【内容紹介】日本遺産認定記念シンポジウム 〜ふたつの日本遺産がつながるまち敦賀〜

ブログ 敦賀の歴史・文化


 
本日も大変貴重な講演を拝聴してまいりました。
 
第1部は、敦賀市教育委員会文化振興課(学芸員)の中野拓郎様より、日本遺産に認定された北前船や鉄道の歴史と大和田荘七が「国際港に相応しい、広い視野を持った敦賀市民が増えることを目指した」とし大和田銀行を設立したことなど、時系列的に新たなエピソードを知ることが出来ました。
 
第2部では、トンネル探究家であり、まちづくりにも長く取り組まれている花田欣也様より、改めて旧北陸線トンネル群の貴重さや素晴らしさ、さらに今後の活用に向けたヒントまで頂戴しました。
 
北前船と鉄道遺産。
 
ふたつの日本遺産が敦賀でつながっているのは、この地が日本有数の「交通の要衝」であったことを証明することに他なりません。
 
「今あるものを生かす」
 
花田様が仰られた「地域ブランド化」に向けた言葉をしかと胸に留めたいと思います。
 
最近の恒例となってきておりますが、この内容は是非皆さんとも共有させていただきたいとの思いから、シンポジウムのリアルタイムメモを以下に掲載しますのでご覧ください。
 
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【日本遺産認定記念シンポジウム 〜ふたつの日本遺産がつながるまち敦賀〜】
 
1.日 時:令和2年11月 8日(日) 10:00〜12;00
2.場 所:きらめきみなと館小ホール
3.基調講演①
(1)テーマ:「北前船」から「海を超えた鉄道」へ
(2)講 師:中野 拓郎 氏(敦賀市教育委員会文化振興課 学芸員)
(3)内 容:
・北前船交易により、敦賀港は北海道・東北からの荷物、都や東海地方から送る荷物でごった返していた。倉庫にある荷物の買い手がついたら、琵琶湖を経由し運送されていた。
・敦賀にある長屋風倉庫は北前船の寄港地には良くあった。今では江戸時代からある倉庫は一棟のみ(鰊蔵)。
・江戸時代の港の特徴は岸壁が無い。荷揚げをする船が順番待ち、続々と敦賀湾に船が押し寄せる風景が残されている。
・明治半ばまでが北前船の全盛期であった。
・明治2年(1869年)の日本最初の鉄道敷設計画の3箇所に敦賀〜琵琶湖間があった(あと2箇所は横浜〜東京、神戸〜大阪)。
・鉄道整備の発展とともに、海路よりも陸路での運送が
・大都市から近く、大陸やシベリア鉄道に行くなら敦賀が一番と大和田荘七が働き掛けた結果、敦賀港が海外と貿易出来、さらに明治45年からの「欧亜国際連絡運輸」が開始された。
・その次に必要なものとして、大和田荘七が建てた大和田銀行は、本来閉鎖的である銀行を公会堂や貴賓室、食堂などを備え、「国際港に相応しい、広い視野を持った敦賀市民が増えることを目指した」との位置づけのもと重要文化財に指定されている。
・昭和15年には、敦賀港にユダヤ難民を受け入れ、あたたかく迎えることが出来たのは、当時の国際情勢などを知っていたからかも知れない。
・それから80年後、人道の港敦賀ムゼウムがリニューアルオープン。この史実をこれからもつないでいくことが私たちの役割。
 
