深紅の優勝旗とスポーツ指導の大原則

ブログ 人生観

昨日午前中は、両親が手掛けている家庭菜園へ。
 
さすがにこの暑さ続きでは、親だけでは大変だろうと、妹と一緒にお手伝い。
 
といっても、収穫の終わった2畝(うね)分の片付けや草むしりをしただけですが、それでも汗だくになっての作業は気持ちよく、綺麗になった畝を見ると達成感があるもの。
 
わが家もお裾分けの恩恵に預かっている両親が育てる野菜は、手間ひま、そして愛情を込めてできるものと、今さらながら実感した次第です。
 

【綺麗になった畝をバックに、仕事をした証拠写真(笑)】
 
さて、農作業と並行して行われていたのは、夏の全国高校野球決勝戦。
 
観れたのは終盤だけでしたが、行き詰まる熱戦を制したのは沖縄尚学。
 
「野球エリート集団」とも称される日大三(西東京)を3―1で破り、見事、夏の大会初の優勝を果たしました。
 

【深紅の優勝旗を手にした沖縄尚学】
 
県勢の夏の大会優勝は2010年の興南以来15年ぶりとのことで、「沖縄タイムス」によれば、「決勝当日、試合開始前から街は人影も車もまばらとなり、「道路から車がなくなる」といわれるほど、県民の視線はテレビ中継に注がれた。商業施設や公民館には人々が集まり、盛大なエールを送った。勝利の瞬間、各地で歓声が沸き起こり、沖縄は歓喜に揺れた。」とありました。
 
写真でも、閑散とした幹線通りが掲載されており、まさに沖縄県民が一体となって応援されたものであり、選手はもとより、関係者、地元の皆さんにお慶び申し上げる次第です。
 
厳しい練習や試合でのピンチを乗り越えるのは、強い気持ちの個がつながるチームワーク、そして選手たちの自主性にあると、あらためて高校野球、スポーツの素晴らしさを感じた一方、今大会においては、広陵高校(広島)が途中で出場辞退するという前代未聞の出来事もありました。
 
決勝戦が終わった23日夜に、朝日新聞デジタルに掲載された編集委員の記事は『暴力でなく言葉でやりとりを 主体性高める動き』とのタイトル。
 
広陵高校の件を発端に、過去にあった高校野球界での暴力事案を踏まえつつ、次のように述べています。
 
<以下、記事抜粋引用>
 
これらは選手を強くするため、チームを勝たせるための「指導の一環」として、指導者が選手を暴力で威圧し、自分の意のままに動かそうとした構図と似ている。高校生は大人のまねをしてきたのではないか。かつて先輩に殴られた部員が、上級生になって暴力をふるう「負の連鎖」もあるだろう。
 
最近はいろいろな部活動で、選手の主体性を高める動きが進んでいる。学校教育で主体的、対話的な学びが求められ、スポーツの現場でもそうした要素が重視されるようになってきた。チーム方針や練習内容、試合のメンバーなど、運営の多くを選手たちが話し合いで決める。指導者は見守り、問題が起こった時に修正のヒントを与える。勝利を目的の一つとしながらも、プロセスを通じた選手の成長にも多くの価値を置いている。
 
こうした取り組みを取材していると、暴力とは無縁だと感じる。指導者も選手も「言葉」が勝負になるからだ。自分の考えを通したければ、それなりの理由付けと実践が必要になる。仲間たちの考えを理解することが前提になる。
 
<引用終わり>
 
私も少年ソフトボールの指導者として5年間携わりましたが、その際、子どもたちと接する中で最も留意したのはこの部分にありました。
 
指導者の暴力や強い言葉でロボットを操るかのように、選手は指導者の顔色を伺い、失敗を恐れ、萎縮してプレーする。
 
そんな時代は終わりました。
 
高校野球ファンの1人として、広陵高校には、単に監督や部長を交替させることで終わらせることなく、本質的な問題を徹底的に洗い出した上で、次へのスタートを切って欲しいと思うとともに、高校野球に留まらず、日本のスポーツ全体が、暴力とは無縁の中で、自主性をもって自分の技術や精神を磨き、チームワークを高め、仲間やライバルと切磋琢磨する。
 
そのような環境となること、また、今回のような事案や報道が二度とないよう、切に願う次第です。
 
注ぐ、真の「愛情」が根底になくば、選手も、冒頭の野菜も、決して大きく健やかに育ちません。