杉原千畝さんがつないでくれた「4年ぶりの再会」

ブログ 敦賀の歴史・文化

東京八重洲にあった「杉原千畝 SEMPO Museum」。
 
「命のビザ」で有名な杉原千畝氏の人道と博愛に満ちたヒューマニズムを保存し、伝える場として2019年3月19日に開館したミュージアムですが、その後、八重洲の再開発により2021年9月に閉館したとあります。
 
私は、開館間もない2019年6月21日に出張の際に立ち寄り、人道を最優先し、勇気ある行動をとった千畝氏の生涯を展示やビデオで拝聴し、感銘を受けたところ。
 
その際、私の後にMuseumにいらした女性お二人とお話しすると、千畝氏が「命のビザ」を発給したリトアニア カウナスの「杉原記念館」で、一人旅同士のお二人が偶然出会ったことを切っ掛けにつながりを持たれ、この日も待ち合わせてMuseumを訪れたとのことでした。
 
私も、ユダヤ難民が辿り着いた港、敦賀の地から来たことを伝えるとすぐに意気投合し、今度は「人道の港」敦賀にお越しいただくこととなっていたところ。
 
その後は、コロナ禍やお互いの日程などにより、なかなか実現に至らなかった訳ですが、何と昨日、4年ぶりの再会を果たすことができました。
 
4月の上旬に、敦賀にお越しいただく日を調整し、この日を迎えましたが、お一方は兵庫県、もうお一方は東京都からと、それぞれ異なる方向からお越しいただいたことに感謝。
 
4年ぶりの再会を喜んだ後はすぐに意気投合し、私の車にて敦賀のご案内に出発しました。
 
まずは金ケ崎宮にて、歴史や市内を眺望いただき、緑地を歩きながら主目的の「人道の港敦賀ムゼウム」へ。
 
ムゼウムへは、事前にお二人と来館することをお伝えしてあったため、職員さんがガイドを務めていただき、気付けば約1時間半、大変丁寧に説明いただきました。
 
カウナス、SENPO Museum、そしてここ敦賀ムゼウムでは杉原千畝氏の功績に加え、様々な方の「命のバトン」より多くの命が救われたこと、さらにはユダヤ難民を受け入れる以前には、ポーランド孤児をこの港で受け入れたことを知り、お二人は大変感銘を受けておられました。
 
そして最後には、4年前にSENPO Museumの時と同じように、3人並んで記念撮影。
 
大変充実した時間であるとともに、改めて人道の尊さ、命の大切さを感じる機会となりました。
 

【杉原千畝氏が「命のビザ」を発給した机(イメージ)にて記念撮影】

【(参考)4年前にSENPO Museumで撮影した時の写真】
 
その後は、気比の松原、昼食を経て一路愛発に向かい、柳ヶ瀬トンネル(当時国内最長)や小刀根トンネル(日本人で作った現存する国内最古)など鉄道遺産を体感いただき、氣比神宮、神楽通りにて目的のお菓子購入(秘密のケンミンショーで情報を得ていたそう)、最後は駅前商店街でのお土産購入タイム、駅前広場ottaでは「ちえなみき」散策と、私なりの案内ルートでおもてなしした次第です。
 

【気比の松原にて、海の透明度に驚くお二人】
 
なお、ちえなみきに関しては、お一人がinstagramでフォローされていたとのことで、「ここなら土日ずっといられる」との感想を仰っていただき、率直に嬉しかったところ。
 
お帰りは16時過ぎの電車ということで時間がなく、私のお気に入りの場所「立体駐車場屋上」までは行けませんでしたが、「必ずまた敦賀に来たい」、「今度は新幹線で」などと互いに声を掛け合い、改札口でお別れした次第です。
 
こうして4年ぶりの再会は「あっという間」ながら、心満たされる時間であり、お二人が最初に出会ったのも、私がお二人に出会ったのも「杉原千畝」の存在があったからであり、つながりを作っていただいた千畝さんに心より感謝。
 
なお、私がSenpo Museumに行ったきっかけは、渕上隆信・前市長が行かれたSNSを拝見してのことでしたので、改めてご紹介いただいた渕上前市長にも感謝申し上げます。
 
ここ数日は「出会い」の大切さ、ありがたさをしみじみと感じるとともに、改めて認識するのは、ご案内するにも時間が足りないほど豊富な「宝」(食も絶賛いただきました)が敦賀にはあるということ。
 
古より、街道や港、そして鉄道へと、交通の要衝であることで生まれるのは「つながり」。
 
今回「人道の港」でつながった関係を大事に、また今後も末永く育んでいければと思います。
 

【出会いはカウナスから東京、そして敦賀へ】