『太平記と敦賀 〜南朝の悲哀・金ヶ崎戦記〜』

ブログ 敦賀の歴史・文化

上着を脱ぎ捨て、結局、Tシャツ1枚で過ごした昨日。
 
季節を間違えたかと思うほど暑い一日となりましたが、敦賀の最高気温は28.6℃(15時41分)であったとのこと。
 
一方、本日は、春の最後の二十四節気「穀雨」。
 
晩春にあたる時季で、穀雨とは「春雨が降って百穀(ひゃっこく)を潤す」の意。
 
天気予報を見るに、この先の雨マークは少ないものの、この時季に降る雨はさまざまな穀物を育ててくれる「恵みの雨」として感謝したいと思います。
 
さて、昨日午前中は駅前の知育・啓発施設「ちえなみき」へ。
 
気比史学会が主催する「ミニ歴史講座」を10時30分より開催しました。
 
世代を問わず、より多くの市民の皆さんに敦賀の地域史を知っていただこうと、オープンスペースで始めたこの講座。
 
2月、3月は僭越ながら私から『平安時代の敦賀』を紹介いたしましたが、今月からは講師と時代を移し、昨日は当会役員の方から『太平記と敦賀』についてお話しいただきました。
 

【昨日の参加者は、私を入れて7名。前回に続き、京都から敦賀の歴史ファンにお越しいただきました。】
 
サブタイトルは『〜南朝の悲哀・金ヶ崎戦記〜』。
 
資料をもとに内容をご紹介いたしますと、まず「南北朝時代」とは、京都の朝廷(北朝)と大和国吉野の朝廷(南朝)の二つの朝廷が並立した時代であり、期間は、後醍醐天皇が吉野に遷幸した延元元(1336)年~明徳の和約がされた明徳3(1392)年までを言います。
 
なお、当会の糀谷好晃会長の著書「敦賀の歴史探訪」では、この時代を“上は大いなる統治の理想から、下は一反の土地の争奪まで、激しくぶつかり合った時期”と称するほど、激動騒乱の時代であったことが伺えます。
 
「金ケ崎合戦」に至る流れに関しては、複雑な背景があり、まず元弘3(1333)年の鎌倉幕府の滅亡により、後醍醐天皇による「建武の新政」がはじまったものの、建武2(1335)年には、北条時行が率いる北条氏の残党による大規模な反乱「中先代の乱」が勃発。
 
これに足利尊氏が出陣し、北条の残党を20日余りで壊滅したものの、この出兵は天皇の許可を得ていなかったことから、尊氏が朝敵に。
 
尊氏は絶望し(帝に背いたつもりは全くないため)、出家して寺に引きこもるも、世間の足利氏への期待は爆上がり。
 
その後、後醍醐天皇方対足利方の攻防が続き、楠木正成と戦った湊川の戦いに尊氏が勝利。
 
この敗北により、天皇方は窮地に陥り、後醍醐天皇方は比叡山へ逃亡。
 
後醍醐天皇は、新田義貞に対し、越前に向かって北国を平定し、大軍を起こして天下を支えよ、天子の位も皇太子(恒良親王)に譲るから連れて行けとの勅命を下す。
 
※新田が越前に向かってすぐに、帝は都に還幸していることから、新田が和睦の邪魔だったので、体よく越前に追い払ったのではないかとの説あり。
 
一方、新田勢は、建武3(1336)年10月13日に敦賀に到着。
 
その軍勢を、大宮司・気比弥三郎氏治以下300余騎が歓迎し、旗掲松に「気比大明神」の神旗を掲げたと伝わる(現在の旗掲松は二代目)。
 
ここから「金ケ崎合戦」となり、越前守護・斯波高経(足利方)が率いる2~3万騎に包囲されるも、脇屋義助(新田方)の奇策に城方が呼応し、奇襲が成功(新田方が勝利)。
 
これに激怒した尊氏は、諸国の軍勢をかき集め、都合4万余騎の攻城軍を再編成し、金ヶ崎を攻め(といっても長期戦を見据えた兵糧攻め)、陸地に加え、海上封鎖も行ったことから、城内は飢餓状態に陥り限界に。
 
金ヶ崎城は落城し、『太平記』によれば、飢餓状態は屍の肉を喰らうまでであり、最後は弓を引くことも、太刀を握ることも出来ないまで衰弱していたとのリアルな情景が記録されていました。
 
なお、落城の際、いわば「金ケ崎合戦の名場面」として紹介されたのが、次のスライド。
 

 
忠義を尽くす新田義顕と、部下を思う尊良親王の最後が描かれていました。
 
なお、その頃、後醍醐天皇は花山院(比叡山)を脱出して、大和国の吉野に逃れ、吉野を御所とすることを宣言。
 
皇位は金ケ崎にいる恒良親王に譲ったはずが、有耶無耶となり、京都の「光明天皇」と吉野の「後醍醐天皇」の二帝が並立する異常事態になったことも補足しておきます。
 
また、金ケ崎城籠城中の延元年(1336年)11月12日に書かれた「白河文書」によれば、恒良親王が天皇であったことは否定ができないことから、「幻の北陸朝」があったとも。
 

 
そして結びには、金ケ崎合戦からちょうど600年後の1936年につくられた「敦賀大行進曲」にある「〜昔思えば 涙がほろり」の意味は、先の金ケ崎城落城、義顕と尊良親王の姿を思い出してかと、歌詞に込められた意味合いに思いを馳せた次第です。
 

