トンネルは日本人だけの手で

ブログ 敦賀の歴史

3月14日。
 
今日は、日本原電の敦賀発電所1号機(以下、敦1)が営業運転を開始した日。
 
この日を誕生日とすると、敦1は「51歳」。
 
私が2歳の時には、我が国初の商業用軽水炉として運転を始め、高度成長期の電力供給を支えてきたことになります。
 
2015年4月27日には約45年間の運転を終え、現在は廃止措置を進めているところですが、原子力黎明期にあって、国益に資する新たなエネルギー源を確立するため、初めて尽くしの発電所建設から運転までを乗り越えた先人に敬意を表するとともに、社員はもとより協力会社、メーカーの皆さんまで多くの人に愛され、支え続けられた「敦1」の存在を誇りに思うところです。
 
廃止措置は、全体期間を24年間計画として進められていますが、感謝の思いを忘るることなく、全ての工事を終えるまで見守っていきたいと思います。
 
さて、話しは変わり、昨日は観光ボランティアガイドつるが主催の「鉄道カフェ」に参加してきました。
 
この「鉄道カフェ」は、「港と鉄道の街つるが」を広く市民の皆さんに知っていただくことを目的とし、平成26年から開催しており、今回で21回目になるとのこと。
 
令和2年度としては2回目となる昨日のテーマは、「日本遺産認定“現存する日本最古の鉄道トンネル”〜日本人だけで作ったトンネル群〜」。
 
福井工業高等専門学校の武井幸久名誉教授による約1時間半の講義を拝聴し、鉄道遺産についてのみならず、敦賀の歴史の捉え方や日本人の手だけでトンネルを作った敦賀人の気骨までをも知ることができ、大変元気の湧く時間となりました。
 

【会場の松原公民館ホールは、定員30名ほぼピッタリの盛況ぶり】
 
以下に印象に残った言葉、ポイントのみご紹介します。
 
1.歴史、人と場の見方・考え方
 
◉未来は常に過去を変えている(マチネの終わりに:毎日新聞社出版2016より)。
◉姿勢の三軸は、「社会性ー圏域性」、「能動性ー受動性」、「積極性ー消極性」。
◉変わらないものとして、景観十年、風景百年、風土千年。
◉敦賀は、古くより地政学的に交通の要衝であったことから、江戸、明治と国の主導が強く、「やる気」を無くしていたのではないか。
◉「消極的な能動性⇄消極的な受動性」、「積極的な能動性⇄積極的な受動性」とあるが、敦賀は前者(消極的)の傾向が強かった。
 
2.敦賀になぜ、かくも早く鉄道が
 
◉越前国海陸図の存在。
◉日本海の海運、疋田舟川(琵琶湖と日本海を運河で結ぶ計画)など、敦賀は物資輸送における重要な結節点としての役割。
◉1814年にG.スチーブンソンにより蒸気機関車発明⇨1854年にペリーが蒸気機関車の模型を将軍に献上。
◉1869年(明治2年)政府の鉄道敷設計画(助言者は「鉄道の父」井上勝)に「幹線ハ東西両京ヲ連結シ、枝線ハ東京ヨリ横浜ニ至リ、又、琵琶湖辺ヨリ「敦賀」ニ達シ、別ニ一線ハ京都ヨリ神戸ニ至ルベシ」。
 
3.近代と鉄道
 
◉鉄道計画については、1878年(明治11年)「海運網と連絡する鉄道敷設重視」に政策転換したことにより、敦賀ー米原間(北陸線)の鉄道敷設工事費の計上。
◉1881年(明治14年)には小刀根トンネル(現存する日本最古のトンネル)、1884年(明治17年)には柳ヶ瀬トンネル(当時、国内最長のトンネル)が完成し、敦賀(金ヶ崎)ー長浜間開業。
◉鉄道延伸により、敦賀ー長浜間から北陸線へ、敦賀では日本最初の私設銀行「大和田銀行」創設。
 
4.トンネルは日本人だけの手で
 
◉「鉄道の父」井上勝の言葉「汽車、レール、橋梁の資材は全て外国製品です。外国に支払うばかりで、国内の技術も向上しない。西洋の技術を越えるものを、日本人の手で作らねばならない」。
◉敦賀人の気質として、攘夷の意識を強化される経験から、何事も「日本人だけの手で」との考えが強く、その実践は既に始められていた。
◉現に、明治期における近代遺産第1号「黒崎(阿曽)トンネル」は、日本人の手だけで1876年(明治9年)に手掛けられている。
◉日本人だけで設計・施工した国内初の「小刀根トンネル」、その後の「柳ヶ瀬トンネル」に至っては今なお、道路トンネルとして使用されている。
 
一部、「近代とは何か」など先生のレベルについていけない部分もありましたが、講義はざっとこのような内容でした。
 
あと余談として、現在の北陸自動車道は旧北陸本線に沿った形で整備されていますが、当初計画時には「国道365号線沿いルート」もあったそうで、その際、当時県会議員をされていた高木孝一氏(後の敦賀市長で現衆議院議員の高木毅代議士の父)が県会議長(元衆議院議員の若泉征三氏の父)に食ってかかり、北陸本線ルートに引き戻したとのエピソードも紹介いただき、改めて高木孝一元市長の政治力の強さと肝っ玉を知ることが出来ました。
 
結びに先生は、大和田荘七氏がこの敦賀を大きく発展させるべく取り組んだことも例に挙げられ、北陸新幹線開業後10年は東京行きの始発となるこの敦賀を「消極的な能動性⇄消極的な受動性」から「積極的な能動性⇄積極的な受動性」に転換し、日本国内はもとより、世界に訴えていけるようなまちにしていかなくてはならないと述べられました。
 
これには全く同感。
 
敦賀人の気骨や歴史を胸に置き、冒頭の敦1とも掛け合わせ、チャレンジ精神があれば「宿命は反転可能」の思いをもって、こうして得たことを自身の取り組みに生かしていきます。
 

【以前、敦賀駅構内に掲示されていたポスター。鉄道も原子力も先人はこうして挑戦し、時代を乗り越えてきたのだ。】