線――”として、生誕460周年を記念して、吉継研究を振り返るシンポジウムを開催するもので、詳細は概要は以下のとおりとなっています。
 
◉日時:令和7年8月10日(日)13時30分~17時00分(開場13時00分)
◉会場:敦賀市民文化センター大ホール(敦賀市桜町7番1号)
◉参加費:無料
◉申し込み:不要
 
シンポジウムは2部制で構成され、1部は「研究報告」、2部は「パネルディスカッション」。
 
パネルディスカッションでは、研究報告もされる北村太智氏(敦賀市立博物館学芸員)が司会、石畑匡基氏(大手前大学講師)ならびに外岡慎一郎氏(元奈良大学教授)に加え、気比史学会副会長の杉原正英氏も登壇する予定となっています。
 
杉原副会長からは、地元敦賀ならではの視点、調査研究成果をお話しいただけると思います。
 
ここまでご紹介しながら、私自身は、同日開催される「敦賀港カッターレース」の運営にあたらねばならないことから、サミットに参加することができず…。
 
誠に残念無念ではありますが、多くの参加のもと、敦賀が誇る義の武将「大谷吉継」の魅力を広く知っていただける場になることを祈念する次第です。
 
このブログをご覧になられた方はぜひ、戦国時代に思いを馳せ、参加いただけますようお願い申し上げます。
 
結びに、先にご案内しました気比史学会の今年度「市民歴史講座」の内容を再掲いたします。
 
こちらもご覧いただき、ぜひ足を運んでいただければ幸いに存じます。
 


【気比史学会 第41期「市民歴史講座パンフレット」より抜粋】

敦賀に「模擬原爆」が投下されてから80年

ブログ 敦賀の歴史・文化

「太き骨は先生ならむ そのそばに ちいさきあたまの骨 あつまれり」
 
これは、6日に営まれた広島平和記念式典で石破首相が、あいさつの最後の方で2度繰り返した言葉。
 
引用元は、被爆者でもある歌人の正田篠枝さんの短歌。
 
この短歌は、式典会場近くに立つ「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれたもので、教師を頼りながら亡くなった児童と、助けられなかった教師の無念さをうたっており、首相は式典後の記者会見で、自らの原爆忌への思いが「あの歌に全て尽くされている」と述べ、「記憶を継承する努力を強めていかなければならない」と強調しました。
 
首相が仰るよう、短歌から浮かぶ悲惨な情景、この言葉に込められた作者の思いは痛いほど胸に刺さるものであり、一瞬にして罪なき民の命を奪った原子爆弾の恐ろしさを知るとともに、このような愚かな行為を二度と犯してはならなと心に刻むところであります。
 
こうして8月6日には広島、9日には長崎に投下された「原子爆弾」。
 
そして、決して忘れてならないのは、長崎への原爆投下前日の昭和20(1945)年8日8日にあった、敦賀への「模擬原爆」投下。
 
午前9時頃、アメリカ軍が原爆投下の訓練のため、敦賀市の東洋紡(当時は東洋紡績)に爆弾を投下し、動員されていた学生ら33人が犠牲となってから、今日で80年を迎えます。
 
あのB-29爆撃機が敦賀に投下したのは、長崎に投下した原子爆弾と同型の模擬爆弾(通称パンプキン)。
 
この投下の前に、同年7月12日、7月30日の空襲で甚大な被害のあった敦賀に三度目となる空襲の当時の状況は、「敦賀市史」通史編(下巻)第四節 三.敦賀大空襲に、次のように記録されています。
 
<以下、「敦賀市史」を引用>
 
(7月30日の空襲に)ついで、八月八日午前九時ごろ、空襲警報が発令され、市民は防空壕に退避した。まもなくB29が単機敦賀上空に現われ、一旋回して低空飛行の態勢で東洋紡績工場に爆弾を投下し、そのまま南方に飛び去った。この爆弾は、東洋紡の捲糸室に命中し、火災となった。また隣接していた紡糸室と事務所の一部とが爆風のために破壊された。この爆撃で、工員一五名、動員学徒一六名、引率教員二名の命が失われた。
 
こうしたなかで敦賀は、八月十五日の敗戦の日を迎えるのである。なおこの項の記述にあたっては、多く『敦賀市戦災復興史』の記述を利用させていただいた。
 
<引用終わり>
 

【模擬原爆の被害にあった東洋紡敦賀工場の様子(出典元調査中)】
 
私は以前に、東洋紡敦賀工場にお伺いし、保存されてる当時の資料を拝見させていただいたことがありますが、80年前にあった史実を目の当たりにし、突然若き命を奪われた方々の無念、そして長崎の予行演習とばかりに模擬爆弾を投下したその行為に怒りを覚えました。
 
