2025年5月6日
日本人の精神基盤「十七条憲法」

写真は、ウォーキング中に撮影した昨日夕方の野坂山麓からの風景。
田植えが終わり、水が張られた田んぼに映り込む「逆さ野坂」。
この時期恒例ではあるものの、古より続いてきたであろうこの風景は、私にとって何とも心が癒される大切なものであります。
5月4日(日)にはまさに、この風景にピッタリな「みどりの日」を迎えたところ。
また、「国民の祝日に関する法律」第3条第2項によれば、「『国民の祝日』が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い『国民の祝日』でない日を休日とする。」とあり、本日6日は祝日に。
ゴールデンウィークも最終日となったところです。
そうした決まりから来るため、「祝日」としての5月6日にはあまり意味がないように思える訳ですが、調べてみると、今日はわが国にとって歴史的意味合いがある「十七条憲法」が定められた日だそう。
聖徳太子が「十七条憲法 を制定したのは、今から1421年前の推古天皇12年4月3日(西暦604年5月6日)。
全17条からなる日本最初の成文法であることは皆が知るところ。
聖徳太子は、新しい国のしくみを整えるため、豪族たちの中から能力のある者をとり立て「役人」とし、役人の心構えを示すために、太子自ら定めた憲法であり、「一に曰く、和を以て貴しとなす」の言葉はあまりにも有名。
争いごとが絶えない中、聖徳太子が第一条で最初に示したのは人びとの「和」であり、これを含む以下17条は、今でも日本人の精神基盤となっていると言えます。
一 以和為貴
二 篤敬三寶
三 承詔必謹
四 以禮為本
五 絶餮棄欲
六 懲悪勧善
七 掌宜不濫
八 早朝晏退
九 信是義本
十 絶忿棄瞋
十一 明察功過
十二 勿斂百姓
十三 同知職掌
十四 無有嫉妬
十五 背私向公
十六 使民以時
十七 夫事不可獨断
ネット上には、「十七条憲法 現代語訳」なるものがあり、いくつか調べてみると、第二条では、「仏法僧を大事にしなさい」と定め、政治に仏教を役立てることを示したこと。
続く第三条は、「詔はつつしんで受け止めなさい」。
詔とは天皇の言葉を表し、つまりは、天皇に従うよう命じるということによって、日本で初めて役人が天皇のもとにまとまり、国づくりに努力するよう定めたこと。
さらに、現代につながることとしては第十条。
「他人が自分にさからったからとて激怒せぬようにせよ。 人にはそれぞれ思うところがあり、その心は自分のことを正しいと考える執着がある。他人が正しいと考えることを自分はまちがっていると考え、自分が正しいと考えることを他人はまちがっていると考える。しかし自分がかならずしも聖者なのではなく、また他人がかならずしも愚者なのでもない。両方ともに凡夫にすぎないのである。正しいとか、まちがっているとかいう道理を、どうして定められようか。」
そして、最後の第十七条は、「物事は独断で決めてはならない。必ず皆で議論すべきである。小さな事は重要でないので、必ずしも皆で議論する必要はない。ただし重要な事を議論する時は、間違いがあることを懸念せよ。そのため皆で議論して判断する時は、物事は道理にかなったものとなる。」。
制定当時、中国の律令制度や都市計画などを取り込んでいたものの、争いを繰り返してきた大陸では、統一のため専制君主や絶対君主が必要だったのに対し、日本では集団合議や集団合意で事が運ぶと考え、十七条憲法には和の国家運営、集団主義の理念が明確になっていることが分かります。。
同じく大陸では、専制君主や絶対君主を打倒する、いわゆる「血を流す」革命を経なければ個人主義は生まれませんでしたが、日本では千四百年前にはすでに全員がそれぞれに否決権をもつ集団合議制が生まれていて、その後も国家は「万世一系」で連綿と続いてきたことを思えば、わが国の歴史において果たした「十七条憲法」の存在は極めて大きいものと考えます。
一国民であり、一地方議員の私の立場において、第一条をはじめ、とりわけ先の第十条や第十七条は肝に銘じておく必要があるもの。
本日は、制定から千四百有余年の歴史、聖徳太子が込めた十七条に思いを馳せる日といたします。