 
講師を務めた役員さんは、すべて『太平記』の原文にある内容をもとにスライドを作成され、途中、原文もご紹介いただいたことにより、大変理解が進むとともに、この時代の、いわゆる「裏事情」まで知ることができた次第です。
 
丹精込めて準備いただいたことに、心から感謝いたします。
 
最後にひとこと。
 
「敦賀の歴史はやっぱり面白い!」
 
次回の「ミニ歴史講座」は、5月18日(日)10時30分から開催しますので、関心のある方はもとより、ちょっと聞いてみようという方も大歓迎ですので、奮って参加いただければ幸いです。

敦賀市からの上告申立書を最高裁判所が受理 〜樫曲民間最終処分場問題〜

ブログ 社会

昨日、敦賀市市民生活部から届いた一報は、「南那須地区広域行政事務組合外4団体との事務管理費用償還等請求事件に係る上告受理申立ての受理決定について」。
 
タイトルだけを見ると何のことか分からないかと存じますが、これは敦賀市、そして廃棄物行政にとって大きなこと。
 
いわゆる、敦賀市樫曲(かしまがり)地区で起きた、ごみの「民間最終処分場問題」に関する対応について、同部からの報告によれば、
 
◉令和4年12月21日に上告受理申立書を提出した南那須地区広域行政事務組合外4団体との事務管理費用償還等請求事件について、最高裁判所より令和7年4月17日付けで、上告審として受理する旨の決定があったので報告する。
◉なお、今回、最高裁判所からは上告受理申立てを受理する旨のみ連絡があったものであり、現時点で受理された理由等の詳細については不明です。今後は、最高裁判所において審理され、判決される運びとなりますので、今後の対応につきましては、最高裁判所から判決が言い渡された後、判決内容を精査の上、議会説明会にて報告する。
 
とありました。
 
言葉の定義を調べてみると、「上告受理申立書」とは、民事裁判の控訴審判決に不服のある当事者が、最高裁判所に上告受理を申し立てる際に提出する書面のこと。
 
また、上告受理申立ての理由としては次のようなものがあり、上告受理申立ては、民事訴訟法318条に規定され(裁量上告とも呼ばれる)、最高裁判所が上告を受理するか否かは裁量で決めるとしています。
 
<上告申立ての理由>
・控訴審判決が最高裁判所の判例に違反している
・控訴審判決が最高裁判所の判例がない場合の大審院判例・高等裁判所の判例に相反している
・法令の解釈に関する重要な事項を含む法令違反がある
 
つまり、今回の報告は、敦賀市からの上告申立書を、最高裁判所の裁量により受理したことになります。
 
そこで、もう少し本件の過去経過を振り返るに、自分で言うのも何ですが、便利なのが「やまたけブログ」。
 
時系列でいくと、ちょうど上告受理申請書を提出する前の令和4(2022)年12月9日のブログでは、前日の福井新聞トップが「敦賀・ごみ処分場巡る訴訟“市外排出元 対策義務なし”」との記事であったことを踏まえ、次のように記載。
 
<以下、当時のブログ抜粋>
 
全国から許可量の13倍を超えるごみが持ち込まれた敦賀市樫曲の民間最終処分場の抜本対策工事費を巡り、本市がごみの排出元の「南那須地区広域行政事務組合」(栃木県那須烏山市、那珂川町で構成)など5団体に費用の一部約6億3千万円の支払いを求めた控訴審の判決言い渡しが7日、名古屋高裁金沢支部であり、ここで何と、吉田尚弘裁判長は敦賀市側の控訴を棄却し、一審の福井地裁で5団体に命じた計約1億2千万円の支払いのうち、4団体の計約1億1800万円の支払いを取り消す判決を下したとのこと。
 
いわゆる「ごみ問題」に関する訴訟対応に関しては、これまでも市から状況説明をいただきつつ、進捗や対応方針などを伺ってきたところでありますが、この判決を受けての考えについては、12月15日に開催される議員説明会にて説明を受けることになっている。
 
<抜粋終わり>
 

【当時、FBCネットニュースが報じた際に映された、全国から許可量を超えるごみが持ち込まれた敦賀市樫曲の処分場】
 
また、同年12月16日のブログでは、前日に行われた議員説明会にて、名古屋高等裁判所で判決が下された「敦賀市民間最終処分場の費用負担問題」に関し、現況と今後の対応について市民生活部より説明を受けたとした上で、次のように述べています。
 
<以下、ブログ抜粋>
 
「敦賀市民間最終処分場の費用負担問題」については、係争中案件のため詳細に触れることは控えますが、名古屋高裁での判決を認めるようでは、我が国の廃棄物行政の根幹が揺らぐ大問題であると認識することから、市にはこれを覆すべく、最高裁に上告のうえ徹底的に戦っていただきたいと考えます。
 
<抜粋終わり>
 
そもそも、本来はごみを発生した自治体(排出元)が自分のまちで処理するとの原則論があった上で、ごみの処分を受け入れた自治体(今回の場合は敦賀市)が要する対策費用の負担義務もないとすれば(名古屋高裁はこれを認めた)、どこが他のまちで発生したごみまで受け入れるのか。
 