「無念と怒り」
 
またもや、このようなことを二度と繰り返してはならないとの思いが沸々と湧いてきます。
 
本日は、犠牲者の位牌がある市内の永建寺にて、ご遺族や工場の関係者などが参列されての法要が営まれることと存じます。
 
若くして亡くなった犠牲者を悼み、空襲のあった午前9時には、私も同じ思いで静かに手を合わせることといたします。
 
こうしてなお、唯一の戦争被爆国として、核保有国と非保有国、あるいは世界平和の架け橋、橋渡し役ができるのは日本であり、まっすぐにその役割を果たしていかねばと、思いを強める次第です。

第8回「福井県・原子力発電所の立地地域の将来像に関する共創会議」が開催される

ブログ まちづくり

今日は「立秋」。
 
の気配がつ日」という意味で「立秋」と呼ばれるとあり、暦の上ではこの頃から秋の気配が感じられ、秋風が吹くとされます。
 
また、「夏至」と「秋分」の中間にあたり、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から「立冬」(11月7日頃)の前日までが「秋」となるとのこと。
 
しかし、これは皆さんお感じのとおり、あくまでも“暦の上では”の話。
 
実際は、気候的に一年で最も暑い時期にあたりますので、次の「処暑」(9月23日頃)あたりには、暑さも少し和らいでいることを期待して過ごしたいと思います。
 
さて、私の中のトピックスとしては、昨日、おおい町総合町民センターで開催された「共創会議」。
 
正式名称は「福井県・原子力発電所の立地地域の将来像に関する共創会議」で、主に原子力発電所が立地する自治体の地域振興について意見を交わす場として設置され、今回で8回目の開催。
 
会議には、杉本達治 福井県知事をはじめ嶺南地域の原子力立地自治体首長、関西電力、北陸電力、日本原電の各事業者、内閣官房や文科省、資源エネルギー庁に近畿経済産業局の各機関が出席し、嶺南地域の活性化に向けた取り組みや今後の案などについて意見が交わされました。
 
会議の概要は、NHKニュースなどで把握したに過ぎませんが、国と県からは原子力発電所事故の際に避難で使う道路を新たに美浜町と滋賀県高島市の間などでつくる計画について説明があり、国の交付金を活用して県が今年度中に整備のための調査を始めることが示されたこと。
 
また、関西電力からは原子力発電に関連するビジネスに地元企業の参加を促す取り組みの他、データセンターの誘致や漁業活性化のための研究など、経済振興に関する取り組みも紹介されたこと。
 
こうした説明について自治体からは避難道路の早期完成を求める意見が出たほか、新幹線を含めた交通網の整備を求める意見も出され、今回の会議について杉本知事は「避難道路は各省庁が連携して財源を確保することも明言されたので前進したと感じている」と述べたことなどが報じられていました。
 

【今回会議の視点(「地域の課題・要望事項を踏まえた工程表の見直し案の概要」令和7年8月 資源エネルギー庁 より抜粋)】
 
私のほうではやはり、一次情報の確認をと、経産省のホームページに掲載されていた昨日の会議資料を一通り拝見したところですが、原子力リサイクルビジネスや試験研究炉など、敦賀市で進めていく取組はあるものの、資料には関西電力、美浜・おおい・高浜の文字が多く映ったところ。
 
 →「第8回 福井県・原子力発電所の立地地域の将来像に関する共創会議」(2025年8月6日)資料一式はこちらから
 
例えば、水素サプライチェーンや地域VPPの構築によるスマートエリア形成などに関しては、原子力発電所を運転しているからできることがあったり(原子力由来水素とか)、道路インフラ促進では、美浜・高島道路はあるが、敦賀・高島道路は掲載されていなかったり(敦賀第二環状道路は調査・設計対象として記載あり)。
 
正直、敦賀発電所2号機が長期停止中、再稼働の見通しも立っていないことに責任を感じざるを得ません。
 
とはいえ、事業者の取組やエリアごとのユニーク性をもって発展させていくとの考えは理解することから、いま何をすべきか、そして「共創会議」の正式名称がそうであるよう、「立地地域の将来像」をもって進めていくことが重要。
 