4.基調講演②
(1)テーマ:近代日本の歴史に磨かれた旧北陸線トンネル群の魅力について
(2)講 師:花田 欣也 氏(トンネル探究家)
(3)内 容:
・2017年に「旅するトンネル」を発刊、地域に残る造詣美やヒストリーなどに惹かれ、自著を始め、講演、テレビなどにて発信、趣味からライフワークとなった。
・「花田欣也が迫るトンネルの世界」は現在も放映中。
・旧北陸線トンネル群が大好きで「マツコの知らない世界」では過去3回、「おはよう朝日」ではトンネルツアーにて小刀根トンネルをレポート。
・今日伝えたいのは、「今あるものを生かす」ということ。
・自分がトンネルにはまった切っ掛けは、幼少期から「闇」が好きだったこと、誰もいない長くて暗いトンネルの「闇」が落ち着くこと。目を閉じて「闇」を感じ、思いを馳せることに魅力を感じるから。
・全国に道路で約11,000本、鉄道トンネルは約5,000本ある。
・日本最初のトンネルは、1680年の「箱根用水路」、1,342mもの長さのトンネルを掘った。
・日本のトンネル技術は素晴らしいが、明治から昭和にかけての最大トンネル工事では犠牲者も出した。その都度、技術改良により改善、今でも日本はトンネル掘削の先進国である。
・日本の産業発展に大きな役割を果たした。
・人口減少で歴史あるトンネルの維持が難しい時代となり、修繕費の増、財源と技術者の不足が課題となっている。
・一方、旧道はライフラインともなっており、自治体にとっては難しい選択を迫られている。
・最後のレンガトンネルは、隣県の賤ヶ岳トンネル。
・トンネルは「別世界をつなぐ魔法」の装置。
・苦難の末のトンネル開通の喜び、思いを「意匠」にしてきていることから、位置づけの重要さが伺い知れる。
・明治14年開通の小刀根トンネルは、日本で3番目に作られた現存最古のレンガトンネル。
・柳ヶ瀬トンネルは、長さ1,361mで当時の日本最長。このトンネルにより、大陸への道が拓かれた。
・旧北陸線トンネル群の見どころを3つ。「①明治の生きた鉄道遺産」、「②ここは日本のバック・トウ・ザ・フューチャー」、「③極上の“闇”を味わえる」。
・実はここから始まったものが、現・北陸トンネルの「樫曲斜坑」。
・北陸新幹線開通で、もうひとつの「日本で唯一」が誕生。3世代の鉄道トンネルが現存することになるのは、日本で敦賀だけ。
 
(今後の活用に向けたヒント)
・ツーリズムの観点で言えば、50代以降では以前強い「歴史・文化」。最近ではS I T(special interest tour)と呼ばれる 「街道巡り」や「アニメの聖地巡り」なども人気を集めている。
・インフラツーリズム(ダム、工場夜景、灯台施設など)も人気となった。
・今では何がヒットするか分からない時代になっている。
・“よそ者”の自分から見た敦賀の良さとは、トンネルや鉄道(キハ58系)。ニッチな部分も認知され、あらゆる趣味・趣向が見つめ直されている。
・豊かな歴史や自然、ストーリー、トンネル(産業遺産)、ならではの食など豊富にある。
・官民の役割分担がポイント。プロモーションは自治体、DMOの役割で、関係機関との連携をいかに強め、旧北陸線トンネル群をフックにしたPRの絶好機である。
・民間に求められる観光振興の役割は、地域の良さを自身の言葉で説明出来る「地元のガイドさん」。
・地元の方だからこそ伝えられること、説明で深まる旅の楽しさを感じてもらえれば、口コミで伝わっていく。
・地域の誇れる「宝」を地域の人たちと情報共有する。
・誘客の肝は、「一日で千人」よりも「一日で若干名」のお客さんを大切に、積み重ねていくこと(密にも配慮)。
・そして、地域消費につながる仕掛けを。皆で連携して儲けていくとの視点が大事。
・トンネルでの地域活性化の例。日本一トンネルが多いと言われるまち横須賀、旧神岡鉄道(岐阜県)はレールマウンテンバイク「ガッタンGo」、JR福知山線など。
・共通点は、長年変わらない連携であり、敦賀は負けないポテンシャルがある。
・プロモーション「おいでよ福井」は、全国から注目されている。
・地域のブランド化に必要なことは、「今だけ、ここだけにしか無い、そしてあなただけに紹介するもの」はないか、継続すること、連携すること、二次交通、組み合わせ、安全安心。
・よそ者、バカ者、好き者の声を生かす。
・地域の皆さんがその価値に気づき、有効活用されていくことが重要。
・トンネルには必ず出口はある、コロナにも必ず!
 
以 上