廃棄物行政を揺るがす、「まさか」の判決を受けてから約2年4ヶ月を経て受理された上告申立書。
 
本件が廃棄物行政の根幹を揺るがすものとすれば尚のこと、受け入れ自治体としての主張を最高裁の場でも明らかにすることによって、必ずや判例が覆ることを信じる次第です。

最適解を求め「敦賀市議会ハラスメント防止条例」について協議

ブログ 敦賀市議会

東京電力柏崎刈羽原子力発電所“再稼働”の是非を問う県民投票条例案を審議する県議会臨時会が16日に開会し、知事の提案理由説明に続き、正副議長を除く51人で構成する特別委員会が設置され、議案を付託。
 
初日は、市民団体の意見陳述や新潟大学教授の意見聴取の後、3会派の代表質疑。
 
昨日は、計12名の質疑が行われ、本日午後に開催される本会議にて採決を迎える運びとなっています。
 
条例案は市民団体「柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で決める会」が、14万3196人分の有効署名を集め、花角知事に直接請求したもの。
 
耳慣れない「条例制定請求」とは、地方自治法74条に基づくもので、知事と県議会議員による二元代表制において、県民が直接携わることができないという意味では間接民主主義ですが、そこに県民が直接参加し、条例制定を求めるのが「直接請求」です。
 
法律上必要な署名数は県内の有権者の50分の1以上、約3万6000筆であり、今回はこれを大きく上回る有効署名をもって条例の制定を本請求したもの。
 
なお、「県民投票で決める会」がなぜこのような請求に至ったのかと言えば、花角知事が初当選した2018年の県知事選挙で、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働の是非は「県民に信を問う」との公約を掲げたものの、今日に至るまで、その具体的な方法や時期を明らかにしていないことに端を発しています。
 
こうした一連の流れに忸怩たる思いでありますが、以前にも述べたとおり、原子力規制委員会の審査にて安全性が確認された7号機(続く6号機も)を早期に再稼働させることは、東日本の電力需給改善に大きく寄与するほか、国益にも叶うものであり、政治判断していただきたいというのが私の考え。
 
ここまで来ると見守るしかありませんが、本日午後の採決の行方に注視する次第です。
 
さて、こちらは敦賀市議会。
 
昨日は、議会運営委員会を開催し、議会としての「ハラスメント防止条例」について協議。
 
前回コメントなどを反映した修正案、逐条解説などを委員長より提案され、趣旨を確認しながら、条項ごとに丁寧な議論が行われました。
 

【自席より。数種類の資料も、委員の皆さんはタブレットのみで確認。これも改革のひとつといったところ。】
 
本条例案の策定に携わり、つくづく感じるのは、いかに分かりやすく、シンプルに記載するかであり、この日も、いわゆる包括規定的な条項に個別具体例を入れることの是非や言葉の定義付けが前後している点などについて、最適解を求めるべく議論した訳ですが、回を追うごとに一歩前進、集約に向かっているものと感じたところです。
 
次回はゴールデンウィーク明けに開催することを決定し、会を閉じましたが、本条例提案のターゲットは6月2日に開会の令和7年第2回定例会。
 
議論の「プロセス」は十分踏んでいるところですが、肝心なのは、全議員総意のもと提案できるか否か。
 
そうしたことも考えながら、引き続き皆さんと協議を進める所存です。

長岡藩と山本五十六の教えを胸に

ブログ 人生観

北信越市議会議長会のため訪れた新潟県長岡市。
 
「米百俵の精神」で知られる長岡ですが、幕末維新の戊辰戦争の際、長岡藩は、軍事総督・河井継之助の指揮のもと、奥羽越列藩同盟に加盟し、新政府軍と徹底的な戦闘を行い、その結果、250年あまりをかけて築き上げた城下町長岡は焼け野原となり、石高は7万4千石から2万4千石に減らされました。
 
その際、長岡藩の窮状を知った支藩の三根山藩(現新潟市西蒲区)から米百俵が見舞いとして贈られ、藩士たちは、これで一息つけると喜んだところ、藩の大参事小林虎三郎が、この百俵の米は文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてるとして売却し、その代金を国漢学校の資金に注ぎ込み、明治3年6月15日、国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目)に開校したことを由来とします。
 
「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国が興るのも滅びるのも、まちが栄えるのも衰えるのも、ことごとく人にある。」「米俵などでは見つもれない尊いものになる。その日暮らしでは、長岡は立ちあがれない。あたらしい日本は生まれない。」と、まさに「国づくりは人づくり」を実践された長岡藩の考えは、今の日本にも当てはまります。
 
また、今でも衆議院議員の方が使う「常在戦場」という言葉。
 
解散はいつあるか分からないため、常に戦いに備えよとの意味ですが、実はこの言葉の由来も長岡藩。
 
「常に戦場にある」の心を持って生き、ことに処すという長岡藩の藩風・藩訓であることを知ったところです。
 
こうして、現世においても、考えの拠りどころとなる理念や精神を有してきた長岡藩(市)ですが、この地に生まれ、有名な次の名言を残した方はどなたかご存知でしょうか。
 
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやらねば、人は動かじ」
 
これは、部下を指導する際の基本的な方法を示す名言として、今でも多くの経営者や指導者にも引用されている、大日本帝国海軍 第26、27代連合艦隊司令長官「山本五十六」氏の言葉。
 