敦賀発電所2号機に関しては現在、再調査の計画書も示されておらず、原子炉設置変更許可の再申請がいつになるかさえ明確に言えない中で笑われるかもしれませんが、必ずや再稼働を果たし、電力供給体制に戦線復帰するとともに、先にあった「運転すればできること」をもって、地元敦賀市の持続的発展に貢献することをめざし、一歩づつ着実に取り組むのみ。
 
資料をめくりながら、そう強く感じた次第です。

広島 原子爆弾投下から80年

ブログ 社会

雷鳴とともにザーッと雨がひと降り。
 
昨晩から夜中にかけて、切望していた雨が降った敦賀。
 
今朝見た水溜りも久しぶりで、さぞかし田んぼや草木も喜んでいるであろうと、まさに「恵みの雨」と感じるところです。
 
こればかりはお天道様頼みとなりますが、もうひと降り、ふた降り、田畑に潤いを与えていただけますようお願いいたします。
 

【水溜りを見ること自体久しぶりの朝散歩】
 
さて、こうした「天からの恵み」と真反対。
 
今から80年前、絶望の淵に追いやられた広島では、さぞかし上空の爆撃機を憎んだであろう、今日は「原爆の日」。
 
まずもって、80年前の今日、広島に投下された原子爆弾により、犠牲になられた方々の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。
 
また、筆舌に尽くしがたい苦しみを背負い、心身に深い傷を負われて生きてこられた被爆者の皆様、今も癒える事のない悲しみを抱えてこられたご遺族の皆様に心からお見舞いを申し上げます。
 
今日は、広島市の平和記念公園で午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)」が営まれます。
 
ロシアによるウクライナ侵攻の長期化、中東情勢の緊迫化等、世界情勢が緊迫度を増す中、過去最多の120カ国・地域の代表が参加予定とあり、国際平和の希求はもとより、核兵器使用に対する各国の関心が一層高まっていると推察するところ。
 
一方、核廃絶に向けた動きは大変厳しい現実に直面しており、世界唯一の戦争被爆国「日本」が、被爆の実相を伝えていくことの重要性も同時にますます高まっています。
 
なお、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が6月16日に刊行した、2025年版の「SIPRI年鑑(SIPRI Yearbook)」で発表された、2025年1月現在の各国の核兵器(核弾頭)保有数(推定値)は、以下のとおり。
 
<主な核保有国の状況>
◉アメリカ 5,177発(-151)
◉ロシア  5,459発(-121)
◉イギリス  225発(0)
◉中国    600発(100)
◉インド   180発(8)
 ※( )内は前年比
 
世界全体の核弾頭の数は前年より164発減少し、12,241発となったものの、SIPRIは、運用可能な核弾頭の数は年々増加し続け、「核兵器を保有する9ヶ国のほぼ全てが、集中的な核兵器近代化計画を継続し、既存の核兵器のアップグレードや新型の追加を行っている」と懸念を示しています。
 
とりわけ中国は昨年から 100発増え、「どの国よりも核戦力を速く拡大させて」おり、平時に一部の核弾頭をミサイルに搭載している可能性があるとされています。
 
核兵器廃絶に向けては、私も考えをともにする「核兵器廃絶・平和建設国民会議(通称:KAKKIN)」が、本年4月から5月に国民民主党、立憲民主党、公明党、自由民主党および外務省、経済産業省に対し、「核兵器廃絶に向けた取り組み」に関する政策要請を行っており、核兵器不拡散条約(NPT)を維持・強化し、核兵器禁止条約の存在も認識しながら可能な核軍縮策を積み上げ、核兵器のない世界の実現を目指す立場から、以下の行動を要請しています。
 
1.NPTの維持・強化と核兵器禁止条約に参加できるよう外交努力を求める
2.核軍縮・核兵器廃絶に向けた具体的な施策
 包括的核実験禁止条約(CTBT)や兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)の実現、ジュネーブ軍縮会議の活性化など6項目
3.ロシア・中国・北朝鮮への働きかけを求める
 
核兵器廃絶に向けては、理想論、綺麗ごとでは済まない世界であることを十分認識の上、極めて現実的な対応を講じる必要があることから、私自身、KAKKINの理念と政策に賛同し、引き続き、運動に参画する次第です。
 
なお、戦争を実際に経験された世代の高齢化が進む中にあって、被爆の実相を風化させることのないよう取り組むことが極めて重要であり、広島をはじめ、若い世代の皆さんが「平和」への取り組みをされていることに最大限の敬意を表するところ。
 
