ソ連建国から100年と我が郷土の風景

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昨朝は、久しぶりに愛犬きゅうとの気ままな散歩。
 
「気まま」というのは、きゅうの気の向くままのコースという意味ですが、砂流の農道を歩いていると「逆さ野坂」に遭遇。
 
この時期貴重な晴れ間に映える景色に、思わず「ナイスチョイス」と声を掛けた次第です。
 

【敦賀のシンボルマウンテンは昨日も雄大】
 
散歩を終えると、その後は「THE北陸の冬」を思わせる天気となり、目まぐるしく変化する空模様のなか、午後は町内へのポスティング。
 
雨を凌ぎながらでは効率が悪く、届けられたのは約半分でしたので、何とか今日のうちに全戸に届けたいと思います。
 
さて、話しは変わりますが、今日はソビエト社会主義共和国連邦(以下ソ連)が建国されてから100年の日となります。
 
12月20日にJR小浜線全線開業から100周年を迎えましたが、それと同じ時代であったことをどこか意外に感じたところ。
 
そのソ連が誕生したのは、1922年(大正11年)12月30日。
 
ロシア帝国による圧政を打倒すべく行われたロシア革命から5年後、革命指導者の筆頭だったレーニンを元首に据え、
・ロシア
・ウクライナ
・白ロシア(ベラルーシ)
・ザカフカース(アゼルバイジャン,アルメニア,ジョージアの3共和国に該当)
の4カ国が互いに平等な立場で加盟する「ソビエト社会主義共和国連邦の樹立を宣言。
 
ソ連の建国は、世界初となる社会主義国の樹立となりました。
 
また、レーニンの後を継いだスターリンによってマルクス・レーニン主義が提唱されると、その足場はより強固なものになっていき、広大な国土をも利点にした高度な中央集権体制が築かれていき、世界の覇権を争うまでになったことは周知のところ。
 
その後、約70年間体制を維持したものの、社会主義からの体制転換の末、1991年にソ連解体。
 
それから四半世紀を経て、「歴史を繰り返す」かの如くウクライナ侵略を続けるロシアの姿に、大陸の地政学の難しさと同時に人間の愚かさを強く感じる次第です。
 
なお、戦闘の続くウクライナでは、戦禍で美しき景色が一変するばかりか、国外避難を余儀なくされているウクライナ国民が、一日も早く祖国に戻れる状況になることを願うとともに、四季折々の表情を見せてくれる我が郷土の風景があるのも、領土と財産を守り抜いてくれた先人達の気概と尊い犠牲に立っての「平和」であってのことであり、野坂の御嶽に重ね、改めて感謝して止みません。