なお、この言葉には続きがあり、さらに詳細な指導方法として、
 
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
 
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
 
とあります。
 
また、五十六氏は、「実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。」とも。
 
「米百俵の精神」にも通ずる、こうした多くの言葉は時代を超え、五十六氏の情に熱い人柄を今に残しています。
 
この五十六氏、連合艦隊司令長官に就任後、昭和16(1941)年のハワイ真珠湾攻撃を敢行し、未曾有の大戦の指揮を採ったことから「好戦派」と認識されている方が多いかと思いますが、日米開戦にはあくまでも反対であり、「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と、わが身の危険を省みず、日独伊三国同盟に断固反対し続けた姿勢は、まさに、人々を愛し、郷土を愛し、慈愛の心を強く保っていたからこそと言われています。
 
明治17(1884)年、儒学者の家系に生まれた五十六氏は、聡明で、中学の頃からベンジャミン・フランクリンを尊敬、猛勉強するなど広い視野をもっていました。
 
戦死時の階級は海軍大将で、昭和18(1943)年にブーゲンビル島(パプアニューギニア)で戦死した後、元師に特進。
 
明朗な性格で、部下や同僚から非常に高い信頼を寄せられた人物で、航空機戦力に早く着目、海軍航空隊設立に尽力し、日米開戦時には「短期決戦・早期和平」という日米間に於ける国力の差を冷静に分析し、現実的な作戦計画を実施しようとしたこと等、旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高く、海外においても広く賞賛されています。
 
昨日は、激動の世紀に、しなやかかつ強い心で生きた山本五十六氏の人間性を、21世紀に語り伝えたいと願い建設された「山本五十六記念館」を訪れました。
 

【長岡駅から約10分ほどにある「山本五十六記念館」】
 
数々の写真や手紙(超達筆)、戦死したブーゲンビル島から返還された航空機の左翼(一部)などの展示物を興味深く拝見した次第です。
 
そして最後に、心に刻んだ五十六氏の言葉はこちら。
 
「国大なりといえども戦好まば必ず滅ぶ 国安らかなりといえども戦忘れなば必ず危うし。」
 
前段はまさに今の世界、後段は戦後80年を迎える日本を見通したかのような言葉。
 
「国づくりは人づくり」の考えと合わせ、山本五十六氏からの教えを深く胸に留め、長岡を後にした次第です。

「第100回北信越市議会議長会定期総会」に出席

ブログ 政治

知事公舎で倒れているのが見つかり、意識不明の重体で病院に搬送された和歌山県の岸本周平知事(68)が15日、死去しました。
 
死因は、細菌などに感染して呼吸困難や意識障害などに至る「敗血症」が、重症化することで陥るショック状態を指す「敗血症性ショック」とのこと。
 
旧大蔵省時代は「スーパー官僚」と称される切れ者で、旧国民民主党の政党支持率が1%に満たない中、党勢の拡大に奔走し、政権批判一辺倒の野党像の脱却に腐心。
 
令和4年5月に国民民主党を離党され、和歌山県知事選転身しましたが、同党の玉木雄一郎代表が、「岸本さんがいなければ、いまの国民民主党はない。もっともっと躍進した国民民主党の姿を見てもらいたかった」と言うほど、立党以降、屋台骨を支えていただいた方。
 
国民民主党時代に岸本氏と活動をともにした、埼玉県の大野元裕知事は会見で「未来を見ながら議論できる希有な政治家だった。正直悲しい」と心境を語ったよう、実力や胆力を兼ね備え、誰からも尊敬される政治家であった岸本周平氏。
 
何事にも妥協しないその生き方、生前のご活躍に敬意と感謝を申し上げ、心よりお悔やみ申し上げます。
 
こうした訃報を無念に思いつつ、昨日は「北信越市議会議長会定期総会」に出席するため、中野史生議長とともに一路、新潟県長岡市へ。
 
昭和9年にはじまった、歴史あるこの議長会定期総会は、今回でちょうど100回目(敦賀では、昭和19年5月に第11回大会を開催)。
 
偶然とはいえ、節目の回に出席できることを意気に感じつつ、出席してまいった次第です。
 
北信越内の69の市議会議長・副議長が集う総会の雰囲気は壮観といった感じでしたが、会ではまず、会長の加藤尚登 長岡市議会議長よりご挨拶があったのち、開催地からは磯田 長岡市長、新潟県知事(代理で副知事)や新潟県議会議長をはじめご来賓の方々よりご祝辞をいただきました。
 

【北信越市議会議長会の会場】
 
その後は、議員歴10年以上(5年区切り)の方々に対する表彰式(なんと最長は45年以上)。
 
会議では、令和6年度会務や会計決算報告に続き、議案審議では会長提出議案として、令和7年度会計歳入歳出予算など2件、19件の各県市議会議長会提出議案が提案され、結果すべてを可決しました。
 
なお、各県市議会議長会提出議案に関しては、その名のとおり、あらかじめ各県の市議会議長会で本総会に上程する内容を確認した上でのものであり、興味深く議案の項目を見ると、能登半島地震に関する要望(石川県)や山岳環境の整備に対する財政的支援について(長野県)、北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決について(新潟県)など、意見要望の視点に地域性ありと感じたところです。
 