「原爆の日」にあたり、日本国民として決して他人ごとにせず、恒久平和と核兵器根絶をめざすことを誓い、平和記念式典に合わせ、静かに黙祷を捧げたいと思います。
 

【以前に訪れた広島原爆ドーム。核による惨禍は二度と起こしてはならない。】

美浜町が関西電力美浜発電所の建て替え(リプレース)に向けた自主調査の再開を受け入れ

ブログ 原子力

8月1日のブログにて、「この先の2週間天気予報を見ても、傘マークは皆無であり・・・」と書きましたが、こちらは撤回。
 
今朝、散歩すると路面がわずかに濡れており、調べてみると、本日0時頃に「1.5mm」の降雨があったよう。
 
また、「撤回」と書きましたのは、福井新聞の11日(祝・月)までの天気予報で、9日(土)を除いてすべて「曇りのち雨」マーク。
 
農家の方などはまさに、「渇望」していた雨かと思いますし、いろんな意味で「恵みの雨」となることを期待する一方、ゲリラ豪雨はご勘弁をと、併せて願うところです。
 
さて、朗報といえば、お隣美浜町からのニュース。
 
7月22日に関西電力が、「美浜発電所後継機の自主的な現地調査の実施に向けた対応」として、東日本大震災のあった2011年3月12日以降見合わせていた、“美浜発電所の後継機設置検討の自主的な現地調査”を再開することとし、調査実施に向けて今後、地元の皆さまへ説明等を進めていくことを発表していました。
 
これに対し、美浜町の戸嶋秀樹町長は4日、美浜発電所の建て替え(リプレース)に向けた自主調査の再開を受け入れる方針を、関西電力の水田仁副社長・原子力事業本部長に伝えました。
 
戸嶋町長は「町民と町議会からは調査への理解を示す声が多く寄せられている」とした上で、今後も町民への調査計画の丁寧な説明を関電側に求めたのに対し、水田副社長からは「新聞の折り込みチラシやケーブルテレビの活用、各戸訪問で丁寧に町民に説明していく」との返答がありました。
 

【現地調査を再開する関西電力美浜発電所(産経新聞WEB版記事より引用)】
 
14年前を経ての調査再開を歓迎するとともに、昨今のわが国におけるエネルギー事情も踏まえた、原子力発電所の将来に亘る最大限活用(リプレースを含む)にご理解、ご協力いただいている戸嶋町長をはじめ、美浜町議会、美浜町民の皆さまに敬意と感謝を申し上げる次第です。
 
なお、以前のブログでも申し上げましたが、今後の次世代革新炉(美浜の場合は、革新軽水炉になろうかと)開発に向けて重要なのは、これにかかる規制基準の方針を早く定めること、そして事業者が予見性をもって投資できる事業環境を整備すること。
 
このことはまさに、関西電力も7月22日のプレスリリースの中で、後継機設置を判断するための“条件”として記載しており、私もまったく同じ考えに立つところ。
 

【7月22日の関西電力プレスリリース。赤線囲みの部分が、当該箇所。】
 
なお、1970年3月14日の日本原電敦賀発電所1号機に続き、「1970大阪万博」会場に原子力の電気を送ったのが、関西電力美浜発電所(1号機)。
 
万博会場に試送電したのが1970年8月8日であり、その後、美浜発電所1号機は国内初の加圧水型軽水炉(PWR)として同年11月に営業運転を開始し、役割を果たしました。
 
それから55年を経て、新たな原子力の時代の幕開けを予感させる、この調査了承を喜ぶとともに、今後、着実に進むことを大いに期待する次第です。

夏の風物詩といえば、「甲子園」と「敦賀港カッターレース」

ブログ まちづくり 敦賀の自然

夏の風物詩といえば「甲子園」。
 
5日に開幕する第107回全国高校野球選手権に向けた組み合わせ抽選会が3日、大阪市内で行われ、福井代表の敦賀気比は、今春の選抜大会を制した神奈川代表の横浜高校と対戦することが決まりました。
 
ドカベン世代の私ですが、記憶に残っている野球編の巻頭にあった言葉は「神奈川を制すもの全国を制す」。
 
漫画の世界では、神奈川代表の明訓高校が文字どおり、県内のライバル、そして甲子園では全国の強豪校を制し、まさに「常勝明訓」の名を轟かせましたが、現実の世界においても、松坂世代をはじめ、数々の大激闘、名場面を甲子園の地に残す屈指の強豪校。
 
