「小さな親切」は、気づきと勇気があれば誰でもできる

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「“小さな親切”は、気づきと勇気があれば誰でもできる」
 
「小さな親切運動」の言葉は誰しも聞いたことがあるものかと思いますが、昨晩はその意味合いや具体的な取組みの大切さを知る貴重な機会に出会うことができました。
 
その機会とは、昨晩プラザ萬象で開催された「小さな親切」運動敦賀支部が主催する「第1回市民のつどい」。
 
今年度は、これまでの同支部総会に代わり、支部会員や賛助者が集う機会として開催されるということで、記念すべき「第1回」に私も参加できたもので、冒頭の言葉はこの中で支部代表の方がお話しされたもの。
 
「小さな親切運動」が始まったルーツを調べてみると、1963年(昭和38年)3月の東京大学の卒業式で、茅誠司総長(当時)が卒業生に向けて送った言葉「“小さな親切”を、勇気をもってやっていただきたい。そしてそれが、やがては日本の社会の隅々までを埋めつくすであろう親切というなだれの芽としていただきたい。(中略)その教養を社会人としての生活の中に生かしていくには、やろうとすれば誰でもできる“小さな親切”を絶えず行っていくことが大切です。“小さな親切”はバラバラな知識を融合させる粘着剤の役目を果たすのです」にあるとのこと。
 
「小さな親切」運動は、茅誠総長と、この卒業告辞に感銘を受けた人々が提唱者となり、卒業式から3ヶ月後の6月13日にスタートし、現在では全国32道府県本部、137市町村支部とともに、次世代を担う青少年をはじめ広く国民の間に「小さな親切」の心を育てる様々な活動を行っているとありました。
 
そうした経過の中、脈々と活動を続けてこられた敦賀支部さんにはまず敬意を表するものですが、「第1回市民のつどい」の中では、作文コンクールで優秀な成績を納められた3名の中学生の皆さんへの表彰や自主的にボランティアを継続されるなど「小さな親切運動」に貢献された個人、団体への実行章の授与などがあり、市内でもこうして多くの方が運動に取り組まれていることを知るとともに大変感銘を受けることが多くありました。
 
とりわけ感銘を受けたのは、作文で表彰された中学生の皆さんの朗読発表。
 
作文の視点は、自身が受けたものや逆に自身が行った親切、親切の模範は父親であるとしたものなど三者三様でしたが、その内容、文章構成の素晴らしさはもとより、表彰の時と同様、凛とした立ち姿、そして大きな声で堂々と朗読される姿には、感心させられることばかりでした。
 
また、表彰団体を代表し、返礼のあいさつを述べられた福井養正館(特別養護老人ホーム渓山荘への慰問や清掃活動を続ける剣道教室)のこちらも中学生がまた素晴らしく、作文の皆さんと同様、こちらはステージ上でシナリオを手にすることもなく、真っ直ぐ前を向いて感謝の辞を述べる姿にこれまた感心するばかり。
 
運動に真摯に取り組む姿勢もさることながら、こうした若い皆さんの頼もしい姿にどこか自分が恥ずかしくなるほどでした。
 

【「市民のつどい」式典時の様子】
 
つどいのほうは、第2部で敦賀市社会教育指導員の山本拓先生より、「親切・思いやりが 自分もまわりも輝かせる」と題し、いじめや誹謗中傷(SNSなど)、心ない行為が行われた実例などを写真や動画などを活用し紹介されたうえで、ではどう行動すれば良いのかをともに考える講演を拝聴しました。
 
実は山本拓先生は、実際のお名前は「ヒロシ」ですが、皆から「タク先生」の愛称で親しまれる方で、私自身も陸上つながりで以前より知るほか、長女も中学時代に部活の顧問としてお世話になった方。
 
こうして柔らかい語り口ながらも信念が伝わる「タク先生」のお話しからは、現代社会における問題、そうした中自分自身が行動すべきことの両側面を学ぶことができました。
 
レジメに記載されていた「小さな親切 八か条」にあったのは、「朝夕のあいさつをかならずしましょう」、「はっきりした声で返事をしましょう」に始まり、「人が困っているのを見たら手つだってあげましょう」、「他人のめいわくになることはやめましょう」まで。
 
書かれていることは当たり前のことと思いきや、自分自身ができているかと問われれば、自信を持って「はい」と言えない項目があるのも確か。
 
「“小さな親切”は、気づきと勇気があれば誰でもできる」
 
冒頭に記載した言葉の意味合いはまさにこのことであり、できていないことに気づいたら後は勇気をもって行動するのみ。
 
自分もまわりも輝かせる「八か条」を今日から実践あるのみです。