敦賀市からは、小浜市とともに第4号議案として「原子力防災対策のさらなる充実と安全・安心について」、第8号議案として「北陸新幹線の整備促進について」の2件を提案しましたが、何気に嬉しかったのは石川県の議案。
 
敦賀市の前、第7号議案として提出された石川県金沢市からの提案は「北陸新幹線の早期全線整備について」。
 
“災害に強い国土づくり、東海道新幹線の代替補完機能の重要性に鑑み、敦賀ー新大阪間について、早期に着工5条件の解決を図るとともに認可・着工を行うほか、長期化が見込まれる工期については最大限短縮し、一日も早い大阪までの全線整備を図ること。”と要望されました。
 
石川県内においては、いわゆる「米原ルート」を主張される地域もあると認識する中、石川県市議会議長会でもご協議のうえ、県都金沢市からこのように要望されたことの意味合いは非常に大きいこと。
 
そしてまた、会長あるいは事務局さんのご配慮か、石川と福井の新幹線に関する議案を連番としていただいたことを嬉しく思った次第です。
 

【提出された議案一覧】
 
また、総会の後に開催された意見交換会では、偶然か、これまたご配慮か、たまたまお隣の席が開催地の長岡市、金沢市の副議長さんであり、お話しする中で有意義な交流を図ることができました。
 
金沢市の副議長さんとは、先の新幹線に関することや政治談義に花が咲くなど意見交換。
 
詳細は伏せますが、状況やお気持ちをよく汲み取ることができた次第です。
 
結びに、長岡市といえば「地酒と花火」で有名ですが、意見交換会開始時には会場内にて圧巻のプロジェクションマッピング。
 
今では、日本三大花火として有名な長岡の花火は名付けて「フェニックス」。
 
中越沖地震で被災した長岡を元気付けようと、市民のボランティア・寄付からはじまった花火はここまでの規模となり、長岡の皆さんは、復興を遂げたプロセスを思い返し、花火を見ると涙を流すのだそう。
 
加藤会長からは、令和6年能登半島地震で震災され、復興に向かう方々を勇気づけるとともに、北信越の69の市議会が団結していこうとの思いを、このプロジェクションマッピングに込めたとありました。
 
先の大戦中も継続開催し、この会が連綿と続いてきたのは、こうした地域内の団結力あってのことと感じたところであり、あらためて、100回を数える歴史ある大会に出席できたことを感謝すると同時に、域内の連携を高め、課題を解決する力にしていかねばと、より一層感じた次第です。
 

【さまざまな思いが込められたプロジェクションマッピングの「長岡フェニックス」】

国民民主党は訴え続けます

ブログ 政治

昨朝は気持ちの良い青空が広がるなか、週始めの街宣活動。
 
富山市、かほく市(石川県)で選挙を戦う同志へのエールをと、国民民主党が主張する「手取りを増やす」経済対策を訴えました。
 

【のぼり旗も「手取りを増やす」。市議会議員なのに?とのご批判もあろうかと思いますが、当面はこの旗で街頭に立つことにいたします。】
 
なお、7日の記者会見にて、今夏の参院選に出馬すること発表した国民民主党福井県連の「山中しゅんすけ」氏も本格的に始動。
 
昨日、一昨日と小雨降るなか、福井市や鯖江市を中心に街頭演説を行なっています。
 
活動の様子はまたご紹介いていきたいと思いますが、国民民主党ののぼり旗とともに見掛けられましたら、お手振りなどいただければ幸いに存じます。
 
さて、政治の話題が続き恐縮ですが、共同通信社が4月12日(土)、13日(日)の両日に実施した全国電話世論調査で、夏の参院選比例代表の投票先は自民党24.6%、国民民主党18.5%、立憲民主党12.3%、れいわ新選組4.1%、公明、日本維新の会の両党が3.9%の順だったとのこと。
 
また、政党支持率は以下のとおり。
 
・自民 25.8%(前回27.7%)
・立民 11.9%(11.1%)
・維新  4.9%(5.4%)
・国民 18.4%(12.9%)
・公明  4.2%(3.8%)
・れいわ 4.8%(7.0%)
・共産党 3.4%(3.6%)
・参政党 1.0%(1.3%)
・日本保守党 1.9%(0.3%)
・社民党 0.7%(0.8%)
・みんなでつくる党 0.2%(0.1%)
・「支持する政党はない」とした無党派層は20.1%(23.0%)
 
一方、選挙ドットコムがJX通信社と共同で行なった、同じく12、13日に日本国内の18歳以上の方を対象としたハイブリッド調査(電話調査とインターネット調査を同じ設問で同時に行う方式)による全国意識調査での、「次期参院選比例投票先」の結果は下表のとおりとなりました。
 

【「あなたは、次に行われる参院選の比例代表では、どの政党に投票したいと思いますか」との問いに対する調査結果(PRTIMESより引用)】
 
国民民主党が自民党を上回ってトップに躍り出ましたが、自民党の結果に顕著に表れているよう、電話とインターネットではこれだけ支持に差が出るということを認識しておくことが大事かと思います。
 
いずれにしても、こうした政党支持率や投票先の調査結果に一喜一憂することなく、地に足をつけて、地道に活動し続けることが肝要と思うところ。
 
結びに、先の共同通信の調査で興味深かったのは、物価高対策で所得制限を設けずに国民に現金給付する案に対し、賛成37.5%、反対は55.3%であったこと。
 
トランプ関税の影響も視野に、一過性の給付金のやり方では効果が低いとの受け止めが半数を占めています。
 
以下は「国民民主PRESS」の最新号(裏面)ですが、実効性という観点ではやはり、こうした確実に「手取りを増やす」政策への評価が高待っていると感じるところであり、今後も全国の同志とともに、「国民に寄り添う」政治姿勢のもと、愚直に活動に邁進する次第です。
 

【国民民主PRESS(2025年3月25日号)。表面のタイトルは『手取りを増やす夏にする。』】

大激戦の富山市議会議員選挙!二名の候補者の必勝を!

