足利一門桃井氏について ー越前・若狭に残された足跡ー

ブログ 敦賀の歴史・文化

今朝はそうでもありませんでしたが、寒暖の差があった昨日は、早朝に草木の先や花、車の窓ガラスに露がついていました。
 
季節は進み、二十四節気では今日から「白露(はくろ)」。
 
前述のとおり、露が結び、白く光って見えるという時季で、秋分の前日9月21日(土)まで。
 
日中はまだまだ暑い日がありますが、どこか涼しげな、節気の文字を思い浮かべてみるのも良いのではないでしょうか。
 
さて、そのような季節の変わり目の昨日は、気比史学会が主催する「第40期 敦賀市民歴史講座(第3講)」を市立図書館3階研修室にて開催。
 
桃井(もものい)氏研究の第一人者である松山充宏先生(射水市新湊博物館学芸係長)をお招きし、「足利一門桃井氏について ー越前・若狭に残された足跡ー」をテーマにお話しいただきました。
 
会場には約65名の聴講者にお集まりいただきましたが、YouTubeなどでも人気の先生とあって、遠くは長野や大阪からも遠征して来られた方もおられ、関心の高さを感じた次第です。
 

【他府県からの遠征もいただき開催された市民歴史講座】
 
時は南北朝時代、講座のメインで登場する「桃井直常(ただつね)」は、松山先生の著書によれば『鬼神の如き堅忍不抜の勇将』と称するほどで、節義を通した人格や求心力をもって、「※観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」をはじめ様々な合戦で活躍。
 
桃井直常ら本宗家のみならず、桃井氏は東北から九州まで足跡を残した姿から、神出鬼没の一族とも言われています。
 
※観応の擾乱
室町幕府草創期の南北朝時代、日本史上最大の兄弟争いと言われる。室町幕府初代将軍「足利尊氏」・重臣「高師直(こうのもろなお)」が、足利尊氏の弟「足利直義(ただよし)」と争った内乱。この兄弟争いは室町幕府を二分し、日本全土を巻き込む争いへと発展。はじめは力を合わせて幕政の安定を目指した兄弟は、泥沼の戦いの末に足利直義の死という悲劇的な結末を迎えます。また、観応の擾乱は、南北朝の動乱を長引かせる要因にもなりました。
 
なお、松山先生が高校生時代から研究してきた、一族の動向・史跡・伝承までを網羅した桃井一族の伝記の決定版でもある著書は以下掲載の通りですので、ぜひご覧になっていただければと存じます(市立図書館にも1冊あります)。
 

【松山先生著『桃井直常とその一族』】
 
本家の足利尊氏に従い、鎌倉幕府滅亡以降続く争乱に参戦した桃井直常は、越中・若狭・伊賀守護を歴任し、引付頭人にも抜擢され室町幕府を支え、「観応の擾乱」が勃発すると足利直義の強力な与党として、北陸から京都・関東を縦横無尽に駆け二度も将軍を京都から追放した猛将として知られる訳ですが、時には幕府、時には反幕府方として、全国各地で活躍した直信・直弘・盛義ら多士済々の一族たち。
 
越前・若狭との関係では、幕府が直常を若狭守護に補任された際には、太良荘に禁制発給、明通寺(小浜市)に礼状送付したことや、敦賀では、金ヶ崎城に立てこもっていた南朝軍が、麓の敦賀津に陣を設けた際、直常の軍勢が攻め寄せ、南朝軍を金ヶ崎城に撤退させたとあります。
 
また、桃井一族で越前田中荘に生まれた桃井直詮(なおあきら)は、中世芸能「幸若舞(こうわかまい)」宗家である「幸若家」の祖とされ、幸若家の一流が敦賀に住み、屋敷跡は今も「幸若遺跡庭園」として残されていることも紹介されました。
 
「幸若舞」は、『人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり』の舞にあるよう、かの織田信長が愛したことでも有名で、そうした文化の足跡が敦賀にあったことを改めて学びました。
 
回遊式の築山林泉庭園である遺跡庭園は現在、三島の天理教にあり、敦賀市指定名勝ともなっていますので、機会あらば足を運んでいただければと。
 
さらに、越前との関係では、江戸時代末に越前福井松平家に仕えた橋本左内の肖像画に、桃井氏の家紋「五七の桐」が入っていることから、桃井直詮の子孫を称することなども紹介され、意外なつながりがあったことも学んだ次第です。
 
話しを「直常」に戻しますと、最後は越中(富山)で戦況不利となり、飛騨へ撤兵後、行方不明になったとあり、このことが『太平記』の締め括りになっているとも。
 
こうして、質疑を含めた2時間があっという間に過ぎてしまいましたが、激動の南北朝時代と、膨大な桃井一族の動向・史跡・伝承を軽快な語り口で、分かりやすく且つ丁寧にご講義いただきました松山先生に心より感謝申し上げます。
 
     
【熱のこもったご講演をいただいた松山先生】
 
結びに、先生がお勤めの旧新湊地域(越中:富山県)は、古代より氣比神宮を通じ、敦賀との関係が深いまち。
 
また、射水市新湊博物館に展示されている『高樹文庫』の所蔵品(敦賀湾と琵琶湖をつなぐ運河計画:疋田舟川の測量図等)を11月には敦賀市立博物館がお借りし展示されるともあり、今回の講座ならびに歴史を通じて、両市の関係がより深くなることを祈念する次第です。