一方、地元代表の敦賀気比も選抜準優勝、夏の甲子園では何度も上位に食い込む常連校であり、高校野球ファンにとっては、絶好のカードになったかと。
 
敦賀気比vs横浜の試合は、大会3日目第1試合(7日午前8時~)。
 
リアル視聴は難しいかもしれませんが、楽しみに応援したいと思います。
 
こうして、甲子園の話題で盛り上げるところ、敦賀の夏の風物詩といえば「敦賀港カッターレース」。
 
第28回を迎える敦賀港カッターレースは例年、7月の3連休(海の日)に行っていますが、今年は参院選の日程を考慮し、8月の3連休(「山の日」前日の10日)に開催することとしています。
 
「山の日近くに海の行事」というチグハグ感は致し方なしとし、7月26日(土)には保管場所から移動し、カッターを海に浮かべる「カッター下ろし」作業。
 
その後は、初心者向けの練習会、チーム単位での練習と、この週末も多くの皆さんに参加いただくとともに、実行委員会としてはこの間、熱中症対策を講じながら運営にあたってきたところです。
 


【昨日の練習風景(写真はいずれも原電労組チーム)】
 
今年の大会には、県外からは、先にあった横浜(神奈川県)から女子チームに参加いただくほか、富山からも参戦。
 
県外4チームを含む計38チームに参加いただくこととなっています。
 
特徴としては、昨年4チームだった「女子の部」が6チームに増えたこと。
 
そして大きいのが、これまで高校野球の福井県大会と重なっていたため見送りとなっていた、嶺南ケーブルネットワーク(RCN)の生中継が入ること。
 
番組編成のため、生中継は12時頃からの放映となりますが、甲子園に負けぬ?熱いレースの模様をぜひご覧いただければ幸いです。
 
大会まで1週間。
 
参加者の皆さんに気持ちよくレースに臨んでいただくこと、安全で円滑な大会運営となるよう、私自身、実行委員会の一員として役割を果たしてまいる所存です。
 
(おまけ)

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「福井県原子力リサイクルビジネス準備株式会社」が敦賀市に設立される

ブログ 原子力

8月10日に開催する「第28回敦賀港カッターレース」。
 
先週末より開始した、チーム単位での練習に、昨日は実行委員の立場で対応しました。
 
また、夜は粟野地区の「ふる里まつり」が盛大に開催され、開会式では恐縮ながら、地元の市議会議員としてご紹介いただきました。
 
地区のお祭りといっても、会場の粟野公民館駐車場を埋め尽くす参加者は5000人から6000人。
 
粟野地区は、敦賀市のほぼ3分の1にあたる約2万2千人が居住していますが、子どもからお年寄りまで大盛況で、これぞ「地域コミュニティ」と感じるひと時を嬉しく思いました。
 
さて、嬉しいと言えば、こちらは地元福井県、敦賀市に関するニュース。
 
原子力発電所の廃止措置作業などで発生する廃棄物のうち、放射能レベルが極めて低い金属を「クリアランス金属」と呼びますが、このクリアランス金属をリサイクルする新会社が、1日、敦賀市内で設立されました。
 
設立された新会社の名称は、「福井県原子力リサイクルビジネス準備株式会社」。
  
福井県や嶺南の6市町、関西電力、日本原電などが共同出資し、既に廃止措置作業を進める敦賀発電所1号機や高速増殖炉もんじゅなど、全国7基の原子力発電所などから発生する金属類のうち、人体に影響がないとみられる低い放射能レベルのものを収集し、分別や除染、溶融などを行って「クリアランス金属」として再利用できるようにすることが事業の目的。
 

【中部電力浜岡原子力発電所1・2号機から出た「クリアランス金属」で作製した「鋳鉄製グレーチング」(日本原電敦賀総合研修センター内の展示物より)】
 
準備会社は、県職員、関西電力や日本原電などからの出向者合わせて7人体制でスタートし、今後、工場の建設候補地の地質調査や施設の設計を行い、2027年を目途に原子力規制委員会に事業許可を申請する予定としています。
 
また、建設費などを含めた設備投資額は総額220億円で、手続きが順調に進めば2030年代初め頃の操業開始を見込んでいます。
 
なお、初代の社長は、福井県の行政の立場で長年、原子力行政に携わってきた来馬克美氏。
 
来馬氏曰く、「大きな目的の一つは、地域の産業、企業を育てる。あるいはそこと協力してひとつの廃炉ビジネスを立ち上げること」。
 
政策あるいは経営判断として役割を終えた発電所に対しする呼称は、“廃止措置”が正であり、まるで朽ちて終えたような、負のイメージの“廃炉”という呼び方は使うべきではないと指摘した上で、この事業が全国初のモデルケースとして、福井県、嶺南地域ユニークの”地場産業”になることを期待する次第です。

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