ブログ 政治

昨日投開票が行われた、佐久市議会議員選挙(長野県)。
 
定数24を30名で争う激しい選挙のなか、国民民主党新人で立候補した「四登(しのぼり)なつき」候補が3,045票を獲得し、見事トップ当選を果たしました。
 
当選後、四登さんはXで「3,045票を託して頂き、スタートラインに立たせて頂きました。本当にたくさんの方々に支えて頂きました。ご支援をありがとうございました。投票という手段を選ばれなかった有権者のおよそ半数38,000人近くの方々の無言の声も重く受け止め、活動して参ります。」とポスト。
 
ご自身でトップ当選と言わないあたりにお人柄が出ていると感じる訳ですが、四登さんとは、3月上旬に石川県加賀市での視察でご一緒させていただいた仲であり、子育てをしながら、佐久市の未来に向けた「まちづくり」を真剣に訴える姿が有権者に届いたのだと思います。
 
改めまして、四登さんの当選を心からお慶びするとともに、今後は同じ国民民主党の北信越ブロックの仲間として連携いただくことをお願いする次第です。
 
さて、今年に入って行われた地方議会選挙では、この佐久市を含め、国民民主党公認候補の1位当選は、静岡や北九州などと相次いでいるところ。
 
その流れにあやかって、何としてでも勝ち上がりたいのが、同じく昨日告示された富山市議会議員選挙。
 
そんな思いを持ちつつ、同選挙に立候補した二人の候補を激励のため、一路富山市へ行ってまいりました。
 
北陸新幹線で一本、観光客で賑わう富山駅を抜け、最初に向かったのは、「おのうえ一彦」候補(国民民主党富山県連 政調会長)事務所。
 
北陸電力労働組合組織内議員である「おのうえ候補」とは、私が労組役員時代からのお付き合いで、議員になってからもお互いに連絡を取り合う、良き先輩であり同志。
 
事務所に着くと、労組役員の知った顔も多くおられ、後援会長さんにもご挨拶。
 
ちょうどお昼休憩のため、街宣から戻って来られた候補ともお会いでき、檄を送ったところです。
 

【街宣の出発前に「おのうえ候補」と。】
 
おのうえ候補の街宣出発を見送った後は、国民民主党公認候補として立候補の「橋本まさお」候補(同党富山県連幹事長)の事務所へ。
 
橋本候補は、同党の北信越ブロックの会議で何度もお会いしている「兄貴肌」の方。
 
視力検査と揶揄される支持率(0点台だったため)の頃から、国民民主党の看板を背負って、富山県連を支えて来られた筋の通った先輩議員であり、街宣中のためご本人不在でしたが、事務所の皆様にしっかりと檄をお伝えした次第です。
 

【橋本まさお候補の事務所前にて】
 
なお、この選挙は、定数38に対し51人が立候補するという大激戦。
 
まったく気を抜けない選挙であることは言うまでもありませんが、激戦のなか、このお二方を何として押し上げるべく、富山市にご親戚や知人・友人のいらっしゃる方はぜひ、ご支援のお声掛けをいただけますよう、何卒よろしくお願いいたします。
 
加えて、北陸三県においては、同じく昨日告示された石川県かほく市議会議員選挙に、国民民主党公認で「高井あつし」候補が立候補しています。
 
こちらの候補者に対しましても、併せてご支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

ギャンブラーの夫は悪人ではなく、病人でした

ブログ 社会

「世界の多くの国・地域と国際機関の参加を得て、ここ大阪市・夢洲(ゆめしま)を舞台に開催されることを誠に喜ばしく思います」
 
天皇陛下は昨日、皇后さまとともに臨席した2025年大阪・関西万博の開会式で、こうお言葉を述べ、開会を宣言されました。
 
ここに至るまで、何かと負の話題や逆風もあった訳ですが、55年ぶりに大阪で開催される万博。
 
半世紀前から大きく変容した社会環境の中で開かれるこの万博は、人類のあるべき未来に向けて万博が果たす意義とは何かを考えるともあります。
 
前回1970年の開催時には、日本原電の敦賀発電所1号機や関西電力の美浜発電所1号機から原子力発電の電気を万博会場に送り、その後、新たなエネルギーとして、日本の高度成長期を支えたことを思い返しつつ、今回は期間中どこかで夢洲に足を運び、未来の姿を確かめ、感じてきたいと思います。
 
さて、話題を変え、昨日はプラザ萬象会議室で開催された「全国ギャンブル依存症家族の会 福井」に参加してまいりました。
 
全国で42番目、昨年12月に設立した「家族の会 福井」ですが、その後、毎月開催し、今回ではや5回目。
 
設立した発起人が私の同級生ということに加え、この会の活動趣旨に賛同したこともあって、うち4回参加しているため、会場に行くと顔見知りになった方から声を掛けていただき嬉しい限り。
 
なお、今回は設立した12月に次ぐ、42名の参加があったほか、私からの声掛けに快く参加いただいた同僚議員も1名お越しのもと、会は進められました。
 
会の特性上、ここで話されたことをむやみに口外しないルールを遵守した上で、ご紹介できるオープン情報は以下のとおり。
 
◉調査により、ギャンプル依存症は「本人の責任」と思う割合が「72.6%」
◉公益社団法人 ギャンブル依存症問題を考える会のポスターにあった言葉は、「ギャンブラーの夫は悪人ではなく、病人でした」
◉学生のうちから、ギャンブル依存症を学ぶことが重要
 

【ギャンブル依存症問題を考える会の啓発ポスター】
 
二番目のポスターにあった言葉が依存症を表す象徴的なものかと思います。
 
依存症は、本人の性格や「お金にルーズ」と思いがちですが(現に私も思っていました)、これは脳のドーパミンの分泌が関係する「病気」(ギャンブルでしか楽しいと思えなくなる)であること。
 
また、「回復できる病気」であることを早く、正しく本人や家族が理解し、「家族の会」のネットワークや専門家(治療)につなげることが非常に大事であることは、これまでに学んだこと。
 
今回さらに、皆さんとのお話や体験事例をお聞きし、そうしたことを「啓発」していくことの重要性を感じた次第です。
 
お金欲しさに、特殊詐欺や闇バイトなどの犯罪行為に加担してしまうケースや、最悪の場合、自死を選択してしまうこともあることを考えれば、この依存症は大きな社会問題であるとともに、全国にネットワークを構成する「家族の会」の存在は、被害者を一人でも少なくするための重要な組織であり、ここにつなぐために何をしていけば良いか、今後も会に参画する中で、自身も取り組んでいく所存です。

浜野よしふみ議員より職場激励のごあいさつ

ブログ 原子力 政治

逆境の時に、激励の言葉で奮い立ったことは今まで幾度もありますが、昨日もその機会に。
 
昨日はお昼休みに、浜野よしふみ参議院議員(国民民主党・電力総連組織内議員)より職場激励のごあいさつがありました。
 
本来、敦賀までお越しいただける予定のところ、国会日程の関係から急遽、議員会館とオンラインでつないでの開催となりましたが、画面に映し出された浜野議員からは、電力関連産業に勤める職場の皆さんに対し感謝と敬意を表する旨の言葉があった上で、現在の国民主党が訴える主に経済政策について、また原子力に関しては、原子力を最大限活用していくとする「第7次エネルギー基本計画」も踏まえつつ、既設原子力発電所の早期再稼働に加え、リプレース(建替え)も必ず必要と、力強く述べられました。
 
さらに、敦賀発電所2号機に触れ、11月に審査書が許可されないとの結果になったものの、追加調査のうえ、再申請によって必ずや覆し、再稼働を目指していただきたい。
 
これは、日本原電だけの問題ではなく、他の電力会社、ひいては日本の原子力規制の問題であると述べられました。
 

【オンラインにてごあいさつされる浜野議員】
 
浜野議員におかれては、敦賀2号の、いわゆる「敷地内破砕帯問題」がはじまった当初から、法的根拠のない有識者会合の存在や規制側と事業者側との意見の食い違い(相互コミュニケーション)などについて、国会の場で指摘されてこられた方。
 
決して大袈裟ではなく、浜野議員がいなかったら、今頃敦賀2号は再稼働すら目指せていなかったのではと思う、言わば敦賀2号にとって恩人といっても過言ではないと思い続けている存在であります。
 
私自身、浜野議員とは労組本部役員時代からお付き合いさせていただいており、10数年来変わらず、科学的視点、規制行政の中立性や公平性の観点から、おかしいものはおかしいと指摘し続け、また敦賀2号の再稼働を願っていてくれていることに、冒頭のとおり奮い立った次第です。
 
なお、この敦賀2号に関しては、3日の原子力産業新聞(以下、原産新聞)に『敦賀2号機 再稼働に向け追加調査を検討』のタイトルで記事がありました。
 
当初、2025年3月末を目途に取りまとめる予定となっていた敦賀2号の新規制基準に係る適合性審査の再申請に向けた追加調査計画について、調査内容に万全を期すため、さらに検討を継続することとし、「まとまり次第、地域、関係者に知らせる」と発表した。
 
との書き出しから、これまでの経過を辿りつつ、敦賀2号は2011年5月以来、停止中であること、一部報道によると、追加調査の期間は2年以上を要するほか、再申請を行う時期も未定となっており、再稼働まで、今後の審査期間を考慮すると停止期間は十数年に及ぶこととなりそうだとありました。
 
そして、結びには、原電では、審査途上の2013~14年、旧原子力安全・保安院より引き継がれた敦賀発電所における敷地内破砕帯調査に関し、リスクマネジメントや地質学の専門家からなる2つの国際チームによるピアレビューも実施し、同社の調査について「正当な科学的基盤」があることを主張してきた。同時期、地球物理学分野で権威のある「米国地球物理学連合」も、専門家チームによる論文掲載を通じ、科学的知見に基づき、規制側と事業者側が十分に議論する必要性を指摘している。
 
原産新聞の言いたかったことは、結びの文章に集約されていると受け止めましたが、浜野議員や昨日ご紹介した小竹議員ほか、国民民主党の国会議員の方々や有識者の皆さま。
 
メディアにおいてはほかに産経新聞など、日本の原子力規制のあり方、とりわけ敦賀2号に関する審査対応に疑問を呈しておられます。
 
こうして問題意識を共有する、各方面からの激励の声を踏まえ、これまたおかしい、原子力規制委員長ご自身が「立証は困難」と仰るこの問題を何としてでも覆す。
 
浜野議員仰るよう、これは日本原電だけの問題ではないという、使命と責任を背負って対応せねばと、改めて認識を強めた次第です。

おだけかい議員が衆議院「原子力問題調査特別委員会」で本質論を質疑

ブログ 原子力 政治

9日は、「大波に備えるためにも『手取りを増やす』経済対策を」のタイトルでブログを書きましたが、昨日は国民民主党の玉木雄一郎代表、竹詰仁議員(参議院議員/全国比例)らが首相官邸を訪れ、先月取りまとめた経済政策「もっと!手取りを増やす」を林芳正内閣官房長官に申入れ、意見交換を行いました。
 
本経済政策は昨今の経済状況を踏まえ、国民民主党として、物価高に苦しむ国民の暮らしを守り、経済の好循環を生み出すため、①減税、②社会保険料引き上げ、③電気代ガス代の値下げ、④米の価格安定の4つを柱に取りまとめたもの。
 
詳細は以下リンクよりご覧ください。
 
→国民民主党『もっと!手取りを増やす』申入れ内容はコチラ
 
申入れ終了後、記者団の取材に応じた玉木代表は「経済有事ともいえる事態の中でいつまでも決断をできない政治ではダメだ。政府としては補正予算の編成も含め、万全の対策を速やかに打ってもらいたい」と述べました。
 
一方、与党においては、同じく物価高やトランプ米政権の関税措置を受けた経済対策として、国民への現金給付(所得制限なしで3万〜5万円)を実施するよう政府に対し要求を強めているとの報道。
 
既にX(旧Twitter)上では「また選挙前のバラマキか」など猛反発されていますが、減税は「財源がない」と言ってやらないのに、給付はすぐできるのは何故か。
 
単発と恒久の違いだと仰るのかと思いますが、考えを聞いてみたいところです。
 
さて、昨日は、今国会の衆議院で初開催となった「原子力問題調査特別委員会」が行われ、国民民主党からは、小竹凱(おだけかい)議員(石川1区)が質疑。
 
質疑の内容はまだ、Xのポストでしか把握できていませんが、堂々と本質論に立った意見をされました。
 

【委員会で質疑する「おだけかい」議員(同議員のXポストより)※後ろで爆睡しとる議員は誰や!(怒)】
 
<以下、おだけ議員のXポスト引用>
 
私からは、2040年の社会を見据えたエネルギー政策のバックキャスティング。
世論や政権によって揺らぐことのない、原子力政策の将来的な一貫性。
米国NRCを参考にした、規制委員会の『効率性』の重要性
“国が前面に立って”、地域住民への説明や科学リテラシーの向上にむけた取り組み。
次世代人材育成に向けた支援策。など質疑
 
高専の『廃炉創造ロボコン』も紹介させていただきました。原子力分野が将来につながる技術だというビジョンを描くことが、人材確保や安全性の向上にもつながると考えます。引き続き取り組みます。
 
<引用終わり>
 
ポストを拝見し、とりわけ原子力規制に触れられたことは大変重要と思い、私も以下のように引用ポスト(元の投稿を、自分のコメントを添えてシェアすること)。
 
<やまたけの引用ポスト>
 
#おだけかい 議員の視点はどれも重要なもの。
原子力規制に関しては、①独立性、②開放性、③効率性、④明瞭性、⑤信頼性 を掲げる米NRCの「活動原則」にあって、日本の規制にないのが「効率性」。
「費用便益分析」(規制によって国民が受けるメリット)の要求と併せて必要なことと考えます。
 
すると、これをご覧になったおだけ議員からは、
 
大事な視点ですね!
ありがとうございます!頑張ります!
 
とのコメントがあり、SNS上ではありますが、感謝とお礼を伝えられたことに加え、相互コミュニケーションが図れたことを嬉しく感じた次第です。
 
以前にもご紹介したとおり、おだけ議員は、石川県政史上最年少衆議院議員の27歳。
 
昨秋の衆院選で石川1区(金沢市など)から出馬し、北信越ブロックで比例当選された訳ですが、2024年2月には、「やまたけさんと街頭に立ちたい」とわざわざ敦賀まで来てくれた、「若武者」の言葉がピッタリの「ナイスガイ」(名前と掛けています)。
 

【2024年2月19日、いつもの粟野交番前で一緒に街頭演説した時の様子】
 
あれから約1年2ヶ月。
 
今では、国会議員として活動されていることを、親の感覚で嬉しく思うところであり、今後の大活躍を期待する次第です。
 
なお、質問された原子力・エネルギー政策は、北陸電力の志賀原子力発電所を有する石川県、多くの原子力発電所が立地する福井県、さらには柏崎刈羽の新潟県など、北信越ブロックにとって大変重要なもの。
 
引き続き、同じ国民民主党所属議員として、政策面でもしっかりお支えする所存です。

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